かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「つながり」よりさらに深いところで--かがみの孤城(辻村深月)

 

* ゼロ年代の想像力から考える--バトルロワイヤル状況とつながりの思想

 
宇野常寛氏はそのデビュー作「ゼロ年代の想像力(2008)」において、2001年前後から米同時多発テロ小泉政権が主導した新自由主義構造改革といった時代情勢を背景に「引きこもっていると殺される」という「サヴァイヴ感」が社会的に広く共有されるようになった結果「たとえ無根拠でもあえて中心的な価値観を選び取る」「信じたいものを信じる」という態度が支配的になったとして、このようなゼロ年代的的態度を90年代後半における「引きこもり/心理主義」との対比から「開き直り/決断主義」と名付けます。
すなわち、ここで氏はいわゆる「大きな物語(リオタール)」が失墜したポストモダン状況が加速するゼロ年代とは決断主義的に選択された「小さな物語」同士が動員ゲームを繰り広げる「バトルロワイヤル」の時代であるという認識に立った上で、こうした決断主義的な「バトルロワイヤル」を解除するためのアプローチのひとつとしてポストモダン的な郊外的空間で成立する「つながり」が自己目的化したコミュニティが生み出す物語の可能性に注目しました。
 
そして、こうしたゼロ想で提示された「バトルロワイヤルからつながりへ」というゼロ年代的構図は後に「リトル・ピープルの時代(2011)」での見田宗介氏や大澤真幸氏の反現実論を参照枠とした「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」という変遷や「母性のディストピア(2017)」での吉本隆明氏の共同幻想論を参照枠とした「夫婦/親子的対幻想から兄弟/姉妹的対幻想へ」という転換といった形である種の戦後社会論として展開されることになります。
 
この点、第31回メフィスト賞を受賞した辻村深月氏のデビュー作「冷たい校舎の時は止まる(2004)」は宇野氏のいうゼロ年代的な「サヴァイヴ感」に彩られた作品でした。同作のあらすじは大学受験を控えたある冬の日に無人の校舎に閉じ込められた8人の生徒達が、なぜか皆が一様に忘却してしまっている学園祭で自殺したクラスメイトの名前を探し続けるというものです。
 
そして同作を構成する主要ないくつかのモチーフを発展的に継承した上で、そこに「バトルロワイヤル=リトル・ピープル」における「つながり=兄弟/姉妹的対幻想」という想像力を全面に導入した辻村氏の作品が2018年に本屋大賞を受賞して昨年にはアニメーション映画にもなった本作「かがみの孤城」です。

*「願い」をめぐる物語

 
本作の主人公である中学1年生の安西こころは中学に入学した4月以来、とある理由で学校に行けなくなっていました。そんなある日、こころは部屋の鏡を通じて異世界の城の中に引き摺り込まれてしまいます。狼のお面を被り「オオカミさま」を自称する謎の少女は次のように状況を説明します。 
 
こころはこの城にゲストとして招かれた7人の子どもたちの1人であること。この城には1人だけ入れる「願いの部屋」があり、今日から3月30日までの期間中、こころたちは城の中で「願いの部屋」に入る鍵探しする権利があること。「願いの部屋」が開いた時点で3月30日を待たずこの城は閉じるということ。
 
城が開くのは毎日9時から17時の間で、17時を過ぎた時点で誰かが城に残っていると、ペナルティーとしてその日に城に来た全員が狼に食べられるということ。城にはゲスト以外出入り不可であり、ゲスト以外の前で鏡は光らないということ。
 
そして以上のルールを守る限りここでの過ごし方は自由であること。
 

* ゼロ年代決断主義の超克

 
このような設定は例えば辻村氏のデビュー作と同時期に発表され、ゼロ年代を代表するPCゲームとなった「Fate/stay night(2004)」における「聖杯戦争」のような状況を想起させます。けれどもここから熾烈な「願いの部屋」をめぐる「鍵探し」の「バトルロワイヤル=リトル・ピープル」に突入するかというと、そうはならないわけです。こうした意味で本作はゼロ年代的な決断主義を超克したすぐれて2010年代的な想像力で描かれています。 
 
この「願いが叶う城」に招かれた7人は、平日の日中に「ここ」にいることから、全員がこころと同じように学校に行っていない子どもたちと推測されました。こころたちは基本的に来たい時に城に来て、その時たまたま居合わせたメンバーとゲームをしたりお茶をしたりして、城の中での時間をそれなりに満喫していきます。
 
もとより、こころも自分を不登校に追い込んだ女子生徒をこの世から消し去りたいという薄暗い「願い」を持ってはいましたが、それ以上にこころの中で、この城で皆で過ごす時間がかけがえのないものとなっていました。 
 

* 新たに判明したルール

 
そして「鍵探し」が始まってから半年が経った10月のある日、皆での話し合いの結果「鍵探し」は共同でやることにして、仮に鍵が見つかってもすぐに使わずに、3月いっぱいまで城を使える状態にしておくことが決まりました。ところがそこに「オオカミさま」が突如現れ、一つ言い忘れていたなどと言いながら次のようなルールを告げます。
 
それは鍵を使って誰かが「願い」を叶えた時点で全員がこの城で過ごした記憶を失うけれど、誰も「願い」を叶えなかった場合は「城の記憶」は引き継がれるというルールです。 
 
この新たに判明したルールを巡り、あくまで「願い」に執着するメンバーと「城の記憶」を優先するメンバーとで意見が割れてしまいます。ところがある出来事をきっかけに、メンバー全員がこころと同じ「雪科第五中学」に通うはずで、通えていない生徒であることが判明します。こうしてこころ達は現実世界でも「助け合える」かもしれない可能性を見出していく事になります。 
 

*「つながり」よりもさらに深いところで

 
私たちは、助け合える--本作を貫くこのテーゼはひとまずはゼロ年代の想像力の到達点である「つながり=兄弟/姉妹的対幻想」の思想の系譜に属するものといえるでしょう。
 
もっともその一方で本作は「つながり」の中で泡立つ「他者性」を幾度となく強調します。こころ達は当初全員がそれぞれ「同じ」ような境遇にあると推測していましたが、交流を重ねるうちにお互いの「違い」に直面し、その度に戸惑ったり苛立ったりします。
 
そして全員が「同じ」中学にゆかりのある生徒だと判明した後にも決定的な「違い」が突きつけられることになります。けれども本作は、こうした「つながり(同じ)」の中で泡立つ「他者性(違い)」があるからこそ「つながり」よりもさらに深いところでお互いに「助け合える」という逆説を描き出していきます。 
 

* 映画について

 
正直、実写にせよアニメーションにせよ、この小説の映像化は極めて難しいと思っていましたが、昨年暮れに公開された映画は想像以上の出来栄えだったと思います。
 
特にキャラクターデザインは本当に素晴らしいという一言に尽きます。個人的には全員がほぼ完璧に原作のイメージ通りでした(皆着ている服が登場毎に違うというこだわりぶりも注目すべき点です)。
 
その一方で各キャラの性格について映画は原作よりもかなりマイルドに調整されていました。これはあくまで原作既読者としての感想となりますが、本作の映画は比較的長大な原作小説のエピソードを整理統合して2時間映画のシナリオとして上手く再構成しつつも、なおかつ原作が含み持っていた複雑で多様な機微を上手く映像へ汲み取っていた作品であったように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

理想の時代における実存文学--されどわれらが日々-(柴田翔)

 

* 全共闘世代のバイブル

 
戦後の日本文学史はまず終戦直後に登場した第一次・第二次からなる「戦後派」と呼ばれる作家達が現れるところから始まります。この「戦後派」と呼ばれる作家達の特色は、例えば戦場とか投獄といった極限的な状況を舞台として人間や社会における理想や真理の探求が従来の文学的常識を覆すような極めて斬新な方法で遂行された点にあります。こうして一躍、世の脚光を浴びてたちまち当時の文壇を制圧してしまった「戦後派」は、ここからさらに進んで気宇壮大で広い社会的視野を持った「大きな小説」を志向するようになり、彼らの多くは共産主義社会主義の理想から政府や既存の社会体制を批判する「反体制文学」を推進しました。
 
当時は「政治と文学」が曲がりなりにも接続を果たしていた時代でした。この点、1960年代において「戦後派」の正統後継者として登場した若手作家達の一人に柴田翔氏の名が挙げられます。1964年に第51回芥川賞を受賞した本作「されどわれらが日々-」は全共闘世代を中心とした当時の若年層のバイブルとなった柴田氏の代表作であり、その発行部数は186万部を記録して1971年には映画にもなった作品です。
 

* 六全協から全共闘

 
本作は1950年代の学生運動を題材とした青春群像劇です。よく知られるように日本共産党は1955年の第六回全国協議会(いわゆる六全協)において、それまで分裂していた主流派(所感派)と国際派を統一する形で従来の武装闘争路線からの転換をはかりましたが、この六全協の決定によって多くの急進的な学生活動家が党の無謬性神話の崩壊に失望したといわれています。
 
ここから共産党とは一線を画した「新左翼」と呼ばれる政治運動が生じ、1957年には永続革命論を提唱したレフ・トロツキーの思想を継承した「革共同革命的共産主義者同盟)」が、1958年には大衆に開かれた国民運動を標榜する「ブント(共産主義者同盟)」が結成され、これらの組織は60年安保闘争において大きな役割を果たすことになります。
 
その後、新左翼の運動は大きな政治的争点がないまま1960年代半ばまで一時停滞することになりますが、1960年代後半のベトナム反戦運動以降、徐々にその勢力を盛り返していきます。そして1968年に起きた日大不正経理問題や東大医局問題などを契機に新左翼の諸セクトに属する学生はノンセクトの学生と共に「全共闘全学共闘会議)」を結成し当局に対する抗議運動として大学キャンパスを占拠することになります。
 
こうした意味で本作はある面ではいわば「全共闘世代のルーツ」を描いた作品であり、本作が当時の若年層から支持された理由の一つもやはりまた、この辺りにもあるようにも思えます。
 

* 古書に導かれた物語

 
本作の序盤のあらすじはこうです。語り手である東京大学英文学専攻の大学院生の大橋文夫は冷たい雨の降る秋のある日、アルバイトの帰りにたまたま立ち寄った古本屋でつい先月か先々月に完結したばかりのH全集が売られていることに気がつきました。そのうちの真新しい一冊を手に取って眺めているうちに眼前にあるその一揃が自分の存在にからみついてきて、自分の意に反するようなことを無理やりやらされるような重苦しい気持ちで文夫はH全集を購入する羽目になります。
 
その数日後、彼の婚約者である佐伯節子が文夫の下宿を訪ねてきます。文夫は1歳下で遠縁の親戚に当たる節子とは幼少時より従兄妹同士のような付き合いがありました。高校卒業後に東京女子大に入学し歴研部員となった彼女は当時学生の中でも最左翼として知られていた東大駒場の歴研とも交流し、実際の学生運動にも関わりを持っていました。
 
