かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

クィア・ケア・訂正可能性--武内佳代『クィアする現代日本文学』

* クィア理論と文学

 
一般的に「クィア理論 Queer Theory 」とは1990年にカルフォルニア大学サンタクルーズ校の学術会議におけるテレサ・ド・ラウレティスの提唱した用語が起源とされています。日本語では「変な」「奇妙な」などと訳される「クィア」という言葉は、もともとは英語圏でゲイ男性に向けられた蔑称でしたが、やがて当事者たちによって戦略的に用いられるようになり、現在ではセクシュアル・マイノリティと呼ばれる当事者全体を包摂する意味を帯びるようになります。このような意味でのクィア理論の特質を理解するうえで重要なことは、当初からその考え方が当事者の「差異の主張」と「普遍性に基づく連帯」という二つの指向性を胚胎させていたという点です。
 
まず「差異の主張」とは既存のセクシュアリティ/ジェンダーをめぐる二項対立においてマイノリティの側に置かれた当事者を主体化するアクティヴィズム的な指向性をいいます。とりわけラウレティスにおけるクィア理論は「同性愛と異性愛」という差異を重視しつつ、さらに同性愛者間における「レズビアン女性とゲイ男性」あるいは「黒人レズビアンと白人レズビアン」といったジェンダー、人種、階級、民族文化、年齢などといった多様な差異にも目を向けるよう促しています。
 
次に「普遍性に基づく連帯」とは既存のセクュアリティ/ジェンダーをめぐる二項対立そのものを脱構築する思弁的な指向性をいいます。こうしたことからクィアという概念は社会的には同性愛のみならず、バイセクシュアルやアセクシャルトランスジェンダー、あるいはクエスチョニングなど、ジェンダーアイデンティティ性自認)とセクシュアル・オリエンテーション性的指向)に関わる多様な自己選択の可能性を開くと同時に、そのような当事者同士の連帯を可能にする共通基盤ともなりました。
 
そして、こうしたクィア理論が抱えている「差異の主張」と「普遍性に基づく連帯」という、ある意味では相矛盾するこの二つの指向性に注目することで、クィア批評の持つ可能性を押し広げていく一冊が本書『クィアする現代日本文学』です。
 

*「小説を読む」とはいかなることなのか

本書は「はじめに」において「小説を読む」とはどのような行為だろうかと問い、評論や伝達文などとは異なり、読み手が「読んだ」という感覚を抱ききれない小説というテクストは、その読み方に応じてあらゆる意味に開かれたテクストであり、ときとして読み手に新たな主体性のあり方や思考の方法を手渡してくれさえするテクストであるとして、その意味で「小説を読む」という行為は読み手がテクストに解釈を与えて作品世界の意味内容を変更するばかりではなく、テクストが読み手に対して新たな認識や主体の変容をもたらすという相互行為にほかならないといいます。
 
そして本書はクィアと小説が共に抱える相矛盾的な性質に注目します。すなわち、クィアが差異を主張しつつも連帯をも希求するように、小説もまた人間存在の差異を指し示しつつもその差異を形作る境界線そのものを問い直す契機をも有しているということです。このような前提に立ち本書はおもにクィア批評を方法の中心に据えつつ、さまざまな批評理論を横断的に用いて1970年代から2010年代にかけて書かれた7つの小説を取り上げていきます。
 
例えば第1章では金井美恵子氏の「兎」(1972)という短編作品を題材として、兎に仮装する少女の女性的欲望と男性的行為との亀裂をジュディス・バトラーが提唱した「行為遂行性 performativity」の観点から読み解きます。ここでいう「行為遂行性」とは表象/行為が現実そのものを産出していくという意味であり、ここにバトラーは一般的な男性性/女性性という性別二分法を脱構築する作用点を見出しました。その一方で本書は匿名の「私」という、いわばジェンダー化されない無性の語り手の中に性別二分法そのものをすり抜けていくクィアな様態を読み取っていきます。
 
このように既存のセクシュアリティ/ジェンダーにおける二項対立を「クィアする」本書のアプローチは既存の価値観や先入観に捉われない開かれた読解を提示します。そしてそれは既に評価が確立した文学作品にもまったく新しい角度から光を当て直すことを可能にするアプローチであるといえるでしょう。
 

* 村上春樹クィアに読み直す

 
続いて第2章から第4章においては村上春樹氏の作品が取り上げられています。まず第2章では村上氏の代表作である『ノルウェイの森』(1987)において主人公である「僕」が無自覚的に反復しているホモソーシャル的な関係に注目した読解が提示されます。ここでいう「ホモソーシャル homosocial 」とはアメリカの文学者イヴ・コゾフスキー・セジウィックが提唱した概念で、女性の争奪・交換や同性愛嫌悪を媒介として成立する異性愛男性同士の連帯関係を指しています。そして同作のヒロインの一人である直子はこのような「僕」のホモソーシャル性を遊戯的に引き受けることで「僕」を媒介とした女性同士の親密な連帯性を築いていきます。
ここから本書はこれまで看過されがちだった直子やレイコさんという女性たちの「語り/騙り」の中に「僕」による異性愛主義的な物語を脱中心化するクィアな欲望を見出していきます。その上で彼女たちのクィアな欲望が同作で精神的な病と表象されることは確かに大きな問題があるとしつつも、精神的な病へと陥ってしまうほどに彼女たちにとって自己のクィアな欲望は容認し難いものであったと述べます。
 
次に第3章では「レキシントンの幽霊」(1996)をエイズ文学として読み直す試みが行われます。もともとアメリカでクィア理論が誕生した背景には1980年代の苛烈な同性愛抑圧を生み出したエイズパニック下のHIV /エイズ・アクティヴィズムの存在が指摘されています。こうした観点から本書は同作をまさにそのようなクィア理論を成立させたアメリカの時代状況を反映した小説として読み解いていきます。
 
そして第4章では「レキシントンの幽霊」と同時期に発表された「七番目の男」(1996)における回想的な「語り/騙り」に見られる不可解な点を手がかりとして、この小説における「語り/騙り」を性暴力を受けた男性被害者の「語り/騙り」として捉え直していくトラウマ批評の試みが行われます。このようなアプローチはいわば「テクストの意識」というべき表面的な「語り/騙り」の中で生じる綻びから見え隠れする、いわば「テクストの無意識」というべきポリフォニックな「語り/騙り」に注目していく優れて精神分析的なアプローチであるといえるでしょう。
 
従来、村上作品は主人公の「僕」を基準として例えば「デタッチメントからコミットメントへ」といった図式に基づく評価がなされてきました。けれどその一方で「僕」の周辺からはこのような「デタッチメントからコミットメントへ」という図式には収まりきれない多様多彩な「語り/騙り」が聞こえてきます。そして、こうした「語り/騙り」に深く耳を傾けていく上で「クィアする」という本書のアプローチはこれまでにない大きな助けになるのではないでしょうか。
 

* クィアとケアのあいだ

 
第5章以降はここまで見てきた「クィア」の視点に加え「ケア」という視点から「小説を読む」営為が行われていきます。まず第5章ではこれまで映画化やアニメ化などで度々注目されてきた田辺聖子氏の「ジョゼと虎と魚たち」(1984)をアメリカの心理学者キャロル・ギリガンが1992年に提唱した「ケアの倫理 the ethics of care 」から読み解きます。
 
この点、ギリガンは道徳的発達に関する調査結果をもとにそもそも女性は男性と異なる方法で道徳的判断を行う傾向があることを突き止めその再評価を行いました。すなわち、近代以降の社会における道徳的発達の指標とされてきた伝統的な「正義の理念」では自由意志をもった自律的な主体を前提とした公平と普遍性を重視してきましたが、ギリガンの提唱した「ケアの倫理」は関係性の網の目の中において個々人は決して自由意志を持った自律的な主体などではなく、むしろ常に相互依存の関係に立っているということを前提として、ケアをされる/するといった個別的な文脈における具体的他者のニーズにどう答えていくかといった「正義の理念」からは導かれない問いを積極的に引き受けていきます。
第6章では松浦理英子氏の『犬身』(2004)を題材として前章で見た「ケアの倫理」をダナ・ハラウェイが提唱した「伴侶種 companion species」の思想との交点から読み解いていきます。一般にペットなどの別称として「伴侶動物」という用語がありますが、ハラウェイのいう「伴侶種」とは、犬あるいは動物に限った存在ではなく人間やサイボーグ、無生物をも包摂するより広範な親族カテゴリーとして想定されています。その上でハラウェイは「伴侶種」としての犬との関係を「間主体的世界に棲まう方法をさがす物語であり、それはいずれ死すべき運命を背負った関係性の、あらゆる生々しい細部において、他者と出会っていく物語」であると捉えます。これは人と犬との信頼関係の枠組みを通して、人と人との関係を改めて問い直そうとするアプローチといえます。
 
第7章では多和田葉子氏の「献灯使」(2014)を題材として障害者的かつクィアな身体性がもたらす可能性を論じています。この点、アメリカのクィア理論家リー・エーデルマンは1998年の論文「未来は子ども騙し」において現存の保守的な右派の政治にせよリベラルな左派の政治にせよ「明るい未来」を「子ども」と象徴的に結びつけている点では結局のところ変わりがないとして、そうした異性愛主義/生殖主義を前提とした既存の政治と「真に対立」するものこそが「未来」と「子ども」を結びつけない「クィアセクシュアリティ」だと主張します。さらにエーデルマンは2004年に公刊した著書「No Future」においては「子ども」に「未来」を形象化する政治的イデオロギーを「再生産的未来主義 reproductive futurism」と名指し、常に人口増加による経済の拡大を期待する資本主義と強靭で有能な経済的主体を要請する新自由主義を強固に支える再生産的未来主義の政治に対する抵抗としてのクィアネスを主張しました。そして、こうした再生産的未来主義とは別様の可能性を本書は「献灯使」の主人公である無名の障害者的かつクィアな身体性に見出していきます。
 

* 訂正可能性としてのクィア

 
差異を主張しつつも連帯を希求するということ。このようなクィア理論が抱える相矛盾する二つの指向性は、ある面で「訂正可能性」と呼ばれる論理から捉えることができるようにも思えます。
 
この点、東浩紀氏は近著『訂正可能性の哲学』(2023)においてルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキ言語ゲーム論を参照して、共同体(ゲーム)のルールとは静的に確定したものではなく、共同体に所属する個人(プレイヤー)との相互作用により動的に変化し続けていく「訂正可能性」に規定されているとして、このような「訂正可能性」から同書はジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を読み直し、ルソーの社会契約には人間は孤独な存在として「自然」の中で幸福だったにもかかわらず他者と共に「社会」を作ってしまった結果として遡行的に発見されたという「にもかかわらず」「しまった」の論理が隠されているといいます。

 

 

そうであればクィア理論における相矛盾する二つの志向性にも同様に、差異を主張している「にもかかわらず」連帯を希求して「しまった」という「訂正可能性」の論理を見出すことができるでしょう。さらには本書のいう「小説を読む」という読み手とテクストのあいだで織りなされる相互行為にしてもまた、読み手がテクストを--能動的/主体的/理性的/意識的に--読んでいる「にもかかわらず」テクストを読み手が--受動的/客体的/情動的/無意識的に--読まされて「しまった」という「訂正可能性」の論理を見出すことができるでしょう。こうした意味で本書のいう「クィアする」という営為とはある面で「訂正可能性」に開かれたひとつの実践であるといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

めぐりあわせの環の中で--映画『窓ぎわのトットちゃん』

 

* 伝説の世界的ベストセラー初の映画化

 
黒柳徹子氏がその少女時代を綴った自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』は1981年に講談社から公刊されると同時に大きな反響を呼びました。同書は発売後の1年間で発行部数150万部を超え、現在では累計発行部数800万部を超える戦後最大のベストセラーのひとつに数えられています。さらに同書は世界35ヵ国以上で翻訳出版されており、全世界累計発行部数は2500万部を突破しています。
著名人の自伝というよりも児童文学に近い趣きを持つ同書はいわさきちひろ氏のイラストとの相乗効果もあり、黒柳氏の予想を遥かに超えた幅広い層に読まれることになりました。とりわけ教育分野での反響が大きく同書は授業教材、教科書、入試問題といった様々な形で取り上げられています。その一方で出版当時、マスメディアではこの社会現象を「トットちゃん症候群」と名付けてその影響を論じたり、なぜここまで売れたのかをあらゆる角度から分析した『トットちゃんベストセラー物語』という書籍が出版されたりもしています。
 
当然のことながら同書には映画化、テレビドラマ化、アニメ化、舞台化、ミュージカル化といった数多くの申込みが殺到することになりましたが、黒柳氏は「いわさきちひろさんの絵のおかげ、ということと、読んでくださった皆さんが、すでに、御自分のイメージで、御自分の絵を作っていらっしゃるので、それをうわまわる映像は難しい、と考え、すべて、おことわりしました」と同書の3年後に公刊された文庫版のあとがきで述べています。
 
その後も長らく同書は映像化されることはありませんでしたが、2017年にテレビドラマ「トットちゃん!」において抜粋の形ながら初の映像化を果たすことになりました。そして2023年、この冬に「トットちゃん」は初のアニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』として帰ってきました。
 

* 君は、ほんとうは、いい子なんだよ。

 
本作の序盤のあらすじは次のようなものです。舞台は戦時中の東京。高名なバイオリン奏者の長女として裕福で文化的な家庭に生まれたトットちゃんは入学した尋常小学校で問題児童として扱われていました。
 
教室の机の天板が蓋になっているつくりに感動して授業中に何度も何度も開け閉めしたり、授業中に学校のそばを通りかかったチンドン屋を窓から身を乗り出して呼び込んだり、図画の授業では画用紙からはみ出す部分を机の天板に直接クレヨンで書き殴ったりと・・・こうした数々の奇行を繰り返すトットちゃんは尋常小学校を退学になってしまいます。
 
もっとも当時のトットちゃんはその状況を理解できておらず、ただ母親から新しい学校に移るのだと言われて連れていかれた先がこの物語の舞台となる「トモエ学園」です。
 
トモエ学園の門をくぐったトットちゃんがまず目の当たりにしたのが本物の電車を活用した教室でした。この「電車の教室」を見た瞬間にトットちゃんをこの学校を気に入ります。そして「どうしてみんな、わたしのことを困った子っていうの?」と問いかけるトットちゃんに、トモエ学園の校長である小林先生は「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と語りかけます。
 
