* 芸術を変えるきっかけとなった「展覧会」
芸術作品を鑑賞するという行為はかつてはごく限られた階層の人のみに許された娯楽でした。中世やルネサンスの頃は芸術家は常に教会や君主や資産家といったパトロンからの発注を受けて作品を制作していました。このような構造が崩れるきっかけとなったのが「展覧会」の登場です。
1648年、フランスで王立絵画・彫刻アカデミー(通称アカデミー)が創立されます。当時はルイ14世が絶対王政を敷いていた時期であり、芸術も王の支配下におこうとしたのアカデミー創設の目的であったとされます。18世紀に入るとこのアカデミー会員たちの作品発表の場として、展覧会が定期開催されるようになります。アカデミーの展覧会は1725年からルーブル宮殿の一室サロン・カレで開かれるようになったことからサロンと呼ばれるようになります。
その後、時代とともに国家主導ではない在野の展覧会も開催されるようになっていき、この展覧会という制度により芸術家は不特定多数の人に向けた自己表現としての作品を発表するようになります。つまり展覧会の登場により現在のようなアーティスト像が出来上がったということです。
日本における展覧会開催のきっかけとなったのは1873年のウィーン万国博覧会です。この万博に日本は国として初めて公式参加し、日本の工芸品が海外で高く評価されていることを知った政府は殖産興業の一環として海外向け工芸品の生産を強化する方針を立て、1877年には第1回内国勧業博覧会が開催されています。
この博覧会は上野公園内に複数の展示館を仮設して開催されましたが、その建物の一つに「美術館」という名称が付けられました。これが日本初の「美術館」となります(そもそも「美術」という言葉自体が万博参加に際して作られた急造新語でした)。
明治時代半ばになると大小様々な美術団体が競うように展覧会を開催するようになり、日本においても展覧会に行って美術鑑賞をするという行為が徐々に普及しつつありました。それにともないヨーロッパ同様に日本でも不特定多数に向けて自己表現として作品を発表するというアーティスト像が浸透し始めます。
そして戦後の高度経済成長期には当時の日本の勢いを物語るように海外から超希少な美術品、文化財を日本に持ってきて展示する特別展が次々と開催されました。オリンピックイヤーの1964年には国立西洋美術館において行われた「ミロのヴィーナス特別公開」の総入場者数は83万人を記録し、翌1965年には東京国立博物館において行われた「ツタンカーメン展」の入場者総数は130万人を記録し、1974年には同じく東京国立博物館で行われた「モナ・リザ展」での総入場者数は150万人を記録しています。
1980年代に入ると美術館の建設ラッシュが始まり大都市以外でも展覧会がコンスタントに行われるようになり、1987年の総入場者数は「モナ・リザ展」が開催された1974年の340万人に並び、それ以降はさらに総入場者数が急角度で上昇し、80年代から90年代前半にかけてはまさに日本の展覧会の黄金時代を迎えることになります。
いうなればかつて美術館とは非日常のエンターテイメントを体験できる大衆娯楽の場所だったといえます。しかし現在において美術館という場所は多くの人々にとってどちらかといえば「敷居の高い」場所と化しているのではないでしょうか。こうした美術館の魅力の再発見とその「歩き方」をわかりやすく解説する一冊が本書『忙しい人のための美術館の歩き方』です。
* 美術館とタイパ至上主義
本書の著者である小さな美術館の学芸員氏(これはnoteのペンネームに由来するそうです)の本業は名前の通り都内の某美術館の学芸員であり、現在では美大でも教鞭を取っているそうです。本書はまず第1章「タイパの真逆にある美術館」で現在の美術館の利用状況を概観します。
国立アートリサーチセンターが毎年継続的に行なっているインターネット調査「美術館に関する意識調査」(関東・関西で各8000人を対象とした大規模なスクリーニング調査)の2023年度調査結果によれば「年に1回程度」以上の頻度で美術館に行く人が回答者全体の中で占める割合は関東エリアでは2015年に26.7%だったのが、2023年には19.2%まで減少しており、逆に「美術館にまったく行かない」と答えた人は2015年では全体の29.0%だったものが2023年では33.6%まで増加しています。この傾向は関西エリアでも同様だったようです。
