かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

哲学と反哲学

 

*「哲学」の起源

 
「哲学」という言葉は直接的には「Philosophy」という英語に由来します。しかしこの「Philosophy」という言葉も元を辿れば「Philosophia」という古代ギリシア語をそのまま引き写したものに過ぎません。そしてこの「Philosophia」という言葉は「philein(愛する)」という動詞と「sophia(知恵ないし知識)」という名詞の組み合わせから成り立っています。従って「Philosophia=哲学」という言葉はもともと「知を愛すること=愛知」という意味に由来します。そしてこの「Philosophia=哲学=愛知」という言葉を最初に用いたのが古代ギリシアの哲学者、ソクラテスです。
 
ソクラテスが生きた当時のギリシア都市国家アテナイでは過度に発達した民主政の下で「ソフィスト」と呼ばれる知識人たちが選挙や裁判に勝つための詭弁術を金持ちの子弟に教えていました。こうした時代においてソクラテスは市民が詭弁を弄して各々の権利を主張することで民主政が衆愚政治と化し、アテナイが精神的共同体としての統一性を失うことを危惧しました。そこで彼はいわば民主政治のイデオローグともいうべきソフィストたちに挑戦することを決意します。そして「Philosophia」という抽象名詞もこうしたソクラテスの挑戦の中で持ち出されたものでした。
 
この点、ソクラテスによれば「Philosophia」とは、己の無知の自覚の上で知を愛し求める「無知の知」としての営為です。すなわち、ソクラテスは自らを「愛知者=哲学者」と規定することで、ソフィストとの論争において絶対に敗れることのない立場を確保しようとしたわけです。
 
当時のアテナイではこうしたソクラテスの戦略を「エイローネイアー」を呼びました。これがのちに「アイロニー(皮肉)」と呼ばれる言葉の由来となります。つまり「哲学」とは、元々はソフィストを嘲弄するための「アイロニー(皮肉)」の技術として登場したわけです。
 

* ソクラテスアイロニーは何を否定したのか

 
このようにソクラテスアイロニーを駆使して徹底的に否定したものとは当時のギリシア人が常に暗黙の前提としていた「自然(フュシス)」に依拠した世界観です。ここでいう「自然(フュシス)」とは今日の自然科学的対象としての自然ではなく、人間や国家や神々をさえ含めた存在者の真の「本性」を意味しています。「フォアゾクラティカー」と呼ばれるソクラテス以前の思想家たちの思索はこの「本性」たる「自然(フュシス)」の究明に向けられていました。
 
この点「自然(フュシス)」という言葉は「生成する(フュエスタイ)」という動詞に由来することから、おそらく古代ギリシアの思想家達は存在者の全体を、それぞれが何らかの〈生成〉の原理を内蔵した「成る」ものとしての「生きた自然」と見ていたと考えられます。
 
すなわち、彼らにとっての「自然」とは昼夜の交代や四季の移ろいから国家の命運や神々の諍いなどに至る世界の運動すべてを支配する根源的な原理であったと考えられます。このような古代ギリシアの世界観を今日では「自然的存在論」と呼びます。
 
ところがその後、ソフィストらの時代になると、その関心は「本性」としての「自然」の探求ではなく、むしろ「本性」に対する「仮象」であるところの現実社会(ノモス的世界)における利益の最大化に向けられてしまいました。ソクラテスアイロニーはこのような堕落した「自然的存在論」に鋭く向けられていたわけです。
 

* イデアと制作的存在論

 
ソクラテスが堕落した「自然的存在論」を駆逐した哲学者なのだとすれば、彼の弟子であるプラトンは従来の「自然的存在論」に代わる新たな存在論を立ち上げた哲学者といえます。そしてこのプラトンが立ち上げた新たな存在論の枢要に位置するのが「イデア(idea)」という概念です。
 
ここでいう「イデア」とは、言うなれば「たましいの眼」によってのみ洞察可能な事物の本来的で純粋な「すがたかたち」を意味します。この点、プラトンは全ての事物にイデアを認め、さらには物の性質や関係に関しても「正しさのイデア」とか「美しさのイデア」といったものを考えました。そしてプラトンはこの現実世界を超えたところにあるイデアだけで構成される「イデア界」を想定し、現実世界における全ての事物はこのイデア界から借用してきた「形相(エイドス)」と自然界の「質料(ヒュレー)」との合成物であり、その存在を左右するのはあくまで「形相」であり「質料」ではないと考えました。
 
こうしたプラトンの立ち上げた新しい存在論はいわば全ての個物はイデアという設計図に基づいて「製作」されたものであるという「制作的存在論」とでも呼ぶべきものです。そして従来の「自然的存在論」における「本性」としての「自然(フェシス)」はプラトンの「制作的存在論」においては単なる制作材料としての「物質」に格下げされることになります。
 

* 世界の究極の目的

 
もっとも本来無構造な質料がイデア由来の形相によって構造化されるというプラトン存在論は建物や道具などの制作物の存在構造は上手く説明できますが、もともとそれ自体が形相なのか質料なのかよくわからない自然物の存在構造には馴染みにくい難点があります。その意味でプラトンの制作的存在論ギリシア伝来の自然的存在論と真っ向から対立するものでギリシア人にとっては「異国風」と思われました。
 
そこでプラトンの弟子のアリストテレスは制作物にしか適用できない「形相」と「質料」というプラトン存在論のカテゴリーを修正して、自然的存在者にも適用できるものにしようと試みます。つまりプラトンの制作的存在論の行き過ぎを巻き戻してギリシア伝来の自然的存在論との調停を図ろうとしたわけです。
 
この点、プラトンは「形相」と「質料」の関係を切り離していましたが、アリストテレスは「質料」はそれぞれなんらかの「形相」を可能性として含んでいる「可能態(デュナーミス)」であると考え、そしてその可能性が現実化された状態を「現実態(エネルゲイア)」と呼びます。つまりアリストテレスは「質料-形相」という図式を「可能態-現実態」という図式に組み替えるわけです。
 
こうしてアリストテレスは自然物であれ制作物であれ全ての存在者は「可能態」から「現実態」へ向かう運動のうちにあると考え、その運動が目指している目的(テロス)をアリストテレスは「純粋形相」とか「神」と呼びます。この「純粋形相」とは己の含む全ての可能性を現実化し尽くした、もはや現実化されていない可能性を全く残していない「不動の動者」というべき存在であり、他の全ての存在者の運動を己へと引き寄せる世界の究極の目的とされる存在です。
 
この意味で純粋形相はもはや一切の生成消滅を免れている超自然的な存在であり、その限りでプラトンイデアと同質ということになります。すなわち、プラトンイデア論アリストテレスは批判的に継承したといえます。
 

*「哲学=形而上学」の鳴動

 
そして、このようなアリストテレスが確立した思考様式は「第一哲学」と名付けられ、後世において「形而上学」と呼ばれることになります。すなわち「自然」の外部に「超自然的原理=形而上学的原理」を設定し、これを参照しながら「形而下」としての「自然」を理解しようとする思考様式です。
 
こうしてソクラテスプラトンアリストテレスというギリシア古典時代における3人の思想家の下で「形而上学=哲学」という思考様式が鳴動を始めます。そしてその「超自然的原理=形而上学的原理」は、その時々の時代ごとに「イデア」「純粋形相」「神」「理性」「絶対精神」などと、その呼び名を変えてゆくことになりますが、この思考パターンそのものは、その後多少の修正を受けながらも一貫して受け継がれ、近代ヨーロッパ文化形成の基本的構造を描いていくことになります。
 
また、このような形而上学的思考様式の下では自然とはそれ自体では非存在であり、超自然的原理の側から形成され構造化されることで初めて存在者となりうるという「物質的自然観」が取られることになり、この「物質的自然観」が近代になると数学的表現によって量的に規定可能な「機械論的自然観」となり、近代自然科学の発展を基礎付ける事になります。
 
