* 散歩と創造性
古代ギリシアの哲学者アリストテレスがアテナイ郊外に創設した「リュケイオン」という学園に属する学派は「逍遥学派」と呼ばれています。「逍遥」などというとなんだか難しく聞こえますが、つまるところ「散歩」のことです。アリストテレスたちは散歩をしながら教授や議論をしたといわれています。
もしかして偉大な思想や哲学とはあるいは散歩のさなかに生み出されているといえるかもしれません。例えばフランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーも散歩を愛好し『孤独な散歩者の夢想』という著作において、自らの人生を散歩で中断される一つの長い夢想になぞらえ、無為な散歩の快楽を語っています。
また近代哲学を確立したドイツの哲学者イマヌエル・カントはケーニヒスベルクの街を毎日午後4時から散歩をする習慣がよく知られており、あまりにも時間に正確なので街の人々はカントの姿をみて時計の針を直したという逸話が伝えられています。そして日本を代表する哲学者である西田幾多郎も京都の銀閣寺と南禅寺を結ぶ散歩道を毎朝歩いて思索を重ねており、現在この散歩道は「哲学の道」と呼ばれています。
散歩には実際、脳内伝達物質のセロトニンの分泌量を増やし、注意力を高めアイデアが閃きやすい効果が科学的にも実証されており、散歩という営みと人間の創造性は密接な関連性を持っているようです。こうした意味で批評誌のユリイカが「散歩」というテーマで特集を組むのはまったく不思議なことではなく、むしろある種の必然性さえ帯びているといえるでしょう。
* フラヌールと都市空間
朝比奈美和子氏の論考「『19世紀の首都』パリのフラヌールたち--歩く感性と都市の思想史」によれば、予定もなく気の向くままに都市を歩くことが文化的行為としてヨーロッパ社会で認知されるようになった歴史は意外と浅く、その萌芽が認められるのは18世紀後半になってからだそうです。やがて19世紀のパリに「フラヌール(遊歩者)」と呼ばれる人々が登場します。このフラヌールと呼ばれる人々の出現は「都市と人間の想像力の新たな関係性の展開を告げるものであった」と同論考はいいます。
フランクフルト学派を代表するドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンによれば、フラヌールというタイプを作ったのはフランスのパリという都市であるとされます。実際、19世紀の主なフラヌール論も決まってパリという都市の特権性に言及しています。なぜパリなのでしょうか。同論考はまずパリという都市における「絶えざる変化と多様性」を挙げています。
19世紀のジャーナリストであるエドモン・テクシエはパリを「人間たちと、興味と、モードと、気まぐれと、波乱への尽きせぬ情熱と、数えきれない流行と、気まぐれのごとく突然もたらされる変化と、自然に負けないほど多種多様な風俗の人海」であると表現しています。こうしたパリという都市が持つ「絶えざる変化と多様性」の兆しはすでに18世紀に芽生えていましたが、19世紀になるとパリは近代的都市へと劇的な変貌を遂げ、このような都市風景の絶えざる変貌がフラヌールの出現の背景となります。
そしてフラヌールの出現はまた都市空間に生きる新たな人間像を浮かび上がらせることになります。フラヌールと呼ばれる人々の「予定を定めずに歩く」という営為はある意味でその自意識の不定形さに起因するものであり、こうした不定形さを特徴とする人々の出現は急激な人口増加を見せた大都市における不特定多数の群衆の形成と不可分の現象でもあります。そして匿名かつ目的を持たない者が偶然に従うままに都市を歩くという営為は人間の知覚機能や言語システムにも新たな刺激をもたらすことになりました。
* 散歩のもたらす両義性
ではあらためて、このような都市空間を「予定を定めずに歩く」というフラヌールの流れを汲んだ「散歩」とはいかなる営みなのでしょうか。この点、與謝野文子氏は論考「あまり散歩日和とは思えない日に」において「散歩は幸いにも競技化されていない人間の営為であって、まだ多少はわたしたちの裁量の余地がそこに残る。好きなようにものごとを運ぶ。気ままな時の過ごし方が潜んでいる」「散歩は、ただ歩く者の幸せな営為なのだ。人間の幸せな営為なのだ」と述べます。
