かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「速さ」と「遅さ」のあいだで思考するということ--宇野常寛『砂漠と異人たち』

*「走る」ことと「書く」こと

 
今年6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』を上梓した村上春樹氏は熱心な市民ランナーとしても知られています。時に1980年代初頭、当時30代前半だった村上氏はそれまで経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を他人に譲り渡して専業作家となり、初の長編小説となる『羊をめぐる冒険』を書き上げた後に体調管理と禁煙を兼ねて「走る」ことを始め、以来、今日に至るまで世界各地で行われるフルマラソントライアスロンの大会に出場し続けています。氏はかつて『走ることについて語る時に僕の語ること』(2007)というエッセイ(氏によればメモワール)で「走る」ことに対して、おおよそ次のような所感を述べています。
村上氏は自分は良くも悪くも生まれつきチーム競技に向いた人間ではないとして、そもそも他人を相手に勝ったり負けたりすることにはあまり興味がなく、それよりも自分自身が設定した基準をクリアできるかできないかの方に関心が向くため、そういう意味で長距離走は自分のメンタリティにぴたりとはまるスポーツであったといいます。
 
この点、優勝を目指すようなトップランナーは別として、一般的な長距離走ランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑み、そのタイム内で走ることができれば彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、もしできなければ「何かが達成できなかった」ことになるけれど、仮にタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり次につながっていくポジティヴな手応えがあれば、あるいは何かしらの大きな発見があれば、多分それは一つの達成になるだろうといいます。換言すれば走り終えて自分に誇り(あるいはそれに類似するもの)が持てるかどうかが、それが長距離走ランナーにとって大事な基準となるということです。
 
同じことは小説の仕事についてもいえると村上氏はいいます。小説家という職業に勝ち負けはなく、発売部数や文学賞や批評の良し悪しは達成の一つの目安かもしれないがそれは本質的な問題ではなく、あくまで書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事なのであると述べます。こうした意味で氏においてフルマラソンを「走る」ことは小説を「書く」ことと極めて近い境域にあるといえそうです。

 

こうしたことから村上氏は「走る」ことの達成基準を少しづつ高く上げていき、それをクリアすることによって自分を高めていきましたが、40代半ばを迎えたあたりからそういう自己査定システムの雲行きが少しづつ怪しくなり始めます。それまで氏はフルマラソンをだいたい3時間半の目安で走れており、体調が多少悪くてもタイムが4時間を超えることはまず考えられなかったけれども、40代後半からは3時間40分台で走ることがだんだん辛くなり、ついには4時間すれすれの線に近づいてきたそうです。こうしたことから「走る」ことが以前のように手放しで楽しいと思えなくなった村上氏は「走る」こととの間に緩やかな倦怠期が訪れていたといいます。そこには払っただけの努力が報われない失望感と、開いているべきドアがいつの間にか閉ざされてしまったような閉塞感があり、このような状態を氏は「ランナーズ・ブルー」と名付けています。
 
けれども、この文章が記された2005年の5月末から10年ぶりにマサチューセッツ州ケンブリッジで暮らすようになった村上氏は再び「走りたい」という気持ちがどこからともなく湧き上がり「走る」ことが再び日々の生活の一つの柱となったそうです。この点、氏にとって「まじめに走る」というのは具体的には週60km走ることを意味しています。つまり週に6日、一日に平均10km走るということです。6月はその計算通りちょうど260km走り、7月はさらに距離を伸ばし310km走り、8月は350kmを走ったといいます。そして、この時点での氏の目標は11月6日に開催されるニューヨーク・シティー・マラソンでした。前回参加した千葉県某所で行われたフルマラソンの結果が散々で、氏によれば「こんな惨めなレースは初めてだった」こともあり、2ヶ月後のニューヨーク・シティー・マラソンに賭ける意気込みが文章の端々から伝わってきます。
 
しかしその結果は氏によればあまり好ましいものではなかったらしく、曲がりなりにも完走はしたけれど、やはり今回もあと少しで4時間を切れなかったことに納得がいかず、そのリベンジも兼ねて約半年後の2006年4月に出場したボストン・マラソンでも完走はできたもののやはり満足のいくタイムではなかったそうです。けれども氏は同書において、これからタイムがもっと落ちようとも、とにかくフルマラソンを完走するという目標に向かってこれまでと同じように、時にはそれ以上の努力を続けていくと記しています。
 