黒柳氏は2006年に公刊された同書新装版のあとがきで、当時のトットちゃんの言動はLD(学習障害)の一種ではないかという指摘がこの頃多くなされている旨を述べています。今でこそ、この種の言動を児童の個性の一つとして捉え、その個性に見合った指導方法を実践している学校も少なくないはずですが、当時はLDという概念すらありませんでした。トットちゃんにとってトモエ学園との出会いは、まさに奇跡のようなめぐりあわせであったといえるでしょう。
 

* 小林宗作とトモエ学園

 
こうしてトットちゃんが通うことになったトモエ学園とは同校校長である小林宗作氏が自由が丘学園の附属幼稚園と初等部を引き継ぐ形で創設した私立学校です。同校は小林氏がヨーロッパで学んだ「リトミック(ダルクローズ音楽教育法)」を基礎とする教育実践をコンセプトとして掲げており、子どもの自由な関心や感動を起点とした教育体験の創造を目指した大正自由教育の潮流を引き継ぐその教育理念は現代の視点から見ても極めて先進的かつユニークです。
 
先述のようにトモエ学園の教室は払い下げられた電車を使用しており、各車両は教室や図書室とそれぞれ用途が決まっていて、児童はそこで授業を受けることになります。担任教師は朝に児童が教室に集まると、その日一日にやることを黒板に書き出します。そして児童たちはそのうちの好きなものから勝手に手をつけて良いと言われます。その結果、ある児童はピアノを弾き、ある児童は本を読み、ある児童は絵を描き、ある児童は外を走り始めることになります。授業は基本的に自習が中心で教師は子どもたちの自習に手を貸していくという形式が取られています。
 
また児童が持参するお弁当について小林校長はあらかじめ各家庭に対して「海のもの」と「山のもの」を(無理のない範囲で)持たせてくださいと伝え、昼食時には講堂に全校の児童を集め小林校長とその夫人がそれぞれの弁当を覗き込んでまわり「海のもの」と「山のもの」のどちらかが欠けていれば、その場で小林夫人が作ったおかずを追加していきます(原作でトットちゃんのお母さんは「こんなに簡単に、必要なことを表現できる大人は、校長先生の他には、そういない」と感心しています)。
 

* 原作の核心部を映像で物語る映画

 
さらにトモエ学園では様々な身体的なハンディキャップを背負った児童を受け入れています。その根底には「どんな体も美しいのだ」と考える小林氏の信念があります。この点、黒柳氏はトモエ学園においてはその身体の条件が徹底して個性のひとつとして扱われていたことを強調しています。
 
トットちゃんの同級生で小児麻痺を患う山本泰明ちゃんもそんな一人でした。トットちゃんは泰明ちゃんとの交流を通じて当時最先端のテクノロジーであった「テレビジョン」をはじめて知ることになり、これが後に到来するテレビ時代の申し子黒柳徹子の原風景となります。そして映画ではこのようなトットちゃんと泰明ちゃんの交流をひとつの軸として原作のエピソードを鮮やかな手際で再配置していきます。
 
『窓ぎわのトットちゃん』とはその自由奔放さ(世間はしばしそれを「障害」と呼んで切り捨てます)ゆえに「窓ぎわ」に追いやられたトットちゃんがトモエ学園に初めて家庭以外の「居場所」を見つけていく物語です。そんなトットちゃんにとってかけがえのない「居場所」であったトモエ学園のイメージを映画『窓ぎわのトットちゃん』は小林先生と泰明ちゃんという2人のキャラクターに託すことで原作が持つ核心的なテーマを「言葉」によって「説明する」のではなく「映像」によって「物語る」ことに見事に成功しています。こうした意味で本作は日本アニメーション史上におけるひとつの恐るべき達成を成し遂げた稀有な作品であると言ってしまっても決して大袈裟ではないように思います。
 

* どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている

 
それにしても、このような学校が太平洋戦争下の日本に存在していたという事実には改めて驚かされるものがあります。それは黒柳氏自身も後に強く感じたようで『窓ぎわのトットちゃん』のあとがきから察するに、小林氏は自分の教育方針と時局との相性の悪さに十二分に自覚的であり、そのため極力新聞や雑誌などの取材を拒否していたようです。まさにトモエ学園は戦時下の日本の中にほとんど奇跡的に成立していたユートピアであったといえるでしょう。
 
しかし、そんなトモエ学園の上にもやがて戦火は容赦なく降り注ぐことになります。この物語の結末はトモエ学園の焼失です。1945年春の東京大空襲でトモエ学園は焼失します。燃え上がるトモエ学園の校舎を前に小林氏は「おい、今度は、どんな学校、作ろうか?」と再起を誓い、黒柳氏は「小林先生の子どもに対する愛情、教育に対する情念は、学校を、いま包んでいる炎より、ずーっと大きかった」と語ります。この名シーンが映画では本当に素晴らしい演出で描かれています。
 
そして戦後、小林氏は焼跡にまず幼稚園を再建し、同時に国立音楽大学保育科の設立に尽力し、同学でリトミック教育を教え、附属小学校の創立にも携わったそうですが、念願であった自身の小学校を再建するという夢はついに叶わず、昭和38年に69歳で没したと、あとがきでは語られています。
 
小林氏の教育理念は「どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、まわりの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というものであったと黒柳氏は書いています。「トットちゃんの一生を決定したのかも知れない」という「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」というシンプルで力強い言葉の奥には、こうした小林氏の教育者としての揺るぎない信念があったのでしょう。
 

* めぐりあわせの環の中で

 
果たしてトットちゃんはその後どうやって「あの黒柳徹子」になったのでしょうか。実は今年『窓ぎわのトットちゃん』の「それから」を描いた42年越しとなる正統な続編が公刊されました。その名も『続 窓ぎわのトットちゃん』です。
同書は『窓ぎわのトットちゃん』を補完するトットちゃんと家族の思い出から始まり、東京大空襲後の青森での疎開生活が描かれた後、帰京したトットちゃんが香蘭女学校、東洋音楽学校を経て、偶然の契機からNHK専属俳優となり、テレビを舞台に活躍する過程が描かれています。こうしたトットちゃん=黒柳さんの歩みは、誰もが持つその人だけの「特異性」としての「いい性質」を社会や時代とのめぐりあわせの環の中で「個性」として開花させていく過程であったともいえるでしょう。
 
映画の終盤でトットちゃんは小林先生に「わたし、おおきくなったらこの学校の先生になってあげる」と告げ、小林先生は「君は、ほんとうに、いい子だな」とトットちゃんを抱きしめます。しかしその後、トモエ学園は戦火の中に焼失し、その約束は果たされることはありませんでした。
 
けれどもその後、トットちゃん=黒柳さんは『窓ぎわのトットちゃん』の公刊を始め、ユニセフ親善大使としての活動や、放送回数12000回を超えるギネス番組「徹子の部屋」を通じて、かつて小林氏が掲げたトモエ学園の教育理念を実践する道を歩んでいきます。こうした意味でトットちゃん=黒柳さんは確かに「トモエの先生」になったといえるのではないでしょうか。
 
そしてこの度、日本アニメーション史上稀にみる傑作として令和の世に産み出された映画『窓ぎわのトットちゃん』はかつて小林先生がトットちゃんに贈った「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」というメッセージをみずみずしいかたちで現代に蘇らせ、幅広い層へ送り届けていくような映画に、きっとこれから育っていくのではないかと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

デタッチメントからアンチ・ソーシャルへ--村上春樹『ノルウェイの森』試論

 

* 村上春樹の代名詞

 
村上春樹氏は河合隼雄氏との対談集『村上春樹河合隼雄に会いにいく』(1996)において小説を書き始めたきっかけは、いま思えば「自己治療のステップ」であったと振り返っています。周知のように村上氏は1978年、29歳のある日、明治神宮球場でビールを飲みながらヤクルトスワローズの試合を観戦していた最中に突然「そうだ、小説を書こう」という天啓が閃き、当時経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を切り盛りする傍らで毎日細切れの時間を見つけては小説を書くようになります。その結果生まれたデビュー作『風の歌を聴け』(1979)について氏は同対談において「文章としてはアフォリズムというか、デタッチメントというか、それまで日本の小説で、僕が読んでいたものとまったく違ったものになった」と述べています。
 
ここでいう「デタッチメント」について村上氏は川上未映子氏との対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2017)において「60年代の学園紛争の幻滅感」に由来したものであると述べています。すなわち、当時の学生運動の根底には「世界は基本的により良い場所になっていく」はずであるという「理想主義」があったはずなのに、それが「あっさり潰されてしまったこと」に対する幻滅が強く「いわゆる新左翼的な人たちの物言いに抵抗感があって、そういうものを回避しながら、自分の言いたいことを表現するには、いったいどうすればいいのか」という模索の中から表明された態度こそが「デタッチメント」であったということです。
 
けれども小説家としてやっていくためにはそれだけでは足りないと感じていた氏はその「デタッチメント」の部分をだんだんと「物語」に置き換えていくようになります。その試みは初の本格的な長編である『羊をめぐる冒険』(1982)を経て氏の代表作の一つとなる『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)へと結実しました。そして、ここから氏がさらに作家としてもう一段階の成長を遂げるべく「個人的実験」として「リアリズムの文体」を追求した作品が氏の5作目の長編小説であり、村上春樹という作家の代名詞ともなるベストセラー小説『ノルウェイの森』(1987)です。
 

* 美少女ゲームのような物語?

本作『ノルウェイの森』は2009年の時点で単行本上下巻と文庫本の総発行部数が1340万部に達したとされています。また本作は2010年にはトラン・アン・ユンの脚本・監督で映画化もされています。その一方で本作は村上氏自身によって「もうこういうのは二度と書きたくない」「あくまで例外」という鬼子のような作品として語られています。本作のあらすじは次のようなものです。
 
時に1968年春、東京の私立大学に入学した主人公の「僕(ワタナベトオル)」はある日、自殺した高校時代の友人キズキの恋人だった直子と偶然、東京で再会します。やがて二人は休日に会い、デートを重ねるようになり、翌1969年の4月、直子の20歳の誕生日に「僕」はどういうわけか情緒不安定になってしまった彼女と成り行きで一晩を共にすることになりますが、その直後、彼女は消息を絶ってしまいます。
 
5月になると「僕」の通う大学は「大学解体」を叫ぶ学生達によるストに突入します。7月に直子から「僕」に手紙が届き、その文面から現在の彼女が何らかの精神の不調を抱えていることが窺い知れました。その後、大学には機動隊が入り、立てこもっていた学生は全員逮捕されます。こうして機動隊の占拠下で講義が再開された9月「僕」はたまたま同じ講義に出席していた緑という同級生女子と懇意になります。
 
そんな折、直子から手紙が届きます。「僕」は現在彼女が入所している京都の療養施設「阿美寮」を訪れ、直子や年長のルームメイトであるレイコと数日を過ごすことになります。その後、しばらく「僕」は直子と手紙をやりとりして「僕」の誕生日の3日後には直子からレイコと一緒に編んだというセーターが届きました。冬にも「僕」は再び「阿美寮」を訪れますが、この頃から彼女の病状は少しずつ悪化の兆しを見せていました。
 
そして1970年となり「僕」はそれまで住んでいた学生寮を出て吉祥寺の郊外の一軒家でひとり暮らしを始めます。4月初めレイコから直子の病状が悪化したことを伝える手紙が届きます。6月半ば、2か月ぶりに再会した緑から好意を告げられた「僕」はレイコに今後自分はどうすればよいかという教えを乞う手紙を書き、レイコの返事は緑との交際を勧めるようなものでした。
 
その後「僕」は直子が自死したことをレイコから知らされます。葬儀の後「僕」が1ヶ月の放浪の末に東京に戻るとほどなくしてレイコから手紙が届きます。レイコは8年間過ごした阿美寮を出ることにしたといいます。東京で「僕」と再会したレイコは「僕」の家で直子の葬式をやり直そうと提案します。翌日、旭川へ向かうレイコを上野駅まで送った後「僕」は緑に電話をかけてその想いを伝えます。
 
こうして改めてあらすじを書き出してみますとまるで一昔前の美少女ゲームのメリー・バッドエンドのようにもみえてきますが、このような印象はもちろん転倒しているわけで、美少女ゲームを始めとしたゼロ年代以降のオタク系文化全体の方こそが本作の決定的な影響下に置かれていたといえます。ある意味で本作は純文学の世界以上にサブカルチャーの領域に絶大なインパクトをもたらした作品といえるでしょう。
 

* デタッチメントの到達点?

 
先述したような村上氏が小説を書くようになった経緯からいえば本作は氏のいうところの「自己治療のステップ」としての「デタッチメント」を「リアリズムの文体」によって突き詰めた作品であると、ひとまずはいえるでしょう。例えば宇野常寛氏は村上作品を包括的に論じた『リトル・ピープルの時代』(2011)において見田宗介氏と大澤真幸氏の議論を批判的に継承して戦後日本社会を「ビッグ・ブラザーの時代(〜1968年)」「ビッグ・ブラザーの解体期(1968〜1995)」「リトル・ピープルの時代(1995〜)」という3つの時代に区分した上で、1960年代末の「政治の季節」の終焉から出発した作家である村上氏が打ち出した「デタッチメント」という倫理を「ビッグ・ブラザーからのデタッチメント」として捉え、かかる「デタッチメント」の徹底を「ナルシシズムの記述法」として確立した作品が本作であると位置付けています。
また宇野氏は再度村上作品を論じた近著『砂漠と異人たち』(2022)においても本作は「デタッチメント」という新しい生のモデルから「60年代末の記憶」を清算したものであると述べています。本作において「僕」は古い時代の象徴(=直子)の死を受け入れて新しい時代の象徴(=緑)へと手を伸ばします。本作は「あなた、今どこにいるの?」という緑の問いかけを受けた「僕」の「僕はどこでもない場所のまんなかから、緑を呼びつづけていた」というモノローグによって幕を閉じますが、この結末に村上氏自身の創作コンセプトが示されていると宇野氏はいいます。すなわち、そこが「どこでもない場所」でしかあり得ない新しい時代の中で世界に触れるための蝶番(=緑が体現するもの)を求める行為こそが「デタッチメント」のもたらす虚無に耐えることができる「ナルシシズムの記述法」を完成させるために必要であったということです。
こうしてみる限り本作は村上氏がデビュー以来模索し続けてきた「デタッチメントの到達点」として宇野氏のいうところの「ナルシシズムの記述法」を提示した作品といえるでしょう。もっともその後、阪神大震災地下鉄サリン事件に象徴される1995年前後において村上氏はよく知られた「デタッチメントからコミットメントへ」という転回を果たすことになります。すなわち、マルクス主義に象徴される「ビッグ・ブラザーの時代」が生み出した「悪」の解体を見届けた氏はここからさらにオウム真理教に象徴される「リトル・ピープルの時代」がもたらす「悪」との対峙へ向かうことになりました。
 
では、いまや本作は「デタッチメントからコミットメントへ」という転回によって乗り越えられた過去に属する作品ということになるのでしょうか?そもそも「本当に」本作は「デタッチメントの到達点」であるといえるのでしょうか?
 

