かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「書くこと」としての批評の再起動--福尾匠『置き配的』

* 世界をいま覆いつつある「置き配的」なもの

 
2020年3月23日、アマゾンジャパンは「置き配指定サービス」を30都道府県において標準の配送方法とすることを発表しました。この「置き配指定サービス」は発送通知メールに「発送業者:Amazon」と表示されている場合に利用可能であり、置き配場所は「玄関」を初期設定とし、そのほか「宅配ボックス」「ガスメーターボックス」「自転車のかご」「車庫」「建物内受付/管理人」のいずれかが選択できるようになっています。
 
配達員は顧客から指定された場所に置いた荷物の写真を撮影してシステムにアップロードします。同時に顧客のスマートフォンではその写真が添付された配達通知がポップアップすることになります。つまり「置き配」とは、物そのものの受け渡しによってではなく、届ける側と受け取る側で同時にメタデータを共有することで「物が確かに配達された」という事実を確定する仕組みであるということです。
 
奇しくも同じ2020年3月23日には小池百合子都知事が新型コロナウィルスの流行を受けて初めてロックダウンの可能性を示唆しています。もっともAmazonの置き配サービスはコロナが拡大する以前の2019年11月から、岐阜県多治見市で1ヵ月間の実証実験が実施されており、顧客から高い評価を受けたことから2020年1月から東京都をはじめとする一部地域で同様の実証実験が実施されています。
 
さらに興味深いのは同様の仕組みが例えばシェアバイクのLUUPでも用いられているということです。LUUPでは電動キックボードをボートに返却する時に駐車したところの写真をアプリを介して撮影することが求められていますが、この時に利用者がやっているのはAmazonの配達員が置き配するときにしていることと全く同じです。そうなるとUber Eatsの配達員のように直接雇用されずに「個人事業者」としてアプリに登録する「ギグワーカー」と呼ばれる労働形態もある種の「置き配的」なシステムとして捉えることができるでしょう。
 
このように「置き配的」なシステムのもとでは消費者も労働者もプラットフォームのユーザーとして一元化されることになります。そしてこうした「置き配的」なものは特定のテクノロジーや特定の企業に限定されるものではなく、我々の社会全体の秩序や形式に関わるものとなりつつあるのではないでしょうか。こうした世界をいま覆いつつある「置き配的」なものから2020年代におけるコミュニケーションの条件とその可能性を問い直す一冊が本書『置き配的』です。
 

*「置き配的」な時代における「言葉と物」

 

置き配的

置き配的

Amazon

 

本書はその序文において「コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった」といいます。いまや「置き配的」なものはたんにフィジカルな物流・人流に関わるだけでなく、情報やそのコミュニケーションの様式に関わっています。これは記号的なものと物体的なものの、換言すれば「言葉と物」の繋がりのありかたも「置き配的」な形式によって統御されているということであり、こうした「置き配的」な社会を問うことは「書くこと」の意味を立ち上げなおすことにも直結するはずであると本書は述べます。
 
本書は『群像』で連載した文章がもとになっていますが、その連載時のタイトルがまさに「言葉と物」です。周知の通り「言葉と物」とはフランス現代思想を代表する論客の一人であるミシェル・フーコーの主著のタイトルでもあります。そこで本書はフーコーの議論に立ちかえるところからその狙いを詳らかにようとします。
 
1966年に公刊されたフーコーの主著『言葉と物』はその最後で「人間」が誕生したのはせいぜい19世紀になってからであり、それも遠からず波打ち際の砂紋のように消え失せてしまうというテーゼを示しています。ここでフーコーが言わんとしていることはもちろん生物種としてのヒトの消滅ではなく、いまのようなかたちで人間が「知」の源泉であるような世界は普遍的なものではなく、歴史の中の一つのステップにすぎず、それが「近代」と呼ばれる--遠からず波打ち際の砂紋のように消え失せてしまう--時代であったということです。
 
フーコーによれば「知」とは「言葉と物」の結び目に生み出されるものであり、その結び目のありようは近代以前と以後はまったく違ってきます。そしてフーコーはこの近代以前と以後の変化を文字通り「言葉と物」から分析することで、宗教から科学へ、あるいは神から人間へという移行を「進歩」として語る人間中心主義的な図式を解体していくことになります。
 
本書の要約に従えば近代以前の世界において「言葉と物」は一つの同じルールで秩序づけられていました。こうした思考の極限にあるのが神の言葉である聖書に書かれていることと神が作った世界は同じものだという考え方です。つまりこの場合、言葉の配置パターンの一致こそが理想の知であり、聖書を読み解くことと世界を探索することは同じことであるはずだという前提で知は駆動することになります。
 
しかし近代になると言葉には言葉の秩序があり、物には物の秩序があるという当然といえば当然のことが「知」のあり方に変容を迫ります。すなわち、言葉と物は突き合わせることができず、いくら言葉を尽くしても物は到達できない領域へと逃げ去っていくことになります。そして、こうした言葉と物の原理的な不一致のただなかでそれでもどうにか両者を架橋する逆説を宿命づけられた存在がフーコーのいう「人間」であるということです。
 

* コンテンツとポジショントークの時代

 
こうしたフーコーの仕事に一貫しているのは批判的な意味でも創造的な意味でも、いわば〈内面的な諸価値の拒否〉であると本書はいいます。つまり、我々が本来的で「内面的なもの」だと思っているものが最初にあるのではなく、むしろ外在的な「言葉と物」の秩序として編まれた社会がまずあって、それが我々に「内面らしきもの」を埋め込むということです。
 
このような透徹した認識がフーコーの批判と創造を同時に可能にしています。なぜなら「人間性」が我々の内面性の別名ではなく、それが永遠のものでもないとすれば、そこから別なる知、別なる思考、別なる生の可能性を開くことでもあるからです。こうしたことから本書はフーコーの方法論における「批判=創造の二重性」を継承し、今日の社会における「言葉と物」を統御する「置き配的」なシステムを分析する一方で、その端々に残された空隙を梃子に、それを内側から組み替えていく可能性として「制作する」ことの意味を立ち上げ直そうとします。
 
ここでいう「制作」とは必ずしも「作品」と呼ばれるようなものを作ることではなく、例えば他愛のないおしゃべりや部屋の片付けといったものも、体の外で「言葉や物」を形成するという意味では広義の制作行為にあたります。そしていま、その広義の制作のありようが「置き配的」なシステムによって統御されているということです。
 
こうした「置き配的」なシステムとは、より一般的な言葉でいえば〈プラットフォーム化する社会〉ということです。ニック・スルネックはそれを「プラットフォーム資本主義」と呼び、ヤニス・バルファキスはそれを「テクノ封建制」と呼んでいます。そしてこの〈プラットフォーム化する社会〉を「置き配的」なものという観点からいえば、それはあらゆる制作物が「コンテンツ」となり、あらゆる発言が「ポジショントーク」として消費される空間に他なりません。
 
ではコンテンツとポジショントークだらけの「置き配的」な世界のなかのどこにポジティヴな可能性を見出すことができるのでしょうか。こうした問いから本書は〈コンテンツから作品へ、ポジショントークから日記へ〉という二つの線を引くことで「置き配的」なものに回収されない空間を切り開くための横断的な議論を展開することになります。
 

* 社会的なものの全面化と活動の凋落

 
先述のように本書は『群像』での連載がもとになっています。全11回の連載のうち第1回から第4回までは現代社会の息苦しさを「置き配的」という観点から批判的に検討することに重点が置かれており、そこから第5回で一旦、全体の理論的な方向性が確認されたのちに、第6回から第10回までは置き配的なものをひっくり返す糸口がさまざまな角度から模索されることになります。
 
ここまでの本書の大きな特徴として(第5回を除き)AとBという二つの系列を往復しながら議論が進められていくという点が挙げられます。Aの系列では言葉あるいはコミュニケーションの話が、Bの系列では物あるいは空間の話が展開されることになります。そして最終回となる第11回では20世紀を代表する政治哲学者の一人であるハンナ・アーレントの著作『人間の条件』(1958)を参照点としてこれまでの議論を意味づけなおす試みが行われます。
 
『人間の条件』においてアーレントは現代の世界を「社会的なもの」が全面化することで「公的なもの」と「私的なもの」が押し潰されるような状態として捉えています。こうした「社会的なもの」の勃興は一方で資本主義が世界を覆うプロセスと軌を一にしており、他方で多様な言論がひしめく場であった「公的なもの」を経済学的・統計学的な「行動」のもとに均質化することになります。
 
そして本書はこうしたアーレントの認識は今日の「置き配化」した社会にも有効であるとしつつも、同時に彼女が「社会的なもの」の全面化に対して提唱した解決策については、もはやその有効性は疑わしいと思われるといいます。
 
よく知られるように『人間の条件』は人間の「活動的生活」を生命維持のための「労働 labor」と、人工的世界を構築する「仕事=制作 work」と、政治的言論である「活動 action」という三つの側面に分けた上で、とりわけ「活動」の意義を捉え直すことで「公的なもの」の領域を取り戻すべきだと主張しています。ここでいう「活動」とは畢竟、公的空間において個々人の固有性と多数性が現れるための条件だからです。
 
しかし今日におけるソーシャルメディアのプラットフォーム上における政治的言説=活動の全面化によってアーレントのいう「社会的なもの」の全面化は新たなフェイズに突入したといえます。そしてこうした活動の全面化がさまざまな社会的な分断を生んでしまう状況を念頭に本書は「そもそも社会のなかで活動=言論をどのように位置付けるべきなのかということを考えなおさなければならない」と述べます。
 

* 将棋的な〈密〉と囲碁的な〈疎〉

 
フーコーとともにフランス現代思想を代表する哲学者ジル・ドゥルーズは1985年のインタビューにおいて「いま求められているのは、言うべきことが何もないという喜び、何も言わずに済ませる権利です。これこそ、少しは言うに値する稀なもの、あるいは疎なものが形成されるための条件なのです」と述べています。
 
本書はこのドゥルーズの言葉を導きの糸として「言うべきこと」が〈密〉である空間と〈疎〉である空間に本性の差異を見出す〈疎密〉というカテゴリーを導入した上で「言うべきこと」が〈密〉である空間を「将棋的」な言表に対応させ「言うべきこと」が〈疎〉である空間を「囲碁的」な言表に対応させています。
 
将棋はそれぞれの駒の機能があらかじめ決まっており、王が互いの陣営の中枢に座し、相手の王を詰むことを目的とするゲームです。これに対して囲碁においてそれぞれの石は匿名的あるいは非人称的であり、その機能は置かれて初めて決定され、それも事後的に改変されていき、より多くの空間を占拠するという目的へ向かうゲームです。
 
こうしたことから、本書は将棋的な文章がスタートとゴール、テーマと主張を決めておいてそれを章や節に分割する「アカデミック・ライティング」的な書き方であるとすれば、囲碁的な文章はその都度のセンテンスに、あるいは書いてみて気付くセクションの切れ目に引っ張られるようにして書かれるものであり、本書におけるAとBというふたつの系列も囲碁的な空間の配分を目指して組織されているといいます。
 
そして、こうした〈疎密〉という切り分けからすれば、アーレント的な公共空間は「言うべきこと」が〈密〉な空間であり、いま必要なのは「非社会的な言説の余地」であり「言うべきこと」が〈疎〉である空間であると本書はいいます。そこにあるのは「つまるところ、社会の話ばかりしていると社会はダメになる」「人間の話ばかりしていると人間はダメになる」という逆説です。
 
そこで本書は〈批評〉に注目します。アーレントの「労働」「制作」「活動」のカテゴリーに照らし合わせると〈批評〉とは「制作」された作品との出会いから生み出される言葉です。それゆえに本書は〈批評〉とはアーレントのいう意味での「活動」として想定される「人間と人間が差し向かいで人間について語る」空間、すなわち将棋的な〈密〉な空間性には収まらない「言うべきこと」が囲碁的な〈疎〉の空間に宿るものであり、その条件とは物との出会いであるといいます。
 

*「書くこと」としての批評の再起動

 
こうしたアーレントを「制作」から読み直していく本書の議論は日本の現代思想シーンにおける近年の傾向に連なるものであるといえます。
 
例えば本書でも度々参照されている東浩紀氏は『訂正可能性の哲学』(2023)においてアーレントが「公共性」を「公に現れるすべてのものが、あらゆるひとによって見られ、聞かれ、可能なかぎり広く公示されることを意味する」という開放性と「わたしたちすべてにとって共通なものとしての世界」という持続性から定義している点に注目し、開放性としての公共性は「活動」によって可能になるけれど、持続性としての公共性は「制作」によって可能になるといいます。

 

訂正可能性の哲学

訂正可能性の哲学

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また宇野常寛氏は『庭の話』(2024)においてソーシャルメディアが発信の欲求と承認の快楽が前面化した「相互評価のゲーム」に陥っている今日の世界を見渡したとき、アーレントの考える「行為(活動)」のための公共空間の成立は難しいとして、こうした「行為」による快楽の中毒を相対化させるべく事物を「制作」することを通じて他者と対話する「制作の行為化」を提案しています。

