かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

非意味的なコミュニケーションがもたらすもの--映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ

 

* その人だけのもやもやとした感情に、名前をつけること

 
最果タヒさんの詩は何というのか、言葉の手前にある「過剰な何か」を救い出そうとしているように思えます。この点、栗原裕一郎氏が指摘するように「歌詞のようにポップだが、文が意味を結びそうになる手前で理解から逃れていく」最果作品の特性は、おそらく「もやもやしたものをもやもやしたまま差し出す、いわば未然の感情を未然の状態のまま届けるべく言葉を並べようと」するその詩想に由来するものなのでしょうか(虚構という『系』から『きみ』を救い出すこと 最果タヒ小論:早稲田文学2015年夏号)。
 
ここで栗原氏のいう「未然の感情」とは、言葉にしてしまった瞬間に「死んでしまう」ような極めて繊細な感情のことです。この点、2014年に公刊された第三詩集「死んでしまう系のぼくらに」のあとがきで最果氏はこう述べています。
 
意味の為だけに存在する言葉は、時々暴力的に私達を意味付けする。その人だけのもやもやとした感情に、名前をつけること、それは、他人が決めてきた枠に無理やり自分の感情をおしこめることで、その人だけのとげとげとした部分は切り落とされ、皆が知っている「孤独」だとか「好き」だとかそういう簡単な気持ちに言い変えられる。
 
(「死んでしまう系のぼくらに」より)
 
すなわち、この詩集の表題にある「死んでしまう系」とは「その人だけのもやもやとした感情=未然の感情」にに「名前をつけること」で「死んでしまう」という「系=システム」のことを指しているのだと思われます。そして、2016年に公刊された最果氏の第四詩集「夜空はいつでも最高密度の青空だ」を題材としたこの映画も、まさにこうした「系=システム」以前にある「未然の感情」を映像的なアプローチから露わにしようとする一つの試みであったのではないでしょうか。
 

*「どうでもいい奇跡」を紡ぐ物語

本作の舞台は渋谷と新宿であり、主人公は二人の若い男女です。美香(石橋静河)は看護師として病院に勤務しながら、経済的に厳しい実家に仕送りをするため夜はガールズバーのアルバイトをしています。そして、慎二(池松壮亮)は工事現場の日雇い労働者として働き、木造アパートでギリギリの生活をしています。
 
ある日、看護師の同僚と合コンに行った美香は席を外した際、一人客で来店していた慎二とすれ違いざまに目が合います。その後、慎二は工事現場の同僚の智之(松田龍平)らと成り行きでガールズバーに行くことになり、たまたまその店で働いていた美香と遭遇します。その帰り道、人身事故で終電を無くして深夜の渋谷を歩いていた慎二は、仕事が終わり帰宅する途中の美香に声を掛けられます。
 
「なんでこんなに何回も会うんだろうね。東京には1000万人も人がいるのに、どうでもいい奇跡だね」
 
その後、現場で脳卒中を起こして亡くなった智之の葬儀で慎二と美香は再会し、さらに後日、現場で怪我をした慎二が病院に行くと看護師として働く美香と出くわすことになります。
 
「また会えないか」と言う慎二に美香は「まあ、メールアドレスだけなら教えてもいいけど」と答え、2人はぎこちない交流を始めます。
 

* 非意味的なコミュニケーションがもたらすもの

 
慎二は左目が見えておらず社会に適応できない不安を抱いています。そして場の空気がうまく読めず突然、脈絡のないことをとめどなく喋り始めてしまう癖を持っており、周囲から顰蹙を買うこともしばしばです。
 
一方で、美香は幼少時に母を亡くし、死に対する不安を感じながら育ち、今は患者の死を当たり前のように受け入れなければならない日々を過ごしています。慎二が喋らないと美香は不安になり、代わりに自分が脈絡のない事をとめどなく喋り始めたりもします。
 
この映画の大きな特徴の一つには、このような非意味的なコミュニケーションがあります。ここでいう「非意味」とは「無意味」とは少し異なります。すなわち「無意味」は「意味がなくなる次元」をいいますが「非意味」とは「意味ではない次元」をいいます。
 
慎二も美香も不安に駆られて非意味的に言葉を発し、時にはお互いの発する非意味な言葉同士が衝突したりもします。けれども、このような衝突からやがて2人の間に「分かり合えなさを分かりあう」という逆説的なコミュニケーションがもたらされることになります。
 
こうした本作が描く非意味的なコミュニケーションのあり方には、おそらく最果さんの詩と共通するアプローチを見出すことができるでしょう。ここで思い起こされるのは最果さんの次のような言葉です。
 
詩を書くようになって、もっと曖昧なものを作るようになって、何言ってんのかわかんないって言われることも時々あったけれど、私はたぶんすべての人に対して何言っているかわかんないって思っている。むしろ何言っているのか分かったら気持ち悪いな、吐いちゃうな、ときっとどこかで考えている。分かってもらえないことや、わかってあげられないことが、ちゃんと心地よいままでいたい。わかんない部分があるからあなたと私は他人なんです。そういう態度でいたかった。
 
(「君の言い訳は最高の芸術」より)
 

*「青空の詩」から考える

 
そして、このような非意味性は、この映画のモチーフとなっている最果さんの第四詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」の冒頭に置かれた「青色の詩」にも極めて印象的な形で現れてます。
 
都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。
 
塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。
 
 
きみがかわいそうだと思っている君自身を、誰も愛さない間、
 
君はきっと世界を嫌いでいい。
 
そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。
 

 

この詩が概ね意味するところはフランスの精神分析家、ジャック・ラカンの名高いテーゼ「性関係の不在」からひとまず読み解くことができるでしょう。
 
ラカン曰く、人は言語の主体となることで言語によって捉えることのできない「何か」を喪失します(「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。」「塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。」)。
 
その「何か」をラカン精神分析的意味における「欲動」が満足した状態としての「享楽」といいます。けれども人は言語の主体である以上、決して「享楽」の境域に到達することはあり得ず、その周囲をひたすら空回りすることになります。この「享楽の不可能性」をめぐり空回りするだけの果てしない徒労を称して人生といいます(「きみがかわいそうだと思っている君自身を、誰も愛さない間、」「君はきっと世界を嫌いでいい。」)。
 
そしてこのような「享楽の不可能性」を男女関係で言い表せば「性関係の不在」ということになるわけです(「そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。」)。
 
ここには極めて逆説的なメッセージを読み取ることができるでしょう。人はどう足掻いたって「享楽」に辿り着けない、だから君が世界を嫌っていても全然おかしくない、性関係などどこにもない、恋愛なんて所詮はまやかしだ、世界はそもそもそういう風にできているんだから・・・そして、これは本作において「愛」をどこか嘘くさいものと思っている美香の諦念とも重なり合います。
 

* よくわからないけど何故かよくわかる

 
けれども同時に、この詩には以上のような「意味」に還元できない「非意味」があります。ここで鍵となる言葉がまさにこの詩の中心にやや唐突に置かれた「夜空はいつでも最高密度の青色だ」という「文字列」です
 
この一文の「意味」を強いて解釈すれば「隠極まれば陽となる」とか「絶望は転じて希望となる」などというやはり逆説的なメッセージです。けれども、その「意味」をそのまま詩の中に書いてしまっても、それはその辺に普通にありがちな、極めて凡庸なメッセージにしかならないでしょう。
 
重要なのは「夜空はいつでも最高密度の青色だ」というこの「文字列」自体が持つ視覚的・聴覚的な力強さ、美しさ、気持ち良さです。すなわち、この非意味的な「文字列」が詩の中心に置かれることによって「青色の詩」という布置全体に「隠極まれば陽となる」とか「絶望は転じて希望となる」などという説教臭い凡庸な「意味」を超えたところにある「よくわからないけど何故かよくわかる」という謎の肯定感を与えているのではないでしょうか。そして、このような布置をどうにか物語にした試みがあるいは本作であったように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自然主義的現実とデータベース的現実

 

* 風景の発見と内面の発見

 
柄谷行人氏は「近代日本文学の起源(1980)」において、近代文学におけるリアリズムとは「風景の発見」と「内面の発見」によって支えられているといいます。
ここでいう「風景」とは、ただ単に外界に存在する客観物ではなく、むしろ「客観/主観」という区別それ自体を生じさせる認識論的な布置を指しています。近代日本文学においてこのような意味での「風景」を見出した先験例として柄谷氏は明治31年に発表された国木田独歩の「武蔵野」と「忘れえぬ人」を取り上げます。
 
「忘れえぬ人」の結末が示唆するように、氏は「風景」とは「外」にではなく、むしろ「内」によって見出されるという、知覚の様態におけるある種の価値転倒ないし倒錯により生じるものであるといいます。すなわち「風景」とは、それまでの外界を疎遠化することで生じる「内面」の中において見出されることになります。
 
ここでいう「内面」とは、自らの声を聴く体験をいいます。そして氏はこのような「内面」の成立には精神分析の始祖、ジークムント・フロイトのいうところの「抽象的思考言語」が必要であるといい、それは我が国においては「言文一致」という近代的な制度によって生み出されたと主張します。
 

* 透明な言葉

 
「言文一致」とは明治20年前後の近代的諸制度の確立が言語レベルで表れたものをいいます。この点「言文一致」とは単純に「話し言葉」と「書き言葉」を一致させることではありません。それはすなわち、全く新たな「言=文」という「抽象的思考言語」を創出するという一種の「文字改革」のことをいいます。
 
こうした意味での「言文一致」の運動の起源は幕末の前島密による「漢字御廃止之儀」の建白に求められます。この前島の提言は「言文一致」の本質をよく捉えています。「漢字御廃止」とは、文字通りの意味というよりも、我が国伝統の漢字中心の形象思考を転倒させ、「文字(漢字)」よりも「音声」が優位するという西洋流の「音声中心主義」を確立する思想に他なりません。
 
幕府反訳方を務めていた前島が注目したのはアルファベットのもつ経済性、直接性、民主性にありました。彼にとって西欧の優位性はその音声中心主義に求められ、従って日本の近代化において「音声中心主義」を確立することこそが緊急の課題とみなされたのです。そして一旦「音声中心主義」が確立されたのであれば、もはや漢字を実際に廃止するかどうかは二次的な問題に過ぎません。
 
