かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

自己治療としての批評--岩川ありさ『物語とトラウマ』

* トラウマという領域 戦争や災害や事件や事故といった出来事はしばし人のこころに「トラウマ」と呼ばれる深い痕跡を残します。従来、トラウマをめぐる研究は精神医学、心理学、文化人類学、当事者研究といったさまざまな学問領域において多角的な視点から…

「正しさ」をめぐる思考実験--九段理江『東京都同情塔』

*「訂正」される「正しさ」 批評家の東浩紀氏は近著『訂正する力』(2023)において過去との一貫性を主張しながらも実際には過去の解釈を変えて現実に合わせて変化する力としての「訂正」の論理の重要性を説いています。人間の行うコミュニケーションには奇…

差異と反復の詩学--最果タヒ『十代に共感する奴はみんな嘘つき』

* 差異と同一性 通常、人は「同一性(おなじもの)」を基準としてそこから逸脱したものを「差異(ちがうもの)」として位置付けます。このような意味で人の経験は「同一性」なくしては成り立ちません。しかし実際の経験の流れの中に身を浸してみると、事物…

人間の消滅から人間の再発明へ--客的-裏方的二重体の時代

* 人間の消滅とポスト・ヒューマニズム ポスト構造主義を代表する思想家の1人であるミシェル・フーコーは『言葉と物』(1966)において「人間の消滅」という挑発的なテーゼを提示して一躍時代の寵児としての地位を確立しました。難解な専門書にもかかわらず…

映画は90分で何を語り得るか--『映画大好きポンポさん』

* 映画90分説 フランス文学者にして映画評論家の蓮實重彦氏は「映画90分説」というものを提唱しています。いうまでもなく、これは映画の上映時間の話です。氏は近著『見るレッスン』(2020)においても映画というものはほぼ90分で撮れるはずであると述べ、…

大江文学における〈物語〉--尾崎真理子『大江健三郎の「義」』

* 大江健三郎と柳田国男 1979年に発表された大江健三郎氏の代表作の一つである『同時代ゲーム』は日本における本格的なポストモダン小説の先駆けとして評価される一方で、批評家の小林秀雄氏が「二ページでやめた」と大江氏自身が自虐的に伝えるほどに極め…

クィア・ケア・訂正可能性--武内佳代『クィアする現代日本文学』

* クィア理論と文学 一般的に「クィア理論 Queer Theory 」とは1990年にカルフォルニア大学サンタクルーズ校の学術会議におけるテレサ・ド・ラウレティスの提唱した用語が起源とされています。日本語では「変な」「奇妙な」などと訳される「クィア」という…

めぐりあわせの環の中で--映画『窓ぎわのトットちゃん』

" data-en-clipboard="true"> 映画 窓ぎわのトットちゃん ストーリーブック 作者:黒柳徹子 講談社 Amazon " data-en-clipboard="true"> * 伝説の世界的ベストセラー初の映画化 黒柳徹子氏がその少女時代を綴った自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』は1981年…

デタッチメントからアンチ・ソーシャルへ--村上春樹『ノルウェイの森』試論

* 村上春樹の代名詞 村上春樹氏は河合隼雄氏との対談集『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996)において小説を書き始めたきっかけは、いま思えば「自己治療のステップ」であったと振り返っています。周知のように村上氏は1978年、29歳のある日、明治神…

これから河合隼雄にざっくり入門するためのおすすめ7冊

* こころの処方箋(1992年) こころの処方箋(新潮文庫) 作者:河合 隼雄 新潮社 Amazon ⑴ 時代を超越した不動のロングセラー 日本を代表する臨床心理学者、河合隼雄氏は1965年にスイスのユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を取得して、…

自然主義的リアリズムの脱構築--今村夏子『とんこつQ&A』

* 今村作品における「文体」について 今村夏子氏は大学卒業後、清掃関係のアルバイトなどを転々として、29歳の時にバイト先から「明日休んでください」といわれたのがきっかけで、どういうわけか「小説を書こう!」と思い至ったそうです。 こうして書き上げ…

「現実」の時代における「批評」の位置--宇野常寛『2020年代の想像力』

*「事物を通じたコミュニケーション」としての「批評」 2020年代という時代は新型コロナ・ウィルス(COVID-19)の出現とともに幕を開けました。このコロナ・パンデミックは図らずとも世界的危機が「危機そのもの(COVID-19による生命と健康への危機)」より…

実践知としての哲学入門--東浩紀『訂正する力』

" data-en-clipboard="true"> *「訂正可能性」による日本社会のリノベーション 20世紀を代表する哲学者の1人であるルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインは後期の代表的著作である『哲学探究』(1953)において「人は言語を使ったゲームをルールを知らない…

解離の時代における自傷と救済--西尾維新『愚物語』『業物語』『撫物語』『結物語』

* ライトノベルと解離の時代 かつてライトノベルは「キャラクター小説」とも呼ばれていました。この「キャラクター小説」という言葉は例えばあるアニメを起点としてお菓子や文房具といった様々な「キャラクター商品」を商業的に展開していく中で「ノベライ…

「逆張り」は脱構築の夢を見るか--綿野恵太『「逆張り」の研究』

*「逆張り」の諸相 もともと「逆張り」とは株式相場の流れに逆らって売買する投資手法を指す言葉でした。例えば「投資の神様」と呼ばれるウォーレン・バフェットは逆張り(コントラリアン)で知られています。彼は2009年のリーマンショックでは経営危機に陥…