 

庭の話

庭の話

Amazon

 

そして本書もまた、こうしたアーレントを「制作」から読み直していく一連の議論に与する一方で、ここで仮想敵となっている〈プラットフォーム化する社会〉を改めて「置き配的」という、我々の暮しのなかでいまや身近になった言葉から光を当て直していきます。
 
本書の議論を踏まえていえば我々が日常的に利用しているセルフレジやモバイルオーダーやタブレットオーダーなどもやはり「置き配的」なものといえるでしょう。本書はこうした日常におけるミニマムな場面から出発して「書くこと」としての〈批評〉を再起動させるための視座と道具立てを提示する一冊であると同時に、こうした「書くこと」としての〈批評〉を自ら実践する一冊であったといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

教養主義の没落から令和人文主義へ--谷川嘉浩・朱喜哲編『はたらく人文知』

* 人文知の観客と現在地

 
ゼロ年代を代表する批評家である東浩紀氏は「批評とはなにか ゼロ年代の批評・再考」(『テーマパーク化する地球』所収)という論考において現代の批評における「観客」の重要性を論じています。昭和初期に小林秀雄によって立ち上げられた日本の批評は長らく人文的な教養を背景とした文学作品や社会の分析を総称する一つの出版ジャンルと見做されていましたが、やがて1980年代に入ると消費化情報化社会の進展に伴い、こうした従来の批評のイメージが壊れ始めることになります。
 
こうしたことから東氏によれば1990年代以降「批評的な知」は大きく四つの道に分かれることになります。第一が浅田彰氏と柄谷行人氏が編集委員を務めた『批評空間』に代表される「古い批評」のスタイルに断固こだわる先鋭化の道です。第二が蓮實重彦氏が東京大学教養学部に設立した表象文化論のような大学の中で制度化を目指す道です。第三がプレカリアート運動やSEALDsのように街頭に出て政治運動に向かう道です。
 
これに対して第四が東氏の『動物化するポストモダン』(2001)に象徴される「ゼロ年代批評」のような批評の「ゲーム化」の道です。つまり漫画やアニメやライトノベルやTVドラマといったサブカルチャーを積極的に論じたゼロ年代批評とは批評を趣味の言説として生き残らせることを選択したということです。
 
このように1990年代以降「批評的な知」は大きく四つの道に分かれることになりますが、第一の先鋭化の道はもはや先細るしかなく、第二の大学化の道と第三の運動化の道はアカデミズムや政治といった批評とは別のものに回収されてしまいます。こうして第四のゲーム化の道だけが「批評の死を現実として認めたうえで、それでも批評を生き残らせることを目指したまっとうな道だった」と氏は述べます。
 
換言すればゼロ年代批評の批評性とはまさに当の批評こそが無根拠で無意味なゲームであることを暴露した点にあったということです。しかしその一方で批評がゲームであるのであれば、そこには何が批評で何が批評ではないかを決める「観客(=読者)」が存在するはずです。
 
そこで氏はヨーロッパにおいては哲学というゲームの「観客」が「市民」として近代社会を生み出したように、日本においても同様にこの批評というゲームの「観客」こそが公共性を担うべき存在であり、それゆえにこれからの日本において批評はいかなる「観客」を生み出すべきなのかという課題にこそ取り組むべきであると述べています。
 
そして哲学がゲームであり、批評もまたゲームであるのであれば、このような批評はいかなる「観客」を生み出すべきかという課題は広く人文知全般に当てはまるはずです。こうした「観客」という観点から人文知の現在地を論じる一冊が先月公刊された本書『はたらく人文知』です。
 

* 人文知のユーザーと流通

本書は2026年1月11日にロフトプラスワンウェストで行われた「いま人文知の現場はどこにあるのか?」という三部構成のトークイベントの記録をまとめたものです。このイベントの企画者は本書の編者でもある哲学者の谷川嘉浩氏と朱喜哲氏です。まず朱氏がモデレーターを務める第一部「人文知のユーザー」には情報法政策を専門とする工藤郁子氏、株式会社ANRIの中路隼輔氏、文芸評論家の三宅香帆氏、ライターの山本ぽてと氏が登壇し、誰になぜ人文知が求められているのか、どのように人文知が使われているのかなどといった問いが主題的に論じられています。
 
本書は序文で第一部のテーマ設定の際に念頭にあったのは人類学者の梅棹忠夫が雑誌『思想の科学』創刊号に寄せた「アマチュア思想家宣言」という文章であると述べています。梅棹は厳密性や体系性を尊重して「論じる」プロの思想家とは異なる、自分の置かれた状況や用途に合わせて自由に「使う」アマチュアの思想家がいていいはずだと考えました。哲学や人文知を「カメラ」のように気楽に「使う」ことにより、それぞれの現場で工夫や知恵に満ちた実践が生み出されるということです。
 
次に谷川氏がモデレーターを務める第二部「人文知の流通とメディア」にはNewsPicksの川口あい氏、ポッドキャスト番組「ゆる言語学ラジオ」で知られる編集者の水野太貴氏、作家・書評家の渡辺祐真氏が登壇し、どんな知識や考え方をどのように届け、流通させるかがテーマであり、YouTubeといったデジタルメディアやその特性などが話題の中心となっていますが、トークイベント、フライヤー(紙のチラシ)、紙書籍といったアナログメディアも話題に上がっています。
 
本書によれば第二部を企画するにあたって念頭にあったのは1999年1月に紀伊國屋ホールで行われた「いま批評の場所はどこにあるのか」というイベントで東氏が使っていた「営業」という言葉です。すなわち、これからの批評は従来のようにいかにも批評的なスタイルで展開され、いつも通りの読者に届き、いつも通りに受容されるという事態を反復するのではなく、批評の読者だと思われていない人、当人も読者だと思っていないような人を読者にするためのさまざまな「営業」をしなければならないということです。
 
当時、こうした東氏の問題意識はまったく理解されていませんでしたが、現代の書き手の多くは、この意味での「営業」的視点を身につけているように思うと本書は述べています。実際のところ第二部のやりとりの多くはこうした意味での「営業」の方法をめぐる議論であり、どうやって人文知というツールを分配できるかを考える対話が行われています。
 
そして第三部「令和人文主義とは何か?」ではこれまでの登壇者の一部が再登場し、ゲストを迎え、今日の議論を振り返った上で「令和人文主義」と呼ばれる昨今における人文知の潮流が議論されることになります。ここではまさに人文知はいかなる「観客(=ユーザー)」を生み出すべきなのかという課題が問い直されることになります。
 

* 令和人文主義とは何か

 
ここでいう「令和人文主義」とは谷川氏が提唱した造語で、2010年代後半あたりから台頭してきた新しい人文知のあり方をいいます。これは何らかの主義主張を展開する運動でも学派でもメンバーシップでもなく、あくまで「時代の兆候」であるということです。
 
谷川氏によればこの令和人文主義という言葉は大正期の旧制高校で生まれた「大正教養主義」と呼ばれる文化的潮流を念頭に造語したものだそうです。当時の旧制高校に進学できたのは同世代の男性人口の1%未満であるエリート男性であり、彼らの一部が他の受験秀才との差異化の中から生まれたものが大正教養主義であり、これが日本における「教養」の起源であるとされます。
 
つまり、日本における「教養」とは比較や競争といった他者本位と、しかもエリート男性に限定された排除性の上に成立したものであり、時代が下ってもこうした他者本位と排除性に教養主義はほとんど無頓着でした。こうした知識量を誇示して自身を知的優位におこうとする悪い意味での旧来の教養主義的態度を退けつつ、同時に昨今の直接的にビジネスに役立ち手軽に摂取できる「ファスト教養」とも一線を画する「第三の道」こそが令和人文主義ということになります。
 
こうしたことから令和人文主義の特徴として大正教養主義の核にあったはずの「自分の殻を破りたい」という「自由への希求」を継承しつつも、従来の教養主義のように比較や競争といった他者本位に堕することなく、学びそれ自体を楽しむという自己満足性と、人文知を一部のエリート以外の多様な層へと広げていくという開放性が挙げられます。また、その発信媒体が活字メディアのみならずYouTubeやポッドキャストなど多岐に渡っている点や、必ずしも反アカデミズムではなく、むしろ従来のアカデミアに一定の敬意を払っている点もその特徴であるといえます。
 
このような特徴を持つ令和人文主義の担い手を谷川氏は何名かあげていますが、その中心に位置するのはやはり何といっても2024年に公刊した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がベストセラーとなり、まさに令和を代表する文芸評論家になった三宅香帆氏でしょう。本書でご本人が言われているように令和人文主義とは別名「三宅香帆主義」であるともいえます。
この点、谷川氏はこの令和人文主義の本質を説明するにあたり、精神病理学者の松本卓也氏の近著である『斜め論』(2025)における議論を参照しています。同書は現代の精神病理学の展開をハイデガー/ビンスワンガー的な「垂直方向」からドゥルーズ/中井久夫的な「水平方向」へのパラダイム転換として把握した上で、精神分析家フェリックス・ガタリが提唱した「斜め横断性」と呼ばれるスローガンに注目し、当事者研究やオープンダイアローグといったさまざまな水平方向の治療実践の中に「ちょっとした垂直性」が花開くという「斜め」の実践を見出しています。
 
こうした枠組みから谷川氏は「垂直的な知(教養主義)」が無効化した現代において、ソーシャルメディアを席巻する「水平的な知(アテンション・エコノミー)」からも距離を取ろうとしている「斜めの知性」の実践として令和人文主義を位置付けています。それゆえに、そこには『斜め論』で松本氏が述べるような垂直性を批判することで実現された水平方向がいつの間にか人間を平準化するものになっていないかという絶えざる問い直しがあるといえるでしょう。
 

* 正社員様の哲学?

 
ところでこの令和人文主義というネーミングは昨年大きな議論を引き起こしました。そのきっかけとなったのが批評家小峰ひずみ氏のnote記事「令和人文主義に異議あり! その歴史的意義と問題点」です。これは谷川氏のnote記事「時代の兆候としての『令和人文主義』」への批判として提示されたものです。
 
 
ここで小峰氏は『時代〜』において谷川氏が令和人文主義の「受け手」として「学生よりも会社員」であると書いている点に注目し「そもそも人文学にとって『会社員』とは、どのような存在なのか」という問題を提起します。詳細は小峰氏の記事か本書(記事の要約が載っています)を読んでいただきたいですが、その論旨は概ね次のようなものです。
 
⑴本来、人文学は良い「市民」が良い国家を運営し良い統治を行うという構図を前提として、良き「市民」を育成するという側面があった。しかし1990年代以降はグローバル化や新自由主義化やインターネットの大衆化などでこの前提が崩れ始め、代わって公共領域に進出してきたのが企業であり、今日の「良き統治」とは事実上「良い企業」によってもたらされるものである。つまり令和人文主義の意義とは今日における事実上の統治主体としての企業の構成員である「会社員」に向けて書く行為の是認にある。
 
⑵しかし企業が事実上の統治主体として全面に出てくるということは、法や権利の運用によって市民が国家の運営を行うという従来の統治の範囲が縮減してしまっていることを意味するが、令和人文主義が「会社員」に向けて書くことを是認する以上、その提唱者である谷川氏の意図にかかわらずこの点を隠蔽するものである。
 
⑶また企業が事実上の統治主体として全面に出てくるということは、その企業活動の担い手の中でも、自身に与えられた裁量を生かして(ある程度は)その統治に参画できる「正社員」と呼ばれるキャリア組の「会社員」と、こうした裁量も与えられない非正規雇用などのノンキャリア組の分断を招くことになるが、令和人文主義はこのような階級的な亀裂をやはり隠蔽するものである。
 
こうしたことから小峰氏は令和人文主義を「正社員様の哲学」と呼びます。もちろん「学生よりも会社員」と書いた谷川氏の意図は「会社員=正社員」ではなく、人文知の「受け手」として従来の教養主義が想定したエリートとしての「学生」に限らない幅広い生活者の層を象徴的に〈会社員〉と呼んだところにあります。
 
これに対して小峰氏は谷川氏が「学生よりも会社員」と書いたことで、後続の書き手がそれを真に受けてしまい「そうか、これからは学生ではなく会社員(=正社員)に向けて書けばいいのか!」などと思い込み、結果的に世の中に「正社員様の哲学」が氾濫してしまうような事態を危惧しているようにも思えます。
 
本書のもとになったイベントにはゲストとして小峰氏が登壇しており、こうした人文知の「受け手」をめぐる激論(?)も本書に収録されています。これはまさにこれからの人文知はいかなる「観客」を生み出すべきなのかという課題についての論争であるといえるでしょう。
 

* 教養主義の没落から令和人文主義へ

 
ところで三宅氏は『なぜ働』において近代日本社会の「読書」と「労働」の関係を俯瞰した上で現代において「読書」は「労働」にとっての「ノイズ」となったと論じています。こうした文脈からすれば今日において令和人文主義と呼ばれる「時代の兆候」は一度退けられた「ノイズ」の回帰として捉えることができるでしょう。
 
