かぐらかのん

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生きている手ごたえを創り出すということ--「こころの処方箋(河合隼雄)」

 

こころの処方箋(新潮文庫)

こころの処方箋(新潮文庫)

 
 

*「常識」なき時代の「常識」を問う

 
現代とはある意味で「常識」の失墜した時代です。時に誰かの「常識」は別の誰かの「非常識」となり得ます。ソーシャルメディアにおける「炎上」も突き詰めれば、こうした「常識」対「常識」の諍いに起因する事が多いでしょう。
 
ではこのような「常識」を異にする他者と関係していく上で必要な「常識」とはなんでしょうか。ここで我々は、いわば「常識」なき時代における「常識」とは何かという困難な問いに直面します。
 
こうした困難な問いへ答えていく道を今なお照射し続ける決定的な一冊が、臨床心理学の第一人者にして戦後日本を代表する「知の巨人」の1人でもある河合隼雄先生の不世出の名著「こころの処方箋」です。
 
全55講からなる本書は河合氏曰く、皆がすでに「腹の底」では知っているはずの「常識」を売り物にした本です。そしてその中で「常識中の常識」というべき「常識」が、本書の巻頭に置かれた「人の心などわかるはずがない」ということになるでしょう。
 
ここで河合氏は、心の専門家が専門家たる所以は、人の心が「わかる」という点にあるのではなく、むしろ人の心が「わからない」ということを「確信を持って知っている」という点にあると言います。すなわち、他者の心に触れる上で求められる態度とは、人の心の動きを既知の知識に当てはめようとする「閉じた態度」ではなく、その未知の可能性に注目し続けていく「開かれた態度」であるということです。そして、こうした「開かれた態度」は我々の日常的なコミュニケーションにおいても常に念頭に置いておくべき在り方といえるでしょう。
 
このように本書が示す「常識」は我々に対して、何か型にはまった「正しい生き方」を押し付けようとするものでは決してありません。すなわち、本書のいう「常識」とは、臨床心理学の深い知見に裏打ちされた「学識」であると同時に、心理療法家として「こころの現場」に対峙し続けた経験からくる「見識」と言うべきものであります。そしてそれは我々がこの「常識」なき時代を「常識」に則しながらも、自由かつ豊かに生きていくための、まさしく「処方箋」と呼ぶべきものでしょう。
 
本書をより深く理解する上では、先生のご専門であるユング心理学にある程度は通じていた方が良いでしょう。ここではユング心理学のエッセンスともいえる「コンプレックス(Complex)」「コンステレーション(Constellation)」「コミットメント(Commitment)」という「三つのC」を本書に則してご紹介させて頂きます。裏返して言えば本書はこの「三つのC」の具体的な応用編ということです。もしユング心理学に本格的な興味を惹かれた方は河合先生の主著「ユング心理学入門」をぜひお読みいただければと思います。
 
 

* コンプレックスという可能性の在り処

 
我々が持つ「私は私である」という認識は、我々の「意識」の枢要をなす「自我」という心的作用によるものです。ところが我々の「無意識」にはこうした自我の統合性を乱す別の心的作用が存在します。
 
今日では「ユング心理学」の名で呼ばれる分析心理学の創始者カール・グスタフユングは言語連想実験を通じてこうした無意識下の心的作用を発見し、これを「コンプレックス」と名付けます。こうしたことから、ユング心理学は時に「コンプレックスの心理学」とも呼ばれます。
 
コンプレックスが本当に全くない、という人は人はあまりいないと思います。人は自らのコンプレックスを意識してしまうと、それを認めたくないがために「自我防衛」を働かせ、コンプレックスを外界に投影して、他人を非難し始めたりします(10-イライラは見通しのなさを示す)。
 
この点、河合氏は人の心の中での出来事は大体「51対49」くらいのところで勝負がついていることが多いと言います。無意識下において、ある傾向とこれに相反する傾向が「51対49」でせめぎ合う結果、人は傍から見れば不可解としか言えない行動にでてしまうということです(16-心の中の勝負は51対49のことが多い)。
 
誰だって自分の抱えているコンプレックスと向き合うことは苦しい経験です。けれども河合先生はコンプレックスそれ自体は常に否定されるべきものではないと言います。コンプレックスとは、それまで目を背けて来た未知の可能性の在り処を示す「一種の方向指示盤」としての役割を持って出現してきているということです(48-羨ましかったら何かやってみる)。
 
そして、ここで重要なことは「私には何とかというコンプレックスがある」などとコンプレックスを知的に理解しようとする態度ではなく、ともかくも自らのコンプレックスに飛び込み、これを生きてみるという態度です。それがすなわち「コンステレーション」と「コミットメント」ということになります。
 
 

* めぐりあわせとしてのコンステレーション

 
ユングは意識の枢要をなす「自我」とは別に、意識と無意識の双方を含めた心全体の中心部に「自己」と呼ぶ「こころの基礎」というべき「元型」を仮定します。こうした「自己」は、ある時には「他なる性--アニマ/アニムス」として、またある時には「生きられなかった半面--影」として、様々なかたちをとって顕現し、我々の心の中で様々に相対立する葛藤を相補的に再統合していく原動力となります(4-絵に描いた餅は餅よりも高価なことがある/11-己を殺して他人を殺す)。
 