* 永沢さんという存在

 
本作は村上氏自身が手掛けた「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーや氏の「直子のいる京都の療養所の世界、あっちの世界だし、緑のいる東京の世界、これはこっちの世界」といった自作解説を踏まえて、主人公である「僕」をめぐる2人のヒロインである直子と緑が持つ「陰と陽」「死と生」「内閉と開放」「過去と未来」といった対照性から、前者を葬送して後者を希求する過程として「僕」の「恋愛」を描き出した作品として一般的に読み解かれてきました。
 
これに対して加藤典洋氏は『村上春樹は、むずかしい』(2015)において本作が「これまでにないダイナミズム」を持つことになった要因として、この2人のヒロインの対照性に加え「僕」が入所した学生寮の先輩である「永沢さん」の存在に注目します。
東京大学法学部の学生である永沢さんは裕福な実家と優秀な頭脳と卓抜したコミュニケーション能力を併せ持った人物として描かれます。永沢さんは外交官を志望しています。その理由として彼は「ゲームみたいなもんさ。俺には権力欲とか金銭欲とかいうものはほとんどない」「ただ好奇心があるだけなんだ。そして広いタフな世界で自分の力を試してみたいんだ」と述べます。
 
そして彼は「理想というようなものも持ち合わせてないんでしょうね?」と問う「僕」に対して「もちろんない」「人生にそんなもの必要ないんだ。必要なものは理想ではなく行動規範だ」と断言します。
 
この点、加藤氏は同書において村上氏がその前半において「デタッチメントの作家」であったという一般的な評価について「デタッチメントをどのように受け取るかによるにせよ、これはさほど正確な把握ではない」と述べています。そして加藤氏は村上作品における「デタッチメント」をある意味で真に体現した存在として本作の永沢さんを位置付けています。どういうことでしょうか?
 

*「マクシム」としてのデタッチメント

 
まず加藤氏は村上氏のデビュー作『風の歌を聴け』は次のような二つの点で戦後の日本文学史において画期的な意義を持っているといいます。
 
その一つは同作が戦後の日本文学史に表れた最初の「肯定的なことを肯定する」ことに自覚的な作品であったということです。換言すればそれは「否定性を否定する」ということでもあります。この点「近代」とは既存の秩序や権威を否定するという「否定性」に駆動された時代であったといえます。こうしたことから「近代」における文学もまた既存の秩序や権威を象徴する〈家〉や〈父〉に対する「否定性」を反復して描き出してきました。これに対して同作が描き出した「肯定的なものを肯定する」という態度は、このような従来の文学における「否定性」への依存を断ち切ることを意味しています。
 
もう一つは「近代」における「否定性を否定する」ことが同作の中で「悲哀を浮かべている」ということです。「近代」が終わりつつあった当時「否定性」に駆動された従来の文学は一般社会から徐々に「古めかしいもの」「暗いもの」として忌避されるようになり、もはや肺結核にかかり青白い顔を浮かべることに何の文学的意味もなくなってしまいました。こうした時代の転換期において同作は「近代」という時代を駆動してきた「否定性」の没落をいち早く受け入れながらも同時にその「悲哀」をも繊細に描き出していました。
 
そしてその後、1980年代に入ると消費化と情報化を核とした高度資本主義社会の全面化やポストモダン状況の進展によって、同作が予告した「肯定的なものを肯定する」という態度がもう誰も否定できない現実となって姿を表すことになります。こうして時代が「欲望の全肯定」へと向かう中、村上氏は社会とのあいだに距離を置く「デタッチメント」に自分の足場を見出すようになりました。
 
ここでいう「デタッチメント」を加藤氏はカント哲学でいうところの「マクシム」として捉えています。すなわち、当時の村上氏は万人共通の定言命題としての「モラル(道徳)」が失効した時代における抵抗の起点を個人的な行動規範としての「マクシム(格率)」に見出そうとしていた、ということです。
 

* デタッチメントから遠く離れた場所で

 
このような「マクシム」としての「デタッチメント」は当時『羊をめぐる冒険』などの新しい主人公像を通じて若い読者に圧倒的に支持されることになりました。そして本作におけるこの「マクシム」としての「デタッチメント」の正統な継承者こそが「理想」よりも「行動規範」を重んじる永沢さんです。けれども本作において(少なくとも「僕」の視点から見ると)永沢さんはどちらかといえばネガティヴなイメージで描かれています。
 
その一方で本作の「僕」は永沢さんのような堅牢な「マクシム」を持たない「普通の人間」として描かれています。ところが加藤氏はこの「僕」を村上作品史上で後にも先にもなく「画期的」な主人公像として評価しています。
 
加藤氏はその象徴的な例として次のような場面を挙げています。永沢さんにはハツミさんという恋人がいます。にもかかわらず永沢さんは女遊びをやめません。ハツミさんに好感を抱く「僕」は永沢さんに誘われてナンパの片棒を担ぎながらも永沢さんの振る舞いに倦厭の情を抱きつつもありました。
 
そんな中、永沢さんの外務公務員採用一種試験合格のお祝いの席上でハツミさんからなぜ大事な恋人がいるのに他の女と寝たりするのかと問い詰められた「僕」は「そういう肌のぬくもりのようなものがないと、ときどきたまらなく淋しくなるんです」と狼狽えながら釈明します。
 
このように本作の「僕」はかつてのような「マクシム」としての「デタッチメント」を遂行する従来の「僕」からは程遠い、行き当たりばったりでどっちつかずな人物として、あるいは無節操で無防備で凡庸ですらある人物として描かれます。
 
しかし換言すれば本作の「僕」は従来の「僕」のように「マクシム」という安全圏に立てこもることなく、その外側で実存的な生を徒手空拳で試みていたということです。だからこそ多くの読み手がこれまでの「僕」以上に本作の「僕」に対して親しみと共感を覚えたのではないでしょうか。こうした意味で本作はむしろ「デタッチメントの到達点」から遥か遠くの場所に位置する作品であるともいえるでしょう。
 

* クィアするノルウェイの森

 
ところでここまでみた本作の読解はいずれも、あくまで主人公の「僕」を中心とした読解です。これに対して武内佳代氏は『クィアする現代日本文学』(2023)において「僕」の語りの周辺部に位置するものとしてこれまで看過されがちだった直子やレイコさんといった阿美寮の女性たちの語りに目を向けたクィア・リーディングを提示しています。
この点、本作においては「僕」の直子への愛がその主調音をなしていますが、直子が自死した後この世界に残された「僕」が心の中で語りかける相手は直子ではなくキズキでした。ここで「僕」の「おいキズキ、お前はとうとう直子を手に入れたんだな」「直子はお前にやるよ」という語りは、フェミニズム批評の観点から女性をモノとしてやり取りすることに何の疑問も持っていないとして批判されていますが、その一方でこの「僕」の語りは直子への愛情がキズキとの強固なホモソーシャルな関係から成り立っていたことを示しています。さらに「僕」は大学入学後、永沢さんともホモソーシャルな関係を結ぶことになります。
 
ここでいう「ホモソーシャル」とはアメリカの文学者イヴ・コゾフスキー・セジウィックが提唱した概念で、女性の争奪・交換や同性愛嫌悪を媒介として成立する異性愛男性同士の連帯関係を指しています。そして同書はここでこうしたホモソーシャル性を単に非難するよりも「むしろ、直子がそうした彼らの絆をずらすようなパロディー的な態度をとること」に注目します。
 
例えば阿美寮での直子はレイコさんに「僕」を「ときどき貸してあげるわよ」と笑顔で言い放ち、レイコさんも「まあ、それなら悪くないわね」と応じており、また「僕」の20歳の誕生日にはレイコさんと合作したセーターを二人の手紙を添えて送るなど、いわば「僕」を媒介とした女性同士の親密な連帯関係を築いています。
 

* 直子におけるクィアな欲望

 
この点、直子にとってレイコさんは彼女の実の姉を彷彿させる存在です。直子が小学6年生の時に自死した彼女の姉はある意味でキズキ以上に親密な存在であり、むしろ直子はキズキの方に姉の面影を投影していた可能性があると同書はいいます。
 
すなわち、直子のキズキに対する性的不能は姉への性的欲望に対する二重の禁止、すなわち近親相姦と同性愛によるものとも読み解けます。また直子が隠し持つ亡き姉への深い欲望は直子の自死の仕方がキズキの自死排気ガス吸引)よりも姉の自死(首吊り)とよく似ていることからも窺うことができます。そうであれば直子の自死の背景にはキズキの死よりも姉の死の方が深く関わっていることが見えてきます。
 
こうしてみると第一章で「ノルウェイの森」を聴いた現在の「僕」が最初に引き戻された「草原の風景」での直子との謎めいたやりとりの意味も明らかになります。ここで直子は「僕」に「本当に深い」井戸に落ちて「ひどい死に方」をする恐怖を語りますが「僕」はその「井戸」を現実に実在する井戸としか受けてとめていません。けれども村上作品読解の通例に従い、ここでいう「井戸」を精神分析でいうところの欲動の溜まり場である「イド(id)」として読み解くのであれば、直子の恐怖とは自身の「イド」に存在する姉への強い性的欲望に対する恐怖であったことがわかります。
 
しかしながら何の疑問もなく異性愛規範を内面化している「僕」はそんな直子の「イド」に、すなわち近親相姦的でクィアな欲望に気づくことはありません。だからこそ直子は「僕」に対して「こうしてあなたにくっついている限り、私も井戸に落ちない」と語ります。すなわち「僕」の鈍感さが直子にとってはここで逆説的な救いになっているということです。
 
けれども阿美寮での直子は「僕」を媒介としてレイコさんとの間に再び亡き姉との強い絆を結び直し最終的に「イド」へと向かいます。そしてそれはレイコさんもまた直子との絆を求めていたことにも起因しています。
 

* レイコさんの正体

 
あらためてレイコさんとは何者なのでしょうか。「僕」は初めて阿美寮を訪れた際、一目でレイコさんに好感を持ち、以降レイコさんがもたらす情報に疑いを抱くことはありません。それは当然「僕」と視点を等しくする読者にも共有されます。しかしレイコさんが7〜8年もの間、阿美寮で暮らしている患者であることを考えると、果たして彼女の語りを文字通りそのまま受け止めていいのかという疑念が生じてきます。
 
まず同書は本作の20分の1にも相当する過剰な語りであるレイコさんの(彼女が阿美寮に入寮するきっかけとなった)レズビアン体験の告白に注目します。ピアニストになる夢を断念した彼女は結婚後「天使みたいにきれい」で「病的に嘘つき」な少女にピアノを教えることになります。当時レイコさんは31歳、少女は13歳です。
 
しかし少女は「筋金入りのレズビアン」でレイコさんはレッスン中に肉体関係を迫られます。そしてレイコさんの「もっとしてほしかったのよ。でもそうするわけにはいかないのよ」という言葉は同性愛的な欲望を自認しながらも社会の異性愛規範によって断念しなければならないという「抑圧」を語っているようにもみえます。
 
この点、同書はレイコさんと嘘つきの少女はアナグラムのように31歳と13歳という数字を入れ替えただけの存在であり、かつ「話しが上手くて」「人の感情を刺激して動かすのが実に上手い」と嘘つきの少女を評するレイコさん自身も「僕」が「シエラザード」に喩えるような魅惑的な語り手であることからレイコさんが「あの子」と呼ぶ嘘つきの少女は実はレイコさん自身ではないかと推測します。すなわち「ありとあらゆる嘘」をつき「自分でもそれを本当だと思い込んじゃう」という「虚言症」こそがレイコさんを長年、阿美寮にとどめさせた病にほかならないのではないかということです。
 

* レイコさんの語り/騙り

 
このように嘘つきの少女=レイコさんだとすれば彼女の「語り」は自ずから「騙り」の性質を帯びてきます。この点、直子の死までの約半年間について手紙で様子を知らせてきたのは直子本人ではなくレイコさんです。先に少しみたように「僕」はレイコさんと手紙をやりとりする中で緑への愛を告白し「僕はいったいどうすればいいのでしょう?」と相談を持ちかけ、レイコさんは「僕」に緑との交際を促しながらも「あの子には黙っていることにしましょう」と提案します。そして本作の第十章はこのレイコさんの手紙で閉じられます。
 
しかし次の最終章の冒頭では唐突な形で直子の死が伝えられることになります。このプロットは「あの子には黙っていることにしましょう」という約束が遵守されなかったことを物語っているようにも見えます。
 
もし仮に直子を自死に追いやったのがレイコさんだとすれば、一体それはなぜなのでしょうか?単純に異性愛主義的に捉えればそれは「僕」を直子から奪うためとも読めそうです。しかし嘘つきの少女=レイコさんだとすれば、彼女の欲望はやはりレズビアン的なそれとして読み解かれる必要があるのではないでしょうか?少なくとも事実として直子の死に際を「僕」に伝えるレイコさんの「語り/騙り」は濃厚なまでのレズビアン・エロティシズムに満ちています。
 
いかに阿美寮で絆を深めようと直子が同性愛者でない限りは、いずれレイコさんは直子を「僕」あるいは別の男性に譲り渡す日が来るでしょう。女性同士で手紙を綴ったりセーターを編んだり心を打ち明け合う彼女たちの寮生活は、いわばエスの関係が許容されていた女学生のモラトリアムのようなものでしかなく、レイコさんがそのような甘美なモラトリアムを永遠のものとするには直子の死の唯一の立会人になり、なおかつ「語り/騙り」によって直子とのロマンスをアクチュアルなものにしてしまう以外に方法はなかったでしょう。
 
