かぐらかのん

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二人のアリス--カードキャプターさくら クリアカード編1〜12(CLAMP)

* 百合的な対幻想

 
大正期に確立した「少女小説」というジャンルは、旧来的な家父長制社会を支えていた「家の娘」という呪縛から逃れていく「少女」という新たな主体像を提示しました。その背景には「エス」と呼ばれた当時の女学校文化がありました。「エス」とはSisterhoodの頭文字Sに由来する隠語で、女学校の上級生と下級生、あるいは同級生同士など、少女同士の擬似姉妹的な関係性を指し、その特徴は高尚かつ清純な精神性の称揚にあります。その後、男女の自由恋愛が普及するにつれて文化としての「エス」は衰退していきますが「少女小説の精神」は連綿と受け継がれ、現代においては「百合」という一大ジャンルの中に流れ込んでいます。
 
こうした「エス」から「百合」に至る表象文化史は、吉本隆明氏のいう対幻想の視点から読み解くこともできるでしょう。吉本氏はその主著「共同幻想論」において国家を一つの幻想として捉えています。氏によれば人間の社会像は「自己幻想(個人)」「対幻想(家族的関係性)」そして「共同幻想(国家的共同体)」から形成され、これらの幻想が接続されることで、社会の規模は個人から家族へ、家族から国家へと拡大していくことになります。そして氏のいう「対幻想」には時間的永続性を司どる「夫婦/親子的対幻想」と空間的永続性を司どる「兄弟/姉妹的対幻想」の二種類があります。
 
かつて吉本氏自身は共同幻想に逆立する為の起点として、それ自体で二者間の閉じた世界の中に完結する夫婦/親子的対幻想に着目しました。ところがその後、グローバル化/ネットワーク化という時代の流れの中、夫婦/親子的対幻想が共同幻想と癒着することで縮小する一方で、兄弟/姉妹的対幻想は共同幻想に回収されることなく拡大し始めました。
 
こうした兄弟/姉妹的対幻想の拡大傾向の中に「百合」というジャンルもまた位置付けられます。そして「百合的な対幻想」は現代サブカルチャーにおける様々なジャンルに多大な影響力を及ぼしています。ここではその一つの例として「カードキャプターさくら」の作風変化を取り上げてみたいと思います。
 
1996年から2000年まで少女雑誌「なかよし」で連載された同作は幅広い年齢層の熱狂的な支持を獲得し、連載終了となった後もその人気は全く衰える事がなく、2016年からはその正当なる続編である「クリアカード編」が再びまたも「なかよし」でまさかの連載再開となりました。
 
そして気がつけばクリアカード編も12巻目を迎え、いよいよ物語は佳境を迎えつつあります。正直なところ、連載再開当初はここまで重厚長大な物語になるとは思っていませんでした。そのあらすじは次のようなものです。
 

* クリアカードと禁忌の魔法

 
物語は前作の最終回から再びスタートします。友枝中学校に進学したさくら。長らく離れ離れになっていた小狼とも再会して、これからの中学校生活に期待を膨らませる矢先、さくらはフードをかぶった謎の人物と対峙する奇妙な夢を見る。目を覚ますと新たな「封印の鍵」が手の中にあった。そして「さくらカード」は透明なカードに変化して、その効果を失っていた。
 
以後、立て続けに魔法のような不思議な現象が起こり出す。さくらは新たな「夢の杖」を使い、一連の現象を「クリアカード」という形に「固着(セキュア)」していく。
 
そんな折、さくらのクラスに詩之本秋穂という少女が転入してくる。さくらと秋穂はお互い惹かれあうように交友を深めていく。その一方で、小狼は秋穂の傍らで執事を務めるユナ・D・海渡の正体に疑念を抱く。
 
果たしてクリアカードを生み出していたのはさくらの魔力暴走だった。この事を事前に見越していた小狼はさくらの魔力暴走を抑制するため、さくらカードをあらかじめ隔離していたのであった。
 
一方で、海渡の正体は人並外れた魔力を持つイギリス魔法教会の魔術師であることが判明する。海渡は幼少より「時の魔法」の優れた使い手として知られていたが、現在は門外不出の「魔法具」を持ち去った事で協会を破門されていた。
 