脱構築と公共性--東浩紀『訂正可能性の哲学』

* 訂正可能性--『存在論的、郵便的』の核心部 現代を代表する批評家/哲学者である東浩紀氏が1998年に世に放ったデビュー作『存在論的、郵便的』はフランスの哲学者ジャック・デリダが1970年代に書いた奇妙なテクスト群に光を当てた画期的なデリダ論として…

乱反射する過剰な何か--最果タヒ『コンプレックス・プリズム』

* 感情に色づけられたコンプレックス 劣等感とはいうけれど、それなら誰を私は優れていると思っているのだろう、理想の私に体を入れ替えることができるなら、喜んでそうするってことだろうか?劣っていると繰り返し自分を傷つける割に、私は私をそのままで…

言語における身体性--今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』

* 記号接地問題--AIに言語は「理解」できるのか 時に1990年前後、当時の人工知能(AI)研究に対して「記号接地問題」と呼ばれる批判が提起されました。この問題を最初に提唱した認知科学者スティーブン・ハルナッドはAIがある記号(例:りんご)を別の記…

資本主義リアリズム・再生産未来主義・それでも〈未来〉を語るということ--木澤佐登志『失われた未来を求めて』

* 資本主義リアリズムという病理 今日の現代思想シーンにおいて大きな潮流を形成する「加速主義」の代表的論客の一人としても知られるイギリスの批評家マーク・フィッシャーはその主著『資本主義リアリズム』(2009)において現代を席巻するグローバル資本…

母性をめぐるふたつの生--映画『君たちはどう生きるか』試論

* 賛否が二極化した映画 1937年8月に公刊された吉野源三郎氏の著書『君たちはどう生きるか』は作家の山本有三らが中心となって編集した「日本少国民文庫」という全16巻からなる子供向け教養叢書の最終巻であり、同文庫の編集主任も務めた吉野氏は戦後、岩波…

コンステレーションと物語--大江健三郎『ヒロシマ・ノート』

* 原水爆禁止運動の起源と変容--本書の成立背景 1954年3月にマーシャル諸島ビキニ環礁で行われた米国の水爆実験「キャッスル作戦(ブラボー実験)」によって当時「死の灰」と呼ばれた大量の放射性降下物を焼津漁港所属のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員が…

「速さ」と「遅さ」のあいだで思考するということ--宇野常寛『砂漠と異人たち』

*「走る」ことと「書く」こと 今年6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』を上梓した村上春樹氏は熱心な市民ランナーとしても知られています。時に1980年代初頭、当時30代前半だった村上氏はそれまで経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を他人…

ユマニチュードと障害者表象--市川沙央『ハンチバック』

* ユマニチュードにおける「願い」 ユマニチュードという言葉があります。1979年にフランスの体育学教師だったイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人が創出した知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づくケアの技法を指すこの言葉に…

人間と動物のあいだで思考するということ--東浩紀『観光客の哲学 増補版』

* 本質と非本質をめぐる逆説 本書は東浩紀氏が2017年に公刊した『ゲンロン0 観光客の哲学』の増補版です。周知のように『存在論的、郵便的』(1998)で日本の現代思想シーンに大きなインパクトを与え『動物化するポストモダン』(2001)によりゼロ年代批評…

これからラカン派精神分析にざっくり入門するためのおすすめ5冊

* 疾風怒濤精神分析入門(片岡一竹) 疾風怒濤精神分析入門 ジャック・ラカン的生き方のススメ 作者:片岡一竹 誠信書房 Amazon ⑴ 精神分析とは何か 精神分析とは19世紀末、オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが当時、謎の奇病とされたヒステリー…

世界の謎から日常の問題へ--凪良ゆう『汝、星のごとく』

" data-en-clipboard="true"> *〈母〉なるものからの超出 臨床心理学者の河合隼雄氏は『母性社会日本の病理』において日本社会における母性原理の優位性を指摘しています。氏は当時、急増しつつあった登校拒否症や我が国に特徴的とも言われる対人恐怖症の背…

1995年という原風景--千葉雅也『エレクトリック』

* 千葉哲学の原風景 昨年の読書界で大きな反響を呼んだ『現代思想入門』の著者である哲学者、千葉雅也氏の最新小説『エレクトリック』は、これまで発表された氏の小説『デッドライン』や『オーバーヒート』と共にひとつなぎの物語としても読める作品です。 …

クィア・スタディーズの基本概念とアンチ・ソーシャル的転回について

* クィア・スタディーズとLGBTQ クィア・スタディーズとは性の多様性を考察する比較的新しい学問領域であり、とりわけセクシュアルマイノリティ(性的少数者)に関する論点を多く扱います。周知の通りセクシュアルマイノリティは近年において「LGBTQ」とい…

インターネットの魔法と正義--最果タヒ『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』

" data-en-clipboard="true"> * 最果タヒとインターネット 最果タヒ氏は2005年から思潮社の『現代詩手帖』に投稿を始め、周知の通り2007年には第一詩集『グッドモーニング』を上梓して史上最年少で中原中也賞を受賞していますが、それ以前の時期には「現代…

闇のライフハックとしての現代思想--ニック・ランドから『闇の自己啓発』へ

* 自己啓発の功罪 「自己啓発」なる言葉は当初、高度経済成長期下の労務管理の文脈において用いられていましたが、1980年代以降はニューエイジと呼ばれる精神世界と結びつき、やがて1990年代になるとオウム真理教をめぐる報道の中でそのイメージを悪化させ…