* 日本国憲法と戦後民主主義
1945年8月15日、日本政府のポツダム宣言受諾を伝える玉音放送によって太平洋戦争が事実上終結します。連合軍の占領と改革に対する人々の不安が渦巻く中、8月12日には占領軍の先遣隊が厚木に到着し、続いて30日には連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木に降り立ちます。1945年9月2日、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書が調印され正式に戦争が終わりました。9月27日にマッカーサーと面会した昭和天皇は占領軍の平穏な進駐に謝意を述べ、ポツダム宣言の履行を約束します。他方でマッカーサーは円滑な占領統治のために天皇の戦争責任を問わない方針を固めていきます。
1945年10月11日、マッカーサーは新首相に就任した幣原喜重郎に対していわゆる「5大改革指令」と呼ばれる「婦人解放」「労働組合の奨励」「学校の民主化」「経済の民主化」「司法制度の民主化」を通達するとともに憲法改正を示唆し、これを受けて日本政府は松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会を設置します。
1946年2月1日、憲法問題調査委員会の試案が『毎日新聞』にスクープされ、マッカーサーはその保守的な内容に不満を抱き、GHQ民政局に対して独自に憲法草案を起草するよう指示します。その際に示されたものが「天皇は国家の最上位」「戦争の廃止、陸海軍の不保持、交戦権も不許可」「封建制廃止、皇族を除く華族の廃止」といういわゆる「マッカーサー三原則」です。
この「マッカーサー三原則」をもとに民政局が作成したGHQ案は1946年2月13日に日本政府に提示されることになります。GHQ案を拒絶すれば「天皇ノ身体」の保障はできないと通告された幣原はGHQ案を受け入れるほかはありませんでした。こうした経緯から現行憲法はしばし「押し付け憲法」とも言われます。
1946年3月6日、GHQ案に沿った日本政府案が「憲法改正草案要綱」として発表され、4月17日には同要綱に基づいた「憲法改正草案」が枢密院に諮詢されます。その後、衆議院と貴族院の審議を経た「帝国憲法改正案」は10月7日に確定し、天皇の裁可を経て11月3日に「日本国憲法」として公布され、翌1947年5月3日に施行されることになります。
このような敗戦後の新憲法制定過程において、マッカーサーの意図は天皇制の維持であり、戦争放棄の理念はそのことについて国際世論を説得するための手段であったことは今日よく知られています。つまり平和主義を謳う憲法9条はもともとは象徴天皇を規定する1条のために必要であったということです。そしてこうした9条と1条の関係の今日的変化から戦後民主主義を問い直す一冊が今月公刊された國分功一郎氏の新著『天皇への敗北』です。
* 憲法という「物語」
『目的への抵抗』(2023)と『手段からの解放』(2025)に続く「シリーズ哲学講話」の3冊目になる本書の第1章は2024年4月26日に韓国の政治思想学会からの依頼で行った講演の原稿が元になっています。これが本書の議論の出発点です。
この講演で國分氏は憲法学を切り口として日本の戦後民主主義を論じています。周知の通り國分氏の専門は哲学であり、戦後日本の政治史を専門的に研究してきたわけではありません。もっとも氏はこの10数年、日本で研究と言論に関わる人間として何度も日本の戦後民主主義について考えることを強いられ、専門家たちの見解や意見を伺う立場からこのテーマについて考えてきたといいます。そして氏が戦後民主主義というテーマを考える上でまず思い至る専門家として憲法学者を挙げています。
冒頭で本書は日本を代表する憲法学者樋口陽一氏の言葉を引き、戦後日本の憲法学者たちは単に憲法の専門家である以上の任務が課せられていたといいます。それはすなわち「憲法が訴える価値を国民に丁寧に伝え、その価値に対する敬意を国民の中に育むと同時に、国民が憲法を担う手助けをすること」です。