そして、この「音声中心主義」を完全に内化する事で初めて人は「内面」という幻想を見出す事になります。そして同書は、このような「内面」から聴こえてくる声を記述した言葉を「透明」の言葉といいます。その意味で独歩が見出した「風景」とは「透明」な言葉によって記述されたものでした。
 
しかし、私が問題にしてきたのは、写すということがいかなる記号論的布置において可能なのかということである。事物があり、それを観察して「写生」する、自明のようにみえることのことが可能であるためには、まず「事物」が見出されなければならない。だが、そのためには、事物に先立ってある「概念」、あるいは形象的言語(漢字)が無化されねばらない。言語がいわば透明なものとして存在しなければならない。「内面」が「内面」として存在するようになるのは、このときである。
 

 

すなわち、近代以前における言語は意味や歴史に満ちた「不透明」なものとして主体と世界を隔てる障害として立ち塞がっていましたが「言文一致」という制度の導入はその障害を取り除き、言語を「透明」なものへと純化して主体と世界の直結を可能にしました(少なくともそうだと人々に想像させました)。
 

* ライトノベル

 
以降、長らくのあいだ文学とは「風景」や「内面」といった「現実」を写生する営為であると見做されてきました。ところが1970年代以後、戦後児童文化の中で発達した漫画やアニメーションといった「虚構」を写生しようとする新たな文学観が台頭し始めます。こうした新たな文学観が全面化した小説の代表格が現代において「ライトノベル」と呼ばれる作品群です。
 
ライトノベル」とは漫画的なあるいはアニメ的なイラストが添付された中高生をはじめとする若年層を主要読者と想定する小説であると一般的に定義されます。その起源は1970年代のソノラマ文庫コバルト文庫に見出され、1988年に創刊された角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫が現在のライトノベルの基本的スタイルを決定付けることになります。
 
そして1990年代以降、ライトノベルはアニメやゲームの市場と連携しつつ徐々に文芸市場において徐々に存在感を示し始め、ゼロ年代に入ると「ライトノベルブーム」と呼ぶべき時代が到来し、夥しい数のライトノベル作品がアニメ化されることになります。
 

* まんが・アニメ的リアリズム

 
この点、大塚英志氏は「キャラクター小説の作り方(2003)」においてライトノベルの記述法を「まんが・アニメ的リアリズム」と呼びます。従来の近代文学自然主義的な「現実」を写生する「自然主義的リアリズム」に規定されているとすれば、ライトノベルは漫画やアニメといった「虚構」を写生する「まんが・アニメ的リアリズム」に規定されているということです。そして大塚氏は近代文学における「私小説」との対比からライトノベルを「現実=私」ならぬ「虚構=キャラクター」を写生する「キャラクター小説」であると定義しました。
また氏によれば「まんが・アニメ的リアリズム」とは、日本における文学史と漫画・アニメ史が交差するところで生じた想像力とされます。すなわち、そこには一方で、田山花袋の「布団」に起源を持つ「私小説における私」の誕生によって抑圧された「キャラクターとしての私」の文学史的回帰があると同時に、その他方で、手塚治虫の「勝利の日まで」に起源を持つ記号的でありながらも自然主義の夢を見る漫画・アニメ史的矛盾があるということです。
 
それゆえに「自然主義的リアリズム」を経由したところで成立している「まんが・アニメ的リアリズム」においては氏が「アトムの命題」と呼ぶ漫画表現における記号的-身体的な両義性が抱え込まれることになります。
 

* 半透明な言葉

 
そして、東浩紀氏は「ゲーム的リアリズムの誕生(2007)」において、ライトノベル(=キャラクター小説)とは本質的にポストモダン的な小説形式であると位置付け、自然主義的現実ではなくポップカルチャーのデータベースから成り立つ人工環境に依拠して制作されるライトノベルの文体は従来の近代文学の文体と異なった特性を持っていると論じます。
この点、柄谷氏は前近代の物語の言葉は「不透明」で、近代文学あるいは自然主義の描写は言葉を「透明」にすることで生まれたといい、大塚氏は、キャラクター小説はその過程で抑圧された可能性の回帰であるといいました。つまりキャラクター小説の誕生によって言葉は再び「透明」でなくなったことになります。しかしそれは単純に「不透明」に戻ったということではありません。
 
キャラクター小説を規定する「まんが・アニメ的リアリズム」は漫画表現のそのまた模倣として作られた言語であることから、ここにもまた漫画表現における記号的-身体的な両義性が抱え込まれることになります。すなわち、キャラクター小説は不透明で非現実的な表現でありながらも、現実に対して透明であろうとする矛盾が抱え込まれた言語で作られているということです。
 
そこで東氏は前近代の語りの言葉が「不透明」で、近代の自然主義文学の言葉が「透明」だという柄谷氏の比喩を拡張して言えば、キャラクター小説の文体は、近代の理想を前近代的な媒体に反射させ、その結果を取り込んだという屈折した歴史のゆえに「半透明」の言葉ではないかといいます。
 

* 現実の乱反射

 
この点、東氏はこのような「半透明」な言葉に支えられた想像力の範例として、ゼロ年代初頭に一世を風靡した「セカイ系」という想像力を挙げています。
 
ここでいう「セカイ系」とは主人公やヒロインの平凡な日常的関係を社会や国家のような中間項を介在させることなく「世界の危機」「この世の終わり」といった非日常的大問題へ直結させる想像力を指しています。このような日常と非日常を直結させるという一見荒唐無稽なセカイ系という想像力は、身体を持ちながら記号的であり、人間でありながら人間ではない曖昧な存在としてのキャラクターを描き出すことのできる「半透明」な言葉によって成立するということです。
 
すなわち、氏がいうように「まんが・アニメ的リアリズム」は、現実から完全に遊離しているのではなく現実に「半分」だけ接しており、そしてその「半分」こそが「自然主義的リアリズム」の文体では不可能な日常と非日常が隣接した独特の作品世界を可能にするわけです。
 
そして氏はキャラクター小説における文学的な可能性とは、現実を自然主義的に描写することではなく「透明」の言葉を使うと消えてしまうような現実を発見し、そのような現実を「半透明」の言葉を利用して、非日常的な想像力の上に散乱させることで炙り出すような、屈折した過程にあると考えられないかと述べ、キャラクター小説の魅力を、非現実的なキャラクターによる「現実の乱反射」に見出したいとしています。
 

* 自然主義的現実とデータベース的現実

 
このようにライトノベル(=キャラクター小説)で駆使される「半透明」な言葉とは「自然主義的現実」ではない現実を、いわば「データベース的現実」を写生する言葉であるといえます。そして今やライトノベルというジャンルに限らず文芸一般でも、このようなデータベース的現実に依拠した作品が多数見受けられます。
 
例えば2019年に「むらさきスカートの女」で161回芥川賞を受賞した今村夏子氏の文体は、平明でありながらもどこかある種の「不穏さ」を孕んでいます。この「不穏さ」の正体をあえて註釈するのであれば、それはおそらく精神病理学でいう「自明性の喪失」と呼ばれる状態に近いでしょう。
ここでいう「自明」とは、わざわざ証明したり深く考えたりする必要がないことを言いますが、なぜ「自明」なのかはよく考えれば別段はっきりとした根拠があるわけでもなく、ひとたび何らかの原因でこの「自明」が失われた時、我々はあらゆる事物の根拠をいちいち問い直さないといけなくなり、世界は我々の前に謎に満ちた異様な場として立ち現れてくることになります。
 
そして、このような「自明性」に満ちた世界と「自明性」を失った世界の対置は、自然主義的現実とデータベース的現実の対置に相当します。すなわち、今村作品における文体はデータベースにより構築された現実を自然主義的に写生するという「半透明」の言葉によって成り立っているのではないでしょうか。
 
こうした意味で「むらさきスカートの女」をはじめ「こちらあみ子」や「星の子」といった多くの今村作品では「透明」の言葉からは決して捉えることのできない「現実」を「半透明」の言葉によって捉えた「現実の乱反射」の中に映し出しているように思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

哲学と反哲学

 

*「哲学」の起源

 
「哲学」という言葉は直接的には「Philosophy」という英語に由来します。しかしこの「Philosophy」という言葉も元を辿れば「Philosophia」という古代ギリシア語をそのまま引き写したものに過ぎません。そしてこの「Philosophia」という言葉は「philein(愛する)」という動詞と「sophia(知恵ないし知識)」という名詞の組み合わせから成り立っています。従って「Philosophia=哲学」という言葉はもともと「知を愛すること=愛知」という意味に由来します。そしてこの「Philosophia=哲学=愛知」という言葉を最初に用いたのが古代ギリシアの哲学者、ソクラテスです。
 
ソクラテスが生きた当時のギリシア都市国家アテナイでは過度に発達した民主政の下で「ソフィスト」と呼ばれる知識人たちが選挙や裁判に勝つための詭弁術を金持ちの子弟に教えていました。こうした時代においてソクラテスは市民が詭弁を弄して各々の権利を主張することで民主政が衆愚政治と化し、アテナイが精神的共同体としての統一性を失うことを危惧しました。そこで彼はいわば民主政治のイデオローグともいうべきソフィストたちに挑戦することを決意します。そして「Philosophia」という抽象名詞もこうしたソクラテスの挑戦の中で持ち出されたものでした。
 
この点、ソクラテスによれば「Philosophia」とは、己の無知の自覚の上で知を愛し求める「無知の知」としての営為です。すなわち、ソクラテスは自らを「愛知者=哲学者」と規定することで、ソフィストとの論争において絶対に敗れることのない立場を確保しようとしたわけです。
 
当時のアテナイではこうしたソクラテスの戦略を「エイローネイアー」を呼びました。これがのちに「アイロニー(皮肉)」と呼ばれる言葉の由来となります。つまり「哲学」とは、元々はソフィストを嘲弄するための「アイロニー(皮肉)」の技術として登場したわけです。
 

* ソクラテスアイロニーは何を否定したのか

 
このようにソクラテスアイロニーを駆使して徹底的に否定したものとは当時のギリシア人が常に暗黙の前提としていた「自然(フュシス)」に依拠した世界観です。ここでいう「自然(フュシス)」とは今日の自然科学的対象としての自然ではなく、人間や国家や神々をさえ含めた存在者の真の「本性」を意味しています。「フォアゾクラティカー」と呼ばれるソクラテス以前の思想家たちの思索はこの「本性」たる「自然(フュシス)」の究明に向けられていました。
 
