CDブック 発達障害のピアニストからの手紙 どうして、まわりとうまくいかないの?
- 作者: 野田あすか,野田福徳・恭子
- 出版社/メーカー: アスコム
- 発売日: 2015/05/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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* はじめに
本書は「発達障害のピアニスト」として知られる野田あすかさんのこれまでの生い立ちをご両親の手記とご本人の手紙によって綴っていく一冊です。
野田あすかさんのコンサートは一度行ったことがあるんですが、本当に楽しそうにピアノを弾く姿がとても印象的で、正直、音楽それもピアノ1本でここまで心が揺さぶられる体験というのもこれまでそうそうなかったことでした。
それで、この人はこれまでどんな人生の歩み手だったんだろうって思いまして。そういった経緯から本書を手に取ってみた次第です。
* 「広汎性発達障害」とは何か
発達障害の研究は第二次世界大戦期まで遡ります。1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナーが「早期幼児自閉症」という論文を発表し、その翌年にはオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーが「小児期の自閉的精神病質」という論文を発表しました。
この二つの論文では、子どもの自閉的行動様式についてのやや異なった考察が行われているわけですが、アスペルガー論文の方はドイツ語圏という理由から長きにわたり黙殺される憂き目にあう。
ところが80年代になりイギリスの精神科医ローナ・ウィングによりアスペルガー論文が再評価され、「社会性障害」「コミュニケーション障害」「イマジネーション障害」からなるいわゆる「ウィングの三つ組」によって自閉症の再定義が試みられる。
こうしたことから自閉症を「スペクトラム(連続体)」と捉える考え方が有力となり、2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-Ⅴ)」においては、カナー型自閉症とアスペルガー型自閉症は「自閉症スペクトラム障害」として統合に至るわけです。
あすかさんの抱える「広汎性発達障害(PDD)」とはDSM -Ⅳ-TRにおける分類名であり、現行のDSM-Ⅴでいう「自閉症スペクトラム障害(ASD)」に相当するものになります。その診断基準は以下の通りです。
以下のA、B、C、Dを満たしていること。A 社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害(以下の3点で示される)1 社会的・情緒的な相互関係の障害。2 他者との交流に用いられる非言語的コミュニケーション(ノンバーバル・コミュニケーション)の障害。3 年齢相応の対人関係性の発達や維持の障害。B 限定された反復する様式の行動、興味、活動(以下の2点以上の特徴で示される)1 常同的で反復的な運動動作や物体の使用、あるいは話し方。2 同一性へのこだわり、日常動作への融通の効かない執着、言語・非言語上の儀式的な行動パターン。3 集中度・焦点づけが異常に強くて限定的であり、固定された興味がある。4 感覚入力に対する敏感性あるいは鈍感性、あるいは感覚に関する環境に対する普通以上の関心。C 症状は発達早期の段階で必ず出現するが、後になって明らかになるものもある。D 症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている。
発達障害の理解を困難にしている理由の一つはその概念のわかりにくさにあります。そしてその一因として、この障害が辿ってきた上記のような歴史的紆余曲折が挙げられるのではないかということです。
* 安心サイクル
まず「社会的コミュニケーションの持続的障害」ですが、具体的には「相手の気持ちや場の空気を読めない」「言葉をそのままの意味で受け取ってしまう」「他人の表情や態度などの意味が理解できない」「相手が2人以上になるとわけがわからなくなる」といった特性をいう。
例えば、あすかさんは次のように書いてます。
道徳の教科書に、「困っている人がいたら助けましょう」というのがあって、たとえば「泣いている人がいたら『どうしたの?』と声をかけましょう」と書いてありました。そうやって声をかけると『心配してくれてありがとう』とか、声をかけた相手から感謝の気持ちを返してもらえると書いてあったのです。それで、自分は別に声をかけたくなくても、泣いている人がいたので、その通りに声をかけました。「どうしたの?」そうしたら、全く違う答えが返ってきたのです。「どうもしないよ、放っておいてくれ!」そう言われて、本当に困りました。そんな返事は教科書に載っていなかったからです。本の中では、何度読んでも同じ答えが返ってくるのに、実際はそのお返事が返ってこない。どうしてみんな、本の通りに答えを言ってくれないの?(本書46頁)
そして「常同的反復的行動・関心」については、あすかさんは「安心サイクル」という独特な表現を使っています。
私は変化しないものに、いつも頼っている。いつも学校から帰って、ピアノを弾いて、ごはんを食べて、お風呂に入って、宿題して寝る。それが安心サイクル。いつもと違うと不安サイクル。昔の私にとって変化のないはずのものは家族だった。いつも一緒だったから。でも家族にいろいろなことがあって環境がすごく変わってしまった。(本書104頁)