節子は文夫の本棚にあったH全集の一冊を手に取り何気にめくっているうちに、ひょうたん形の珍しい蔵書印に目を留め、暫くこの本を貸してほしいと文夫に申し出ます。翌週、佐伯家を訪れた文夫は節子からH全集と同じひょうたん形の蔵書印が押された薄い本を見せられます。節子はその薄い本は駒場の歴研部員であった佐野という共産党員の学生から借りたものだといいます。佐野は節子が大学1年の時、党の地下軍事組織に参加して以来、その行方がわからなくなっていました。
 
節子は佐野の消息を知るべく彼の駒場での同級生であったAという人物に手紙を出し、Aからの返信には佐野は昨年の春に佐野は一年遅れで大学を卒業してS電鉄に就職するもその後の消息は不明であることと、佐野と同じO高校の同窓に文夫と同じ研究室の助手を務める曾根という人物がいることが記されていました。そして節子からの依頼で文夫は曾根に佐野の消息を尋ねたところ、果たして佐野は睡眠薬で自殺していたことが判明します。
 

* ある革命家の末路

 
佐野は死ぬ前に長い手紙を曾根に出していました。その手紙によると高校2年の時に入党した佐野は高校生活動家の中ではリーダー的存在でしたが、1952年のメーデーの時に皇居前広場で尻込みする下級生を激しくアジりながらも警棒を握りしめた警官の凄まじい形相を見た瞬間に突然激しい恐怖に襲われ、その場から一目散に逃げてしまって以降、この出来事は彼の中でトラウマとなっていました。
 
その後、しばらく受験勉強に逃避していた佐野でしたが東大に入学した後には再び党の活動に献身的に関わり始め、やがて当時の共産党主流派の武装闘争路線に従い山村工作隊として東北地方に潜伏し武装蜂起の時を待つことになります。山村での10ヶ月の潜伏生活は佐野にとっては、やがて武装蜂起になった時、どうしたら自分は逃げ出せずに済むかという自己の問題に向き合った10ヶ月でもありました。けれども結局、あの六全協の決定により、蜂起の時を佐野が迎えることはありませんでした。
 
そして六全協の決定を受けた時、不覚にも奇妙な安堵感を覚えてしまった佐野は「革命を恐れる党員」である自身に絶望し、党を離れてS電鉄に就職します。その後、革命家としてはともかくも一般的な社会人としては比較的有能だった彼は会社でたちまち頭角を現してゆき、副社長の姪とお見合いをするまでになります。ところがその席で副社長と姪の些細なやりとりを目にしたことがきっかけとなり、佐野は死の観念に取り憑かれてしまい遂に睡眠薬自殺を図ることになるわけです。
 

* ニヒリズムという病

 
革命に挫折した革命家であるところの佐野が最後にたどりついた境地は「生きるとは無意味なことだ」というニヒリズムでした。そして政治活動とはまったく無縁の学生生活を過ごしてきた文夫もまた、このニヒリズムに取り憑かれていました。
 
高校時代の文夫は東大合格を目標として受験勉強に精を出していましたが、しかしそれは「目の前に目標があり、その要求にあわせて自分の頭脳を訓練すること」「自分の若い頭脳が、機械のように正確に動作するそのことを楽しんだ」からであり、言うなれば彼は受験勉強というプロセスそのものにある種の快楽を見出していたわけです。そしていざ合格という目標を果たした途端に彼は「月並みの喜び」とともに「あの確かな世界は終り、そこには不確かな、茫漠とした世界が拡がっていた」と感じてしまいます。
 
その後、文夫はその空虚の赴くままに何人かの女子学生と関係を持つことになりましたが、結局、どのような交歓も情事も彼の空虚を支えることにはなりませんでした。やがて2年生になった文夫は同じ演劇サークルに所属する梶井優子という独特の性愛観を持つ女性となし崩し的に関係を持つようになりますが、その後、妊娠が判明した彼女は堕胎手術の後に自殺してしまいます。
 
ところが文夫は優子から速達で送られてきた遺書を読み終えた時、不謹慎なことに「期待にふるえた」といいます。これは何とも理解し難い心理ですが、要するに彼はやがて襲ってくるであろう「悔恨」とか「自己嫌悪」とか「罪の意識」などといったものとの「闘い」の中にかつての大学受験の時のような「確かな世界」を「期待」していたわけです。
 
しかしながら「悔恨」も「自己嫌悪」も「罪の意識」も彼を襲うことはありませんでした。こうして文夫は「自分の空虚さは一時的、状況的なものではなく、自分と空虚は同義である」ことを悟ります。そしてその後、文夫はこの空虚を克服すべく、それまでの女性関係を清算して学業に身を投じ、大学院への進学時に幼馴染の節子と婚約することになります。
 

* それでもせめて、生きたと言える日々を

 
その一方で、節子もやはり佐野や文夫とは違った経緯により自らのうちにニヒリズムを抱え込んでいました。かつて節子は学生時代に駒場の歴研に出入りするうちに、当時の歴研キャップにして理論的支柱であった野瀬という男性に憧れて彼の押しかけ弟子となり、やがて2人だけで会う機会も多くなりました。そして佐野から地下潜行の話を聞いた時、野瀬もまた自分の前からいなくなると直感した節子は、これまで自分は彼の思想や行動を尊敬しているだけではない気持ちに「つまり彼を愛してしまっていること」に気づきます。
 
やがて翌年夏、あの六全協の決定を受けた多くの学生活動家同様に節子もまた党の無謬性神話の崩壊と共に自身の自我が崩壊していくような経験に直面することになります。そして夏が過ぎて秋となり、次々と大学を離れた学生たちが戻ってくる中、節子は野瀬との再会を心待ちにしていましたが、肝心の野瀬からは何の連絡もなく、意を決して駒場の歴研を訪ねた節子に対して偶然その場に居合わせた野瀬は「君と会うのがこわかった」と言います。
 
野瀬は今回の党の決定がどういう意味を持っているのかも、これからどうすればいいのかも何も判らないとうなだれ、さらには今回ばかりではなくこれまでも自分は何一つ判っておらず、ただ皆が言っていることをそのまま反復していただけであったと自身の苦悩を告白します。こうした野瀬の無様な姿を目の当たりにした節子は彼に対してかつてない親近感を覚える反面で、これまで彼に対して抱いていた畏敬の念が自分の中で急速に醒めていくことを淋しく感じていました。
 
その後、節子は学生活動を辞めて大学に閉じ籠り、卒業時に文夫と婚約します。節子は文夫の「正確な優しさ」に満ち足りた気持ちを覚えつつも、どこか物足りなさを感じていました。そしてある日、節子は窓際でタバコを吸っている文夫のニヒリズムに取り憑かれた横顔を見て以来、文夫との関係に漠然とした疑問を抱き始め、その疑問はあのH全集を目にした時に決定的なものになりました。
 
やがて節子は過去に囚われたままで未来に進もうとしない文夫に失望を深めていく一方で、かつて野瀬と過ごした幼くも純粋な日々の中に「眼くるめくような官能の歓び」を見出していたことに気付きます。そしてこうした経験がこれからの文夫との生活では決して起こり得ないだろうと悟った彼女は衝動的な自殺未遂を図ります。
 
その後、何とか九死に一生を得た節子は「せめて、生きたと言える日々を自分がまた持つ事ができないものか、どうか、もう一度試してみたい」という想いから、文夫との婚約を解消して東北の小さな町のミッションスクールで英語教師になるべく一人旅立っていきました。
 

* 理想の時代における実存文学

 
戦後社会学の泰斗である見田宗介氏は戦後日本を「プレ経済成長期」「経済成長期」「ポスト経済成長期」の3期に区分して、1945年から1960年までの「プレ経済成長期」を「理想の時代」と呼んでいます。ここでいう「理想の時代」とは文字通り、人々がそれぞれの立場からそれぞれの「理想」を求めて生きていた時代です。
この点、当時の「理想主義」を支配していた「大文字の理想」である「アメリカン・デモクラシー」と「ソビエトコミュニズム」は互いに対立しながらも共に保守派権力における「現実主義」と対峙することになりました。けれどもその一方で「理想主義」の対極にあるはずの「現実主義」にしても、やはりまた「豊かな暮らし」とか「明るい未来」などといった「小文字の理想」を追求していました。そして、こういった色とりどりの「理想」が戦後日本の、しばし奇跡とも称される経済復興の駆動力となったことは疑いないでしょう。
 
こうした意味で本作は「理想の時代」における「ニヒリズム」への向き合い方を真摯に問うた作品であるといえます。本作において佐野が「(理想主義的な)大文字の理想」に挫折しニヒリズムに陥り、文夫が「(現実主義的な)小文字の理想」に過剰に同一化してニヒリズムをコントロールしようとする中で「(理想主義的な)大文字の理想」に失望する一方で「(現実主義的な)小文字の理想」にも馴染めなかった節子は誰のものでもない自分だけの「ひとつきりの理想」を探求する旅に出ることでニヒリズムを振り落とそうとするのでした。
 
本作は文夫の視点で読むか節子の視点で読むかでずいぶんと印象が異なると思います。おそらく文夫の視点で読む本作は従来の日本文学ではよくありがちな「挫折文学」の系譜へと送り返されることになるでしょう。けれども節子の視点で読む本作は未規定な主体が果てしなく無限に広がる未来へと自己を投企していく過程を瑞々しい文体で描き出すまごう事なき「実存文学」といえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

パラノ・ドライブとスキゾ・キッズ

 

* ニュー・アカデミズムの起爆剤としての「構造と力」

 
日本経済が空前のバブル景気へ向かいつつあった1983年9月、勁草書房という人文系出版社から一冊の本が出版されました。タイトルは「構造と力」。著者は浅田彰。当時、京都大学人文科学研究所助手のポストにあった弱冠26歳の青年が著したこの本はフランス現代思想を題材にした難解な思想書にもかかわらず15万部を超えるベストセラーとなり、世の中に「ニュー・アカデミズム」と呼ばれる空前の現代思想ブームを巻き起こしました。
 
同書の「序に代えて《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み--千の否のあと大学の可能性を問う」では「サブタイトルを書きながら、はや投げ出したいような気分になってくるのを、どうしようもない」という文章から始まり、何事も要領良くこなす現代の大学生への違和感が表明され、いま大学という場で真に学ぶべき知とは何かが問われます。
 
続いて大学における「文・理学部中心/法・医学部中心」という歴史的変遷から「即時充足的(コンサマトリー)/手段的(インストゥルメンタル)=虚学的/実学的=象牙の塔/現実主義」といった二者択一が提示され、ここで重要となるのは「感性によるスタイルの選択」だと述べられた後、あの有名な一文が現れます。
 
ジャーナリズムが「シラケ」と「アソビ」の世代というレッテルをふり回すようになってすでに久しいが、このレッテルは現在も大勢において通用すると言えるだろう。このことは決して憂うべき筋合いのものではない。「明るい豊かな未来」を築くためにひたすら「真理探求の道」に励んでみたり企業社会のモラルに自己を同一化させて「奮励努力」してみたり、あるいはまた「革命の大義」とやらに目覚めて「盲目なる大衆」を領導せんとしてみたりするよりは、シラけることによってそうして既成の文脈一切から身を引き離し、一度すべてを相対化してみる方がずっといい。繰り返すが、ぼくはこうした時代の感性を信じている。
 
