かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

文芸

「正しさ」をめぐる思考実験--九段理江『東京都同情塔』

*「訂正」される「正しさ」 批評家の東浩紀氏は近著『訂正する力』(2023)において過去との一貫性を主張しながらも実際には過去の解釈を変えて現実に合わせて変化する力としての「訂正」の論理の重要性を説いています。人間の行うコミュニケーションには奇…

差異と反復の詩学--最果タヒ『十代に共感する奴はみんな嘘つき』

* 差異と同一性 通常、人は「同一性(おなじもの)」を基準としてそこから逸脱したものを「差異(ちがうもの)」として位置付けます。このような意味で人の経験は「同一性」なくしては成り立ちません。しかし実際の経験の流れの中に身を浸してみると、事物…

映画は90分で何を語り得るか--『映画大好きポンポさん』

* 映画90分説 フランス文学者にして映画評論家の蓮實重彦氏は「映画90分説」というものを提唱しています。いうまでもなく、これは映画の上映時間の話です。氏は近著『見るレッスン』(2020)においても映画というものはほぼ90分で撮れるはずであると述べ、…

大江文学における〈物語〉--尾崎真理子『大江健三郎の「義」』

* 大江健三郎と柳田国男 1979年に発表された大江健三郎氏の代表作の一つである『同時代ゲーム』は日本における本格的なポストモダン小説の先駆けとして評価される一方で、批評家の小林秀雄氏が「二ページでやめた」と大江氏自身が自虐的に伝えるほどに極め…

クィア・ケア・訂正可能性--武内佳代『クィアする現代日本文学』

* クィア理論と文学 一般的に「クィア理論 Queer Theory 」とは1990年にカルフォルニア大学サンタクルーズ校の学術会議におけるテレサ・ド・ラウレティスの提唱した用語が起源とされています。日本語では「変な」「奇妙な」などと訳される「クィア」という…

めぐりあわせの環の中で--映画『窓ぎわのトットちゃん』

" data-en-clipboard="true"> 映画 窓ぎわのトットちゃん ストーリーブック 作者:黒柳徹子 講談社 Amazon " data-en-clipboard="true"> * 伝説の世界的ベストセラー初の映画化 黒柳徹子氏がその少女時代を綴った自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』は1981年…

デタッチメントからアンチ・ソーシャルへ--村上春樹『ノルウェイの森』試論

* 村上春樹の代名詞 村上春樹氏は河合隼雄氏との対談集『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996)において小説を書き始めたきっかけは、いま思えば「自己治療のステップ」であったと振り返っています。周知のように村上氏は1978年、29歳のある日、明治神…

自然主義的リアリズムの脱構築--今村夏子『とんこつQ&A』

* 今村作品における「文体」について 今村夏子氏は大学卒業後、清掃関係のアルバイトなどを転々として、29歳の時にバイト先から「明日休んでください」といわれたのがきっかけで、どういうわけか「小説を書こう!」と思い至ったそうです。 こうして書き上げ…

「現実」の時代における「批評」の位置--宇野常寛『2020年代の想像力』

*「事物を通じたコミュニケーション」としての「批評」 2020年代という時代は新型コロナ・ウィルス(COVID-19)の出現とともに幕を開けました。このコロナ・パンデミックは図らずとも世界的危機が「危機そのもの(COVID-19による生命と健康への危機)」より…

解離の時代における自傷と救済--西尾維新『愚物語』『業物語』『撫物語』『結物語』

* ライトノベルと解離の時代 かつてライトノベルは「キャラクター小説」とも呼ばれていました。この「キャラクター小説」という言葉は例えばあるアニメを起点としてお菓子や文房具といった様々な「キャラクター商品」を商業的に展開していく中で「ノベライ…

乱反射する過剰な何か--最果タヒ『コンプレックス・プリズム』

* 感情に色づけられたコンプレックス 劣等感とはいうけれど、それなら誰を私は優れていると思っているのだろう、理想の私に体を入れ替えることができるなら、喜んでそうするってことだろうか?劣っていると繰り返し自分を傷つける割に、私は私をそのままで…

母性をめぐるふたつの生--映画『君たちはどう生きるか』試論

* 賛否が二極化した映画 1937年8月に公刊された吉野源三郎氏の著書『君たちはどう生きるか』は作家の山本有三らが中心となって編集した「日本少国民文庫」という全16巻からなる子供向け教養叢書の最終巻であり、同文庫の編集主任も務めた吉野氏は戦後、岩波…

「速さ」と「遅さ」のあいだで思考するということ--宇野常寛『砂漠と異人たち』

*「走る」ことと「書く」こと 今年6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』を上梓した村上春樹氏は熱心な市民ランナーとしても知られています。時に1980年代初頭、当時30代前半だった村上氏はそれまで経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を他人…

ユマニチュードと障害者表象--市川沙央『ハンチバック』

* ユマニチュードにおける「願い」 ユマニチュードという言葉があります。1979年にフランスの体育学教師だったイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人が創出した知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づくケアの技法を指すこの言葉に…

世界の謎から日常の問題へ--凪良ゆう『汝、星のごとく』

" data-en-clipboard="true"> *〈母〉なるものからの超出 臨床心理学者の河合隼雄氏は『母性社会日本の病理』において日本社会における母性原理の優位性を指摘しています。氏は当時、急増しつつあった登校拒否症や我が国に特徴的とも言われる対人恐怖症の背…