さらに本書が注目するのは来館者のメイン層の二極化です。同調査で年に1回以上美術館を訪れる人の割合に多い年齢層に注目すると、男性の場合は1位が60〜79歳で20.4%、2位が20〜29歳で19.4%。逆に最も低いのが40〜49歳で10.4%です。女性の場合も1位は60〜79歳で27.9%、2位が20〜29歳で27.0%。最下位はやはり40〜49歳で16.5%です。
そしてこれは本書の推測ですが20〜29歳の層の大半は就職前の学生である可能性が高く、このことを勘案すれば働き始める前の人と働き終えた後の人が比較的美術館に足を運んでおり、いわゆる「現役世代」と呼ばれる年齢層が美術館から最も足が遠のいていることになります。
では現役世代が美術に関心がないかというと、必ずしもそういうわけではないようで、2010年代後半から「美術はビジネスパーソンに必須の教養である」というテーマのビジネス書が続々と発刊されており、それなりにヒットをしていたりします。その背景には2010年代前半に流行した思考トレーニングとしての「ロジカル・シンキング」の限界を打破する「アート・シンキング」へと人々の期待が寄せられていると考えられています。
つまりここにはビジネスで活路を見出すために美術に注目しているのも現役世代であれば美術館に最も足を運ばないのも現役世代という大いなる矛盾が存在しています。この矛盾を本書は可処分時間を合理的に使用するタイム・パフォーマンスが重視される昨今の「タイパ至上主義」という風潮から説明しています。つまり、行くのに手間もお金も時間もかかるのに行っても明確な効果が事前にわからない美術館とはタイパの真逆にある存在であるということです。
* それでもなぜ人は美術館に行くのか
こうした「タイパ至上主義」という風潮のなかで、それでも美術館に行くことには大きな意味があることを本書は主張します。こうした観点から第2章「美術鑑賞の変遷」では、そもそも美術館で鑑賞を楽しむという習慣がどのように日本に根付いたかが紐解かれ、第3章「美術館の新たな取り組み」ではしばらく美術館に行っていない人のための最新の美術館事情が解説されています。
続いて第4章「SNS時代の美術館 鑑賞する側が主役になる」では展覧会の探し方、必携の持ち物、展覧会の回り方、メモの取り方、美術を語るための実践ワークなど美術館を楽しむための具体的な方法が説明されています。
そして第5章「結局、美術館に行く意味って何?」では忙しなく生きている人にこそ美術館が必要な理由がとことん語られます。本書のタイトルを『忙しい人のための美術館の歩き方』に決めたのは何よりもこのメッセージを伝えたかったからだと本書はいいます。
たしかに美術はすぐに役立つものではありません。無駄に思えるかもしれません。そして美術館の存在は不要不急の筆頭と言われるかもしれません。それは認めます。全部認めた上で、この章では「だからこそ美術館が必要なんだ!」という大逆転を決めたいと思います。(本書より)
こうしたことから本書の肝は最終章の第5章であり、手っ取り早くそこだけ読んでもらっても構わないとも述べられています。もちろんタイパ至上主義の現代における美術館の立ち位置を明確にすることは文化行政や社会教育といった文脈においても極めて重要な意義があることはまず疑いないでしょう。
もっともその一方で『忙しい人のための美術館の歩き方』という本書のタイトルに惹かれる読者層であれば、ある程度は美術館に関心があり機会があればぜひ足を運んでみたいと思っているけれども何らかの理由で躊躇しているという方も多いかと思われます。そういった読者にとってはむしろ文字通りの「美術館の(実際の)歩き方」を現役学芸員ならではの視点から指南する第4章こそが本書の真の読みどころになるようにも思えます。
*「展覧会レポート」のすすめ