その上であえて言うのだが、評論家になるのも良くない。〈道〉を歩むのをやめたからといって〈通〉にならねばならぬという法はあるまい。自らは安全な「大所高所」に身を置いて、酒の肴に下界の事どもをあげつらうという態度には、知のダイナミズムなど求むべくもない。
 
要は、自ら「濁れる世」の只中をうろつき、危険に身を晒しつつ、しかも、批判的姿勢は崩さぬことである。対象と深く関わり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。同化と異化のこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するすぐれてクリティカルな体験の境位であることは、いまさら言うまでもない。言ってしまえばシラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである。
 
先ほどの文脈で言うとどうなるか。醒めた目で知を単なる手段とみなすことはまず退けられる。そもそも、あなたは目的そのものにシラケているはずだ。かといって、知を目的として偶像化するほど熱くなることもない。そこで、あなたは「どうせ何にもならないけれど」と言いつつ知と戯れることができる。そして、逆説的にも、そのことこそが知との真に深いかかわりあいを可能にする条件なのだ。
 
(「構造と力」より」)

 

* 構造主義ポスト構造主義

 
ここから氏は大学における知の二者択一から社会科学という学問分野それ自体に突きつけられた二者択一へとそのパースペクティヴを拡張した上で、これから同書において問おうとする「構造主義」と「ポスト構造主義」の見取り図をざっくりと素描していきます。
 
まず議論の出発点に氏は人間を「狂った生き物」とする考え方を置きます。すなわち、生の「方向=意味(サンス)」が予めプログラムされた動物や植物と異なり、過剰な「方向=意味」を抱え込んだ存在である人間は放っておいたらどこを向いて走り出すかわからない厄介な存在であるということです。
 
このような「方向=意味の過剰(生きた自然からのズレ)」はまず恣意性のカオスとして現れます。そこで自然の秩序を持たない人間は「恣意性の制限(ソシュール)」としての「文化」という秩序を構成する必要があります。これが構造主義のいうところの「象徴秩序(差異の共時的体系)」です。もっとも、ここで注意すべき点は時系列的にまずカオスがあって次に象徴秩序がくるというわけではなく、人間はつねに/すでに象徴秩序の中にいるのであり、恣意性のカオスはそこから論理的に遡行することで初めて見出されるということです。
 
次に氏は象徴秩序の類型としてレヴィ=ストロースの「冷たい社会」と「熱い社会」という理念型を導入します。この点「冷たい社会」とは近代以前のほとんどすべての社会であり、これらの社会で象徴秩序はトーテミスムなどを導入することでコスモス(自然の系列)とノモス(社会の系列)がメタフォリックに対応する二つの二元構造をとっています。この対応によって本来は恣意的なものに過ぎない各系列の文節化がある程度の安定性を得る事になります。とりわけコスモスは「聖なる天蓋」としてノモスを支え、その秩序を時代の激動から守る役割を果たします。
 
もちろん、そのような仕組みをとったからといって象徴秩序の中に過剰なカオスを回収し尽くすことは不可能です。そこで「冷たい社会」は周期的な祝祭における常軌を逸した蕩尽(ハレの時空)によってこの過剰な部分を処理することで日常における象徴的秩序の安定性を維持しています。
 
これに対して「熱い社会」とは、多くの「冷たい社会」を次々と呑み込み、その各々のコスモスーノモス構造を解体することによって成立した近代社会です。ドゥルーズ=ガタリに倣って言えば、近代社会とは象徴秩序を脱コード化することによって出現した社会です。
 
この点「冷たい社会」が「方向=意味の過剰」をスタティック(静態的)な「差異の体系(構造)」における高次元の象徴的意味のうちに結晶化させようとするのに対して「熱い社会」は「方向=意味の過剰」からなるダイナミック(動態的)な「差異化過程(力)」を一定方向に回路付けて、より速くより遠くまで加速し続ける運動の中に仮初の安定を得ようとします。
 
従って「冷たい社会」が定期的な祝祭を必要としたのに対して「熱い社会」はこうした祝祭を必要としません。「方向=意味の過剰」は一歩でも余計に進もう、余分な何かを生産しようとする日常の絶えざる前進そのものによって、形を変えて解消されることになります。端的にいえばこの日常そのものこそが世俗化された持続的な祝祭空間であるということです。
 

* 二者択一という問題設定そのものを疑うということ

 
もっとも、その一方で「差異化過程」においては「方向=意味の過剰」を一方向に回路づけるための「整流器(加速器/安全装置)」が必要となります。こうした意味での最も有効な「整流器(加速器/安全装置)」として同書は「教育機構」を挙げます。
 
この点「教育機構」の最高学府たる大学においては、一方で「応用科学」としての知がメノトミックな手段性の連鎖に組み込まれ、差異化過程の「加速器」として肥大化していき、他方で「純粋科学」としての知はメタフォリックな対応によって、差異化過程の「安全装置」の役割を果たすようになります。
 
換言すれば一方は「部分的社会工学」といった名の下で断片化・無意味化を余儀なくされ、他方は本来全体たりえぬものを全体と信じ、そのヴィジョンをマンダラの如く崇拝することで近代社会の宗教と化すということです。
 
こうして我々はあの「即時充足的(コンサマトリー)/手段的(インストゥルメンタル)=虚学的/実学的=象牙の塔/現実主義」という不毛な二者択一へと連れ戻されることになります。そしてここで重要なのはやはりこの二者択一という問題設定そのものを疑うことであり、一方で断片と化すことを拒否しつつ、他方で虚構のマンダラを切り裂くことである、と同書は述べます。
 
そして絶対的な基準に同化してそこから近代批判を行う手もさりとて全てを異化し一般的な相対化に訴える手も先が見えている以上、残されているのは、ひとまず近代を常ならぬ恐るべきものとして引き受けた上でその内部で局所的な批判の運動を続ける困難な戦略であるとして氏は次のように述べます。
 
教会の説教壇の如き絶対の高みから大鉈を振るうのではなく、寿司屋のカウンターに魚の切身を並べるようにパラダイムの数々を陳列してみせるのでもない。恐るべき粘着力を持つ近代のドクサの中でそれと格闘し、一瞬の隙をついてそこから逃れ去る、あるいは、それ自体をズラすのである。始原なし目的なしの過程の一契機としての切断。それこそ、近代に絡め取られた知の唯一の可能性であり、大学の生み出しうる最大の事件であり、いま《知への漸進的横滑り》を開始しようとするあなたに先程来提案してきた「方法ならざる方法」なのである。
 
(「構造と力」より)
 

* パラノ・ドライブとスキゾ・キッズ

 
こうした観点から同書の第Ⅰ部においては構造主義とポスト・構造主義のパースペクティヴがより詳細に描き出され、第Ⅱ部においては構造主義のリミットとしてフランスの精神分析医、ジャック・ラカンが位置づけられ、その後いよいよポスト・構造主義の大本命としてドゥルーズ=ガタリが登場します。
 
この点、同書はドゥルーズ=ガタリの「コード化」「超コード化」「脱コード化」という三段階説に依拠した上で、浅田氏は脱コード化を極限まで推し進め「内部」から「外部」に出よと力説します。もっとも、ドゥルーズ=ガタリが言うところの「オイディプス的三角形」をはじめとする近代資本社会に実装された様々な「整流器(加速器/安全装置)」は「脱コード化」を促す過剰の奔出をなし崩し的に解消して、同書が「クラインの壺」と呼ぶ無限循環回路へと還流させていきます。腰を落ち着けたが最後「外部」は新たな「内部」になります。こうした「クラインの壺」の中でなお「外部」へ突き抜けようとするのであれば、重要なのは「常に外へ出続ける」というプロセスに他ならないということです。
 
こうして同書終盤で示された「パラノイアックな競争/スキゾフレニックな逃走」というコントラストは浅田氏の次著「逃走論(1984)」において「若者の生き方論」へと接続されました。同書において氏は(体制/反体制にかかわらず)ひとつの排他的イデオロギーに執着する生き方をパラノイア(妄想症)に喩え「パラノ・ドライブ」と呼びます。これに対して多方向へ逃走しリゾーム的に生成変化する生き方をスキゾフレニー(分裂症)に喩え「スキゾ・キッズ」と呼びます。言うなれば「パラノ・ドライブ」とはこれまでの過去の全てを「統合化(積分)」し続ける生き方であり「スキゾ・キッズ」とは、いまここの現在をアドホックに「差異化(微分)」し続ける生き方のことです。
 
こうして氏は今こそ「パラノ・ドライブ」の外に出て「スキゾ・キッズ」の本領を発揮し、メディア・スペースで遊び戯れる時が来たと力説します。近代における「追いつけ追い越せ」の「パラノ・ドライブ」からポストモダンにおける「逃げろや逃げろ」の「スキゾ・キッズ」へ。こうした考え方は消費化情報化社会が爛熟し、バブル景気へと突入しつつあった1980年代中盤の日本社会の気分と見事に同調することになりました。「パラノ/スキゾ」という言葉は1984年の第1回流行語大賞新語部門で銅賞を受賞し、浅田氏は自らその「逃走」を実践するかのようにマスメディアの寵児となっていきます。
 

* ポストモダンの現在地

 
それでは現代においても、この「パラノ/スキゾ」という構図は未だに妥当なものといえるのでしょうか。
 
この点、国内批評における主要な言説は1970年以降の日本社会では社会をまとめる「大きな物語」が徐々に機能しなくなりポストモダン状況が段階的に進行しているという立場をとっています。その段階は論者によって微妙に異なりますが、大きくいえば、まず1970年前後の「政治の季節」の終焉と共に「理想(マルクス主義に代表されるイデオロギー)」としての「大きな物語」が無効となり、以降は「虚構(浅田氏のいうところのスタイル)」としてのみ「大きな物語」が機能するようになります。
 
そして、こうした意味での「大きな物語」が未だに日本社会で曲がりなりにも機能していた1980年代においては「大きな物語」の凋落を語ることこそが絶対的な価値を持つという相対主義(という名の絶対主義)が台頭することになりました。そして浅田氏の提示した「パラノ/スキゾ」という構図もこうした(疑似的な)相対主義を顕揚する言説として受容されていきました。
 
ところがバブル崩壊や冷戦終焉を背景として日本社会における「大きな物語」の機能が著しく低下した1990年代においては(疑似的な)相対主義を顕揚した80年代的態度も大きく後退することになります。そして阪神淡路大震災地下鉄サリン事件に象徴される1995年という年を境に「大きな物語」の失墜はいよいよ明白なものとなり、もはや何が正しい価値なのかがわからない時代が幕を開けることになります。
 
この点、1995年における社会像の変化を東浩紀氏は「ツリーからデータベースへ」という転回から、大澤真幸氏は「第三者の審級の撤退から回帰へ」という観点から、宇野常寛氏は「ビック・ブラザーからリトル・ピープルへ」という変化からそれぞれ捉えます。
 
この三者の議論はそれぞれが対立する箇所も少なくない一方で、その核心においてはある種の連続性を見出す事もできます。すなわち、ここでは「大きな物語」なきポストモダンにおいて個人がその生を基礎付ける「小さな物語」を生成するシステムとして東氏は「データベース(大きな非物語)」を想定し、こうした物語を生成するシステムの作動原理として大澤氏は「第三者の審級の回帰(享楽の強制)」を想定し、さらに物語とシステムの共犯関係が生み出す病理現象を宇野氏は「リトル・ピープル(異なる物語同士の接続過剰)」と名指しているわけです。
 

