かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

自分の言葉を創り出すということ--三宅香帆『「好き」を言語化する技術』

*「好き」を言葉にするということ

 
この世界はさまざまなコンテンツで満ち溢れています。小説、映画、漫画、絵画、写真、音楽、舞台、ドラマ、アニメ、ゲーム、イラスト等々。こうしたコンテンツが日々いたるところで間断なく生み出され、多くの人たちを魅了しています。そして時にある人にとってあるコンテンツとの出会いが大袈裟ではなくその人の一生を左右するような決定的な出来事になることだってあります。
 
けれどもそのコンテンツが「好き」であるという熱烈な想いや愛をいざ誰かに語ろうとしたり、あるいはSNSやブログに書こうとした時、どうしても「感動した」とか「面白かった」とか「凄かった」とか「考えされられた」などといった月並みな感想以上の気の利いた言葉が出てこなくて困ったことはないでしょうか。
 
またある程度はそのコンテンツの「好き」について語れる(書ける)まとまった言葉を持っていたとしても、そのコンテンツをよく知らない人に対して自分の「好き」を「どこから」「どこまでを」「どのように」語れば(書けば)いいのか困ったことはないでしょうか。
 
こうした「好き」を語ろう(書こう)とする時にしばし直面してしまうさまざまなお困り事を解決するための知恵を詰め込んだ一冊として本書『「好き」を言語化する技術』を取り上げてみたいと思います。
 
本書には「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない」というサブタイトルがついています(本書は2023年に公刊された「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない--自分の言葉でつくるオタク文章術」を携書化したものです)。このサブタイトルが示すように本書はあらゆるコンテンツを「推し」と呼び、このようなあらゆる「推し」を語る(書く)時に使うことができるさまざまな技術を公開していきます。
 

* 推しを語るとは自分自身を語るということ

「推し」について語る(書く)上で一番重要なこと。それは「自分の言葉」をつくることであると本書はいいます。このように言われると「自分の言葉?普通にみんなできてることじゃないの?」と思われるかもしれませんが「自分の言葉」をつくるという営みは案外難しいものです。とりわけ現代はSNSを通して「他人の言葉が自分に流れ込みやすい時代」であり、日々生成される莫大な量の「他人の言葉」によって「自分の言葉」はどんどん上書きされてしまいます。
 
例えば面白い映画を観た後に他人の感想を読むと自分の感想を忘れてしまい「他人の言葉」があたかも最初から「自分の言葉」だったかのような錯覚を覚えるという経験はよくあることでしょう。人間とは「他人の言葉」にどうしても影響を受けてしまう生き物です。
 
こうした中で「他人の言葉」に惑わされない「自分の言葉」をつくるためにはある種の技術が必要となります。そして本書はこのような技術を会得する上で必要なものは語彙力や観察力や分析力でもない「ちょっとしたコツ」であり、そのような「ちょっとしたコツ」さえ知っていれば「自分の言葉」は誰にでも作れるといいます。
 
本書は「推し」について「自分の言葉」で発信するメリットとして「推しへの解像度が上がる」「たくさんの人に推しを知ってもらえる」「推しについてのもやもやを言語化できる」という点の他に「推しを好きになった自分への理解が深まる」という点をあげ「きっと推しを語ることであなた自身の「好き」がどこからきたのか、わかるはずです。推しを語ることは、あなたの自身の人生を語ることでもある」と述べています。すなわち「推しを語る」ための「自分の言葉」をつくる営みとは、他ならない「自分自身を語る」という営みへまっすぐにつながっているということです。
 

* 自分だけの感情を出発点にする

 
子どもの頃に学校で読書感想文という課題が出された時、先生から「本を読んで自分の感じたありのままの感想を書けばいい」などといったアドバイスを受けたことがないでしょうか?どうも日本の小中学校では「本を読んで感じた通りに、その感情を書けば、それがいい読書感想文になる」と先生も生徒も信じているようなふしがありますが、本書はこうした「ありのまま」感想文信仰に対して異議を申し立て「技術を駆使してこそ、いい感想文を書けるようになる」と主張します。逆に言えば「書く技術さえ理解すれば、いい感想やいい文章は書けるようになる」ということです。
 
まず本書は推しを語るときに一番大切なこととして「自分だけの感情」をあげます。ここでいう「自分だけの感情」とは「他人や周囲が言っていることではなく、自分オリジナルの感想を言葉にすること」です。しかし「自分オリジナルの感想を言葉にすること」は案外難しいものです。なぜなら人間はどうしても世の中に既にある「ありきたりな言葉」を使ってしまう生き物だからです。このような「ありきたりな言葉」をフランス語では「クリシェ cliché」といいますが、まずこのクリシェを禁止したその先に「自分だけの感想」が存在すると本書はいいます。
 
次に本書は推しを語る文章の核が「自分だけの感情」だとすれば、その核を包むものとして「文章の工夫」があるとして、ここで大切なものは「読解力」でも「観察力」でもなく「妄想力」であるといいます。つまり、何かの推しに対して「よかった」という感想を持ったとき、その「よかった」という理由について「昔見たものや昔好きだった推しを引っ張り出しつつ、自分の妄想を広げていく」ことで「感想のネタ」を探していくということです。
 
この点「妄想」はあくまで「妄想」であり、客観的に合っているかはひとまずはどうでもよく、とにかく妄想を広げていくことが重要となります(もちろん実際の感想を書くにあたって「この作品は◯◯という点であの作品のマネをしている」などと自身の「妄想」を根拠なく「事実」であるかのように書いてしまう行為はNGです)。
 
以上のように本書は第1章「推しを語ることは、自分の人生を語ること」で推しの魅力を伝えるために重要なものとして「自分の感情」と「文章の工夫」と「妄想力」の3点をあげています。そして第2章「推しを語る前の準備」ではこの3点を身につけていくための具体的な方法論が紹介されています。
 

* 相手との情報格差を埋める

 
第3章「推しの素晴らしさをしゃべる」では実際に誰かに推しを語るときのポイントとして「相手との情報格差を埋める」という点があげられています。例えば「推しのアイドルのライブが最高だった!」という想いをその推しのことをよく知らない人に伝えたい場合だと、まず相手に「そもそも推しはどういう経歴で、どういう人なのか、いつもどんなライブをやっているのかを伝える」という「相手との情報格差を埋める」ためのフェーズ①があり、その次に相手に「今日のライブのどこが(いつもと違って)最高だったのか」という「相手に伝えたいことを伝える」ためのフェーズ②がくるということです。
 
ここでフェーズ①をスキップしてしまいますと相手を「なんのこっちゃ」とポカンとさせてしまう失敗につながってしまいます。それゆえにまずはフェーズ①をていねいに伝える必要があるということです。そしてこうした「相手との情報格差を埋める」フェーズ①を経て「相手に伝えたいことを伝える」フェーズ②の段階で必要なのは「注釈」をつけてしゃべるということです。ここでいう「注釈」とは分かりづらい単語について「これはこういう意味です」という説明のことをいいます。すなわち、ここでもやはり「相手との情報格差を埋める」という意識が必要であるということです。
 
第4章「推しの素晴らしさをSNSで発信する」と第5章「推しの素晴らしさを文章に書く」ではSNSやブログといった媒体で推しについて書くときのポイントが述べられています。もちろんやはり、ここでも「他人の言葉」と「自分の言葉」を峻別するため、第1章で述べられている「自分の感情」と「文章の工夫」と「妄想力」という3点が重要となることは言うまでもないでしょう。
 
第6章「推しの素晴らしさを書いた例文を読む」では最果タヒ氏、三浦しをん氏、阿部公彦氏のテクストが「プロの推し語り文」の例として取り上げられています。当たり前のことですが推し語りを上達させるために必要なものとは自身にとってのお手本となる推し語りです。もちろんこれは「他人の言葉」を単純に真似ることとはまったく異なります。ここで学ぶべきものは、その人の「意見そのもの」ではなく、その人の文体や構成や切り口といった「文章の型」というべきものです。そして、こうした学びの過程を経ることで本書がいうような「最初から個性をだそうと考えるよりも、自分の好きな発信を模倣していくなかで、なぜかお手本と違ってしまうところが個性になる」という瞬間が生じるのではないでしょうか。
 

* 自分の言葉を創り出すということ

 
本書は「推し」を語る(書く)ためのさまざまな技術を「えっ、そこからですか?」というくらいに本当に初歩の初歩からていねいに説明していきます。それゆえにに本書は推し語りの初心者にとってとても親切な本であることは言うまでもなく、推し語りのベテラン(?)にとってもあまりに自明すぎるが故に軽視しがちな推し語りの基礎あるいは原点を再確認ないし再発見できる本となっています。
 
本書が幾度も強調するように「自分の言葉」で推しを語るとは他ならない自分自身を語るということです。例えば本書は第2章において推しに対して生じた感情を「共感」と「驚き」に大別した上で、その感情が生じた理由を深く掘り下げていく「感情を言語化=細分化する」という手法を提案していますが、このような推しに対する様々な「共感」と「驚き」を積み上げていくうちに、自分がおおむねどのようなものに対して「共感」を懐いたり「驚き」を感じるのかが自ずとわかってくるのではないでしょうか。そしてそこからさらに自分はなぜそこに「共感」を懐いたり「驚き」を感じるのかという、より大きな問いを開くことができるでしょう。
 
すなわち、推しを語るとは推しという鏡を通じて自己を再発見するという過程であるといえます。そして、このような再発見された自己から見晴るかした世界はこれまでとはまた異なる色彩と輝きを見せることになるのではないでしょうか。こうした意味で『「好き」を言語化する技術』とは「自己を再発見する技術」であり「世界を再発見する技術」でもあるといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

嘘と真実の円環--赤坂アカ×横槍メンゴ『【推しの子】』

* 嘘と真実の処方箋

 
臨床心理学者河合隼雄氏の名著として知られるエッセイ集『こころの処方箋』(1992)のなかに「うそは常備薬 真実は劇薬」というエッセイがあります。その要旨は以下のようなものです。
 
一般的に人々は適当な嘘を上手に混じえて人間関係を円滑にしていますが、そのような「常備薬」としての嘘もいつもいつも用いていると「中毒症状」が出てきてだんだん自動的に嘘をつくようになり、次第にその言葉は信用を失っていきます。そこで、そのような中毒症状が出ないようにするためには「ここぞとばかりに、真実を言う練習」をしなければいけませんが、真実は「劇薬」なので使い方を間違うと大変なことが起こることをよく知る必要があります。
 
もっとも、このように「常備薬」の使いすぎにもならず、さりとて「劇薬」を使いすぎず、ということになると、文字通りの「毒にも薬にもならない」ような無難な会話ということになりそうですが、ここで氏は嘘を嫌う欧米人の会話を参考にして嘘を言わないようにと心がけているうちに「うそではなくて何かよいこと」が言えるようになると述べます。
 
もちろんこの方法ばかりだと面白味にかけるので、氏は「時にはうそが入ったり、そして、ここぞというときのみ真実を言ったり、その匙加減こそが大切ということになるだろう」といい「いったい、自分は会話の際に、どのような処方箋をもって臨んでいるかを反省してみると面白いだろう」と述べています。
本エッセイは『こころの処方箋』を代表する名エッセイの一つであり、ここで説かれる日常的コミュニケーションの心構えが簡にして要を得たものであることはおおよそ間違いないでしょう。もっともその一方でこのエッセイの前提には「本来的には真実こそが善であり、嘘は必要悪である」という常識的な価値判断が置かれていることもまた確かでしょう。
 
もちろん同書は河合氏が述べるように「常識」を売り物にした本である以上、このような常識的な価値判断に立脚することは同書の趣旨からいってむしろ当然であるといえるでしょう。けれども、このような常識的な価値判断とは別に「真実=善/嘘=必要悪」という二項対立それ自体の自明性は問い直される必要があります。そして、こうした「嘘と真実」という問題を深く問い直した作品として昨年のアニメ化を契機として大きな反響を呼び、先日単行本第16巻にて原作が完結した『【推しの子】』をあげることができるでしょう。
 

* 推しの子に転生した兄妹の運命

「嘘は とびきりの愛なんだよ?」
 
「どっちもほしい 星野アイは欲張りなんだ」
 
(『推しの子』第1巻より)

 

本作の序盤のあらすじは次のようなものです。宮崎県の病院に勤務する産婦人科医、雨宮吾郎は、かつて研修医時代に自分に懐いていた難病患者で、12歳で亡くなった少女、天童寺さりなの影響から、彼女と同い年の星野アイというアイドルを熱狂的に推しています。そんな彼のもとに活動休止中のはずのアイが所属する事務所「苺プロ」の社長、斉藤壱護とともに唐突に現れます。
 
検査の結果、アイは双子を妊娠しており現在妊娠20週目であることが明らかになります。アイドルが妊娠というスキャンダルに頭を抱える斉藤をよそに、アイは子供は産んでなおかつ出産は公表せずにアイドルも続けると豪語します。そんなアイに吾郎は改めて強烈な魅力を感じ、主治医として、かつファンとして彼女の出産を全力で支えることを決意しますが、アイの出産予定日に吾郎はアイのストーカーらしき人物により殺害されてしまいます。
 
しかし次の瞬間、吾郎はなんとアイの息子、星野愛久愛海(アクア)として、双子の妹である星野瑠美衣(ルビー)とともにこの世に転生することになります。アクアは前世の記憶を完全に引き継いでおり、しかもルビーはかつての吾郎に懐いていた少女、さりながやはり前世の記憶を完全に引き継いで転生した姿でした。こうしてアクアとルビーの兄妹は互いの正体に気づかないまま「推しの子」としてアイドル活動を再開したアイを(熱狂的に)推しながら成長していきます。
 
やがてアイはブレイクを果たし、彼女の所属するグループ「B小町」の東京ドーム公演が決定します。しかしドーム公演当日、アイは自宅に押しかけてきたストーカーに刺殺されてしまいます。
 
目の前で推しでありかつ母であるアイを殺されたアクアは、ほどなく自死した犯人はかつての(吾郎だった頃の)自分を殺害した犯人と同一人物であり、その背後にはアイの妊娠や病院、転居先の住所などを教唆した黒幕がおり、その人物こそが自分とルビーの実父であると確信し、その人物への復讐を誓います。
 
いま述べたところまでが本作のプロローグ「幼年期」です。ここから本作は第二章「芸能界」、第三章「恋愛リアリティショー編」、第四章「ファーストステージ編」、第五章「2.5次元舞台編」、第六章「プライベート」、第七章「中堅編」、第八章「スキャンダル編」、第九章「映画編」、第十章「終劇によせて」と続き、最終章「星に夢に」へと至ります。そして、その結末は周知のようにかなりの賛否両論を呼ぶことになりましたが、少なくとも本作が「嘘と真実」というテーマを様々な角度から極めて深いレベルで描きだした作品であることは確かであるといえるでしょう。
 