また串田純一氏は論考「散歩の帰り道」において「散歩はまず定義からして、特定の地点に到達することを必須の目的としていない。つまり仕事ではない。もちろん、それをしなかったからといって直ちに生存が脅かされるわけでもなく、よって労働でもない(前者は移動のための徒歩、後者は健康のためのウォーキング等と対比されるだろう)。つまり散歩は、それ自身をテロスとする活動の性格を色濃く帯びているということになる」と述べます。
ここでいう「仕事」「労働」「活動」の三区分はハンナ・アーレントが主著『人間の条件』(1958)で掲げた三区分を想起させます。すなわち「散歩」とはアーレントのいうところの「人間の条件」たる「活動」に相当するということです。
その一方でパリッコ氏は論考「酒と徘徊」において「僕にとって散歩とは、何かを発見したいとか、どこかにたどり着きたいとかが目的ではなくて、あくまでも無目的に、あてもなく、うろうろと歩き回ることだ。それこそ、曲がり角ごとに直感でどちらに進むかを決める」といい「そこで出会うのは、まったく知らない人々の、しかし妙に人間くささを隠しきれない、生活の片鱗たち」であり「その空気感を、短期間に浴びまくる」ことで「なんだか謎の快感が訪れる」「あの感覚は、座禅や瞑想に近いのかもしれない」と述べています。
こうしてみると「散歩」とは人間という存在に深く根ざした営為であると同時に、そこには主体の同一性を突き崩す脱人間的な契機も含まれている営為ともいえそうです。ではこのような「散歩」の持つ人間的かつ脱人間的という両義性は創造性とどのように結びついているのでしょうか。
* 認識論的布置の変化
大前粟生氏は論考「書くことと散歩」において専業小説家として生計を立てていく上では「毎日の生活をいかに単調にできるかが鍵になってくる」といい、日々小説を書くためには「物語だったり小説の中の世界に自分を入れ込み続ける、という感覚を維持し続ける必要がある」としつつ「それを書き記す私が心がけねばならないのはなによりも穏やかな生活な気がする」という観点から、散歩を「日々を一定のレベルに保つためのルーティン」として取り入れているといいます。
氏は「歩くことで1日のリズムを整えている。要は私はクリエイターというより、アスリートっぽくなりたいのだと思う」といいます。もっともその一方で「1日の時間を立ち上げるための散歩から帰ってこずに、そのままどこかに行ってしまえたら、と思うことがある」「散歩をする主体ではなく散歩中に訪れるなんらかの不確定要素になってみたいのかもしれない。それってなんだか小説っぽいと思うし、小説家っぽいとも思う」とも述べています。
小津夜景氏は論考「歩くこと、作ること」で俳人の立場から「そぞろ歩くことから創り出されるもの」について述べています。氏が歩きながら初めて句を吟じたのは俳句を書き出して4ヶ月ほど経った春のくれのことだったそうで、夕暮れの海沿いに広がる駐機場の脇を通りかかったときにちょうど小型のプロペラ機に遭遇し、プロペラに夕日があたり、空も海も桃色に染まったその光景をみて次のような一句が浮かんだそうです。
ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵
俳句の世界には歩きながら句を作る「吟行」という習慣がありますが、氏によれば「吟行」においては「あちこちぶらついて、まわりを観察して、ささやかな言葉にするのだけれど、このとき物によりすぎても、心によりすぎてもいけない。対象とつかず離れずの距離を保つことが、物象と心象との交わるところを捉えるコツだ。それがうまくいくと目にうつる世界を日常から切り離すことができる」といいます。
大前氏と小津氏の経験に共通するのは散歩という「ルーティン」あるいは「日常」のさなかに起きた創造性へとつながる認識論的布置の変化であるといえます。先述した散歩における人間的かつ脱人間的という両義性は、このような認識論的布置の変化の結果として生じるものであるようにも思われます。