例えば社会学者竹内洋氏が2003年に公刊した『教養主義の没落』が昨年、シンガーソングライターの米津玄師氏から「べらぼうに面白かった」と評されたことで公刊から20年以上の歳月を経て再び話題の本となったという出来事は今日におけるポスト教養主義としての人文知が改めて幅広い方面から求められているという「時代の兆候」を端的に表しているように思えます。
竹内氏は奇しくも三宅氏との対談「先生、教養主義ってなぜ没落したんですか」(中央公論2025年5月号掲載)で同書の予想もしなかった再ヒットに「狐につままれたような気持ちです」と述べつつ「本当の『教養』が残ったのが、今かもしれませんね」といい、続けて次のように述べています。
 
「かつての教養主義には邪心がありました。インテリとして認められたいとか、偉い人なら難しいことを言う必要があるとかの、立身出世と絡んだエリート文化の要素があったわけです」「でも今はそうした下心や雑念が消え、本来の柔らかな理想主義や人格主義に戻ってきたのではないか。三宅さんの『なぜ働いていると〜』はそういう層に届いたのでしょう」
 
「先生、教養主義ってなぜ没落したんですか」より

 

ここにはやがて数ヶ月後に令和人文主義という言葉で名指されることになる今日の人文知受容の傾向性に対する洞察がみられます。ではなぜいまこうしたかたちで人文知が多くの「観客」から求められているのでしょうか。そのヒントは本書の2人の編者の近著に求めることができるように思えます。まず谷川嘉浩氏は『改訂増補版 スマホ時代の哲学』(2025)においてスマートフォンとSNSの普及による常時接続が常態化した現代において必要な能力として「ネガティヴ・ケイパビリティ」を挙げています。
このネガティヴ・ケイパビリティとはもともとはジョン・キーツというイギリスの詩人がシェイクスピアの創作の秘密を説明するものとして提示した概念ですが、精神分析家ウィルフレッド・ビオンはこのネガティヴ・ケイパビリティを精神分析家に必要な能力として読み替えています。 
 

彼は診察室での精神分析家は戦場における兵士と同様に、患者の反応や訴えという不確実で予測もコントロールもしきれない「砲撃の下」で考え続ける役割を負っていると考えました。こうした議論を受けて同書は「消化しきれなさ」「難しさ」「モヤモヤ」といったものを腹の中に抱えておく能力を「ネガティヴ・ケイパビリティ」として概念化し、こうした「ネガティヴ・ケイパビリティ」を常時接続の「スマホ時代」を生きるための力として位置付けています。

 
また朱喜哲氏は『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』(2026)において、現代において哲学の使命とは「会話」を守ることであると考えたローティとともに「否応なくバラバラな世界で、バラバラなまま、しかし共に生きるために、どんなことばを使うべきなのか」を問い直していきます。
ローティは『偶然性・アイロニー・連帯』という著作で、人がどのようなボキャブラリー(ことばづかい)を使うかは歴史的な偶然性の産物であり「偶然性」に規定された「われわれ」がたまたま持つ「終極の語彙」を「アイロニー」により再記述する「われわれの拡張」として結果的に「連帯」が生じると論じています。換言すれば日々の「ことばづかい」を変えることによって「われわれ」は変わり、世界も変わるということです。
 
このように人文知には単純には割り切れないモヤモヤした複雑なものを複雑なままに抱えながら、バラバラな個人がバラバラなままに他者と生きるための手がかりを見出すことができます。それゆえにわかりやすい正解がなく分断が加速する今日において人文知が多くの「観客」から求められているのだとすれば、それは読書がノイズになった時代におけるひとつの希望というべきではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

魔法少女の真実と「正義」の問題--『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』

* 13年の時を経た廻天

 
魔法少女まどか☆マギカ。新房昭之氏、虚淵玄氏、蒼樹うめ氏をはじめ、スタジオシャフト、劇団イヌカレー、梶浦由記氏といった多彩な才能のコラボレーションによって生み出された同作は2011年1月から放映されたTVアニメーションが大きな反響を呼び起こし、批評誌『ユリイカ』で総特集が組まれるなどアニメーションというジャンルを超えて現代思想/表象文化に多大なインパクトをもたらしました。さらに2013年10月に公開された映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』も絢爛豪華な映像と衝撃的な結末が話題を集め、その興行収入は深夜アニメの劇場版作品としては初の20億円を突破し、これまた期待に違わない大ヒットを成し遂げました。
  
こうして、まどか達の物語は一旦は幕を下ろしました。その後、続編の構想が幾度なく再浮上する中、2017年8月にリリースされたスマートフォン向けアプリゲーム『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』は原作の世界観を拡張させると同時に、アニメ化やコミカライズなどのメディアミックスによって原作のアニメや映画をリアルタイムで観ていない層を新規ファンとして取り込むことに成功します。
 
そしてTVアニメから放映10周年を迎えた2021年1月7日に新たなプロジェクトの始動が発表され、同年4月に開催された記念イベントにおいて「叛逆の物語」からの正統続編となる新作映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』の製作が発表されることになります。
 
当初は2024年冬に公開予定であった同作でしたが、2024年8月には2025年冬への公開延期が発表され、2025年7月には2026年2月に公開予定であることが発表されますが、2026年1月には再び公開延期が発表され、同年2月に新たな公開日が2026年8月28日であることが発表されます。
 
こうした度重なる延期を経て満を持して公開を迎えるにあたり、同作のX公式アカウントでは多くの観客に「初見の状態」で映画を楽しんでもらうためとして9月12日0時まで「ネタバレ防止」が呼びかけられ、公開後、同作に関する感想や考察は主に「fusetter(ふせったー)」で繰り広げられることになります。
 
こうした状況下で同作は公開4日目で興収10億円を突破し、ネタバレ解禁を経て公開27日目で早くも「叛逆の物語」の興収を上回る興収21億円に到達し、13年ぶりの新作映画にもかかわらず圧倒的なコンテンツ力の強さを見せつけることになります。では同作は誰にでもわかりやすく楽しめる映画なのかというとまったくそうではありません。
 
おそらく同作を最初に観た時、古参ファンを含めた観客の大半はそのストーリーの難解さに困惑したのではないでしょうか。しかし、逆説的にもその難解さこそが同作の強みの一つであるともいえるでしょう。
 

* 名塚底根と魔女の正体

 
見滝原の女の子たちのあいだで、最近、とあるうわさ話が囁かれていた。“トカゲさん電話”が、願いを叶えてくれる――この世の呪いと戦うことを引き換えに。その頃、“ソウルジェムを持たない少女”が魔獣狩りを行うという、異常事態が連続して起きていた。ほむらは、そんな風景を悠然と眺め、この世界に君臨する悪魔として、すべてをほしいままにしていた。――はずだった。
 
そんな歪んだ日常を終わらせる存在が、突如として現れる。すべての魔女の始まりの場所――名塚底根(なづかそこつね)、かつてほむらを苦しめた複数の魔女の集合体――ワルプルギスの夜、そして、円環の理を求める魔法少女がふたり。少女たちは言う。「暁美ほむらを許さない」と。
 
TVシリーズと前作劇場版に続いて本作の脚本を担当した虚淵玄氏によれば、本作の脚本はアイデアは異空間設計担当の劇団イヌカレー(泥犬)氏から提出された「ものすごい量」のアイデアノートをストーリーとして整理することで出来上がったとのことです。本作における鍵概念である「名塚底根」なるシステムもこのアイデアノートに由来するものだそうです。
 
この「名塚底根」とは「すべての魔女の始まりの場所」であり、その内部には過去の魔女たちの記録が本のような形で保存されています。そしてこの「名塚底根」を生み出した存在こそがTVシリーズのラスボスである舞台装置の魔女こと「ワルプルギスの夜」です。本作では長らく謎の存在であったこのワルプルギスの夜の正体のみならず、さらには魔法少女の成れの果てである「魔女」そのものの正体が明らかになります。
 
本作は俯瞰的にいえば「魔女の誕生」をテーマとした作品であったといえるでしょう。そして、これまで単に絶望の象徴とされてきた「魔女」の意味自体を来るべき希望の萌芽へと書き変えることで、まどかという作品の世界観の枢要部をなす「希望と絶望の相転移」からの「救い」を系譜学的に描き出したことは間違いなく本作における達成であるといえます。しかし、一回映画を見ただけで本作のテーマを把握することは非常に困難であるといえます。
 
本作でワルプルギスの夜は「名前のない上級生/ワス」という「魔女っ子(元魔女の魔法少女)」として、紫丁香とセルマ・テレーゼという二人の魔女っ子を引き連れ「名塚底根」を通って現世に転生してくることになりますが、この3人の思惑の相違がストーリーをやたらと複雑にしており、肝心の本作のテーマである「魔女の誕生」というのがなかなか見えづらくなっていることは否めないでしょう。
 
普通に一回観ただけだとおそらく、あまりの目まぐるしい展開に置いてけぼりにされ、何がわからないのかすらもわからないままに、気がつくとエンドロールを呆然と眺めながら「何を一体、観せられたんだ・・・?」といった感想に至るのではないでしょうか(私はそうでした)。しかしそれは本作がつまらない映画であることをまったく意味していません。
 
本作は「魔女の誕生」という本作固有のテーマと、前作の続編として「円環の理」をめぐる物語に何らかの決着をつけなければいけないという要請が絡み合った結果、極めて難解なストーリーとなりました。しかしながら、その難解さにも拘らず、最後まで面白く観れた映画でした。
 
本作の持つ真の凄みは一見するとわけのわからない物語がまるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような煌びやかな過剰さを伴って魅力的な「謎」の奔流として観客を幻惑するところにあるのではないでしょうか(ついうっかり、ラカンのいう「現実界」という言葉を使いたくなります)。公開以降、巷に溢れかえる本作をめぐる膨大な考察群がそのことを端的に証明しているといえるでしょう。
 
ここから初見の感想を元手として考察を重ねた上でまた再び劇場に足を運ぶと、そうかこのシーンはじつはこうであの台詞はじつはこういうことだったのかといった新たな発見があり、さらに味わいが増す映画でもあります。
 
例えばワスの正体と過去を理解した上で本作の前半における彼女の芝居がかった台詞とさまざまな奇行(?)を改めて観返すと初見ではただの不審者だったのが2度目以降の鑑賞からは奇妙なカリスマ性と深い情念が滲み出る多重性を帯びたキャラクターへと、その観え方が劇的に変貌するのではないでしょうか。こうした意味で本作は観るたびに「じつは・・・だった」とその解釈を深めていくことができる「訂正可能性(東浩紀)」に満ちた「考察の時代(三宅香帆)」に相応しい映画であったように思います。
 

* 魔法少女の真実と「正義」の問題

 
さらに本作は2020年代のいまを生きる我々に向けて極めてアクチュアルな問いを放ってきます。かつて『魔法少女まどか☆マギカ』という作品が現代思想/表象文化に多大なインパクトをもたらした理由の一つとして「大きな物語」を失った現代ポストモダンにおける「正義」の在り処を深く問い直した点が挙げられます。そして本作もやはりまた、TVシリーズ放映から15年以上たった2026年の今だからこそ問われるべき「正義」の問題を抱え込んでいます(それゆえにストーリーが複雑になっているともいえます)。
 
先述のようにワス、丁香、セルマという3人の魔女っ子は異なった思惑を抱えて現世に転生してきますが、思惑という点においてこの中でもっとも異質な存在がセルマです。セルマは一見、元気で無邪気な性格ですが、世の中の「役に立つ」ことを信条としており「役立たず」であることを激しく忌避しています。そして特筆すべきは彼女が「魔法少女の真実」を知ってなお、キュゥべえを支持しているという点です。
 
周知のようにキュゥべえの正体はインキュベーターという地球外生命体であり、彼らは宇宙の寿命を伸ばす為にエントロピーに逆立するエネルギー源として人類の、それも二次性徴期における少女の「希望と絶望の相転移」がもたらす感情エネルギーに着目し、そのエネルギーを効率的に搾取する為のシステムを開発します。これが「魔法少女」です。
 
キュゥべえ=インキュベーターと契約し、一つの願いと引き換えに魔法少女となった少女は、その魂を身体から引き剥がされ「ソウルジェム」に具象化されます。そして極限まで穢れを溜め込んだソウルジェムは魔女の卵である「グリーフシード」へと相転移します。かくて魔法少女は魔女となり、インキュベーターはその際に生まれる莫大な感情エネルギーを回収します。これが「魔法少女の真実」です。
 
しかし「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」というまどかの願いを具現化した「円環の理」の発生により魔女という存在は須く消滅し、改変後の世界においてキュゥべえは「魔獣」という「人の世の呪い」「世界の歪み」により生じた存在からエネルギーを回収していますが、その回収効率の点において魔獣は魔女に遠く及びません。
 