* 複数化したパラノ・ドライブと倒錯的なスキゾ・キッズ

 
こうしてみると、確かに「大きな物語」が失墜した現代においては、いまや「大きな物語」を前提とした「パラノ/スキゾ」という構図は成立しないでしょう。けれどもその一方で「データベース」から生成される「第三者の審級の回帰」による「リトル・ピープル」の全面化という現代的状況はある面で「複数的なパラノ・ドライブ」であり、ここから「別の仕方で逃走するスキゾ・キッズ」の可能性を思弁することもできるのではないでしょうか。
 
この点、千葉雅也氏はドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定しているものの、その背景にはドゥルーズが「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」で展開した独自の倒錯論(急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズム)が潜んでいるとして、この事実は「ポスト神経症的欲望」をいわば「精神病と倒錯のオーバーダブ」として捉える立場を示唆しているとしています。
すなわち、ドゥルーズ=ガタリの推進した「分裂分析」とは千葉氏によれば実は「分裂-マゾ分析」であり、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する「性別化のリアル」を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われるということです。そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば「性別化のリアル」の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは「倒錯的な精神病」という折衷案であったことになります。それゆえに、彼らの称揚した「欲望」とは、アイロニーサディズム)とユーモア(マゾヒズム)の往還運動によってこの世界を「特殊な物語」によってコラージュしていく欲望であったといえます。
 
このような「倒錯的な精神病」という解釈を前提とすれば「スキゾ・キッズ」という主体概念もまた「大きな物語」からひたすら逃走するのではなく、むしろ「大きな物語」とは全く無関係に「特殊な物語」を生きる「倒錯的なスキゾ・キッズ」として捉え直すこともできるでしょう。そして、こうした「複数的なパラノ/倒錯的なスキゾ」というアクチュアルな構図から再び「構造と力」を読み直した時、おそらく我々は同書の中に、80年代的相対主義という文脈を遥かに超えた普遍的な批判力を見出すことができるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

正しさと幸せのめぐり合わせ--憑物語/暦物語/終物語/続・終物語(西尾維新)

 

* コンステレーションと物語

 

「あれがデネブ。アルタイル。ベガ。有名な、夏の大三角形--ね。そこから横にすーっと逸れて、あの辺りがへびつかい座よ。だからへび座は、あの辺りに並んでいる星になるわね」
 
(「化物語(下)」より)
 
「宇宙って、ほとんどが真空で、その中にまばらに銀河、星々の集まりがあるって配置なのよね。--なんとなく確率的には、真空に均等に星がばらけてそうに思えるけれど、実際にはそんなことはなく、星々は塊となって、偏って存在しているの。それを図に描いたものが宇宙地図--ふふ。星も人間同様、寂しがり屋ってことなのかしらね」
 
(「終物語(下)」より)

 

コンステレーション」という言葉は一般的には「星座」を意味しています。ここでいう「コン」とは「ともに」という意味であり「ステラ(ステレーション)」とは「星」という意味です。ここから転じて「コンステレーション」とは「布置」や「めぐり合わせ」といった意味でも用いられます。
 
分析心理学を創始したスイスの精神科医カール・グスタフユングは20世紀初めに言語連想検査を通じて人のこころの中に感情に色づけられた一つのかたまりを発見し、これを「コンプレックス」と名づけ、この状態を「コンプレックスがコンステレートしている」と表現しました。ところがその後、ユングはコンプレックスよりもさらに奥深い精神領域に人の精神の基礎となる「アーキタイプ(元型)」を見出し、1940年ごろから「元型がコンステレートしている」という表現が多くなります。
 
そして1950年代になるとユングの論文の中には「コンステレーション」という言葉が「シンクロニシティ」という言葉と関連して頻出するようになります。このシンクロニシティというのは因果論的には説明できないけれども共時的なものとして把握できる現象をいいます。
 
ここでユングは例えば多くの人がUFOを目撃したというような共時的な現象というのは、ある種の元型的なものが多くの人の心の中でコンステレートしているからであるという観点から、こういった意味でのコンステレーションを読み出すことが一つの文化や時代の理解に役立つのではないかと主張しました。
 
こうしたことからユング派の心理療法ではコンステレーションが非常に重視されるようになりました。ユングは個人が過去に抑圧したり切り捨ててきたものを再統合していくプロセスを「自己実現の過程」と呼んでいます。そして、クライエントを援助していく上ではこうした自己実現の過程において現れるコンステレーションを読み出していく事が重要となります。
 
この点、ユング派の分析家でもある臨床心理学者、河合隼雄氏は世界を一つのコンステレーションとして共時的に読み切った例として曼荼羅箱庭療法の作品を挙げた上で、こうしたコンステレーションを通時的に展開していくと、それは「物語」になるといいます。
 
実際に夜空の星座にそれぞれの「物語」があるように、人がそのこころの中に生じたコンステレーションという「めぐり合わせ」はときとして「物語」として生じてくるということです。
 

* 物語を物語る物語

 
この点、ライトノベル的リアリズムの文体を駆使して「UFO」ならぬ「怪異」というメタファーによる「コンステレーション」から「物語」を紡ぎ上げていく過程を鮮烈に言語化した物語として、いわば「物語を物語る物語」として、西尾維新氏の「物語シリーズ」を挙げることができるでしょう。
 
同シリーズの大まかなあらすじというのは、主人公である私立直江津高校3年生、阿良々木暦が春休みに瀕死の吸血鬼、キスショットを助けたことで「吸血鬼もどきの人間」となって、様々な怪異絡みの事件と遭遇する中で人間的に成長していくというものです。
 
同シリーズは「化物語」「傷物語」「偽物語」「猫物語(黒)」からなる「ファーストシーズン」と「猫物語(白)」「傾物語」「花物語」「囮物語」「鬼物語」「恋物語」からなる「セカンドシーズン」を経て「憑物語」「暦物語」「終物語」「続・終物語」からなる「ファイナルシーズン」において、ひとまずの区切りを迎えることになります。
 
 
 
 

*「終わり」へと向かうコンステレーション--憑物語

大学受験まであと1ヶ月となった2月13日、阿良々木は鏡に映らなくなってしまった自分に気づきます。阿良ヶ木の相談を受けた怪異の専門家である影縫余弦と彼女が使役する憑喪神の怪異である斧乃木余接は検証の結果、阿良ヶ木が昨年の春休みにキスショットの眷属となって以降、これまで幾度となく吸血鬼の力に頼ってきた代償として、いまやキスショットの眷属としてではなく「生まれついて」の吸血鬼となりかけていると結論します。
 
これ以上の吸血鬼化の進行を回避する方策はただ一つ。吸血鬼の力にこれ以上頼らないこと。影縫たちに今後二度と吸血鬼の力を使わないと約束する阿良ヶ木でしたが、その矢先に彼の後輩と妹たち、神原駿河、阿良ヶ木火憐、阿良ヶ木月火が何者かに誘拐されたという知らせが入ります。
 
こうして北白蛇神社にて阿良ヶ木は誘拐犯である人形使い手折正弦と対峙します。彼は余接の「製作者」の一人でもあります。阿良ヶ木は余接の力を借りて正弦を倒し、なんとか事態を収束させますが、その一方で余接でこの事件の「黒幕」の正体を示唆しています。こうして「終わり」へと向かうコンステレーションが大きく描き出されていく事になります。
 

*「終わり」へと向かうもうひとつのコンステレーション--暦物語

ファイナルシーズンは当初「憑物語」「終物語」「続・終物語」の三部作構想だったようですが、シリーズの長期化に鑑み、この辺りで一度これまでのシリーズを振り返ろうという意図で執筆されたのが全12話からなる本作です。
 
この点、第1話から第9話ではもっぱら日常の中で生起する様々な不思議な出来事が語られます。花壇に祀られた奇妙な石。屋上においてある花束。鬼のような模様を浮かび上がらせる砂場。未来の結婚相手を水面に映す風呂。不吉なおまじないの噂。空手道場の庭に突然現れた大樹。茶道部のお菓子を食べる幽霊。山頂に建立された神社。消えたドーナツ。これらの出来事は一見、怪異絡みのようで、最終的には怪異とは無関係な出来事として説明がつけられます。
 
けれども後に「終物語」で明らかになるように、こうした「説明不可能なことに説明をつけてしまう」という非怪異的な対処法こそが、むしろ怪異への真っ当な対処法であるともいえます。そういう意味では本作で語られる非怪異的な出来事達の中にも「終わり」へと向かうもう一つのコンステレーションを見出す事ができるでしょう。
 
そして第10話は前々作「恋物語」のサイドストーリーであり、第11話と第12話は前作「憑物語」の後日談になります。そして本作のラストにおいて阿良ヶ木は意外な人物と再びめぐり合うことになります。
 

*「終わり」へと向かう二つの「始まり」--終物語

 
前作のラストからファイナルシーズンの物語はその「終わり」に向けて大きく動き出すことになりますが、本作は上中下の3巻構成となっており、まずは上巻と中巻で「終わり」へと向かう二つの「始まり」の物語が語られることになります。
まず上巻のあらすじはこうです。10月下旬、阿良々木は神原経由で直江津高校に転校してきたばかりの1年生女子である忍野扇と出会います。そして扇は阿良ヶ木に直江津高校には「隠し教室」があるといい、果たして阿良ヶ木と扇はその「隠し教室」の中に閉じ込められてしまいます。これは何らかの怪異現象ではないかという扇の語りに導かれて、阿良ヶ木は2年前に起きたある事件を想起します。
 
2年前に阿良ヶ木が所属していた1年3組の学級委員長であった老倉育は病的な数学マニアであり、本人は世界史上最も美しいといわれる数式に倣い自身を「オイラー」と呼ばれたがっていましたが、彼女の意に反してクラスでのあだ名は「ハウマッチ(おいくら)」でした。そして老倉は自分が「オイラー」と呼ばれないのは阿良ヶ木が自分より数学の出来が良いせいだと思い込み、彼を蛇蝎のごとく嫌っていました。
 
2年前の7月15日、老倉は数学の試験で起きたカンニング疑惑の犯人を探す秘密学級会を開催し、阿良ヶ木は議長に指名されます。議論は紛糾し最終的に「多数決」で犯人は老倉ということにされてしまい、結果、彼女は不登校になってしまいます。
 
この話を阿良ヶ木から聞いた扇は事件の真犯人を見事に特定してしまいます。そしてその翌日、2年ぶりに登校してきた老倉との再会をきっかけに、阿良ヶ木はこれまで完全に忘却していた自らの過去と向き合うことになります。
 
次に中巻のあらすじはこうです。8月下旬、とある事件によって忍野忍(旧キスショット)とのペアリングが切れてしまった阿良ヶ木は怪異の専門家の総元締めである臥煙伊豆湖に神原を呼び出してほしいと頼まれます。
 