ではこのような認識論的布置はいかなる仕組みによって生じるのでしょうか。ここではいったん散歩における「技術」という側面に目を向けてみましょう。
* 散歩の技術
青田麻未氏は論考「散歩の技術」において「楽しみのための歩行としての散歩--私たちがごく日常的に行うことのできることの行為は、実は初めからできるものではない」といい「散歩をすることは、一種の『技術』である」といいます。そしてここで重要なのが「フレーム」を制作するという能力です。
我々は非確定的な環境を美的環境の対象とするために何かしらの「フレーム」を作っていると同論考はいいます。ここでいう「フレーム」とは芸術作品に向き合うときに、我々が一体何を鑑賞すればよいのか、すなわち、鑑賞対象が何かを指し示すものをいいます。
この点、環境美学の先駆者であるロナルド・ヘプバーンは芸術作品を鑑賞する場合においてはこうした「フレーム」が作者や慣習によって与えられているけれど、自然や環境の場合はこうした「フレーム」が自動的に与えられることはないという差異に注目します。
けれどもその上でヘプバーンは「自然が美的対象であるときには、私たちの注意のもともとの境界を乗り越えた音や視覚的侵入は、その侵入を我々の経験主体のうちに統合するようにと、その侵入に対して余地を与えるように経験を修正するようにと、私たちに迫ることができるのだ」と述べています。
そして、このようなヘプバーンの主張を氏は〈私たちは環境になかで自らフレームをつくり、しかも環境内部の変化や自分自身の運動に合わせてフレームをつくり直し続けている〉のだと解釈し、このような環境の側と散歩主体の側で生じる「二重の変化」を引き受けながら「フレーム」を制作することのできる能力(あるいは「フレーム」が生じることを待つ能力)こそが「散歩する技術」ではないかと述べています。
* 散歩・訂正・創造性
このような青田氏の議論を多少敷衍するとすれば「散歩」とは常にそのルールが「訂正」され続けるゲームのようなものだともいえるでしょう。
20世紀を代表する言語哲学者であるルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインは後期の代表的著作である『哲学探究』(1953)において「人は言語を使ったゲームをルールを知らないままプレイしている」という驚くべき主張を行いました。
すなわち、人はみな言葉を使って何かしらのゲームをしていますが、そこでは実は複数のゲームが重なり合っており、人は自分がいまどのようなルールのゲームをプレイしているかを原理的に知ることができないということです。これがウィトゲンシュタインが考える「言語ゲーム」です。
もっとも、そうはいっても、ソール・クリプキが『ウィトゲンシュタインのパラドックス』(1982)で指摘するように、通常の社会におけるルールはそうそう劇的に変わるものでもありません。なぜなら「社会」という名のゲームを運営する共同体においては、現在のところ「正しい」と信じられているルールから逸脱したプレイヤーには運営側から「訂正」の圧がかかるからです。
こうした中でウィトゲンシュタインの主張がラディカルに当てはまるのが「散歩」という名のゲームです。この点「散歩」もまた環境とコミュニケーションを行うひとつの「言語ゲーム」に他なりません。そして青田氏のいうように「散歩」においては散歩主体が環境と自らの「二重の変化」の中で常に「フレーム」を作り直し続けているとすれば「散歩」という名のゲームは終始「同じゲーム」でありながらも、そのルールは刻一刻と「訂正」され続けていることになります。
すなわち、前述した「散歩」における認識論的布置の変化はこうした「フレームの作り直し=ゲームの訂正」によって生じるものであるといえるでしょう。そうであれば人間の創造性とは畢竟「散歩」という名のゲームに顕著に現れる「訂正」に開かれた時空間のなかにこそ胚胎しているといえるのではないでしょうか。