つまりセルマにとっては円環の理など宇宙の寿命を伸ばすというキュゥべえの「役に立つ」目的を妨害する「役立たず」でしかないということです。それゆえにまどかを逆恨みする彼女は、まどかを拘束して魔女化させ膨大なエネルギーを発生させようとします。しかしキュゥべえが求めているのはあくまで魔法少女の「希望と絶望の相転移」から発生する感情エネルギーであり、この世界では普通の人間でしかないまどかを無理やり魔女化させてもそれらのエネルギーは発生しません。彼女の努力は完全に空回りしていたのです。しかしここでキュゥべえの立場を明確に支持する魔法少女を投入してきたという事実はこの映画が問う「正義」の問題を考える上で極めて重要であるといえます。
 

* いまもキュゥべえは「悪」なのか

 
この点、TVシリーズにおける「まどか」はまさに現代政治哲学の縮図でもありました。言うなれば、キュゥべえは最大多数の最大幸福を重視する「功利主義」の立場を、マミとさやかは不遇な人々の救済を重視する「リベラリズム」の立場を、杏子とほむらは自由意志による主体的選択を重視する「リバタリアニズム」の立場をそれぞれ代弁していました。
 
こうした構図からすれば、すべての魔法少女が魔女になる前に消滅する世界を願ったまどかは「コミュニタリアニズム」と呼ばれる立場から読み解くことができます。コミュニタリアニズムの代表的論客として知られるアメリカの政治哲学者マイケル・サンデルによれば、個人を基礎づける「生の物語」は常の我々の属するコミュニティの物語と結びついており、それゆえにある制度が「正義」に値するか否かは、当該コミュニティを規定する名誉や美徳といった「共通善」に照らしあわせなければならないとされますが、まさしく、まどかは魔法少女というコミュニティの物語を書き換える事で、彼女が「希望」と呼ぶ魔法少女の「共通善」を称揚したといえるでしょう。
 
このようにTVシリーズはキュゥべえ的な功利主義がまどか的なコミュニタリアニズムに敗北する物語として読み解くことができます。この構図は当時、読書界で話題を呼んでいたサンデルの『これからの「正義」の話をしよう--いまを生き延びるための哲学』(2010)における議論の展開とも親和的であり、TVシリーズの結末は少なくとも「正義」の問題としては受け入れやすいものであったといえるでしょう。
 
しかしあれから15年以上もの歳月が流れ、世の中の価値観はずいぶんと変化しました。この価値観の変化の本作における現れの一つとして、キュゥべえの描かれ方をあげることができるでしょう。これまでのキュゥべえは常に乗り越えられる「悪」の象徴として描かれてきました。しかし、2026年の現在、彼(?)の合理的な思考と感情の欠落は生成AIそのものであるといえます。我々はそんな存在と日常的に対話し、時にはそれこそ「救い」なんかを求めたりもします。合理的な思考と感情の欠落は今やそれだけでただちに「悪」とは言えなくなっているということです。こうした現実世界の変化と本作におけるキュゥべえの描かれ方の変化は決して無関係ではないでしょう。
 
本作においてキュゥべえはかつてのような乗り越えられる「悪」ではなく、宇宙の延命という自身のミッションを忠実に遂行する立場から円環の理をめぐるバトルロワイヤルに参加するプレイヤーとして、もちろん肯定的ではないにせよ、比較的ニュートラルな描かれ方をしているように見受けられます。
 
そして、そんなキュゥべえを明確に支持するキャラクターとしてセルマが投入されることになります。ここにはTVシリーズの時には見い出せなかったひとつの「正義」を見出すことができるでしょう。これは近年の現代思想の文脈において功利主義の亜種として登場した「長期主義」と呼ばれるものに相当するといえます。
 

* 長期主義とは何か

 
「長期主義」とは将来の世代への影響や長期的視点を重視する倫理的および哲学的立場です。この長期主義の提唱者であるウィリアム・マッカスキルは著書『見えない未来を変える「いま」--〈長期主義〉倫理学のフレームワーク』(2022)において「長期的な未来にプラスの影響を及ぼすことが、現代の主な道徳的優先事項のひとつである」と述べています。
 
長期主義は現在の人類は未来に決定的な影響をもたらしうるという認識から、まだ存在していなけれども、いずれ生まれるであろう未来の圧倒的な数の人類のため長期的な配慮をして生きていかなければならないと説きます。
 
長期主義が言わんとするのは未来の人々の命は現代の人々の命と同じく大事なのだから、その巨大な命を救うよう選択しようということです。マッカスキルは「時間的な距離は、空間的な距離と似ている、数千マイル先に暮らす人々が重要であるように、数千年先に暮らす人々もまた重要だ」と述べています。
 
そして長期主義における実践の指針としてマッカスキルが提示するのが「効果的利他主義」と呼ばれる理論です。マッカスキルによれば効果的利他主義とは「理性とエヴィデンスを用いて最大の善を探り、それに基づいて最大の善をもたらそうとするプロジェクト」のことをいいます。
 
マッカスキルは長期主義の提唱に先立ち『〈効果的な利他主義〉宣言!--事前活動への科学的なアプローチ』(2015)という著作で限られたリソースで慈善のパフォーマンスを最大化させるための指針を提示しており、長期主義の枠組みにおいても効果的な慈善活動を称揚します。
 
長期的な未来のために出来ることを効果的に選択せよ。ここまでの話をこう要約すると長期主義とは一見して至極まっとうな思想にも見えてきます。実際のところ長期主義と効果的利他主義は共に「TESCREAL」と呼ばれるシリコンバレーの知的トレンドの一角を占めています(「TESCREAL」とはトランスヒューマニズム/エクストロピアニズム/シンギュラリタリアニズム/宇宙主義/合理主義/効果的利他主義/長期主義のアルファベットの頭文字をつなぎ合わせた造語です)。
 

* キュゥべえ的な「正義=正しさ」にいかに向き合うか

 
こうしてみるとかつてキュゥべえが体現したと思われた功利主義は今日においては長期主義という思想から捉え直すことができるように思えます。TVシリーズ第9話においてキュゥべえがまどかに向けて言い放った「君達人類だって、いずれはこの星を離れて、僕達の仲間入りをするだろう。その時になって、枯れ果てた宇宙を引き渡されても困るよね。長い目で見れば、これは君達にとっても、得になる取引の筈だよ?」という台詞はまさに長期主義的な発想に立脚しているといえるでしょう。
 
こうした意味でキュゥべえにとって魔法少女の「希望と絶望の相転移」によるエネルギー回収とは長期主義の実践としての「効果的利他主義」でいうところの「理性とエヴィデンスを用いて最大の善を探り、それに基づいて最大の善をもたらそうとするプロジェクト」に他なりません。しかもこれは彼(?)にとっては「合意を前提に契約している」「十分に良心的な筈」の行為ということになります。
 
そして、このようなキュゥべえ的な長期主義/効果的利他主義を徹底して内面化した存在がセルマです。これに対して本作は全力をもってセルマを刺しに行きます。しかしながらそれはストーリー展開上の都合に過ぎず、エンドロール後に出現した続編を匂わせるかのようなラストシーンを見れば明らかな通り、本作はキュゥべえ的な長期主義それ自体を完全に退けるところまでは至っていません。
 
もちろん現実の長期主義には様々な批判が提起されています。しかしいくら色々と理屈を言ったところで長期主義が暗黙裡に放つ「お前は未来の人々に配慮しないのか」「お前は未来の人々の気持ちを考えないのか」「お前は未来の人々に対する加害者になりたいのか」といったある種のポリティカル・コレクトネス的な「正しさ」を纏った圧に対して心理的な負い目をまったく感じないことは極めて難しいのではないでしょうか。
 
少なくとも、もはやかつてのようにキュゥべえを純然たる「悪」として安全圏から断罪できた幸福な時代は終焉したと言わざるを得ないでしょう。いまや我々はAIや長期主義として現実に到来するキュゥべえ的な「正義=正しさ」にいかに向き合うかが改めて問われています。畢竟、本作が描き出したものとは、そんな2020年代における「正義=正しさ」を記述する困難さであったといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

横断する知としての精神分析--工藤顕太『無意識の発見 心に挑んだ精神分析の歴史』

* 精神分析は時代遅れなのか?

 
精神分析はウィーンの精神科医ジークムント・フロイトによっておおよそ20世紀の始まりと時を同じくして生み出されました。フロイトは「神経症」と呼ばれる身体の一部の麻痺や特定の対象への異常な恐怖などといった多種多様な原因不明な症状に苦しむ患者たちを寝椅子に横たわらせ、どんなに支離滅裂でも荒唐無稽でも不道徳な話でもいいから、とにかく頭に浮かんだことをすべて話してもらう「自由連想」と呼ばれる治療を試み、患者の話を注意深く聴くことで症状の背後に本人さえ気づいていない「無意識」という領域における葛藤があることを発見します。
 
ここでいう葛藤とは心が抱え込む矛盾であり、その矛盾はつねに他者の存在が関与しています。例えばある人と親しくなりたいと思う一方で、いざ一緒に過ごすと相手が何を考えているかわからないことが不安で逃げ出してしまいたくなるといったものです。「神経症」という原因不明の症状の数々はそうした矛盾の表現に他なりません。それは解読されるまで消えることのない謎めいたシグナルのようなものです。フロイトはその矛盾を患者自身が少しずつ言葉にしながら、自分のものとして理解し受け入れていくことで、症状=シグナルを解消させるという新たな治療実践を生み出しました。これが精神分析です。
 
現代においては精神分析などすでに時代遅れであるという意見も多く見受けられます。精神分析の学説はエビデンスに乏しい非科学的なものも多く、現代には時間的にも経済的にも、より負担の少ない洗練された心理療法があります。そもそもメンタルに不調をきたした場合、病院に行って医師の診断を受けて睡眠導入剤や抗不安薬を処方してもらうことがもっとも手軽で合理的な解決であるともいえるでしょう。
 
では、いまや精神分析はその使命を終えたのかというと、もちろんそんなことはありません。現代においても精神分析でしか取り扱えない固有の領域があります。それが「無意識」です。こうした「無意識」という観点から「心」を再考する一冊が本書『無意識の発見 心に挑んだ精神分析の歴史』です。
 

* 自分が本当に望んでいるものは何か?

我々の生活というものは基本的に「したいこと」ではなく「しなければならないこと」によって動いています。勉強、仕事、子育て、介護などといった日常を忙しくこなしていると、自分が何を望んでいるかを考えている間もなく、目の前に「しなければならないこと」がつぎつぎに積み上がっていきます。こうしてとにかく生活に必要なことをあくせく片付けていくだけであっという間に時間は流れ去っていきます。
 
そんな慌ただしい生活からひとときでも解放された時、人は何をするのでしょうか。例えば気になっていた店に行くかもしれませんし、あるいは家で本を読んだりドラマを見るかもしれません。しかしこうした諸々の「したいこと」という欲望はどこから来るのでしょうか。
 
情報とメディアと資本とが結合して久しい今日の世界では個人が自分の欲望について問いを発するよりも早く、我々を満たすべくさまざまな情報とモノが次々と供給されてきます。こうした情報とモノの奔流によって個人の欲望は半ば自動的に突き動かされているともいえるでしょう。
 
しかしながら、それでも欲望をめぐる問いがすっかり消滅することはありません。我々はふと、これは本当に自分が望んだものだろうかと考えてしまいます。そしてこのような問いについて考えるということは他らなぬ自分自身について考えることでもあります。つまり欲望をめぐる問いは自己をめぐる問いでもあるということです。
 
本書は「はじめに--心はいかにして発明されたか」においてこうした「自分が本当に望んでいるものは何か?」という問いから出発します。そしてこの「自分が本当に望んでいるものは何か?」という問いこそが、精神分析を創始したフロイトが発した問いに他なりません。
 
本書は精神分析などすでに時代遅れであるという批判を半分は認め、確かに精神分析がある特定の時代的・文化的条件のもとで生まれた実践である以上、それはやがて役目を終えることになるだろうとしつつも、そうであるにもかかわらず精神分析を取り上げるのは20世紀のはじめにフロイトが立てた「自分が本当に望んでいるものは何か?」という問いこそが、今日の我々一人ひとりにとっていまもなお、本質的なもの、切実なものであり続けているからだといいます。
 
精神医療の臨床実践の形態は時代に応じて変化していき、理論は新たな知見によって乗り越えられ、否応なく古びていきますが「本質的な問いというものはいわば若いままなのである」と本書はいいます。すなわち、現代を生きる我々はいまもフロイトと同じ問いを抱えているということです。こうした問いから本書は「私たち自身の複雑さを、複雑なままに理解し、受け止める営み」である精神分析のプロセスを極めて明快な文体で解きほぐしていきます。
 

* 心の媒体としての「生きた関係」

 
続いて本書は精神分析においては「心」というものをどのように捉えるのかにつき、次のように述べます。当たり前のことですが、心そのものは目に見えないし、直接手で触れることもできません。そこで「心」の科学としての心理学は観察可能な行動に目を向け、それをデータとして記録し、そこにある特性なり傾向なりを差し当たり「心」とみなすという方法を考えました。
 
