かぐらかのん

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【書評】成熟と喪失(江藤淳)

* 戦後派文学から第三の新人

 
昭和20年8月15日、約3年9ヶ月にわたる太平洋戦争は連合国に対する日本の無条件降伏によって終結しました。その後、GHQによる占領諸政策の下、終戦から昭和20年末までの僅か4ヶ月半の間で、日本国内における主要な論調は「皇国主義」「軍国主義」から「民主主義」「平和主義」へと急速に転換されることになります。そして当時多くの人々は既成価値の崩壊に戸惑いながらも、これからやってくるかもしれない明るい未来を信じて懸命に日々の貧困と苦境を生きていました。こうした敗戦の混迷の中から、来るべき時代の絶望と希望を照らし出す新たな文学的思潮として「戦後派文学」は産み出されました。
 
第一次、第二次からなる「戦後派文学」の特色といえば「戦場」「投獄」「焼土」「飢餓」といった極限的な状況を舞台に作家自身の「これだけはどうしても言わねばならぬ」という強い内的必然性や自己表白性の下で「人間」「社会」「革命」「愛」「世界」「神」といった大文字の理想や真理の探求が従来の文学的常識を覆す極めて斬新な方法で遂行された点にあります。
 
こうして一躍脚光を浴びることになった「戦後派文学」は、ここからさらに先進西洋諸国に負けない気宇壮大な本格的ロマン大作を志向するようになります。しかし同時に、この頃から「戦後派文学」はその原点であるはずの「これだけはどうしても言わねばならぬ」という強い内的必然性や自己表白性を喪っていき、やがてその文学的発展は空転ないし停滞していくことになります。
 
やがて戦後の混乱が収まり、徐々に世の中が落ち着きを取り戻しつつあった相対的安定期と呼ばれる1950代になると、戦後派文学が目指した大文字の理想や真理の探究から一歩引いたところで、市井を生きる名も無き人々の日々の平凡な暮らしにていねいに描き出していくという新たな文学的思潮が現れました。こうした新たな文学的思潮の担い手たちは「第三の新人」と呼ばれました。
 
もっとも、この「第三の新人」は登場当初はあまりぱっとせず、当時の批評家からは「即物性、単純性、日常性、生活性、現状維持性、伝統性、抒情性、単調性、私小説性、形式性、非倫理性、非論理性、反批評性、非政治性」などと散々にこき下ろされ、このような思想性も政治性もない退嬰的な文学などどうせすぐに消え去る運命にあるだろうと思われていました。けれどもその後、戦後派からベ平連に至る反体制文学隆盛の陰で彼らは地道に創作に取り組み続け、1960年代になると文壇において確固たる位置を築き上げていました。
 
そしてこの時期に「第三の新人」にとって強力な援軍として現れたのが、評論家の江藤淳氏です。江藤氏が1967年に発表した本書「成熟と喪失」は極めて深い洞察によって「第三の新人」の文学性に新たな光をあてた文芸評論の名著として知られています。

*「圧しつけがましさ」と「恥づかしさ」

 
では江藤氏は「第三の新人」の文学の中に何をみたのでしょうか。それは畢竟、アメリカと比べて「母」と「子」の関係が密接であるとされる日本社会における「成熟」の感覚です。例えば江藤氏は「第三の新人」を代表する作家の1人である安岡章太郎氏の「海辺の光景」を題材として「母」の「子」に対する「圧しつけがましさ」と、その裏にある「恥づかしさ」を論じています。
 
「圧しつけがましさ(束縛)」と「恥づかしさ(蔑視)」。これはすなわち、近代社会に直面した「母」の動揺の表れに他なりません。階層秩序が固定化されていた前近代社会と異なり、学校教育制度が導入された近代社会においては、誰もが「出世」によって上位階層に移ることができる「フロンティア」が(建前の上では)開かれることになりました。
 
ゆえに近代社会における「母」は低い階層に甘んじる夫に「恥づかしさ」を感じ、また、そのような人物としか結婚出来なかった自分自身に「恥づかしさ」を感じるようになります。
 
そこで「母」は「恥づかしさ」から逃れるため「子」の「出世」を望み、息子を少しでもいい学校に入れようと奮闘することになるわけですが、その裏で「母」は「教育」を受けた「子」が自分の手を離れた遠い存在になってしまうことを密かに恐れていたりもします。
 