* 演じることの嘘と真実

 
「この物語はフィクションである」「というかこの世の大抵はフィクションである」
 
(『推しの子』第1巻より)

 

本作でアイはアイドルという役割を演じています。また吾郎とさりなにせよ、前世の記憶を引き継いだままその正体を隠してアクアとルビーという役割を演じているともいえます。また本作ではアイドル活動の他、ドラマ、映画、舞台、情報バラエティ、恋愛リアリティショーなどといった様々な芸能コンテンツを扱っており、そこでも登場人物たちは程度の差はあれ、それぞれに与えられた役割を演じています。つまり彼ら彼女らは「本当の自分」とは異なる姿である「嘘」を演じる存在であるともいえそうですが、果たしてそれは本当に「嘘」なんでしょうか。
 
この点、演出家の鴻上尚史氏はその著書『演劇入門』(2021)において「私達の人生は演劇そのものだ」と述べています。同書において氏は自身が中学生の時に演劇部に参加したときのエピソードを回想し「練習の前に、演劇を語ってくれた中学3年生の先輩は、とても賢そうに見えて、僕は単純に感動しました」が「その先輩が演技を始めた途端、印象はガラリと変わりました」「それは、魔法が解けた瞬間のようでした。『熱いトーク』という魔法が消えた後、現れた貧弱な身体は、これが、先輩の本来の姿だと感じられました」と述べる一方で、別の先輩の場合は全く逆で「演技に関する話は下手」なのに「先輩が、セリフを言いながら動き出した瞬間、ものすごく魅力的に感じたのです」「カッコよくてセクシーで、豊かな感情が伝わってくるようで、この人をもっと見ていたいと感じました」と述べます。
そして氏は演劇部における同一人物のそんな変化を目撃するうちに「どうも、演劇には人間を一皮剥く力があるんじゃないか。その人の隠れていた本質を引き出したり、拡大したり、あらわにする能力があるんじゃないか--そう考えて、僕はいきなり、演劇というメディアに夢中になりました」と述べます。
 
すなわち「演技」という一見「嘘」ともいえそうなフィクションの中にこそ「その人の隠れていた本質」という「真実」が宿るという逆説があるということです。本作の第一話冒頭における「この物語はフィクションである」「というかこの世の大抵はフィクションである」というモノローグからは、そういった「嘘と真実」をめぐる入り組んだ含意を読み取れるでしょう。
 

* 真実はコピーされ嘘になる

 
「鏡見て研究して ミリ単位で調律」「目の細め方口角全部打算 いつも一番喜んで貰える笑顔をやってる」
 
「私は嘘で出来ているし」
 
(『推しの子』第1巻より)

 

また鴻上氏は同書において「演劇」の定義として世界的に有名な演出家であるピーター・ブルックの「どこでもいい、なにもない空間--それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る。もうひとりの人間がそれを見つめる--演劇行為が成り立つには、これだけで足りるはずだ」という言葉を引いています。
 
つまり、このピーター・ブルックの定義によれば「演劇」とは一人の「横切る人(俳優)」と一人の「見る人(観客)」の「意識の共通性」において成立する行為であるということです。さらにこの「横切る人(俳優)」と「見る人(観客)」という異なる立場は想像力を拡大させることで一人の人間の中でも成立します。いずれにせよ先述した「演技」という一見「嘘」ともいえそうなフィクションの中にこそ「その人の隠れていた本質」という「真実」が宿るという演劇の逆説とは「横切る人(俳優)」の他に「見る人(観客)」の存在があって初めて成立するということです。
 
では、本作はこのような演劇の逆説をどのように描くのでしょうか。次のようなエピソードがあります。ブレイク前のアイはアイドルとしては優等生であるものの、芸能界で生き残るための絶対的な武器がなく、それゆえに伸び悩んでいました。ある日、気を紛らわすために何となくエゴサをしていたアイはファンの「アイの笑い方って良くも悪くもプロの笑顔なんだよな」「なんか人間臭さがないっていうか。。。イマイチ推しきれない」という書き込みを目にして「痛いところつくなぁ」とこぼします。その書き込みが指摘する通り、当時のアイは「鏡見て研究して ミリ単位で調律」「目の細め方口角全部打算」という計算ずくの笑顔しか出来ていませんでした。
 
ところがある販促イベントに出演したアイは、会場で並はずれたヲタ芸を打つ我が子(赤ちゃん時代のアクアとルビー)の姿を目のあたりにして思わず顔がほころび「個レス(特定のファンへのレスポンス)」を返します(ちなみにこの時アクアとルビーは社長夫人の斉藤ミヤコの子どもという設定で会場に来ています)。その後、自身にとっての想定外の笑顔に対して好意的なファンの書き込みを目にしたアイは「なるほど…コレがイイのね」「覚えちゃったぞ」と「自分の笑顔」をコピーしてしまいます。
 
先述したピーター・ブルックによる演劇の定義からいえば、これまでのアイはもっぱら「横切る人(俳優)」の立場だけでパフォーマンスをしていたといえますが、ここでアイは「見る人(観客)」の視点を獲得することになります。そして計算ずくの「嘘」の中に一瞬垣間見えた「真実」はコピーされることで再び「嘘」になります。しかしその「嘘」は嘘は嘘でも、これまでのようなただの嘘ではなく「真実」を宿した「嘘」であるともいえます。このような演劇的寓話が示すように「嘘と真実」の関係は単純な二項対立ではなく複雑な入れ子構造になっているといえるでしょう。
 

* 嘘というパルケマイア

 
「私は嘘吐き 考えるより先にその場に沿った事を言う 自分でも何が本心で 何が嘘なのかわからない 私は 昔から何かを愛するのが苦手だ」
 
「母親になれば子供を愛せると思った」
 
「私はまだ 子供達に愛してるって言った事がない」
 
「その言葉を口にした時 もしそれが嘘だと気付いてしまったら… そう思うと怖いから」
 
「だから私は今日も嘘を吐く 嘘が本当になる事を信じて」
 
「その代償が いつか訪れるとしても」
 
(『推しの子』第1巻より)

 

河合氏は先述の「うそは常備薬 真実は劇薬」というエッセイを「もちろん、薬のなかには毒薬という恐ろしいものもあるが、それについては各自でお考え頂きたい」という一文で結んでいます。すなわち「常備薬」であろうとも「劇薬」であろうともいずれにせよ「薬」とは時として「毒」にもなるということです。
 
ここで思い出されるテクストは「脱構築」で知られるフランスの哲学者ジャック・デリダの「プラトンパルマケイアー」です。初期デリダによる「脱構築」の範例的実践の一つとして位置付けられるこの論文ではプラトン中期の対話篇『パイドロス』が取り上げられ、ここから「パロール(音声言語)/エクリチュール(文字言語)」の二項対立におけるパロール優位というプラトン以降の西洋哲学(形而上学)における伝統である「ロゴス中心主義(音声中心主義)」が脱構築されることになりますが、この論文で鍵となる言葉がそのタイトルに冠された「パルマケイアー」です。
 
この「パルマケイアー」というギリシア語は「薬を用いること」「毒を盛ること」という一見すると相反する意味を含んでいます。同論文でデリダは『パイドロス』冒頭部分に置かれた一見すると何気ないあるエピソードに注目します。ここではソクラテスパイドロスという青年にギリシャ神話におけるボレアスという北風の神がオレイテュイアという乙女を攫ったというエピソードについて「彼女オレイテュイアがパルマケイアと遊んでいたとき、ボレアスという名の風が吹いて、彼女を近くの岩から突き落としたのである」と語っています。
 
ここで登場する「パルマケイア」とは、もともとはイリソス川のほとりにあった泉の名で、そこから泉の精を意味するようになりますが、実はその泉は水を飲むと死んでしまう恐ろしい泉だったとされています。すなわち、まさに薬が突如として毒に化けるかの如く、オレイテュイアは泉の精パルマケイアと戯れてしまったが故にボレアスに攫われてしまいます。そして同様にアイもまた「嘘」というパルマケイアと戯れてしまったが故にストーカーに殺されてしまいます。しかしその一方でこの「嘘」というパルマケイアこそが彼女の最期において、ひとつきりの確かな「真実」をもたらすことになります。
 

* 嘘と真実の円環

 
「ああ神様 きっと彼女は 暗闇に光を照らす為に生まれてきたんですね」
 
(『推しの子』第16巻より)

 

 
本作はその全編に渡り「嘘」というパルマケイアに対して様々な角度から光を当てていきます。そもそも人は日常において「嘘」というパルマケイアを飼い慣らしながら生きているともいえるでしょう。例えば家庭では「親」や「子ども」として、学校では「教師」や「生徒」として、職場では「上司」や「同僚」や「部下」として、プライベートでは「友達」や「恋人」として、知らない人の前では「他者」として、我々は日常におけるさまざまな文脈に応じてさまざまな「役割としての自分」を演じています。そしてこのような「役割としての自分」はある意味では「嘘」であるともいえますが、ある意味では「真実」であるともいえるでしょう。
 
あるいは「嘘」によって初めて見える「真実」というのもあるかもしれません。最初は「嘘」だったものがその後に「真実」に書き換わることだってあるかもしれません。「嘘」によって守ることができる「真実」だってあるかもしれません。誰かにとっての「嘘」は誰かにとっての「真実」かもしれません。そもそもこの世界は「嘘」でしかないというこの現実こそが唯一無二の「真実」なのかもしれません。
 
このように「嘘と真実」とは極めて入り組んだ関係にあるといえます。そして、それゆえにだからこそ、人は「真実」を求めて今日も「嘘」を吐いて、この日常を生きているともいえるでしょう。こうした意味で本作は「真実=善/嘘=必要悪」という二項対立を脱構築したその先において、嘘と真実の円環から成り立っているこの世界の複雑さや猥雑さや豊穣さを、あるいはその美しさや素晴らしさやかけがえのなさを見事に描き切った物語であったといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そして世界は日常に回帰する--こうの史代『長い道』

* こうの作品における表面と深層

 
2016年に公開された映画が大きな反響を呼んだ『この世界の片隅に』で知られるこうの史代氏は1995年に『街角花だより』でデビューした後、1997年から初期の代表作といえる『ぴっぴら帳』を7年に渡り長期連載し、四コマ漫画家としての地歩を固めることになります。氏によれば「とにかくかわいい女の子いっぱい出てきてきゃぴきゃぴしているだけで特に何も起こらない、ゆるーいマンガ」が描きたくて漫画家になったそうですが、確かに『ぴっぴら帳』が紡ぎ出すリズムは今でいうところのまんがタイムきらら的な「日常系」のリズムに極めて近いものを感じます。
 
そんなこうの氏にとって転機となったのは2004年に公刊した広島原爆とその後の被曝二世差別を扱った連作『夕凪の街 桜の国』です。同作は同年の第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と、翌年の第9回手塚治虫文化賞をダブル受賞し、こうの氏にとっての出世作となりました。そして同作の延長線上にある『この世界の片隅に』はこれまでこうの氏が反復して描いてきたいわば日常系的幸福観というべきものが戦争という巨大な破壊からその心を守るための砦としていかに機能するかを描いた作品であったといえるでしょう。
 
この点、宇野常寛氏は戦後アニメーションの想像力を論じた『母性のディストピア』(2017)において『この世界の片隅に』の箇所で「こうののマンガには日常の他愛もないやりとりと、そこに付随するくすりとした笑いが基調にある。ヒロインはいずれも温厚で、スローテンポの、どこか抜けたところに親しみを感じさせる女性であり、そしてマンガは彼女の半径数メートルのミニマムな世界でのできごとをひたすら反復する」という一方で「だがときおり(数十回に一度、くらいの割合で)、その中に普段は表面化することのない情念やいつかこの日常を断絶させるであろう死の予感が顔を見せる」といい「しかし最後には--その過程でどれほどおぞましいものが顔を見せても--今時新聞の四コママンガでも採用しないようなずっこけた笑いが配置され、その世界は日常に回帰し登場人物たちを救済する」と述べています。
 
ここで宇野氏のいう「日常の他愛もないやりとりと、そこに付随するくすりとした笑い」とは、いわばこうの作品における「表面」であり「だがときおり(数十回に一度、くらいの割合で)、その中に普段は表面化することのない情念やいつかこの日常を断絶させるであろう死の予感」とは、いわばその「深層」であるといえるでしょう。そしてこのような「表面」と「深層」という二層構造を往還しつつ最後は「世界は日常に回帰し登場人物たちを救済する」という日常系的幸福観を確立したこうの作品として本作『長い道』を位置付けることができるでしょう。
 

* 賑やかしい実験作

本作の単行本には『Jour すてきな主婦たち』という雑誌に2001年から2004年まで連載されたエピソードを中心として同誌の増刊号や他誌に掲載されたエピソードや自費出版されたエピソードが収録されています。その大きなあらすじはこうです。浮気性で甲斐性なしの若者、老松荘介のもとにある日突然、父親からの手紙とともに天堂道という若い女性がやってきます。道は荘介の父親が酒席で意気投合した相手からもらった荘介の結婚相手でした。道はなぜか人名のあとに「どの」とつけて呼びかけ、常に「ですます口調」で喋る古風な女性ですが、派手で金持ちな女性が好きな荘介は道と結婚した後も変わらず女遊びを続けます。けれどもその一方で道と荘介はともに暮らすうちに2人のあいだには何ともいえない不思議な絆が芽生えていくのでした。
 
こうの氏は単行本のあとがきで「この『長い道』は、わたしにとって初めての非四こま誌のまんがのしごと」であり「分厚い雑誌の華やかな大作の谷間で、人気も反響もほとんどない代わり、縛りや制約もほとんどなく、好き勝手に描かせて頂いて、本当に楽しくて仕方なかった作品でした」と書いており、また西島大介氏との対談「片隅より愛を込めて(『ユリイカ』2016年11月号「特集=こうの史代」所収)」でも本作の連載中は「特に反響もないし、たぶん誰も読んでいないだろうと思っていた」ので「それで『あんたたちの見ていないところでこんなことやっちゃうよ!』という感じでいろいろ試してみたんです」と述べています。
 
このような氏の言葉が示す通り、本作は全くセリフの無い回や、筆で描かれた回が多数ある他に、フィンセント・ファン・ゴッホを想起するポスト印象派的なタッチで描かれた風景が挿入された回(夢枕)、作中におけるクロスワードパズルが物語のオチを読み解く鍵となる回(交差する言葉)、コマとコマのあいだにイラストが描かれた回(収縮)、板チョコレートのブロックをコマに見立てた回(甘い生活)などというように様々な実験的な表現で溢れています。いずれにせよ本作の「表面」は道と荘介という新婚夫婦が繰り広げる賑やかしくも微笑ましい日常の風景によって覆われています。
 

* 他者のわからなさ

 
けれどもその一方で、道にはかつて仄かに思慕していた竹林賢二という青年がおり、荘介は道が自分とは違う人生を歩んできた存在であるというごく当たり前の事実--すなわち他者性に--にしばしば直面させられることになります(道の竹林に対する思慕は本作の扉絵において既に最初から示唆されています)。このように本作における道というヒロインは結婚相手を親に決められたという点や結婚前から好きな相手がいるという点で『この世界の片隅に』のすずと共通点を持っています。
 