ところが阿良ヶ木が神原と待ち合わせた学習塾跡に謎の鎧武者が現れ、応戦した神原を鎧武者はエナジードレイン(対象の体力や精神力を奪う怪異現象)で圧倒します。たちまち窮地に陥った阿良ヶ木たちでしたが、突然発生した火災と余接の登場で辛くも命拾いします。その後、忍、伊豆湖と再会した阿良ヶ木はその鎧武者の正体が400年の時を経て復活した忍の最初の眷属「初代怪異殺し」であることを知ります。
 
現代に蘇った初代怪異殺しはかつての主人である忍とヨリを戻すことを熱望しますが、その一方で、忍は言を左右に彼との再会を頑なに拒絶します。そんな忍の煮え切らない態度を神原は「きみはただの人見知りだ」と真っ向から非難します。そして阿良ヶ木は忍の心中を理解しつつも、あえて憎まれ役を務めてくれた神原に報いるため初代怪異殺しとの決闘に赴きます。
 

*「終わり」の「終わり」--終物語

 
この一見して関連性のなさそうな二つの物語は「忍野扇」という存在を語る上で実は密接に関連しています。すでにセカンドシーズンの頃から数々の伏線が露骨に張られているように、この「忍野扇」という存在こそがファイナルシーズンの真のラスボスとなります。
この点、阿良ヶ木はあるところでは「忍野扇さえいなければ」と述べ、別のところでは「忍野扇がいてくれたから、今がある」とも述べています。このような意味で阿良ヶ木にとって彼女は極めて両義的な存在として位置付けられています。
 
こうして、いわば「終わり」の「終わり」となる下巻でいよいよ阿良ヶ木は扇と「対決」することになります。そして、この「対決」は彼がこれまで目を背け続けてきたものそのものとの「対決」であるといえます。
 

* あなたはあの日失った正しさをずっと追い求めている--終物語

 

 「僕はあのときまで、正しさみたいなものを信じていた--世の中には正しいことがあって、それができるかできないか、なんだって。だけど、間違ったことでも、酷いことでも、馬鹿げたことでも、多くの人がそれを肯定すれば、正しくなってしまえることを、僕は知った」
 
 (「終物語(上)」より)

 

この点、本作を駆動する大きなテーマの一つが「正しさ」です。この点、幼少期から中学に至るまでの阿良ヶ木は警察官を職業とする両親の教育によって普遍的な「正しさ」を曇りなく信奉する少年でしたが、あの高校1年の秘密学級会で「多数決」により「正しさ」が捏造される瞬間に直面したことが契機となり、以降の彼はよく知られる「友達はいらない。人間強度が下がるから」という台詞に象徴される厨二病ニヒリズムに陥ります。
 
 「あなたはあの日失った正しさをずっと追い求めている--失った正しさを取り戻すために、あなたがこの教室を作ったのですよ」
 
 (「終物語(上)」より)

 

もっとも、こうした阿良ヶ木の厨二病ニヒリズムもあの春休みにキスショットと邂逅して以降、数多くの出会いの中でずいぶんと揺らいではきましたが、やはり彼の中ではかつて抑圧した自らの「正しさ」とは折り合いをつける事は出来ずにいました。けれども本作ではいよいよ「正しさ」の方から彼に「対決」を迫ってくる事になります。
 
 「間違いを正し続けていけば--ミスを一つずつ潰していけば、いつかはそれは、真っ白な正しさになるんだろうか。どちらかと言えば真っ黒な正しさになりそうだけど、とにかく、煎じ詰めれば、僕が知りたいのはそういうことだ。」
 
 (「終物語(下)」より)
 
 「そして私もまた、間違いを正すタイプの正しさを追い求める者です--ルール違反をした者に退場を命じるのが、私の役割です」
 
 (「終物語(下)」より)

 

* 幸せになろうとしないことは卑怯だよ--終物語

 

「私が嫌いなのは、幸せの理由を知らない奴。自分がどうして幸せなのか、考えようとしない奴」
 
「自力で沸騰したと思っている水が嫌い、自然に巡ってくると思っている季節が嫌い。自ら昇ってきたと思っている太陽が嫌い--嫌い、嫌い、き、き、嫌い--嫌いだ。お前が嫌いだ」
 
(「終物語(上)」より)

 

そして同作を規定する大きなテーマのもう一つが「幸せ」です。この点、上巻では阿良ヶ木と老倉の意外な関係と老倉の苛烈な過去が詳らかにされます。いわゆる「親ガチャ」に恵まれなかった人生の歩み手であった老倉はかつてやっとの思いで発したSOSに当時の阿良ヶ木が全く気付かなかったことから「阿良ヶ木のせいで私の人生はめちゃくちゃになった」という論理を作り上げ、自分の心を辛うじて守っていました。
 
「わかっているわよ。お前のせいじゃない、私が悪いってことは--親のせいでもない。お母さんの言ったことが正しいんだ、生まれたのが私じゃなきゃあ、もっとまっとうな人生だった。私が悪い。私が悪い。私が悪い」
 
「だけどさあ、お前のせいにでもしなきゃ、やってられないんだ、阿良ヶ木。申し訳ないけど、私の悪者になってよ。もう駄目なんだよ、追いつかないんだよ、親を悪者にしているだけじゃあ」
 
「どうしてうまくいかないんだろう。私、ちゃんとやっているのに、努力しているし、頑張っているし……そりゃ性格とか頭とか、色々おかしいところはあるけど……。ここまでの罰を受けるような悪いこと、何もしてないじゃん。教えてよ、阿良ヶ木。お前、今幸せなんでしょう?それに少しでも私が貢献しているって言うなら、そう思ってくれるなら、教えてよ。どうして私は幸せになれないの」
 
「だってさあ、私の脆さで幸せになんかなったら、ぐしゃって潰れちゃうわよ。目も身も、潰れちゃうよ。幸せの重みに耐えられない。今更幸せになるより、ぬるーい不幸に足首まで浸かって、適当に凌いでいきたい。靴をずぶ濡れにして生きていきたい。実際にそうしてきたし……うん。今更幸せになんてなりたくない。手遅れなんだよ」
 
(「終物語(上)」より)

 

このような老倉の処世観に対する本作からの間接的な応答となるのが、中巻における阿良ヶ木に対する余接の次のような言葉となります。
 
「言い訳のようにも聞こえるけどね。(略)幸せにならないから勘弁してください、幸せになろうとなんかしないから、どうか許してください、どうか見逃してくださいと言っているようにも。僕達はこんなに不幸なんだから責めるなよ可哀想だろって主張しているようにも。ねえ鬼いちゃん、ひょっとしてあなた、不幸や不遇に甘んじていることを、『頑張っている』と思っちゃってるんじゃないの?」
 
「そういういうのを世間では『何もしていない』って言うんだよ--不断の怠けだ。不幸なくらいで許されると思うな。終わったくらいでリタイヤせずに、ハッピーエンドを目指すべきだ。」
 
「不幸でい続けることは怠慢だし、幸せになろうとしないことは卑怯だよ」
 
(「終物語(中)」より)

 

そして、このような阿良ヶ木の「幸せ」に背を向け続ける「卑怯」な態度が「間違いを正す」存在としての「正しさ」を生み出す事になりました。
 
こうした「正しさ」との「対決」を経て阿良ヶ木が手にしたのは「幸せ」なるための答えでした。それはおそらく皆が知っているけれども知らないふりをしている極めてシンプルな答えであったといえます。結局のところ、人は知っていることしか知らないということなのでしょう。
 
ここで一つの「物語」が終わり、新たな「物語」が幕を開けます。いわば本作はさまざまなコンステレーションの「めぐり合わせ」の中で「正しさ」と和解して「幸せ」に向きあっていく自己実現の物語を物語る物語であったといえます。
 

* ささやかな救済としての「終わり」の「続き」--続・終物語

臨床心理士の岩宮恵子氏は思春期の子どもにとって「鏡」とは鏡の「こちら側」をそのまま映すだけのものではなく、その「向こう側」の何かを見せるものであると述べています。すなわち境界性を内包している思春期の身体は、この世の日常とは違う位相に開かれやすく、そのとき「鏡」は違う位相への通路となり、そして鏡の中の「向こう側」の自分、つまり位相の違う別の世界の自分が「こちら側」の自分よりもリアリティを持つことが十分に考えられるということです。
 
「終わり」の「続き」となる本作で阿良ヶ木は「鏡の国」に迷い込みます。そこはいわば裏が表になった世界であり、いわば切り捨てられた「向こう側」を「こちら側」に引き戻した世界でした。そして、この世界では本作では多くのキャラクターの「裏側」が現れます。これまでの読者であればお馴染みの「裏側」もあれば、初めて見る「裏側」もあるでしょう。
 
ここでとりわけ注目すべきは終物語で地獄から火を取りにきたような存在感を放った老倉育の「裏側」です。彼女が垣間見せた「裏側」はかつてあまりにも眩しくて目を背けた「選ばなかった未来」の姿でした。
 
いわば彼女は「向こう側」を引き戻すことで、ほんの少しだけ「選ばなかった未来」を生きる事ができたといえます。そしてそれはやはり「めぐり合わせ」の中でかつて切り捨てた「正しさ」と「幸せ」を救い上げていく自己実現の過程であったともいえるでしょう。こうした意味で本作は語り残した老倉育のささやかな救済の物語であったようにも思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

50年目のアンチ・オイディプス

 

* 二人で書くということ

 
「(ジル・ドゥルーズ)2年半ほど前のことになりますが、私はフェリックスと出会いました。フェリックスは、私が自分よりも先を行っていると感じていたし、何かを期待していた。私には精神分析家のような責任もなければ、精神分析を受ける人のような罪悪意識とか、条件づけもなかったからです。私には特定の場所などありはしなかったし、おかげで身軽でもあったわけです。そして精神分析というのは、みじめなものであるだけに、なかなか面白いと思っていたのです。」
 
「(フェリックス・ガタリ)68年5月はジルにとってもぼくにとってもたいへんな衝撃だった。同じような思いをした人は他にも大勢いたけどね。ぼくたちはふたりはお互い面識がなかったけれども、いま考えてみると『アンチ・オイディプス』は、やはり68年5月の帰結なんだ。ぼくに必要だったのは、ぼくが身をもって体験した4つの生の様態を、統合というのではなく、継ぎ合わせることだった。僕には目印になるものがいくつもあった。たとえば分裂病を基準にして神経症を解釈する必要性がそうだ。」
 
ジル・ドゥルーズ「記号と事件」より)

 

1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた「欲望」の奔流を原理的に考察して1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こした「アンチ・オイディプス--資本主義と分裂症(1972)」が公刊されてから今年で50年が経ちました。
周知の通り同書はフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズ精神分析家、フェリックス・ガタリの共著となっています。両者は1969年春ごろから文通を始めて、同年の6月に共通の友人の紹介で直接の対面を果たしています。まずコンタクトを取ったのはガタリの方で、共同作業を提案したのはドゥルーズだったそうです。こうして孤独でいることを好むドゥルーズと仲間とのつながりを大切にするガタリという対照的な性格を持つ二人からなる多産なコラボレーションが始まりました。
 
この点、両者の役割分担については(ガタリの証言によれば)同書の最終的な仕上げ作業と全体のおおまかな方向づけはドゥルーズが行い(ドゥルーズの証言によれば)ガタリは同書における特異な概念の多くを提案したとされています。もっとも、AO の執筆作業は単純な「分担執筆」には還元できない極めて複雑なプロセスにより成立しています。
 