この点「自然(フュシス)」という言葉は「生成する(フュエスタイ)」という動詞に由来することから、おそらく古代ギリシアの思想家達は存在者の全体を、それぞれが何らかの〈生成〉の原理を内蔵した「成る」ものとしての「生きた自然」と見ていたと考えられます。
 
すなわち、彼らにとっての「自然」とは昼夜の交代や四季の移ろいから国家の命運や神々の諍いなどに至る世界の運動すべてを支配する根源的な原理であったと考えられます。このような古代ギリシアの世界観を今日では「自然的存在論」と呼びます。
 
ところがその後、ソフィストらの時代になると、その関心は「本性」としての「自然」の探求ではなく、むしろ「本性」に対する「仮象」であるところの現実社会(ノモス的世界)における利益の最大化に向けられてしまいました。ソクラテスアイロニーはこのような堕落した「自然的存在論」に鋭く向けられていたわけです。
 

* イデアと制作的存在論

 
ソクラテスが堕落した「自然的存在論」を駆逐した哲学者なのだとすれば、彼の弟子であるプラトンは従来の「自然的存在論」に代わる新たな存在論を立ち上げた哲学者といえます。そしてこのプラトンが立ち上げた新たな存在論の枢要に位置するのが「イデア(idea)」という概念です。
 
ここでいう「イデア」とは、言うなれば「たましいの眼」によってのみ洞察可能な事物の本来的で純粋な「すがたかたち」を意味します。この点、プラトンは全ての事物にイデアを認め、さらには物の性質や関係に関しても「正しさのイデア」とか「美しさのイデア」といったものを考えました。そしてプラトンはこの現実世界を超えたところにあるイデアだけで構成される「イデア界」を想定し、現実世界における全ての事物はこのイデア界から借用してきた「形相(エイドス)」と自然界の「質料(ヒュレー)」との合成物であり、その存在を左右するのはあくまで「形相」であり「質料」ではないと考えました。
 
こうしたプラトンの立ち上げた新しい存在論はいわば全ての個物はイデアという設計図に基づいて「製作」されたものであるという「制作的存在論」とでも呼ぶべきものです。そして従来の「自然的存在論」における「本性」としての「自然(フェシス)」はプラトンの「制作的存在論」においては単なる制作材料としての「物質」に格下げされることになります。
 

* 世界の究極の目的

 
もっとも本来無構造な質料がイデア由来の形相によって構造化されるというプラトン存在論は建物や道具などの制作物の存在構造は上手く説明できますが、もともとそれ自体が形相なのか質料なのかよくわからない自然物の存在構造には馴染みにくい難点があります。その意味でプラトンの制作的存在論ギリシア伝来の自然的存在論と真っ向から対立するものでギリシア人にとっては「異国風」と思われました。
 
そこでプラトンの弟子のアリストテレスは制作物にしか適用できない「形相」と「質料」というプラトン存在論のカテゴリーを修正して、自然的存在者にも適用できるものにしようと試みます。つまりプラトンの制作的存在論の行き過ぎを巻き戻してギリシア伝来の自然的存在論との調停を図ろうとしたわけです。
 
この点、プラトンは「形相」と「質料」の関係を切り離していましたが、アリストテレスは「質料」はそれぞれなんらかの「形相」を可能性として含んでいる「可能態(デュナーミス)」であると考え、そしてその可能性が現実化された状態を「現実態(エネルゲイア)」と呼びます。つまりアリストテレスは「質料-形相」という図式を「可能態-現実態」という図式に組み替えるわけです。
 
こうしてアリストテレスは自然物であれ制作物であれ全ての存在者は「可能態」から「現実態」へ向かう運動のうちにあると考え、その運動が目指している目的(テロス)をアリストテレスは「純粋形相」とか「神」と呼びます。この「純粋形相」とは己の含む全ての可能性を現実化し尽くした、もはや現実化されていない可能性を全く残していない「不動の動者」というべき存在であり、他の全ての存在者の運動を己へと引き寄せる世界の究極の目的とされる存在です。
 
この意味で純粋形相はもはや一切の生成消滅を免れている超自然的な存在であり、その限りでプラトンイデアと同質ということになります。すなわち、プラトンイデア論アリストテレスは批判的に継承したといえます。
 

*「哲学=形而上学」の鳴動

 
そして、このようなアリストテレスが確立した思考様式は「第一哲学」と名付けられ、後世において「形而上学」と呼ばれることになります。すなわち「自然」の外部に「超自然的原理=形而上学的原理」を設定し、これを参照しながら「形而下」としての「自然」を理解しようとする思考様式です。
 
こうしてソクラテスプラトンアリストテレスというギリシア古典時代における3人の思想家の下で「形而上学=哲学」という思考様式が鳴動を始めます。そしてその「超自然的原理=形而上学的原理」は、その時々の時代ごとに「イデア」「純粋形相」「神」「理性」「絶対精神」などと、その呼び名を変えてゆくことになりますが、この思考パターンそのものは、その後多少の修正を受けながらも一貫して受け継がれ、近代ヨーロッパ文化形成の基本的構造を描いていくことになります。
 
また、このような形而上学的思考様式の下では自然とはそれ自体では非存在であり、超自然的原理の側から形成され構造化されることで初めて存在者となりうるという「物質的自然観」が取られることになり、この「物質的自然観」が近代になると数学的表現によって量的に規定可能な「機械論的自然観」となり、近代自然科学の発展を基礎付ける事になります。
 
さらに、プラトンが区別した「形相」によって規定される存在(「…デアル」という意味での存在)と「質料」によって規定される存在(「…ガアル」という意味での存在)はアリストテレステレスの下で「それが何であるかという存在(ト・テイエ・エステイン)」と「それがある(かないか)という存在(ト・ホテイ・エステイン)」という言葉で概念化され、この二つの存在概念はのちの中世のスコラ哲学において「本質存在(エッセンティア)」と「事実存在(エクシステンティア)」の区別へ引き継がれます。こうして「存在」という概念は「ある」という単純性を失い「本質存在(デアル)」と「事実存在(ガアル)」に分岐し、そこでは概ね前者が後者に優越するという構図が想定される事になります。
 

* 形而上学的思考様式の完成形としての「近代理性主義」

 
普通「哲学」というと世界と人間に関する普遍的な知をイメージしたりするわけですが、こうしてみると実際のところの「哲学」とはヨーロッパという一地域にたまたま生じた「形而上学」という特殊な思考様式に過ぎないわけです。そしてこの形而上学的思考様式の完成形が「近代理性主義」です。
 
人間の歴史における「近代」を創建した哲学者がルネ・デカルトであり「近代」を確立した哲学者がイマヌエル・カントであるとすれば「近代」を完成させた哲学者がゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルということになるでしょう。デカルトが神の後見の下に見出した神的理性は、カントによって神から切り離された人間理性へと純化され、ヘーゲルの下で絶対的自由を獲得した超越論的主観へと昇華されます。
 
この点、ヘーゲルは晩年の著作となる「法哲学講義(1821)」において「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というテーゼを掲げています。すなわち、理性の認めるものだけが現実に存在する権利を持つ以上、現実に存在する全てのものは理性的であり、理性によって隈なく認識可能となり合理的に制御可能となるということです。こうしてヘーゲルはいまや人間はついに世界を統べる理性を獲得したことを力強く宣明して「近代理性主義」の完成を寿ぐ凱歌を上げました。
 

* 近代理性主義批判と「生きた自然」の復権

 
ところがヘーゲルが歿した1830年代前後からフランス革命に対する失望や急速に拡大しつつあった技術文明社会への懸念を背景として近代理性主義に対する批判が様々な角度から展開されるようになります。
 
例えばかつてのヘーゲルの盟友でもあったフリードリヒ・シェリングは長らくヘーゲルの盛名の影で不遇をかこっていましたがヘーゲル歿後に表舞台に返り咲き、近代哲学を事物の「本質存在」だけを問題する「消極哲学」であると批判し、近代哲学が目を背けた事物の「事実存在」を根源的に問い直す「積極哲学」を展開しました。また当時、ヘーゲル哲学に疑念を抱えながら悩み多き青年期を過ごしていたセーレン・キルケゴールシェリングの講義に触発される形で事実存在としての自分自身の「実存」を軸とした独自の思索を深め「死に至る病」をはじめとした実存主義の先駆けとなる著作を多数残しました。同じく当時、急進的な論客として頭角を現しつつあったカール・マルクスは従来の機械論的唯物論ヘーゲル的観念論を統合した自然主義人間主義的立場に立脚し、資本主義社会において疎外された労働者が本来的人間性を取り戻すための新たな唯物論を打ち出しました。
 
こうした中で近代理性主義=形而上学思考様式の限界を乗り越えようとする新たな思想をもっとも壮大なスケールで立ち上げたのがあの「神は死んだ」という警句で知られる19世紀の思想家、フリードリヒ・ニーチェです。
 
ニーチェは当時のヨーロッパを覆っていた雰囲気を「心理的状態としてのニヒリズム」と呼んでいます。そしてニーチェはいまやヨーロッパ文化全体を覆うニヒリズムの原因は一時的な時代のモードではなく、ヨーロッパ社会を長らく支配してきた形而上学的な思考様式が限界に突き当たったことによるとして、この事態を極めて端的に「神は死んだ」と宣明します。
 
そしてニーチェニヒリズムの克服のためには「神」とか「理性」といった形而上学的原理に一切頼ることなく、この世界における現実がそれ自身で有している意味や価値をありのままに積極的に肯定し、形而上学的原理により「物質」に貶められる以前の、それ自身のうちに〈生成〉の原理を内包した「生きた自然」から全ての存在者を基礎付ける新しい存在論が必要なのだと考えました。すなわち、ニーチェの提出した「力への意志」や「等しきものの永遠回帰」といった有名な概念はまさにこれまでの形而上学的思考が覆い隠してきた「生きた自然」の復権を企図するものであったといえるでしょう。
 

* 哲学と反哲学

 
そして20世紀に入り、このようなニーチェの描いた構想はマルティン・ハイデガーによって緻密に理論化されることになります。ハイデガーは「哲学=形而上学」という知がヨーロッパという一地域における特殊な思考様式であることを徹底的に跡付けて、この思考様式の必然的帰結が現代の科学至上主義であるとして、今日の原子力を始めとする巨大技術文明の先行きへの懸念から、今やこの「哲学」と呼ばれてきた思考様式の克服が急務なのであると主張しました。そしてハイデガーの影響を受けた現代思想の潮流の中で「哲学」という名の知は、もっぱら「乗り越えるべき対象」として見做されるようになりました。
 