さらに、プラトンが区別した「形相」によって規定される存在(「…デアル」という意味での存在)と「質料」によって規定される存在(「…ガアル」という意味での存在)はアリストテレステレスの下で「それが何であるかという存在(ト・テイエ・エステイン)」と「それがある(かないか)という存在(ト・ホテイ・エステイン)」という言葉で概念化され、この二つの存在概念はのちの中世のスコラ哲学において「本質存在(エッセンティア)」と「事実存在(エクシステンティア)」の区別へ引き継がれます。こうして「存在」という概念は「ある」という単純性を失い「本質存在(デアル)」と「事実存在(ガアル)」に分岐し、そこでは概ね前者が後者に優越するという構図が想定される事になります。
 

* 形而上学的思考様式の完成形としての「近代理性主義」

 
普通「哲学」というと世界と人間に関する普遍的な知をイメージしたりするわけですが、こうしてみると実際のところの「哲学」とはヨーロッパという一地域にたまたま生じた「形而上学」という特殊な思考様式に過ぎないわけです。そしてこの形而上学的思考様式の完成形が「近代理性主義」です。
 
人間の歴史における「近代」を創建した哲学者がルネ・デカルトであり「近代」を確立した哲学者がイマヌエル・カントであるとすれば「近代」を完成させた哲学者がゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルということになるでしょう。デカルトが神の後見の下に見出した神的理性は、カントによって神から切り離された人間理性へと純化され、ヘーゲルの下で絶対的自由を獲得した超越論的主観へと昇華されます。
 
この点、ヘーゲルは晩年の著作となる「法哲学講義(1821)」において「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というテーゼを掲げています。すなわち、理性の認めるものだけが現実に存在する権利を持つ以上、現実に存在する全てのものは理性的であり、理性によって隈なく認識可能となり合理的に制御可能となるということです。こうしてヘーゲルはいまや人間はついに世界を統べる理性を獲得したことを力強く宣明して「近代理性主義」の完成を寿ぐ凱歌を上げました。
 

* 近代理性主義批判と「生きた自然」の復権

 
ところがヘーゲルが歿した1830年代前後からフランス革命に対する失望や急速に拡大しつつあった技術文明社会への懸念を背景として近代理性主義に対する批判が様々な角度から展開されるようになります。
 
例えばかつてのヘーゲルの盟友でもあったフリードリヒ・シェリングは長らくヘーゲルの盛名の影で不遇をかこっていましたがヘーゲル歿後に表舞台に返り咲き、近代哲学を事物の「本質存在」だけを問題する「消極哲学」であると批判し、近代哲学が目を背けた事物の「事実存在」を根源的に問い直す「積極哲学」を展開しました。また当時、ヘーゲル哲学に疑念を抱えながら悩み多き青年期を過ごしていたセーレン・キルケゴールシェリングの講義に触発される形で事実存在としての自分自身の「実存」を軸とした独自の思索を深め「死に至る病」をはじめとした実存主義の先駆けとなる著作を多数残しました。同じく当時、急進的な論客として頭角を現しつつあったカール・マルクスは従来の機械論的唯物論ヘーゲル的観念論を統合した自然主義人間主義的立場に立脚し、資本主義社会において疎外された労働者が本来的人間性を取り戻すための新たな唯物論を打ち出しました。
 
こうした中で近代理性主義=形而上学思考様式の限界を乗り越えようとする新たな思想をもっとも壮大なスケールで立ち上げたのがあの「神は死んだ」という警句で知られる19世紀の思想家、フリードリヒ・ニーチェです。
 
ニーチェは当時のヨーロッパを覆っていた雰囲気を「心理的状態としてのニヒリズム」と呼んでいます。そしてニーチェはいまやヨーロッパ文化全体を覆うニヒリズムの原因は一時的な時代のモードではなく、ヨーロッパ社会を長らく支配してきた形而上学的な思考様式が限界に突き当たったことによるとして、この事態を極めて端的に「神は死んだ」と宣明します。
 
そしてニーチェニヒリズムの克服のためには「神」とか「理性」といった形而上学的原理に一切頼ることなく、この世界における現実がそれ自身で有している意味や価値をありのままに積極的に肯定し、形而上学的原理により「物質」に貶められる以前の、それ自身のうちに〈生成〉の原理を内包した「生きた自然」から全ての存在者を基礎付ける新しい存在論が必要なのだと考えました。すなわち、ニーチェの提出した「力への意志」や「等しきものの永遠回帰」といった有名な概念はまさにこれまでの形而上学的思考が覆い隠してきた「生きた自然」の復権を企図するものであったといえるでしょう。
 

* 哲学と反哲学

 
そして20世紀に入り、このようなニーチェの描いた構想はマルティン・ハイデガーによって緻密に理論化されることになります。ハイデガーは「哲学=形而上学」という知がヨーロッパという一地域における特殊な思考様式であることを徹底的に跡付けて、この思考様式の必然的帰結が現代の科学至上主義であるとして、今日の原子力を始めとする巨大技術文明の先行きへの懸念から、今やこの「哲学」と呼ばれてきた思考様式の克服が急務なのであると主張しました。そしてハイデガーの影響を受けた現代思想の潮流の中で「哲学」という名の知は、もっぱら「乗り越えるべき対象」として見做されるようになりました。
 
このような意味で「哲学の批判」「哲学の解体」を目指す現代的志向を木田元氏は「反哲学」と呼びます。
 
「反哲学」とは「哲学=形而上学」によって「物質」に貶められてしまった「生きた自然」のいわば復権運動ともいえます。こうして考えると反哲学的な思考は日本的ないし東洋的感覚にむしろ馴染み深いものがあるのではないでしょうか。例えば古事記の最古層には「葦牙の萌え上がるごとく成る」という記述が見られますが、このような自然観を古代日本では〈ムスヒ〉と呼んでいます。高御産霊神などの神名に含まれる〈ムスヒ〉とは「苔ムス」「草ムス」などいう場合の「ムス」と原理を意味する「ヒ(霊)」が結合した言葉です。おそらく古代日本人もまた、ありとしあらゆるものを〈ムスヒ〉という「生きた自然」として捉えていたと思われます。
 
そして木田氏はこのような「反哲学」の立場から見た「哲学」の歴史はこれまでとは違って見えてくるに違いないと述べています。こうしたことから、もし「哲学」に興味はあるけれど、その敷居の高さを感じるのであれば、むしろ「反哲学」という批判的な視点から「哲学」に入門してしまうのもひとつの手であるといえるかもしれません。
 
 

最終兵器に花束を--世界の果てには君と二人で(高橋しん)

 

* 戦後日本的なアイロニズムとしての「セカイ系

 
戦後日本を代表する批評家である江藤淳氏は、その主著「成熟と喪失」において当時の文学的潮流のひとつを成していた「第三の新人」と呼ばれる作家たちの作品を題材にして、伝統的に母性原理が強いとされる日本社会における「成熟」の条件を論じています。氏は「第三の新人」を代表する作家の1人である安岡章太郎氏の小説「海辺の光景」は近代社会に直面した「母」の動揺と崩壊を描き出した作品であるとして、ここから戦後日本社会における「成熟」の条件とは「(母を見棄てたことによる)喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの悪を引き受けること」であると主張します。
 
そして氏はこうした「悪」を引き受ける「成熟」の主体を「治者」と呼び、やはり「第三の新人」を代表する作家の1人である庄野潤三氏の小説「夕べの雲」に「治者の文学」を見ることになります。同作の主人公はすでに「母」が崩壊してしまった世界であたかも「父」である「かのように」日々を生きています。この点、伝統的に父性原理の強い西欧社会における「成熟」とは「父=近代的市民」になる事を指しています。けれども江藤氏のいう「成熟=治者」とは「父=近代的市民」になるのではなく、むしろ「母=前近代的世界」を見棄てるという「悪」を引き受ける事で、あたかも「子」が「父」である「かのよう」に振る舞う事をいいます。
 
こうした氏の成熟観には、たとえそれが無意味である事を知りつつ「あえて」それを行う事に美学を見出すという戦後日本的なアイロニズムのひとつの変奏曲を見出す事ができるでしょう。そして、こうした戦後日本的なアイロニズムゼロ年代のオタク系文化において一世を風靡した「セカイ系」という潮流においてもまた見事に反復されているといえるでしょう。
 