伝え聞くところによれば、二人は基本的に毎週火曜日午後にドゥルーズの家でディスカッションを開催していたそうですが、ここで提出された問題や概念については、各自それぞれがテクストを書いた後に、これを交換し合って補足を入れ合って、時には新たな概念から裁断し直したりもして、互いのテクストを循環させていくような作業を幾度となく繰り返していたそうです。こうした意味で、いわば「アンチ・オイディプス」という本はドゥルーズガタリという二人の著者の「あいだ」から産み出された自律的なテクスト群から成り立っているともいえるでしょう。
 

* 精神分析への挑戦状

 
よく知られるように「アンチ・オイディプス」の主旋律を成すのはその極めて激越なまでの精神分析批判です。この点、精神分析創始者ジークムント・フロイトは19世紀末、当時謎の奇病とされたヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中で、その原因が幼児期の性生活に由来する性的欲望と性的空想のなかにある事を突き止めて、幼児期の性生活の中核には、異性の親に愛着を持つ一方で同性の親に対する憎悪を抱くという「エディプス・コンプレックス」なる心的葛藤があることを発見しました。
 
この一見して奇怪なフロイト神話を構造言語学の知見を用いて再解釈したのがフランス現代思想史における構造主義の代表的論客として知られる精神分析ジャック・ラカンです。ラカン理論の最も大きな特徴は人の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相によって把握する点にあります。そして、ラカンエディプス・コンプレックスを「象徴界」という「シニフィアンの構造」を統御するシニフィアンである〈父の名〉の導入として捉え、この〈父の名〉が正常に導入されているか否かを基準として、人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかへと鑑別しました。
 
これに対して「アンチ・オイディプス(以下AO)」はフロイトラカンが提示するエディプス・コンプレックスに規定された「神経症=いわゆる正常」という構図を真正面から批判します。この点、同書においてドゥルーズ=ガタリは「欲望機械」という奇妙な概念を提示します。つまりAOで「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「機械」に宿る非主体的な力の作用として捉えられています。
 
これら「欲望機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだします。こうした矛盾した二面性からなるプロセスをドゥルーズ=ガタリは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった両義的な表現で定式化しています。
 

* 構造の破壊者としての欲望機械

 
ところで、この「欲望機械」なる概念はガタリが提示した「機械-対象 a 」という概念に由来します。ガタリは「機械と構造(1969)」という論文において「構造」を重視する50年代ラカンを批判しつつ「構造を超えるもの」としての60年代ラカンが提出した「対象 a 」に注目しました。
 
ただし、この時点でのラカンのいう「対象 a 」は「構造」それ自体を変革する契機は存在しません。ここでいう「対象 a 」はいわば「構造」を安定させるための装置に過ぎません。これに対して、ガタリのいう「機械-対象 a 」は「構造」という名の因果の連関を多様多彩な形へと切断して「構造」に規定された「一般性」に回収不能な個々の「特異性」を切り出す機能を担います。すなわち「機械-対象 a 」はいわば「構造」を脱構築していく装置ということになります。
 
すなわち、ドゥルーズ=ガタリから言わせれば「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているということです。ここからドゥルーズ=ガタリは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出しました。
 

* 特異点としての分裂症者

 
こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ=ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分します。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるといいます。
 
すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになる。
 
こうした意味において、幼児の多様多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、AOではラディカルな批判が浴びせられることになります。
 
そしてAOはシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めました。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部に在ります。すなわち、この世界を分裂症の側からみるということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他ならなりません。こうしたことからドゥルーズ=ガタリ精神分析オルタナティブとして、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱しました。
 

* ツリーからリゾーム

 
AOにおいてドゥルーズ=ガタリが目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された「千のプラトー(1980)」において「リゾーム(根茎)」という概念へ昇華されることになります。
リゾーム」とはタケやハスやフキのように横に這って根のように見える茎、地下茎のことをいいます。この点「ツリー(樹木)」は1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えています。これに対して、リゾームには全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなります。
 
こうしたリゾームという言葉によって、ドゥルーズ=ガタリは、旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのでした。
 

* 50年目のアンチ・オイディプス

 
オイディプスの首を切り飛ばし、千の欲望を表出せよ!こうしたドゥルーズ=ガタリの激越なメッセージは1970年代という革命の夢が潰えた時代においてはある種の解毒剤の役割を果たしました。こうしてAOはフランス内外で熱狂的な反響を呼び起こし、日本でも1980年代における「ニュー・アカデミズム」と呼ばれる思想的流行以降、ドゥルーズ=ガタリの名は国内批評シーンに少なからぬ影響力を行使しています。
 
そしてその核心にあるのは精神分析的欲望=神経症的欲望から解放された「別の仕方での欲望」の肯定です。1980年代における浅田彰氏のスキゾ・キッズ支持、1990年代の宮台真司氏のコギャル支持、そしてゼロ年代東浩紀氏のオタク支持など、それぞれの時代の思想をリードした言説はまさにこうした色とりどりな欲望の開放の中に位置づけることができるでしょう。
 
そしてAOの公刊から50年が経過した現在、あの「68年5月」は遠い記憶となり、今やオイディプス的価値観は加速するポストモダン化の中で完全に失墜し、いまや切り飛ばそうにももはやその首自体が無いという状況のようにも見えます。では今日においてAOを読むのはもはや単なる懐古趣味かといえば、もちろんそうではありません。
 

* 管理社会とダブルシステム

 
確かに現代においてオイディプスは完全に過去のものとなったといえるでしょう。けれどその一方で、現代という時代はオイディプスよりも「さらに悪いもの」が出現した時代ともいえます。そして、こうした時代の到来をドゥルーズはすでに30年以上前に「管理社会」という名でこの上なく的確に予言していました。この管理社会においては、人々を命令と懲罰で従属させる「規律権力」よりも、人々の生活環境に恒常的に介入する「生政治(環境管理型権力)」が優位となり、様々なアーキテクチャによる統制の下、個人はデータベース化され、あたかもモルモットか何かのように飼い殺されていくことになります。
 
もっともその一方で管理社会とは、端的にいえばかつてのオイディプスアーキテクチャとして回帰してきた社会であり、ここでもまた「欲望」をいかに奪還するかというかつてAOが提出した問題がそのまま反復される事になります。
 
この点、気鋭のドゥルーズ研究者として知られる千葉雅也氏は今年の読書界で大きな反響を呼んだ新書「現代思想入門(2022)」でAOを始めとする現代思想を学ぶ今日的意義について、我々の生きる社会の「単純化できない現実」の難しさを以前より「高い解像度」で捉える点にあると述べています。
まず氏は我々が生きる現代社会においては様々な領域で「きちんとする/ちゃんとしなければならない」という「秩序化」と、世界の細やかな多様性がブルドーザーで均されてしまうかのような「単純化」が進行しているといいます。こうした現代社会における大きな傾向はかつてドゥルーズが予言した管理社会の全面化といえます。
 
その上で氏はこうした「秩序化=単純化」が加速する時代的傾向に対して現代思想とは「秩序化=単純化」からの逸脱に注目する営みであるとします。もちろんこれは単純な無秩序な世界を手放しで称揚するようなものではありません。要するに一方で「秩序を作る思想」はそれはそれで必要だけれども、他方で「秩序から逃れる思想」も必要だという「ダブルシステム」の思考こそが重要であるということです。そして、こうした「ダブルシステム」という観点から再びAOを読み直すとき、我々はそこにかつてとはまた異なる新たなる輝きを発見することもできるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

規律権力と生政治

 
 

*「人間学的思考」の起源を問い直す

 
1960年代、フランスにおける思想界のトレンドは「実存主義」から「構造主義」へと変遷します。ジャン=ポール・サルトルに代表される実存主義は人が独自の「実存」を切り拓いていく自由な存在=主体であることを限りなく肯定しましたが、クロード・レヴィ・ストロースに代表される構造主義が暴き出しだしたのは、我々の文化は主体的自由の成果などではなく、歴史における諸関係のパターン=構造の反復的作動に過ぎないというものでした。そして、こうした中で「実存」としての人間がいかなる「構造」によって規定されているのかを歴史的文脈においてラディカルに問い直した思想家がミシェル・フーコーです。
1950年代にフーコーはそのキャリアを心理学者としてスタートさせました。当時、フーコーが発表したいくつかのテクストでは「意識から逃れ去る夢の解読」や「社会の中で疎外される人間性の回復」のような、いわば「喪失したもののの回収」という「人間学的思考」を主題としており、こうした「人間学的思考」は概ね当時のフランスを席巻してた実存主義人間主義マルクス主義へと送り返すことができます。ところが1960年代に入るとフーコーはかつて自らが依拠していた「人間学的思考」の起源を問い直すことになります。
 
フーコーの実質的なデビュー作と見做される「狂気の歴史(1961)」では近代的意味での「狂気」と「人間学的思考」との間にある共犯関係が明るみに出され、かつてのフーコーが依拠していた「人間学的思考」が、歴史的な文脈の中で検討に付すべき一つの問題として扱われることになります。
 
そして「臨床医学の誕生(1963)」においては「人間学的思考」が依拠する「見えるもの(ポジティヴなもの)」と「見えないもの(ネガティヴなもの)」という二項対立それ自体が問いに付されることになります。
 
すなわち「人間学的思考」において我々の世界を構成する事物としての「見えるもの」は、その背後の「見えないもの」に規定されているという二項対立が想定があります。ところが、ここに至って「見えないもの」とされるものは、別に根源的なものでも何でもなく、畢竟「見えるもの」しかなかったところに事後的に生じる一つの効果に過ぎないものであることが詳らかにされます。ここでフーコーはかつて自らも依拠した「人間学的思考」から決定的に離脱する一歩を踏み出すことになります。
 
さらにその後、フーコーは、こうした「人間学的思考」の起源へと向かいます。「見えるもの」と「見えないもの」との垂直的関係は、歴史の中でどのように成立したのか。そしてそこから至上の主体であると同時に特権的な客体でもあるようなものとしての「人間」が西洋の知の中にどのようにして登場することになったのか。こうした問いに答えようと試みたのが構造主義ブームの最盛期に出版された「言葉と物(1966)」です。「人間の終焉」という挑発的なテーゼを打ち出した同書は難解な専門書であるにもかかわらず大反響を得て、フーコーは「構造主義の司祭」とまで持ち上げられることになります。
 

* 言説分析から権力分析へ

 
こうして人間学的思考からの脱出プロセスに一つの区切りをつけた後、1970年代に入るとフーコーは自身の研究テーマをこれまでの知と言説をめぐる分析から、知と権力の関係をめぐる分析へと転回させることになります。
 
フーコーは1970年、アカデミズムの最高峰、コレージュ・ド・フランスの教授に就任し、同年12月に行われた開講講義では言説が孕む権力と言説の産出を制御する権力が問われました。すなわち、フーコーにとって権力の問題はまずはこれまでのフーコーの言説をめぐる分析の延長線上に出現したともいえます。
 