この点、こうの氏は先の対談で他者関係について「他人同士、特に男と女は絶対にわかりあえないという前提で描いてます。男の出番が少ないのはそのせいで、やっぱり女性を描くのに比べて粗も目立つだろうし、自分にはわかりえない人間をわかったように描くのもどうかと思ってしまうんですね」といい「何かを好きになる、愛するということ自体は素晴らしいと思うんです。好きなものがたくさんあるほうが絶対に人生得ですよね。なのに対象が人間の場合、愛する人が二人になったとたん急に不幸になってしまう。そういうところに興味があるというか、常に新鮮な感動を覚えるんです。その不思議さのようなものを解明したくて、三角関係なんかも結構描いてしまいますね」と述べています。そして結婚を機に執筆したという本作の「深層」もまた、こうしたこうの氏の他者観によって支えられています。
 
本作の中盤以降、道は竹林との交流のなかで自身の「幸せ」と向き合っていくことになります。そして最終話において竹林から結婚を報告する葉書を受け取り「なんかいい事でもあったのか?」と荘介から問われた道は穏やかな笑顔を湛えながら「ありましたよ」と静かに答え、その後二人はまた再び、まさにこの世界の片隅にある何でもない日常のなかへと回帰していきます。こうした意味で本作の描き出す結末もまた『この世界の片隅に』で提示される日常系的幸福観とまっすぐにつながっているといえるでしょう。
 

* 救済譚から逸脱する過剰性

 
このように本作は道というヒロインが自身の「幸せ」を掴んでいく過程を描いたある種の救済譚としても読めます。しかし、その一方で本作はこうした救済譚としての読み方から逸脱していく過剰性を抱えた作品であることもまた確かでしょう。
 
この点、檜垣立哉氏は「『長い道』から『夕凪の街 桜の国』へ--こうの史代試論(『ユリイカ』2016年11月号「特集=こうの史代」所収)」において「こうの史代のストーリーは、さまざまな部分で現実との齟齬や跳躍を含み込みつつも、傷が救いに転化する一瞬がある」と述べ、その原点を「ほとんどリアリティを欠いた」本作の物語に見出しています。
 
もちろん氏も本作に救済譚としての要素があることは否定してはおらず「道にとって、意識的か無意識的かはわからないが、荘介と住み始めるのは、竹林がいる街の近くであったからだろう。竹林が道に、結婚しましたという手紙を送ることにより、そして幸せな竹林の夫婦姿を道が垣間見ることで、いわばこのプロットは解消していく。最後の場面は荘介と道の和解にもみえる(だが、はじめからどこにも対立などない和解なのである)。それ以降、道と荘介とは、ひょっとしたら、それこそごく普通の夫婦として生活を送るのかもしれない。穿った見方を避ければ、そこに至る行程が『長い道』であったかもしれない」と述べています。
 
けれども同時に氏は「だが、それにしてはこの作品には断片的な逸脱があまりにおおく、なおかつそれらはあまりに魅力的なのである。たんに親から結婚を押し付けられた女性が浮気癖のある男と暮らし、あれやこれやの出来事があったがめでたしというストーリーはこうのの本領とは思えないし、この話はそうは描かれてもいない」と述べ、こうした救済譚的な解釈とは別のしかたでの解釈を提示します。そして、そこで氏が注目するのが道と荘介のあいだにある「性関係のなさ」です。
 

* 性関係のなさ

 
実のところこの夫婦の間にはただ一回しか性関係がありません。荘介の実家からの孫はできないのかという問いかけに対し、道は「はあ…セックスですか?していません」とほがらかに断言します。そして梅酒を作っている時に不覚にも酔っ払ってしまった二人が初めて性行為を行ったと思しき場面の後、道は「今後半年は絶対手を出さないで下さい。」と書いた紙を残して出ていき、荘介は慄然とします。けれども帰ってきた道は「……お互いちょっと軽率でしたね」とつぶやきながら「今後半年は絶対手を出さないで下さい。」と書かれた紙を「雑菌が入ってなければいいけど」と言いながら何事もなかったかのように梅酒の瓶に貼り付けます。
 
なぜこの夫婦には性関係がないのでしょうか。この点、檜垣氏は「こうの史代にとって、そうしたコミュニケーションが、世界を構成する可能性であるとは思えないからではないか」と述べ「この二人にとっては、まったく性の関係がないところで世界が成立している。したがって、この夫婦譚の随所に、荒唐無稽で非現実的な逸脱がはらまれることは、多くが漫画技法上のお遊びであるにせよ、やはり本質的であるようにおもえる」といいます。
 
そもそも道と荘介はとても仲の良い愛らしい夫婦です。しかし荘介と道の間には「性関係のなさ」という徹底したコミュニケーションの断絶があります。こうしたことから氏は「こうの史代の真骨頂は、どうして性的なコミュニケーションがないのに、この二人はほほえましい夫婦でありうるのかという、むしろ逆向きの問いを投げかけていることにあるようにおもえる」と述べます。すなわち、ここではむしろ「普通の夫婦」とは果たして何であるかが問われているということです。
 

* そして世界は日常に回帰する

 
フランスの精神分析ジャック・ラカンはその晩年に「性別化の式」と呼ばれる以下のような図を提示しています。
 
 
ここでは細かい用語の説明は省きますが、要するにこの式が表しているものは男性(左側の式)にとってのパートナーは「女性そのもの」ではなく、女性(右側の式)にとってのパートナーもまた同様に「男性そのもの」ではなく、この男女という二つの性の関係性は、いかようにも記述不可能であるということです。これがよく知られたラカンの「性関係なるものはない」というテーゼです。
 
このようにラカンによれば「性関係のなさ」という「深層」こそが真実であり、その上に成り立つ「普通の夫婦」を範例とする異性間のコミュニケーションという「表面」とはいわば嘘でしかありません。そうであれば本作における道と荘介の夫婦譚は奇妙どころではなく、むしろ現実におけるこうした二層構造をラディカルに描き出しているといえるでしょう。
 
けれども、そうであるがゆえに本作は救済譚としての読みに開かれているともいえます。檜垣氏が指摘するように「それでもやはり『長い道』が救済譚にみえてしまうのは、まさに道と荘介が、その性的コミュニケーションのなさという、ある意味で絶対的な人間関係の傷、それ自身は繰り返すが、『他者と暮らす』ということの決定的な意味を突き万人に戻すような傷を背景としながら、この二人が日常を送りつづける姿を描くからにほかならない」ということです。
 
おそらく道は「性関係のなさ」という「深層」こそが真実であり「普通の夫婦」という「表面」など所詮は嘘に過ぎないという、この世界の現実をどこかで知っているんだと思えます。けれども同時に、彼女はそんな嘘と戯れ続ける日常のなかにこそ幸せの在り処があることも、またどこかで知っているようにも思えます。そして、それはまさしく「性関係のなさ」という「ある意味で絶対的な人間関係の傷」を抱えながら、それでも時に笑いながら時に泣きながら、あるいは時に歌いながら時に叫びながらも他者と寄り添い歩み続けていく、曲がりくねった果てしない『長い道』であるといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これから西田幾多郎に入門するためのおすすめ5冊

* 日本哲学入門(藤田正勝)

⑴ 日本哲学のはじまりと西田幾多郎
 
日本における哲学の歴史は一般的にはPhilosophyを「哲学」という日本語に訳したことでも知られる西周が行った哲学講義によって始まったとされています。江戸幕府の洋学研究機関であった蕃書調所(のちの東京大学)の教授手伝並であった西は1862年文久2年)に軍艦発注のために派遣された幕府の使節随行し、オランダで法学や経済学と共に哲学を学び、明治維新後「育英舎」という私塾を開き1870年(明治3年)から「百学連環」という題目で哲学を含む学問全体を論じる講義を行っています。
 
やがて1877年に東京大学が創設された際には文学部に「史学、哲学及政治学科」が置かれ、1881年には独立した形での「哲学科」へと改編されました。この哲学科での教育に大きな役割を果たしたのがフェノロサやブッセやケーベルらの外国人教師であり、彼らの下からは近代日本を担う多くの人材が輩出されました。そして、このような受容期間を経て日本の哲学はついに自らの足で歩き始めます。そのことを示す記念碑的著作が1911年(明治44年)に公刊された西田幾多郎(1870〜1945)の『善の研究』です。
 
西田は旧制第四高等学校教授、学習院大学教授などを経て1910年に京都帝国大学文科大学助教授となり、1914年から1928年まで哲学講座の教授を務め、その独創的な思索の軌跡は「西田哲学」と呼ばれ、その周囲には田辺元和辻哲郎三木清九鬼周造、戸坂潤を始めとした錚々たる人材が集まり、いわゆる「京都学派」と呼ばれる一大知的ネットワークが形成されました。
 
善の研究』は西田の存命中も繰り返し版を重ねましたが、戦後も特に1950年に岩波文庫版が出て以来、幅広い層に読み継がれて多くの研究書も出され、現在では英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、中国語、韓国語など多くの言語にも翻訳されています。
 
しばし同書は東洋の思想、特に禅の思想を西洋哲学の術語を用いて表現し直したものであると言われることがあります。もちろん西田は東洋の思想、特に儒教や仏教について深い理解を有していましたが、実際のところ同書はこれらの思想を積極的に論じるものではありません。もっともその一方で同書が問題とした「実在とは何か」「善とは何か」「宗教とは何か」といった問題を自らの力で考えていこうとするときに、東洋の伝統的な思想もまた、西田にとって大きな手がかりとなったことは確かです。いわば「西田哲学」とは西洋と東洋の間で練り上げられた思索であるといえます。
 
⑵ 純粋経験とは何か
 
善の研究』の「序」において西田は「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいというのは、余が大分前から有っていた考であった」と述べています。ここでいう「実在」とは「実際に存在するもの」「物事の真の姿」「最も確かなもの」といった意味で用いられており、こうした意味での「実在」を西田は「純粋経験」と呼びます。
 
西田は同書の第一編「純粋経験」の冒頭で「純粋経験」を定義して「純粋というのは、普通に経験といっているものもその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである」と述べています。
 
ふつうに「経験」という場合、そこでは既に何かを見たり聞いたりする「私」というものが想定され、その「私」が見たり聞いたりする「対象」とのあいだに認識が成立するという枠組みが知らず知らずに作り上げられています。例えば「花を見る」というような「経験」においては、見ている「私」と見られている「花」というように、すでに主観と客観が分離しており、そこには先入観や判断といった「思慮分別」が入り込んでいます。しかしそれは西田のいう「真に経験其儘の状態」ではありません。すなわち、西田は主観と客観の二分法という反省が加えられる以前にある主客未分の「純粋経験」こそがこの世界の「実在」に他ならないといい、このことから「純粋経験の事実は我々の思想のアルファであり又オメガである」と述べています。
 
このように主客未分の純粋経験などというと何か神秘体験のような特異な体験を連想してしまいますが、西田のいう「純粋経験」とは日常生活からかけ離れたものではなく、むしろ生活の至るところに生じるものであるとさえいえます。そして、こうした「純粋経験」から「私」という自己が生まれてきます。「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的である」と西田はいいます。すなわち「私」という意識は「純粋経験」に主観と客観の区切りを入れることで生じるものであるということです。そして『善の研究』において西田はこのような「純粋経験」の立場から人の精神生活における根本問題である「善」や「宗教」を論じていきます。
 
⑶ 日本哲学の誕生を告げる書としての『善の研究
 
本書は西田哲学のみならず日本哲学全体の入門書となっています。それゆえに本書では西田以外にも多くの哲学者や思想家が登場します。この点、本書は日本哲学の魅力やおもしろさをより上手く読者に伝えるという意図から、日本における哲学の歩みを単純に明治から現代まで時間軸に沿って見ていくのではなく、読者にとって比較的身近なものといえる「経験」「言葉」「自己と他者」「身体」「社会・国家・歴史」「自然」「美」「生と死」という8つのテーマを設定し、それぞれの問題について日本の哲学者や思想家がどのような思索を重ねたか、そこにどのような特徴があるかを概観していきます。
 
その一方で本書は「哲学」とは普遍的な真理を探究する学問であるはずなのに、そこに「日本の」という形容詞を付ける意義は果たしてどこにあるのかという、それ自体が哲学的ともいえる問いを扱っています。
 
確かに哲学はその成立以来、普遍的な真理の探究を目指してきた学問です。けれどもギリシアの哲学にせよドイツの哲学にせよフランスの哲学にせよイギリスやアメリカの哲学にせよ、それぞれの哲学はそれぞれの言語を用いそれぞれの文化や伝統の枠組みのなかでなされてきた営みであったこともまた確かです。そうである以上、こうした言語や文化や伝統といった諸制約から哲学は決して自由ではありません。
 
しかしまさにそれゆえに、異なる言語や文化や伝統を背景とした様々な哲学同士が対話を行う上で、日本語で思考し、日本の文化や伝統のなかで成立した日本哲学は哲学の豊かな発展に大きく寄与することができるともいえます。そして、こうした意味における日本哲学の誕生を告げる哲学書こそが西田幾多郎の『善の研究』であったことは疑いがないでしょう。
 

* 西田幾多郎(櫻井歓)

⑴ 純粋経験から自覚へ
 
本書は西田哲学の全体像を簡明に概観できる一冊であると同時に、西田の思想を手がかりとして様々な分断が加速する現代社会をいかに生きるかを考える一冊でもあります。先述の通り西田は『善の研究』において一切のものを「純粋経験」という観念で説明しようとしますが、同書において西田は感覚や知覚といった直接的経験のみならず、意味や判断といった反省的思惟もまた純粋経験であるといっています。けれども論理的に考えればやはり反省的思惟は明らかに主客の分離を前提としており、厳密な意味での純粋経験とはいえず、反省的思惟は純粋経験にとっては外なる契機であると言わざるを得ません。それゆえ純粋経験と反省的思惟を結合する更なる原理が求められることになり、さらにそうした原理は経験(直観)と思惟(反省)を自己のうちに含んだものであり、それらを自発的な自己の発展の二つの契機とするようなものでなければなりません。
 
こうしたことから西田は1917年に発表した『自覚に於ける直観と反省』において「自覚」という観念を提示しました。同書では『善の研究』における「純粋経験」に相当する状態を「直感」と呼び、この直感を外側から主観と客観の二分法で捉えた状態を「反省」といい、この両者の関係を「自己の中に自己を写す」という「自覚」という概念で捉えています。
 