そして、そのような「語り/騙り」を通して自己の抑圧していたクィアな欲望をアクチュアルのものとして結実させることができたからこそ彼女は8年もいた阿美寮を後にできたのではないかと同書は述べています。換言すればレイコさんは自身のうちに宿るクィアな欲望を実現するため「僕」と緑の恋愛を利用していたとさえいえるでしょう。
 

* デタッチメントからアンチ・ソーシャルへ

 
こうしてみると同書が指摘するように「僕」を介した直子とレイコさんの関係性は「僕」が反復するホモソーシャルな関係性の遊戯的な転換にとどまらず、その裏側には女性同士のクィアな愛のかたちと、その愛のかたちを永遠のアクチュアリティへと昇華する「語り/騙り」の力があり、そしてそれは「僕」が無自覚に依拠する異性愛主義を脱構築することになります。
 
さらに付言するのであれば、本作における「影の主役」とさえいえるレイコさんの振る舞いはクィア理論でいうところの「アンチ・ソーシャル的転回」を想起させるものがあります。ここでいう「アンチ・ソーシャル的転回」とはマジョリティにとって都合の良い限りでマイノリティとしてクィアを承認するような現代社会の傾向を批判する議論をいいます。
 
例えば、その一角と目されるクィア理論家リー・エーデルマンはその著作『ノー・フューチャー』(2004)所収の論考「未来は子供騙し」で現行社会における自明の「正しさ」とされる「(再)生産の信仰」を「再生産未来主義」と名指し、右派の優生思想のみならずリベラル左派がしばし掲げる「未来の子どもたちのために」などといった一見口当たりの良いスローガンを批判します。
 
エーデルマンはこうした〈未来=子ども〉というスローガンの奥に潜む、絶えざる再生産と保全を肯定する根源的に「保守的」な身振りを剔抉して、異性愛規範に基づく現行社会秩序が暗黙のうちに強制する(再)生産に反対し未来に反対し「死の欲動」を積極的に担う者、それこそがクィアであると主張します。
 
そうであれば社会に背を向け残りの人生を直子との思い出の世界の中で生きることを選んだレイコさんもまた、恐ろしくラディカルな形で「死の欲動」に取り憑かれた1人であったといえるでしょう。こうした意味においても本作は「デタッチメントの到達点」といった一般的な評価には到底回収し尽くせない複雑な響きとアクチュアルな問いを内在させた作品であるといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これから河合隼雄にざっくり入門するためのおすすめ7冊

* こころの処方箋(1992年)

⑴ 時代を超越した不動のロングセラー
 
日本を代表する臨床心理学者、河合隼雄氏は1965年にスイスのユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を取得して、箱庭療法をはじめとした心理療法の導入や臨床心理士の資格整備に尽力したことで知られています。また氏は日本人の精神構造や日本文化を深く洞察し続けた思想家であり、晩年には文化庁長官も務めており、その著作は学術書からエッセイに至るまで実に200冊を超えています。
 
その膨大な著作群の中でもっとも一般的によく知られた一冊として本書『こころの処方箋』が挙げられます。1992年に公刊された本書は当時、折りからの心理学ブームもあって同年のベストセラーランキング10位に入っています。さらにその後30年以上もの間、本書は幅広い層に読み継がれ、時代が平成から令和に移り変わっても、その内容はいまだ全く色褪せることなく公刊から現在に至るまで時代を超越した不動のロングセラーの一角を占めています。
 
⑵ 未知の可能性と二律背反性
 
本書の冒頭に置かれたエッセイ「人の心などわかるはずもない」では一般的に臨床心理学の専門家というと人の心がすぐに「わかる」と思っているようだが、むしろ専門家の特徴とは人の心がいかに「わからない」ものであるかを「確信をもって知っている」ところにあるとして「心の処方箋」とは「体の処方箋」と異なり、未知の可能性に注目してそこから生じてくるものを尊重しているうちに自ずから生まれてくるものであると述べられています。
 
そして次のエッセイ「ふたつよいことさてないものよ」では、人の心の二律背反性が述べられています。ここで氏のいう「ふたつよいことさてないものよ」とはひとつ良いことがあるとひとつ悪いことがあるとも考えられるということで、逆に何か悪いことがあってもよく目を凝らしてみると、それに見合う良いことが存在していることが多いということです。
 
こうした洞察は氏の臨床経験から確信的に導き出されたものでしょう。カウンセリングや心理療法においてはクライエントの置かれた状況からカウンセラーが行うべき援助に至るまで様々な未知の可能性と二律背反性に満ちています。そして人生もまた同じく未知の可能性と二律背反性に満ちています。絶頂は転落の始まりであり、暗闇の中に光明が見出され、絶望と希望は相転移するということです。
 
⑶ 常識なき時代を生きていくための常識
 
こうした未知の可能性と二律背反性を持つ「こころ」なる厄介なものにいかに関わり、その「こころ」と共にいかに生きていくかという観点から本書では様々な「こころの処方箋」が提示されます。
 
「100%正しい忠告はまず役に立たない」「100点以外はダメなときがある」「マジメも休み休み言え」「こころのなかの勝負は51対49のことが多い」「ものごとは努力によって解決しない」「うそは常備薬 真実は劇薬」「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」等々といった逆説的なタイトルは「こころ」がいかに未知の可能性と二律背反性に満ちたものかを如実に物語っています。
 
本書が提示する「こころの処方箋」はそのいずれも単なる「優しさ」だけではなく確かな「厳しさ」も併せ持っています。そして、このような「優しさ」と「厳しさ」から成り立つ卓越したバランス感覚もまた、長らく心理療法家として「こころの現場」に立ち会い続けてきた河合氏の豊富な経験と深い洞察に裏打ちされているという事はいうまでもないでしょう。
 
河合氏は本書は皆がすでに腹の底では知っているはずの「常識」を売り物にした本であると述べています。しばし「ポストモダン」とも呼ばれる現代はある意味で社会共通の規範というべき「常識」が失効した時代といえます。そこでは誰かにとっての「常識」は時として別の誰かにとっての「非常識」ともなり得るでしょう。こうした意味で本書はいわば「常識」なきポストモダンを生きていくための「常識」を示した一冊であるといえるでしょう。
 

* カウンセリングを語る(上)(1985年)

⑴ カウンセリングを基礎から語る講演集
 
河合氏の最大の功績はまずは何といってもカウンセリングを日本に普及させた点にあります。1965年に河合氏がスイスから帰国した当時の日本ではカウンセリングや心理療法については一般にあまり知られていませんでした。そんな折、四天王寺の人生相談所から招きを受けた氏は四天王寺で年一回開催されるカウンセリング研修講座で講演をするようになります。その講演記録をまとめたものが上下巻からなる『カウンセリングを語る』です。
 
その上巻となる本書ではカウンセリングの基礎中の基礎が極めて分かりやすいことばで、文字通りの初歩の初歩から語られます。この点、本講演の聴衆は主に学校の先生方で当時は校内暴力が社会問題化していたという背景もあり、この講演では主に中高生にどう接していくかという点に主眼が置かれています。
 
ここで河合氏は「教育」とは文字通り「教える」という側面と「育てる」という側面があるとして、学校教育ではもっぱら「教える」ことに重点が置かれるけれど、実際には「教える」ための土台として「育てる」ことが入っており、カウンセリングではどちらかといえばこの「育てる」ということが重視されるといいます。
 
すなわち、カウンセラーはクライエントに対し、河合氏のいうところの「自由にして保護された空間」を提供する役割を担い、カウンセリングとはまず相手のことばを耳を傾けて「聴く」という営為からはじまります。こうしたことから本書においてはカウンセリングにおける「聴く」ことの重要性が繰り返し強調されています。
 
まずは聴く。ひたすら聴く。いろいろな先入観や価値判断はとりあえず脇に置いてとにかくクライエントの語りに耳を傾けていくということ。このようにカウンセラーとはクライエントのどのような話を聴いても、同じ話を何度もなんども繰り返し聴いても、常に生き生きとした共感を持って聴ける人でなければならないということです。
 
⑵ カウンセリングにおける二律背反性
 
しかしながら、ひたすら人の話を聴いてさえいればそれでカウンセリングになるのかというと、もちろんそんなわけはありません。しばしカウンセリングにおいてはあちらに立てばこちらに立たずというような二律背反的な状況に直面することがあります。
 
例えばカウンセラーの基本的態度を明らかにしたものとして大変有名な「ロジャーズ三原則」というものがあります。それは次のようなものです。
 
a 無条件受容(無条件の肯定的関心)・・・クライエントの表現したものがどんな内容であろうとも、それはその人の内的体験に基づいたその人なりの表出であるということを認め、批判や評価などの一切の価値判断をせず、ありのままに受容すること。
 
b 共感的理解・・・クライエントの「いま、ここ」にある私的な内面世界を、「as if(あたかも自分の事の様に)」感じ取ること。そして「as if」という態度をどこまでも失わないこと。
 
c 自己一致(真実性)・・・自身のなかに流れる感情や思考といった体験に対して、あるがままに驚く時は驚き、悲しむ時は悲しむ、という自身の内的体験と外的表出のとの間に不一致がないこと。
 
来談者中心療法を創始したアメリカの臨床心理学者カール・ロジャーズは、人は誰しも先天的に「自己を成長させ、実現する力(自己実現傾向)」と「自らの力で心と体を治していく力(自己治癒能力)」を持っており、植物が光・水・養分・空気があれば、生命本来の力でひとりでに育っていくように、人も心に適した環境さえあれば、その人の自己実現傾向・自己治癒能力が発現して症状や悩みが解消に向かうといいます。そして、ここでいう「光・水・養分・空気」に当たるものが、カウンセラーの基本的態度としての「受容・共感・自己一致」ということになります。まさに河合氏のいう「育てる」という態度です。
 
受容・共感・自己一致。これらひとつひとつはそれ自体は疑いもなく正しいと思います。ですが、この三原則を「同時に」実行することがいかに難しいかは少し考えればわかることです。例えば「これから親父をぶん殴ってくる」などという中学生とか、どう考えても怪しげなカルト宗教の素晴らしさを延々と語る人など、どうにも同調できないクライエントの語りをカウンセラーが表面的には「受容しているふり」をして聴きつつも本心では否定している場合、その時点でもう「自己一致」していないことになります。すなわち、無条件受容と自己一致は矛盾する一面を孕んでいるわけです。
 
そのほかにも理論と実際、母性と父性、治療過程の明と暗。このような一見矛盾するかに見える二律背反的な状況がカウンセリングではしばし生じます。そこで大局的見地からその本質を見極め、その矛盾を死に物狂いで統合しようして、初めてカウンセラーの態度は「生きた態度」になるということを、本書において河合氏は手を替え品を替え説いておられます。
 

* カウンセリングを語る(下)(1985年)

⑴ カウンセリングにおける理論と技法
 
上巻が基礎編だとすれば、下巻である本書はいわば応用編です。カウンセリングにおける理論と技法、カウンセリングと日本社会、カウンセリングと宗教、そして「たましい」の問題へとそのテーマは多彩に広がっていきます。
 
周知のようにカウンセリングの理論や技法は様々な学派に分かれていますが、このような学派を一体どのように考えたら良いのかという問題があります。これに対する一番「正しい」答えとはもちろん、いろんな学派があるけれど、そういうものにとらわれず自分の生身を投げ出してクライエントにまっすぐに向き合えばいいんだ、ということになるのでしょう。
 
この答えは決して間違ってはいません。決して間違ってはいませんが悲しいことに人は「とらわれるな」といわれてしまうと、常に既にその「とらわれるな」というテーゼにとらわれてしまうため、その「とらわれるな」という境地に真に達するまでは我々はいろいろな「とらわれ」を経由することになります。そして、その「とらわれ」の「入り口」ないし「引っかかり」として学派というものがあるわけです。そこで本書はこのような各学派の相違について次のような図を示しています。
 
 
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(『カウンセリングを語る(下)』より引用)
 
 
この点、クライエントの外的現実(意識における心的現実)を問題にして、クライエントの行動に「指示」を与えることで治療過程も外的方向(症状の解消)に進むのが行動療法です。そしてクライエントの外的現実を問題にしながらも、クライエントの語りを「受容」することで治療過程の内的方向(心理的問題の解決)を重視するのがロジャーズの来談者中心療法です。
 
これに対して精神分析創始者であるオーストリア精神科医ジークムント・フロイトフロイトから離反し分析心理学を立ち上げたスイスの精神科医カール・グスタフユングはクライエントの内的現実(無意識における心的現実)を問題にします。
 
もっともフロイトの場合、クライエントの内的現実を問題にしつつも、クライエントの語りに「解釈」を投与して治療過程としてはあくまで外的方向に向かっていきます。これに対してユングの場合は他の学派のような「指示」も「受容」も「解釈」もしません。では何をするのかというと「コンステレート」をします。
 
ここでいう「コンステレート」とは日本語でいえば「めぐりあわせを待つ」ということです。すなわち、結局のところクライエントが「治る」というのは様々な「めぐりあわせ」の結果であり、それゆえに良き「めぐりあわせ」がくるまでひたすら「待つ」というのがユング派の、そして河合氏の方法論であるということです。
 
このようにカウンセリングや心理療法の学派は理論上はこのような「指示」「受容」「解釈」「コンステレート」の四象限に峻別されます。けれども実際の臨床において優れたカウンセラーはこの四象限を変幻自在に往還しています。すなわち、その「入り口」ないし「引っかかり」はそれぞれ随分と離れているけれども、その「ゴール」は自ずとみんな似通ってくるということです。
 
⑵ 母性原理と父性原理
 
また本書では日本のカウンセリングにおける「父性原理」の必要性が強調されています。これは西洋に比べ「母性原理」が強い日本社会の構造を鑑みてのことであると思われます。つまり、カウンセリングにおいてはクライエントを包み込む「優しさ」だけではなく時には突き放す「厳しさ」も必要とされるということです。本書のメタファーでいえば、ただ甘いだけのぜんざいよりもほんの少し塩を混ぜたぜんざいの方が美味しいということです。
 