1995年という原風景--千葉雅也『エレクトリック』

* 千葉哲学の原風景 昨年の読書界で大きな反響を呼んだ『現代思想入門』の著者である哲学者、千葉雅也氏の最新小説『エレクトリック』は、これまで発表された氏の小説『デッドライン』や『オーバーヒート』と共にひとつなぎの物語としても読める作品です。 …

インターネットの魔法と正義--最果タヒ『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』

" data-en-clipboard="true"> * 最果タヒとインターネット 最果タヒ氏は2005年から思潮社の『現代詩手帖』に投稿を始め、周知の通り2007年には第一詩集『グッドモーニング』を上梓して史上最年少で中原中也賞を受賞していますが、それ以前の時期には「現代…

免疫としての物語--村上春樹『街とその不確かな壁』試論

* いま満を持して解き放たれる物語 街とその不確かな壁 作者:村上春樹 新潮社 Amazon 本作『街とその不確かな壁』は村上春樹氏の6年ぶり15作目の長編小説です。本作の成立の事情はその「あとがき」によれば次の通りです。村上氏は1980年に「街と、その不確…

自傷的自己愛の修復論として読み解く『お兄ちゃんはおしまい!』

* 自傷的自己愛とは何か ひきこもり支援の専門家として知られる精神科医の斎藤環氏は思春期や青年期に多く見られる自己愛の否定的な発露として「自傷的自己愛」という概念を提唱しています。氏は近著『「自傷的自己愛」の精神分析(2022)』の冒頭でいわゆ…

データベース消費から再び物語消費へ--連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ

* ミリ萌えの金字塔としてのストライクウィッチーズ 「ミリタリー萌え」なるジャンルは2006年に創刊された萌え軍事専門誌「MC☆あくしず」や2007年に放映されたアニメ「スカイガールズ」などを経てゼロ年代のオタク系文化の中でニッチながらもひとまず一定の…

セカイ系と「かわいい」の誤配--星か獣になる季節(最果タヒ)

* セカイ系の継承者としての最果タヒ ゼロ年代の現代詩シーンに彗星の如く現れた最果タヒ氏の作品はしばし「セカイ系」と呼ばれることがあります。この点「セカイ系」という言葉が初めて公に用いられたのは2002年10月31日、ウェブサイト「ぷるにえブックマ…

実存・自由・ヒューマニズム--嘔吐(ジャン=ポール・サルトル)

" data-en-clipboard="true"> * 実存主義とは何か? 1945年5月7日、ドイツが無条件降伏を受諾したことでヨーロッパにおける第二次世界大戦は終結しました。当時のフランスでは戦争が終わったという解放感と社会全体に希望を見出せない不安感が奇妙に入り混…

自傷的自己愛と青春コンプレックス--ぼっち・ざ・ろっく!(はまじあき)

" data-en-clipboard="true"> * 日常系という想像力 「日常系」と呼ばれる作品群は多くの場合は4コマ漫画形式を取り、そこでは主に10代女子のまったりとした何気ない日常が延々と描かれます。ここで描き出されるのはいわば作品世界の「空気」そのものであり…

平和で安全で清潔で優しい社会の虚構と現実--リコリス・リコイル

" data-en-clipboard="true"> * 管理社会の未来 フランス現代思想におけるポスト構造主義を代表する思想家ミシェル・フーコーは知と権力の関係を分析した『性の歴史1-知への意志(1976)』において従来型の権力形態である「規律権力」の傍らに、新たな権力…

神なき時代における正義の在り処--罪と罰(ドストエフスキー)

* 危機の時代の作家 時は19世紀、当時のロシアでは「農奴制」という従来の社会構造が徐々に軋みを上げ始め、1825年のデカブリスト事件や1949年のペトラシェフスキー事件に象徴されるように社会全体に不穏な空気がみなぎっていました。 1861年、急速に近代化…

「つながり」よりさらに深いところで--かがみの孤城(辻村深月)

" data-en-clipboard="true"> * ゼロ年代の想像力から考える--バトルロワイヤル状況とつながりの思想 宇野常寛氏はそのデビュー作「ゼロ年代の想像力(2008)」において、2001年前後から米同時多発テロや小泉政権が主導した新自由主義的構造改革といった…

理想の時代における実存文学--されどわれらが日々-(柴田翔)

" data-en-clipboard="true"> * 全共闘世代のバイブル 戦後の日本文学史はまず終戦直後に登場した第一次・第二次からなる「戦後派」と呼ばれる作家達が現れるところから始まります。この「戦後派」と呼ばれる作家達の特色は、例えば戦場とか投獄といった極…

正しさと幸せのめぐり合わせ--憑物語/暦物語/終物語/続・終物語(西尾維新)

" data-en-clipboard="true"> * コンステレーションと物語 「あれがデネブ。アルタイル。ベガ。有名な、夏の大三角形--ね。そこから横にすーっと逸れて、あの辺りがへびつかい座よ。だからへび座は、あの辺りに並んでいる星になるわね」 (「化物語(下)…

【感想】すずめの戸締まり

" data-en-clipboard="true"> すずめの戸締まり UNIVERSAL MUSIC LLC Amazon " id="村上春樹から考える">* 村上春樹から考える 現代を代表する作家である村上春樹氏はかつて1995年前後に「デタッチメントからコミットメントへ」という文学的転回を果たして…

戦後文学における「日常」の発見--夕べの雲(庄野潤三)

" data-en-clipboard="true"> " id="第三の新人とは何か">* 第三の新人とは何か 戦後の日本文学史はまず終戦直後の時期に登場した第一次・第二次からなる「戦後派」と呼ばれる作家達が現れるところから始まります。先の昭和20年の敗戦は日本文学において私…