かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

実存・自由・ヒューマニズム--嘔吐(ジャン=ポール・サルトル)

 

* 実存主義とは何か?

 
1945年5月7日、ドイツが無条件降伏を受諾したことでヨーロッパにおける第二次世界大戦終結しました。当時のフランスでは戦争が終わったという解放感と社会全体に希望を見出せない不安感が奇妙に入り混じっていました。そして、こうした時代の気分に敏感に反応した若者たちは社会への不信の念に満ちていました。
 
そんな若者たちの一部は「実存主義者」と呼ばれていました。ここでいう「実存主義者」とは、パリのセーヌ海岸、サン・ジェルマン・デ・プレ界隈にたむろする若者たちの蔑称で、彼らに対する世間的なイメージは住所不定の無為無職で昼間はカフェを渡り歩き夜はバーやキャバレーで酒を飲みジャズをかけて踊り狂っているという退廃的な若者たちというものでした。そして、こうした若者たちのカリスマ的存在が当時「サン・ジェルマン・デ・プレの法王」と呼ばれていたジャン=ポール・サルトルです。
 
当時、新進気鋭の小説家にして劇作家、そして哲学者であったサルトルは1945年10月「実存主義とは何か?」という講演を行いました。その会場となったクラブ・マントナンには多くの聴衆が押しかけ、この講演は新聞などで「文化的大事件」として大々的に報じられました。サルトルはこの講演で当時ロクでもない何かとしてしか見做されていなかった「実存主義」を時代を照らし出す新たな思想へと昇華させようとしていました。
 

* 実存は本質に先立つ

この講演の冒頭でサルトルは、実存主義に対してなされたいくつかの非難に答えて、実存主義を擁護したいと宣言します。当時、実存主義に対してはコミュニストからの政治的批判とカトリックからの道徳的批判が寄せられていました。そして、これらの非難には実存主義が人間を孤立したものと考えて、その連帯性を蔑ろにしているという点で共通するものがありました。
 
これらの非難に対してサルトルは「実存主義ヒューマニズムである」という鮮烈なテーゼによって答えます。そして、ここで示される実存主義の第一原理が「実存は本質に先立つ」というものです。
 
ここでいう「実存」とは、この世界にある存在が現実に存在しているということであり「本質」とは、その存在の性質(それはどんな素材で、どのように作られて、なんのために使われているかといった性質)の束を指しています。
 
ここでサルトルが持ち出すのがあの有名なペーパーナイフの例です。いま仮にここに1本のペーパーナイフがあるとする。これがどのようにして作られたのかというと職人がまず頭の中にこれから作るペーパーナイフの姿を、いわばその「本質」を、思い浮かべてから制作に取り掛かったはずである。すなわち事物の場合「本質は実存に先立つ」という事になる。
 
ところが人間の場合は全く逆である、とサルトルはいいます。もし神が天地の創造者だとすれば神は一人の職人になぞらえることができる。そうであれば神は人間を創造する前に、自分がこれから作り出す人間の「本質」をあらかじめ知っていなければならない。従って人間の「実存」に先立ち、神の思考のうちに人間の「本質」が存在しなければならないはずである。
 
けれども、今ここで仮に神の存在を括弧に入れるのであれば、全ての人間に共通した一つの「本質」というものが始めに存在することはあり得ないことになる。したがって人間の場合は事物の場合と異なり「実存は本質に先立つ」と言わねばならない。すなわち、人間はあとにになってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが作ったところのものになるのである、ということです。
 
このように人間はまず「実存」して、その後に自らの「本質」を創り出す「主体」であるというのがサルトルの考え方です。すなわち、人が自らを創るとは、未来に向かって自らを投げ出し、かくあろうと「投企」する存在であるということです。
 
こうしたサルトル実存主義の実践が「アンガージュマン」です。アンガージュマンとは直接的には「拘束」を意味する言葉で、この講演でサルトルはアンガージュの典型例として「結婚」を挙げていますが、さらにサルトルは話を広げてひいては人類全体をアンガージュするとまで述べています。ここからアンガージュマンという言葉はとりわけ「政治参加」や「社会参加」といった「コミットメント」の意味に使われるようになります。
 
このようにサルトルは戦後の解放感と不安感に満ちたフランスにおいて実存主義という新たな思想を華々しく打ち出しました。そして、ここでサルトルが打ち出した実存主義の原点が、この講演の7年前に発表された『嘔吐』という小説です。
 

* 高等遊民ロカンタンの実存をめぐる冒険

20世紀フランス文学を代表する傑作の一つに数えられる『嘔吐』が刊行されたのは1938年です。約7年の歳月をかけて執筆された本作はサルトルの20代から30代初めまでの自分の全てをつぎ込んだ作品だといえます。
 