この第4章では美術館における基本的な鑑賞の心得が説明された後、実りある鑑賞に必要な「体験」を「経験」に変えるための秘訣が語られています。この点「体験」も「経験」も英語にすればどちらも同じexperienceという単語になりますが、日本語では明確に意味が異なってきます。
ここでいう「体験」とは特に意識しなくとも次々と重ねることができるものであり、そしてどんどん忘れていくものです。しかしさまざまな体験をすると、自分の中に何かが消えずに残ることもあり、そこで自分の中に引き出しが一つでも増えたなら、それは自分の中で「体験」が「経験」に変わったということです。
経験は決して色あせません。人それぞれ自分だけの経験を重ねていくことで、他の誰とも違う唯一無二の「私」になっていくのです。(本書より)
そして「体験」をこうした意味での「経験」に変えるため大きな役割を果たすものがアウトプットであると本書はいいます。具体的には短くてもいいので何かしらの形で「展覧会レポート」を書いてみて、出来ればSNSやブログなどで発信してみるというプロセスです。その効能として本書は⑴文章にするために調べ物をするので理解が深まるという点と⑵自分でも気づかなかった感情を認識できるという点と⑶言語化することで記憶に定着するという点をあげています。
これらの効能をひとまとめにすると「体験が経験になる」という表現になります。そしてこうした「展覧会レポート」を書くために本書は鑑賞メモを取ることを勧めており、そのメモの取り方のコツや注意点なども詳細に解説されています。
* 体験を経験へと言語化する技術
この第4章は大きくいえば美術館における「体験」を「経験」へと言語化するための技術を論じたものであるといえます。このように「技術」というと何かこう、心のこもっていない表面的で小手先の鑑賞方法のようにも聞こえてしまうかもしれませんが、少なくとも「体験」を「経験」へと言語によって組み立て直す=構造化するには、そのための手順=技術を押さえておくことが必要になってくることは確かであり、こうした意味での「技術」とは美術鑑賞に限らず様々なコンテンツにおいて「体験」を「経験」に変える上で必要とされるものです。
例えば三宅香帆氏は『「好き」を言語化する技術』(2024)において学校などで教えられがちな「ありのままの感想を書けばいい」という一見常識的なアドバイスに異議を申し立て「技術を駆使してこそ、いい感想文が書けるようになる」と主張し、コンテンツ(本書のいう「推し」)の魅力を語る上で重要なものとして「自分の感情」と「文章の工夫」と「妄想力」をあげ、推しに対して生じた感情を「共感」と「驚き」に大別した上で、その感情が生じた理由を深く掘り下げていく「感情を言語化=細分化する」という手法を提案しています。
また三宅氏は『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』(2025)において話が面白い人になるには本や漫画を読んだりドラマや映画などを観ることが必要だけれども、ただ漫然と読んだり観るのではなく「鑑賞」として取り入れることが重要であり、そこには作品を「解釈」するための「技術」が必要になるといい、読んだり観たものを話の「ネタ」に変えるための「比較(ほかの作品と比べる)」「抽象(テーマを言葉にする)」「発見(書かれていないものを見つける)」「流行(時代の共通点として語る)」「不易(普遍的なテーマとして語る)」という五つの「技術」をあげています。
そして本書もまた三宅氏と同様に実りある鑑賞体験には「技術」が必要であるという立場から美術館ならではの鑑賞体験を言語化していくための「技術」に光を当てていきます。先述のように美術館になかなか足が向かない理由の一つとして、行くのに手間もお金も時間もかかるのに行っても明確な効果が事前にわからないという点が挙げられていますが、こうした言語化の技術は「それを実際に使ってみたい!」という美術館に行くための理由を少なくともひとつ、生み出すことになるのではないでしょうか。こうした意味で本書は「タイパ至上主義」の現代における美術館の意義を説く一冊であると同時に、美術館に関心があるけれど未だ躊躇している読者が最初の一歩を踏み出すために必要な知見と勇気をもたらす一冊にもなるでしょう。