海渡は「時の本」を動かして「禁忌の魔法」を発動させるため、さくらに「あるカード」を生み出させようと画策していた。そして、海渡がかつて協会から持ち去った「魔法具」の正体こそが他でもない秋穂であることが判明する。
 

* さくらと秋穂

 
本作は4巻くらいまでは比較的ゆっくりとした展開が続いていましたが、5巻以降ようやく物語の見晴らしが開けてきます。おそらく、いま思えば本作が中盤序盤のうちはあまり物語を動かさず、さくらと秋穂の交歓を極めて繊細に描いて来たのは、おそらくは秋穂というキャラへ読者が感情移入を深めていく為の準備作業だったのかもしれません。
 
秋穂は欧州最古の魔術師達と呼ばれる一族に生まれるも、全く魔術を使うことができず周囲を失望させることになります。両親はすでに亡く、秋穂は一族の中で孤立していました。だが海渡が幼い秋穂を「真っ白な本」と何気に評したことがきっかけで、秋穂はその身に様々な魔術を記録させることができる魔法具に改造されてしまうのでした。
 
こうした中、海渡は秋穂の監視兼護衛を名乗り出て、彼女を外の世界に連れ出し、そのまま協会から離反したのでした。しかし協会と一族の術からは逃れることができず、秋穂の意識は徐々に魔法具に乗っ取られつつあります。
 
幸せな棲家、幸せな人達、幸せな思い出そして未来。海渡はこれらの全てが秋穂にはなく、さくらにはあるといいます。海渡が禁忌の魔法に執着するのは、こうした秋穂の境遇と何かしらの関係があるのでしょう。
 
この点、前作では、さくらが小狼への恋愛感情の芽生えを発見していく過程に描写の重きがおかれていました。一方、今作においては、さくらと秋穂という二人の少女が同性間の交歓を深めていく過程に描写の重きが置かれています。さくらと秋穂。二人の関係性はかつての少女小説における「エス」を想起させるものがあり、ここには近年拡大しつつある「百合的な対幻想」の影響を見出すことができるでしょう。そして本作の特色は、こうした二人の関係性に「アリス」のイメージを重ね合わせている点にあります。
 

*「アリス」というイメージ

 
本作では、ルイス・キャロルの児童文学「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」のモチーフが幾度となく反復されているのがその特徴です。
 
まず物語の鍵を握る「時の本」を秋穂は「時計の国のアリス」と呼んでいます。また秋穂はさくらが活躍する夢を、さくらは秋穂の過去の夢を、お互いに「アリス」の夢としてみています。またさくらは幻想の中で「ここはアリスの物語、アリスが語る物語、アリスが綴る物語」と虚げに語る秋穂を目にしています。
 
一方で、海渡は小さくなったさくらが生み出した「影像」のカードを「鏡」に出てくるジャバウォックだと評して、そこから彼は秋穂と初めて会った庭を「不思議」のアリスが迷い込んだ世界のようだったと回想します。
 
また、かつて秋穂の母は将来生まれてくるさくらと秋穂を「ふたりのアリス」と呼び「時の本」の守護者であるモモに2人を託しています。
 
こうしたエピソードの他、さくらと秋穂はしばしアリスの服を着た幻想的なイメージとして幾度となく描かれています。
 

* 二人のアリス

 
そして12巻ではさくらと秋穂はついにアリスのイメージと自覚的に向き合う事になります。全校交流会での劇の脚本と演出を任されたさくら達の同級生である柳沢奈緒子は桜と秋穂の姿にインスパイアされて「二人のアリス」という物語を思いつきます。
 
果たして奈緒子が書き上げてきた脚本は「『夢』の世界に迷い込んでしまう『アリス』」と「元居た世界に戻れなかった『もうひとりのアリス』」の物語でした。そしてその参照先がまさかの「時計の国のアリス」こと「時の本」です。
 
さくらと秋穂は奈緒子に依頼されアリス役を受けることになりますが、それぞれがどうも何かしら思うところがあるようで、特に秋穂は「もうひとりのアリス」の役にやたらと拘る様子を見せます。その一方で、海渡は時の魔法の使い過ぎで、自分にあまり時間がない事を悟りつつ、この「二人のアリス」という物語に何かを期しているようでもあります。
 
ここにきて虚構と現実の双方において「二人のアリス」が並走をはじめました。果たして、その物語は一体どこへ収束するのでしょうか。引き続き今後の展開を楽しみにしたいと思います。