当時のサルトルは「偶然性の理論」と彼が呼ぶものに没頭しており、当初は本作も『偶然性に関する覚書』という題が付されていました。ところが、その執筆過程において抽象的な哲学エッセイだったものがやがて小説に変わっていき、タイトルも『偶然性に関する覚書』から『メランコリア』『アントワーヌ・ロカンタンの並はずれた冒険』と変転し、最終的に出版元のガリマール書店の社長の提案で『嘔吐』の題名で出版されることになります。この作品によりサルトルはまず小説家として世の中に認められることになります。
 
本作は語り手である主人公、アントワーヌ・ロカンタンという青年の日記という形式をとっており、日付は1932年の1月から2月となっています。舞台はプーヴィルという架空の港町で、当時サルトルが住んでいたノルマンディ地方の港町ル・アーヴルがモデルと考えられています。
 
ロカンタンは金利収入だけで暮らす独身の高等遊民であり、ポーヴィルに来る前は世界のあちこちをノマドのように放浪していました。現在彼はアマチュア歴史家としてロルボン侯爵という18世紀の人物について調べて本を書こうとしています。
 
物語はロカンタンがふと物に対して奇妙な感じを覚え、小石とかドアの取っ手を見たり、それらに触れた時になぜか不快感を覚えたことから始まります。彼はその正体を見極めようと日記を書き始め、次第にその不快感が〈吐き気〉であることを意識し出し、この〈吐き気〉は一体何なのかを考え始めます。そしてある水曜日の午後遅くに突然、ロカンタンは公園のマロニエの根っこを前にしてある種の啓示を得ることになります。
 
実存が突如その姿を現していた。それは抽象的な範疇としての無害な見かけをなくしていた。それは物の生地そのものだった、この木の根は実存のなかで捏ねられていた。というかむしろ、木の根、庭の鉄柵、うっすらとして芝草、こういったものはすべて消え失せていた。物の多様性、物の個別性といったものは、単なる見かけ、うわべのニスにすぎなかった。そのニスは溶けてしまい、あとには、奇怪な、ぶよぶよの、無秩序の塊だけが残っていた--むきだしの塊、ぞっとする卑猥な裸体の塊だけが。
 
(『嘔吐より』)

 

ここでロカンタンは世界を構成する人も物もあらゆるものはただただ偶然の産物であり、すべてが不条理で何の根拠も意味もなく、ただそこに「実存」しているだけであるという「真理」を発見します。すなわち、彼の〈吐き気〉とは単なる生理的な反応ではなく「実存」を前にした時の意識の反応であることをロカンタンは理解することになります。このように本作は世界における「実存」という「真理」を発見する物語です。そしてその「実存」とは畢竟「偶然性」でしかないということです。
 

* 人間は自由の刑に処されている

 
ところで「実存主義とは何か?」の中で示された実存主義の第二原理は「人間は自由の刑に処されている」というものです。すなわち、先述のようにもし神が存在しないのであれば、世界に投げ出された人間は自分の行動を正当化する理由として神を召喚することはできず、自身が行うことの価値を自分自身で「自由」に決めていかなくてはならないということです。
 
そして、こうした「自由」の発見もすでに『嘔吐』の中に現れています。もっとも、本作での「自由」はかなり消極的な位置付けとなっています。先述のように「実存」を発見して途方に暮れたロカンタンは週末に元恋人のアニーと4年ぶりに再開するも失意のうちにプーヴィルに戻り、次の週の日記に次のような文章を書いています。
 
私は自由だ。もう生きる理由が何もないのだから。私の試みたすべての生きる理由はなくなって、その他の理由はもう想像することもできない。私はまだかなり若い、やり直すだけの力を充分持っている。しかし何をやり直すべきなのか?恐怖と吐き気の真っ最中に、自分を救ってくれるものとして、どれほどアニーをあてにしていたことか。それが今はじめてわかる。私の過去は死んだ。ロルボン氏は死んだ。アニーが戻ってきたのは、ただ私から希望を全て奪うためだった。庭と庭との間を沿って続くこの白い道にいて、私は独りきり。独りきりで自由だ。しかしこの自由はいくぶん死に似ている。
 
(『嘔吐』より)

 

これまでロカンタンは世界を放浪をしたり、ロルボン公爵の研究をしたりといった「試み」により必然的な時間の中で生きることを求めてきました。ところが、ここに来てロカンタンは物事はすべからく「実存」の偶然性の産物であり、全ては不条理で根拠もなく意味もないという「真理」を悟ります。すなわち、ここでロカンタンが語る「自由」とは畢竟、全ての「試み」が失敗した結果、もはや「生きる理由」から解放されてしまった状態としての「自由」です。
 

* 偶然性から必然性へ

 
こうしてロカンタンは途方に暮れることになりますが、そこにはやがてひとすじの希望の光が射してきます。プーヴィルを去ることにしたロカンタンは、出発前に行きつけのカフェに寄り、ウェイトレスがお別れにとかけてくれたお気に入りのレコードを聴きます。
 
「Some of these days(いつか近いうちに)」という古いジャズの曲を聴くといつもロカンタンは幸福感を覚え〈吐き気〉が消えていました。なぜなら音楽という音符に規定された「秩序=必然性の世界」の中に没入することで「実存=偶然性の世界」から脱出することができたからです。
 