あすかさんの自傷行為が顕在化しだしたのはいつも一緒にいたお兄様が他県の高校へ進学した頃からだそうです。つまりこの時に「安心サイクル」が破綻したわけです。
* 二次障害としての解離性障害
その後、あすかさんは宮崎大学教育文化学部に進学するも、人間関係のストレスから過呼吸発作を頻発。精神科を受診し「解離性障害」という診断名がつく。その後、入退院を繰り返し、折角入った大学も中退させられる憂き目に遭う。
また、あすかさんは右足が不自由ですが、これも解離発作を起こして家の2階から飛び降りた時の粉砕骨折によるものです。
右足が不自由なのはピアニストとしても大きなハンデです。左足しか使えないため、あすかさんは3つあるピアノペダルのうち右のペダルにアシストペダルをつけて左足で踏めるようにして、あとは手の指の力を加減することで音をコントロールしているそうです。
* 発達障害とわかってほっとしました
「こんなに頑張っているのに、どうしてみんなできるのに、私にはできないのだろう」そう悩んでいたのです。そういうことが多かったから、発達障害だということがわかって、「あなたの努力がたりないとかじゃなくて、そういう障害が生まれつきあったからですよ」といわれたとき、「ああ、なるほどね〜。だから、私はみんなと同じようにできなかったんだ」そう納得して、ほっとしたのです。(略)それに、発達障害の人は、自分に興味のあることは、ふつうの人よりもっと上手にやっていくことができると本に書いてありました。「ああ、だったら私はピアノをやってみよう、自分の大好きなピアノを精一杯頑張ろう」そう思ったのです。(本書150頁)
* ありのままの自分でいいと思えるようになりました
かつてあすかさんにとってピアノはやらされるもの、教えられた通りに弾かなければならないものだった。しかし、恩師となる田中幸子先生の出会いがあすかさんとピアノの関係を変え、ひいてはあすかさんの生き方自体を変えていきます。
あすかさんにピアノの基礎を叩き込んだ高校時代の師匠である片野郁子先生は「この曲はこう弾くべき」という音楽性の的確な再現を重視される方だったそうです。
もちろんこういう基礎過程は大事な事なんだと思います。片野先生の後輩である田中先生はおそらくそういった力量を見極めた上で、技術的に上手な演奏をするだけではなく、自分の想いを音楽で表現することの大切さをあすかさんに教えます。
田中先生の「あなたは、あなたの音のままでとても素敵よ。あなたは、あなたのままでいいのよ!」という言葉に導かれ、あすかさんは自らの中にある「こころのおと」に開眼する。
小さい頃は、コンクールに入賞するために、その曲にあった音色通りに引かなければと、自分をおさえるピアノをやるしかありませんでした。まねごとのピアノはつらかったです。でも、田中先生に教えてもらうようになってからは、良くても悪くても自分の「こころのおと」を出せるようになって、ありのままの自分でいいと思えるようになりました。(本書168頁)
ここからあすかさんの人生が少しずつ好転していく。2006年の宮日音楽コンクールグランプリを皮切りに、第8回大阪国際音楽コンクールにてエスポアール賞、第9回ローゼンストック国際ピアノコンクールでは奨励賞を受賞。
ついで2009年、国際的なピアノの祭典、第2回国際障害者ピアノフェスティバルにて銀メダルを獲得。併せてオリジナル作品賞、芸術賞も受賞。また、この大会の出場を機として、発達障害であることを隠さず生きていく決断をする。
そして2011年、周囲がどう考えても無謀だと反対する中、初のソロリサイタルに挑み、これを見事成功させる。こうしてあすかさんの前にピアニストとしての未来が、自分の「こころのおと」を誰かに聴いてもらうことを喜びとする新たな地平が開けてきたわけです。
* 「〈他者〉の欲望」への参照点としての「みんながしあわせになるピアノの音」
今、学校や職場で障害があることでつらい思いをしている方々に、「きっとこれから先、いいことが待っている」そう感じてもらえる演奏をするのが、私の理想です。私は何もできませんが、でもあなたの心に希望は与えられます。言葉ではなくて、音で、みんなに思いを伝えられて、みんながしあわせになるピアノの音を出せる。そんなピアニストになるのが理想です。(本書181頁)
ASDの場合「〈他者〉の欲望」は特に「わからなさ」という強い不安として顕在する。そこで、このような不安を囲い込み無効化し〈他者〉とつながるため何らかの参照点が必要になってくる。
それは例えば「安心サイクル」であり、時に解離の症状であり、あるいは「発達障害」という診断もそうだったのかもしれない。
こうしてみると「みんながしあわせになるピアノの音」というのは何度とない絶望を繰り返した上でようやく辿り着いた幸せな参照点だったのではないでしょうか。
* おわりに
このように本書はASDの詳細な臨床事例であると同時に、我々が日々「生きづらさ」に向き合う為のひとつの処方箋でもあります。
発達障害とは決して「どこか誰かの他人事」の話ではなく、我々の日常と地続きの問題でもあると思うんです。
人は程度の差はあれ、誰しもその人だけが持つ「特異性」を抱えながら「〈他者〉の欲望」の世界を生きていかなければならない。まさに「生きづらさ」という問題はここから生じてくるわけです。
けれども〈他者〉とつながることで初めて「特異性」という小さな煌きは「個性」と呼ばれる大きな輝きになっていくのではないでしょうか。
どのようにして自らの特異性に折り合いを付け、どのようにして〈他者〉とつながっていくか。こうした点においても、本書から教えられる事は本当に多かったです。