かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

めぐりあわせの環の中で--映画『窓ぎわのトットちゃん』

 

* 伝説の世界的ベストセラー初の映画化

 
黒柳徹子氏がその少女時代を綴った自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』は1981年に講談社から公刊されると同時に大きな反響を呼びました。同書は発売後の1年間で発行部数150万部を超え、現在では累計発行部数800万部を超える戦後最大のベストセラーのひとつに数えられています。さらに同書は世界35ヵ国以上で翻訳出版されており、全世界累計発行部数は2500万部を突破しています。
著名人の自伝というよりも児童文学に近い趣きを持つ同書はいわさきちひろ氏のイラストとの相乗効果もあり、黒柳氏の予想を遥かに超えた幅広い層に読まれることになりました。とりわけ教育分野での反響が大きく同書は授業教材、教科書、入試問題といった様々な形で取り上げられています。その一方で出版当時、マスメディアではこの社会現象を「トットちゃん症候群」と名付けてその影響を論じたり、なぜここまで売れたのかをあらゆる角度から分析した『トットちゃんベストセラー物語』という書籍が出版されたりもしています。
 
当然のことながら同書には映画化、テレビドラマ化、アニメ化、舞台化、ミュージカル化といった数多くの申込みが殺到することになりましたが、黒柳氏は「いわさきちひろさんの絵のおかげ、ということと、読んでくださった皆さんが、すでに、御自分のイメージで、御自分の絵を作っていらっしゃるので、それをうわまわる映像は難しい、と考え、すべて、おことわりしました」と同書の3年後に公刊された文庫版のあとがきで述べています。
 
その後も長らく同書は映像化されることはありませんでしたが、2017年にテレビドラマ「トットちゃん!」において抜粋の形ながら初の映像化を果たすことになりました。そして2023年、この冬に「トットちゃん」は初のアニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』として帰ってきました。
 

* 君は、ほんとうは、いい子なんだよ。

 
本作の序盤のあらすじは次のようなものです。舞台は戦時中の東京。高名なバイオリン奏者の長女として裕福で文化的な家庭に生まれたトットちゃんは入学した尋常小学校で問題児童として扱われていました。
 
教室の机の天板が蓋になっているつくりに感動して授業中に何度も何度も開け閉めしたり、授業中に学校のそばを通りかかったチンドン屋を窓から身を乗り出して呼び込んだり、図画の授業では画用紙からはみ出す部分を机の天板に直接クレヨンで書き殴ったりと・・・こうした数々の奇行を繰り返すトットちゃんは尋常小学校を退学になってしまいます。
 
もっとも当時のトットちゃんはその状況を理解できておらず、ただ母親から新しい学校に移るのだと言われて連れていかれた先がこの物語の舞台となる「トモエ学園」です。
 
トモエ学園の門をくぐったトットちゃんがまず目の当たりにしたのが本物の電車を活用した教室でした。この「電車の教室」を見た瞬間にトットちゃんをこの学校を気に入ります。そして「どうしてみんな、わたしのことを困った子っていうの?」と問いかけるトットちゃんに、トモエ学園の校長である小林先生は「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と語りかけます。
 
黒柳氏は2006年に公刊された同書新装版のあとがきで、当時のトットちゃんの言動はLD(学習障害)の一種ではないかという指摘がこの頃多くなされている旨を述べています。今でこそ、この種の言動を児童の個性の一つとして捉え、その個性に見合った指導方法を実践している学校も少なくないはずですが、当時はLDという概念すらありませんでした。トットちゃんにとってトモエ学園との出会いは、まさに奇跡のようなめぐりあわせであったといえるでしょう。
 

* 小林宗作とトモエ学園

 
こうしてトットちゃんが通うことになったトモエ学園とは同校校長である小林宗作氏が自由が丘学園の附属幼稚園と初等部を引き継ぐ形で創設した私立学校です。同校は小林氏がヨーロッパで学んだ「リトミック(ダルクローズ音楽教育法)」を基礎とする教育実践をコンセプトとして掲げており、子どもの自由な関心や感動を起点とした教育体験の創造を目指した大正自由教育の潮流を引き継ぐその教育理念は現代の視点から見ても極めて先進的かつユニークです。
 
先述のようにトモエ学園の教室は払い下げられた電車を使用しており、各車両は教室や図書室とそれぞれ用途が決まっていて、児童はそこで授業を受けることになります。担任教師は朝に児童が教室に集まると、その日一日にやることを黒板に書き出します。そして児童たちはそのうちの好きなものから勝手に手をつけて良いと言われます。その結果、ある児童はピアノを弾き、ある児童は本を読み、ある児童は絵を描き、ある児童は外を走り始めることになります。授業は基本的に自習が中心で教師は子どもたちの自習に手を貸していくという形式が取られています。
 
また児童が持参するお弁当について小林校長はあらかじめ各家庭に対して「海のもの」と「山のもの」を(無理のない範囲で)持たせてくださいと伝え、昼食時には講堂に全校の児童を集め小林校長とその夫人がそれぞれの弁当を覗き込んでまわり「海のもの」と「山のもの」のどちらかが欠けていれば、その場で小林夫人が作ったおかずを追加していきます(原作でトットちゃんのお母さんは「こんなに簡単に、必要なことを表現できる大人は、校長先生の他には、そういない」と感心しています)。
 