* セカイ系という言葉の起源

 
セカイ系」という言葉が初めて公に用いられたのは2002年10月31日、ウェブサイト「ぷるにえブックマーク」の掲示板に投稿された「セカイ系って結局なんなのよ」というタイトルのスレッドだとされています。
 
そこで管理人のぷるにえ氏は「セカイ系」とは「エヴァっぽい作品」に、わずかな揶揄を込めつつ用いる言葉であるとし、これらの作品の特徴として「たかだが語り手自身の了見を「世界」などという誇大な言葉で表現したがる傾向」があると述べています。
 
そして、ここでいう「エヴァ」というのは、言うまでもなく、あの「新世紀エヴァンゲリオン」のことを指しています。TV放映開始当初のエヴァは「究極のオタクアニメ」としてスタートしました。細かいカット割りや晦渋な言い回しの台詞の随所に垣間見える、宗教、神話、映画、SF小説からの膨大な引用。このようなカルト的世界観はいわゆる「オタク」と呼ばれる人々の知的欲求ないし快楽原則を最大限に刺激するものでした。ところが後半、エヴァの物語は破綻をきたして行きます。映像の質は回を追うごとに落ちて行き、それまでに撒き散らされた「アダム」「リリス」「人類補完計画」といった謎への回答は完全に放棄され、物語の視点は登場人物の内面に移って行きます。
 
エヴァ終盤で描かれたのは、庵野秀明自身の「自意識の問い」そのものであったと言われています。すなわち、エヴァは終盤で、唐突に「究極のオタクアニメ」から「オタクの文学」に転向したわけです。このような転向は当然オタク層から激しい論難を浴びせられる事になります。けれども皮肉にも「オタクの文学」としてのエヴァの内省性は一般層への幅広い共感を呼び、エヴァは社会現象となりました。
 
端的に言えば「セカイ系」とは、このエヴァ後半で前景化した「自意識の問い」への返歌であるということになります。つまり、巨大ロボット、戦闘美少女、ミステリーといったオタク系文化におけるジャンルコードの中で「〈私〉とは何か」「〈世界〉とは何か」という「自意識の問い」を過剰に語る作品群こそが本来的な「セカイ系」と呼ばれるものになります。
 

* セカイ系の再定義

 
このように「セカイ系」とは、もともとはエヴァ後半で前景化した「自意識の問い」に焦点を当てた一人語りの激しい作品を指していました。ところがゼロ年代中盤以降、文芸批評の分野において注目を集めた「セカイ系」は次のように再定義されることになります。
 
「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(きみとぼく)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的大問題に直結する作品群」
 
批評家の東浩紀氏らが中心となり発刊された同人誌「美少女ゲームの臨界点(2004)」によるこの有名なセカイ系の定義は、東氏の主唱する「象徴界の失墜」という理論に対応しています。すなわち、現代思想に大きな影響を及ぼすフランスの精神分析家、ジャック・ラカンは人間の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(言語領域の外部)」という三つの位相で捉えていますが、東氏によれば「大きな物語」が失墜したポストモダン状況が加速する現代においては、このラカンにおける「象徴界」の機能が失調しており、あたかも「想像界」と「現実界」が直結したかのような感覚が強くなっているということです。東氏は次のように述べます。
 
僕たちは象徴界が失墜し、確固たる現実感覚が失われ、ニセモノの満ちたセカイに生きている。その感覚をシステムで表現すればループゲームに、物語で表現すればセカイ系になるわけだ。
 
 (「美少女ゲームセカイ系の交差点」より)

 

要するに、ここでセカイ系は「組織」とか「敵」といった「世界観設定(象徴界)」を積極的に排除して「ヒロイン(想像界)」と「世界の果て(現実界)」を直結させる構造として再定義されることになります。そしてこうした構造の下では主人公の実存はヒロインの母権的承認によって担保され、主人公の「自意識の問い」はヒロインを--すなわち「母」を--救えない己の無力さへと向けられることになります。
 
ここにはまさしくあの「(母を見棄てたことによる)喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの悪を引き受けること」という江藤氏の規定した成熟の条件が見事なまでに表れています。言うなればセカイ系とは極めて戦後日本的成熟観を引き継いだ想像力であり、その本質は到達不可能な「世界の果て=外部」を仮構し、その周囲をひたすら空回りし続ける否定神学的な欲望にあるといえるでしょう。
 

* 最終兵器彼女

 
最終兵器彼女」という作品は、このようなセカイ系を象徴する不朽の名作の一つに位置付けられています。高橋しん氏により2000年1月から2001年10月まで「ビッグコミックススピリッツ」で連載された同作はTVアニメ、OVA、ゲーム、実写映画といったメディアミックスを通じて幅広い支持を獲得し、現在、単行本発行部数は400万部を突破しています。
同作のあらすじはこうです。北海道の高校に通うシュウジとちせは、ほんのちょっとした偶然からカップルになってしまい、付き合うといっても何をしていいのかわからず、無理に恋人同士を演じようとして却ってぎくしゃくしてしまう。けれども二人はお互い本音を吐露し、改めて「好きになっていこう」と歩み寄っていく。しかしその矢先、札幌に現れた謎の爆撃機の大編隊が都市部へ無差別空爆を行い、10万人以上の死者、行方不明者が発生する。その惨劇の最中、シュウジは戦場で身体から金属の翼と機関砲を生やしたちせと遭遇する。そう、果たしてちせの正体は世界の命運を握る「最終兵器」であった。
 
同作最大の特徴は登場人物が吐露する極めて繊細な心理描写にあります。同作では時にページを埋め尽くすほどの濃密なモノローグが展開され、そこでは「生きていく」「恋していく」という人の生の営みの根源が繰り返し問われていきます。しかし、その一方で本作の「戦争」の目的や「敵」の正体などについては一切説明がなく、また、ちせの最終兵器としての技術的メカニズムもほとんど不明なままです。要するに「世界観設定」の構築が完全に放棄されているのも本作の特徴です。
 
激しい自意識語り、少女と世界の直結、世界観設定の排除。こうした点で言えば、本作はセカイ系という概念に極めて忠実な作品と言えるでしょう。そもそも「最終兵器(現実界)」と「彼女(想像界)」を並置させたそのタイトルがすでにセカイ系の本質を正面から名指しています。
 
もっとも「セカイ系」という言葉が一般化したのは2002年以降であり、本作が連載されていたのはそれ以前の2000年から2001年の間であることから、本作はセカイ系を代表する作品というより、むしろセカイ系という概念を産み出した作品の一つと呼ぶ方が正確なのかもしれません。
 

* セカイ系=引きこもり? 

 
本作を含むセカイ系作品が一斉を風靡した背景には当時の時代状況というものを考えるべきでしょう。90年代後半からゼロ年代初頭という時期、就職氷河期は長期化し、戦後日本を曲がりなりにも支えていた終身雇用や年功序列といった昭和的ロールモデルも破綻の兆しを見せ始めていました。すなわち、従来のような意味での「父」となることが難しい時代になったということです。こうした時代の転換により実存的不安に曝されることになった人々は、ひとまず「母」の承認の下でその実存を確保しようとしました。ある意味でセカイ系とは時代の急性期を乗り切るための処方箋として機能していたともいえるでしょう。
 
そして、こうしたセカイ系作品に対してクリティカルな批判を提出したのが宇野常寛氏のデビュー作「ゼロ年代の想像力(2008)」です。氏は同書において「新世紀エヴァンゲリオン」に代表される想像力は90年代後半における社会的自己実現への信頼低下を背景とした「引きこもり/心理主義的」な「古い想像力」であり、ゼロ年代においては米同時多発テロ構造改革路線による格差拡大といった社会情勢を背景として、いまや「引きこもっていたら殺される」という「サヴァイヴ感」を反映した「開きなおり/決断主義的」な「新しい想像力=ゼロ年代の想像力」が台頭していると主張します。
 
こうした枠組みを前提として、氏はゼロ年代初頭に花開いた「セカイ系」とはいわば「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」というべき時代遅れの想像力であると断じ去り、安易な母性的承認に引きこもるだけのセカイ系でもなく、究極的には無根拠の正義を振りかざして不毛な動員ゲームを繰り広げるだけの決断主義でもない「ポスト決断主義」の想像力こそがいま求められていると論じます。
  