このように氏が記してから約15年の月日が流れた2020年、70代を迎えた村上氏は同年2月に出場した京都マラソンでついに生まれて初めてフルマラソンの完走に失敗したそうです。そもそも70歳を過ぎてフルマラソンの大会にエントリーしていることそれ自体がもう並大抵のことではないはずなんですが、氏にとってこの出来事はかなり衝撃的だったらしく、ラジオやインタビューなどあちらこちらでこの話題に繰り返し触れています。
 
これに対して自身も市民ランナーである批評家の宇野常寛氏は先輩ランナーとしての村上氏の高い走力にリスペクトを示しつつも、70歳を過ぎたランナーがフルマラソンの完走失敗を悔やむ姿に疑問を持ち、村上氏の「走る」ことに対する考え方に僅かだが決定的な違和感を持ったといい、その違和感は村上氏の近年の小説に感じる違和感につながっていると述べています。こうした意味で小説家村上春樹に対する批評でもあると同時にかつランナー村上春樹に対する批評としても読めるのが昨年上梓された本書『砂漠と異人たち』です。
 

* 動員の革命の希望と失望

本書は全体としては2020年代における情報社会論がその主題となっています。その「第一部 パンデミックからインフォデミックへ」ではまず本書全体を貫く問題設定が明らかにされます。その要旨は次のようなものです。
 
本書の原稿が執筆された時期(2020年〜2022年秋)は言うまでもなく新型コロナ・ウィルス(COVID-19)が全世界を席巻していた時期にあたります。このコロナ・パンデミックは世界的な危機とは危機そのもの(COVID-19による生命と健康への危機)よりも、その危機についてのコミュニケーション(COVID-19をめぐる情報がもたらす社会的な混乱)として出現するということ明らかにしました。こうした状況をWHO(世界保健機関)は「Information(情報)」と「Epidemic(疫病の流行)」とを合わせて「Infodemic(インフォデミック)」と名付けて各国に警戒を促しました。こうしたコロナ・パンデミックを加速させるインフォデミックの下で未知のウィルスへの不安に駆られる人々は考えるためではなく、むしろ考えないためにインターネットで情報を検索しては発信してSNSが作り出す宇野氏のいうところの「相互評価のゲーム」に閉じこもるようになりました。
 
もっともより正確には今日においてインフォデミックと呼ばれるこのような傾向は世界中がコロナ・パンデミックに踊らされる遥か以前から、すなわちSNSが普及し始めた2010年台初頭から始まっていました。当時、一世を風靡した「動員の革命」という言葉には新聞やテレビといったマスメディアを介したトップダウン的動員ではなく、市民一人ひとりが自発的に発信するソーシャルメディアを介したボトムアップ的動員から生まれる新しい民主主義への希望が込められていました。果たして「アラブの春」から東日本大震災の反原発デモまで世界を席巻した「動員の革命」の手法はやがて市民運動だけにとどまらず、政治、経済、文化全般へと波及していきました。
 
しかしながら今日において、かつての希望は失望と化し「動員の革命」を可能としたSNSのプラットフォームは新しい民主主義どころか、むしろ民主主義の行き詰まりに加担しているとさえいえます。いまやSNSは一方ではフィルターバブルによって自分たちが見たいものだけを目に入れて聞きたいものだけを耳に入れることで精神を安定させたい人々にフェイクニュース陰謀論という名の麻薬を与える装置となり、もう一方では正義の名のもとに他の誰かに石を投げる私刑の快楽を手放せなくなった人々に安価で高性能な投石機を与えていると本書は述べます。
 

* 民主主義の機能不全と「遅い」インターネット

 
こうしてSNSの普及により「他人の物語」に感情移入することよりも「自分の物語」を発信して他者に承認されることに快楽を見出した人々は閉じたネットワークの中での相互評価のゲームに夢中になり、一人でも多くの他のプレイヤーの共感を獲得して自分の影響力を最大化しようとします。そこでは、ある人は経済的な集客のために、ある人は政治的な動員のために、ある人は何者でもない自分が世界に一石を投じるために--あるいは誰かに自分の価値をほんの少しだけでも認めて貰いたいために--このゲームに参加しています。
 