西田はこのような「自覚」の観念を形成する際、ジョサイア・ロイスの「自己表現的体系」の思想からヒントを得ています。ロイスのいう「自己表現的体系」とは一切の自己の思惟を完全に自己自身の思惟として意識している「完結した自己」のことです。そしてそうした自己の事例として彼は英国にいて「完全なる英国の地図」を描く場合をあげています。英国にいる人間が英国の完全な地図を写すには、地図を写している当の自分自身も地図の中に書き込む必要があり、そして何より自分が写してる地図自体もそこに書き込む必要があり、さらにその「地図の中の地図」もやはり「完全な地図」でなければならないことから、地図の中に地図を写す作業が果てしなく続いていく事になります。
 
このように「自覚」においては反省が直観を生み直観が新たな反省を生み自己は無限に発展していくものとして捉えられています。こうした「自己が自己を写す」という自己写像的発展としての「自覚」の概念によって西田はいっさいの学問体系を基礎づけようとしました。
 
⑵ 意識的自覚から場所的自覚へ
 
ところが、この「自覚」の観念から様々な学問体系を基礎づけようとするとき、論理的体系や数理的体系のような理念的体系を説明する場合は順調に行きましたが、そこから現実の経験的諸体系を説明しようとする段にあると様々な問題が生じてきます。こうしたことから、この問題を解決しようとして試行錯誤を繰り返した西田は問題はいっさいの反省的意識の根源である「意識する意識」をどう捉えるかという問題に尽きるという結論に到達しましたが、当の「意識する意識」を反省的意識の立場から捉えることの不可能を悟り、結局そうした反省的意識の極限として「自覚の自覚」としての「絶対的自由意志」の立場に行き着きました。
 
ここでいう「絶対的自由意志」とはあらゆる思惟の極限であり、あらゆる意識を超越した「意識する意識」であり、反省的思惟を超越するとともに反省的思惟を成立させる根拠であり、ア・プリオリア・プリオリです。そして世界はこのような「絶対的自由意志」の自覚的体系として位置付けられることになります。もっともこのような「絶対的自由意志」というのは一種の極限概念であり神秘主義的傾向の極めて強いものでもありました。この辺りの経緯を西田自身「刀折れ矢竭きて降を神秘の軍門に請うたという譏を免れないかもしれない」と率直に述べています。
 
そして西田が「絶対的自由意志」をさえも自己のうちに包むものとしての「場所」の観念に到達するのは『自覚に於ける直観と反省』を上梓してから実に10年近くも経ってからです。この間、西田はもう一度、哲学を古代ギリシアから学び直そうと決心し、その過程でプラトンの『ティマイオス』における「コーラ」の概念からヒントを得て「場所」の思想に到達しました。それは「自覚」の概念の更なる展開であり、ここに西田の哲学的思索は一つの完成を見ることになります。
 
⑶ 絶対無の場所
 
1927年に発表された『働くものから見るものへ』において西田は「有」を根本とする西洋文化に対して、東洋文化の根底にはいわば「無」の考え方が潜んでいるとした上で、この「無」という考え方を「場所」という概念に結びつけて論じています。
 
まず西田によれば我々の世界を構成する事物はもちろん、我々が生きている時間や空間も「有」です。つまり形あるもの、対象化できるもの、意識できるもの、これらはすべて「有」です。これに対して、形もなく、対象化もできず、意識もできないものが「無」です。そして西田の考え方は「有」であるすべてのものの根底に「無」を考える立場であり、その極限に想定されているのが「絶対無の場所」と呼ばれます。
 
ここで西田は「あらゆる物事は何らかの場所に於いてある」と考えます。ここでいう「場所」とは空間に位置を占める物理的な場所にとどまらず「AはB」であるといった判断が成立する論理的な場所、さらにそれら物理的な場所や論理的な場所を意識する際の意識という場所など、多様な意味を含んでいます。
 
この点、西田は「場所」の思想を論理化するにあたって判断における主語と述語の関係と概念における特殊と一般の包摂関係を手がかりにしています。一般に人の認識とは「SはPである」という主語と述語からなる判断によって成立します。そしてこうした判断の典型は包摂判断であって、あらゆる判断は包摂判断に還元されるといわれています。しかるに包摂判断とは文字通り「特殊」である主語(例えば人間)を「一般」である述語(例えば動物)のうちに包摂する判断です。つまり「SはPである」という判断はSという特殊なものがPという一般的なものによって包摂されることを意味しています。西田はこのような包摂判断において述語Pは主語Sがそこにおいて存在する「場所」という意味を持っています。
 
このような西田の「述語の論理」はアリストテレスによる「主語の論理」にヒントを得て考えられたものです。アリストテレスは「主語となって述語とならないもの」を「基体(個物)」と考え、述語は主語に所属する様々な性質として捉えらていました。これに対して西田はこのアリストテレスの発想を逆転させ「述語となって主語にならないもの」を考えたということです。
 
我々の思考内容は例えば「『◯◯』というのは私の意識である」というようにことごとく「私の意識」を述語として判断することができます。つまり「判断」という立場から「意識」を定義するなら、それはどこまでも「述語となって主語とならないもの」ということができます。
 
こうした意味で「『◯◯』というのは私の意識である」という「意識された意識」を「意識する意識」はどこまで行ってもたどり着くことができません。「「「『◯◯』というのは私の意識である」というのは私の意識である」というのは私の意識である・・・」というメタレベルの判断が無限に反復されるだけに過ぎません。そしてこのような包摂判断における一般的方向、述語的方向をどこまでも押し進めていった先に想定される極限的なメタレベルである「述語となって主語にならないもの」こそが西田のいう「絶対無の場所」に他なりません。
 
このような自己の極限にある「絶対無の場所」とはある種の宗教的境地ともいうべき根源的事実です。しかしこのような根源的事実そのものはただ体験されるだけであって、このような境地そのものを我々は識ることはできません。それは純粋経験そのものを識ることができないのとパラレルです。
 
けれども、こうした根源的事実そのものを識ることはできずとも、そうした体験を思惟によって反省し、概念的知識の対象にすることはできます。確かに体験は反省に先立っていますが、しかしそうした体験の内容はそれを反省することによって初めて詳らかになります。「純粋経験」から「絶対無」へと至る西田哲学の思索の軌跡はまさにこうした哲学的反省の軌跡として跡付けることができるように思います。
 

* 西田幾多郎の生命哲学(檜垣立哉

⑴ 生命論としての西田哲学
 
本書は現代におけるアクチュアルな哲学的課題でもある生命論の視点から西田哲学を読み直す一冊です。この点、本書は序章において「西田幾多郎には、およそ哲学者が魅力的であるための条件がすべてそなわっている」といい、その「魅力」として「到底まっとうに読みこなせない奇怪な文体、固有なジャルゴンやいい回しの無神経なほどの乱用と繰り返し。そして、彼をとりまく人々の、今となっては異様ともみえかねない熱狂。目新しい海外思想のたんなる輸入や受容ではない、本邦初の独自の思索という過剰なまでの期待と賛辞」「それに何よりも、幾度にも及ぶ自分の思考の書きなおし。徹底的な立場の変更。にもかかわらず、つねに同一のテーマを、いささか読む側が呆れ果ててしまうほどまでに何度も何度も反復しながら書き連ねる強靭さ。それでいて、興味が赴くままに多様な領域に自己の思考を展開していく、まさに脱領域的ですらある奔流のような知性。京都帝国大学退官後、年齢的には老年期にさしかかってからのテクスト群の膨大さ。だがそこでさえ、幾度も自分の立場をさまざまに変更しながら、しかしあいも変わらず同一の問題を追究しつづけるという欲望としての思考」を挙げています。
 
そして、本書はこうした魅力は西田が「生命」について徹底的に考え抜き、自身の思考のモデルをつくりあげたことから生じてくるといいます。こうしたことから本書は20世紀の「生の哲学」の潮流を代表する哲学者であるアンリ・ベルクソン(1859〜1941)とその批判的継承者であるジル・ドゥルーズ(1925〜1995)を伴走者として「生の哲学」の展開者しての西田の思考を読み解いていきます。
 
ベルクソンは西田とほぼ同時代を生きたフランスの哲学者です。その著作は「純粋持続」という概念から時間と自由を論じた『意識に直接与えられたものについての試論』(1889)、心身問題を焦点に置きながら独自の「純粋記憶」の理論を展開させた『物質と記憶』(1896)、当時の進化論についての知見をもとに「エラン・ヴィタール(生の跳躍)」としての生命のあり方を思考した『創造的進化』(1907)などがあり、これらの著作を通じてベルクソンは一貫して流れとして存在する生命的なもののあり方を存在論的な水準で明らかにしようとしてします。
 
ドゥルーズは20世紀後半に活躍したフランスの哲学者です。『アンチ・オイディプス』(1972)や『千のプラトー』(1980)などで示されたその思考はポストモダンの文化論や資本主義に関する議論と捉えられがちですが、初期の著作である『ベルクソンの哲学』(1966)や哲学的意味における主著である『差異と反復』(1968)にみてとられるように彼の思考の核心にはベルクソン的な「生の哲学」の徹底した継承者であるという側面があります。ドゥルーズは「差異」「潜在性」「異質性」「多様性」「分化」といった術語をベルクソンから引き継ぎながら、ベルクソンの議論の限界を問いつめることによって、それを現代的な生成の存在論へと書き換えていきました。
 
このように本書はベルクソンドゥルーズの「生の哲学」との連携を取り上げることで西田の思考を生命の哲学として描いていきます。本書が述べるように西田の哲学の特徴は彼が同じことをめぐってさまざまな仕方で議論を展開したことにありますが、それは畢竟「生きている私と、生成しゆくこの世界とは何であるか」というひとつの根源的な問題へ接近する方法を執拗に変更していったことにほかなりません。こうした視角から生命論としての西田哲学が浮かび上がることになります。
 
⑵ 純粋経験におけるアポリア
 
西田によれば「純粋経験」とはまず「感覚」や「知覚」によって捉えられ、このような「感覚」や「知覚」は「現在」に結びついています。つまり「純粋」であることとは「現在」であるということです。そしてこのような「現在」が拡張された「流れ」の運動として「純粋経験」は「知覚の連続」としての「体系」へと展開されることになります。
 
このように「現在」を「流れ」として捉える「純粋経験」の議論はベルクソンのいう「純粋持続」に近接します。ベルクソンのいう「純粋持続」とは量的な並置として記述されるような空間的な場面に還元して語られる客観的な時間の数え方(時計の時間)に対比させて、いわば質的な生きられた時間(体験の時間)をリアルな時間の経験として語るため導入された概念です。ここでベルクソンは「純粋持続」という「現在」の「流れ」を例えば音楽のメロディーのように分割不可能で相互浸透的に結びついた「異質的な連続性」の「体系」として規定します。
 
こうした意味で西田の「純粋経験」も無差別的に融解した事態ではなく「異質的な連続性」という「差別相=差異」を備えた一連の運動をもった「体系」を備えています。そしてこのような「純粋経験」に内在する「差別相」は「潜在的」と形容されます。すなわち、ここで「純粋経験」とは差異を含みこむ潜在的な力の様態としての「内面的潜性力」として捉えられているということです。しかしその一方で「純粋経験」は分割不可能な「流れ」である限り、原理的にその「範囲」は無限に広がっていくことになります。そして『善の研究』において西田はこのような「現在」の単純な拡張である「無限」の「全体」を「一者」として名指しています。
 
このような意味で西田の「純粋経験」とは、いうなれば「要素」に対して「関係性」を優位に置く有機体的生命論のバリエーションであるといえます。それゆえに、その「関係性」としての「全体」をひとたび「一者」として実体化させるとそれはたちまち「全体=一者」が「個」を規定するホーリズムに陥ってしまいます。そこで『善の研究』以降、西田はこうした「全体=一者」というアポリアをいかに乗り越えるかという課題を中心にその思索を展開していくことになります。
 
例えば「純粋経験」の更なる展開としての「自覚」とは「純粋経験」に即応しながら「純粋経験」の体系を現実化してそれを流れとしてさらに展開していく働きをいいます。これはベルクソンでいう「分離」の問題系に通じています。そして「純粋経験」の底部に存在する「基盤」を西田は「場所」と名指し、その階乗化された「場所」の最底部に「絶対無の場所」を置きました。これもやはりベルクソンにおける「純粋記憶」とパラレルな関係にあるといえるでしょう。
 
⑶ 行為的直観と絶対矛盾的自己同一
 
ところが西田のいう「絶対無の場所」は京大において西田の後継者的立場にあった田辺元から批判を受けることになります。田辺は「西田先生の教を仰ぐ」という論文で述語論理をめぐって展開されるその成果の独創性を、ある意味でドイツ観念論の展開を引き受け超えるものであると評価しつつも、西田のいう「絶対無」という発想は西田独自の宗教的体験に過ぎず、西田の議論はノエシス的方向に展開されながらもそれ自身は語り得ない「一者」から全てが階層的に発出する一種のプロチノス主義ではないかと述べ、それはもはや哲学の議論ではないといいます。
 
これに対して西田は1932年に発表した『無の自覚的限定』において田辺の批判にある程度答えています。ここでも西田は「絶対無」という発想を手放すことはありません。しかし同時にはっきりと「絶対無」の位相を変更していくことになります。ここで「絶対無」は垂直的な底としての彼方ではなく「死」や「他者」といった「非連続の連続」として彼方にありつつも「いまここ」に介入してくるものとして提示されることになります。このような「絶対無」をめぐる西田の思考の大きな転回はベルクソンの時間論を乗り越えて生成の現場そのものに向かおうとするドゥルーズの議論と共鳴するものがあります。
 
こうして西田は晩年における膨大な論文群の中で「絶対無」を破断的に内在させた「個物」からなる世界のあり方を様々な角度から描き出すことになります。この時期の西田は「個物」における相互限定からなるポイエシス的作用を「行為的直観」と呼びます。このような「行為的直観」において「個物」は自己が何であるかを「個物」相互の関係によって決定し、そうしながら世界や他の「個物」そのものが何であるかを規定していくことになります。
 
こうした「個物」の範例といえる存在が「生命」です。すなわち、ある「個物=生命」とはその内的-外的な環境によって「作られるもの」でありながらも、同時にこの「個物=生命」はその内的-外的な環境をポイエシス的に「作るもの」でもあるというそれ自身まさに矛盾の同一を示す境界になっているということです。ここから「身体」「歴史」「種」といったこれまで西田にとって語られてこなかったテーマ群が「個物」にとっての具体的な「媒介者」として次々と現れてくることになります。
 
そして西田はこうした「個物」が「行為的直観」によって相互限定する世界全体を「絶対矛盾的自己同一」として描き出します。この点、西田は「多の一」としての世界を「機械的世界」と捉え「一の多」としての世界を「合目的的世界」と捉えています。ここでいう「機械的世界」とは「個物的多(原因)」が「全体的一(結果)」を帰結する機械論的世界観であり「合目的的世界」とは「全体的一(目的)」へ「個物的多(手段)」が収束していく目的論的世界観です。
 
けれども西田は「行為的直観」の場面である「個物」と「個物」との相互限定の世界を「他の一(機械論的世界観」でも「一の多(目的論的世界観)」でもない、むしろ「一(内包)」と「多(外延)」がそのままに結びついていく世界として描き出します。これが「絶対矛盾的自己同一」という世界です。
 