このような意味で「哲学の批判」「哲学の解体」を目指す現代的志向を木田元氏は「反哲学」と呼びます。
 
「反哲学」とは「哲学=形而上学」によって「物質」に貶められてしまった「生きた自然」のいわば復権運動ともいえます。こうして考えると反哲学的な思考は日本的ないし東洋的感覚にむしろ馴染み深いものがあるのではないでしょうか。例えば古事記の最古層には「葦牙の萌え上がるごとく成る」という記述が見られますが、このような自然観を古代日本では〈ムスヒ〉と呼んでいます。高御産霊神などの神名に含まれる〈ムスヒ〉とは「苔ムス」「草ムス」などいう場合の「ムス」と原理を意味する「ヒ(霊)」が結合した言葉です。おそらく古代日本人もまた、ありとしあらゆるものを〈ムスヒ〉という「生きた自然」として捉えていたと思われます。
 
そして木田氏はこのような「反哲学」の立場から見た「哲学」の歴史はこれまでとは違って見えてくるに違いないと述べています。こうしたことから、もし「哲学」に興味はあるけれど、その敷居の高さを感じるのであれば、むしろ「反哲学」という批判的な視点から「哲学」に入門してしまうのもひとつの手であるといえるかもしれません。
 
 

最終兵器に花束を--世界の果てには君と二人で(高橋しん)

 

* 戦後日本的なアイロニズムとしての「セカイ系

 
戦後日本を代表する批評家である江藤淳氏は、その主著「成熟と喪失」において当時の文学的潮流のひとつを成していた「第三の新人」と呼ばれる作家たちの作品を題材にして、伝統的に母性原理が強いとされる日本社会における「成熟」の条件を論じています。氏は「第三の新人」を代表する作家の1人である安岡章太郎氏の小説「海辺の光景」は近代社会に直面した「母」の動揺と崩壊を描き出した作品であるとして、ここから戦後日本社会における「成熟」の条件とは「(母を見棄てたことによる)喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの悪を引き受けること」であると主張します。
 
そして氏はこうした「悪」を引き受ける「成熟」の主体を「治者」と呼び、やはり「第三の新人」を代表する作家の1人である庄野潤三氏の小説「夕べの雲」に「治者の文学」を見ることになります。同作の主人公はすでに「母」が崩壊してしまった世界であたかも「父」である「かのように」日々を生きています。この点、伝統的に父性原理の強い西欧社会における「成熟」とは「父=近代的市民」になる事を指しています。けれども江藤氏のいう「成熟=治者」とは「父=近代的市民」になるのではなく、むしろ「母=前近代的世界」を見棄てるという「悪」を引き受ける事で、あたかも「子」が「父」である「かのよう」に振る舞う事をいいます。
 
こうした氏の成熟観には、たとえそれが無意味である事を知りつつ「あえて」それを行う事に美学を見出すという戦後日本的なアイロニズムのひとつの変奏曲を見出す事ができるでしょう。そして、こうした戦後日本的なアイロニズムゼロ年代のオタク系文化において一世を風靡した「セカイ系」という潮流においてもまた見事に反復されているといえるでしょう。
 

* セカイ系という言葉の起源

 
セカイ系」という言葉が初めて公に用いられたのは2002年10月31日、ウェブサイト「ぷるにえブックマーク」の掲示板に投稿された「セカイ系って結局なんなのよ」というタイトルのスレッドだとされています。
 
そこで管理人のぷるにえ氏は「セカイ系」とは「エヴァっぽい作品」に、わずかな揶揄を込めつつ用いる言葉であるとし、これらの作品の特徴として「たかだが語り手自身の了見を「世界」などという誇大な言葉で表現したがる傾向」があると述べています。
 
そして、ここでいう「エヴァ」というのは、言うまでもなく、あの「新世紀エヴァンゲリオン」のことを指しています。TV放映開始当初のエヴァは「究極のオタクアニメ」としてスタートしました。細かいカット割りや晦渋な言い回しの台詞の随所に垣間見える、宗教、神話、映画、SF小説からの膨大な引用。このようなカルト的世界観はいわゆる「オタク」と呼ばれる人々の知的欲求ないし快楽原則を最大限に刺激するものでした。ところが後半、エヴァの物語は破綻をきたして行きます。映像の質は回を追うごとに落ちて行き、それまでに撒き散らされた「アダム」「リリス」「人類補完計画」といった謎への回答は完全に放棄され、物語の視点は登場人物の内面に移って行きます。
 
エヴァ終盤で描かれたのは、庵野秀明自身の「自意識の問い」そのものであったと言われています。すなわち、エヴァは終盤で、唐突に「究極のオタクアニメ」から「オタクの文学」に転向したわけです。このような転向は当然オタク層から激しい論難を浴びせられる事になります。けれども皮肉にも「オタクの文学」としてのエヴァの内省性は一般層への幅広い共感を呼び、エヴァは社会現象となりました。
 
端的に言えば「セカイ系」とは、このエヴァ後半で前景化した「自意識の問い」への返歌であるということになります。つまり、巨大ロボット、戦闘美少女、ミステリーといったオタク系文化におけるジャンルコードの中で「〈私〉とは何か」「〈世界〉とは何か」という「自意識の問い」を過剰に語る作品群こそが本来的な「セカイ系」と呼ばれるものになります。
 

* セカイ系の再定義

 
このように「セカイ系」とは、もともとはエヴァ後半で前景化した「自意識の問い」に焦点を当てた一人語りの激しい作品を指していました。ところがゼロ年代中盤以降、文芸批評の分野において注目を集めた「セカイ系」は次のように再定義されることになります。
 
「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(きみとぼく)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的大問題に直結する作品群」
 
批評家の東浩紀氏らが中心となり発刊された同人誌「美少女ゲームの臨界点(2004)」によるこの有名なセカイ系の定義は、東氏の主唱する「象徴界の失墜」という理論に対応しています。すなわち、現代思想に大きな影響を及ぼすフランスの精神分析家、ジャック・ラカンは人間の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(言語領域の外部)」という三つの位相で捉えていますが、東氏によれば「大きな物語」が失墜したポストモダン状況が加速する現代においては、このラカンにおける「象徴界」の機能が失調しており、あたかも「想像界」と「現実界」が直結したかのような感覚が強くなっているということです。東氏は次のように述べます。
 
僕たちは象徴界が失墜し、確固たる現実感覚が失われ、ニセモノの満ちたセカイに生きている。その感覚をシステムで表現すればループゲームに、物語で表現すればセカイ系になるわけだ。
 
 (「美少女ゲームセカイ系の交差点」より)

 

要するに、ここでセカイ系は「組織」とか「敵」といった「世界観設定(象徴界)」を積極的に排除して「ヒロイン(想像界)」と「世界の果て(現実界)」を直結させる構造として再定義されることになります。そしてこうした構造の下では主人公の実存はヒロインの母権的承認によって担保され、主人公の「自意識の問い」はヒロインを--すなわち「母」を--救えない己の無力さへと向けられることになります。
 
ここにはまさしくあの「(母を見棄てたことによる)喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの悪を引き受けること」という江藤氏の規定した成熟の条件が見事なまでに表れています。言うなればセカイ系とは極めて戦後日本的成熟観を引き継いだ想像力であり、その本質は到達不可能な「世界の果て=外部」を仮構し、その周囲をひたすら空回りし続ける否定神学的な欲望にあるといえるでしょう。
 

* 最終兵器彼女

 
最終兵器彼女」という作品は、このようなセカイ系を象徴する不朽の名作の一つに位置付けられています。高橋しん氏により2000年1月から2001年10月まで「ビッグコミックススピリッツ」で連載された同作はTVアニメ、OVA、ゲーム、実写映画といったメディアミックスを通じて幅広い支持を獲得し、現在、単行本発行部数は400万部を突破しています。
同作のあらすじはこうです。北海道の高校に通うシュウジとちせは、ほんのちょっとした偶然からカップルになってしまい、付き合うといっても何をしていいのかわからず、無理に恋人同士を演じようとして却ってぎくしゃくしてしまう。けれども二人はお互い本音を吐露し、改めて「好きになっていこう」と歩み寄っていく。しかしその矢先、札幌に現れた謎の爆撃機の大編隊が都市部へ無差別空爆を行い、10万人以上の死者、行方不明者が発生する。その惨劇の最中、シュウジは戦場で身体から金属の翼と機関砲を生やしたちせと遭遇する。そう、果たしてちせの正体は世界の命運を握る「最終兵器」であった。
 
同作最大の特徴は登場人物が吐露する極めて繊細な心理描写にあります。同作では時にページを埋め尽くすほどの濃密なモノローグが展開され、そこでは「生きていく」「恋していく」という人の生の営みの根源が繰り返し問われていきます。しかし、その一方で本作の「戦争」の目的や「敵」の正体などについては一切説明がなく、また、ちせの最終兵器としての技術的メカニズムもほとんど不明なままです。要するに「世界観設定」の構築が完全に放棄されているのも本作の特徴です。
 
激しい自意識語り、少女と世界の直結、世界観設定の排除。こうした点で言えば、本作はセカイ系という概念に極めて忠実な作品と言えるでしょう。そもそも「最終兵器(現実界)」と「彼女(想像界)」を並置させたそのタイトルがすでにセカイ系の本質を正面から名指しています。
 
もっとも「セカイ系」という言葉が一般化したのは2002年以降であり、本作が連載されていたのはそれ以前の2000年から2001年の間であることから、本作はセカイ系を代表する作品というより、むしろセカイ系という概念を産み出した作品の一つと呼ぶ方が正確なのかもしれません。
 

* セカイ系=引きこもり? 