もちろんそれは、あくまで「母性原理」を大前提とした上で、そのうえで「父性原理」をいかに取り入れていくかというバランス感覚の問題であり、河合氏も厳重に釘を刺すように「優しさ」よりも「厳しさ」が大事であるといった単純な話ではありません。なお現代における心理療法の多くはこうした意味での「母性原理」と「父性原理」の両方の統合を志向しています。例えば近年において第3世代の認知行動療法として注目を集めるアクセプタンス&コミットメント・セラピーではクライエントの置かれた「今このとき」を受容する「母性原理(アクセプタンス)」とクライエントが自らが掲げた「価値」へと踏み出していく「父性原理(コミットメント)」から成り立っています。
 
『カウンセリングを語る』は上下巻を通じて「なぜだかわかりますか?」という問いかけが非常に多く、読み手はここで一度立ち止まって考えさせられます。また、一つのことを強調した後には「次にまた反対のことを言いますが」とか「間違わないようにしてくださいね」などと釘を刺し、読み手が「これはこうだ」という「型」には嵌らないように戒めています。穏やかで飄々としていながらも信念をもって熱く語る名調子はカウンセラー志望者や教育関係者から対人援助に従事する方々や日常的なコミュニケーションの在り方に悩む方々に至る幅広い読み手に様々な示唆を与えてくれるようにも思えます。
 

* コンプレックス(1971年)

⑴ 感情に色づけられたコンプレックス
 
先述したようにユング派においてはクライエントの内的現実が、すなわち「無意識」が重視されます。そしてこのような意味での「無意識」を突き動かす大きな力となるものが「コンプレックス」です。
 
人は常に自分の自由意志に基づいて理性的に自律的に主体的に動いている--と思っていたりするわけです。しかし常にそうであるとは限りません。ある種のメンタルヘルスの疾病のように自分の意志とは異なる行動が生じてくるため悩んでいる人も多いでしょう。
 
また「正常」な人でもその日常において自身の理性、自律性、主体性がどこかしら脅かされると感じられる現象にしばし遭遇します。例えば前からよく知っている人なのにその人の前に行くと突然その名前をど忘れてしてしまったり、大事なところで妙な言い間違いをしてしまったり、またある人物や対象に対して感情を過剰に掻き乱されてしまったりもします。この点、ユングは言語連想検査を通じて意識を統合する自我を脅かす何らかの感情に色付けられた無意識の心的作用を発見し、これを「コンプレックス(心的複合体)」と呼びました。
 
こうしたコンプレックスが自我を完全に乗っ取ってしまう劇的な表れとして同一個人に異なった二つの人格が現れる二重人格や自分が複数存在として体験される二重身(分身体験)があります。そこで自我はその安定を図るためコンプレックスに対して様々な自我防衛の機制を用います。その代表格がコンプレックスを完全に抑え込んでしまう「抑圧」です。
 
しかし、コンプレックスというのはなかなか簡単には抑圧できないので自我は次善の策として他の自我防衛の機制を発動させます。それは例えば、コンプレックスを他人に転嫁する「投影」であったり、コンプレックスとは全く逆の行為に走る「反動形成」であったり、コンプレックスとは似て非なる対象を選択する「代償」であったり、コンプレックスを取り込んでしまう「同一化」であったります。
 
⑵ 可能性の在り処としてのコンプレックス
 
また、コンプレックスというのは多層構造を持っており、例えば「料理コンプレックス」を持つ人の話にずっと耳を傾けていると、やがて「カイン・コンプレックス(兄弟姉妹間のコンプレックス)」が明らかになったというように、あるコンプレックスの下に別なコンプレックスが隠れていることが多かったりもします。
 
この点、コンプレックスの多層構造の最深部にある根源的なコンプレックスとしてフロイトは両親に対する愛憎から生じる「エディプス・コンプレックス」を見出しましたが、ユングと同様にフロイトと決別して個人心理学を立ち上げたアルフレッド・アドラーは生来の劣等感に由来する「劣等コンプレックス」を見出しました。
 
確かにアドラーのいう劣等コンプレックスは一般的にも「劣等感=コンプレックス」という理解が成り立っていることから直感的にわかりやすく、実際その理解で概ねのところ不都合はないとも言えますが、その一方で劣等コンプレックスの起源をさらに遡っていくと、やはり幼少期の「家族」をめぐる何らかの心的現実に突き当たるようにも思えます。これに対してフロイトのいうエディプス・コンプレックスは一見すると荒唐無稽ですがある面では幼少期の「家族」をめぐる心的現実を記述した一つの「神話」であるともいえます。
 
ところで、ユングエディプス・コンプレックスと劣等コンプレックスの相違は結局のところは外向的なフロイトと内向的なアドラーという両者の根本的な態度の相違に帰着するものであったとして、コンプレックスは確かに多層構造を有しているけれども、その中のどれか一つのコンプレックスだけを特権化して根源的なコンプレックスとして位置付けることはできないと主張しました。このようなユングの立場は来るべきポストモダン(根源的なコンプレックスの複数化)を先取りした思考であったともいえるでしょう。
 
いずれにせよ人は日常の様々な場面で自身の抱える何かしらのコンプレックスに遭遇します。コンプレックスとは一見すると自我にとって何とも厄介な存在であるといえますが、その一方でコンプレックスは自我の一面性を補償するものとして大きな役割を担うことがあります。いわばコンプレックスにはこれまで生きてこれなかった半面としての可能性の在り処が示されているといえます。こうした意味で本書は自身の抱えるコンプレックスから距離をとるための視点とコンプレックスと共に生きるための指針をもたらしてくれる一冊であるといえるでしょう。
 

* 昔話の深層(1977年)

⑴ 普遍的無意識と元型
 
このようにユング心理学においてコンプレックスは重要な位置を占めています。けれども、ユングは属人的な心的作用であるコンプレックスで構成される「個人的無意識」よりも更なる深層において人類共通の心的作用である「元型 archetype」で構成される「普遍的無意識」があると主張しました。
 
もっとも我々の意識においては「元型」の存在そのものを捉えることはできず、通常、人は「元型」の存在を外界に投影したイメージ(原始心像)によって知ることになります。この点、ユングは典型的な「元型」として次のようなものを挙げています。
 
人の内にある「母なるもの」の元型をユングは「グレート・マザー(大母)」と呼びます。この点、河合氏は「母なるもの」はその本質において「産み育てる」という肯定的側面と「呑み込む」という否定的側面を併せ持っているといい、いわゆる対人恐怖症は日本の母性社会的な特性に根ざしていると指摘しています。また氏はグレート・マザーに取り憑かれた女性の病理として二つの危険な方向性を指摘しています。一つは、肉の世界への下落、土なる母との一体化の方向であり、そしてもう一つは母となることをおそれ、自らの女性性を拒絶する方向です。
 
自我から見て受け入れ難い人格的傾向であり「生きられなかった反面」としての元型をユングは「影」と呼びます。影は自我統制が弱くなった時に表面に浮かび上がってくることが多く、その極端な例として二重人格が挙げられます。また人は自分の影を否定しようとして、誰かに自身の影を投影する傾向があります。例えば自分と真逆の性格の友人がどういうわけかムカムカして仕方がないというのは、その人に自分自身の影を投影しているということです。また影には「個人的影」の他に人類共通の「悪」ともいうべき「普遍的影」が存在すると河合氏は述べています。
 
男は男らしく女は女らしくといったように人は社会から一般的に期待されているペルソナ(仮面)をつけて生活せざるを得ない一方で、そのペルソナ形成の過程で排除された男性の中の女性的な面、女性の中の男性的な面もまた同時に我々の中に存在し続けることになります。ユングは前者を「アニマ」といい、後者を「アニムス」と呼びます。アニマはエロスの原理を、アニムスはロゴスの原理をそれぞれ内在しています。ある異性を見たらどういうわけかドキドキして目も合わせられないというのは、その人に自分の中にあるアニマ(アニムス)を投影しているからです。影がいわば「生きられなかった反面」なのであれば、アニマやアニムスとはいわば「切り捨てられた魂の側面」ともいうべきものです。
 
神話、伝説などに登場する道化的な役回りを担う元型が「トリックスター」です。トリックスターは二つの領域の境界に出没し、旧来の秩序を破壊して、新しい秩序を創造していく役割を担ったりもします。その一方でトリックスター紙一重でかぎりなく「悪」に近い側面と同時に、限りなく「英雄」に近い側面という両義的な性格を持っています。
 
⑵ 元型的体験としての昔話
 
このようなユングのいう普遍的無意識における元型の働きを解明していく上で重要な手がかりとなるものが「昔話」です。一般的に「昔話」というものは非合理で非科学的なくだらない昔の人の戯言としてバカにされがちですが、ユングは各国の「昔話」の共通点に注目し、その中に極めて元型的ともいえる体験を見出していました。
 
こうしたことからスイスのユング研究所では「昔話」の研究が盛んであり、1962年に分析家の資格を取るためにユング研究所に留学した若き日の河合氏もまたユングの愛弟子であるフォン・フランツから「昔話」をめぐるユング派の考え方を学んでいます。
 
ところが河合氏がスイス留学から帰国した1965年当時の日本では「昔話」の研究などというと、特に心理学の領域においては相手にされないどころか下手をすると変人扱いされかねないような状況であったことから、氏は機が熟するまでひとまずは待つことにして徐々に講義の中に入れ込んだりしながら様子を見ていたそうです。
 
そんな折、福音館書店という出版社から「昔話」の心理学的解明をテーマにした連載を依頼された氏がこれは好機とばかりに同社の発行する「子どもの館」という雑誌に1975年から1年間にわたって執筆した論考をまとめたものが本書『昔話の深層』です。
 
本書は「ヘンゼルとグレーテル」や「いばら姫(眠れる森の美女)」といったグリム童話の数々をユング心理学の視点から鮮やかに読み解いていきます。そして何よりも本書の大きな特徴はこうした「昔話」の解釈を心理療法の臨床との連関の中で論じている点にあります。
 
本書で河合氏は現代の心理相談室には白雪姫やヘンゼルとグレーテルばかりか人を食う魔法使いのおばあさんまでも現れるといって過言ではないといいます。実際に心理療法の場においてはしばし、夢や創作といった形でクライエント自身の「昔話」が語られることがあります。
 
すなわち、人は知らず知らず自身の生み出した「昔話」を生きているということです。そして多くの場合、人は自身の現在を規定する過去ともいえる「昔話」を未来に向かって書き換えていかなければならない時期に直面することになります。こうした意味で本書は人が自らの「昔話」に向き合うための知恵に満ちた一冊であるといえるでしょう。
 

* 神話と日本人の心(2003年)

⑴ ライフワークとしての日本神話
 
そして、このような元型的な体験を記述した伝承として「昔話」のほかに「神話」があります。この点、戦中世代である河合氏は軍国主義が利用した日本神話を若い頃は強く嫌悪していました。ところがユング派の分析を体験する中で日本神話が自分にとって深い意味を持っていると思うようになり、1964年にユング派分析家の資格論文として「日本神話における太陽の女神像」をユング研究所に提出しています。
 
その後、日本においてユング派の心理療法を実践していく中で、氏の中で日本神話の重要性はますます増していき、1985年にスイスのエラノス会議において「日本神話における隠された神々」という演題で講演を行なっています。このような氏にとってライフワークでもあった日本神話をめぐる研究の集大成として2003年、75歳の時に書き上げたのが『神話と日本人の心』です。
 
本書で河合氏は『古事記』に登場するアメノミナカヌシ、ツクヨミ、ホスセリという三人の神に注目します。『古事記』の冒頭で天と地がはじめて現れたその時、タカミムスヒとカミムスヒと共に高天原に成り出た三神の1人であるアメノミナカヌシはその後いっさい登場しません。また高天原を治める最高神アマテラスとその弟である荒々しい神として知られるスサノヲと共に三神を成すツクヨミも父イザナギに夜の食国の統治を命じられた後の記述はなく、さらに海幸彦・山幸彦の名で知られるホデリとホヲリの兄弟神であるホスセリもまたその後を語られることはありません。
 
このように『古事記』において重要な位置を占める三組の神々の中心には名ばかりで実体がなくいかなる力も働きも持たない「無為の神」がいることに気づいた河合氏はその一貫した構造を「中空構造」と名づけます。そして氏はこの「中空構造」は日本人の心の構造にも当てはまるのではないかと考えました。
 
⑵ 中空構造
 
ここでいう「中空構造」とは、その中心を「空」することで相対立する二つの力を--神話でいえば三神のうち活躍する二神を、心の構造でいえば意識と無意識や男性性と女性性を--調和的に均衡させて深刻な対立を回避する構造をいいます。
 
確かに河合氏が指摘するように『古事記』では様々な神々がその優劣や善悪を固定することなく絶妙なバランスのもとに共存しています。例えばアマテラスとスサノヲの関係も太陽神で天皇の先祖であるアマテラスの方がスサノヲに対して優位に立っているように見えますが、その一方で天界を追われたスサノヲも出雲国ヤマタノオロチを退治して英雄になったりもしています。
 
その一方でこの構造から排除された神もいます。それがヒルコです。『古事記』によればヒルコはイザナギイザナミが生みなした最初の神です。しかし彼らは不出来な神であったヒルコを葦の船に乗せて島から流してしまいます。
 
この点、女性の太陽神であるアマテラスは別名を「オオヒルメ」といいますが、それと対をなす名を持つヒルコはおそらく男性の太陽神だったと考えられます。けれども日本神話はヒルコを排除してしまいました。このようなヒルコの排除は女性原理が優位な日本神話あるいは日本人の心から排除された男性原理であるとも考えられます。
 
そして本書はこのような男性原理をなんらかの形で取り入れていくことが日本と日本人の将来にとって大事なことではないかという方向性を示唆して幕を閉じています。こうした本書が描き出す構図は「母性原理」を基調としつつも「父性原理」の必要性を語る氏のカウンセリング観とぴたりと一致しているといえるでしょう。
 

* ユング心理学入門(1967年)

⑴ タイプ論から個性化の過程へ
 
河合氏がスイス留学から帰国した2年後の1967年に公刊した本書は当時の日本ではほとんど知られていなかったユングの理論を豊富な症例を交えて紹介するユング心理学の概説書です(文庫版はそのダイジェスト版です)。本書は前年に京都大学で行った講義が骨子となっており、これまで紹介した書籍における様々な議論を体系的に理解するための枠組みを提示する一冊として位置付けることができます。
 