* シュウジとちせの「サヴァイヴ感」

 
確かに宇野氏の指摘の通り、セカイ系とは今や乗り越えられた一つのジャンルであることは疑いないでしょう。けれどもその一方で「セカイ系」という言葉が流通する以前の作品である本作はセカイ系一般には収まりきれないある種の「過剰さ」をも抱え込んだ作品でもあります。
 
例えば同作の後半、シュウジとちせは故郷を離れて、海の見える街で暮らし始めます。そこでちせはラーメン屋、シュウジは漁協で大人達に混じって泥まみれになって働き、日々の生計を立てていく姿が仔細に描き出されます。「戦争」という非日常が二人の日常を侵食していき、徐々にちせが人格崩壊を起こしていく中で、二人は最後の最期のぎりぎりまで日常の側に留まりに「戦争」という非日常に抗おうとしていました。こうした過酷な現実と格闘する二人の姿は「セカイ系=引きこもり」というイメージからは最も遠い姿であるといえるでしょう。
 
ここにはまさに宇野氏のいう「引きこもっていたら殺される」という「サヴァイヴ感」が全面的に打ち出されています。そういった意味で同作は「世界の果て=外部」を仮構する想像力に依拠しつつも、その一方でいわば「世界の片隅=内部」で格闘する想像力をも胚胎させていたといえます。
 

*「その後」を描いた物語

 
そして本編の連載終了から5年後に公刊された短編集「世界の果てには君と二人で」では、まさにこの「世界の片隅=内部」で格闘する想像力をもって「世界の果て=外部」を仮構する想像力に抗っていく光跡を見出す事ができます。
 
まず本編の連載終盤に執筆された一つ目の短編「世界の果てには君と二人で。あの光が消えるまでに願いを。せめて僕らが生き延びるために。この星で。」では、ちせが戦場に飛んで行く瞬間を偶然一緒に見た中学生の男子と女子の小さな物語が描かれます。その不自然なまでに長大なタイトルが示すようにセカイ系的自意識に極めて自覚的な同作では、そのバカバカしさを承知の上で「世界の果て=外部」をあえて仮構することで「世界の片隅=内部」を生き抜いていく想像力が打ち出されています。
 
次に本編の連載が終了した翌年に執筆された二つ目の短編「LOVE STORY ,KILLED.」では、とある兵士と女子高生の交流とその末路が兵士の「お守り」である「銃弾」の視点から語られます。ここでは「世界の果て=外部」なき「世界の片隅=内部」における端的で無惨な現実が描き出されます。
 
そしてこの短編集が公刊された年に執筆された三つ目の短編「スター★チャイルド」はなんと本編の「その後」を描いた物語です。
 

*「セカイ」から「せかい」へ

 
世界が滅びた後、生き残った僅かな人類は争いを亡くし武器を棄て、かつての最終兵器であったちせを破壊の神と畏れ奉り、地底の「セカイ」で細々と暮らしていました。そして、この星の中で子ども達は神の名をもつ御子「ちーちゃん」、鬼っ子と呼ばれて蔑まれた「あーちゃん」、唯一の男の子で御子の許嫁の「マーちゃん」の3人しかいません。
 
ある日「ちーちゃん」が死に、やむなく最後の御子として「あーちゃん」が選ばれます。御子に選ばれる事は死を意味することを直感した彼女は偶然起こった地震に乗じて地底の「セカイ」から逃走し、神の偶像である一振りの剣を片手に追いかけてくる大人達を皆殺しにします。
 
こうして、この星に存在する人間は「あーちゃん」と「マーちゃん」の二人きりとなりました。そして光の射す大地の割れ目を通じて二人が地底の「セカイ」から外の「せかい」に出たその時に「あーちゃん」は神の御名「チセ」を名乗り、再びこの星に「人」が生まれることになりました。
 
この短編では「セカイ」と「せかい」という言葉が明確に書き分けられています。すなわち、ここには「世界の果て=外部」を仮構する「セカイ」を内破して「世界の片隅=内部」しかない「せかい」の歴史をゼロから紡ぎ始めるという想像力を見出すことができるでしょう。そういった意味でこの短い後日譚は最終兵器彼女という作品自体にある種の救いをもたらすと同時に、同作を規定し続けてきた「セカイ系」という呪縛を自ら乗り越えようとした作品であるように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「よその家の事情」に向き合うということ--夕凪の街 桜の国(こうの史代)

 

* 昭和20年8月6日午前8時15分

 
その時、アメリカ合衆国戦略爆撃機B29エノラ・ゲイ号から投下された原子爆弾リトル・ボーイは広島市の高度567メートルの上空で炸裂し、晴れ渡った夏の空に巨大な火球を顕現させました。その刹那、凄まじい熱線と爆風が解き放たれ、その爆心点から半径2キロメートルまでの市街地ほとんど全てを一瞬で壊滅させました。
 
そして言うまでもなく原子爆弾が通常兵器と決定的に異なる点は炸裂時に大量に放出される放射線のもたらす広範囲かつ長期間におよぶ被害にあります。爆発後1分以内に放出された初期放射線により、爆心地から1キロメートル圏内の被爆者の多くが即死か数日のうちに死亡し、爆心地から5キロメートル圏内の被爆者の多くも吐き気、食欲不振、下痢、頭痛、不眠、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、発熱、口内炎、白血球・赤血球の減少、月経異常などといった急性放射線症を発症しました。
 
そして原爆の高熱によって生じた「キノコ雲」と呼ばれる原子雲は広島市西北部の広範囲の地域に放射性物質を多量に含んだ「黒い雨」を降らせて被害をさらに拡大させました。また、原爆投下後の10数日の間に救護活動などのため広島市に入市した多くの人々が市中の残留放射線がもたらす被害に遭う事になりました。
 
この点、広島市の推計によれば昭和20年12月末時点で約14万人が原爆被害により死亡したとされています。しかし原爆被害はこれだけの範囲にはとどまりません。放射性を多量に浴びた被爆者の多くが数年後には高確率で白血病やがんを発症していた事が後の調査で判明しています。また辛うじて生き残った多くの被爆者にしても、火傷跡に出来たケロイドをはじめとする様々な身体疾患やサバイバーズ・ギルトあるいはPTSDに相当する精神疾患に、あるいは「ピカ」という蔑称に象徴される社会的差別に長年悩まされ続けました。
 
そして被爆時に母胎内にいた子どもにも出生後「胎内被爆」による小頭症や発育遅延などの障害が多数確認されており、さらに一部の研究では、被爆後に妊娠した子である「被爆二世」も少なくとも臨床統計上は健康に関する遺伝的影響を否定できないという意見がみられます。こうした意味で原爆被害はいまだ終わらないアクチュアルな問題であり続けているといえます。
 

* 原爆は「よその家の事情」だった

 
こうした世代を超えて続く原爆被害に光をあてた作品である本作「夕凪の街 桜の国」は2016年に映画化され大きな反響を呼んだ「この世界の片隅に」の原作者、こうの史代氏による連作漫画です。広島原爆を題材とした本作は2004年に単行本が公刊され、同年の第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と、翌年の第9回手塚治虫文化賞をダブル受賞し、こうの氏にとっての出世作となりました。
 
本作の「あとがき」でこうの氏は「広島の話を描いてみない」と編集者から言われた時、最初は「やった、思う存分広島弁が使える!」と喜んだのも束の間で、編集者のいう「広島」があの「ヒロシマ」という意味であることに気づき、すぐに「しまった」と思ったと書いています。
 
こうの氏自身は広島市出身ではあるものの被爆者でも被爆二世でもなく、周囲に被爆体験のある親戚もおらず、原爆はどこまでも「よその家の事情」であり「怖いということだけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた」そうです。けれども同時に漫画家になるために上京後、出会った多くの人達が原爆の惨禍についてほとんど知る機会に恵まれていなかった事に思い至り、本作の執筆を決意します。こうの氏は次のように書いています。
 
だから、世界で唯一の(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」も含めて)被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、私が広島人として感じていた不自然さよりも、もっと強いのではないかと思いました。遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。
 