その一方で、1968年に起きたいわゆる「パリ5月革命」を契機とする世界的な学生運動の盛り上がりを受けて、社会的闘争に身を投じるようになったフーコーは1971年に監獄に関する情報収集を目的とした「DIP(監獄情報グループ)」を創設します。またコレージュ・ド・フランス講義においても1971年-1972年講義「刑罰の理論と制度」以降、数年にわたり西洋における刑罰制度の歴史をテーマとして扱うようになります。
 
こうした実践と理論の連関の中で、やがてフーコーは権力における「抑圧」や「排除」というネガティヴな側面から、むしろ権力における「生産」というポジティヴな側面に注目するようになります。そしてこのような観点から権力のメカニズムを捉え直した研究の成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」です。
 

* 君主権的権力から規律権力へ

西洋の刑罰制度は18世紀末ごろから、かつて公衆の面前で身体に苦痛を与えるという身体刑中心の刑罰制度から、個人を監獄に閉じ込めつつ矯正することを目指す自由刑中心の刑罰制度へと変貌を遂げます。このような移行については、従来、文明の進歩や近代啓蒙思想といった観点から説明がなされてきました。
 
これに対してフーコーは「身体刑から自由刑へ」という処罰形式の転換を「君主権的権力から規律権力へ」という権力のメカニズムの歴史的変容との連関から解明しようとしました。
 
まず、かつての身体刑は、実は単なる野蛮さの印ではなく当時の「君主権的権力」のもとで明確な機能を果たすものでした。ここでいう「君主権的権力」とは、君主と臣下の間の非対照的な力関係において作用する権力をいいます。そのような権力形態において法律とは至上権を持つ君主の命令であり、法律違反としての犯罪とは君主への反逆であり、その犯罪に対する処罰は反逆者への報復を意味しています。
 
そしてその際、その反逆者に対して君主自身が被った損害よりもはるかに大きい損害を公の場において与えることで、君主の持つ支配力が再確認され強化されることになります。すなわち身体刑とは犯罪によって損なわれた君主権を修復する儀式のようなものであったということです。
 
以上のような「君主権的権力」に対して、17世紀から18世紀にかけて、それとは全く異なるタイプの権力が登場し、西洋社会の中で大きな広がりを獲得したとフーコーはいいます。「規律権力」と呼ばれるその新たな権力は、一方の他方に対する支配力を誇示する代わりに、すべての人々を一様に監視し管理することで、「従順かつ有用な個人」を作り上げることを目指します。
 
このようなものとしての「規律権力」が社会全体を覆うようになり、それに伴い「規律権力」を担う「しつけ」の装置としての監獄における自由刑が処罰のための自明な手段として急速に広がることになります。
 

* パノプティコン

 
監獄のそうした範例的役割を端的に表しているものとして描き出されたのが、功利主義で知られるイギリスの哲学者ジェレミーベンサムによって考案された「パノプティコン」です。「パノプティコン」とは中心に監視用の塔を置き、周囲の円環状の建物の中に受刑者を留め置くための居室を配置した建築物です。
 
この建築物においては中央の塔からすべての居室を余すところなく見渡すことができますが、その一方で各居室からは塔の中も他の居室も見ることができません。こうして受刑者は自分が誰にみられているのか、そしてそもそも誰かに見られているのかどうかもわからない状態で常に監視されているという意識を持つことになります。
 
見られずに見ることを可能としたこのシステムによって、いわば権力が没個人化すると同時に自動化することになります。もはや誰が監視しているかわからない以上、監視しているのは誰でもよく、極端に言えば、誰も監視しなくても構わないわけです。
 
以上のような規律権力を作動させるものとしてパノプティコンはもはや監獄専用の施設ではなく、一般化可能なモデルとなりえます。病院や工場や学校など、個々人に働きかけて一定の行動様式を課すことが必要とされる様々な場所においてパノプティコン的な建築モデルが極めて効率的で経済的なシステムとしてその効力を発揮することになります。
 

* 権力が生み出す知

 
そしてこのパノプティコン的なシステムは従順で有用な個人を作り上げる機能を持つと同時に、観察や分類、記録や検査によって個々人を「個人化(客体化)」する機能を持ちます。こうして躾けるべき個人が同時に知るべき客体として構成されます。
 
つまりここでパノプティコン的なシステムは個々人に関する知の産出を可能とするシステムとして機能しています。権力のメカニズムと知の形成とがわかちがたく結びついているということ。このことこそが「監獄の誕生」においてフーコーが提示する最も重要なテーゼの一つです。
 
こうしてフーコーは監獄における「非行性」を例に、パノプティコン的なシステムにおいて実際に個人が知の客体として出現するプロセスを明るみに出していく一方で、そのようにして構成された知の方もまた権力に対して作用を及ぼすということを明らかにして、知の形成と権力の増強の間には不断の相関関係があるということも強調します。
 
権力と知は互いに絡み合っていうということ。相互的で循環的なプロセスに従って知が形成され、権力が増強されるということです。
 
この点、60年代におけるフーコーの言説分析の全体においては、歴史の中で人間と真理がどのような関係に立ち、そこから人間をめぐるどのような探求がなされたのかという点が問われてきました。
 
そして、この問題を刑罰制度の歴史をめぐる考察の中で改めて取り上げ直すことになったのが「監獄の誕生」です。ここでは、権力のメカニズムの中で人間が自らの「魂=固有の真理」に縛り付けられた主体として構成されていくプロセスを詳らかにすることで「人間の出現」という出来事が、新たな権力関係の成立によってもたらされた帰結として捉え直されることになります。
 

* 規律権力と生政治

 
「監獄の誕生」の翌年に出版された「性の歴史1知への意志」では、引き続きやはり権力の問題を扱いながら、今度は刑罰制度ではなく、セクシュアリティをテーマとして設定して「規律権力」に関する探求がさらに深められていきます。
その一方で同書においてフーコーは西洋において「規律権力」にやや遅れて成立したとされるもう一つの権力形態を描き出していきます。そして彼はそれら二つの形態をその両極とするものとしての包括的な権力を標定し、それは人間の「生」に積極的に介入しようとするものとして特徴づけようとします。
 
同書によれば、かつての「君主権的権力」は人々の「生」に対して消極的なやり方でしか働きかけていなかったといいます。君主は臣民の生に関して自らが保持する権利を、命を奪ったり奪わなかったりすることによってのみ行使していました。つまり「生」に権力が介入するのは、その「生」に終止符を打つ時に限られていたわけです。
 
けれども時代が進むにつれ、人間における様々な力を増大させためにその「生」に対して積極的に介入しようとする新たな権力が登場することになります。人々の「生」を然るべきやり方で管理、運営しようと企てるその権力をフーコーは「生権力」といいます。彼によれば「生権力」は17世紀以来、何をその標的として定めるかに従って二つの主要な形態において発展してきたといいます。
 
その一方に見出されるのが「身体」を標的とした「規律権力」です。監視や調教によって身体を従順かつ有用なものに作り替えたり、その力を強奪して効果的な管理システムに組み込もうとする「規律権力」のメカニズムが、ここでは人々の「生」に介入する一つの手段として捉え直されることになります。
 
そして他方に見出されるのが「人口」を標的とした「生政治」です。ここでいう「人口(Population)」とは通常、一定の地域に住む人々の総体や特定のカテゴリーに属する人々の総体、さらには統計学的調査の対象になるような生物学的個体群を指しています。そうした語義を踏まえてフーコーは「人口」という語を生物学的法則によって支配されているものとしての人間集団という意味で使用しています。
 
こうした意味での「人口」に介入して管理しようとする権力が、個々の身体に働きかけてそれを作り替えようとする権力の傍らに新たに標定されることになります。こうして「身体」をめぐる「規律権力」と「人口」をめぐる「生政治」を両極として、人々の「生」を全面的に囲い込もうとする権力が組織化されることになります。
 

* 権力は下からくるということ

 
通常「権力」というと「支配する者」と「支配される者」という二項対立を前提として、前者による後者への「上から下へ」という外在的な支配を想定します。ところがフーコーが明らかにしたのは、近代から現代に至るまで権力とは「上から下へ」という外在的な支配ではなく、むしろ「下から上へ」という内在的な欲望として作動しているということです。すなわち「支配される側」である多くの人々は実はただ単に支配されることを消極的に受忍するのではなく、むしろ、支配されることを積極的に欲望してしまうような構造があるということです。
 
権力は下からくるということ。すなわち、権力の関係の原理には、一般的な母型として、支配する者と支配される者という二項的かつ相対的な対立はない。その二項対立が上から下へ、ますます極限された集団へと及んで、ついに社会の深部にまで至るといった運動もないのである。むしろ次のように想定すべきなのだ。すなわち生産の機関、家族、極限された集団、諸制度の中で形成され作動する多様な力関係は、社会体の総体を貫く断層の広大な効果に対して支えとなっているのだと。
 
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ』より)
 
いわばここでフーコーは「支配する者」と「支配される者」という二項対立を脱構築して、権力を無数の力の関係からなるネットワークのように捉え直しています。そして、こうしたフーコーの権力分析は、現代の日本社会において声高に叫ばれる「コンプライアンス」とか「多様性」とか「安心・安全」などといった様々な「正しさ」をより高い解像度で捉え直すための視点を提示しているのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【感想】すずめの戸締まり

* 村上春樹から考える

 
現代を代表する作家である村上春樹氏はかつて1995年前後に「デタッチメントからコミットメントへ」という文学的転回を果たしていることで知られています。
 
村上氏のデビュー作「風の歌を聴け(1979)」から始まるいわゆる「鼠三部作」と呼ばれる初期作品において鮮明に打ち出されたのが、例の「やれやれ」という台詞に象徴される「デタッチメント」と呼ばれる倫理です。すなわち、ここでは近代文学を規定してきたいわゆる「政治と文学」の問いから「政治(正義と悪の記述法)」を一旦切り離し「文学(自己の記述法)」へ特化するという選択が取られています。 そしてこの「デタッチメント」の倫理は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1985)」においていよいよ完成を見ることになり、1000万部のベストセラー「ノルウェイの森(1987)」ではさらなる深化を遂げました。
 
ところが1995年前後において氏はそれまでの倫理的作用点を大きく転回して、かつて切り離した「政治と文学」の再統合を志向するようになります。こうした文学的転回の下で世に問われた長編小説が「ねじまき鳥クロニクル(1994〜1995)」です。これまでの村上作品は喪失したものを静かに受け入れていく「諦観の物語」という側面が強かったように思えます。けれども、この「ねじまき鳥クロニクル」という作品は全く違います。いわば本作は、喪失したものを何が何でも奪い返そうとする明確な「コミットメント」の意志に満ちた「奪還の物語」といえます。
 
そして、この1995年は阪神大震災地下鉄サリン事件に象徴される年としても記憶されています。この二つの出来事は因果的には何の関連性もないはずですが、もしもこれを共時的に見るとすれば、そこには日本社会において長年のあいだ厳重に「戸締まり」されてきたはずの「何か」が一気に噴出してきたかの如き観を呈しているようにも思えてなりません。
 