 
本作を含むセカイ系作品が一斉を風靡した背景には当時の時代状況というものを考えるべきでしょう。90年代後半からゼロ年代初頭という時期、就職氷河期は長期化し、戦後日本を曲がりなりにも支えていた終身雇用や年功序列といった昭和的ロールモデルも破綻の兆しを見せ始めていました。すなわち、従来のような意味での「父」となることが難しい時代になったということです。こうした時代の転換により実存的不安に曝されることになった人々は、ひとまず「母」の承認の下でその実存を確保しようとしました。ある意味でセカイ系とは時代の急性期を乗り切るための処方箋として機能していたともいえるでしょう。
 
そして、こうしたセカイ系作品に対してクリティカルな批判を提出したのが宇野常寛氏のデビュー作「ゼロ年代の想像力(2008)」です。氏は同書において「新世紀エヴァンゲリオン」に代表される想像力は90年代後半における社会的自己実現への信頼低下を背景とした「引きこもり/心理主義的」な「古い想像力」であり、ゼロ年代においては米同時多発テロ構造改革路線による格差拡大といった社会情勢を背景として、いまや「引きこもっていたら殺される」という「サヴァイヴ感」を反映した「開きなおり/決断主義的」な「新しい想像力=ゼロ年代の想像力」が台頭していると主張します。
 
こうした枠組みを前提として、氏はゼロ年代初頭に花開いた「セカイ系」とはいわば「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」というべき時代遅れの想像力であると断じ去り、安易な母性的承認に引きこもるだけのセカイ系でもなく、究極的には無根拠の正義を振りかざして不毛な動員ゲームを繰り広げるだけの決断主義でもない「ポスト決断主義」の想像力こそがいま求められていると論じます。
  

* シュウジとちせの「サヴァイヴ感」

 
確かに宇野氏の指摘の通り、セカイ系とは今や乗り越えられた一つのジャンルであることは疑いないでしょう。けれどもその一方で「セカイ系」という言葉が流通する以前の作品である本作はセカイ系一般には収まりきれないある種の「過剰さ」をも抱え込んだ作品でもあります。
 
例えば同作の後半、シュウジとちせは故郷を離れて、海の見える街で暮らし始めます。そこでちせはラーメン屋、シュウジは漁協で大人達に混じって泥まみれになって働き、日々の生計を立てていく姿が仔細に描き出されます。「戦争」という非日常が二人の日常を侵食していき、徐々にちせが人格崩壊を起こしていく中で、二人は最後の最期のぎりぎりまで日常の側に留まりに「戦争」という非日常に抗おうとしていました。こうした過酷な現実と格闘する二人の姿は「セカイ系=引きこもり」というイメージからは最も遠い姿であるといえるでしょう。
 
ここにはまさに宇野氏のいう「引きこもっていたら殺される」という「サヴァイヴ感」が全面的に打ち出されています。そういった意味で同作は「世界の果て=外部」を仮構する想像力に依拠しつつも、その一方でいわば「世界の片隅=内部」で格闘する想像力をも胚胎させていたといえます。
 

*「その後」を描いた物語

 
そして本編の連載終了から5年後に公刊された短編集「世界の果てには君と二人で」では、まさにこの「世界の片隅=内部」で格闘する想像力をもって「世界の果て=外部」を仮構する想像力に抗っていく光跡を見出す事ができます。
 
まず本編の連載終盤に執筆された一つ目の短編「世界の果てには君と二人で。あの光が消えるまでに願いを。せめて僕らが生き延びるために。この星で。」では、ちせが戦場に飛んで行く瞬間を偶然一緒に見た中学生の男子と女子の小さな物語が描かれます。その不自然なまでに長大なタイトルが示すようにセカイ系的自意識に極めて自覚的な同作では、そのバカバカしさを承知の上で「世界の果て=外部」をあえて仮構することで「世界の片隅=内部」を生き抜いていく想像力が打ち出されています。
 
次に本編の連載が終了した翌年に執筆された二つ目の短編「LOVE STORY ,KILLED.」では、とある兵士と女子高生の交流とその末路が兵士の「お守り」である「銃弾」の視点から語られます。ここでは「世界の果て=外部」なき「世界の片隅=内部」における端的で無惨な現実が描き出されます。
 
そしてこの短編集が公刊された年に執筆された三つ目の短編「スター★チャイルド」はなんと本編の「その後」を描いた物語です。
 

*「セカイ」から「せかい」へ

 
世界が滅びた後、生き残った僅かな人類は争いを亡くし武器を棄て、かつての最終兵器であったちせを破壊の神と畏れ奉り、地底の「セカイ」で細々と暮らしていました。そして、この星の中で子ども達は神の名をもつ御子「ちーちゃん」、鬼っ子と呼ばれて蔑まれた「あーちゃん」、唯一の男の子で御子の許嫁の「マーちゃん」の3人しかいません。
 
ある日「ちーちゃん」が死に、やむなく最後の御子として「あーちゃん」が選ばれます。御子に選ばれる事は死を意味することを直感した彼女は偶然起こった地震に乗じて地底の「セカイ」から逃走し、神の偶像である一振りの剣を片手に追いかけてくる大人達を皆殺しにします。
 
こうして、この星に存在する人間は「あーちゃん」と「マーちゃん」の二人きりとなりました。そして光の射す大地の割れ目を通じて二人が地底の「セカイ」から外の「せかい」に出たその時に「あーちゃん」は神の御名「チセ」を名乗り、再びこの星に「人」が生まれることになりました。
 
この短編では「セカイ」と「せかい」という言葉が明確に書き分けられています。すなわち、ここには「世界の果て=外部」を仮構する「セカイ」を内破して「世界の片隅=内部」しかない「せかい」の歴史をゼロから紡ぎ始めるという想像力を見出すことができるでしょう。そういった意味でこの短い後日譚は最終兵器彼女という作品自体にある種の救いをもたらすと同時に、同作を規定し続けてきた「セカイ系」という呪縛を自ら乗り越えようとした作品であるように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「よその家の事情」に向き合うということ--夕凪の街 桜の国(こうの史代)

 

* 昭和20年8月6日午前8時15分

 
その時、アメリカ合衆国戦略爆撃機B29エノラ・ゲイ号から投下された原子爆弾リトル・ボーイは広島市の高度567メートルの上空で炸裂し、晴れ渡った夏の空に巨大な火球を顕現させました。その刹那、凄まじい熱線と爆風が解き放たれ、その爆心点から半径2キロメートルまでの市街地ほとんど全てを一瞬で壊滅させました。
 
そして言うまでもなく原子爆弾が通常兵器と決定的に異なる点は炸裂時に大量に放出される放射線のもたらす広範囲かつ長期間におよぶ被害にあります。爆発後1分以内に放出された初期放射線により、爆心地から1キロメートル圏内の被爆者の多くが即死か数日のうちに死亡し、爆心地から5キロメートル圏内の被爆者の多くも吐き気、食欲不振、下痢、頭痛、不眠、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、発熱、口内炎、白血球・赤血球の減少、月経異常などといった急性放射線症を発症しました。
 
そして原爆の高熱によって生じた「キノコ雲」と呼ばれる原子雲は広島市西北部の広範囲の地域に放射性物質を多量に含んだ「黒い雨」を降らせて被害をさらに拡大させました。また、原爆投下後の10数日の間に救護活動などのため広島市に入市した多くの人々が市中の残留放射線がもたらす被害に遭う事になりました。
 
この点、広島市の推計によれば昭和20年12月末時点で約14万人が原爆被害により死亡したとされています。しかし原爆被害はこれだけの範囲にはとどまりません。放射性を多量に浴びた被爆者の多くが数年後には高確率で白血病やがんを発症していた事が後の調査で判明しています。また辛うじて生き残った多くの被爆者にしても、火傷跡に出来たケロイドをはじめとする様々な身体疾患やサバイバーズ・ギルトあるいはPTSDに相当する精神疾患に、あるいは「ピカ」という蔑称に象徴される社会的差別に長年悩まされ続けました。
 
そして被爆時に母胎内にいた子どもにも出生後「胎内被爆」による小頭症や発育遅延などの障害が多数確認されており、さらに一部の研究では、被爆後に妊娠した子である「被爆二世」も少なくとも臨床統計上は健康に関する遺伝的影響を否定できないという意見がみられます。こうした意味で原爆被害はいまだ終わらないアクチュアルな問題であり続けているといえます。
 

* 原爆は「よその家の事情」だった

 
こうした世代を超えて続く原爆被害に光をあてた作品である本作「夕凪の街 桜の国」は2016年に映画化され大きな反響を呼んだ「この世界の片隅に」の原作者、こうの史代氏による連作漫画です。広島原爆を題材とした本作は2004年に単行本が公刊され、同年の第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と、翌年の第9回手塚治虫文化賞をダブル受賞し、こうの氏にとっての出世作となりました。
 
本作の「あとがき」でこうの氏は「広島の話を描いてみない」と編集者から言われた時、最初は「やった、思う存分広島弁が使える!」と喜んだのも束の間で、編集者のいう「広島」があの「ヒロシマ」という意味であることに気づき、すぐに「しまった」と思ったと書いています。
 
こうの氏自身は広島市出身ではあるものの被爆者でも被爆二世でもなく、周囲に被爆体験のある親戚もおらず、原爆はどこまでも「よその家の事情」であり「怖いということだけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた」そうです。けれども同時に漫画家になるために上京後、出会った多くの人達が原爆の惨禍についてほとんど知る機会に恵まれていなかった事に思い至り、本作の執筆を決意します。こうの氏は次のように書いています。
 
だから、世界で唯一の(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」も含めて)被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、私が広島人として感じていた不自然さよりも、もっと強いのではないかと思いました。遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。
 
夕凪の街 桜の国「あとがき」より)

 

* 夕凪の街

 
1955年の広島を舞台にした「夕凪の街」のあらすじはこうです。主人公、平野皆実は原爆で父と妹と姉を亡くし、現在は建設会社に勤めながら「原爆スラム」と呼ばれるバラックが建ち並ぶ集落に母、フジミと二人で暮らしています。疎開中で被爆を免れた弟、旭は伯母夫婦に養子に出され、時折葉書を送ってくる程度の疎遠な関係になっています。
 
皆実は10年前の被爆体験を自らのうちで反復するうちに、自分が「死ねばいい」と他人から思われても仕方のない人間になったしまったと思い詰めています。そんなある日、皆実は日頃何かと親しくしていた同僚の打越から好意を打ち明けられますが、たちまち何処からか「お前の住む世界はそっちではない」という「誰かの声」が聞こえ、あの8月6日の「何人見殺しにしたかわからない」おぞましい記憶が蘇り懊悩します。
 