本書の構成は極めて大まかにいうと「タイプ論(第一章)」から始まり「コンプレックス(第二章)」「元型論(第三章〜第六章)」と続き「個性化の過程(第七章)」へと至ります。この点、ユングは人の基本的態度を「外交的」と「内向的」に二分しています。ある人の関心がもっぱら外界の事物あるいは事象に向けられている態度を「外交的態度」といい、逆に、内界のそれに向けられている態度を「内向的態度」といいます。また、ユングは上記の2つの基本的態度とは別に、人は各々得意とする心理機能を持っているといいます。これが「思考」「感情」「感覚」「直観」という4つの心理機能です。
 
このうち「思考」と「感情」「感覚」と「直感」はそれぞれが対立関係にあり、ユングは「思考」と「感情」を理性の枠内にある「合理機能」と呼び「感覚」と「直感」は理性の枠外にある「非合理機能」と呼んでいます。そして「合理機能」が強い人は辻褄の合わないことが苦手であったり、あるいは好き嫌いが先に立って現実をありのままに認識することが難しく、逆に「非合理機能」が強い人は「これはこういうものなのだ」とすんなり受け入れてしまう傾向があるとされます。
 
こうして2つの基本的態度と4つの心理機能が掛け合わされ、8つの基本類型が出来上がります。これがユングの「タイプ論」です(もちろんこの8つの基本類型はあくまで理念型であり実際はこれらの中間に位置する人が多いでしょう)。
 
この点、ユングは個人の意識の上に強く表れているものを「主機能」と呼び、その反対に無意識に沈み込んでいるものを「劣等機能」と呼び、残る2つの機能を「補助機能」と呼びます。例えば思考を主機能として持っている人はこれと対立関係にある感情が劣等機能として無意識下に沈み、そこに感覚と直感が補助機能として加わっているということです。
 
ここで重要なのは外向・内向の基本的態度と同様に4つの心理機能にも相補性があるということです。この点、ユングは無意識の中に沈んでいる劣等機能を開発して発展させていく過程を「個性化の過程」と呼びます。こうした「個性化の過程」を歩んでいく中で個人は先に述べた「コンプレックス」や「元型」と対決することになります。
 
 
そしてこうした意識と無意識、主機能と劣等機能、自我とコンプレックス、男性性と女性性などといった、心の中で様々に相対立する葛藤というのは、ユングによれば、ひとえに「自己」の働きによるものとされます。
 
ユングは意識体系の中心をなす「自我」に対して、意識を超えた「こころ全体」の中心に「自己」という元型の存在を考えました。ここでユングのいう「自己」とは、心の中で様々に相対立する葛藤を相補的に再統合していく原動力をいいます。
 
この点、ユングによれば、ある個人の「自我」が自らの「自己」と対決すべき時期が到来した時、そこで生じている内的現実に呼応するような「めぐりあわせ」というべき外的現実が起きるといいます。それは例えば、ある種の精神の不調かもしれないし、あるいは人生における挫折や喪失といった出来事かもしれません。
 
けれどいずれにせよ、こうした「めぐりあわせ」の裏には「自我」がいよいよ「自己」との対決を試みている努力の表れがあるということです。そこでユングは、このような内的現実と外的現実を「個性化の過程」に向けた一つの「コンステレーション共時的布置)」として把握することを重視します。こうした意味でユングのいう「個性化の過程」とは「自己実現の過程」であるともいえます。
 
このようにユング心理学においては、心がその全体性の回復へ向け、相補性と共時性の原理により螺旋の円環を描く様相を「個性化の過程(自己実現の過程)」として捉えています。そして、このようなユングの描き出す「個性化の過程(自己実現の過程)」はこれまで目を背けてきた諸々と対決していく荊の道であると同時に、日常において生起する様々な困難の中に「めぐりあわせ」を見出していくための道ともなるでしょう。ここで紹介した7冊がそのような「めぐりあわせ」にいくばくかでもお役に立てることを祈念しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自然主義的リアリズムの脱構築--今村夏子『とんこつQ&A』

* 今村作品における「文体」について

 
今村夏子氏は大学卒業後、清掃関係のアルバイトなどを転々として、29歳の時にバイト先から「明日休んでください」といわれたのがきっかけで、どういうわけか「小説を書こう!」と思い至ったそうです。
 
こうして書き上げられたデビュー作『あたらしい娘』は2010年に第26回太宰治賞を受賞し、その後、同作は『こちらあみ子』と改題されて単行本化され、2011年には第24回三島由紀夫を受賞します。
 
思いがけず鮮烈なデビューを果たしてしまった今村氏の当時の心境は「どうしよう。もう書くこともないのにほめられて」だったそうです。そして三島賞受賞決定後の電話インタビューでは「今後書く予定はない」というような趣旨のことを述べており、それから5年近くもの間、2014年の文庫版「こちらあみ子」に併録された短編を除き、作品の発表は途絶えていました。
 
ところが2016年、福岡で創刊された『たべるのがおそい』という名の地方文芸誌で唐突に新作が発表されます。この『あひる』という作品は第155回芥川賞候補作に挙がり、惜しくも受賞は逃すも同作を収録した短篇集は第5回河合隼雄物語賞を受賞します。
 
そして2017年に公刊された『星の子』は再び第157回芥川賞候補作に挙がり、第39回野間文芸新人賞を受賞します。その後、2019年に公刊された『むらさきのスカートの女』でついに第161回芥川賞を射止めることになりました。また2020年には『星の子』が大森立嗣監督、芦田愛菜主演で映画化され、2022年にはデビュー作である『こちらあみ子』が森井勇佑監督、大沢一菜主演で映画化されています。
 
時に「世界文学」とさえ評される高い文学性と幅広い支持を集めるポピュラリティを併せ持つ今村作品の特色はその極めて特異的な「文体」にあります。一見、さらさらと読めてしまう平明さを持ちながらも、どこかある種の「不穏さ」を孕んだその「文体」こそが今村作品の世界観を創り上げています。
 
かつて村上春樹氏は小説とは作家と読者との「信用取引」で成立しており、その「信用維持」においてもっとも重視すべきものが「文体」であるとして、夏目漱石以来の日本文学が軽視してきたものの一つがまさにこの「文体」であったと述べています。
 
「文体」とはいわば小説世界の「空気」のようなものです。たとえ小説の「主題」とか「構造」などがいかに高尚で深淵だとしても、肝心の「文体」が魅力的でなければ読者がついてきてくれません。事実、ゼロ年代以降の文芸市場を席巻するライトノベルと呼ばれる作品群は近代文学とは全く異なる「文体」で記述されています。
 
こうした状況を東浩紀氏は近代文学が「自然主義的リアリズム(現実の写生)」にもとづく「透明な言葉」で記述されているとすれば、ライトノベルは「まんが・アニメ的リアリズム(虚構の写生)」と「ゲーム的リアリズム(環境の写生)」にもとづく「半透明の言葉」で記述されていると整理しました。
 
こうした意味で今村作品の紡ぎ出す「文体」もまた、これまでの近代文学を規定していた「自然主義的リアリズム」の境界線の揺らぎに対する純文学からの優れた回答であるともいえるでしょう。昨年7月に公刊された今村氏の最新刊である『とんこつQ&A』はこのような特異的な「文体」にさらに磨きがかかった珠玉の短編集です。
 

*「とんこつQ&A」をめぐる狂騒

表題作「とんこつQ&A」のあらすじは次のようなものです。2014年の春、主人公である「わたし(今川)」は「とんこつ」という名前の中華料理店で働き出します。現在、店主である「大将」とその息子の「ぼっちゃん」が切り盛りするこの「とんこつ」という店はもともとは「敦煌」という名前のはずでしたが、そのオープン直前に届いた看板がなぜか手違いで「とんこう」と平仮名になっており、さらにその看板が大型台風の直撃で「う」の字の点が飛ばされてしまい、現在の「とんこつ」になったという経緯があります(なお「とんこつ」のメニューには調理に手間のかかる「とんこつラーメン」はありません)。
 
3分の面接を経て晴れて「とんこつ」の店員に採用された今川は最初は緊張のあまり「いらっしゃいませ」すら言えませんでしたが、やがて「喋る」ことはできなくても書かれた文字を「読む」ことならできることがわかり、客との想定問答を予め書いたメモを用意することでどうにか業務をこなせるようになります。そんな今川を大将とぼっちゃんは特に責めもせず、むしろ歓迎しているようでもあり、そのうち今川は2人から時折、今は亡き「おかみさん(大将の妻/ぼっちゃんの母親)」のように扱われるようになります。
 
やがて今川はそれまで書きためてきたメモを「とんこつQ &A」という自作ノートにまとめますが、いざ「とんこつQ &A」を携えて店に出ようとするとB6サイズのノートがポケットに収まらないことが判明します。ところがその時、今川はメモがなくても「自分の言葉」で「喋る」ことができるようになっていることに気が付きます。こうしてメモを必要としなくなった今川は以前にも増して積極的に仕事に取り組むようになりますが、そんな今川の振る舞いをぼっちゃんはどこか寂しそうな様子で眺めています。
 
そんな折に「とんこつ」へ「丘崎」という女性が採用されます。指示されたこと以外は全く仕事をしない丘崎に苛立ちを隠せない今川でしたが、大将とぼっちゃんは「おかみさん」と同じ大阪出身の丘崎をいたく気に入り、大将に懇願されて今川が作成した「とんこつQ&A〜大阪ver.〜」によって丘崎はいつしか「とんこつ」の「おかみさん」のような存在になっていきます。
 

* 発達障害的モチーフの孕む危うさ

 
本作と同様の「コミュニケーションの苦手な人間がマニュアルのおかげで救われる」という発達障害的モチーフを持つ作品として2016年に第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の『コンビニ人間』が挙げられます。同作の主人公である古倉恵子は幼少時から周囲の空気が全く読めず対人関係に著しい困難を抱えていましたが、大学生の時にたまたま始めたコンビニエンス・ストアのアルバイトで初めて「世界の正常な部品」になれた感覚を得ることができます。
すなわち、古倉はコンビニの業務マニュアルに自分自身を完全に同期させることで「普通の人間」らしく振る舞うことができるようになったということです。同様に本作の今川も「とんこつQ&A」というマニュアルを創り上げることで「自分の言葉」を話せるようになりました。
 
しかし本作はここからさらにねじれた展開を見せていきます。『コンビニ人間』において古倉はマニュアルのおかげで救われているように見えましたが、本作における丘崎もまた、古倉と同じ位置に立っています。では果たして丘崎も古倉のように救われているのでしょうか?
 
いみじくも古倉はコンビニで働く自分自身を「部品」と呼んでいましたが、丘崎もまた「とんこつ」で文字通り単なる「部品」と化しています。こうした意味で本作は『コンビニ人間』において既に伏在していた「それって要するに資本主義システムにとって都合の良い部品が一つ出来上がりましたというお話ですよね」という批評性を極めて狂気的なかたちで前景化させた作品であるともいえるでしょう。
 

* 乾き切った「いま」を描く

 
本書には表題作の他、3つの短編が収録されています。そのあらすじは以下のようなものです。
 
「嘘の道」。「僕」が子供の頃、町内に「与田正」という嘘つきの少年が住んでいました。与田正は学校でいじめられていましたが、全校朝礼で『いじめをなくそう!』が今月の全体目標になったため、その目標達成のためクラスの皆は与田正に急に親切にしだします。そんな、ある日「僕」は姉と敬老祭りに行く途中で道に迷ったおばあさんに近道を案内しましたが、その道中でおばあさんは転んで骨折してしまいます。その後、噂が膨れ上がるにつれて、いつの間にかその出来事は「強盗傷害事件」として語られるようになり、おばあさんに「嘘の道」を教えた犯人として与田正が名指されます。
 
「良夫婦」。かつて勤務していた訪問介護事業所の副所長と結婚後、現在は菓子工場でパートをしている「友加里」はいつ見てもお腹を空かせている近所の少年「タム」のことがどういうわけか気になり、しばし彼に勤務先の工場から持ち出したお菓子を与えたりする一方で、彼の腕にできたあざから虐待を疑い、児童相談所に通報したり特別養子縁組について調べたりしていました。そんなある日、友香里は飼い犬のアンコが死んだことを知ったタムが庭のサクランボの木にこっそり登ってくるのを偶然見かけます。
 
「冷たい大根の煮物」。高校卒業後にプラスチック部品工場で働き始めた「わたし(木野)」は、ある日同僚の「芝山さん」という中年女性から話しかけられます。工場内で芝山さんはいろんな人からお金を借りているという噂がありました。当初は芝山さんを警戒する木野でしたが、その後、芝山さんはしばし買い物帰りに木野の自宅に立ち寄りいろいろな料理を作ってくれるようになります。木野は芝山さんに感謝しますが、その一方で家の電気代とガス代が一気に跳ね上がることになります。
 
表題作を含む本書に収録された4つの短編の共通点はただただ乾き切った「いま」という「時間」を淡々と描き出していく点にあります。それは換言すれば「生の現実」としての世界から断絶した解離的な時間であるといえそうです。
 

* コントラフェストゥム

 
このような解離的な時間を精神病理学では「コントラフェストゥム」と呼びます。この点、日本を代表する精神病理学者である木村敏氏は様々な精神病理を「ポスト・フェストゥム(あとの祭り)」「アンテ・フェストゥム(祭りのまえ)」「イントラ・フェストゥム(祭りのさなか)」という時間構造から切り分けた「祝祭論」で知られています。こうした木村氏の「祝祭論」の現代的展開として、木村門下の精神病理学者である野間俊一氏は「コントラフェストゥム(祭りのかなた)」という第4の時間構造を提唱しています。
 
ここでいう「コントラフェストゥム」とは時間体制としては木村氏のいうところの「イントラ・フェストゥム」と同じく「いま」の枠内にあるものの、本来のイントラ・フェストゥムが生き生きとした「いま」に満ちた「永遠の現在」であるのに対して、コントラフェストゥムはただただ空虚な「いま」が流れては消えていくような単なる「瞬間の継起」として捉えられます。
 
すなわち、本来のイントラ・フェストゥムはまさに我を忘れて「祭り」の中で皆が入り乱れて踊り狂っているようなイメージですが、コントラフェストゥムは決して「祭り」の中に身を投じない、あるいは体は「祭り」の狂乱と喧騒の中にあったとしても心は「祭り」から切り離されて、ひとり遠く異次元に取り残されているというようなイメージです。
 