ここでロカンタンはこの音楽のような「秩序=必然性の世界」こそが今まで自分が求めていたものであったことを悟ります。そしてロカンタンは自分も一遍の小説という「秩序=必然性の世界」を創り出すことで自分の生を「実存=偶然性の世界」から救済しようと決意します。ここでロカンタンの物語は幕を閉じます。
 
これはロカンタンにおける「自由」による新たな「投企」といえるでしょう。すなわち、それは「実存=偶然性の世界」に身を委ねて食って眠ってだらだらと生き延びることではなく、未だこの世にない新たな「秩序=必然性の世界」を創り出していく行為であるといえるでしょう。
 
このように『嘔吐』において「実存」を発見したロカンタン(=サルトル)は、我々の生きるこの世界は偶然性に満ちた不条理なもので何の根拠も意味も無いという一つの「真理」に至ります。けれどもこの真理は、そうであるが故に人間は「自由」であり、その「主体性」から出発するのである、というもう一つの「真理」を導き出すことになります。
 

* サルトル精神分析としての『嘔吐』

 
そして、先述のように「実存主義とは何か?」という講演でサルトルは「実存主義ヒューマニズムである」という鮮烈なテーゼを打ち出しました。では、ここでサルトルのいう「ヒューマニズム」とは何を意味するのでしょうか。
 
この点、同講演でサルトルヒューマニズムは2種類あるといいます。そのうちの一つは人間が自らの存在を最高の価値と見做すヒューマニズムです。しかし、サルトルはこうしたヒューマニズムを批判して、手放しの人間至上主義は究極的にはファシズムに帰着すると断言します。これに対してもう一つは人間が自らの存在を未来へ「投企」することで現在の状況を変え意味を与えていくヒューマニズムです。サルトルはこれこそが実存主義におけるヒューマニズムであるといいます。
 
興味深いことに、この実存主義におけるヒューマニズムは『嘔吐』においてはロカンタン以外の人物によって語られます。本作には「独学者」という人物が登場します。この奇妙な人物は図書館に通ってアルファベット順に本を借りて読みあらゆる知識を吸収しようとしています。この人物にロカンタンは特に悪意は持っていません。それはおそらくこの「独学者」もまた自分と同様に社会のはみ出し者であり、孤独な人間であると知っているからなのでしょう。
 
ある日、ロカンタンは独学者とレストランで昼食を共にすることになります。この時、独学者は次のような台詞を述べます。
 
人生は、それに意味を与えようとすれば意味がある。まず行動し、何らかの企ての中に身を投じるべし。しかる後に反省すれば、すでに賽は投げられており、人は拘縛(アンガージュ)されている。
 
(『嘔吐』より)
 
自分が社会党員であることを告白し熱くヒューマニズムを説き始める独学者を当初ロカンタンは内心でバカにしていましたが、だんだんとこの議論に首を突っ込んでしまったことに嫌悪感を覚えやがて言葉を失って噛んでいたパンを飲み下すこともできなくなります。
 
この時にロカンタンの頭の中では「人間。人間を愛さなければならない。人間は素晴らしい」という言葉が鳴り響き、彼はかつてないほど強烈な〈吐き気〉の発作に襲われます。そして彼はいきなり席を立ち、握りしめていたデザート用ナイフを皿に投げ出して、錯乱しながらレストランを逃げるように出ていきます。そして、その直後、彼はあの「実存」を発見することになります。
 
ここで述べられている独学者の台詞は後のサルトルの講演を先取りしたものといえるでしょう。端的に言えば戦後サルトルは独学者に転向したともいえるでしょう。すなわち、実存主義における「ヒューマニズム」とはまずはサルトルにとっての「他者=無意識」の主張として出てきています。そういった意味で本作は極めて精神分析的な作品であるといえます。
 

* 希望を投げ出さないということ

 
こうしてみると「実存」とは不気味なものとして、そして「自由」とは苛烈なものとして、サルトルの前に出現しました。けれども、サルトルはこうした「実存」と「自由」と格闘して自らのものにすることで独自の「ヒューマニズム」へと到達しました。
 
もちろん周知の通り現代思想史的には実存主義は後に構造主義という新たな思潮によって乗り越えられることになりました。構造主義が緻密に論証したように人の「実存」とはある面では所詮「構造」の産物でしかないことは確かでしょう。けれども「構造」をある種の「差異の体系」として捉えるのであれば、それは畢竟「差異化の運動」の派生物であり、この「差異化の運動」の中に再び「実存」のダイナミズムが回帰してくることになります。
 
そして何よりもサルトルは最後まで「希望」を語り続けた人でもありました。人が「投企」する存在として、未来に向かって自らを投げ出すことができるのはそこには何かしらの希望があるからです。すなわち、実存主義におけるヒューマニズムとは、人が未来に向かって自らを投げ出していくヒューマニズムであると同時に、その未来で待っている希望を決して投げ出さないヒューマニズムであるといえるでしょう。