こうした描写から皆実はいわゆるサバイバーズ・ギルドとPTSDを患っていたように思われます。けれども皆実は何とか意を決して「うちはこの世におってもええんじゃと教えてください」と打越に告げ、10年前の原爆体験を話し始めます。そして打越は皆実の過去を受け止め「生きとってくれてありがとうな」と彼女の居場所を肯定します。こうして二人が新しい人生のスタートを切るかと思われた矢先、皆実は原爆症を発症して死んでいきます。
 

* 原爆文学の系譜における本作

 
原爆を描いた漫画でもっともよく知られている作品はやはり何といっても「はだしのゲン(1975)」でしょう。広島原爆の被爆者でもある中沢啓治氏の手がけた同作は1973年6月から「週刊少年ジャンプ」で連載され、紆余曲折の末に汐文社から刊行された単行本が大江健三郎氏の激賞を受けて俄に世の注目を集めることになりました。
そして同作はジャンプでの連載終了後も「市民」「文化評論」「教育評論」と掲載媒体を転々としながらも連載を継続し、1980年には単行本が100万部を突破し、現在でも原爆漫画の金字塔として海外を含めて広く読み継がれています。原爆投下後の地獄絵図を克明に描き出すと同時に反戦平和の理念を高く掲げる同作は戦後日本における原爆文学の正統な系譜に連なる作品といえるでしょう。
 
一方で「夕凪の街」は、原爆文学の系譜でいえば井伏鱒二氏の「黒い雨(1966)」を想起するものがあります。同作は被爆から数年後、広島の山間部の寒村で静かに暮らす閑間重松・シゲ子夫妻とその姪である矢須子の物語です。自身も原爆症を患う重松は矢須子に来た折角の縁談を破談にしないため、被爆時の日記を清書して彼女に原爆症の懸念がないことを証明しようと奮闘していますが、実際に作業を進めていくと矢須子が「黒い雨」を浴びていることが明らかになり、果たして重松の努力も虚しく矢須子は原爆症を発症し縁談は破談となります。
同作は「反戦平和」という時に政治性を帯びてしまうメッセージから一歩引いたところで被爆者の日常を深く丁寧に描き出したことで極めて高く評価されました。同作において病み衰えていく矢須子の姿は皆実の姿と重なります。そして、こうした被爆という現実と向き合いながらも日常を懸命に紡いでいく年若き被爆者の姿に、きっと多くの読み手は心から共感し、寄り添う事になるのでしょう。
 
もっとも「黒い雨」では、重松が奇跡に縋り矢須子の恢復を必死に祈るところで物語は幕引きとなりますが、本作ではここからさらに皆実が死んだ「その後」が描き出されることになります。
 

* 桜の国

 
「夕凪の街」から時を隔てた1987年の東京を舞台とした「桜の国(一)」と2004年の東京〜広島を舞台にした「桜の国(二)」の主人公は皆実の姪にあたる平野七波です。「桜の国(一)」の当時の七波は11歳で、男子に混じって野球チームに所属する活発な少女ですが、弟の凪生は生来喘息がひどく現在も入退院を繰り返していました。
 
ある日、七波は友達の東子を誘って凪生の見舞いに行き、病室で騒いでいたところを、同じ病院に検査を受けに来ていた祖母のフジミ(皆実の母)にこっぴどく叱られて帰宅しますが、父の旭(皆実の弟)はなぜか七波を叱ろうとせず、父に叱る余裕がなかったと七波が気付いたのはだいぶ後になってからでした。その時、実は祖母の検査結果はかなり悪く、その夏に祖母は死んでしまいます。
 
そして「桜の国(二)」で七波は28歳になっており、凪生は研修医になっています。最近の旭は不審な挙動が目立ち、認知症を疑った七波は旭の後をつけていき、その先で偶然、17年ぶりに東子と再開し、二人は旭を追って広島行きの夜行バスに乗り込みます。そして広島への短い旅を通して、胎内被爆がおそらく原因で夭折した母、京花の記憶や自分達被爆二世に対する世間のまなざしなどが詳らかにされていく中で、七波はこれまで見て見ぬふりをしてきた「原爆」の問題と真摯に向き合う事になります。
 

* 現代における原爆という出来事

 
かつてのこうの氏のように、おそらく大多数の人にとって原爆とは「よその家の事情」に過ぎないのかもしれません。この点、本作は原爆という出来事を、遠い昔に起きた悲惨な物語としてではなく、現代に続く現実として描きだします。
 
我々はしばし原爆譚という「よその家の事情」に時折触れることで「可哀想な被害者」に共感し、寄り添う事のできる「優しさ」を自分の中に確認して無自覚的に安心したりするわけですが、この「優しさ」の前提にあるのは「絶対的な被害者」と「絶対的な加害者」がいるという二項対立的な思考です。けれども、ある状況=文脈における「被害者」は別の状況=文脈では「加害者」ともなりうる事だって現実には多々あるでしょう。
 
こうした意味で、本作は被爆者や被爆二世を悲劇性を身に纏ったキャラクター的な実存ではなく、状況=文脈次第で被害者にも加害者にもなりうるモバイル的な実存として描き出し、読み手の持つ「絶対的な被害者/絶対的な加害者」という二項対立に揺さぶりをかけているといえます。そして、こうした本作が描き出す現実は、あの3.11を経由した今、より切実なものとして我々読み手の前に差し出されているといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【書評】日本でいちばん長い日(半藤一利)

* 半藤史学の原点

 
昭和38年6月20日、東京は築地の料亭でとある座談会が開かれました。元内閣書記官長の迫水久常、元陸軍大将の今村均、元陸軍大佐の荒尾興功、元秘書官の鈴木一ら、終戦当時の日本の政界や軍部の枢要にいた錚々たるメンバーが出席し、あの昭和20年8月15日に自分がどこで何をしていたかを回顧するこの座談会の企画と司会を務めたのが後に昭和史の大家となる文芸春秋の編集者、半藤一利氏です。
 
当時、若干33歳の若手編集者であった半藤氏が終戦企画として立ち上げたこの座談会において飛び交った戦争当事者たちによるリアルな証言の数々は同年の「文藝春秋」8月号に掲載され大きな反響を呼びました。そしてその後、この座談会をさらに掘り下げるべく取材を重ねた半藤氏が執筆し、当時の大御所ジャーナリストであった大宅壮一氏の名義を借りて昭和40年に世に問われた本書「日本でいちばん長い日」は「終戦というプロジェクト」を緊迫した筆致で描き出す半藤史学の原点というべき一冊です。
 

* 7月26日から8月14日まで

 
太平洋戦争末期の昭和20年7月26日、時の連合国はイギリス・アメリカ・中華民国の連名で日本に無条件降伏を促すポツダム宣言を発しました。その第一報は27日に日本側へ伝わるも、当時中立国であったソ連に対して和平の仲介を依頼する対ソ工作が水面下で進行していたこともあり、政府はひとまず事態を静観する態度を取る事になります。28日の各朝刊紙は内閣情報局の指令のもとポツダム宣言を発表するも、紙面には「笑止、対日降伏条件」や「聖戦を飽くまで完遂」などという戦意高揚を図る強気の文字が踊り、同日午後4時にはポツダム宣言を「ただ黙殺するだけである」という鈴木首相の談話が発表されました。この時、ポツダム宣言がただの宣言ではなく実は連合国からの最後通牒であることに日本政府は気付いていませんでした。そして8月に入っても肝心のソ連からの回答はなく貴重な時間がただ無駄に過ぎていきました。
 
8月6日早朝、広島市が謎の大規模爆発により一瞬で壊滅したという衝撃的な報が政府中枢へもたらされます。翌7日に米国トルーマン大統領は広島に投下された新型爆弾は戦争に革命的変化を与える原子爆弾であると宣明し、日本が降伏に応じない限り、さらに他の都市へも投下する旨の声明を発表します。これに対して日本軍部側は連合国側のプロパガンダの可能性を捨てきれず、同日午後の大本営発表では新型爆弾については「詳細目下調査中」と述べるにとどまりますが、翌8日には広島の調査団から正式に間違いなく原子爆弾であるという報告がもたらされます。さらに翌9日未明、頼みの綱のはずのソ連が日ソ中立条約を破棄し、満州国朝鮮半島北部、南樺太への侵攻を開始しました。
 
急迫した情勢下で開かれた同日午前の最高戦争指導会議ではポツダム宣言の受諾条件について議論されました。ここでは我が国の国体護持をめぐり⑴天皇の国法上の地位存続のみを条件とする外相案(一箇条案)と、⑴の他にさらに⑵占領は小範囲、小兵力、短期間であること⑶武装解除と⑷戦犯処置は日本人に手に任せることを追加した陸相案(四箇条案)が対立します。阿南陸相はこの4条件なくして国体護持は事実上不可能であると強硬に主張しました。そして議論が紛糾する中、長崎市に2発目の原爆が投下されたという報がもたらされることになります。
 
午後から開かれた閣議でも長時間の議論が尽くされるも意見はまとまらず、鈴木首相の提案により同日深夜に急遽開催された天皇臨席の御前会議でも議論が拮抗したまま日付が変わり、午前2時を過ぎたところでついに鈴木首相は昭和天皇の聖断を仰ぐ事になり、ここに外相案によるポツダム宣言受諾が決定されました。
 
8月10日午前7時、政府は天皇大権に変更なしという条件付きでポツダム宣言を受託する旨の電報を中立国のスイスとスウェーデンへ送付。そして同盟通信が午後7時に流したポツダム宣言受諾の報をアメリカが傍受。アメリカ側の対日回答案(バーンズ回答)は英・中・ソの承認を経て連合国の回答として決定され、11日正午にスイスへ向けて打電されます。
 
日本では12日未明、バーンズ回答を流し始めたサンフランシスコ放送を傍受。「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官にsubject toする」という回答文中の「subject to」という文言をめぐり「制限下におかる」と訳した外務省と「隷属する」と訳した陸軍中央が対立。同日午後の閣議、翌13日午前の最高戦争指導会議、同日午後の閣議において議論は再度紛糾。甲論乙駁が果てしなく続き、ここでも阿南陸相は悲痛な抗議を続け、鈴木首相は再び昭和天皇に聖断を仰ぐことになりました。
 
翌日14日午前10時50分、鈴木首相の策案により昭和天皇の「お召し」という形で最高戦争指導会議構成員と閣僚全員の合同の御前会議が行われ、最後は涙ながらに国体護持を切論する阿南陸相たちを昭和天皇が説き諭すような形で日本の降伏は決まります。そしてここから終戦詔勅玉音放送に向けて「日本のいちばん長い日」が始まることになりました。
 