そして、このような「絶対矛盾的自己同一」としての世界は我々の前に「課題」として与えられていると西田はいいます。すなわち「生きる」とは畢竟、こうした「世界=課題」を解き続け、その時その場所その都度における色とりどりの「解答」を示し続けていくということに他ならないということなのでしょう。
 

* 西田幾多郎の哲学(小坂国継)

⑴ 西田哲学の根本課題
 
本書は「自覚」という観点から西田哲学の全体を貫く根本課題を論じる一冊です。ここまで述べてきたように西田は主客未分の「純粋経験」を唯一の実在とする立場から出発し、その後「純粋経験」を外側から捉え返す「自覚」を経て、その基盤となる「場所」の根源としての「絶対無」へと到達し、さらにここから「絶対無」を破断的に内在させた「個物」の「行為的直観」が織りなす「絶対矛盾的自己同一」としての世界を描き出すことになります。
 
このように様々な変転を遂げたかに見える西田哲学の枢要部には一貫して変化していない要素があると本書はいいます。それは一言でいえば「真正の自己の探究」です。本来の自己とはいったい何であるか、あるいは自己の根底や在り処は何であるのか。そのことの解明が西田哲学の根本課題となっています。こうした意味で西田哲学とは真正な自己に目覚める「自覚」の深化の過程として捉えることができます。
 
西田によれば、ここでいう「自覚」とは「自己が自己を見る」と定義されます。この点「純粋経験」とはさしずめ自覚が自覚として自覚される以前の「直覚的自覚」であるといえます。「自己が自己を見る」には「見る自己」と「見られる自己」が区別されなければなりませんが、そうした区別が生じる以前の厳密な統一的意識現象が純粋経験ということです。
 
もっとも哲学は反省的思惟の立場においてはじめて成立するため、知的直観としての純粋経験はそれが分別的思惟によって反省されることによってはじめて認識の対象となります。それゆえ「純粋経験」の立場は必然的に「自己が自己を見る」という「意識的自覚」の立場へと展開していくことになります。そして、そのような意識的自覚の究極的な境地を西田は「絶対的自由意志」と呼びました。
 
そしてこのような「意識的自覚」の次の段階が「自己が自己において自己を見る」という「場所的自覚」です。ここでいう「場所」とは「自己において」という部分を指しています。この点、西田は場所を「有の場所」「意識の野(対立的無の場所)」「絶対無の場所」に分類しました。これは三種類の異なった場所があるのではなく「有の場所」は「意識の野」に包まれ「意識の野」の極限に「絶対無の場所」があります。あるいは「有の場所」も「意識の野」も同じく「絶対無の場所」の顕現であるともいえます。そして、こうした「絶対無の場所」における「絶対無の自覚」を西田は「見るものも見られるものもなく色即是空空即是色の宗教的体験」であるといいます。
 
さらにここから西田の思索は真正の自己の本体ともいうべき「絶対無」の自覚的限定の諸相としての歴史的現実界へと向かい、その世界構造を「行為的直観」からなる「絶対矛盾的自己同一」として描き出しました。ここに至ってはもはや自己の自覚は同時に世界の自覚であり、また世界の自覚は同時に自己の自覚となるのであり、自己は世界の一要素であるとともに世界全体を表現するものであるとされます。
 
⑵ 逆対応と平常底
 
西田の最晩年の思想は一般的に「逆対応」の論理と呼ばれています。これは西田が逝去した1945年に執筆された遺稿「場所的論理と宗教的世界観」において展開されたものです。同論文は当初は浄土真宗の信仰に哲学的基礎を与えようと企図されたものでしたが、執筆の過程で、ただ単に浄土真宗だけでなく、広く宗教一般に通用する論理であることを確信し、禅宗キリスト教をも含めたすべての信仰に内在する論理として提示されています。同論文においては超越者を表す言葉として、従来の絶対無という言葉に代えて「絶対的一者」という言葉を多用しているのものそのことと関連があると思われます。
 
ここでいう「逆対応」というのは自己と超越者、あるいは相対と絶対との間の宗教的関係をいいます。西田によれば例えば神と人間、仏と衆生といった自己と超越者の間には相互に自己否定的な対応関係が認められます。この点、宗教においては一方の自己の救いを求める声に対して、他方の超越者からの応答がありますが、ここには自己の側の悲痛な声が強ければ強いほど、また真剣であれば真剣であればあるほど、超越者からの呼びかける声は強くなり確実なものとなり、自己の救済がますます確信されていくという信仰の構造があります。このような絶対と相対との間に見られる宗教的関係を西田は「逆対応」と呼びました。
 
この逆対応の論理は西田の遺稿において初めて現れたものですが、その論理構造は基本的には絶対矛盾的自己同一における「絶対矛盾的」という要素が宗教的な意味において深められたものと考えて差し支えないでしょう。これに対してその「自己同一」的側面を表示しているのが「平常底」という概念です。「逆対応」と「平常底」は一対の概念として理解されなければなりません。
 
⑶ されど空の青さを知る
 
「逆対応」が絶対と相対との間の宗教的関係を表しているのに対して「平常底」は回心や見性に特有の宗教的立場ないし境地を表しています。それは平常の生活を超越した境地をいうのではなく、むしろ日常の生活を、その底の底に突き抜けたような境地や態度をいいます。そこに人間本来のあり方が見られ、何ものにもとらわれない自由自在な境地があると考えられます。
 
「平常底」は歴史の始まりと終わりが現在のこの一瞬に収斂する絶対現在の自己限定として自己自身を自覚する立場です。西田はそれを「絶対現在意識」といい「終末論的平常底」と表現します。それは決して日常性を離れることなく、むしろ日常的生の底に徹した立場であり、いわば時間的な面と場所的な面、水平的な横軸と垂直的な縦軸との交差点にあり、したがって最深にして最浅、最遠にして最近といわれます。このような絶対現在の自己限定の世界が歴史的形成の世界であり、同時に宗教的救済の世界であるということです。西田は同論文を「国家は、此土に於いて浄土を映すもの」でなければならないという言葉で結んでいます。
 
西田が辿り着いた最終的な「自覚」の境地としての「平常底」とは、いわばこの平凡な日常が巨大な井戸の底であるという、水平即垂直の境地と呼ぶべきものでしょう。この点「井戸の中の蛙大海を知らず」という有名な諺の由来は中国の「荘子-秋水篇」の一節「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」にありますが、よく知られるようにこの箴言は日本に伝わった後「されど空の青さを知る」という一節が付け加えられました。
 
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは一般的に「無知の知」という言葉とともに知られていますが、近年において「無知の知」という言い方は誤りで、正しくは「不知の自覚」であるといわれるようになりました。『ソクラテスの弁明』には「私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っている」という有名な一節があります。すなわち、自分が「知らないと思っている」ことを相手との対話を通じて絶えず検証し続けていくという営みこそがソクラテスが始めた哲学であったということです。
 
そうであれば、こうした意味において西田のいう「平常底」もまた「井戸の中の蛙」でしかない有限の自覚において「空の青さ」という無限を仰ぎみる「不知の自覚」としての哲学の根源を語っているように思われます。
 

* 善の研究西田幾多郎

 
西田の前半生は意外と波乱に満ちたものとなっています。金沢の旧制四高をその校風に反発して中退した西田は、1894年に東京帝国大学の選科生(現代でいうところの聴講生)を修了後、しばらく地方の尋常中学や旧制高校の講師職を転々として、ようやく機縁を得て四高教授となりますが、その間、実生活において妻との離別、自身の病、娘の夭逝といった数々の受難が降り掛かります。そして1910年、40歳の時に京都帝国大学助教授へ唐突に抜擢された西田はその翌年、旧制高校での講義録をもとにした1冊の本を弘道館という版元から公刊します。これが後に日本哲学史に巨大なインパクトをもたらすことになる記念碑的著作『善の研究』です。
 
本書は当時、無名の哲学徒の書いたものとされ、ほどなくして絶版の憂き目を見ることになりますが、大正期に一世を風靡した評論家の倉田百三(1891〜1942)が本書の一節を引用したことが契機となり再版を求める声が殺到し、1923年に本書は版元を弘道館から岩波書店に移して再版され、増刷に増刷を重ね、紙型が磨滅するほどに刷られたそうです。さらにその後、戦後発売された本書を第1巻とする岩波書店の全集は発売日前から購買者が列をなしたという伝説が残っています。また1950年に本書は岩波文庫の一冊として出版され、この文庫本は2006年の時点で94刷を重ねており、おそらくは100万部前後刷られているといわれています。
 
本書は旧制高校の講義録が母体となっていることもあり、難解なことで知られる西田の著作群の中でも比較的読みやすい著作といわれますが、やはり初学者が独力で読み抜くのはかなりハードルの高い哲学書であることには変わりはありません。このようなハードルを大幅に下げてくれる一冊が講談社学術文庫版の『善の研究』です。同書には先に取り上げた『西田幾多郎の哲学』の著者である小坂氏による詳細な注釈と解説が付されており、初学者にとっても優しい構成となっています。
 
⑵ 実在としての純粋経験
 
善の研究』は第一編「純粋経験」、第二編「実在」、第三編「善」、第四編「宗教」の四つの部分からなっています。その第一編「純粋経験」では先述のように純粋経験の諸相が論じられており、続く第二編「実在」ではそのタイトルの通り「実在」としての純粋経験が論じられています(この第二編において純粋経験はもっぱら「意識現象」と呼ばれていますが、この用語法の違いは本書は第二編の方が先に執筆されたという事情によるものです)。
 
ここでの議論を要約していえば意識現象(純粋経験)こそが唯一の実在であっていっさいのものは意識現象の発展の諸相であるということです。その発展の仕方はまず全体が含蓄的に現れ、それよりその内容が分化、発展し、その分化、発展が終わった時、実在の全体が実現されるということです。
 
まず唯一の実在たる意識現象(純粋経験)は不断の活動であって常に分裂と統一を繰り返しながら発展しています。ここで分裂は統一を生み、統一は再び分裂を生むことになります。そしてこうした意識の内面的発展における分裂の状態のとき、意識現象は統一的方面(主観)と被統一的方面(客観)に分かれます。そして統一的方面は精神現象と呼ばれ、被統一的方面は自然現象と呼ばれます。
 
つまり、統一的方面の極限にいわゆる「精神」と呼ばれる実体の存在が想定され、被統一方面の極限にいわゆる「自然」と呼ばれる実体の存在が想定されることになります。しかし「精神」という実体はどこにもなく、また「自然」という実体もどこにもありません。それどころかおよそ実体などというものはどこにもなく、あるのはただ現象だけに過ぎません。いわば現象が現象自身を支えているということです(こうした事態は後期の西田哲学においてノエシスノエシスという用語で説明されることになります)。
 
⑶ 純粋経験の極致としての「善」
 
善の研究』第三編「善」では純粋経験の立場から道徳や倫理の問題が論じられます。最初に行為や意志や価値のような倫理学上の主要概念についての説明が行われ、ついで古代から現代に至るまでの主要な倫理学説についての解説と批評が行われ、後半では西田自身の倫理説が展開されることになります。これは旧制第四高等学校における「倫理」の講義草案をもとにしたものです。
 
西田は従来の倫理学説を大きく二つに分類します。一つは他律的倫理学説であり、もう一つは自律的倫理学説です。他律的倫理学説というのは善悪の基準を人間の本性以外の何らかの権威や権力に求めようとするものであり、反対に自律的倫理学説というのはそうした基準を人間の本性のうちに求めようとするものです。西田はまず両説のどちらでもない直覚説を取り上げ、それが実際は直覚ではなく内実は良心とか理性とかいったものに他ならないことを指摘し、ついで他律倫理学説として権力説を取り上げ、それを君権的権力説(ホッブス)と神権的権力説に分けて論じ、その共通の欠点として、両説ともどうして我々がそうした権力に従わなければならないかの理由を説明できないことを挙げています。
 
それゆえに倫理学とは自律的倫理学説でなければならないとして、それを西田は人間の能力である知情意の三つに基づいてそれぞれ合理説(主知説)、快楽説(主情説)、活動説(主意説)に分類し、その順序で論じています。そして西田自身の倫理学は活動説(主意説)です。活動説というの西田によれば精神の三つの能力である知情意のうち、意志をもっとも根本的な内面的欲求と考え、この欲求を満たすことが人生の目的であると考える立場です。
 
そしてそのもっとも根本的な内面的欲求とは自己の発展完成であると西田はいいます。言い換えれば本来の自己を実現しようとする要求です。ここでいう自己とは純粋経験の背後にある根源的統一力の発動をいいます。そして理想的な純粋経験の極地である知的直観の状態こそが西田のいう「善」に他なりません。
 
⑷ 絶対的なものの探求としての西田哲学
 
善の研究』第四編「宗教」において西田は宗教とは学問道徳の極致であるといい、また自己の生命における最深にして最大の根源的な要求であるといいます。それを西田は「我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一して之によりて永遠の真生命を得んと欲するの要求である」といっています。
 
先述のように西田は純粋経験の背後にある宇宙の根源的統一力を神とも呼んでいますが、ここでいう神とは宇宙の外に超越しているのではなく、むしろ宇宙の内なる根源に付した名称に他なりません。この意味で西田の思想は大きくいえばスピノザの汎神論に近いものがありますが、より正確にいえば汎神論のように万物のうちに神が内在しているというよりも、むしろ反対に神のうちに万物が内在しているという万有内在神論とでも呼ぶべき思想です。そこでは神と万物が一体不二なるものとして考えられており、それゆえに神と自己とは本来異なったものではなく、神は宇宙の根本であると同時に我々の自己の根本でもあります。したがって宗教の本質とはこうした神人合一の意義を獲得するということにあります。西田はそれを「我々は意識の根底に於て自己の意識を破りて働く堂々たる宇宙的精神を実験するにある」と述べています。
 
このように『善の研究』とはいわば世界をあらしめる根源としての「絶対的なもの」を探究する書であったといえるでしょう。そして本書を出発点として、その後「自覚」を経て「絶対無」へと至り、そこからさらに「行為的直観」と「絶対矛盾的自己同一」へと展開していった西田哲学の思索の軌跡もまた、このような「絶対的なもの」へ迫らんとする運動であったといえます。こうした意味でポストモダン状況が加速する中で「絶対的なもの」を見失った今日において西田哲学はこの世界に対する深い洞察とこの日常を生きる上での確かな道標を与えてくれるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ライトノベルのリズムとノイズ--西尾維新『忍物語』『宵物語』『余物語』『扇物語』『死物語』