あるいは、ある集団にアンケート調査を行い、回答のパターンを統計的に分析して、ある項目と別の項目の相関関係を浮かび上がらせ、そこに「心」の動きを見出すというやり方もあります。さらにはデジタル機器を用いた実験によって知覚や認知の情報処理プロセスを分析し、それを司るシステムを「心」とみなすアプローチもあるでしょう。
 
いずれにしても心がそのものとして姿をあらわすことはなく、何らかの媒体に写し取られてはじめて、間接的に、心は現れる事になります。そして精神分析において心が現れる媒体とは分析を受ける人と精神分析家との関係に他なりません。換言すれば「心とは他者との生きた関係のなかにこそ現れる」ということです。
 
すなわち、分析を受ける人だけでなく分析家もこの関係の当事者である以上、そこでは分析家の心も何らかのかたちで現れてきます。この相互作用によって関係は絶えず現在進行形で変化し、動いていくことになります。これが「生きた関係」であり、精神分析ではそれを心の現れと考えるということです。
 
この考え方は「自己」の成り立ちにも深く関わってきます。精神分析は自己を歴史的に理解します。いまここにいる自己は固有の歴史を持っており、その歴史は他者との関係の積み重ねからできています。今までどんな人と出会い、どんな関係を紡ぎ、どんな体験をしたかといった「関係の履歴」によっていまここにいる自己は作られています。
 
そしてこうした「関係の履歴」は現在進行中の関係のなかに再び姿を現します。我々の対人関係には反復される構造、つまりある種のパターンがあり、しかもこのパターンは無意識的なものであり、まるで避け難い運命のような顔をして現れます。しかしフロイトはそれを運命として受け入れるのではなく、そのパターンがいつどのようにして生み出されたかを探究しました。このことから「過去に囚われ続けないために、過去と対峙し、自分にとってそれが何だったのかを理解すること」こそが精神分析のコアにある思想であると本書は述べています。 
 

* 知の運動としての精神分析史

 
いま述べたように自己は他者との関係の履歴によって作られます。そして、このような関係の履歴の最初に位置する他者が親をはじめとする養育者です。非常に未発達な状態で生まれてくる人間の子どもは一定期間、養育者に全面的に依存しながら成長します。家族のかたちは時代や文化によって様々に変化するし、個別ケースに目を向ければそれこそ無数の家族形態があります。しかしそれでも我々の自己が他者への依存から始まるという事実は変わりません。
 
それゆえに精神分析は親子関係に注目します。本書では父子関係や母子関係にまつわる精神分析独自の概念が色々なかたちで登場しますが、それらはどれも、心が生成される最初の現場で起きていることを高解像度で把握するための装置に他なりません。これらの装置は分析家たちが自らの臨床経験から学び取ったことの結晶といえるものです。
 
これらの結晶たちはそれぞれの特性を持ちつつも連鎖して大きなつながりを形作っています。つまりそこには、ある概念が別の視点から捉え直されたり、新たな意味を獲得したり、ある理論に対する批判が新たに独創的な知見を生み出したりする知の運動が存在するということです。本書は精神分析の歴史を辿り直し、こうした知の運動を浮かび上がらせることで「ひとつひとつの概念が生きたものとなり、私たちの自己をめぐる考察も、多様な視点と独特の手応えを持つものになるだろう」と述べます。
 
本書ではまず第一章で精神分析の誕生に至る前史を取り上げられます。フロイトの独創的なアイデアは彼が19世紀の医学における先端的な知見と対話するなかから生まれたものです。フロイトはまさにこの対話から心が生きた関係のなかに現れることを洞察し、無意識へのアプローチを確立しました。
 
続く第二章ではフロイトの代表的な学説であり精神分析の代名詞とも見做される「エディプス・コンプレックス」が取り上げられます。本書はフロイト自身の個人史に光を当てることで、今日においてはあまり評判の良くないこのエディプス・コンプレックスという理論の裏面を描き出すことを試みます。
 
そして第三章では精神分析史に多大な足跡を残した女性分析家メラニー・クラインが取り上げられ、第四章ではクラインから影響を受けた分析家としてウィルフレッド・ビオンとドナルド・ウィニコットが取り上げられ、第五章ではフロイトを徹底的に読み直すことで独創的な精神分析理論を立ち上げたジャック・ラカンが取り上げられます。
 
さらに第六章ではフロイトと訣別し無意識に関する独自の理論を展開したカール・グスタフ・ユングが取り上げられ、河合隼雄氏と村上春樹氏の対話を切り口として「物語」というテーマから村上氏の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』と『海辺のカフカ』の読解を通じて「集合的無意識」「個性化」「影」といったユング独自の概念を具体的な文脈の中で理解するための手がかりが探られます。
 

* 横断する知としての精神分析

 
このように本書は「自分が本当に望んでいるものは何か?」という問いから出発し「自己」の成り立ちを考えるという極めて普遍的なテーマから、様々な学派を超えたところで共有されている「精神分析のエッセンス」にアプローチしていきます。では、こうした本書の提示する「精神分析のエッセンス」からいかなる実践が可能となるのでしょうか?以下ではさしあたり、そのいくつかの可能性を最近話題になった人文書から思いつくままにあげておきたいと思います。
 
例えば谷川嘉浩氏は『改訂増補版 スマホ時代の哲学』(2025)においてスマートフォンとSNSの普及による常時接続が常態化した現代において必要な能力として「ネガティヴ・ケイパビリティ」を挙げています。このネガティヴ・ケイパビリティという概念はジョン・キーツというイギリスの詩人が提示したものですが、本書でも登場する精神分析家ウィルフレッド・ビオンはこのネガティヴ・ケイパビリティを精神分析家に必要な能力として読み替えています。
彼は診察室での精神分析家は戦場における兵士と同様に、患者の反応や訴えという不確実で予測もコントロールもしきれない「砲撃の下」で考え続ける役割を負っていると考えました。こうした議論を受けて同書は「消化しきれなさ」「難しさ」「モヤモヤ」といったものを腹の中に抱えておく能力を「ネガティヴ・ケイパビリティ」として概念化します。つまり、精神分析の知見は常時接続の「スマホ時代」において「ネガティヴ・ケイパビリティ」を生きるための教養として位置付けることができるということです。
 
また朱喜哲氏は『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』(2026)において、現代において哲学の使命とは「会話」を守ることであると考えたローティとともに「否応なくバラバラな世界で、バラバラなまま、しかし共に生きるために、どんなことばを使うべきなのか」を問い直していきます。
ローティは『偶然性・アイロニー・連帯』という著作で、人がどのようなボキャブラリー(ことばづかい)を使うかは歴史的な偶然性の産物であり「偶然性」に規定された「われわれ」がたまたま持つ「終極の語彙」を「アイロニー」により再記述する「われわれの拡張」として結果的に「連帯」が生じると論じています。
 
換言すれば日々の「ことばづかい」を変えることによって「われわれ」は変わり、世界も変わるということです。そして「心」をめぐる知の運動としての精神分析の知見にはこうした「われわれ」を理解するための「ことばづかい」を豊かにするためのヒントが溢れているといえるでしょう。
 
あるいは三宅香帆氏は『「夫婦」不在社会』(2026)において「母の愛」こそが「本物の愛」に擬せられる昨今の風潮の裏から、物語における「夫婦の不在」の問題を取り出してきます。同書は1979年に公刊された村上春樹氏のデビュー作『風の歌を聴け』と2024年に放映されたTVドラマ『海のはじまり』を比較し、前者が親になることを拒否した結果、女性に置き去りにされた男性の物語だったとすれば、後者は女性に置き去りにされてはじめて親になろうとする男性の物語であったといいます。
ここから同書は親になるというタテ方向の「責任」の問題と、夫婦が向き合うヨコ方向の「関係」の問題を同時に描くことは、そんなにも難しいのだろうか?という問いを投げかけます。このような問いを考える上で親子関係を様々な角度から考察してきた精神分析の知見が有用な補助線を提示することはいうまでもないでしょう。
 
そして今ここで思いつくままに取り上げた「ネガティヴ・ケイパビリティ」「終極の語彙」「夫婦の不在」といった一見するとまったく異なる領域における問題の根底にはすべからく、かつてフロイトが提示した「自分が本当に望んでいるものは何か?」という問いが潜んでいます。こうした意味で本書は精神分析の歴史をコンパクトに記述する良質の入門書であると同時に、一見つながらなさそうなものをアクロバティックにつなげていくことを可能とする領域横断的な知を涵養する一冊であるといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

村上春樹と「夫婦」の問題--三宅香帆『「夫婦」不在社会』

* 母の愛と夫婦の不在

 
文芸評論家の三宅香帆氏は小説、漫画、ドラマ、映画といったコンテンツ体験を言語化してコミュニケーションに活かす技術を指南する『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』(2025)において「話が面白い人」になるには小説や漫画を読んだりドラマや映画などを観ることが必要だけれども、ただ漫然と読んだり観るのではなく「鑑賞」として取り入れることが重要であり、そこには作品を「解釈」するための技術が必要になるとして、読んだり観たものを話の「ネタ」に変えるための技術を提示しています。
 
その一つに「書かれていないもの」を探し出す〈発見〉というプロセスがあります。すなわち、ある作品を読んだり観たりしてて、普通なら書かれていてもおかしくない話が出てこない場合や普通に出てきても良さそうなキャラクターが出てこない場合はそこには理由があり、作者の深いこだわりがあると同書はいいます。そしてこのような「書かれていてもおかしくないのに書かれない(あるいは書きづらい)」大きなテーマである「夫婦」を「親子」「沈黙」「労働」「時間」という観点から論じる三宅氏の新著が本書『「夫婦」不在社会』(2026)です。
本書はまず冒頭で2023年の年間配信再生数ランキング1位のTVアニメ『【推しの子】』と、興行収入ランキング1位の映画『THE FIRST SLAM DUNK』と、年間ベストセラー単行本文芸書1位の小説『汝、星のごとく』の共通点として主人公の母親がいずれもシングルマザーであることに注目します。おそらくこのことはあまり意識されていないでしょう。三宅氏によれば「私たちはシングルマザーの物語に慣れ切っている」ということです。
 
ここから本書は『【推しの子】』がまさにそうであったように「母の愛」こそが「本物の愛」に擬せられる昨今の風潮の裏から、物語における「夫婦の不在」の問題を取り出してきます。そしてこの「夫婦の不在」の問題を読み解く上で本書が導きの糸とするのが現代を代表する作家である村上春樹氏の作品群です。本書のあとがきでは「夫婦というテーマで読む村上春樹作品」というのが「本書の裏コンセプト」であると述べられています。
 

* 息子であり父であるが夫ではない

 
例えば『【推しの子】』『THE FIRST SLAM DUNK』『汝、星のごとく』がヒットした2023年に村上氏が公刊した長編小説『街とその不確かな壁』のヒロインは主人公が高校時代に恋をしていた少女ですが、彼女が主人公に出した手紙には彼女がみた夢が綴られており、その内容は「自分が妊娠しているらしいことに気がつく」というものです。
 
このくだりがどういう意味を持っているのかは最後まで定かではありませんが、ここでは「初恋の女の子が母のイメージを伴っている」ことを読者に印象付けており、この「母」というイメージには現実世界では成就できない「自分を産む前のお母さんと恋をして、自分を産んでもらいたい」という欲望が現れており、こうした欲望は同作と同じ2023年に公開された宮崎駿氏の『君たちはどう生きるか』とも共通すると本書は述べています。
 
また本書は『街とその不確かな壁』と『君たちはどう生きるか』のもうひとつの共通点として「父」として自分の仕事を誰に継承させるのかという問題があるとして、ここから村上氏にせよ宮崎氏にせよ彼らの自意識は「息子」であり「父」ではあるけれど、そこでは「夫」であるという自意識は「すっぽりと抜け落ちている」と述べています。
 
さらに本書は1979年に公刊された村上氏のデビュー作である『風の歌を聴け』にまで遡ります。同作には主人公である大学生の〈僕〉の友人である〈鼠〉が〈小指のない女の子〉と呼ばれる女性を想定外に妊娠させてしまうというエピソードが潜んでいます。中絶を選んだ〈小指のない女の子〉は〈鼠〉のもとを去り、一方で〈僕〉は関係を持った女性が自殺している過去を持っています。このことから文芸評論家の斎藤美奈子氏は同作を「女に置き去りにされた男の物語」と評しています。
 
これに対して本書は『風の歌を聴け』と2024年に放映されたTVドラマ『海のはじまり』を比較し、前者が親になることを拒否した結果、女性に置き去りにされた男性の物語だったとすれば、後者は女性に置き去りにされてはじめて親になろうとする男性の物語であったとして、親になるというタテ方向の「責任」の問題と、夫婦が向き合うヨコ方向の「関係」の問題を同時に描くことは、そんなにも難しいのだろうか?という問いを投げかけます。
 