夕凪の街 桜の国「あとがき」より)

 

* 夕凪の街

 
1955年の広島を舞台にした「夕凪の街」のあらすじはこうです。主人公、平野皆実は原爆で父と妹と姉を亡くし、現在は建設会社に勤めながら「原爆スラム」と呼ばれるバラックが建ち並ぶ集落に母、フジミと二人で暮らしています。疎開中で被爆を免れた弟、旭は伯母夫婦に養子に出され、時折葉書を送ってくる程度の疎遠な関係になっています。
 
皆実は10年前の被爆体験を自らのうちで反復するうちに、自分が「死ねばいい」と他人から思われても仕方のない人間になったしまったと思い詰めています。そんなある日、皆実は日頃何かと親しくしていた同僚の打越から好意を打ち明けられますが、たちまち何処からか「お前の住む世界はそっちではない」という「誰かの声」が聞こえ、あの8月6日の「何人見殺しにしたかわからない」おぞましい記憶が蘇り懊悩します。
 
こうした描写から皆実はいわゆるサバイバーズ・ギルドとPTSDを患っていたように思われます。けれども皆実は何とか意を決して「うちはこの世におってもええんじゃと教えてください」と打越に告げ、10年前の原爆体験を話し始めます。そして打越は皆実の過去を受け止め「生きとってくれてありがとうな」と彼女の居場所を肯定します。こうして二人が新しい人生のスタートを切るかと思われた矢先、皆実は原爆症を発症して死んでいきます。
 

* 原爆文学の系譜における本作

 
原爆を描いた漫画でもっともよく知られている作品はやはり何といっても「はだしのゲン(1975)」でしょう。広島原爆の被爆者でもある中沢啓治氏の手がけた同作は1973年6月から「週刊少年ジャンプ」で連載され、紆余曲折の末に汐文社から刊行された単行本が大江健三郎氏の激賞を受けて俄に世の注目を集めることになりました。
そして同作はジャンプでの連載終了後も「市民」「文化評論」「教育評論」と掲載媒体を転々としながらも連載を継続し、1980年には単行本が100万部を突破し、現在でも原爆漫画の金字塔として海外を含めて広く読み継がれています。原爆投下後の地獄絵図を克明に描き出すと同時に反戦平和の理念を高く掲げる同作は戦後日本における原爆文学の正統な系譜に連なる作品といえるでしょう。
 
一方で「夕凪の街」は、原爆文学の系譜でいえば井伏鱒二氏の「黒い雨(1966)」を想起するものがあります。同作は被爆から数年後、広島の山間部の寒村で静かに暮らす閑間重松・シゲ子夫妻とその姪である矢須子の物語です。自身も原爆症を患う重松は矢須子に来た折角の縁談を破談にしないため、被爆時の日記を清書して彼女に原爆症の懸念がないことを証明しようと奮闘していますが、実際に作業を進めていくと矢須子が「黒い雨」を浴びていることが明らかになり、果たして重松の努力も虚しく矢須子は原爆症を発症し縁談は破談となります。
同作は「反戦平和」という時に政治性を帯びてしまうメッセージから一歩引いたところで被爆者の日常を深く丁寧に描き出したことで極めて高く評価されました。同作において病み衰えていく矢須子の姿は皆実の姿と重なります。そして、こうした被爆という現実と向き合いながらも日常を懸命に紡いでいく年若き被爆者の姿に、きっと多くの読み手は心から共感し、寄り添う事になるのでしょう。
 
もっとも「黒い雨」では、重松が奇跡に縋り矢須子の恢復を必死に祈るところで物語は幕引きとなりますが、本作ではここからさらに皆実が死んだ「その後」が描き出されることになります。
 

* 桜の国

 
「夕凪の街」から時を隔てた1987年の東京を舞台とした「桜の国(一)」と2004年の東京〜広島を舞台にした「桜の国(二)」の主人公は皆実の姪にあたる平野七波です。「桜の国(一)」の当時の七波は11歳で、男子に混じって野球チームに所属する活発な少女ですが、弟の凪生は生来喘息がひどく現在も入退院を繰り返していました。
 
ある日、七波は友達の東子を誘って凪生の見舞いに行き、病室で騒いでいたところを、同じ病院に検査を受けに来ていた祖母のフジミ(皆実の母)にこっぴどく叱られて帰宅しますが、父の旭(皆実の弟)はなぜか七波を叱ろうとせず、父に叱る余裕がなかったと七波が気付いたのはだいぶ後になってからでした。その時、実は祖母の検査結果はかなり悪く、その夏に祖母は死んでしまいます。
 
そして「桜の国(二)」で七波は28歳になっており、凪生は研修医になっています。最近の旭は不審な挙動が目立ち、認知症を疑った七波は旭の後をつけていき、その先で偶然、17年ぶりに東子と再開し、二人は旭を追って広島行きの夜行バスに乗り込みます。そして広島への短い旅を通して、胎内被爆がおそらく原因で夭折した母、京花の記憶や自分達被爆二世に対する世間のまなざしなどが詳らかにされていく中で、七波はこれまで見て見ぬふりをしてきた「原爆」の問題と真摯に向き合う事になります。
 

* 現代における原爆という出来事

 
かつてのこうの氏のように、おそらく大多数の人にとって原爆とは「よその家の事情」に過ぎないのかもしれません。この点、本作は原爆という出来事を、遠い昔に起きた悲惨な物語としてではなく、現代に続く現実として描きだします。
 
我々はしばし原爆譚という「よその家の事情」に時折触れることで「可哀想な被害者」に共感し、寄り添う事のできる「優しさ」を自分の中に確認して無自覚的に安心したりするわけですが、この「優しさ」の前提にあるのは「絶対的な被害者」と「絶対的な加害者」がいるという二項対立的な思考です。けれども、ある状況=文脈における「被害者」は別の状況=文脈では「加害者」ともなりうる事だって現実には多々あるでしょう。
 
こうした意味で、本作は被爆者や被爆二世を悲劇性を身に纏ったキャラクター的な実存ではなく、状況=文脈次第で被害者にも加害者にもなりうるモバイル的な実存として描き出し、読み手の持つ「絶対的な被害者/絶対的な加害者」という二項対立に揺さぶりをかけているといえます。そして、こうした本作が描き出す現実は、あの3.11を経由した今、より切実なものとして我々読み手の前に差し出されているといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【書評】日本のいちばん長い日(半藤一利)

* 半藤史学の原点

 
昭和38年6月20日、東京は築地の料亭でとある座談会が開かれました。元内閣書記官長の迫水久常、元陸軍大将の今村均、元陸軍大佐の荒尾興功、元秘書官の鈴木一ら、終戦当時の日本の政界や軍部の枢要にいた錚々たるメンバーが出席し、あの昭和20年8月15日に自分がどこで何をしていたかを回顧するこの座談会の企画と司会を務めたのが後に昭和史の大家となる文芸春秋の編集者、半藤一利氏です。
 
当時、若干33歳の若手編集者であった半藤氏が終戦企画として立ち上げたこの座談会において飛び交った戦争当事者たちによるリアルな証言の数々は同年の「文藝春秋」8月号に掲載され大きな反響を呼びました。そしてその後、この座談会をさらに掘り下げるべく取材を重ねた半藤氏が執筆し、当時の大御所ジャーナリストであった大宅壮一氏の名義を借りて昭和40年に世に問われた本書「日本のいちばん長い日」は「終戦というプロジェクト」を緊迫した筆致で描き出す半藤史学の原点というべき一冊です。
 

* 7月26日から8月14日まで

 
太平洋戦争末期の昭和20年7月26日、時の連合国はイギリス・アメリカ・中華民国の連名で日本に無条件降伏を促すポツダム宣言を発しました。その第一報は27日に日本側へ伝わるも、当時中立国であったソ連に対して和平の仲介を依頼する対ソ工作が水面下で進行していたこともあり、政府はひとまず事態を静観する態度を取る事になります。28日の各朝刊紙は内閣情報局の指令のもとポツダム宣言を発表するも、紙面には「笑止、対日降伏条件」や「聖戦を飽くまで完遂」などという戦意高揚を図る強気の文字が踊り、同日午後4時にはポツダム宣言を「ただ黙殺するだけである」という鈴木首相の談話が発表されました。この時、ポツダム宣言がただの宣言ではなく実は連合国からの最後通牒であることに日本政府は気付いていませんでした。そして8月に入っても肝心のソ連からの回答はなく貴重な時間がただ無駄に過ぎていきました。
 