* 原作の核心部を映像で物語る映画

 
さらにトモエ学園では様々な身体的なハンディキャップを背負った児童を受け入れています。その根底には「どんな体も美しいのだ」と考える小林氏の信念があります。この点、黒柳氏はトモエ学園においてはその身体の条件が徹底して個性のひとつとして扱われていたことを強調しています。
 
トットちゃんの同級生で小児麻痺を患う山本泰明ちゃんもそんな一人でした。トットちゃんは泰明ちゃんとの交流を通じて当時最先端のテクノロジーであった「テレビジョン」をはじめて知ることになり、これが後に到来するテレビ時代の申し子黒柳徹子の原風景となります。そして映画ではこのようなトットちゃんと泰明ちゃんの交流をひとつの軸として原作のエピソードを鮮やかな手際で再配置していきます。
 
『窓ぎわのトットちゃん』とはその自由奔放さ(世間はしばしそれを「障害」と呼んで切り捨てます)ゆえに「窓ぎわ」に追いやられたトットちゃんがトモエ学園に初めて家庭以外の「居場所」を見つけていく物語です。そんなトットちゃんにとってかけがえのない「居場所」であったトモエ学園のイメージを映画『窓ぎわのトットちゃん』は小林先生と泰明ちゃんという2人のキャラクターに託すことで原作が持つ核心的なテーマを「言葉」によって「説明する」のではなく「映像」によって「物語る」ことに見事に成功しています。こうした意味で本作は日本アニメーション史上におけるひとつの恐るべき達成を成し遂げた稀有な作品であると言ってしまっても決して大袈裟ではないように思います。
 

* どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている

 
それにしても、このような学校が太平洋戦争下の日本に存在していたという事実には改めて驚かされるものがあります。それは黒柳氏自身も後に強く感じたようで『窓ぎわのトットちゃん』のあとがきから察するに、小林氏は自分の教育方針と時局との相性の悪さに十二分に自覚的であり、そのため極力新聞や雑誌などの取材を拒否していたようです。まさにトモエ学園は戦時下の日本の中にほとんど奇跡的に成立していたユートピアであったといえるでしょう。
 
しかし、そんなトモエ学園の上にもやがて戦火は容赦なく降り注ぐことになります。この物語の結末はトモエ学園の焼失です。1945年春の東京大空襲でトモエ学園は焼失します。燃え上がるトモエ学園の校舎を前に小林氏は「おい、今度は、どんな学校、作ろうか?」と再起を誓い、黒柳氏は「小林先生の子どもに対する愛情、教育に対する情念は、学校を、いま包んでいる炎より、ずーっと大きかった」と語ります。この名シーンが映画では本当に素晴らしい演出で描かれています。
 
そして戦後、小林氏は焼跡にまず幼稚園を再建し、同時に国立音楽大学保育科の設立に尽力し、同学でリトミック教育を教え、附属小学校の創立にも携わったそうですが、念願であった自身の小学校を再建するという夢はついに叶わず、昭和38年に69歳で没したと、あとがきでは語られています。
 
小林氏の教育理念は「どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、まわりの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というものであったと黒柳氏は書いています。「トットちゃんの一生を決定したのかも知れない」という「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」というシンプルで力強い言葉の奥には、こうした小林氏の教育者としての揺るぎない信念があったのでしょう。
 

* めぐりあわせの環の中で

 
果たしてトットちゃんはその後どうやって「あの黒柳徹子」になったのでしょうか。実は今年『窓ぎわのトットちゃん』の「それから」を描いた42年越しとなる正統な続編が公刊されました。その名も『続 窓ぎわのトットちゃん』です。
同書は『窓ぎわのトットちゃん』を補完するトットちゃんと家族の思い出から始まり、東京大空襲後の青森での疎開生活が描かれた後、帰京したトットちゃんが香蘭女学校、東洋音楽学校を経て、偶然の契機からNHK専属俳優となり、テレビを舞台に活躍する過程が描かれています。こうしたトットちゃん=黒柳さんの歩みは、誰もが持つその人だけの「特異性」としての「いい性質」を社会や時代とのめぐりあわせの環の中で「個性」として開花させていく過程であったともいえるでしょう。
 
映画の終盤でトットちゃんは小林先生に「わたし、おおきくなったらこの学校の先生になってあげる」と告げ、小林先生は「君は、ほんとうに、いい子だな」とトットちゃんを抱きしめます。しかしその後、トモエ学園は戦火の中に焼失し、その約束は果たされることはありませんでした。
 
けれどもその後、トットちゃん=黒柳さんは『窓ぎわのトットちゃん』の公刊を始め、ユニセフ親善大使としての活動や、放送回数12000回を超えるギネス番組「徹子の部屋」を通じて、かつて小林氏が掲げたトモエ学園の教育理念を実践する道を歩んでいきます。こうした意味でトットちゃん=黒柳さんは確かに「トモエの先生」になったといえるのではないでしょうか。
 
そしてこの度、日本アニメーション史上稀にみる傑作として令和の世に産み出された映画『窓ぎわのトットちゃん』はかつて小林先生がトットちゃんに贈った「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」というメッセージをみずみずしいかたちで現代に蘇らせ、幅広い層へ送り届けていくような映画に、きっとこれから育っていくのではないかと思います。