そして、このような情報環境においては常に「問題そのもの」ではなく「問題についてのコミュニケーション」の方がクローズアップされて世論を形成することになります。なぜならば「問題そのもの」の解決や再設定を試みることよりも「問題についてのコミュニケーション」に対する賛否を表明した方が遥かに容易く多くの他者の共感=承認を集めやすいからです。こうして今日の民主主義においては「問題についてのコミュニケーション」ばかりが重視され「問題そのもの」を議論することが難しくなっています。
 
そして本書はこの閉じたネットワークにおける相互評価のゲームの外側に脱出するには、その「時間的な外部」に立ち、情報に対する「速度」の決定権を取り戻す必要があるといいます。氏が以前から推進している「遅い」インターネットという草の根的な運動はこうした問題意識に根ざしています。
 
けれども氏がその「遅い」インターネットという運動を本格的に実行し始めたまさにその時に世界はこのコロナ・パンデミックにより、さらに「速い」インターネットに呑み込まれていくことになります。こうした状況において「遅い」インターネットを実現するための前提として、氏はもっと根源的な人間の在り方、世界の見方のようなものを提示することが必要なのではないかと考えるようになったといいます。これが本書の根底をなす問題意識となります。
 

* アラビアのロレンス問題

 
そこで本書は閉じたネットワークにおける相互評価のゲームの「時間的な外部」に立つための知恵をまずは二人の先人の「失敗」の歴史から学んでいきます。その二人の先人の一人目が今日において「アラビアのロレンス」の名で知られる第一次世界大戦時に活躍したイギリスの陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスであり、二人目が現代日本を代表する不世出の作家村上春樹です。
 
こうして「第二部 アラビアのロレンス問題」では数奇で毀誉褒貶に満ちたロレンスという人物の生涯を辿り、その後世における評価の検証を経た上で、今日の情報社会において閉じたネットワークにおける相互評価のゲームに没入する現代人は皆ロレンスと同じ罠に陥っているとして、同書はロレンスの辿った軌跡から抽出した「ここではない、どこか(外部)」ではなく「ここ(内部)」でいかにして〈砂漠〉を発見できるかという問いを「アラビアのロレンス問題」と名付け、続く「第三部 村上春樹と「壁抜け」のこと」ではこの「アラビアのロレンス問題」を解くための手がかりを「デタッチメントからコミットメントへ」と形容される村上氏の作家人生の中から見出していきます。
 
よく知られるように1995年前後に村上氏は「デタッチメント」から「コミットメント」へとその倫理的作用点を転換させています。この阪神淡路大震災地下鉄サリン事件に象徴される1995年とは戦後日本社会が大きな転換を迎えた年であると見做されています。
 
この点、宇野氏は『リトル・ピープルの時代』(2011)において「ビッグ・ブラザー(国民国家)」と「リトル・ピープル(グローバル資本主義)」という概念から戦後日本社会を「ビッグ・ブラザーの時代(1968年以前)」「ビッグ・ブラザーの解体期(1968年〜1995年)」「リトル・ピープルの時代(1995年以降)」に区分した上で、村上氏のいう「デタッチメント」から「コミットメント」への転換を「ビッグ・ブラザーからのデタッチメント」から「リトル・ピープルへのコミットメント」への転換として位置付けています。このような村上春樹論の事実上のアップデート版が本書で展開される議論です。その概要は次のようなものです。
 

* デタッチメントからコミットメントへ

 
「政治の季節」が終焉した「60年代末の記憶」から出発した作家である村上氏がまず打ち出したのが「デタッチメント」という態度です。それは端的にいうと例えば「マルクス主義」のような20世紀を席巻したイデオロギーによって人々を動員するビッグ・ブラザー的な「悪」からの「デタッチメント」です。このような「デタッチメント」を一つの倫理として提示した作品が村上氏の代名詞ともいえる『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)であり、ここから逆算して「60年代末の記憶」を精算した作品が村上春樹を国民的作家に押し上げたベストセラー『ノルウェイの森』(1987)ということになります。
 
そしてあの1995年に完結した『ねじまき鳥クロニクル』(1994〜1995)において村上氏はマルクス主義に代表されるビッグ・ブラザー的な「悪」に対する「デタッチメント」からオウム真理教が象徴するリトル・ピープル的な「悪」に対する「コミットメント」へと転回します。
 