* ライトノベルの成立条件

 
文芸批評家の柄谷行人氏は『日本近代文学の起源』(1980)において日本文学における「一つの認識論的布置」としての「風景の発見」は明治20年代に起きた「言文一致」という運動によって生まれた新たな文体によって可能になったといいます。すなわち、柄谷氏によれば「書き言葉」を「話し言葉」に近づける「言文一致」の過程で、日本語という言語は従来支配的な「書き言葉」であった漢字の形象性が後退した結果、抽象的思考を可能とする音声言語として「透明」になり、この「透明」な言葉こそが事物をあたかもありのままに描き出したかのような「風景」として立ち上げることになったということです。
 
もっともこのような「風景」を立ち上げる「透明」な言葉はある特定の想像力の環境のもとで用いられています。例えば東浩紀氏は『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)において、1990年代以降の文芸市場において存在感を現わし始めたライトノベルを「キャラクターのデータベース」というメタ物語的な環境において制作される「キャラクター小説」であるとして、ポストモダン状況が加速する現代の文学的想像力においては近代文学が依拠する「自然主義的リアリズム(現実の写生)」とライトノベルが依拠する「まんが・アニメ的リアリズム(虚構の写生)」という「想像力の二環境化」が進行しているといい、近代文学の文体が「透明」な言葉であるという柄谷氏の比喩を拡張し、ライトノベルの文体は、不透明な存在であるキャラクターを透明に描こうとする両義性を抱えた「半透明」の言葉であると述べます。
 
そして、こうした「半透明」の言葉を縦横無尽に駆使するライトノベル作品として西尾維新氏の〈物語〉シリーズを挙げることができるでしょう。本シリーズ全体の大まかなあらすじは主人公である私立直江津高校3年生、阿良ヶ木暦が春休みに瀕死の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードを助けたことで「吸血鬼もどきの人間」となって様々な怪異絡みの事件と遭遇する中で人間的に成長していくというものです。
 
2006年に公刊された『化物語』を起点とする本シリーズは当初「メディアミックス不可能な小説」を謳っていましたが、実際にはその後、本シリーズは、アニメ、ゲーム、映画、漫画、スマートフォンアプリといった様々なメディアミックス展開を経ることで幅広い支持を獲得し、その絶大な人気は『化物語』の公刊から18年が経過した現在においても変わることはありません。
 
このような華々しいメディアミックス展開を経由した現在からみると忘れがちですが、本シリーズはそもそもライトノベルとしては異端の位置にありました。この点、世間一般でいう「いわゆるライトノベル」とは特定のライトノベル系レーベルから出版され、作中でキャラクターを中心とするイラストレーションを多用する作品を指しています。ところが本シリーズは当時、どちらかといえば一般文芸レーベルと見做されていた講談社BOXから出版されており、何より「いわゆるライトノベル」における最大の特徴であるキャラクターのイラストも扉絵等を除きほとんど使用されていません。
 
こうした点からいえば本シリーズは「いわゆるライトノベル」から外れた作品であるといえます。したがって本シリーズがライトノベルと呼ばれる理由をメディアミックス展開以前に求めるとすれば、それはまさしく本シリーズの持つ「文体」にあるといえそうです。
 
先に述べたようにライトノベルの本質は「キャラクター小説」であり、その制作においては「いかに魅力的な物語を生み出すか」という課題と同じくらいに「いかに魅力的なキャラクターを生み出すか」が重要な課題だとなります。ここでいう「キャラクター」とは「まんが・アニメ的リアリズム」を規定する想像力の環境=仮想的なデータベースを参照して構成される人物類型であり、東氏の定義でいえば「様々な物語や状況の中で外面化する潜在的な行動様式の束」をいいます。
 
この点「いわゆるライトノベル」では登場人物をキャラクター化するにあたってはイラストによる助けを多いに借りる事になるわけですが、本シリーズはイラストをほとんど用いない代わりに莫大な量の「会話劇」を投入する事で登場人物をキャラクター化していきます。なお実際に作者の西尾氏にとって本シリーズの執筆は「活字だけでライトノベルは実現できるのか」という実験的意味合いもあったそうです。
 
それゆえに本シリーズにおいてはライトノベル特有の文体である「半透明」な言葉が極めて濃厚に充溢しています。すなわち、本シリーズにおけるキャラクターはイラスト(=イメージ)以前に文体(=言語)によって成立しているといえます。こうした意味で本シリーズはライトノベルの成立条件が極めて純度の高い形で現れている作品といえるでしょう。
 
本シリーズは『化物語』『傷物語』『偽物語』『猫物語(黒)』からなる「ファーストシーズン」(2006〜2010)と『猫物語(白)』『傾物語』『花物語』『囮物語』『鬼物語』『恋物語』からなる「セカンドシーズン」(2010〜2011)を経て『憑物語』『暦物語』『終物語』『続・終物語』からなる「ファイナルシーズン」(2012〜2014)において、ひとまずの区切りを迎えることになりますが、その後『愚物語』『業物語』『撫物語」『結物語』からなる「オフシーズン」(2015〜2017)が公刊されました。今回はそのさらなる続編であるところの『忍物語』『宵物語』『余物語』『扇物語』『死物語』からなる「モンスターシーズン」(2017〜2021)を取り上げてみたいと思います。
 

* 小説におけるリズム--忍物語

本巻収録の第一話「しのぶマスタード」のあらすじは次のようなものです。どうにか無事に直江津高校を卒業し、国立曲直瀬大学に進学した阿良ヶ木はある日、怪異の専門家の元締めである臥煙伊豆湖直江津総合病院へと呼び出され、ベットの上に横たわる人間の木乃伊を見せられます。その木乃伊はもともと直江津高校に通う女子生徒で、吸血鬼に血を吸われたことが原因で木乃伊になったらしく、阿良ヶ木は女子生徒を襲う吸血鬼の正体を突き止めようと奔走することになりますが、その過程で一連の事件の容疑者として阿良ヶ木のパートナーである吸血鬼、忍野忍(旧キスショット)の旧知である吸血鬼、デストピアヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスターが浮かび上がってきます。
 
本作においてもやはりストーリーの本筋とはあまり関係のないところで大量の会話劇が繰り広げられています。先述の通り、これらの会話劇=キャラクター描写こそが本作をライトノベル=キャラクター小説として成立させていることになりますが、その一方で、これらの会話劇は小説という作品を駆動させる一つの「リズム」を形成しているともいえるでしょう。
 
この点、千葉雅也氏は近著『センスの哲学』(2024)において小説や絵画や音楽といった創作物を鑑賞ないし創作する上で「意味」の手前にある「強度=リズム」に注目しています。ここで同書のいう「リズム」とは絶えず生成変化を続ける「うねり」として捉えられると同時に「1=存在」と「0=不在」が明滅する「ビート」としても捉えられており、このように対象を「うねり(生成変化論)」と「ビート(存在論)」というダブルから感じるのが千葉氏のいうリズム経験です。
 
通常、小説などの物語では通常、宝物とか勝利とか愛とか謎といったものを追い求めるようなストーリーが展開されます。つまり物語とはなんらかの「1=存在」を求める「0=不在(欠如)」を起点にして進行するということです。つまり物語への没入するとはそこに「欠如」という大問題を見て、その「ビート」にシンクロすることで起きるといえます。
 
こうしたことから小説では「欠如を埋める」ための物語が展開されることになり、この「欠如を埋める」ことをいかに面白く行うかを追求していけば娯楽性の強い作品になります。これに対して「欠如を埋める」ことに直結しない、その脇にあるようなディテールを細かく追求していけば文学性の強い作品になりますが、その分、娯楽作品としての面白さは分かりにくくなるでしょう。
 
この点、本作もやはり、まずは主人公(阿良ヶ木)が謎(木乃伊化した女子生徒)を解く=欠如を埋めるという「ビート」がその基調を成しています。けれどもそこには同時にキャラクター同士の賑やかしい機知に富んだ会話劇という「うねり」が折り重なってきます。
 
そして本作においてこのような「ビート」のもたらす娯楽性と「うねり」のもたらす文学性という二つのリズムが相反することなく、むしろ相補的あるいは円環的に絡み合いながら、より高次元でひとつのリズムを創り上げているように思えます。こうした意味で、もとより本シリーズの大きな特徴であるライトノベルにおける娯楽性と文学性の並立は、本作においてますます円熟の域に入ったともいえるでしょう。
 

* サスペンス=いないいないばあ--宵物語

本巻収録の第二話「まよいスネイル」では直江津高校の一学年下の後輩、日傘星雨から、とある小学生女児誘拐事件に関する相談を受けた阿良々木は忍、八九寺真宵斧乃木余接ら怪異トリオと共に事件の真相解明へと乗り出します。
 
今回も物語の軸はやはり阿良ヶ木が怪異がらみの謎を解く「欠如を埋める」という展開になっています。こうした物語展開は一般に「サスペンス」と呼ばれます。ここでいう「サスペンス」とは英語で「宙吊り」を意味しており、このような「サスペンス(宙吊り)」においては、その一方で「謎の提示=0」から「謎の解決=1」へという「ビート」が強調されることになりますが、他方ではこの「謎の提示=0」と「謎の解決=1」のあいだで生じる緊張状態が複雑な「うねり」を生み出すことになります。
 
ところで、このような「サスペンス」におけるリズムの二層構造を千葉氏は「いないいないばあ」という子どもの遊びを一つの原理として説明しています。ここでいう「いないいないばあ」という遊びにおける「いないいない(何かが隠された状態)」から「ばあ(何かが露わにされる状態)」への転換とは、子どもの根本的な「不安(0)」と「安心(1)」の交代を表しています。
 
この点、精神分析を創始したジークムント・フロイトは「快原理の彼岸」という論文において、子どもが糸巻きを投げて遠くに転がっていった時に「おーおーおーお(いないいない)」といい、それから糸を引っ張って手元に戻す時に「いた(ばあ)」という反復動作に注目し、このような遊びによって子どもは母の欠如の埋め合わせをしていると解釈しました。
 
すなわち「いないいないばあ」における0と1のビートには母(他者)の欠如がもたらす寂しさが表れているといえます。けれども、やがて子どもはこのような0と1のビートからなる存在論的なリズムがもたらす寂しさを複雑なうねりをなす生成変化のリズムに上書きすることで乗り越えていきます。つまるところ人生もまた「サスペンス=いないいないばあ」ということなのであり、こうした意味で「娘」の「母」からの「自立」を描き出した本作もまた「サスペンス=いないいないばあ」の物語であったともいえます。
 

* 反復されるアンチセンス--余物語

本巻収録の第四話「よつぎバディ」では大学1年生の夏休みの直前に阿良々木は家住羽衣准教授に呼び出され、彼女から自分の3歳の娘を虐待していると打ち明けられ、しかももう3日間帰宅していないので自宅で檻に閉じ込めている娘の様子を見てきてほしいという奇妙な依頼を受けます。そして余接とともに家住准教授の家を訪れた阿良ヶ木はそこで何とも不可解な光景を目にすることになります。
 
前作に続きまたも母と娘の関係が一つのストーリーの軸をなしています。思えば本シリーズにおいて「母娘関係」という「問題」は『化物語』以降、幾度となく反復されています。この点、小説のみならずあらゆる芸術は「意味=メッセージ」の論理的前提として、何かしらの「問題」を抱え込んでいます。換言すればこのような「問題」に対する「解答」が創作物における「意味=メッセージ」ということになります。そしてある作品が人を深く惹きつけるのはその「意味=メッセージ」という「解答」が「正しい」からではなく、むしろ「問題」そのものの複雑さに様々な角度から光が当てられているからです。
 
さらに、このような「問題」がさまざまに変奏され、幾度となく反復されていくということは、その根本に何かしらの特異的な拘りがあることを意味しており、この特異的な拘りこそが作品に特異的な「強度=リズム」を与えているいうことです。このような「問題」を規定する特異的な拘りを千葉氏は時として「センス」を台無しにしてしまう「アンチセンス」と呼び、芸術における「センス」とはこうした「アンチセンス」という陰影を帯びてこそ、本当の意味で「センス」と呼べるものとなるのではないかといいます。
 
そして、こうした観点から振り返ってみると、本シーズンの幕開けとなった『忍物語』にしてもやはり、忍とスーサイドマスターの「母娘関係」を描いたものとして読めるでしょう。そしてこの「母娘関係」という「問題」は本シーズン全体において反復されていくことになります。
 

* 小説におけるノイズ--扇物語

本巻収録の第六話「おおぎライト」では阿良々木は大学でできた唯一の友人である食飼命日子から、心当たりもないのに彼氏から繰り返し謝罪をされるという相談を持ちかけられます。そして阿良ヶ木も恋人の戦場ヶ原ひたぎから、謝罪とともに別れ話を切り出されます。異変を感じ取った阿良ヶ木は自身の分身である忍野扇に助言を求めます。
 
本作では以上のような阿良ヶ木が謎を解決する「物語パート」と謝罪をめぐる「独白パート」が交互に出現する構成となっています。この独白パートの語り手は当初不明でしたが、後々に本シリーズを代表するキャラクターであることが明らかになります。
 
そして、ここでもやはり「母娘関係」が語られることになります。先述の『センスの哲学』におけるリズムの枠組みに照らしてみれば「物語パート」は「0から1」へというビートに駆動されており「独白パート」は複雑な生成変化のうねりに駆動されているといえます。しかしながら本作において二つのリズムは相補的に絡み合うことなく完全に自立的に作動しており、物語パートからみれば、独白パートはいわば「ノイズ」であるともいえるでしょう。
 
この点、本年のベストセラーとなった『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(2024)において文芸評論家の三宅香帆氏は近代以降の日本社会における「労働」と「読書」の関連性を俯瞰した上で、現代における「読書」は「ノイズ」になったと論じています。そして同書において三宅氏は読書が「ノイズ」になってしまう事象を「文脈(コンテクスト)」という観点から理解しています。すなわち、一冊の本の中にはさまざまな「文脈」が収められていますが、このような「文脈」を読み解く余裕がなければ、それは単なる「ノイズ」になってしまうということです。
 
こうした「文脈」という観点からいえば本作の独白パートは本作単体という「文脈」だけでいえば端的に「ノイズ」になります。けれどもモンスターシーズン全体で反復される「母娘関係」という「問題=文脈」から本作を俯瞰するのであれば、まさに独白パートの方が「メイン」であり、物語パートの方がむしろ「ノイズ」になってしまうという極めてアクロバティックな構成となっているといえるでしょう。
 

* 母殺しの諸相--死物語⑴

上巻収録の第八話「しのぶスーサイド」では大学2年生の2月、阿良々木はスーサイドマスターの身に何かが起きているという忍のインスピレーションと専門家の1人である影縫余弦の誘いにより、ヨーロッパの中心にあるかつてアセロラ王国(仮)に赴きます。そしてアセロラ王国(仮)周辺で起きていたのは、不死身の怪異のみを対象とした伝染病「アンチ吸血鬼ウイルス」の蔓延でした。
 
2021年夏に公刊された本作は新型コロナウィルスが席巻する世界を極めて批評的に描き出しています。当時はデルタ株が猛威を振るい、4回目の緊急事態宣言下で東京オリンピックが開催され、コロナワクチンの接種がようやく拡大し始めた時期だったと記憶していますが、この時点でアフターコロナの様相をかなり的確に予見した本作はある意味で文学史上においても特筆すべき作品であるといえるでしょう。
 