* 夫婦のディスコミュニケーション

 
ここで本書は村上氏の短編小説「カンガルー日和」(1981)を取り上げます。この小説は「僕」と「彼女」の男女二人がカンガルーを動物園に見に行く話です。二人は新聞で「カンガルーの赤ちゃん」の誕生を知って動物園に行こうとしますが、雨が降ったり、僕が区役所に出かけたり、彼女が虫歯になったりしてタイミングを逸し続けているうちに1ヶ月が過ぎます。ようやく「カンガルー日和」を迎えた二人は動物園に向かいますが、その途中で彼女は「カンガルーの赤ちゃん」を見られるかをしきりに気にしています。
果たして生まれたカンガルーはもう「赤ちゃん」といえる時期を過ぎて、小型のカンガルーになっていました。僕が彼女をカンガルーの檻の前で待たせてチョコレート・アイスクリームを買って戻ってくる前後で、彼女はなぜか「もっと早くくるべきだったのよ」「もう赤ん坊じゃないのよ」と苛立っています。しかし僕は何も言えません。「これまで女の子と議論して勝ったことなんて一度もない」僕は都合が悪くなると基本的に黙る男なのです。結局、僕は「ビールでも飲まない?」という彼女に「いいね」ということしかできません。
 
本書は先行研究を踏まえ、母親カンガルーと父親カンガルーに「彼女」と「僕」を重ね合わせ、さらにチョコレート・アイスクリームとビールに「子どもでいようとする嗜好」と「大人になろうとする嗜好」を重ね合わせた上で、この描写を「子どもを望みタイムリミットを気にする彼女に対して、僕は、何もいえないが父になることにどこか抵抗している」と読み解き、一見、爽やか雰囲気を湛えたこの小説を「子どもを持つことと夫婦のディスコミュニケーションをめぐる物語」であるといいます。
 
次に本書は「カンガルー日和」の翌年に公刊された長編小説『羊をめぐる冒険』(1982)を取り上げます。本書はこの小説における「女性が台所に立つと、物語から退場する」という奇妙なルールに注目し「台所」を「母」の比喩として読み解き「母になろうとした女性は、僕の前から消えてしまう」「僕は、自分が親になりたくないし、彼女にも母になってほしくないのである」と述べます。
 
一方で僕の友人である鼠は「台所」で自死し、僕は鼠が自死した家を「台所」ごと爆破して立ち去っていきます。つまり、鼠は「少年のまま母のもとにいること」を選択し、僕は「子どものまま」「母のもとからちゃんと出ることを決める」「つまり成熟を決意する」ことになります。
 
このように「父にならず、母のもとから去る」「ひとりになる」という決意が『羊をめぐる冒険』で提示された成熟のかたちです。しかしそこに「妻」はいません。夫婦のディスコミュニケーションはそのままになっています。このように村上春樹という国民的作家といってよい書き手が夫婦のまま親になるという物語の困難を図らずも描いているということです。
 
では村上氏は夫婦の物語を書かなかったのかというと、もちろんそんなことはありません。氏が夫婦のディスコミュニケーションという主題に真正面から取り組んだ作品こそが、氏の代表作の一つとして名高い長編小説『ねじまき鳥クロニクル』(1994〜1995)です。
 

* 今度はどこにも逃げないよ

『ねじまき鳥クロニクル』という小説は主人公夫婦が飼っている猫がいなくなる話から始まります。主人公である岡田トオルは猫がいなくなったことを妻であるクミコから理不尽に責められますが、例によってトオルは何も言いません。ここでもかつての「カンガルー日和」における苛立つ彼女と黙る僕という構図が見事に反復されています。
 
しかしこの小説ではクミコもクミコで黙ったまま失踪します。クミコの失踪の原因は直接的にいえば彼女の実兄である綿谷ノボルの仕業ですが、実はクミコが以前に堕胎手術を受けていたことも彼女の失踪に大きな影響を与えていました。綿谷ノボルはある種の度を超えた暴力性を持った悪を体現する存在であり、クミコは子どもにその性向が遺伝するのを恐れていたのです。
 
クミコは堕胎手術を受けた理由をトオルにうまく説明できていませんでした。その一方でクミコは「謎の女からの電話」というかたちで以前からトオルにSOSのサインを出していましたが、トオルはその電話を「僕のほうから切っていた」のでした。クミコの失踪は夫婦のディスコミュニケーションの問題であったということです。こうしてトオルは猫に続いてクミコを失うことになります。
 
しかしやがて物語の終盤に猫が帰ってきます。この猫はもともと冗談で「ワタヤ・ノボル」という名前が付けられていたのですが、ここにきてトオルは猫を「サワラ」と名づけ直します。本書はこの小説に登場する猫を「子ども」の比喩として読み解いています。つまりこれまで「ワタヤ・ノボル」というクミコ側の血統を継ぐ存在であった猫=子どもを自分で「サワラ」と名づけ直すことでトオルは「父」になろうとしているということです。
 
こうして猫に新しい名前を付けたトオルは井戸に潜りバットを手にして、さまざまな手がかりを得ながら、いなくなったクミコを取り戻しにいきます。もちろん強大な悪である綿谷ノボルに勝つことは容易ではなく、闇の中での対話でクミコはトオルに「逃げて」といいます。しかしトオルは「今度はどこにも逃げないよ」「僕は君を連れて帰る」とその決意を告げます。
 
結局、終盤においてクミコは家族の悪を清算するため兄を殺害し、その罪を引き受けることになります。そしてトオルはいつか帰ってきたクミコとの間にできた子の名前を自ら名付けようとします。それは畢竟「父になる」という宣言に他ならないでしょう。
 

*『ねじまき鳥クロニクル』における「可能性の中心」

 
このように村上氏は『ねじまき鳥クロニクル』で夫婦のディスコミュニケーションという問題に真正面から取り組み、そこでは「父になる」という成熟モデルが示されました。そして同作以降「父と子」という主題が『海辺のカフカ』(2002)『1Q84』(2009〜2010)『騎士団長殺し』(2017)『街とその不確かな壁』(2023)といった後期村上作品において反復されていくことになります。しかし注意すべきは「父になる」ことと「夫になる」ことは似て非なる差異であり、本書はまさにこの差異を問い直していきます。
 
本書は山本文緒氏の小説『なぎさ』(2013)の読解を通じて夫婦間のコミュニケーションを回復させるための理路を「共同性」と「親密性」という二つの関係性の組み合わせから考えます。本書は臨床心理学者東畑開人氏の議論を踏まえてこの共同性と親密性の違いとは「傷つきの扱い方」にあるといいます。前者は学校や職場や地域の交友関係のようにお互いを傷つけ合わないよう配慮する関係性であり、後者は恋人や家族のようにお互いが不可避的に傷つけあってしまう関係性を指しています。
 
そしてこの親密性における「傷つけあう」ことから「修復する」ことの過程そのものが、唯一無二の親密な関係においては最も重要であるとして、そのためには親密な二者関係で起こった「傷つき」を安全にシェアできる第三者が必要であるといいます。換言すれば「親密性の問題を、共同性にシェアする」ということです。
 
さらに本書は社会学者タルコット・パーソンズの議論を参照し、近代社会における「公」と「私」の分離という前提から「公」的な振る舞いを内面化した人々は、自身の傷を受け入れるという「私」的な振る舞いを拒否する傾向にあり、それこそが「夫婦」を困難にしているとして「私」の場を取り戻すことを説きます。
 
興味深いのはここで本書は『ねじまき鳥クロニクル』に登場する笠原メイというキャラクターの「私にはもう少しものを考える時間が必要なのね」という台詞を引き、メイはトオルにとって「私」的な時間を連れてくる存在であったとして、クミコを取り戻すためトオルには「ものをゆっくり考える時間」が必要であったと述べている点です。
 
つまりここで笠原メイはトオルとクミコという二者関係に介在する第三者として登場しているということです。そしてこのメイとの対話の中でトオルは「傷つき」を修復していくことになります。そうであれば『ねじまき鳥クロニクル』という稀代の傑作の「可能性の中心」とはまさしくこの点にあるのではないでしょうか。
 
にもかかわらず同作は最終的に「父になる」という物語として提示されることになります。同作におけるこうした「挫折」こそが物語において「夫婦」を語る困難を図らずとも語っているといえるでしょう。こうした意味で本書は「夫婦」という現代における想像力のフロンティアをその「不在」から逆照射する一冊であったように思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「悪の凡庸さ」と「語り口」の問題

* イェルサレムのアイヒマン

 
20世紀を代表する政治哲学者、ハンナ・アーレントには1963年に公刊した『イェルサレムのアイヒマン』という大変有名な著作があります。ここでいう「アイヒマン」とは、ナチスの戦犯であるアドルフ・アイヒマンのことです。アイヒマンは第二次世界大戦中にユダヤ人の強制収容所への大量移送で指導的な役割を果たしており、戦後はアルゼンチンに潜伏していたところ、1960年5月にイスラエルの秘密警察に拘束され、1961年にエルサレムで裁判にかけられ、同年12月に第一審で死刑判決が下され、控訴審を経た翌年5月に絞首刑となっています。
 
アーレントはアイヒマンの裁判が行われるというニュースを聞いて、知人だったアメリカの有力な週刊誌『ニューヨーカー』の編集者に「裁判レポーターをしたい」と申し出ます。1941年に亡命ユダヤ人としてアメリカへ渡ったアーレントは1951年には最初の主著となる『全体主義の起源』を公刊し、同年にアメリカの市民権を獲得します。そして1958年には第二の主著にして彼女の代名詞的著作となる『人間の条件』を公刊し、この時点ですでに政治哲学者として高い評価を獲得していました。
 
こうして『ニューヨーカー』誌の特派員としてアイヒマンの裁判を傍聴したアーレントはそのルポタージュを1963年2月から同誌に5回にわたって連載し、同年5月には一連の連載をもとに『イェルサレムのアイヒマン』を公刊します。
 
このアーレントのルポタージュは雑誌連載中から大きな反響を呼ぶことになります。しかしその反響のほとんどはアーレントへの非難の声でした。中山元氏は『アレント入門』(2017)において、このアーレントの非難には二つの大きな軸があったといいます。
 
まず第一の軸はアーレントが同書のサブタイトルとした「悪の凡庸さ」という考え方にかかわるものです。アーレントはナチスの立案したユダヤ人の絶滅計画を実行した中心人物が、予想されていたような典型的な悪人ではなく、あるいは狂信的なナチス党の党員でもなく、驚くほど凡庸な官僚であったことに強い衝撃をうけたことから、この「悪の凡庸さ」という表現を選んでいます。しかし人々はこの表現からアーレントがナチスの犯した悪を軽視し、それを擁護していると思い込んだのでした。
 
そして第二の軸はこの絶滅計画にユダヤ人がどのように関与しているかという問題にかかわるものです。アーレントは同書においてヨーロッパのユダヤ人の指導機関である「ユダヤ人評議会」が一部の特権的なユダヤ人を国外に脱出させるために多くの一般のユダヤ人を収容所に送ることでナチスに協力していたことを明らかにしています。ユダヤ人の虐殺を実行したのがナチスであることは間違いないにせよ、結果的にはユダヤ人たちもまた消極的な形でそれに協力してしまっていたということです。
 
とりわけこの第二の軸が世界のユダヤ人組織がユダヤ人女性であるアーレントをこぞって非難するきっかけとなりました。被害者であるユダヤ人たちにもその絶滅計画の責任を負わせ得るかのように思えるアーレントの文章に対してユダヤ人組織が一斉に非難の声を上げ、それから数年もの間、激しい反アーレント・キャンペーンが欧米を席巻することになります。
 

* アーレントとショーレムの往復書簡

 
こうした『イェルサレムのアイヒマン』をめぐる非難の嵐の中でアーレントは一度だけ、正面から批判に応答する形で本格的な論争を行っています。それが1963年に行われたゲルショム・ショーレムと彼女の往復書簡です。ショーレムは1923年にパレスチナに渡り、1925年以来ヘブライ大学でユダヤ思想史を講じるヘブライ学の第一人者にしてユダヤ人問題の専門家です。アーレントにとってもショーレムは親シオニズムの運動を通じ年来畏敬してきた年長の友人の一人でした。
 
この書簡においてショーレムはアーレントに「わたしたちの民族の娘」と呼びかけ、この『イェルサレムのアイヒマン』という書物には「ユダヤ人への愛がほとんど見受けられない」ことを咎めます。そしてこの書物で採用されている「語り口」について次のように批判します。
 
「あなたが本のなかで非常に頻繁に用いている語り口、英語ならば軽薄さ(フリッパンシー)という言葉で表現されるような語り口には、わたしは共感できません。この語り口は、あなたが語っている事柄には、あまりに不適切なのです。このような状況においては、ドイツ語の慎み深い〈心の礼儀〉という言葉で表現しうるようなもののための場所があってもいいのではないでしょうか」
 