そして本書によれば日本の憲法学者たちは憲法を「物語」として語ることで、この課題を遂行してきましたとされます。例えば戦後日本の憲法が訴えてきた価値の代表として13条に象徴される個人主義があります。しかし13条の「すべて国民は、個人として尊重される」という条文を読んだだけではその重要性はよくわからないでしょう。そこで個人とはあらかじめ存在するものではなく、身分制や家制度や性差別といったくびきからの解放によって生まれるものであるといった「物語」が必要となるのです。
また本書は戦後日本の特徴として文学者たちが憲法について積極的に発言したことを挙げ、例えば小説が明治以降、国民文学の役割を担ったように、戦後憲法学は単なる法学の一分野ではなくある種の文学でもあり、高い専門性を保ちつつも国民に憲法が訴える価値を理解してもらうことに努めてきたと述べています。
* 立憲主義と民主主義
ではこのような憲法が訴える価値を理解するとはどういうことなのでしょうか。ここで本書は「民主主義」と「立憲主義」という二つの大きな憲法理念を取り上げます。世界のかなりの数の国家ではこの二つを組み合わせた「立憲民主主義」という政治体制が採用されています。しかしこの二つは歴史的にも理論的にも異質なものであるといわれています。
まず「立憲主義」とは17世紀から18世紀にかけて、つまり近代の最初期に絶対王権との闘争から生まれたものです。封建国家に代わって現れた絶対主義国家の恣意的な権力行使から個人の自由と権利を守り、個人の〈権力からの自由〉を保障するためには公開的な法に則って政治を行い、それによって国家権力に常に一定の制限を加えなければなりません。このような思想を発展させ洗練させた立憲主義とは一言で言えば「いかなる権力も制限される」という原理です。
次いで「民主主義」が18世紀から19世紀にかけて、諸個人の〈権力への自由〉として定式化されていくことになります。これは国家権力の源泉をただ諸個人にのみ求める政治体制です。民衆による支配を意味するデモクラシーという単語に忠実にこれを言い換えるならば、民主主義とは「民衆が権力を作りだす」という政治体制です。
こうした「いかなる権力も制限される」という原理と「民衆が権力を作りだす」という政治体制とが組み合わさってできたものが「立憲民主主義」です。しかしながら立憲主義と民主主義は現れた時期も異なり〈権力からの自由〉と〈権力への自由〉という別々の思想に依拠しています。それゆえにここには一つの緊張関係が見出せることになります。
つまりどれほど民主主義的な手続きによって決定されようとも、その決定は立憲主義的な制限を受けるということです。例えば選挙で選ばれた代議士からなる国会で人種差別を合法化する法律が可決されたとしても、少なくとも今の日本国憲法においてこうした法律は違憲無効です。するとここから「なぜ我々の決定が制限されなければならないのか」という疑問も当然出てくることになります。
ここに見出されるのは「下」からの決定と「上」からの制限という対立関係です。このように立憲主義と民主主義は必ずしも一致するものではなく、両者はしばしば対立します。しかし民意を盾に居直るのでもなく、憲法を形式主義的に押し付けるのでもなく、立憲主義と民主主義の間の緊張に満ちた対立関係の中で両方の理念を守り抜いていくことが、日本の憲法学が目指していた「戦後民主主義」の姿であったと思われると本書は述べます。
*「1条のための9条」から「9条のための1条」へ
ところで戦後日本の憲法学者たちが取り組んだ「物語」には一つ、実に困難なトピックがありました。いうまでもなく憲法9条、つまり平和主義というトピックです。そしてこの9条ないし平和主義を考える上で重要な存在として本書は天皇を位置付けます。
ここで本書は2012年に発足した第二次安倍政権が行った特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則緩和、集団的自衛権をめぐる政府の憲法解釈変更、平和安全法制の制定といった一連の「立憲主義に対する挑戦」を取り上げ、こうした情勢で俄に存在感を高めていったのが前天皇である明仁上皇であったといいます。