野間氏によればこの両者を隔てているのはその身体性(身体感覚の総体)に対応する空間性(身体が働きかける諸事物の総体)であり、本来のイントラ・フェストゥムが「飛翔」する身体性に対応する「充溢」した空間性が想定されているのに対して、コントラフェストゥムは「浮遊」する身体性に対応する「空疎」な空間性の中に位置しているといいます。
 

* 自然主義的リアリズムの脱構築

 
このようなコントラフェストゥムとは「ポストモダン」と呼ばれる現代を規定する「時間」であるともいえそうです。いわゆる「大きな物語」が失効したポストモダンにおいて任意に選択した「小さな物語」を生きる人々はその生の実存を他者からの承認によって確保しようとしました。そしてこのような承認をめぐるゲーム(=祭り)から疎外されたところ(=かなた)で生じる「時間」がコントラフェストゥムです。こうした意味で現代を生きる人々は多かれ少なかれコントラフェストゥム的な時間を生きているといえるでしょう。
 
本書を含む今村作品に見られる自然主義的リアリズムを脱構築した「不自然さ=不穏さ」とはおそらく、こうしたコントラフェストゥムと呼ばれる「時間」を極めて高い解像度で描いた結果として生じたものであるとも思われます。そして本書の最後に位置する短編「冷たい大根の煮物」はコントラフェストゥムを生きる中でなお世界を空疎なものから豊かなものへと拡張していくためのささやかな処方箋を描き出した寓話のようにも思えました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「現実」の時代における「批評」の位置--宇野常寛『2020年代の想像力』

*「事物を通じたコミュニケーション」としての「批評」

 
2020年代という時代は新型コロナ・ウィルス(COVID-19)の出現とともに幕を開けました。このコロナ・パンデミックは図らずとも世界的危機が「危機そのもの(COVID-19による生命と健康への危機)」よりも、その「危機についてのコミュニケーション(COVID-19をめぐる情報がもたらす社会的な混乱)」として出現するということを明らかにしました。こうした状況をWHO(世界保健機関)は「Information(情報)」と「Epidemic(疫病の流行)」とを合わせて「Infodemic(インフォデミック)」と名付けて各国に警戒を促しました。
 
もっとも、このような「infodemic(インフォデミック)」と名指されるような傾向はコロナ・パンデミック以前の2010年代から既に始まっていました。ソーシャルメディアの普及によるアテンション・エコノミーの加速とポピュリズムの台頭は様々な局面における社会の分断と民主主義の機能不全を引き起こし、いまやSNSは一方ではフェイクニュース陰謀論の温床となり、もう一方では正義の名のもとに他人に石を投げつける安価で高性能な投石機と化してしまいました。
 
このような今日における情報環境を宇野常寛氏は昨年上梓した『砂漠と異人たち』において「相互評価のゲーム」と名指しています。同書はSNSの普及により「他人の物語」に感情移入することよりも「自分の物語」を発信して他者に承認されることに快楽を見出した人々は閉じたネットワークの中での「相互評価のゲーム」に夢中になり、その結果、このような情報環境においては常に「問題そのもの」ではなく「問題についてのコミュニケーション」の方がクローズアップされてしまい「問題そのもの」を議論することが難しくなっているといいます。
そして同書はこのような「相互評価のゲーム」の外側に脱出するには、その「時間的な外部」に立ち、情報に対する「速度」の決定権を取り戻す必要があるといい、そのための実践として「事物を通じたコミュニケーション」を提案しています。
 
その第一の実践は人間以外の事物に触れることです。すなわち、相互評価のゲームがもたらす承認への中毒を解毒するためにはまず事物と「虫の眼」でコミュニケーションすることで孤独に世界に接する時間を回復する必要があるということです。そして、ここで大事なのは事物の「消費(事物を単に受け取り用いること)」ではなく「愛好(事物に対して独自の問題を設定し探求すること)」であるといいます。
 
続く第二の実践は人間以外の事物を「制作」することです。人は「虫の眼」をとりわけ事物を「制作」するときに発揮することができます。そして第三の実践は「制作」を通じて他者と接することです。すなわち、人間そのものではなくその人が制作した事物とのコミュニケーションに注力することで「相互評価のゲーム」とは異なるチャンネルでの対話が可能になるということです。そして、このような「事物を通じたコミュニケーション」の一つのあり方として「批評」があります。
 

*「現実」の時代における「批評」の位置

本書『2020年代の想像力』は主に2021年から2023年にかけて宇野氏が執筆した作品評を収録した評論集です。その「序にかえて--「虚構の敗北」について」において本書全体を貫く問題意識が概ね次のように述べられています。
 
まず本書は今日は「現実」が「虚構」に対して優位な時代であるといいます。かつて20世紀は映像技術(劇映画)と放送技術(テレビ)の飛躍的な発展により人々がこれまでにないレベルで「他人の物語」に感情移入できるようになった時代でした。これに対して21世紀の今日は情報環境(インターネット)の劇的な変化により人々がやはりこれまでにないレベルで「自分の物語」を発信できるようになった時代であるといえます。
 
人間とは本質的にそれがどれほど希少でも「他人の物語」を観るよりも、それがどれほど凡庸でも「自分の物語」を語る方が好きな生き物です。今日の情報環境がもたらす「他人の物語」から「自分の物語」への不可逆的なパラダイムシフトは「虚構」の「現実」に対する相対的な敗北を意味しています。いまや人々は「虚構」における「他人の物語」に没入する快楽から「現実」における「自分の物語」に承認を与えられる快楽にその関心を移し始めるようになりました。
 
このように「虚構」と「現実」のパワーバランスはいま確実に後者に傾いています。こうした今日的な傾向は小説や映画やアニメといったコンテンツを消費する態度にも現れています。すなわち「作品そのもの(虚構)」以上に「作品についてのコミュニケーション(現実)」に関心を置き、例えばある作品を皆で支持したり、あるいはある作品を皆で批判したりすることで自身の承認欲求を安易に満たすような態度です。換言すれば現代とは「作品を鑑賞する行為(受信)」が「作品を使って承認を獲得する行為(発信)」に圧倒されつつある時代であるといえます。
 
こうした「現実」が優位する時代において本書はいまや世界から次第に忘れられつつある「虚構」だけが表現できる価値に注目します。「虚構」だからこそ描き出せるものに触れることではじめて「現実」に対して適切に対抗(対応)し得るのであると本書はいいます。
 
本書のいう「作品についてのコミュニケーション(現実)」の「作品そのもの(虚構)」に対する優位は『砂漠と異人たち』において提示された「問題についてのコミュニケーション」の「問題そのもの」に対する優位という問題意識とまっすぐにつながっています。こうした意味で本書は「作品についてのコミュニケーション(現実)」ではなく「作品そのもの(虚構)」と向き合う「批評」というかたちで「相互評価のゲーム」とは異なるチャンネルを開く「事物を通じたコミュニケーション」のあり方を示す一冊であるといえるでしょう。
 

* 村上春樹『街とその不確かな壁』をどう読むか

 
本書の作品評価基準はその冒頭に置かれた「『街とその不確かな壁』と「老い」の問題」に端的に現れています。ここで取り上げられている『街とその不確かな壁』は今年春に公刊された村上春樹氏の6年ぶり15作目の長編小説です。同作は村上氏が1980年に発表した「街と、その不確かな壁」というほぼ同名の中編小説を下敷きに書かれたものです。周知の通りかつて村上氏はこの作品を書き直し1985年に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という名で世に送り出しました。
 
しかし、さらに歳月が経過して作家としての経験を積み年齢を重ねるにつれ、村上氏は「街と、その不確かな壁」という作品には『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』とは異なる形の対応があってもいいのではないかと考えるようになり、最初の中編小説が発表されてから40年の歳月が流れた2020年から執筆を開始して、およそ3年近くかけて完成させた作品が本作『街とその不確かな壁』です。
本書はまずこの小説において村上氏が従来掲げていた「デタッチメントからコミットメントへ」という主題がほぼ完全に消滅しているといいます。
 
団塊世代の村上氏は1960年代末の「政治の季節」の終焉をその創作の出発点にしています。その初期作品において氏がまず打ち出したのがマルクス主義のようなイデオロギーから「やれやれ」と距離をとる「デタッチメント」という態度でした。それは単なるニヒリズムではなくあくまで倫理的であるためのデタッチメントです。ところが阪神淡路大震災地下鉄サリン事件に象徴される1995年前後において村上氏は「コミットメント」へとその倫理的作用点を転換させることになります。ここで提示されたコミットメントのモデルとは歴史を「物語(イデオロギー)」ではなく「情報(データベース)」として捉え直すことで普遍的な「悪」に対峙するというアプローチです。
 
しかし、このようなコミットメントのモデルはこのままでは一つの問題を抱え込むことになります。それはイデオロギー抜きに歴史にアクセスした時に歴史の意味が都合よく改編されてしまい現代でいうところの陰謀論歴史修正主義に陥る危険があるということです。そこで村上氏はコミットメントの強度を従来から反復してきた男性的ナルシシズム(主人公に無条件の承認を与えるヒロインの存在)に求めました。その結果、主人公のコミットメントのリスク、コスト、責任が全てヒロインに転嫁されるという構造が、本書のいうところの「性搾取的なモチーフ」が生じることになります。
 
もっとも近年においてはこのような「性搾取的なモチーフ」は作品を重ねるごとにずいぶんと穏やかなものになる一方で、その縮退に比例してコミットメントもまた縮退してしまうという別の問題が発生することになります。こうして『街と不確かな壁』に至ってはコミットメントがほぼ消失し、そこではあまりにも凡庸でありきたりな男性的ナルシシズムの軟着陸がまるで何か偉大な達成を成し遂げたかの如くロマンチックに提示されているに過ぎないと本書はいいます。
 

* リトル・ピープルと母性のディストピア

 
このような辛辣な評価はおそらく宇野氏がこれまでの著作で提示した「リトル・ピープル」という時代観と「母性のディストピア」という成熟観に関係しているように思われます。
 
まず氏は『リトル・ピープルの時代』(2011)において見田宗介氏と大澤真幸氏の議論を批判的に継承して戦後日本社会を「ビッグ・ブラザーの時代(〜1968)」「ビッグ・ブラザーの解体期(1968〜1995)」「リトル・ピープルの時代(1995〜)」という3つの時期に区分しています。
 
このような「ビッグ・ブラザー」から「リトル・ピープル」への変遷とは、言うなれば単一的な「大きな物語」を唱導する「偉大な父性」が君臨する時代が終わり、複数的な「小さな物語」を扇動する「矮小な父性」が乱立する時代への変遷を意味しています。
また氏は『母性のディストピア』(2017)において江藤淳氏の議論を参照しつつ戦後日本的な成熟像を「母性のディストピア」と呼んでいます。ここでいう「母性のディストピア」とは「政治」の不可能性を「文学」における自己完結運動で補償する「矮小な父性」とかかる不毛な演技を承認する「肥大化した母性」の結託構造をいいます。
 
このような「母性のディストピア」は二者関係で生じる幻想に由来します。戦後日本を代表する思想家の1人である吉本隆明氏はかつて人間の社会像は「自己幻想(個人)」「対幻想(二者関係)」「共同幻想(共同体)」という三つの幻想から形成されるとして、各幻想は原理的には「逆立(反発しつつも独立している状態)」するものと考えました。
 
そこで吉本氏は「共同幻想」に対する「自立」の起点として核家族的な「対幻想」に着目しました。しかしながらその後の消費化情報化社会の進展は三つの幻想が実際のところ「逆立」などでなく単に独立しているに過ぎず、このような対幻想への依存はむしろ共同幻想への埋没や自己幻想の肥大化を招くことを明らかにしていきました。
以上のような観点から(あえて図式的に)述べるとすれば、1995年前後における村上氏の「デタッチメントからコミットメントへ」という転換はいわば「リトル・ピープルへのコミットメント」として位置付けられますが、そこで提示される「対幻想(ヒロイン)」に依存した「コミットメント」では「共同幻想(悪)」に対応できず、近年の作品においてはむしろ「自己幻想(男性的ナルシシズム)」を支援する傾向が強まっているということになります。すなわち『街とその不確かな壁』という作品にはこうした近年の傾向がより顕著な形で引き継がれてしまっているということです。
 

*「時代の象徴」ゆえの評価か?