これに対してアーレントはこの書簡の返信において、ショーレムのこれらの規定と非難に対して順に答えています。第一に「わたしたちの民族の娘」というショーレムの呼びかけについてアーレントは「わたしには似合わないレッテル」として明確に拒否しています。ユダヤ人女性であることはアーレントのアイデンティティの核心ではありましたが、それは否応なく引き受けざるを得ない運命なのであり、あたかも親に何かしらの義務を負うような「娘」の立場に立つことを意味するものではありませんでした。
 
第二に「ユダヤ人への愛」に欠けているという非難についてアーレントは「わたしはいままでの人生において、ただの一度も、なんらかの民族あるいは集団を愛したことはありません。ドイツ人、フランス人、アメリカ人、労働者階級など、そのたぐいの集団を愛したことはないのです。わたしはただ自分の友人〈だけ〉を愛するのであり、わたしが知っており、信じてもいる唯一の愛は個人への愛です」と述べています。アーレントにとってユダヤ人であるということはアイデンティティの問題、あるいは運命の問題ではあっても「愛」の問題ではないということです。
 
第三に文体における「慎み深さ」についてアーレントはユダヤ人にとって好ましくないことを語る人はつねにこうした「慎み深さ」の欠如という非難を浴びせかけられると指摘しています。確かに「ある不愉快な事実をただ報告するだけの人間が、魂がない、あるいはあなたがおっしゃるように〈心の礼儀〉がないと責められる」ことは避けられません。しかしアーレントは「慎み深さ」が時に「感情が実際の真実を隠すために使われる」こともあるがゆえに、こうした〈心の礼儀〉によって真実を語ることを控えるつもりはなかったといいます。
 

*「悪の凡庸さ」と「語り口」の問題

 
この往復書簡でアーレントはショーレムのいう「語り口」について直接は答えてはいませんが、後に彼女は1964年にドイツで行われたテレビ・インタビュー(いわゆるガウス・インタビュー)において次のように明確に述べています。
 
私はほんとうにアイヒマンは道化役者のようだと思いました。3600ページに及ぶ警察の尋問書をきわめて綿密に読みとおしましたが、読みながら、何度笑ったことでしょうか。しかも声をあげてです。こういう反応のことで人々は私にたいする感情を害するのです。それにたいして私は何もできません。しかし私は、自分が死ぬ間際まで、それについて笑えるだろうと思っています。それが私の語り口だそうですが、私の語り口はもちろん十分に皮肉っぽいものです。それはまったくおっしゃる通りです。この場合、語り口は本当に人間そのものです。私がユダヤ民族を告発しているかのようにいう非難ならば、それは悪意のある偽りのプロパガンダ以外の何物でもありませんが、語り口についての異論は私という人間にたいする抗議である以上は、どうすることもできないのです。
 
アーレントはこうした「慎み深さ」のない語り口を採用したことの背景に、本来「極悪人」であるはずの(あるいは、そうであるべきの)アイヒマンが道化役者のような人物に過ぎなかったという意外な事実の発見があることを明らかにしています。警察の調書から浮かび上がってくるアイヒマンの滑稽さにアーレントは笑いを抑えることができなかったのであり、その結果、このルポタージュの文体の基調が皮肉な語り口となってしまっているということです。そしてこのことは「悪の凡庸さ」と深い関係にあります。
 
「悪の凡庸さ」とはアイヒマンの犯した行為が、その「悪」が、凡庸であると主張するものではありません。この「悪」は筆舌し難い空前絶後の巨悪であることは間違いありません。問題はこの「悪」を犯した当の人物がごく凡庸な人物であったということです。
 
アドルフ・アイヒマンという人物はドイツ西部のゾーリンゲンの典型的な中産階級の家庭に生まれ、オーストリアで青年期を過ごした後、石油会社のセールスマンとして真面目に働き、ナチスに入党してからはそれまでのサラリーマンとしての才能を発揮して委ねられたユダヤ人移送の仕事に専念しています。ここでの彼の最大の関心事は自身の職務をいかに円滑に遂行するかということであり、その職務がいかなる「悪」をもたらすかを想像することも思考することもしませんでした。
 
こうしたことからアーレントはアイヒマンの人間的な特性として想像力の欠如と思考の停止を挙げています。そうであれば組織の論理に埋没し、他人の立場に立って想像し、思考するという営みをやめたとき、人は誰でもアイヒマンのように「悪」をなしながらも平然としていられるようになるかもしれないといえるでしょう。
 

*「語り口」をめぐる共同性と公共性⑴

 
ところで文芸評論家の加藤典洋氏は『敗戦後論』(1997)に収録されたその名も「語り口の問題」という論考で、このアーレントとショーレムの論争を「語り口」をめぐる共同性と公共性の問題として読み直しています。まず加藤氏は同論考において1995年に発表した「敗戦後論」の要旨を概ね次のようにまとめています。
 
⑴戦後日本が抱えることになった問題の一つは例えば軍事力の行使を世界に率先して放棄することを謳った現行憲法が軍事力を背景にした圧力のもとに押し付けられるという矛盾、また戦争に関し、開戦の詔勅の上に捺印の上これを発布した最高責任者である天皇が戦争裁判で免責され、下僚が代わりに絞首刑に処せられるという矛盾などに顔を見せている、一つの「ねじれ」を敗戦占領とその後の推移により日本の社会、政治、道義がその根源に抱え込むことにになったことである。
 
⑵この「ねじれ」はその後、日本社会をいわば「歴史を形成する主体」をもてない分裂した人格にした。つまり本来ならこの憲法の理念に賛同し、これを肯定する側がこれを真に自分のものとするため、この「ねじれ」を問題にし、その克服を目指さなければならないところ、この「ねじれ」は逆にそれに目をつむる護憲派と、それを理由にこれをまたもや戦前型の「自主憲法」にとって代えることでその克服ならぬ解消を目指す改憲派との出口のない(ジキル氏とハイド氏的な)人格分裂の動因となったのである。
 
⑶天皇の信従者についても同じことが言える。彼らこそこの戦後の一時期の安定のため将来に禍根を残すような選択はすべきでなく、道義の根を日本社会に残すため、戦後、退位すべきことを天皇に勧めなければならなかったところ、ここでもこの「ねじれ」は道義を超越している天皇に戦争責任を問うのは間違っているとして日本の侵略責任に目をつむる天皇信奉者たちと、アジア解放の大義の夢が破れた後、一転して侵略した先の国々への懺悔を全身に現し、今は天皇の戦争責任を追求してやまない元天皇信奉者たちという二者へと分裂した。
 
⑷この人格分裂は「歴史を引き受ける主体」が戦後日本に形成されていないという事態を意味している。ではどうすればこの人格分裂をできるのか。その鍵は「死者の弔い方」にある。戦争の死者の弔い方においてこの人格分裂は、日本の侵略戦争がもたらしたアジアのよその国の二千万の死者への謝罪と、自国の間違った戦争のもとで無意味に死んだ三百万の死者への哀悼の分裂という形で現れている。
そして氏はこの根源にある問題とは「侵略戦争のために無意味に死んだ自国の死者を無意味なままに深く弔う仕方をわたし達がいまだに見つけられていないでいる」ということではないかといい、次のように述べます。
 

 

悪い戦争にかりだされて死んだ死者を、無意味のまま、深く哀悼するとはどういうことか。
 
そしてその自国の死者への深い哀悼が、たとえばわたし達を二千万のアジアの死者の前に立たせる。
 
そのようなあり方がはたして可能なのか。
 
ここではっきりしていることは、ここでも、この死者とわたし達の間の「ねじれ」の関係を生ききることがわたし達に不可能なら、あの敗戦者としてのわたし達の人格分裂は最終的に克服されないということだ。
 
ここにいわれているのは、一言にいえば、日本の三百万の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼をつうじてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪にいたる道は可能か、ということだ。
 

*「語り口」における共同性と公共性⑵

 
周知のように「敗戦後論」が発表された後、加藤氏は激しい批判を浴びることになります。特に加藤氏に対して最も激しい批判を行ったのが哲学者の高橋哲哉氏です。加藤氏と高橋氏の間の応酬はのちに「歴史主体論争」と呼ばれることになります。高橋氏が「汚辱の記憶をめぐって」と題する「敗戦後論」を批判した戦争責任論における「汚辱の記憶を保持し、それに恥じ入り続けるということは、あの戦争が「侵略戦争」だったという判断から帰結するすべての責任を忘却しないということを、つねに今の課題として意識し続けるということである」という一節はよく知られています。
 
ここで高橋氏は『イェルサレムのアイヒマン』をめぐるアーレントとショーレムの論争を取り上げており、たとえ「同胞」に対してであっても「判断する=裁く」という責任を回避することはできないというアーレントの主張を論拠に加藤氏の主張を自国の死者を「かばう」ものを内向きの態度として批判しています。これに対して加藤氏は「その選択は、興味深い視点を提供している」といいます。
 
加藤氏によればアーレントにおける公共性の概念とは個人に立脚する近代原理からではなく、古代ギリシャや古代ローマにおける「名誉、誇り、政治」といった「反個人主義的な、近代以前の思考を母胎」としているとされます。その理由として氏は「いわばユダヤ民族の民族性、その思想の共同性を殺すため、ここでその対置物として、公共性という古典古代の概念を、自分に必要としてる」という点を挙げ「その核心をわたしの関心にひきよせていえば、それはある種の共同性をどうすれば解体できるか、という問題」であると述べます。
 
ここから加藤氏は自国の死者への追悼を「先に」置く他国の死者への謝罪と哀悼という死者の弔い方について、これは「どうすれば死者との共同性を解体してわたし達の死者との関係を公共化できるかという戦後日本にとって未知の課題」であるといいます。なぜならば戦後日本における人格分裂は分裂するそれぞれの半身がアジアの二千万の死者、あるいは日本の三百万の死者との共同性に起因しているため、この共同性からの自立が歴史を引き受ける主体形成の鍵であるからです。
 
さらに加藤氏は高橋氏の考え方への「最大の疑念」は「汚辱の記憶を保持し、それに恥じ入り続ける」といった、その「語り口」にあるといいます。加藤氏は高橋氏のショーレム的な「一枚岩的な語り口」に「その言明の語ることがらが言明の仕方の精密を求めることだけに、もっとも大きな異議をおぼえる」として、そしてそれは高橋氏に限らず「それはいわゆる日本の戦後の『良心的』知識人がしばしばこれまでとってきた」「共同的な語り口」であり「このような語り口で語られる限り、何がいわれようと、あの戦後日本の人格分裂はけっして克服されない」といいます。
 
「共同的ではない語り口だけが、共同性を殺す」と加藤氏はいいます。すなわち『イェルサレムのアイヒマン』においてアーレントは「共同性という彼女の前に立ちふさがるものから、その語り口をとりだしてくる」ということです。そうであればアーレントにおける「悪の凡庸さ」をめぐる「語り口」もまた、共同性を内破して公共性を開くための理路として要請されたものであったといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

暮し・ねじれ・戦後民主主義

* 戦後民主主義と花森安治

 
山本昭宏氏は『戦後民主主義』(2021)において日本における戦後民主主義を次のように総括しています。「戦後民主主義」の前提にあるのは当たり前ですが「民主主義」です。ここでいう「民主主義」における「民」とは誰のことを指すのかという問題は一つの大きな論点ではありますが、本書は民主主義を「自分たちのことは自分たちで決めるという広義の「自治」を求める政治参加の試み」として理解しています。そして、このような「民主主義」という言葉の上に「戦後」が加わるとき、次の3点が焦点化されることになります。
第一に戦争体験に結びついた平和主義です。平和主義を謳う現行憲法が広く受け入れられた要因として先の戦争における空襲や引揚げなどの戦争体験があったことは確かでしょう。第二に直接的民主主義への志向性です。これは換言すれば社会運動と地方議会を重視する姿勢を指しています。第三に平等主義です。とりわけ同書は経済と教育の平等を重視します。
 
このことを踏まえ同書は「戦後民主主義の精神が、いまほど求められている時代はないのではないか」といいます。すなわち「戦後民主主義は、民主主義が「統治」の手段ではなく、「参加」を通した「自治」の手段であること」を教えており、その根幹には「選挙以外の場での政治的意思表示から、コミュニティや集団に関わってより良い運営を模索する粘り強い社会的実践まで、生活の至るところに民主主義があるという感覚」があるということです。
 
そして同書はこうした意味での「戦後民主主義の精神」を批判的に継承したひとつの実践例として『暮しの手帖』の初代編集長として知られる花森安治の仕事を位置付けています。花森安治とは一体何者なのでしょうか?以下では津野海太郎氏による『花森安治伝』(2013)を参考に彼の生涯とその仕事を概観してみたいと思います。
 

* 編集者になるんや

花森安治は1911年(明治44年)、神戸市の須磨に6人兄弟の長男として生まれました。幼少期より絵を描くのが好きな子どもだったそうです。旧制兵庫県立第三神戸中学校を経て1年浪人後、1930年(昭和5年)に旧制松江高等学校に進学し校友会雑誌の編集に参加します。19歳のときに母、よしのを心臓病で亡くします。死の床にある母から「あんた、将来どうするつもり」と尋ねられた花森は「新聞記者か編集者になるんや」と答えたそうです。
 