本書は前天皇と前皇后の態度と発言は明確に護憲の立場であり、立憲主義的であったといいます。例えば前天皇は80歳を迎えた2013年12月の誕生日の会見で「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです(…)/戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革をおこなって、今日の日本を築きました」と述べています。そして氏はこのような前天皇の護憲的な立場に「日本国憲法の中で、立憲主義が危機に瀕するとそれを守るために天皇が前にせり出してくる構造」を見出しています。
言うまでもなく天皇は憲法によって規定された存在であり制度です。日本国憲法1条は象徴としての天皇を規定するものです。つまりここには「憲法が蔑ろにされれば、天皇はその存在そのものが危うくなる」のであり、それゆえに「天皇は立憲主義を破壊するような勢力に対しては敵対する」という構造があります。そしてここから「9条を守り抜こうとする護憲派の立場を、1条を根拠として存在している天皇が支持する」という構造が現れることになります。
先述のように平和主義を謳う9条は象徴天皇を規定する1条のために必要なものでした。ところが今では1条によってその位置づけを規定されている天皇が9条を守ろうとしています。つまり戦後日本において「1条のための9条」から「9条のための1条」へという変化が起こったということです。
そしてこれは戦後日本の憲法学者たちが目指した憲法物語作成の試みは結局、天皇には敵わなかったということを意味しています。これが本書のいう「天皇への敗北」です。それは戦後憲法学の敗北であると同時に、憲法学の求める成熟に至らず天皇に頼る国民の敗北を意味しています。これが本書のいうところの「現時点での戦後民主主義の到達点」です。
* 日本国憲法と中空構造
本書の第2章から第4章までは主として2025年2月15日に國分氏の勤務先である東京大学大学院総合文化研究科のある駒場キャンパスで学生たちを対象に行った学期末講話を元に大幅な加筆修正を加えたものであり、ここでは「天皇への敗北」という「現時点での戦後民主主義の到達点」をいかに乗り越えていくかという課題が考察されることになります。
その出発点となるのが文芸評論家加藤典洋氏による「敗戦後論」という論考です。この論考は戦後50年目の1995年に発表され、猛烈な論争を巻き起こしたことで知られています。本書は加藤氏の論考を全面的に肯定するわけではありませんが、この論考は日本国民の主体性を考える上でのヒントを与えてくれるといいます。そしてここから美濃部達吉という「昭和の憲法学者」と中野重治という「昭和の文人」の精神から「天皇への敗北」を乗り越えるための理路を見出していくことになります。
こうした「天皇への敗北」という「現時点での戦後民主主義の到達点」をいかに評価するかについては当然議論が分かれてくるところであると思います。ただここでひとつ論点を付け加えるのであれば、確かに日本国憲法のなかに立憲主義が危機に瀕するとそれを守るために天皇が前にせり出してくる構造があるといえるかもしれませんが、これは単に日本国憲法を規定する構造のみならず、日本国民の精神性そのものを規定する構造であるように思えます。
臨床心理学者河合隼雄氏は古事記などの日本神話を分析して日本人の精神性を「中空構造」という概念で説明しています。ここでいう「中空構造」とは、その中心を「空」にすることで相対立する二つの力を--神話でいえば三神のうち活躍する二神を、心の構造でいえば意識と無意識や男性性と女性性を--調和的に均衡させて深刻な対立を回避する構造をいいます。
こうした意味で第二次安倍政権による「立憲主義に対する挑戦」と前天皇の護憲的な態度を共時的に把握するとすれば、それは日本国憲法を規定する構造の作動を示すものであると同時に、相対立する二つの力を均衡させる「中空構造」の作動を示すものであるといえるのではないでしょうか。そうであれば本書のいう「天皇への敗北」という「現時点での戦後民主主義の到達点」をいかに乗り越えるかという課題は日本国民の精神性を根本から問い直す課題となるのではないでしょうか。