 
もっとも本書は単に批判するだけではなく現在の状況は村上氏が作家として進化して、かつて志した「総合小説」に挑戦する契機になるように思えるとも述べており、そのモチーフの例として村上氏が短編集『女のいない男たち』(2014)で描き出したような同性間の友情を挙げています。
本書で述べられているように宇野氏にとって村上春樹とは「時代の象徴」として位置付けられる作家であり、その分、要求する水準が他のクリエイターよりも数段高いのかもしれません。もちろんこれは批評家として時代のポピュラリティを明らかにする誠実な態度だと思います。ただその一方で村上氏も自身の女性依存的な作風にまったく無自覚ではないはずです。
 
実際に村上氏は対談集『みみずくは黄昏に飛び立つ』(2017)において対談相手である川上未映子氏から直接、その女性観を鋭く批判されています。また現時点での最新短編集『一人称単数』(2020)に収録された書き下ろしの同名小説では戯画化された村上春樹が突如あらわれた女性から猛烈に罵倒されるという展開が描かれています。
 
そもそも今回の『街とその不確かな壁』という作品はかつての幻想を浄化するという自己治療的な意味合いを持つ創作でもあったと思います。そうであれば次回作ではもしかしてこれまでにない村上春樹の新境地を見せてくれるかもしれません。そして何よりも70代半ばになってなお、これからの「進化」を期待される作家であり続けることは本当に凄いことだと思います。
 

* 2020年代の想像力たちのコミットメント

 
では、その他の2020年代の想像力たちは世界に対していかにコミットメントしたのでしょうか。ここでは本書が取り上げる作品のいくつかのうち、そのさわりだけを見ておきたいと思います。
 
「 『すずめの戸締まり』と「震災」の問題」について。昨年公開された新海誠氏の最新作『すずめの戸締まり』は村上氏が阪神淡路大震災にインスパイアされて執筆した「かえるくん、東京を救う」という短編小説を下敷きとしていると言われています。
 
この点「かえるくん、東京を救う」における「地震」とはリトル・ピープル的な「悪」の象徴でした。これに対して『すずめの戸締まり』ではこのような「悪」という主題が捨象され、東日本大震災を何かの比喩ではなく「震災そのもの」として描き出していきます。そして、そこにはただただ、被災を乗り越えた人々の人生を「損なわれたもの」として位置付けることなく、無条件に肯定することこそがいま必要なことであるという意志だけがあります。
 
村上春樹の後継者的存在ともいうべき新海誠という作家はかつて『秒速5センチメートル』(2007)や『言の葉の庭』(2013)などといった作品では村上春樹的な男性的ナルシシズムをある種のマゾヒズム的な表現へと昇華して描き出すことに成功しましたが、メジャー路線を志向した『君の名は。』(2016)以降の作品からはこのような類の表現が後退していきます。
 
そして本作『すずめの戸締まり』では少年ではなく少女が主役となり、新海氏は震災後の日本を覆う「貧しさ」を「国民的作家」として正面から引き受けることになりました。本書はこの映画を創作物としては恐ろしいほどに「空っぽ」だといいつつも、いまこの国で「国民的作家」であろうとするのであれば、ほとんど「空っぽ」にしかなり得ないということかもしれないと述べています。
 
「『リコリス・リコイル』と「日常系」の問題」について。昨年の「覇権アニメ」との呼び声も高い『リコリス・リコイル』は近未来日本を舞台に社会秩序を守るエージェントである「リコリス」たちの活躍を描いた作品です。本作のヒロイン錦木千束は普段は「喫茶リコリコ」の看板娘を務めながら歴代最強のリコリスとして社会の裏側で暗躍するテロリストたちと対峙しています。
 
千束が体現するものはいわば「日常系」の思想です。ゼロ年代のオタク系文化は村上春樹の強い影響下にあった「セカイ系」と呼ばれる想像力から出発しましたが、ゼロ年代中盤以降はこの「セカイ系」を乗り越えるようなかたちで「日常系」と呼ばれる想像力が台頭してきます。このような「日常系」においてはもっぱら部活動でのおしゃべりや放課後の寄り道などといった10代女子の日常における他愛もない交歓がもたらすささやかな幸福感が描き出されました。
 
しかしながら2010年代以降のオタク系文化のトレンドはさらに「日常系」から「なろう系」に変遷していきます。ここでは既に現実の人生を半ば諦めた人々の自虐的な感性にアプローチして、もはや何もかも分かってやっているのだというメタメッセージを伴いながら願望充足的なサプリメントとしての物語が提供されることになります。これは「虚構」としての「日常系」が「現実」の日常に敗北したことをも意味しています。
 
この点、本作における「悪」を体現するテロリスト真島は千束が守ろうとする「日常系」の思想の欺瞞を暴き出すことを目的としています。しかし本書は千束が守ろうとしているものの本質を真島は正確に暴き出していないといいます。もとより千束は自身の「日常系」の思想が最初からそれが嘘っぱちで薄っぺらくて射程の短いものだと自覚しつつも、それでもなお、その「嘘」を守ることにこそ価値を見出しています。
 
つまり、真島は「嘘が必要だ」という千束に対して「それは嘘だ」と反論してしまっているわけです。こうしたことから、もし真島が本当に千束に対抗したいのならば、単に「それは嘘だ」と言い募るのではなく、それはもうすでに「力を失った嘘でしかない」ことを突きつけるべきだったのではないかと本書はいいます。
 
「『スーパーカブ』と「中距離の豊かさ」の問題」について。トネ・コーケン氏のライトノベルスーパーカブ』はとある地方都市に暮らす「親もない友達もいない趣味もない」女子高校生小熊が通学用に原チャリ「スーパーカブ」を手に入れたことで成長していく物語です。カブを得ることで行動範囲が広がった小熊の生活はそれまでとは比べものにならないくらい色鮮やかで豊かなものになっていきます。このような「モノ(事物)」とのちょっとした出会いで世界がみるみる拡張されていく体験を詳細に描いているところが本作の特徴といえます。
 
しかしながら本作はヒロインが高校を卒業して都内の大学に進学したところで唐突に完結します。結局のところカブが広げてくれる行動範囲とは、高校生にとっては決定的ですが大学生にとってはそうでもなかったということです。本作の最終巻において小熊はカブを使ったバイトを本格化させ「大人」になる道を歩んでいきます。しかし本書は小熊に「大人」になってほしくないといいます。
 
かつて20世紀のサブカルチャーにおいて車やバイクといった「乗り物」はもっぱら男子の身体を拡張し、その男性的ナルシシズムを記述するための道具として用いられてきました。けれども本作で小熊がカブという「乗り物」で拡張しようとしたのはその身体ではなくむしろ世界の方です。ここでは20世紀の男子たちが見落としていた「乗り物」の本来的な可能性が見直されているように思えると本書はいいます。
 
すなわち、カブという「乗り物」は身体ではなく世界を拡張し、遠くでも近くでもない「中距離の豊かさ」を深めていくための「モノ(事物)」ともなり得るということです。そして、おそらくここには2020年代という時代を席巻する「相互評価のゲーム」から離脱するための「事物を通じたコミュニケーション」の一つの可能性を見出すことができるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

実践知としての哲学入門--東浩紀『訂正する力』

 

*「訂正可能性」による日本社会のリノベーション

 
20世紀を代表する哲学者の1人であるルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインは後期の代表的著作である『哲学探究』(1953)において「人は言語を使ったゲームをルールを知らないままプレイしている」という驚くべき主張を行いました。そして言語哲学者ソール・クリプキはこのようなウィトゲンシュタインの発見を「ルールとは共同体がプレイヤーを選別することではじめて確定する」という裏返った共同体論によって論証しました。
 
例えば「2+2は5」であると主張する人が現れたとします。この「2+2は5」という主張を「間違い=ルール違反」だと断定することは原理的には不可能です。にもかかわらず現実において「2+2は5」という主張は通常「間違い」であると「訂正」されることになります。なぜなら大多数の人々が彼の主張が「間違い」だと見做す共同体に属していると信じているからです。
 
もっとも、このような「訂正」は共同体からプレイヤーに向けられるだけではなく、同時にプレイヤーから共同体に向けられることにもなるはずです。すなわち、共同体のルールとは静的に確定したものではなく、常に動的に更新される「訂正可能性」を孕んだものとなります。
 
東浩紀氏が1998年に世に放った『存在論的、郵便的』はこのような「訂正可能性」の理論からフランスの哲学者ジャック・デリダのテクストを読み直し当時の批評シーンに大きなインパクトを与えました。1993年の批評家デビュー以来、東氏の仕事は表面的にみると1990年代のフランス現代思想ゼロ年代のオタク論、2010年代の観(光)客論と様々に変転していますが、これらの議論は一貫して「訂正可能性」の具体的局面を取り扱ったものとして読むことができます。
 
こうした意味で今年公刊された『訂正可能性の哲学』はこれまでの東思想のまさしく「総論」に位置する哲学書であったといえます。そして同書に続いてデビュー30周年を記念して公刊された本書『訂正する力』は「訂正可能性」を使った日本社会のリノベーションを提言する一冊であるといえます。
 

*「じつは・・・だった」という発見

「失われた30年」という言葉に象徴されるようにバブル崩壊以後今日に至るまで長きにわたって停滞を続けた日本社会はいまや政治経済における様々な局面で行き詰まりを見せています。このような惨状を前にしてある言説は「リセット」を叫び、またある言説は「ぶれない」ことにこだわります。
 
こうした中、本書は「リセット」と「ぶれない」のあいだでバランスをとる「訂正する力」が大事であると説きます。本書のいう「訂正する力」とは過去との一貫性を主張しながらも、実際には過去の解釈を変えて現実に合わせて変化する力のことをいいます。そして、その核心には「じつは・・・だった」という発見の感覚があります。
 
人間の行うコミュニケーションには奇妙な性格があります。たとえば子どもが遊んでいるとして、その遊びが「かくれんぼ」だったのがいつの間にか「鬼ごっこ」になり、またそれがいつの間にか別の遊びになっているといったことはよくある話です。
 
このようにルールが絶えず「訂正」され続けていくという現象は子どもの遊びのみならず、人間の行うコミュニケーション全般において見られます。そして、このような「訂正する力」こそがいまの日本に必要であると本書はいいます。
 

*「空気」を書き換える力

 
「訂正する力」とは「空気」を書き換える力です。日本社会は「空気」と呼ばれる無意識的なルールに支配されているとよく言われます。この「空気」なるものは皆が他人の目を気にするだけではなく、同時に皆が気にしている当の他人もまた他人の目を気にしているという入れ子構造になっています。
 
だとすれば、こういった「空気」を変えるためには「空気」から素朴に脱出しようとするのではなく、同じ「空気」の中にいるふりをしてながら、少しずつ違うことをやっているうちにいつのまにか「空気」が変わってしまうというアクロバットをやるしかなく、その「いつのまにか」をどう演出するかという課題に答えるのが「訂正する力」であると本書はいいます。
 
つまり「空気」が支配している国だからこそ、その「空気」が「いつのまにか」変わっているように状況を作っていくことが大事にあるということです。
 
これはデリダのいう「脱構築」に極めて近い発想です。彼は哲学の伝統的なルールに則っているように見せかけつつ、それを深く追求することによって哲学のかたちを「いつのまにか」変えてしまうという試みをまさに哲学の方法として提示しました。
 
すなわち、ルール(空気)を書き換えるためには既存のルールをひそかに訂正しつつ、その新しさを全面に押し出さずに「いやいや、むしろこっちこそ本当のルールだったんですよ」と主張するような現在と過去を結びつけていくしたたかな両面戦略が必要になるということです。
 

*「正しさ」を更新する力

 
また「訂正する力」とは「正しさ」を更新する力です。周知の通り現代は社会のあらゆる領域において「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」が重視される時代です。もちろん「正しさ」を求めることはとても大切なことですが、その一方でいまや「正しさ」がまさに他者を「糺す」ための道具としてやや安易に利用されている観も否めません。この人は正しくない発言をしたからみんなで批判しよう、仕事を奪おうという動きは時に「キャンセル・カルチャー」と呼ばれたりもします。
 
ところで「コレクトネス」という言葉は「コレクト」という動詞の名詞形ですが、この「コレクト」は「校閲する」とか「まちがいを正す」などといったまさに「訂正」を意味する言葉です。すなわち、現在の「コレクトネス=正しさ」とは普遍的な規範などではなく、常に「コレクト=訂正」という運動の中で生み出された暫定解でしかないということです。
 
そうであれば今この時の「正しさ」も5年後には「間違い」になるかもしれないし、逆に今の「間違い」が「正しさ」になるかもしれません。「正しさ」に対しては、そのような距離を持って考えることが大事であり、少なくとも現在の価値観だけを振りかざして、過去の発言や複雑な文脈を持った行為を一刀両断していく行為はむしろポリティカル・コレクトネスの精神に反しているといえます。
 
しかしその一方で「訂正する力」は「歴史修正主義」と一線を画しています。ここでいう「歴史修正主義」とは例えば「アウシュビッツガス室はなかった」とか「従軍慰安婦はいなかった」などといった主に保守派による歴史の捏造を意味する言葉として現在用いられています。この文脈での「歴史修正主義」は過去を忘却し、現実から目を逸らす行為です。これに対して「訂正する力」はむしろ過去を記憶し、現実に向き合う行為ともいえます。
 

*「喧騒」を生み出す力と「幻想」を創り出す力

 
哲学とは「時事(時局への対応)」「理論(基本原理の究明)」「実存(生き方の提示)」の3つの領域の連関から成り立っており「訂正する力」もまたこの3つの領域をシームレスにつなげていくと本書はいいます。こうした観点からいえば本書の第1章は「時事編」であり第2章は「理論編」であり第3章は「実存編」となります。そして第4章はここまでの議論の「応用編」であり「訂正する力」を使って日本の思想や文化を批判的に継承し、戦後日本の自画像のアップデートを試みる議論が展開されます。
 
この点「訂正する力」は「喧騒」を生み出す力でもあります。本書の根底には「人は根本的には他者と分かり合えない」という世界観があります。だからこそ人が互いに理解し合う空間ではなく、むしろ互いに「おまえはおれを理解していない」と永遠に言い合う空間をつくることが大事だと本書はいいます。
 
そしてこれは民主主義の問題とも関係しています。『訂正可能性の哲学』でも参照されている19世紀フランスの思想家アレクシ・ド・トクヴィルが強靭な民主主義の条件として「喧騒」を挙げたように、民主主義社会とは正解を求める社会ではなく、とにかくさまざまな人々が自分の理屈で好き勝手に「おまえはおれを理解していない」と「喧騒」の中で「訂正」を求めあう社会です。
 
こうした意味で日本社会とは経済(中小企業)から趣味(同人誌サークル)の領域に至るまで、もともと少人数でわちゃわちゃとやることを好む「喧騒」に満たされた文化を持つ社会です。そして、そこに「喧騒」があるということはそこには「平和」があるということです。
 
また「訂正する力」は「幻想」を創り出す力でもあります。ここでいう「幻想」とは現実を覆い隠す思考停止ではなく、むしろ現実に向き合って前に進んでいくための道標です。
 
かつて明治日本は近代化を達成するために天皇親政という幻想を創り出し、戦後日本は経済復興や国際復帰を達成するために平和国家という幻想を創り出しました。そして今日における日本社会の機能不全はこのような意味での幻想の機能不全に起因しているともいえるでしょう。こうしたことから本書は文化論的な観点から戦後日本における平和主義の「訂正」を提案します。
 

* 実践知としての哲学入門

 
「空気」を書き換え「正しさ」を更新し「喧騒」を生み出し「幻想」を創り出すということ。過去と現在をつなぎ合わせて未来を照らしだすということ。本書はかつて日本に備わっていた「訂正する力」を今こそ取り戻そうと呼びかける書物です。もちろん本書の個別的な提案に対しては様々な異論もあると思います。けれどもそのような様々な異論が異論として色とりどりにばらばらなままでせめぎ合う社会こそがまさしく「訂正する力」に満たされた社会であるといえるでしょう。
 
そして何より本書は哲学とは決して現実から遊離した観念の遊戯ではなく、むしろ現実を変えていくための実践知であることを教えてくれます。こうした意味で本書は東思想の現時点における決定的な入門書であると同時に実践知としての優れた哲学入門であるといえるでしょう。