* 鈴木貫太郎阿南惟幾

 
臨床心理学者、河合隼雄氏は「古事記」や「日本書紀」といった日本神話を手がかりに日本人の精神性は「中空均衡構造」に規定されていると主張します。ここで河合氏のいう「中空均衡構造」とは、西洋近代社会における「垂直統合構造」のようにある特定の原理が全体をすべからく統合するのではなく、相対立する諸原理がその中心にある「空」というある種の無原理をめぐって調和的に均衡している状態をいいます。そして氏はこうした「空」の位置を何かしらの特定の原理が瞬間的に占めたとしても、やがて対抗する別の原理による揺り戻しが起きて、結局その全体は「空」を中心とした均衡に還る事になるといいます。
 
こうした意味で鈴木貫太郎という人は優れて日本的な「中空均衡構造」の力学を熟知したリーダーだったように思えます。鈴木は海軍で連合艦隊司令長官軍令部長を歴任した後、宮中の侍従長となり昭和天皇の信任篤い存在であり、戦況悪化の中での総理就任を打診された鈴木は何度も固辞するも、最終的に昭和天皇に懇願され77歳という高齢を押して総理に就任します。
 
そしてポツダム宣言受諾をめぐる議論が紛糾し、もはや鈴木内閣は対ソ工作失敗の責任を取って総辞職すべきではないかという従来の政治的常識に基づく意見も出る中で、鈴木はこの戦争は自分の内閣で終結させるという確固たる決意の下に流転する時局を冷然と俯瞰し、時には狸芝居を打って周囲を煙に巻きながら議論が熟する時をひたすらに待ち続け、ついには「御前会議による聖断」という奇策をもって徹底抗戦を叫ぶ大本営を老獪に出し抜き「終戦というプロジェクト」を手繰り寄せる事になります。
 
このように「終戦というプロジェクト」における「表の立役者」が時の総理大臣、鈴木貫太郎だとすれば「裏の立役者」こそが時の陸軍大臣阿南惟幾であるといえるでしょう。周知の通り当時の内閣では軍部大臣現役武官制が導入されており軍に都合の悪い議案が決まりそうな時は陸相が辞任して内閣ごと潰してしまうのがこれまでの常套手段でした。けれども阿南は陸軍の立場を強硬に主張する一方で、最後まで決して辞任はしませんでした。というのも当時、陸軍内部では政府転覆を画策するクーデター計画が目下進行中であり、阿南は陸軍の立場を強硬に主張する事で軍の暴発をギリギリのところで抑えていたからです。
 
それゆえに昭和天皇の聖断が降ると一転して阿南は猛り狂う部下達の前に立ちはだかり、不服なものはまず阿南を斬れと言い放ち、今や大義名分を失ったクーデター計画を諌める一方で、終戦詔勅をめぐる閣議では帝国陸軍に栄光ある敗北を与えるため孤立無援の中で毅然とした抵抗を続けました。そして最後は陸軍の代表者としての責任を取り「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」という遺書を残し壮絶な自刃を遂げることになります。
 
こうしてみると鈴木首相がポ宣言をめぐる対立諸勢力の均衡点を終始正確に見極めていたとすれば、阿南陸相は文字通り身命を賭してその均衡点を創り出したともいえます。いわば両者の演じた対立とは「終戦というプロジェクト」において軍を出し抜く役割と抑える役割という役割分担の相違に帰するのではないでしょうか。
 

* 宮城事件

 
本書が描き出す8月14日正午から8月15日正午までの「日本でいちばん長い日」とは「終戦というプロジェクト」をめぐり政府と青年将校が熾烈な攻防戦を繰り広げた24時間のドラマです。陸軍の策動したクーデター計画は結局、阿南陸相らの賛同を得られず空中の楼閣と帰してしまいます。しかし、それでも諦め切れなかったのが軍務局課員、畑中健二少佐と椎崎二郎中佐を中心とする一部の青年将校達です。彼らは宮城を占拠して昭和天皇に「御聖断の変更」を願うという途方もない計画を夢想し、その実行にあたり関係各方面の協力を取り付けるべく奔走します。
 
この点、畑中らの計画の鍵は宮城を警衛する近衛師団の動員にありました。けれども難物として知られる森赳近衛師団長を説得できる可能性は限りなくゼロに近く、その計画はもはや無謀というより暴挙といえるものでした。畑中らの先輩格である井田正孝中佐はその心境にこそ共感しつつも、至誠天に通じねば最後には師団長を斬るしかないと激しく思い詰める彼らを冷静に次のように諭します。
 
「なるほど、さっきから聞いていると、きみたちの計画の根本は、近衛師団天皇を擁して宮城に籠城する体勢をとる、という一点にあるようだが、そのためにはどうすればいいか。結論的にいえば、師団の団結が成否のカギになる。師団長が率先陣頭を指揮せぬかぎり、このような籠城は不可能であろう。なのに師団長を斬らねばならぬという。師団長を斬るような状況で見込みがあると思うのか。これは大義名分を失った単なる暴動にしかすぎなくなる。社会的争乱を引き起こすのが目的ではないはずだ。」
 
畑中少佐が泣かんばかりになって、「絶対大丈夫です。絶対大丈夫です」とくり返した。 
 
(本書より)

 

結局、井田は畑中の熱意に絆されて行動を共にする事を決意しますが、僅かな行き違いから師団長を惨殺してしまった畑中らは以後はもはや成り行きのままにニセ命令によって近衛師団を扇動し、果たして一時的な宮城制圧に成功する事になります。これが世にいう「宮城事件」です。そして明日にも終戦詔勅玉音放送がある事を知った彼らは放送を阻止すべく死に物狂いで玉音盤を探し回ります。
 

*「国体」とは何か

 
半藤氏は畑中少佐らを突き動かしていたのは利欲でも怨恨でも功名心でもなく、あくまで「国体護持」を貫かんとする彼らなりの信念であったといいます。もっとも政府側にしてもポ宣言受諾にあたり「国体護持」は絶対に譲れない一線であり、鈴木首相も阿南陸相もいわば「国体護持」という目的のための手段をめぐり対立していたわけです。
 
けれども、ここでいう「国体」なる観念の内実は論者によって様々に異なっており、とりわけ畑中らが奉じる「国体」とは天皇や皇室といった法的制度の次元を遥かに超越した「日本人の普遍的精神そのもの」というべき観念です。この点、畑中や井田が師事した東大教授平泉澄博士の主唱する実在的国体観によれば、建国いらい日本は君臣の定まること天地の如く自然に生まれたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有は皆天皇に帰すがゆえに国民は等しく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の統合を遂げることこそが我が国の国体の精華であるとされます。
 
現代社会の平均的感覚からすれば俄に理解し難い論理ではありますが、とにかくもこうしたラディカルな国体観から畑中らは目下の時局を案じ、無条件降伏の根本理由など畢竟、自分の生命が惜しいからという売国奴の論理であるか、早ければ早いほどあらゆる面での損害が少ないからという唯物的戦争観でしかないという結論に到着し、さらに戦争とはひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで遂行せねばならないはずのものであり、国民の生命を助けたいなどという即物的理由による無条件降伏はかえって国体を破壊する革命的行為に他ならないと断じ去り、これを阻止することこそが国体にもっとも忠なのであると信じ込んでいました。
 
これは当時の日本においては特段奇異な思想ではありません。少なくとも昭和10年の国体明徴運動以降、政府も軍部も「国体」こそが我が国の絶対至高の統治原理であると大いに喧伝していました。昭和12年に文部省が全国の学校にばら撒いた「国体の本義」なる本によれば、万世一系天皇が永遠に日本国を統治することこそが「我が万古不易の国体」であり、この大義に基づき「一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する」ことは国民自明の常識とされ、少なくともそう信じるよう強いられていました。ここに書かれてあることと畑中らの奉じる国体観とはそう遠い距離にはないでしょう。むしろ畑中らの悲劇の本質は「国体」という「大きな物語」をあまりにも純粋無垢に信奉してしまっていた点にあるといえます。
 

* 物語と平衡感覚

 
現代の倫理観念からすれば畑中ら青年将校を悪と断罪したり視野の狭い愚者だと嗤う事は容易でしょう。けれどもそう言いながらもその一方で、現代においても我々はカルトや原理主義といった物語に入れ込んだ挙句にテロリズムに走ったり人生を破滅させてしまう事例を数多く目撃しています。時代がいかに変わろうとも人は良くも悪くも何かしらの物語に取り憑かれてしまう生き物です。物語は人を生かす側面を持つと同時に人を殺す側面も持っています。
 
この点、本書はその序で「今日の日本および日本人にとって、いちばん大切なものは”平衡感覚”によって復元力を身につけることではないかと思う。内外情勢の変化によって、右や左に、大きくゆれるということは、やむをえない。ただ、適当な時期に平衡を取り戻すことができるか、できないかによって、民族の、あるいは個人の運命が決まるのではあるまいか」と書いています。
 
かつての青年将校らの狂騒や、現代におけるカルトや原理主義の暴走は、まさしくここでいう「平衡感覚」の喪失から生じた典型的ケースといえるでしょう。そしてまた、何かしらの「正義」の名の下に気に入らない他者に安全圏から嬉々として罵詈雑言を投げつける現代インターネット社会でよく見かけるあの病理現象にしても、やはり自分に都合の良い物語に取り憑かれて少なからず「平衡感覚」を狂わせてしまったひとつのケースであるといえるでしょう。こうした意味で我々はどんなに正しく美しく素晴らしくみえる物語でも決して絶対視することなく、常にこれを批判的に観るための「平衡感覚」をあの8月15日から学び取るべきなのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日常系におけるヒューマニズム--スローループ(うちのまいこ)

*「ゆるい日常」を描く意義

 
日本初の萌え4コマ専門誌として芳文社より2002年に創刊された「まんがタイムきらら」は3〜5人位の10代女子の会話劇を中心とした「ゆるい日常」を描き出すいわゆる「日常系」の牙城として知られています。日常系作品はゼロ年代におけるオタク系文化圏において徐々にその存在感を増し始め、2011年に公開された「映画けいおん!」は深夜アニメ発の映画としては当時異例といえる興行収入19億円を達成し、ある種の社会現象の様相を呈しました。この点、きらら編集長である小林宏之氏は2014年のインタビューにおいて、きららが「ゆるい日常」を描く意義を次のように述べています。
 