8月6日早朝、広島市が謎の大規模爆発により一瞬で壊滅したという衝撃的な報が政府中枢へもたらされます。翌7日に米国トルーマン大統領は広島に投下された新型爆弾は戦争に革命的変化を与える原子爆弾であると宣明し、日本が降伏に応じない限り、さらに他の都市へも投下する旨の声明を発表します。これに対して日本軍部側は連合国側のプロパガンダの可能性を捨てきれず、同日午後の大本営発表では新型爆弾については「詳細目下調査中」と述べるにとどまりますが、翌8日には広島の調査団から正式に間違いなく原子爆弾であるという報告がもたらされます。さらに翌9日未明、頼みの綱のはずのソ連が日ソ中立条約を破棄し、満州国朝鮮半島北部、南樺太への侵攻を開始しました。
 
急迫した情勢下で開かれた同日午前の最高戦争指導会議ではポツダム宣言の受諾条件について議論されました。ここでは我が国の国体護持をめぐり⑴天皇の国法上の地位存続のみを条件とする外相案(一箇条案)と、⑴の他にさらに⑵占領は小範囲、小兵力、短期間であること⑶武装解除と⑷戦犯処置は日本人に手に任せることを追加した陸相案(四箇条案)が対立します。阿南陸相はこの4条件なくして国体護持は事実上不可能であると強硬に主張しました。そして議論が紛糾する中、長崎市に2発目の原爆が投下されたという報がもたらされることになります。
 
午後から開かれた閣議でも長時間の議論が尽くされるも意見はまとまらず、鈴木首相の提案により同日深夜に急遽開催された天皇臨席の御前会議でも議論が拮抗したまま日付が変わり、午前2時を過ぎたところでついに鈴木首相は昭和天皇の聖断を仰ぐ事になり、ここに外相案によるポツダム宣言受諾が決定されました。
 
8月10日午前7時、政府は天皇大権に変更なしという条件付きでポツダム宣言を受託する旨の電報を中立国のスイスとスウェーデンへ送付。そして同盟通信が午後7時に流したポツダム宣言受諾の報をアメリカが傍受。アメリカ側の対日回答案(バーンズ回答)は英・中・ソの承認を経て連合国の回答として決定され、11日正午にスイスへ向けて打電されます。
 
日本では12日未明、バーンズ回答を流し始めたサンフランシスコ放送を傍受。「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官にsubject toする」という回答文中の「subject to」という文言をめぐり「制限下におかる」と訳した外務省と「隷属する」と訳した陸軍中央が対立。同日午後の閣議、翌13日午前の最高戦争指導会議、同日午後の閣議において議論は再度紛糾。甲論乙駁が果てしなく続き、ここでも阿南陸相は悲痛な抗議を続け、鈴木首相は再び昭和天皇に聖断を仰ぐことになりました。
 
翌日14日午前10時50分、鈴木首相の策案により昭和天皇の「お召し」という形で最高戦争指導会議構成員と閣僚全員の合同の御前会議が行われ、最後は涙ながらに国体護持を切論する阿南陸相たちを昭和天皇が説き諭すような形で日本の降伏は決まります。そしてここから終戦詔勅玉音放送に向けて「日本のいちばん長い日」が始まることになりました。
 

* 鈴木貫太郎阿南惟幾

 
臨床心理学者、河合隼雄氏は「古事記」や「日本書紀」といった日本神話を手がかりに日本人の精神性は「中空均衡構造」に規定されていると主張します。ここで河合氏のいう「中空均衡構造」とは、西洋近代社会における「垂直統合構造」のようにある特定の原理が全体をすべからく統合するのではなく、相対立する諸原理がその中心にある「空」というある種の無原理をめぐって調和的に均衡している状態をいいます。そして氏はこうした「空」の位置を何かしらの特定の原理が瞬間的に占めたとしても、やがて対抗する別の原理による揺り戻しが起きて、結局その全体は「空」を中心とした均衡に還る事になるといいます。
 
こうした意味で鈴木貫太郎という人は優れて日本的な「中空均衡構造」の力学を熟知したリーダーだったように思えます。鈴木は海軍で連合艦隊司令長官軍令部長を歴任した後、宮中の侍従長となり昭和天皇の信任篤い存在であり、戦況悪化の中での総理就任を打診された鈴木は何度も固辞するも、最終的に昭和天皇に懇願され77歳という高齢を押して総理に就任します。
 
そしてポツダム宣言受諾をめぐる議論が紛糾し、もはや鈴木内閣は対ソ工作失敗の責任を取って総辞職すべきではないかという従来の政治的常識に基づく意見も出る中で、鈴木はこの戦争は自分の内閣で終結させるという確固たる決意の下に流転する時局を冷然と俯瞰し、時には狸芝居を打って周囲を煙に巻きながら議論が熟する時をひたすらに待ち続け、ついには「御前会議による聖断」という奇策をもって徹底抗戦を叫ぶ大本営を老獪に出し抜き「終戦というプロジェクト」を手繰り寄せる事になります。
 
このように「終戦というプロジェクト」における「表の立役者」が時の総理大臣、鈴木貫太郎だとすれば「裏の立役者」こそが時の陸軍大臣阿南惟幾であるといえるでしょう。周知の通り当時の内閣では軍部大臣現役武官制が導入されており軍に都合の悪い議案が決まりそうな時は陸相が辞任して内閣ごと潰してしまうのがこれまでの常套手段でした。けれども阿南は陸軍の立場を強硬に主張する一方で、最後まで決して辞任はしませんでした。というのも当時、陸軍内部では政府転覆を画策するクーデター計画が目下進行中であり、阿南は陸軍の立場を強硬に主張する事で軍の暴発をギリギリのところで抑えていたからです。
 
それゆえに昭和天皇の聖断が降ると一転して阿南は猛り狂う部下達の前に立ちはだかり、不服なものはまず阿南を斬れと言い放ち、今や大義名分を失ったクーデター計画を諌める一方で、終戦詔勅をめぐる閣議では帝国陸軍に栄光ある敗北を与えるため孤立無援の中で毅然とした抵抗を続けました。そして最後は陸軍の代表者としての責任を取り「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」という遺書を残し壮絶な自刃を遂げることになります。
 
こうしてみると鈴木首相がポ宣言をめぐる対立諸勢力の均衡点を終始正確に見極めていたとすれば、阿南陸相は文字通り身命を賭してその均衡点を創り出したともいえます。いわば両者の演じた対立とは「終戦というプロジェクト」において軍を出し抜く役割と抑える役割という役割分担の相違に帰するのではないでしょうか。
 

* 宮城事件

 
本書が描き出す8月14日正午から8月15日正午までの「日本のいちばん長い日」とは「終戦というプロジェクト」をめぐり政府と青年将校が熾烈な攻防戦を繰り広げた24時間のドラマです。陸軍の策動したクーデター計画は結局、阿南陸相らの賛同を得られず空中の楼閣と帰してしまいます。しかし、それでも諦め切れなかったのが軍務局課員、畑中健二少佐と椎崎二郎中佐を中心とする一部の青年将校達です。彼らは宮城を占拠して昭和天皇に「御聖断の変更」を願うという途方もない計画を夢想し、その実行にあたり関係各方面の協力を取り付けるべく奔走します。
 
この点、畑中らの計画の鍵は宮城を警衛する近衛師団の動員にありました。けれども難物として知られる森赳近衛師団長を説得できる可能性は限りなくゼロに近く、その計画はもはや無謀というより暴挙といえるものでした。畑中らの先輩格である井田正孝中佐はその心境にこそ共感しつつも、至誠天に通じねば最後には師団長を斬るしかないと激しく思い詰める彼らを冷静に次のように諭します。
 