同作で提示されたコミットメントのモデルは歴史を物語(=他人の物語)ではなくデータベースとして捉え直すことで普遍的な「悪」に対峙する「個」の物語(=自分の物語)を読み出していくという意味で今日のインターネット的な世界観を先取りするものでした。けれどもそれは同時に陰謀論歴史修正主義といった今日のインターネットが抱える問題を先取りするものでもありました。さらに氏がここでコミットメントの根拠としたヒロインによる承認は主人公の自己実現のコストをヒロインに丸投げしてしまうという難点を抱えていました。
 
こうしたことから宇野氏は村上氏の想像力はこのとき「暗礁に乗り上げ、そしてまだ帰還していない」と述べています。さらには『海辺のカフカ』(2002)『1Q84』(2009〜2010)『騎士団長殺し』(2017)といった近年の作品においてはそのコミットメントはもはや中年男性のナルシシズムの確認にまでに縮退してしまっており、肝心のリトル・ピープル的な「悪」への対峙という本来の主題を半ば放棄してしまっているといいます。
 

* 「遅い」ランナーとして世界を「走る」ということ

 
そして本書の結語となる「第四部 脱ゲーム的身体」はランナー村上春樹に対する批評でもあります。本書は相互評価のゲームからいかにして時間的な外部を確保するかという問いから出発し、その手がかりをロレンスと村上氏の「失敗」の軌跡の中に見出そうとしました。
 
この点、ロレンスも村上氏もある時期から「走る」ことをその暮らしの中に取り入れていった点で共通しています。彼らはもとより相互評価のゲームを勝ち抜くことを目的するような段階にはすでになく、あくまで自身の「自立」を目指し、共に一定以上の「速さ」で走ることを目指していました。しかしながら、ここに最後の、そして最大の罠があり、同時に「アラビアのロレンス問題」を解く鍵はここにある、と本書はいいます。
 
ここで本書は村上氏の『走ることについて語る時に僕の語ること』を参照し、村上氏にとって「走る」ことは--まさに彼の近年の作品と同様に--競技スポーツとライフスタイルスポーツの中間にある--ある種の理想的な自己像を維持して確認するための行為としての--いわば「ナルシシズムスポーツ」であると位置付けます。
 
その上で本書は村上氏とは別の仕方での「走る」主体として「遅い」ランナーというべき主体を提案します。ここでいう「遅い」ランナーとはタイムを気にすることなく走ることに疲れたら休むランナーであり、すなわち、それは相互評価のゲームから降りた主体であり、かつそれでいながら人間を世界から切断する「速さ」の呪縛からも逃れて「遅さ」を受け入れることで世界に開かれている存在を指しています。
 
もちろん本書のいう「走る」とは単なる比喩に過ぎません。すなわち、真の意味での「自立」を果たす上で重要な条件とは、その「遅さ」によってこの世界に「移住者」のように接して歴史に「見られる」ことであり、そしてその「遅さ」により生じる自己変容を受け入れた時に、人は初めて住み慣れた街の中に時間的な外部としての〈砂漠〉を発見することができるということです。
 

*「速さ」と「遅さ」のあいだで思考するということ

 
比喩的に言えば村上氏の議論が「走る」ことの「速さ」を追求したものだとすれば、宇野氏の議論は「走る」ことの「遅さ」を肯定するものであるといえます。これはどちらが正しいかとかそういう話ではないと思います。あえて言えば両者の議論はそれぞれが暗黙下で想定されているメッセージの宛先が異なっているように思えます。
 
すなわち、村上氏の議論はどちらかというと公私共に人生がそこそこ上手くいっている人々に向けられた激文であるとすれば、宇野氏の議論は公私における何かしらの面で人生があまり上手くいっていないと感じている人々、それこそSNSで他人に向かって石を投げつけることでしか生の実感を回復できないような人々に向けられた処方箋であるということです。そして人は生きていく中で前者と後者の両方の時期を経験することもあるでしょう。
 
いずれにせよ、少なくとも一つだけ言えるのは「速さ」と「遅さ」のいずれかが正しいというように二項対立的に世界を切り分けるような思考こそが、まさしく本書のいう「相互評価のゲーム」に囚われた思考そのものであるように思います。自らの理想に向かう「速さ」の追求とその理想から逸脱する「遅さ」の肯定というダブルシステムのあいだを自在に往還するということ。それこそが本当の意味での「自立」するということではないでしょうか。