松江高校を卒業した花森は1933年(昭和8年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。「帝国大学新聞」の編集に携わる一方で、大学在学中に、老舗の化粧品会社である伊東胡蝶園(のちのパピリオ)の宣伝部に入社し、広告デザインに携わります。就職により生活の目途が立ったことから、大学在学中に学生結婚しています。
 
1937年3月、25歳で東京帝国大学を卒業。卒業論文のテーマは、「社会学的美学の立場から見た衣粧」。タイトルにある「衣粧」とは、「衣裳」と「化粧」を合成したものであり、花森による造語だそうです。そしてこの年の4月には長女が誕生しています。
 
同年、徴兵検査を受けて甲種合格。陸軍に入隊後、北満州の部隊に配属されますが、翌年2月、結核に冒されたため満州の陸軍病院に入院し、病状が良くならなかったことから内地に戻り、和歌山県の陸軍病院で療養生活を送った後に1940年に疾病を理由として除隊となります。
 
1941年、帝国大学新聞時代の先輩から誘われて大政翼賛会宣伝部に籍を置くことになります。この頃、花森は本の装丁やイラストでもその力量を認められるようになりますが、そうはいってもそれはほんの一握りの人々のあいだでの評判に過ぎず、社会的にはまだほとんど無名の存在でした。そして1945年の敗戦を迎えます。この時、花森33歳。
 
敗戦の2ヶ月前、それまで勤めていた大政翼賛会が急に解散になり、失職した花森は妻子を抱えてたちまち日々の生活に追われ、雑誌のカット描きなどで食いつなぎながら、かつての仕事仲間と新しい広告会社を発足させようと忙しく駆け回っていたようです。
 
そんな折、松江高校から東京帝国大学にかけての親しい友人で『日本読書新聞』の編集長だった田所太郎に声をかけられた花森は週に何度か、お茶の水の文化アパートにあった同紙の編集室に顔を出してカットを描くようになります。ここで花森は一人の若き女性編集者と出会うことになります。彼女こそが後に花森とともに「暮しの手帖社」を立ち上げることになる大橋鎭子です。
 

* ぼくには責任がある

 
当時、若干25歳の大橋は1920年(大正9年)に東京で生まれ、府立第六高女(現・都立三田高校)を卒業後、日本興業銀行勤務を経て日本女子大に入学するも病気で中退し、1941年(昭和16年)の春に日本読書新聞社に入社します。しかし同年12月の太平洋戦争勃発に伴い同社は内閣情報局のもとで戦時下の出版物の統制と検閲にあたる日本出版文化協会(のちの日本出版会)という国策機関に統合されることになります。
 
こうして『日本読書新聞』は日本出版文化協会の機関紙になり、大橋も協会の秘書室に移りますが、やがて戦争の激化につれて編集長の田所以下編集部員たちが次々と戦場に送られ、同紙はあっけなく休刊に追い込まれてしまいます。そして敗戦の年の11月、復員した部員たちの手によって『日本読書新聞』が復刊し、大橋も編集室に復帰します。なお、田所が花森に声をかけたのもこの時期だと思われます。
 
『日本読書新聞』復刊号の校了直後、おそらく1945年末ごろ、大橋は田所に「女の人たちのための出版をやりたい」と相談を持ちかけます。これに対して田所は「それだったら、いま編集部に見えている花森安治さんは、そのほうに力のある人だから相談したらいい」とすすめ、大橋から相談を受けた花森は大橋がこれからやろうとする仕事に協力することを決意します。
 
1946年春、花森と大橋は米軍の空爆によって一面の焼野原と化した銀座で「衣裳研究所」という小さな出版社を発足させます。その2年後の1948年9月、彼らは社名を「暮しの手帖社」にかえ、社長・大橋と編集長・花森のコンビで『美しい暮しの手帖』を創刊します。「女の人たちのための出版をやりたい」という大橋から相談を受けた花森は、次のような言葉で答えたとされています。
 
「今度の戦争に、女の人は責任がない。それなのに、ひどい目にあった。ぼくには責任がある。女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起きなかったと思う。だから、君の仕事にぼくは協力しよう。」
 
「『暮しの手帖』と半世紀」

 

もしも花森が実際にそう述べたのだとしたら、ここで彼のいう「責任」とは何を意味しているのでしょうか。それはおそらく、戦争中に彼が行った(とされる)一連の仕事と無関係ではないでしょう。
 

* ぜいたくは敵だ!

 
1940年(昭和15年)、陸軍を除隊になった花森は伊東胡蝶園に復帰することになりますが、もはや日本の社会には化粧品などにうつつを抜かすことを許さない重苦しい空気が生まれていました。この年の7月7日には奢侈品等製造販売制限規則、いわゆる「七・七禁令」が施行され、イヤリング、指輪、半袖、腰紐、帯締め、櫛など「ぜいたく品」とみなされた商品の製造や販売にきびしい規制がかけられました。当然、派手な宣伝などやりようもなく、そんな時期にあって花森が手がけた仕事としてまことしやかに噂されるものが「ぜいたくは敵だ!」というあの悪名高い国策標語の作成です。
 
「七・七禁令」の背景にはもはや前線も銃後もない、自国が保有する労働力(国民)と物資のすべてをあげて戦争を戦い抜くのだというナチス・ドイツ流の総力戦思想がありました。その実現を目指して、すでに1937年(昭和12年)に第一次近衛文麿内閣のもとで国民精神総動員実施要項が閣議決定され、時をおかず国民精神総動員中央連盟(精動)が発足し、翌38年には国家総動員法が正式に制定されます。
 
そして1940年7月、陸軍との軋轢で短命に終わった米内光政内閣に続いて第二次近衛内閣が発足。同じ時期に精動は贅沢全廃委員会を発足させ「奢侈贅沢品の使用抑制徹底方策」を決定。東京・京都・大阪・横浜・神戸・名古屋の六大都市を重点地域として「贅沢廃止運動」が展開されることになります。この時、東京市内には1500本もの「ぜいたくは敵だ!」や「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」といった標語が大書された立て看板が立つことになります。
 
この「ぜいたくは敵だ!」という標語は戦後になっても、あの時代の息苦しさを端的に象徴する一行として人々の記憶に染みつくことになります。この標語は一説ではパピリオ広告部が精動の外郭団体の依頼を受けて花森が書いたと戦後間もない頃からまことしやかに噂されていました。このことについて花森は何も語らず、真偽の程は定かではありません。もっとも当時の花森は後年のような断固たる反戦派ではなく、当時のごく平均的な日本人の1人に過ぎなかったことは確かです。のちに花森は1978年に死去する少し前に次のように語っています。
 
「ぼくは、ぼくなりにやね、受けた教育と、それで、とにかく日本という国を守らんならん、とね。それには、戦争始めた以上は勝たなならん、と。それに一生懸命やったんや、と。いま、それがね、間違いやったということがわかったけども、その時は一生懸命やったんで、それを今さらね、いいかげんにしとったんや、ご都合主義でやっとったとか、ケチなことは言わん、と。ぼくの全生命を燃焼さして戦った、と。協力した、と。そいで、それだけにショックが大きい、と。それだけに、ぼくは、これからはね、絶対に戦争の片棒はかつがん、と。それだけが償いや、と。まあ、しっかり、これからのぼくを見とってくれ、と。」
 
『われわれは一体何をしておるのか』

 

* 過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている

 
1941年(昭和16年)の春、花森は伊東胡蝶園をやめ、前年に第二次近衛内閣の下で発足したばかりの大政翼賛会宣伝部に転職します。いま大政翼賛会ときくと、反射的に一国一党のナチス型全体主義国家による強力な統制機関のイメージを思い浮かべるかもしれませんが、発足時のイメージは必ずしもそうではなく、発足時の大政翼賛会には台頭する軍部の力を抑え、急速に強化されていく言論統制に歯止めをかけるという防波堤としての一面が少なからず期待されていたらしく、花森もまたこの「新体制」に期待した1人であったようです。
 
ところが、発足後間も無く大政翼賛会は強大化した軍部や内務省を中心とした諸官庁の手に落ち、1941年4月には共産主義者を排除する改組運動が行われ、ほどなく総裁も近衛から東條英機に変わってしまいます。そして同年12月8日、日本海軍機動部隊による真珠湾攻撃によって対米英の太平洋戦争の火蓋が切って落とされます。
 
戦後において大政翼賛会宣伝部員としての花森は「あの旗を射て」「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などといった一連の戦意昂揚スローガンを作った人物として語られる傾向があります。しかし実際にはのちに酒井寛氏が『花森安治の仕事』(1988)で明らかにしたように「あの旗を射て」は1942年に広告人集団「報道技術研究会」が花森の注文を受けて作ったものでしたし、また「欲しがりません勝つまでは」や「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」も同年、大政翼賛会が主催する「国民決意の標語」への応募作から花森が選んだものです。
 
このことについてもやはり、花森は明確には語っていません。しかし花森は仕事とはいえ、こうした標語を依頼したり選んだりすることで戦争に協力してしまった自身の過ちを明確に自覚していたのではないでしょうか。そうであれば敗戦後、花森が大橋に述べたとされる「ぼくには責任がある」という言葉の裏には、こうした過ちに対する悔恨があったのではないでしょうか。実際、花森はこの時の心情を後年、次のように語っています。
 
「ボクは、たしかに戦争犯罪を犯した。言訳をさせてもらうなら、当時は何も知らなかった、だまされた。しかしそんなことで免罪されるとは思わない。これからは絶対にだまされない、だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている、と思っている。」
 
1971年『週刊朝日』
 

* 暮し・ねじれ・戦後民主主義

 
花森と大橋が創刊した『美しい暮しの手帖』はやがて『暮しの手帖』とタイトルを変え、他誌とは一線を画する独自の誌面作りによって一時期、その発行部数は百万部を超え「新しい国民雑誌」と呼ばれるほどの影響力を持つに至ります。
 
同誌の名物企画に1954年から始まった商品テストがあります。これは日用品や生活家電を独自にテストし、生活者の視点から長所と短所を論評して企業に改善を求めるという企画です。この商品テストは高度成長期における日本の工業製品の品質改善のきっかけになったとも言われています。
 
花森は権威を監視し、採点する機能がない社会は不健全な社会だと考え、商品批評によって大企業をチェックし続けようとしました。彼の掲げた「一人ひとりが自分の暮しを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中に」という理念と「暮しの変革を理念よりも日常生活の実践を通して」という方針に貫かれた『暮しの手帖』はただのライフスタイル誌ではなく、反商業主義、生活者本位、平和主義、反戦・反差別、中立といった立場を旗幟鮮明に打ち出した非常に尖った雑誌であったといえます。ここには確かに「生活の至るところに民主主義があるという感覚」という戦後民主主義の実践をみることができるでしょう。
 
「一軒の家の味噌汁の作り方を変えることは、一つの内閣を倒すよりもむずかしい」--僕はこう考えています。内閣は投票で倒すことができるけれど、ある家庭の味噌汁の作り方は当人たちがまずいと感じていても、変ない(ママ)ものなのです。ぼくらが料理にちからを入れているのも、そこなのです。
 
花森安治「民主主義と味噌汁」『中央公論』1965年9月号
 
こうして花森は1978年(昭和53年)に66歳で急死するまで『暮しの手帖』というただ一つの砦に編集長として立て篭もり続けます。毎号、多くの記事やキャッチコピーを書くのはもちろん、イラスト、描き文字、レイアウト、写真撮影、新聞広告や電車の吊り広告まで、そうしたすべてを花森は自分ひとりで、決して他人にはマネのできないクセの強い仕方でやってのけます。こうした一連の仕事は花森自身の「過去の罪」に対する彼なりの「責任」の取り方だったのかもしれません。
 
文芸評論家の加藤典洋氏は「敗戦後論」において、先の戦争に対する「ねじれ」とでも呼ぶべきものが戦後日本の中に残り続けていると主張したことで知られています。この加藤氏のいう「ねじれ」は憲法に関するものや死者(戦没者)に関するものなどがありますが、國分功一郎氏が近著『天皇への敗北』(2026)において指摘しているように、加藤氏が「ねじれ」と呼んだ戦後日本における問題の根幹には自身の加害行為に向き合えない「被害者意識」があるといえます。
 
こうした観点からいえば「たしかに戦争犯罪を犯した」と言い切り、人々の「暮し」をより良くするという「実践」によって、その「責任」を取ろうとした花森の生き方は個人が自身のうちに抱える「ねじれ」にいかに向き合うのかという問題に対して地に足のついたかたちで示された一つの回答でもあるといえるでしょう。そして、このような花森の生き方はいまや色褪せたかにみえる戦後民主主義という物語を新たな角度から、あるいは別の仕方で読み直すための大きな手掛かりを示しているようにも思えます。