こうした再統合の過程をユングは「個性化の過程」ないし「自己実現の過程」と呼びます。この点、ユングによれば、ある個人の「自我」が自らの「自己」と対決すべき時期が到来した時、そこで生じている内的現実に呼応するような「めぐりあわせ」というべき外的現実が起きるといいます。それは例えば、ある種の精神疾患かもしれませんし、人生における挫折や喪失かもしれません。
 
けれどいずれにせよ、こうした「めぐりあわせ」の裏には「自我」がいよいよ「自己」との対決を試みている努力の表れがあるということです。そこでユング心理学では、このような内的現実と外的現実を「個性化の過程」「自己実現」に向けた共時的布置、すなわち「コンステレーション」として把握することを重視するわけです。
 
日々生活していれば、大なり小なりのトラブルに遭遇します。そんな時、大抵人は「なんでこんな時に」と思うわけです。もし人生がうまくいっていない時に悪いことが起きれば「なんでこんな時に」と思うし、人生がうまくいっている時に悪いことが起きてもやはり「なんでこんな時に」と思うはずです。
 
こうした人生の危機に直面した時に重要なのは「なんでこんな時に」ではなく「まさに今だからこそ」という発想の転換なのでしょう。そう考えることで、思考の悪循環は切断され、そこから思わぬ新たな局面が切り開かれてくることもあるかもしれません。つまり、いま生起した事象の中に一つの「めぐりあわせ」を見出すということです(29-生まれ変わるためには死なねばならない)。
 
 

* コミットメントにおけるしたたかさとしなやかさ

 
「コミットメント」とは端的には「関係」ということになります。普通、我々は他者に対して「正しい」人間として「正しい」振る舞いによって「関係」しようとします。もとより「正しい」とは社会生活を営む上で大事な前提です。けれど本書に言わせれば「正しい」という「だけ」の「関係」では何ひとつ「コミットメント」していないという事になります(3-100%正しい忠告はまず役に立たない)。
 
では、本書のいう本当の意味での「コミットメント」とはなんでしょうか。それは時として果敢にリスクを取り、自らの全霊を賭して事に臨む「覚悟」を必要とします(12-100点以外はダメな時がある)。けれど同時にけっしてユーモアを手放さない「余裕」も必要です(13-マジメも休み休み言え)。そしてそこには「うそという常備薬」と「真実という劇薬」をいかに使い分けるかという匙加減を見極める「知恵」も必要となってきます(32-うそは常備薬 真実は劇薬)。
 
こうしてみると「コミットメント」とは本当に難しいものだと思います。おそらく「コミットメント」とはある種、清濁を呑み合わせるかの如き「したたかさ」「しなやかさ」を必要とするのでしょう。けれど、こうした「したたかさ」「しなやかさ」を自在に扱うには、自らの「コンプレックス」から自由になる必要があります。「コンプレックス」に囚われたまま、表面だけを取り繕った「コミットメント」は必ずその下地が露呈することになるでしょう。
 
すなわち、ここでやるべきことは三つ。まずは自分の内定現実である「コンプレックス」と向き合うこと。次にこの内定現実を「コンステレーション」として外的現実へ統合すること。そして統合された内的-外的現実へ「コミットメント」していくということです。そういった意味で「コンプレックス」「コンステレーション」「コミットメント」という「三つのC」は相互に不可分の関係にあるという事です。
 
 

* 生きている手ごたえ

 
本書の最終講「すべての人が創造性を持っている」において河合先生は、人は誰でもその内にその人だけの「創造の種子」を持っていると言います。そして、その「創造の種子」から芽生えたものが、家庭、学校、会社、社会といった帰属集団の価値観とたまたま一致するのであれば、その人は自らの「創造性」を「個性」として伸ばしていくことができる一方、帰属集団の価値観とたまたま異なれば、その人は自らの「創造性」を帰属集団に適応していくため圧迫せざるを得ず、その代償として時に「こころの不調」や「問題行動」を「創造」してしまうことになるでしょう。
 
この「たまたま」は本当に紙一重なんだと思います。本来的には誰もが持っているその人だけの「創造性」に優劣などは決してないはずです。それゆえ心理療法はこうした意味での「創造性」に注目します。すなわち心理療法とは、クライエントが自らの「創造性」を再発見する営みであると共に、その「創造性」を手放さないままに「普遍性」へと調和を果たしていく過程を支援していく営みでもあるということです。そして、こうした営みの中で「創造される作品」とはまさに、その人だけが持つ「生きている手ごたえ」と呼ぶべきものではないでしょうか。
 
「幸福のロールモデル」という「常識」が完全に失墜し、もはや何が「正しい生き方」なのかわからないこの不安に満ちた時代において、こうした「生きている手ごたえ」は人の確かな幸福の在り処を示しています。そして本書が示す様々な「常識」達はきっと、あなただけの「創造」を営む助けとなってくれるでしょう。
 
 
ここまでお読みくださって有難うございます。本年は誰にとっても本当に大変な一年だったと思います。きっと来年は良い年でありますように。