「なるほど、さっきから聞いていると、きみたちの計画の根本は、近衛師団天皇を擁して宮城に籠城する体勢をとる、という一点にあるようだが、そのためにはどうすればいいか。結論的にいえば、師団の団結が成否のカギになる。師団長が率先陣頭を指揮せぬかぎり、このような籠城は不可能であろう。なのに師団長を斬らねばならぬという。師団長を斬るような状況で見込みがあると思うのか。これは大義名分を失った単なる暴動にしかすぎなくなる。社会的争乱を引き起こすのが目的ではないはずだ。」
 
畑中少佐が泣かんばかりになって、「絶対大丈夫です。絶対大丈夫です」とくり返した。 
 
(本書より)

 

結局、井田は畑中の熱意に絆されて行動を共にする事を決意しますが、僅かな行き違いから師団長を惨殺してしまった畑中らは以後はもはや成り行きのままにニセ命令によって近衛師団を扇動し、果たして一時的な宮城制圧に成功する事になります。これが世にいう「宮城事件」です。そして明日にも終戦詔勅玉音放送がある事を知った彼らは放送を阻止すべく死に物狂いで玉音盤を探し回ります。
 

*「国体」とは何か

 
半藤氏は畑中少佐らを突き動かしていたのは利欲でも怨恨でも功名心でもなく、あくまで「国体護持」を貫かんとする彼らなりの信念であったといいます。もっとも政府側にしてもポ宣言受諾にあたり「国体護持」は絶対に譲れない一線であり、鈴木首相も阿南陸相もいわば「国体護持」という目的のための手段をめぐり対立していたわけです。
 
けれども、ここでいう「国体」なる観念の内実は論者によって様々に異なっており、とりわけ畑中らが奉じる「国体」とは天皇や皇室といった法的制度の次元を遥かに超越した「日本人の普遍的精神そのもの」というべき観念です。この点、畑中や井田が師事した東大教授平泉澄博士の主唱する実在的国体観によれば、建国いらい日本は君臣の定まること天地の如く自然に生まれたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有は皆天皇に帰すがゆえに国民は等しく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の統合を遂げることこそが我が国の国体の精華であるとされます。
 
現代社会の平均的感覚からすれば俄に理解し難い論理ではありますが、とにかくもこうしたラディカルな国体観から畑中らは目下の時局を案じ、無条件降伏の根本理由など畢竟、自分の生命が惜しいからという売国奴の論理であるか、早ければ早いほどあらゆる面での損害が少ないからという唯物的戦争観でしかないという結論に到着し、さらに戦争とはひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで遂行せねばならないはずのものであり、国民の生命を助けたいなどという即物的理由による無条件降伏はかえって国体を破壊する革命的行為に他ならないと断じ去り、これを阻止することこそが国体にもっとも忠なのであると信じ込んでいました。
 
これは当時の日本においては特段奇異な思想ではありません。少なくとも昭和10年の国体明徴運動以降、政府も軍部も「国体」こそが我が国の絶対至高の統治原理であると大いに喧伝していました。昭和12年に文部省が全国の学校にばら撒いた「国体の本義」なる本によれば、万世一系天皇が永遠に日本国を統治することこそが「我が万古不易の国体」であり、この大義に基づき「一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する」ことは国民自明の常識とされ、少なくともそう信じるよう強いられていました。ここに書かれてあることと畑中らの奉じる国体観とはそう遠い距離にはないでしょう。むしろ畑中らの悲劇の本質は「国体」という「大きな物語」をあまりにも純粋無垢に信奉してしまっていた点にあるといえます。
 

* 物語と平衡感覚

 
現代の倫理観念からすれば畑中ら青年将校を悪と断罪したり視野の狭い愚者だと嗤う事は容易でしょう。けれどもそう言いながらもその一方で、現代においても我々はカルトや原理主義といった物語に入れ込んだ挙句にテロリズムに走ったり人生を破滅させてしまう事例を数多く目撃しています。時代がいかに変わろうとも人は良くも悪くも何かしらの物語に取り憑かれてしまう生き物です。物語は人を生かす側面を持つと同時に人を殺す側面も持っています。
 
この点、本書はその序で「今日の日本および日本人にとって、いちばん大切なものは”平衡感覚”によって復元力を身につけることではないかと思う。内外情勢の変化によって、右や左に、大きくゆれるということは、やむをえない。ただ、適当な時期に平衡を取り戻すことができるか、できないかによって、民族の、あるいは個人の運命が決まるのではあるまいか」と書いています。
 
かつての青年将校らの狂騒や、現代におけるカルトや原理主義の暴走は、まさしくここでいう「平衡感覚」の喪失から生じた典型的ケースといえるでしょう。そしてまた、何かしらの「正義」の名の下に気に入らない他者に安全圏から嬉々として罵詈雑言を投げつける現代インターネット社会でよく見かけるあの病理現象にしても、やはり自分に都合の良い物語に取り憑かれて少なからず「平衡感覚」を狂わせてしまったひとつのケースであるといえるでしょう。こうした意味で我々はどんなに正しく美しく素晴らしくみえる物語でも決して絶対視することなく、常にこれを批判的に観るための「平衡感覚」をあの8月15日から学び取るべきなのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日常系におけるヒューマニズム--スローループ(うちのまいこ)

*「ゆるい日常」を描く意義

 
日本初の萌え4コマ専門誌として芳文社より2002年に創刊された「まんがタイムきらら」は3〜5人位の10代女子の会話劇を中心とした「ゆるい日常」を描き出すいわゆる「日常系」の牙城として知られています。日常系作品はゼロ年代におけるオタク系文化圏において徐々にその存在感を増し始め、2011年に公開された「映画けいおん!」は深夜アニメ発の映画としては当時異例といえる興行収入19億円を達成し、ある種の社会現象の様相を呈しました。この点、きらら編集長である小林宏之氏は2014年のインタビューにおいて、きららが「ゆるい日常」を描く意義を次のように述べています。
 
 社会に目を向けると、厳しいことがたくさんありますよね。“きらら”として、それをマンガでも積極的に描く必要はあるのだろうかと私は思います。私たちは日常に潜む人の温かみを描くよう注力しています。特に、だれかがだれかを思う気持ちは、普遍だと思います
 

 

*「つながり」を通じた「いまここ」の再発見

 
かつて宮台真司氏は「終わりなき日常を生きろ」において、近代的な個人の生の意味を基礎付けていた社会共通の価値観である「大きな物語」が凋落し、ポストモダン状況が進行しつつある現代を「終わりなき日常」と名付け、今や手に入れにくくなった生の意味を求めるのはやめて、単に楽しいことや気持ちのいいことを消費して「終わりなき日常」をまったりとやり過ごすことで快適に生きる「まったり革命」を唱導しました。
そして宇野常寛氏は「ゼロ年代の想像力」において、宮台氏のいう「終わりなき日常」を都市論の観点から「郊外化した世界(歴史から切断されてコミュニティの多様性とアーキテクチャの画一化が進行する世界)」として捉え直した上で、そこで成立しうる新たな「中間共同体」の可能性に注目します。そこで氏は宮藤官九郎作品や矢口史靖作品を引きながら、日常の中で自ら選び取った「中間共同体」を他の何者にも代え難い「入れ替え不可能なもの(=物語)」として機能させることで「郊外化した世界=終わりなき(ゆえに絶望的な)日常」という図式を「終わりある(ゆえに可能性に満ちた)日常」へと読み替えてゆく現代的な成熟観を見出しました。
 
こうした国内思想的な観点からいえば日常系というジャンルもまた「つながり」という中間共同体を通じて「いまここ」の中に瑞やかな日常を再発見していく想像力によって支えられているといえます。この点、芳文社が2007年に創刊した4番目のきらら系列誌である「まんがタイムきららフォワード」はきらら初のストーリー漫画形式を採用し、4コマの枠から解き放たれた表現様式を日常系にもたらしました。2010年代を代表する日常系作品である「がっこうぐらし!」「ゆるキャン△」はいずれもフォワード連載作品です。
 
そして同じくフォワード連載作品であり、小林氏のいう「日常に潜む人の温かみ」「だれかがだれかを思う気持ち」にかつてになく真摯に向き合った日常系作品が「スローループ」であったように思えます。
 