本作では忍とスーサイドマスターの「母娘関係」における「母殺し」が描かれます。そもそも日本の文学において「母娘関係」は近年において光が当て始められたテーマです。この点、三宅氏は近著『娘が母を殺すには?』(2024)において小説や漫画といった様々なフィクションの読解を通じて、複雑になりがちな「母娘関係」における「母殺し=母の規範の無効化」を達成するための方法を論じています。
 
もっとも本作の場合、現在の忍とスーサイドマスターとは母娘関係というよりも盟友関係にあります。それゆえに本作で描き出される「母殺し」とは「娘」が「母」の規範を無効化するための「母殺し」ではなく、むしろ「娘」が「母」の死を自らのものとして引き受けるための「母殺し」であるといえます。こうした意味で本作は「母殺し」がもつ多面的な位相を「問題」として描き出した作品であるといえるでしょう。
 

* ライトノベルのリズムとノイズ--死物語⑵

下巻収録の最終話「なでこアラウンド」では専門家見習いにして漫画家志望の中学生、千石撫子は臥煙の指示により貝木泥舟斧乃木余接と共に、臥煙の仇敵である蛇遣い洗人迂路子を調査すべく、西表島に飛行機で向かいます。しかし途中で飛行機は墜落し、無人島らしき砂浜で目覚めた撫子は、島での一人サバイバル生活を強いられることになります。
 
実はすでに『宵物語』『余物語』『扇物語』においても、それぞれ第三話「まよいスネイク」、第五話「よつぎバディ」、第七話「おおぎフライト」という撫子に光を当てた物語が描かれています。そして、これら一連の物語のひとまずの完結編となるのが、やはりまたしても「母娘関係」が主題となる本作です。
 
本作の主人公である千石撫子というキャラクターはもともと『化物語』における5人のヒロインのうちの1人として登場しましたが、原作における扱いは他のヒロインと比べると不遇であり、当初はそのまま表舞台からフェイドアウトしてもおかしくない存在でした。ところがアニメ化をきっかけに予想外のブレイクを果たしてしまい、これを受けて原作サイドでもそのキャラクターが深掘りされることになります。
 
こうした経緯から撫子はセカンドシーズンの『囮物語』と『恋物語』においてメインヒロインを(というか「ラスボス」を)務めたのち、ファイナルシーズンではストーリー展開の都合上、再びフェイドアウトを余儀なくされるものの、オフシーズンの『撫物語』で見事返り咲き、このモンスターシーズンではもはや第二の主人公といえるまでに成長することになります。
 
本作はそのほぼ半分以上が撫子の独り語りによって占められています。もし本作を一般的なエンタメ小説として読むのであれば、本作は物語の展開にとっては余計な「ノイズ」に満ちた小説ということになるでしょう。しかしながら本作を「ライトノベル=キャラクター小説」として読むのであれば、本作は「半透明」の言葉が紡ぎ出す「リズム」に満ちた小説であるといえます。
 
そして『化物語』からここまで本シリーズを追ってきて、千石撫子という「キャラクター=文脈」を理解している読者であれば、おそらく多くの読者は後者の観点から本作を読み解くのではないでしょうか。こうした意味で本作は「ライトノベル=キャラクター小説」における「リズム」を「ノイズ」と紙一重のところで追求した「純文学」ならぬ「純ライトノベル」といえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

17音で世界を切り取るということ--神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』

* 17音の魔法

 
言葉によって織り成されるさまざまなテクストはその言葉に宿る「意味」と「リズム」のいずれかを重視するかによって「散文」と「韻文」に大別されます。ここでいう「散文」とは小説、随筆、論文、法律、手紙、新聞記事、SNSのつぶやきなどを典型とする「意味」を重視するテクストです。これに対して「韻文」とは詩歌、謡、小唄長唄、都々逸、歌舞伎の台詞、歌謡曲の歌詞、ヒップホップのラップなどを典型とする「リズム」を重視するテクストです。
 
これらの韻文のうち「五・七・五」の定型で詠まれる俳句は極めてシンプルなリズムによって成り立っているテクストであるといえます。例えば「行く春を近江の人と惜しんだ」という別にどうということのない散文を「五・七・五」のリズムに乗せてみると次のようになります。
 
行春を近江の人と惜しみける 松尾芭蕉

 

なんでもないはずの日常をひとたび「五・七・五」というリズムに乗せてみると、それはひとつなぎの音楽になり、さらに時として時代を超えて歌い継がれる名歌ともなり得ます。これはまさに俳句というテクストが持つ17音の魔法であるといえるでしょう。
 
ではなぜ俳句の「リズム」は「五・七・五」なのでしょうか。この点『決定版 一億人の俳句入門』(2009)において長谷川櫂氏は日本語の母胎である「大和言葉」は「はな(花)」「つき(月)」「ゆき(雪)」「はる(春)」といった「二音」の言葉と「いのち(命)」「こころ(心)」「ひかり(光)」「さくら(桜)」といった「三音」の言葉を基本としており、この「二音」と「三音」のもっとも単純な組み合わせが「五音(三・二、または二・三)」であり、次いで「七音(五・二・または二・五)」であるといい、このような「五音」と「七音」の組み合わせから、まず古代において「五・七・五・七・七」のリズムを持つ和歌が生まれ、やがて近世以後において「俳諧連歌連句)」の発句の部分が独立したかたちで「五・七・五」のリズムを持つ俳句が生まれることになったといいます。
 
 
それゆえに俳句の「五・七・五」のリズムは和歌の「五・七・五・七・七」のリズムと同じく「日本語の深部から発せられる鼓動」であると氏は述べています。こうした日本語のリズムに根ざした奥深さを持つ俳句の世界へカジュアルに入門できる一冊として、本書『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(2019)をここでは取り上げてみたいと思います。
 

* 俳人は人に非ずと書く

本書の著者である神野紗希氏は俳句甲子園世代を代表する気鋭の俳人として知られています。日本経済新聞夕刊の連載を中心にまとめたエッセイ集である本書は育児風景が多く描かれていることが一つの特徴であり、例えば冒頭に置かれたエッセイ「季節を感じとる力」は次のような書き出しで始まっています。
 
うとうとと寝がえりを打つと、横で、ふにゃあ、と声がする。オルガンを通り抜けた空気みたいにやわらかい声、2歳の息子が目覚めたのだ。時刻は朝4時半。いくら何でも早起きだぞ、と寝かしつけにかかったが、もう楽しそうに模型のカバとたわむれている。私もしぶしぶ、布団から体を引き剥がす。
 
そうだ夏至だ、スマホのアプリで確認すると、日の出はちょうど4時半ごろ。(中略)太陽と一緒に目覚める彼は、人間社会のリズムではなく、もっと大きな自然のリズムと連動している。たまたま人間として我が家に生まれ、一緒に暮らしているが、本来は、外でいま目覚めたであろう蟻や鴉や百合と同じ、世界のひとかけらなのだ。
 
(本書より)

 

それゆえに氏は「ほら、俳人は人に非ずと書くではないか」「子どもは、まだ社会とのつながりを持たないという点で、俳人そのものである」といい、こうしたことから「私たちは子どもの中に、大人になる過程で忘れてきた何かを見出せるのではないか。例えば、季節を感じとる力。朝日が差せば目を覚ます彼は、夏至という名前は知らなくても、たしかに夏至そのものを知っているのだから」と述べています。
 
ここで氏のいう「夏至という名前」と「夏至そのもの」の差異は世界のあらわれとしての「もの」と「こと」の差異であるともいえるでしょう。この点、精神病理学者の木村敏氏は時間は時計やカレンダーなどで数的に表すことができる対象化された「もの」としての時間と「私」の「いま」を構成する「こと」としての時間との間に本性上の差異を見出しており、氏の主著のひとつである『時間と自己』(1982)において、このような「こと」の世界を鮮明に表現した例として奇しくも俳句を引用しています。
 
古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
ここには俳句という詩歌の持つパラドックスを見出すことができるのではないでしょうか。すなわち、僅か17音で世界のさまざまな「こと」を表現する(しなければならない)俳句は、その有限性ゆえに人が誰もが子どもの頃にもっていた(はずの)「季節を感じとる力」をもっとも根源的なかたちで表現することができる文学であるともいえるでしょう。
 

* 季語の持つ力

 
このような俳句における「季節を感じとる力」は実際の句の中では「季語」として表現されます。「季語」とはその名の通り季節を表す言葉であり、俳句では原則としてひとつの句にひとつの季語を入れる決まりとなっています。例えば先ほど取り上げた芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」という句の季語は「蛙」であり、春の季節を表しています。
 
本書は「人生初季語」で「俳人には、俳人ならではの職業病がある。日常のすべてに、季語を見つけてしまうのだ」と述べます。そして季語の持つ力を考えるため次の二句を比べています。
 
[A]飛び出すな車は急に止まれない
 
[B]青蛙車は急に止まれない
 
(本書より)

 

Aはごく普通の交通標語です。どんな人にも当てはまるように最大公約数的な言葉でわかりやすく書かれています。ところがこの標語の初めの「飛び出すな」を俳句における夏の季語である「青蛙」に置き換えたBにおいては本書が続けて述べるように、おそらくは「スピードを出す車の前に、1匹の小さなカエルが飛び出す。ハッとした次の瞬間、蛙の運命は……」といったような切迫した臨場感のあるイメージが迫ってくるのではないでしょうか。
 
季語を意識すると日常におけるさまざまな出来事の見方が変わります。例えば「風」という言葉ひとつとっても季節によってさまざまな表現があります。春は「風光る」。日差しが強くなってきて、見えるはずのない風まで、輝きを帯びて感じられる様を表しています。夏は「風死す」。ぱたりと風も止み、暑さ極まった様を表しています。秋は「色なき風」。万物が衰え色褪せてゆく、秋の寂しさが寄せてくる様を表しています。冬は「風冴ゆる」。大気が澄みに澄んで、冴え冴えとした風が吹き渡る様を表しています。
 
「季語は、365日を輪切りにした、時間の切断面と結びついた言葉だ」「季語という記憶の通路を通って、一回きりの特別な瞬間が、17音のうちに呼び込まれる」と本書は述べています。こうした意味で俳句とは季語という言葉の力によって現実を拡張し、世界を多重化していくための技法であるともいえます。そうであれば皆が子どもの頃に持っていた(はずの)「季節を感じとる力」を取り戻すための第一歩は、歳時記(季節ごとに季語を分類した本)を傍に置き、日常の至るところに季語を見出していくところから始まるのかもしれません。
 

* 不自由であるがゆえに自由であるということ

 
神野氏が俳句と出会ったのは高校一年生の時だそうです。当時たまたま観に行った俳句甲子園(高校生を対象とした俳句コンクール)に「心をわしづかみにされた」という氏は「それまで目にしていた教科書の俳句がクラシックなら、同世代の高校生の俳句はロックやポップス」のように感じたそうで「進路選択の悩みや恋愛の鬱屈、青春の今が17音に弾けていた。私も、自分の今をこの詩型で詠んでみたい、もっと現代の俳句を読んでみたい、と駆り立てられた」と述べています。
 
起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希

 

このように氏が高校時代に出会った俳句にすんなり馴染むことができたのは俳句が「語らない詩」だったからだろうと述べています。この点、同じ短詩でも和歌だと例えば「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな(菅原道真)」というように具体的なモノや風景を描写し、さらに詠み手の思いも述べられます。しかし俳句は和歌の下の句にあたる部分が無いため、詠める事柄は自ずと限られてきます。
 
そこで俳句は詠み手の思いをオミットして、モノや風景の描写に特化することで、そこから間接的に伝わるものに賭け金を置きました。こうしたことから氏は「気持ちを言葉にするのが苦手だった私は、この沈黙の詩のとりこになった。言葉にできない何かを、言葉にしないという方法で、なおかつ言葉で記述するすべが、この世界にあったなんて」といいます。また17音の定型があり、かつ季語の縛りのある俳句を氏は「なんて自由なんだ」と思ったといい、続けて次のように述べます。
 
昔から本を読むことは好きだったが、文学--小説や詩や短歌--は、非凡であることを求められているような気がして、実際に創作するのは気が引けた。私は健康な普通の少女だった。だが俳句はそんな普通の私が感じ認めたあれこれも、詩に昇華してくれた。無理に個性的にならなくていい、自分がどんな人間であろうとも、この世界は、ありのままで十分面白い。そう肯定する詩型だった。
 
(本書より)

 

ここには不自由であるがゆえに自由であるという俳句の持つもうひとつのパラドックスを見出すことができます。そして、おそらく俳句の持つ「季節を感じとる力」とは、この世界における「ありのまま」を肯定する力でもあるということなのでしょう。
 

* 泣かずして他の泣くを叙する--写生文家としての俳人

 
神野氏の故郷である愛媛県松山市は近代俳句の創始者正岡子規の故郷でもあります。氏によれば松山市の小学校では夏休みの宿題には必ず俳句の創作が課されており、その句は休暇明けに子規を顕彰した俳句大会へ投句され、その受賞作はパネルに印字されて商店街の大通りに掲示されるそうです。さらに氏の母校である松山東高校の前身は子規の母校である旧制松山中学であり、校内には「行く我にとゞまる汝に秋二つ」という、子規がやはり松山中学に教師として赴任中だった夏目漱石へと贈った句が刻まれた句碑があるそうです。
 
正岡子規夏目漱石。ともに明治日本を代表する文学者である2人は東大予備門(現在の東京大学教養学部)以来の盟友であることはよく知られています。明治28年(1895年)、子規は日清戦争の従軍記者として結核の身を押して満州に赴き、その帰路で大喀血します。故郷松山に療養帰省した子規は「愚陀仏庵(漱石の下宿)」でしばらく静養したのち、その年の10月に東京に戻る際に奈良に立ち寄り、この時に彼の代名詞ともなるあの一句を詠んでいます。
 
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規

 

ところでこの子規の句が詠まれる2ヶ月前に漱石は次のような句を詠んでいます。
 
鐘つけば銀杏散るなり建長寺 夏目漱石

 

この二つの句はまさしく同じ「リズム」を共有しています。子規の代名詞ともいえる一句は本書がいうように「二人の友情の結晶」ともいえるかもしれません。これは「リズム」の文学の極致ともいえる俳句ならではのエピソードであるといえるでしょう。
 
また、子規は近代日本文学を基礎付ける「写生文」の提唱者としても知られています。そして、この世界の森羅万象をありのままに写しとる技法としての「写生文」につき漱石は「写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである」と述べています。つまり「写生文家」には対象に感情移入することなく対象と一定の距離を保ち、対象を淡々と写生する「泣かずして他の泣くを叙する」態度が求められるということです。そうであれば本書のタイトルともなっている次の句は、そんな「写生文家」としての俳人のあり方そのものを詠んだ句であるともいえるのではないでしょうか。
 