* かえるくん、東京を救う

 
こうした意味で村上氏の短編集「神の子どもたちはみな踊る(2000)」で描き出されたものたちは、いわば「1995年的なもの」としての「何か」に他なりません。そして同書を構成する6つの短編のうちの一つに「かえるくん、東京を救う」という作品があります。
そのあらすじはこうです。東京で銀行員として働く冴えない中年男性である片桐はある日アパートに帰るとそこには人間大の巨大なカエルが待ち構えており、彼は自分がここにきたのは東京を壊滅から救うためだといいます。「かえるくん」と自称する彼によれば片桐の勤める信用金庫の地下には「みみずくん」と呼ばれる大地震を起こす巨大ミミズが棲息しており「みみずくん」との闘いには片桐の持つ「勇気と正義」が必要なのだと力説します。この点、東京に壊滅的な災厄をもたらす存在である「みみずくん」について「かえるくん」が語る次の一節は、1995年の日本社会で噴出した「何か」の本質を極めて明晰に言語化しているといえるでしょう。
 
誤解されると困るのですが、ぼくはみみずくんに対して個人的な反感や敵対心を持っているわけではありません。また彼のことを悪の権化だとみなしているわけでもありません。友だちになろうとか、そういうことまでは思いませんが、みみずくんのような存在も、ある意味では、世界にとってあってかまわないのだろうと考えています。世界とは大きな外套のようなものであり、そこには様々なかたちのポケットが必要とされているからです。しかし今の彼は、このまま放置できなくらい危険な存在になっています。みみずくんの心と身体は、長いあいだに吸引蓄積された様々な憎しみで、これまでにないほど大きく膨れ上がっています。おまけに彼は先月の神戸の地震によって、心地の良い深い眠りを唐突に破られたのです。そのことで彼は深い怒りに示唆されたひとつの啓示を得ました。そして、よし、それなら自分もこの東京の街で大きな地震を引き起こしてやろうと決心したのです。
 
(「かえるくん、東京を救う」より)

 

そして、この一節は、今年公開された新海誠氏の最新作である「すずめの戸締まり」という映画を読み解く上で極めて重要な示唆を含んでいるように思えます。
 

* 新海映画におけるデタッチメントとコミットメント

 
おそらくは村上氏の作風変遷と同様に、これまでの新海映画における作風変遷も、端的に言えばやはりまた「デタッチメントからコミットメントへ」として名指すことができるでしょう。
 
この点、ゼロ年代における「ほしのこえ(2002)」「雲のむこう、約束の場所(2004)」「秒速5センチメートル(2007)」といった作品では、当時しばし「セカイ系」と名指されたように、喪失したものを浄化的反省によって受け入れていくという「デタッチメント」が描き出されました。
 
ところが2010年代前半における「星を追う子ども(2011)」「言の葉の庭(2013)」といった作品では喪失したものを強い意志をもって奪還しようとする「コミットメント」が打ち出されました。さらに2010年代後半における「君の名は。(2016)」「天気の子(2019)」といった作品では、その「コミットメント」の対象は「災害」や「天気」といった公共的なものへ向けられていくことになります。
 
そして、この新海映画における転換期にあたる2011年は東日本大震災福島第一原発事故に象徴される年として記憶されています。
 
この点「神の子どもたちはみな踊る」という短編集は「1995年的なもの」に対する村上氏からのひとまずの回答でした。こうした意味で本作「すずめの戸締まり」は新海映画における「コミットメント」の現時点での到達点であり、かつ「2011年的なもの」に対する新海氏からのひとまずの回答であったともいえるのではないでしょうか。
 
(以下の記述では本作についてのネタバレが含まれています)
 
 
 

* 災厄を鎮める「戸締まり」の旅

 
本作のあらすじは次のようなものです。九州は宮崎の静かな町で叔母と暮らす17歳の少女、岩戸鈴芽(すずめ)は登校中に長髪の青年とすれ違います。その青年は「このあたりに廃墟はありませんか?」とすずめに尋ねます。彼の後を追ってすずめが迷い込んだ山中の廃墟には、ぽつんとたたずむひとつの古ぼけた扉がありました。
 
この「後ろ戸」と呼ばれる扉は「現世(現実世界)」と「常世(全ての時間が混ざり合う幻想空間)」をつなぐ扉であり、この扉が開くと、そこから巨大なミミズ(一般人には不可視の存在)が出現して地震を起こすのでした。
 
そして青年、宗像草太は「後ろ戸」に鍵をかける「閉じ師」として各地を旅していました。そして二人の前に突如現れた謎の喋る猫のダイジンは「すずめすき」「おまえはじゃま」といい、果たして草太は小さな椅子に姿を変えられてしまいます。
 
逃げるダイジンを追って草太とすずめはフェリーに乗り込み宮崎を離れ愛媛に向かいます。こうして不思議な扉と小さな猫に導かれ、日本各地の厄災を鎮めていくすずめの「戸締まり」の旅が始まりました。そして最後に辿りついた場所ですずめを待っていたのは、長らく忘却していたある真実でした。
 

* 本作は何にコミットメントしたのか

 
本作において地震をもたらす巨大ミミズは村上氏の「かえるくん、東京を救う」に登場した「みみずくん」を容易に想起させる存在です。この点「みみずくん」は、1995年1月17日に起きた阪神大震災を契機として深い眠りから目覚めた存在として設定されていました。
 
翻って本作の根底には2011年3月11日に起きた東日本大震災の記憶があります。主人公のすずめ自身も幼少期に震災で親を亡くしており、そのため彼女は長年にわたり自分の命などいつどうなってもいいというある種のサバイバーズ・ギルトに囚われていました。
 
そして何より「後ろ戸」が出現する廃墟という場所は風化した記憶が滞留する場所であり、そこで「後ろ戸」を「戸締まり」するには、その場所にかつていた人々の声を傾聴し、その生の記憶を弔う必要があります。
 
こうしたことから、本作からは「あの3.11にいかに向き合うのか」といった問いが強く鳴り響いてきます。「君の名は。」や「天気の子」でも常に伏在していたこの問いを、ついに本作では真正面に押し出してきたといえます。
 
けれども、その一方で本作は東日本大震災という「出来事それ自体」のみならず、あの震災を契機に噴出した日本社会における「2011年的なもの」へのコミットメントを志向した作品であります。そしてここに村上氏と新海氏の作風変遷を重ね合わせるのであれば、この「2011年的なもの」の本質を捉えるためには、やはりあの「1995年的なもの」の本質に再び立ちかえる必要があるでしょう。
 

* 1995年におきた社会像の変化

 
国内批評において1995年とは日本社会においてポストモダン状況がより加速した年として位置付けられています。ここでいうポストモダンとは社会全体を規定する「大きな物語」が失墜して、社会全体が共有する規範や価値を見出せなくなった時代をいいます。ではこうしたポストモダン状況が加速した社会においては何が起きるのでしょうか。
 
この点、哲学者/批評家の東浩紀氏は「動物化するポストモダン(2001)」において1995年における変化を「ツリーからデータベースへ」という転回から捉えます。東氏は近年におけるオタクの消費行動傾向が「物語消費」から「データベース消費」へ移行していることを指摘した上で、オタク系文化における「シュミラークル」と「データベース」の二層構造は、そのままポストモダンにおける世界構造と対応しているといいます。すなわち、近代とは「小さな物語」の後景には「大きな物語」があり、人々は「小さな物語」を通じて「大きな物語」にアクセスする「ツリー型世界」であったのに対して、ポストモダンとはもはや「大きな物語」が機能しておらず、その代わりに無数の「小さな物語=シュミラークル」が「データベース」から読み込まれる「データベース型世界」となっているということです。
また、社会学者の大澤真幸氏は「不可能性の時代(2008)」において1995年における変化を「第三者の審級の撤退から回帰へ」という観点から捉えます。ここでいう「第三者の審級」とは特定の共同体を意味づけ正当性を付与する超越的他者を指します。そしてこのような意味での「第三者の審級」が、社会における「規範の制定者」の位置から撤退した時、我々の社会は「リスク社会」となります。リスク社会とは人が「真の意味で」自己選択と自己責任を強制される社会です。「真の意味で」というのはその選択の責任を「神の名」や「父の名」といった「第三者の審級」に帰することができないという意味です。こうして規範なき「リスク社会」における自己選択と自己責任の帰結として、必然的に個人の行為は己の享楽の最大化へ向かうことになります。そして、ここでは「規範の制定者」から撤退したはずの「第三者の審級」が今度は「享楽の強制者」としていわば裏口から回帰することになります。
そして、批評家の宇野常寛氏は「リトル・ピープルの時代(2011)」において1995年における変化を「ビック・ブラザーからリトル・ピープルへ」という変化から捉えます。氏は村上氏が2009年にエルサレム賞受賞式において行った「壁と卵」という名で知られる有名なスピーチを引きつつ、かつて近代における「壁」とは、単一のイデオロギー大きな物語)の語り手としての「ビッグ・ブラザー(疑似人格体)」であったが、ポストモダン状況の加速する現代においては、かつての「壁」である「ビッグ・ブラザー」が解体されていく一方で、新たな「壁」として無数の「卵」たちの無限連鎖によって形成される不可視の環境である「リトル・ピープル(非人格的システム)」が浮上するとして、このような「リトル・ピープル」から解き放たれた不可視の力こそが、現代においては時に「悪」として作用するといいます。
なお、ここで宇野氏のいう「リトル・ピープル」とは村上氏の長編小説「1Q84(2009〜2010)」に登場する超自然的な幽体に由来する概念であり、その意味で「かえるくん、東京を救う」に登場する「みみずくん」とはまさに後の「リトル・ピープル」の前駆的存在であったといえるでしょう。
 

*「正しさ」と「正しくなさ」の脱構築

 
以上の三者の議論はそれぞれが対立する箇所も少なくない一方で、その議論の中にはある種の連続性を見出す事もできます。
 
すなわち、東氏が「大きな物語」なきポストモダンにおいて個人がその生を基礎付ける「小さな物語」を生成するシステムとして「データベース」を想定したのであれば、大澤氏はこうした物語を生成するシステムの作動原理として「(享楽の強制者としての)第三者の審級」を想定し、宇野氏は物語とシステムの共犯関係が生み出す病理現象を「リトル・ピープル」と名指したことになります。
 
そして、無数の「卵」の無限連鎖からなる「リトル・ピープル」は表面的には「壁」に対峙する「卵」が掲げる「正しさ」を伴うものとして出現します。こうした「正しさ」という名の「リトル・ピープル」は2011年の震災以降、ソーシャルメディアの普及により日本社会において一層加速していき、果たして2010年代は無数の「正しさ」がこの世界を友敵に切り分けていく「動員と分断の時代」であったといえるでしょう。
 
こうしたことから本作が真に「戸締まり=コミットメント」しようとしたものとは、ある面ではこの「2011年的なもの」として噴出した「正しさ」だったのではないかと思えてなりません。
 
この点、特筆すべきは本作では2022年現在における一般的な「正しさ」からすると、おおむね不適切だったり不道徳であると見做されそうな数々の行動や風景が肯定的に、あるいは誇張的に描き出されている点です。
 
ここにはひとつの「正しさ」ですべてを統べようとするのではなく、むしろ無数の「正しくなさ」がゆるやかに共存していくための一つの倫理が提示されているようにも思えます。こうした意味で、いわば本作は「正しさ」と「正しくなさ」という二項対立的価値観にある種の脱構築を志向する物語であったといえるのではないでしょうか。