 社会に目を向けると、厳しいことがたくさんありますよね。“きらら”として、それをマンガでも積極的に描く必要はあるのだろうかと私は思います。私たちは日常に潜む人の温かみを描くよう注力しています。特に、だれかがだれかを思う気持ちは、普遍だと思います
 

 

*「つながり」を通じた「いまここ」の再発見

 
かつて宮台真司氏は「終わりなき日常を生きろ」において、近代的な個人の生の意味を基礎付けていた社会共通の価値観である「大きな物語」が凋落し、ポストモダン状況が進行しつつある現代を「終わりなき日常」と名付け、今や手に入れにくくなった生の意味を求めるのはやめて、単に楽しいことや気持ちのいいことを消費して「終わりなき日常」をまったりとやり過ごすことで快適に生きる「まったり革命」を唱導しました。
そして宇野常寛氏は「ゼロ年代の想像力」において、宮台氏のいう「終わりなき日常」を都市論の観点から「郊外化した世界(歴史から切断されてコミュニティの多様性とアーキテクチャの画一化が進行する世界)」として捉え直した上で、そこで成立しうる新たな「中間共同体」の可能性に注目します。そこで氏は宮藤官九郎作品や矢口史靖作品を引きながら、日常の中で自ら選び取った「中間共同体」を他の何者にも代え難い「入れ替え不可能なもの(=物語)」として機能させることで「郊外化した世界=終わりなき(ゆえに絶望的な)日常」という図式を「終わりある(ゆえに可能性に満ちた)日常」へと読み替えてゆく現代的な成熟観を見出しました。
 
こうした国内思想的な観点からいえば日常系というジャンルもまた「つながり」という中間共同体を通じて「いまここ」の中に瑞やかな日常を再発見していく想像力によって支えられているといえます。この点、芳文社が2007年に創刊した4番目のきらら系列誌である「まんがタイムきららフォワード」はきらら初のストーリー漫画形式を採用し、4コマの枠から解き放たれた表現様式を日常系にもたらしました。2010年代を代表する日常系作品である「がっこうぐらし!」「ゆるキャン△」はいずれもフォワード連載作品です。
 
そして同じくフォワード連載作品であり、小林氏のいう「日常に潜む人の温かみ」「だれかがだれかを思う気持ち」にかつてになく真摯に向き合った日常系作品が「スローループ」であったように思えます。
 

* 二人はある日突然「姉妹」になった

本作の作者であるうちのまいこ先生は子どもの頃から漫画を描くことは好きだったけれども特に職業的な漫画家を目指していたわけではなかったそうですが「きんいろモザイク」「ご注文はうさぎですか?」というきららアニメに触れた事がきっかけで芳文社にダメもとで原稿を持ち込んでデビューした経緯があるそうです。本作はデビュー作「ななつ神オンリー!」に続く2作目で、その物語はこんなふうに始まります。
 
主人公の少女、山川ひよりは3年前に父親をがんで亡くして以降、もっぱら海辺で父親から教えてもらったフライフィッシングをしながらひとりの時間を静かに過ごしていた。そんなある日、もう少しで高校生となるひよりはいつものように海辺でフライフィッシングをしていると、何やら興奮した面持ちの見知らぬ少女がスクール水着(!)でまだ冷たい3月の海に飛び込もうとしていた。ひよりがフライキャスティング(!!)で何とか少女を止めると、少女はひよりのしていた釣りに興味を持ち、釣りたての魚の味に感激し、あっという間に二人は仲良くなった。
 
そして別れ際、ひよりは少女に実は今夜母親の再婚相手とその娘との食事会があることを告げると、少女は奇遇にも今夜同じような予定があると返してきた。
 
その少女の名は海凪小春。果たして彼女こそが「その娘」であった。こうしてひよりと小春は何やら奇妙な縁で「姉妹」となった。
 

* フライフィッシングとは何か

 
うちの先生はもともとキャンプが趣味でその延長線上で釣りも始めたらしく、最初はキャンプ漫画を描きたかったそうですが、すでに「ゆるキャン△」の存在があるためキャンプ漫画は断念し、その構想をリメイクして生まれたのが本作だそうです。
 
「スローループ」というタイトルはフライフィッシング用語の「タイトループ」の反対語が由来のようです。本作が題材にするフライフィッシングとは15世紀ごろの英国起源の釣りで水棲昆虫に模したフライ(毛針)を流して魚を釣ります。フライはとても軽く普通の投げ方では遠くまで飛ばないため、ライン(釣り糸)が空中でループを描くフライキャスティングという独自の投げ方が考案されました。
 
釣りの中でも比較的マイナーなフライフィッシングを題材にしたのはうちの先生自身が当時フライフィッシングしか釣り方を知らなかったらしく、ひよりも当初はフライフィッシングしかできない設定になっています。もっとも連載に当たっては綿密な取材が重ねられているようで、本作ではフライフィッシングはもちろん釣り全般や釣った魚の料理についてかなり本格的な描写と説明が頻繁に登場します。こうした本作の特徴について、うちの先生の担当編集氏は次のように述べています。
 
『スローループ』は読者の行動を促すマンガを目指しているんです。ひよりがフライフィッシングをしていたら自分も釣りがしたいと思ってほしいし、小春が料理をしていたら自分も作りたいと思ってほしい。なので、アウトドアをしたことがない方が読んでも分かるように詳しく描いてくださいとお願いしました。
 

 

* 等価交換の外部としての「誤配」

 
これは大きく言うと、作品の中に等価交換の外部としての「誤配」を仕掛ける試みといえます。きらら作品の事実上の想定読者層は社会に疲れ果てた大人達といわれています(うちの先生自身もきんモザごちうさに触れた当時はそうした人々の1人だった事をインタビューで述懐しています)。そういった人々はもっぱら、厳しい現実に疲れ果て「萌え」とか「癒し」といった甘やかな虚構をきらら作品に求め、そこでひとまず等価交換としての「萌え」や「癒し」を満たす事になります。
 
けれど同時に読み手は作品内で取り扱うジャンルをまずは作品理解の一環から検索なりで調べ始めてるうちに、いつのまにか作品を離れてそのジャンル自体に興味を抱き、その結果、そのジャンルを自分の「趣味」にしてしまうこともあるでしょう。
 
その時、その作品は読み手に等価交換の外部としての「誤配」をもたらし、大げさにいえば読み手の人生に想定外の、より豊かな可能性を開く契機ともなるわけです。事実、2010年代の日常系作品では「ゆるキャン△」や「恋する小惑星」のように作品内で取り扱うジャンルをある程度深く描写していく「誤配」的な傾向性を持つ作品が一定の支持を集めてきました。すなわち、本作はこうした近年の日常系作品に内在するひとつの可能性を徹底して押し進めた作品といえるでしょう。
 

*「他者性」が泡立つサイダーのような「つながり」

 
本作の主要キャラクターはひよりと小春、そしてひよりの幼馴染である吉永恋の3人です。主要キャラクターが3人という構成は日常系作品としては比較的少人数ですが、その分本作は主要キャラクターの内面へていねいに光を当てていきます。
 
ひよりは父を失った過去を今も引き摺っているという日常系作品ではかなり重い設定を持っています。同時にひよりはいわば「終わりなき日常」を(フライフィッシングをしながら)やり過ごしてきたポストモダン的主体とも重なり合います。
 
そして過去の傷が癒えない主人公(ひより)が、突然現れた天真爛漫な少女(小春)と、良き理解者である幼馴染の少女(恋)との交歓を通じて、その生の物語を修復していくという本作の基本的構図は日常系というよりもむしろかつての美少女ゲームに近いものを想起させます。ある意味で本作はかつての美少女ゲーム的構図を日常系の想像力の中で再構築した作品ともいえます。
 
この点、ヒロインに相当する小春と恋はひよりをめぐってある種の競合関係に立っています。小春は自分が知らないひよりを知っている恋を羨ましく思い、その一方で恋はひよりの心の中に深く踏み込めない自分に苛立っています。そして小春も恋も共に、ひよりには悟られまいとする闇や情念をそれぞれ抱え込んでいます。
 
スローループでは、こうした「知らない」「踏み込めない」「悟られまい」といった「他者性」が泡立つサイダーのような「つながり」の中で、ひより達は「想いを言葉することの大切さ」を学んでいきます。普段いつも一緒にいるからといって何もかも分かり合えるわけではない。むしろ人は本質的には何も分かり合えていない事こそを分かり合わなければならない。本作が描き出す「他者性」が泡立つ「つながり」の在り方はコミュニケーションにおける一つの倫理を提示しているように思われます。
 

*「ここでいい」から「ここがいい」へ

 
そして本作はひより、小春、恋達の「つながり」をていねいに描き出していくその一方で「つながりの外部」へ大きく開かれた作品でもあります。この点、ゼロ年代日常系が「ひだまりスケッチ」や「けいおん!」のように同世代女子間の理想的な「つながり」を追求していたとすれば、2010年代日常系は「New Game!」における「お仕事」や「ゆるキャン△」における「アウトドア」といった回路を導入する事で同世代女子間に留まらない多様な「つながりの外部」を切り開いていったといえます。
 
ではスローループが切り開いた「つながりの外部」とは何でしょうか。それはずばり「家族」です。ここでいう「家族」は実の家族にとどまらず義理の家族や友達の家族、そして地域といった広義の家族的なコミューンのことです。本作ではひより達とそれぞれの祖父母世代も含めた家族ぐるみの交流をはじめ、近所の釣り船屋を営む福本一花、二葉の姉妹、あるいは一花の旧友である宮野楓や二葉の同級生である二宮藍子といった異なる世代との交流が日常系としては異例の質量で描き出されます。
 
こうしてひより達の「つながり」に様々な「つながりの外部」から多様な刺激と知見と価値観が持ち込まれることで、彼女たちの「いまここ」は確実に深化していきます。それは作中の印象的な台詞を借りていえば「ここでいい」から「ここがいい」への深化です。そういった意味で本作は日常系における「つながり」をある種のヒューマニズムへと昇華した「いまここ」のドラマであるといえるでしょう。
 
「ここでいい」から「ここがいい」へ。終わりなき日常から瑞やかな日常へ。萌えと癒しから倫理とヒューマニズムへ。おそらく本作が描き出すループのその先には、2020年代における日常系のさらなる深化と飛躍の在り処を見出すことができるのではないでしょうか。