こうした二律背反の中で「母」は「子」に対して「圧しつけがましさ」を持つようになります。そして「子」の側も「母」の持つ裏の欲望を先取りして、いつまでも幼児のように「母」の肉感的な世界に安住しようとします。そこに「子」は限りない「自由」を感じることになります。
 

*「悪」を引き受けるということ

 
江藤氏の整理によれば「戦後派文学」が「父」との葛藤を軸とした文学なのだとすれば「第三の新人」とは「母」との密着を軸とした文学である、ということになるのでしょう。この点「海辺の光景」は近代社会に直面した「母」の動揺と崩壊を描き出した作品であり、同時に「母」の肉感的な世界の中で「自由」を享受していた「子」が「個人」になることを強いられて無限に「不自由」になっていく過程を描き出した作品でもあります。
 
こうして「母」の「喪失」に直面した「子」には「波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立つてゐた」という風景に表象された「喪失感の空洞」だけが残ることになります。
 
そして江藤氏はこのような「喪失感の空洞」の中に湧いてくる「(母を見棄てるという罪悪感としての)悪」を主体的に引き受ける態度こそがまさしく戦後日本社会における「成熟」の感覚であり「母」を喪失した「子」が「自由」を再び回復する道なのであると主張します。
 

* 治者の文学

 
そして江藤氏はこうした「悪」を引き受ける「成熟」の主体を「治者」と呼びます。この点、氏はやはり「第三の新人」を代表する作家の1人である庄野潤三氏の小説「夕べの雲」に「治者の文学」を見ることになります。同作の主人公はすでに「母」が崩壊してしまった世界であたかも「父」である「かのように」日々を生きています。
 
この点、伝統的に父性原理の強い西欧社会における「成熟」とは「子」が「父=近代的市民」になる事を指しています。けれども本書の立場に依拠するのであれば、伝統的に母性原理の強い日本社会における「成熟」とは「子」が「父=近代的市市民」になるのではなく、むしろ「母=前近代的世界観」を見棄てるという「悪」を引き受ける事で、あたかも「父」である「かのよう」に振る舞う点にあるといえるでしょう。
 
この点、氏はまさしくこの、あたかも「父」である「かのように」という点に日本的な「成熟」の主体を、すなわち「治者」を見出していたといえるでしょう。そしてそこには、たとえそれが究極的には無意味である事を知りつつも「あえて」それを行うところに何かしらの美学を見出すという戦後的なアイロニズムのひとつの変奏曲を見出す事ができるでしょう。
 

* そして「治者」とは別の仕方で

 
こうした本書の立場は確かに1960年代当時、農村共同体が解体され産業都市化が進んだ高度経済成長期には適合的な成熟モデルであったように思えますが、バブル崩壊後の長期にわたる経済低迷の中で、終身雇用や年功序列といったかつての戦後的ロールモデルが崩壊した現代日本においては必ずしも適合的な成熟モデルとはいえないでしょう。端的に言えば、もはや経済大国でさえない現代日本においては「父」である「かのように」振る舞うためのインフラさえもが決定的に喪失しているということです。
 
けれどもその一方で現代においては江藤氏がかつて見棄てたはずの「母」が「肥大化した情報環境」という形で強力に回帰してきました。いまや戦後的アイロニズムにおける「あえて」の論理に依拠することなく、誰もが「母=肥大化した情報環境」に支援される形で、自分の信じたい物語だけを信じ込み幼児的万能感の中で仮初めの「父」になる夢をみることができるようになりました。宇野常寛氏はこうした肥大化した母性と矮小な父性の結託構造を「母性のディストピア」と名づけています。
こうして再び「母」が肥大化して「母性のディストピア」が全面化した現代においてはかつて江藤氏が提示した「治者」とは別の仕方で「母」から離脱するための新たな成熟モデルが問われることになります。こうした現代的な観点から再び「第三の新人」の作品群を読み直すのであれば、そこにはまた新たな意義の発見があるようにも思えてきます。そして、そのための歴史的な参照点として本書も今なお、その名著としての輝きを失ってはいないでしょう。