もう泣かない電気毛布は裏切らない 神野紗希
 
なんでもない日常をひとつなぎの音楽に変えるということ。季節そのものを感じとるということ。世界のありのままを肯定するということ。泣かずして他の泣くを写生するということ。俳句の持つ17音の「リズム」にはこのような様々な魅力と可能性が宿っています。こうした意味で本書は俳句の世界にエッセイというかたちでカジュアルに入門できる一冊であると同時に、言葉の「意味」の手前にある「リズム」の持つ魅力と可能性を様々な角度から描き出した一冊であるともいえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

リズムとしての読書--現代思想2024年9月号『特集=読むことの現在』

*「読書離れ」の諸相

 
先月末より「秋の読書推進月間(2024年10月26日〜11月24日)」が始まっています。これは2022年から始まった全国の書店が参加する業界規模のキャンペーンであり、各地では作家を招いて本の魅力を伝えるイベントなどが開催されているようです。このような取り組みの背景にはやはり社会的な「読書離れ」があると推測されます。この点、2023年度の文化庁の調査によると、個人が1ヶ月に読む本の冊数は「読まない」が全体の6割を超え、読書量が「減っている」と答えた人も7割近くに上がっており、こうした「読書離れ」の要因としてスマートフォンなどの情報機器に時間を取られる点が挙げられているようです。
 
また書店の数も全国的に減少傾向にあり、地域に書店が一つもない自治体は4分の1を超えているそうです。経済産業省が今年行った書店の経営状況に関する調査によれば売り上げに占める書店の利益が少ない点、ポイント付与や送料無料などのサービスを行うオンライン書店との競争に苦しんでいる点などが課題として浮上しており、また公共図書館が人気のある新刊本を複数購入して、多くの人に貸し出している現状も書店の経営を圧迫する一因となっているとする声もあったといわれます。
 
こうした現状を受けて読売新聞の10月30日(水曜)社説「心静かに本と向き合う時間を」は「書店には、様々なジャンルの本が並び、思いがけず良書に巡りあう瞬間がある。偶然手にした一冊が、その後の人生に大きな影響を与えることもある」と述べ、書店経営への公的支援や書店側の創意工夫や公共図書館との連携といった読書環境の整備を訴えています。
 
もっとも「読書離れ」の要因を考える上では、読書環境それ自体のみならず、日本社会における労働環境の変化もまた見逃せないでしょう。本年のベストセラーとなった『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において文芸評論家の三宅香帆氏は近代以降の日本社会における「労働」と「読書」の関連性を俯瞰した上で、現代における「読書」は「ノイズ」になったと論じています。
そもそも日本において「労働」と「読書」は共に明治期に近代化の産物として生じた概念でした。当時「立身出世」の野心を抱いた多くの青年の間では読書によって自身の精神を練成する「修養」の思想が広まり、ついで大正期になると「サラリーマン」と呼ばれる新中間層の間では労働者階級における「修養」と差別化を図る形で「教養」の思想が流行するようになりました。そして戦後になると労働者階級にもじわじわと「教養」が広がり、高度経済成長期には空前の教養ブームが到来することになります。このように日本においてはもともと「労働」と「読書」は相互に接続された関係にありました。
 
ところが高度経済成長が終焉した1970年代以降「労働」と「読書」の相互の接続は次第に揺らぎ始め、バブル崩壊後の長期不況により経済成長神話の崩壊が決定的となった1995年前後において「読書」と「労働」は決定的に切り離されることになります。そして、この時期から本格的な「読書離れ」が進行する一方で、市場には数多くの自己啓発書が氾濫するようになります。この点、同書は自己啓発書のロジックとは「社会」というアンコントローラブルなものは「ノイズ」として捨て置き、自分の行動というコンローラブルなものの変革に注力することで人生を変革するというものであるといいます。さらにこうした傾向は「労働」で「自己実現」をすることが称揚されるようになったゼロ年代以降「ノイズ」を徹底して排除した「情報」の台頭によりますます先鋭化してくことになります。
 
こうした状況のなか、いま改めて「読む」という営みとは何かを問い直してみる意義は決して小さくはないでしょう。現代思想2024年9月号の『特集=読むことの現在』ではこうした「読む」という営みに対してマルチラテラルな角度から光が当てられていきます。
 

* 読書における健常者優位主義

市川沙央氏と頭木弘樹氏による討議Ⅰ「合理的調整としての読書バリアフリー」では読書環境における「健常者優位主義」が問い直されます。昨年、重度障害者の日常を描いた『ハンチバック』で169回芥川賞を受賞した市川氏は幼少時に筋疾患先天性ミオパチーと診断され、思うように外出ができなくなったことで20歳を過ぎた頃に「自分には小説家くらいしかやれることがない」と思い立って以来、集英社コバルト文庫のコバルト・ノベル大賞をはじめライトノベル、SF、ファンタジーの賞へ20年以上応募を続け、その努力はついに芥川賞へと結実しました。その一方で氏は昨年3月に卒業した早稲田大学通信課程における卒論では「障害者表象」というテーマを扱っており、卒論と並行(!)して執筆した『ハンチバック』はいわば「裏卒論」にあたるそうです。
市川氏が『ハンチバック』を執筆した動機のうちの「およそ半分ほど」は「読書バリアフリー」を訴えるためであったといいます。そして氏の芥川賞受賞会見をきっかけにこの「読書バリアフリー」という言葉は一般に広まり、今年に入って日本ペンクラブなど文芸3団体や出版5団体から共同声明が出るなど「読書バリアフリー」に向けた動きが進み出しています。もっとも市川氏は「読書バリアフリー」に関しては文芸系の出版界からの反響は大きかったものの、学術界からの反応は薄かったといい、障害を抱えた学生の教育保障・情報保障は切実な課題であり、高等教育を受ける権利の観点からも学術系の出版社の対応が進むことを望んでいると述べています。
 
このような「読書バリアフリー」を実現する上で電子書籍は極めて重要なメディアといえます。この点、20歳で潰瘍性大腸炎という難病に罹患し、ある日から紙の本が一切読めなくなったという頭木氏は文字を拡大できる電子書籍に助けられたと述べています。電子書籍についてはいまだに一部の著者や読者からの拒絶反応も少なくないようですが、その背景にはやはり「紙の本」だけが持つ価値への信仰が根強くあるようです。しかしながら市川氏が『ハンチバック』で強く訴えているように「紙の本」を読むためには「目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること」という「5つの健常性」を満たす必要があります。また頭木氏がいうように紙の本に本当に素晴らしい価値があるのであれば、今後どんなに電子書籍が普及したとしても紙の本が無くなることはないはずです。
 
また市川氏は最近のインタビューで「『合理的配慮』という訳はほとんど誤訳といってよく、いまからでも『合理的調整』とするべきだと考えています。例えば『rights』は『権利』ではなく『権理(権理通義)』(by福沢諭吉)と訳すべきだった、つまり『利』という字のネガティヴな印象のせいで人権を理解できない国民になってしまったという話もあるように、こうした言葉の誤選択は国民の精神性に悪影響を及ぼし尾を引いたりするので、私は意地でも『合理的調整』と書いていこうと思います」と述べています。確かに「配慮」と言えば、何となく「してあげている」というイメージが浮かんできますが、これを「調整」と言い直せば、何となく「しなければいけない」というイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。こうした言葉の問題は読書環境のみならず、さまざまな社会設計を行う上で決して看過できない問題であるといえるでしょう。
 

* AI時代における読書

 
宮崎裕助氏と石岡良治氏による討議Ⅱ「読むことを避けてしまう時代で、それでも本を読むこと」では、AIに本の内容を要約してもらうとかYouTubeの紹介動画を見るとか、いまや実際に自分で本を読まなくても事足りる手段がいくらでもあるなかで「それでも本を読むこと(読まなければならないこと)」の理由とは何かという問いが扱われています。
 
この点、現代哲学を専門とする宮崎氏は今年出版した著作『読むことのエチカ--ジャック・デリダポール・ド・マン』の序論において「脱構築批評」を確立したデリダやド・マンの行った緻密なテクスト読解とは完全に真逆ともいえる立場にあるピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』を批判的に取り上げていますが、今回の討議でも一般的に「読む」というと、あくまで読者(読む側)が「主」でテクスト(読まれる側)が「従」と位置付けられがちだけれども、実際には読んでいるうちにいつの間にかその主従が逆転し、テクスト自体が動き出してこちらを引っ張っていく、あるいはテクストが自ら引き起こす出来事に巻き込まれていくという現象が生じ、そこには「人間を超えていく解放感」があるとして、生成AIはひたすら人間から「読むこと」を省略することによって人間をむしろ「動物化」していくといいます。
 
また氏はいま広く社会に蔓延する「ファスト教養的なもの」にどう抵抗するかについて紙の本の「物質性」に注目します。氏によれば紙の本というのはインターネット上のテクストとは「明らかに別の時間を持っている」といい、また「資本の流れ」を外れたところでのアクセスを「物質として常に残しつづけている」といいます。また紙の本に限らず、文字を読むという活動自体、そうした「別の時間」の可能性を開いてくれるところがあり、映像の場合は勝手に流れる時間にこちらが身を委ねる必要があるけれど、本や文字は時間の流れが一様ではなく、ひとによって千差万別、自分自身の時間の流れ方で読むことができるので、とくに紙の本は「資本主義に覆われた日常的な時間軸をずらしてくれる働きがある」といいます。
 
これに対して視覚文化研究を専門としており、現在でも毎期の新作アニメを半数から8割以上追っているという石岡氏は(少なくとも自宅で視聴するBD/DVDや配信の映像に関しては)途中で止めたり速度を早めたりと、いくらでも時間は操作可能であり、そうであれば映像にも読解の契機、書物的なものを見出すことはできるのではないかと述べます。また氏は紙の本に限らず、インターネット上で目にする断片的な情報(文字)にも書物性やテキスト性は宿っていると考えており、それもまさにデリダやド・マンから学んだことだと述べています。
 
このような両氏の紙の本をめぐる議論は討議Ⅰにおける論点にも通じています。ただ少なくとも市川氏がいうように「紙の本を読む」という営為のハードルはかなり高く、そういった意味ではやはり、紙の本を「読むこと」とインターネット上の情報や映画やアニメーションを「読むこと」のあいだには良くも悪くも(読書における「健常者優位主義」を含めた)何らかの差異があることは確かでしょう。もっとも、このような差異が単なる量的な差異なのか、それとも決定的に異なる質的な差異なのかはやはり更なる議論を要するところだと思います。
 

* それでも読書しかなかった

 
冒頭で取り上げた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者である三宅氏は本特集への寄稿「誰かの寂しさを言葉ですくいあげる」で、市川氏の『ハンチバック』に言及し「本を読むといいよ、なんて、他人に言えない。それは身体が健康で、教養を与えられた、運の良い人間の言うことだからだ。読書とはマッチョなものだ」としつつ、その一方で「読書できるのは贅沢なことだと分かったうえで、それでも自分にとっては読書しかなかった。ほかのものでは代替できなかった」「だから今でもやっぱり、現実を生きているときよりも、本や漫画のなかで、良い言葉に出会ったときのほうが、ずっとずっと世界は輝いているように思える」といい、次のように述べています。
 
寂しさとは、他人と共有できないものを抱えきれない、という感情だ。だとすれば、読書はその寂しさを分かり合ってくれる、言葉を共有する。どこの誰とも知れない他人と。世界も時代も異なる他人と、抱えきれなさを共有する。そのとき私は、寂しくなくなる。それは読書の効用だと思っている。
 
「誰かの寂しさを言葉ですくいあげる」より

 

人は日常において他者とのコニュニケーションを円滑に行うため、自身の発する言葉の取捨選択を行なうことを(程度の差はあれ)余儀なくされています。けれども、その過程で他者と共有できない自分だけの言葉がどんどん蓄積されていくことになります。そしてこのような言葉たちの蓄積を「抱えきれない」という感情が氏のいう「寂しさ」です。そして読書のなかで出会う言葉は時に、このような行き場をなくした言葉たちを受け止めてくれます。だから氏は次のようにも述べます。
 
つまり私は、人間よりも、人間のつくりだす言葉のほうが好きなのである。人間そのものは、そんなに期待しないほうがいい生き物だと思う。(中略)だが私は、人間のつくりだす言葉にはずっとずっと期待している。それはなぜなら、人間のつくりだす言葉だけが、私を寂しくさせないからだ。私の、他人に言えなかった言葉を、日記に書くしかない言葉を、頭のなかにとどめるしかない言葉を、掬い上げてくれるのは、やはり他者のつくりだす言葉だけである。そしてそれは本や漫画のなかにこそ存在していた。他の場所では出会えなかった。私の場合は。
 
「誰かの寂しさを言葉ですくいあげる」より

 

この点、討議Ⅰで市川氏は自身があるインタビューで語ったという「物語や本に救われるとはどういうことなのか私にはわからない」という趣旨について「本当にわからないというより、あまりにもその言葉が定型文になっていてなかば信仰のようになり、救われたという経緯がむしろ分かりづらくなっている」と述べていますが、本稿ではこうしたしばし「定型文」や「信仰」になりがちな「本に救われた」という経験が極めて明晰かつ丁寧に言語化されているように思えます。すなわち、読書のもたらす「救い」とは、あるいは他者の言葉による「掬い」であるともいえるのではないしょうか。
 

* リズムとしての読書

 
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において三宅氏は読書が「ノイズ」になってしまう事象を「文脈(コンテクスト)」という観点から理解しています。読書は「文脈」によって紡がれるものであり、人は基本的に自身の関心のある「文脈」に基づいて読みたい本を選びますが、一冊の本の中にはさまざまな「文脈」が収められていることから、ある本を読んだことがきっかけで「好きな作家」や「好きなジャンル」といった新しい「文脈」を見つけることもあるでしょう。このように読書の醍醐味とはこれまで自分と無関係だった新しい「文脈」に触れることにあるともいえますが、このような新しい「文脈」に触れるだけの余裕がなければ、それは単なる「ノイズ」になってしまうということです。
 
けれども本稿で三宅氏がいうように、時として読書が「救い=掬い」になることもまた確かでしょう。そして、このような事象を「文脈」という観点から理解するのであれば、現実という「文脈」においてはまさしく「ノイズ」でしかない言葉たちが読書という「文脈」においては「救い=掬い」を受けるということなのでしょう。
 
読書は時として「ノイズ」となりますが、時として「救い=掬い」ともなります。そして実際の読書経験においてこの両者は極めて複雑に入り組んだかたちで現れてくるでしょう。そうであれば読書とは「ノイズ」と「救い=掬い」という凸凹から成り立っているかたち=リズムの経験といえるかもしれません。こうした意味で「読む」とはテクストそれ自体を「読む」という営為であると共に、読者とテクストのあいだから紡ぎ出されるリズムを「読む」という営為であるともいえるのではないでしょうか。