* 二人はある日突然「姉妹」になった

本作の作者であるうちのまいこ先生は子どもの頃から漫画を描くことは好きだったけれども特に職業的な漫画家を目指していたわけではなかったそうですが「きんいろモザイク」「ご注文はうさぎですか?」というきららアニメに触れた事がきっかけで芳文社にダメもとで原稿を持ち込んでデビューした経緯があるそうです。本作はデビュー作「ななつ神オンリー!」に続く2作目で、その物語はこんなふうに始まります。
 
主人公の少女、山川ひよりは3年前に父親をがんで亡くして以降、もっぱら海辺で父親から教えてもらったフライフィッシングをしながらひとりの時間を静かに過ごしていた。そんなある日、もう少しで高校生となるひよりはいつものように海辺でフライフィッシングをしていると、何やら興奮した面持ちの見知らぬ少女がスクール水着(!)でまだ冷たい3月の海に飛び込もうとしていた。ひよりがフライキャスティング(!!)で何とか少女を止めると、少女はひよりのしていた釣りに興味を持ち、釣りたての魚の味に感激し、あっという間に二人は仲良くなった。
 
そして別れ際、ひよりは少女に実は今夜母親の再婚相手とその娘との食事会があることを告げると、少女は奇遇にも今夜同じような予定があると返してきた。
 
その少女の名は海凪小春。果たして彼女こそが「その娘」であった。こうしてひよりと小春は何やら奇妙な縁で「姉妹」となった。
 

* フライフィッシングとは何か

 
うちの先生はもともとキャンプが趣味でその延長線上で釣りも始めたらしく、最初はキャンプ漫画を描きたかったそうですが、すでに「ゆるキャン△」の存在があるためキャンプ漫画は断念し、その構想をリメイクして生まれたのが本作だそうです。
 
「スローループ」というタイトルはフライフィッシング用語の「タイトループ」の反対語が由来のようです。本作が題材にするフライフィッシングとは15世紀ごろの英国起源の釣りで水棲昆虫に模したフライ(毛針)を流して魚を釣ります。フライはとても軽く普通の投げ方では遠くまで飛ばないため、ライン(釣り糸)が空中でループを描くフライキャスティングという独自の投げ方が考案されました。
 
釣りの中でも比較的マイナーなフライフィッシングを題材にしたのはうちの先生自身が当時フライフィッシングしか釣り方を知らなかったらしく、ひよりも当初はフライフィッシングしかできない設定になっています。もっとも連載に当たっては綿密な取材が重ねられているようで、本作ではフライフィッシングはもちろん釣り全般や釣った魚の料理についてかなり本格的な描写と説明が頻繁に登場します。こうした本作の特徴について、うちの先生の担当編集氏は次のように述べています。
 
『スローループ』は読者の行動を促すマンガを目指しているんです。ひよりがフライフィッシングをしていたら自分も釣りがしたいと思ってほしいし、小春が料理をしていたら自分も作りたいと思ってほしい。なので、アウトドアをしたことがない方が読んでも分かるように詳しく描いてくださいとお願いしました。
 

 

* 等価交換の外部としての「誤配」

 
これは大きく言うと、作品の中に等価交換の外部としての「誤配」を仕掛ける試みといえます。きらら作品の事実上の想定読者層は社会に疲れ果てた大人達といわれています(うちの先生自身もきんモザごちうさに触れた当時はそうした人々の1人だった事をインタビューで述懐しています)。そういった人々はもっぱら、厳しい現実に疲れ果て「萌え」とか「癒し」といった甘やかな虚構をきらら作品に求め、そこでひとまず等価交換としての「萌え」や「癒し」を満たす事になります。
 
けれど同時に読み手は作品内で取り扱うジャンルをまずは作品理解の一環から検索なりで調べ始めてるうちに、いつのまにか作品を離れてそのジャンル自体に興味を抱き、その結果、そのジャンルを自分の「趣味」にしてしまうこともあるでしょう。
 
その時、その作品は読み手に等価交換の外部としての「誤配」をもたらし、大げさにいえば読み手の人生に想定外の、より豊かな可能性を開く契機ともなるわけです。事実、2010年代の日常系作品では「ゆるキャン△」や「恋する小惑星」のように作品内で取り扱うジャンルをある程度深く描写していく「誤配」的な傾向性を持つ作品が一定の支持を集めてきました。すなわち、本作はこうした近年の日常系作品に内在するひとつの可能性を徹底して押し進めた作品といえるでしょう。
 

*「他者性」が泡立つサイダーのような「つながり」

 
本作の主要キャラクターはひよりと小春、そしてひよりの幼馴染である吉永恋の3人です。主要キャラクターが3人という構成は日常系作品としては比較的少人数ですが、その分本作は主要キャラクターの内面へていねいに光を当てていきます。
 
ひよりは父を失った過去を今も引き摺っているという日常系作品ではかなり重い設定を持っています。同時にひよりはいわば「終わりなき日常」を(フライフィッシングをしながら)やり過ごしてきたポストモダン的主体とも重なり合います。
 
そして過去の傷が癒えない主人公(ひより)が、突然現れた天真爛漫な少女(小春)と、良き理解者である幼馴染の少女(恋)との交歓を通じて、その生の物語を修復していくという本作の基本的構図は日常系というよりもむしろかつての美少女ゲームに近いものを想起させます。ある意味で本作はかつての美少女ゲーム的構図を日常系の想像力の中で再構築した作品ともいえます。
 
この点、ヒロインに相当する小春と恋はひよりをめぐってある種の競合関係に立っています。小春は自分が知らないひよりを知っている恋を羨ましく思い、その一方で恋はひよりの心の中に深く踏み込めない自分に苛立っています。そして小春も恋も共に、ひよりには悟られまいとする闇や情念をそれぞれ抱え込んでいます。
 
スローループでは、こうした「知らない」「踏み込めない」「悟られまい」といった「他者性」が泡立つサイダーのような「つながり」の中で、ひより達は「想いを言葉することの大切さ」を学んでいきます。普段いつも一緒にいるからといって何もかも分かり合えるわけではない。むしろ人は本質的には何も分かり合えていない事こそを分かり合わなければならない。本作が描き出す「他者性」が泡立つ「つながり」の在り方はコミュニケーションにおける一つの倫理を提示しているように思われます。
 

*「ここでいい」から「ここがいい」へ

 
そして本作はひより、小春、恋達の「つながり」をていねいに描き出していくその一方で「つながりの外部」へ大きく開かれた作品でもあります。この点、ゼロ年代日常系が「ひだまりスケッチ」や「けいおん!」のように同世代女子間の理想的な「つながり」を追求していたとすれば、2010年代日常系は「New Game!」における「お仕事」や「ゆるキャン△」における「アウトドア」といった回路を導入する事で同世代女子間に留まらない多様な「つながりの外部」を切り開いていったといえます。
 
ではスローループが切り開いた「つながりの外部」とは何でしょうか。それはずばり「家族」です。ここでいう「家族」は実の家族にとどまらず義理の家族や友達の家族、そして地域といった広義の家族的なコミューンのことです。本作ではひより達とそれぞれの祖父母世代も含めた家族ぐるみの交流をはじめ、近所の釣り船屋を営む福本一花、二葉の姉妹、あるいは一花の旧友である宮野楓や二葉の同級生である二宮藍子といった異なる世代との交流が日常系としては異例の質量で描き出されます。
 
こうしてひより達の「つながり」に様々な「つながりの外部」から多様な刺激と知見と価値観が持ち込まれることで、彼女たちの「いまここ」は確実に深化していきます。それは作中の印象的な台詞を借りていえば「ここでいい」から「ここがいい」への深化です。そういった意味で本作は日常系における「つながり」をある種のヒューマニズムへと昇華した「いまここ」のドラマであるといえるでしょう。
 
「ここでいい」から「ここがいい」へ。終わりなき日常から瑞やかな日常へ。萌えと癒しから倫理とヒューマニズムへ。おそらく本作が描き出すループのその先には、2020年代における日常系のさらなる深化と飛躍の在り処を見出すことができるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 

〈一者〉の享楽と発達障害--こちらあみ子(今村夏子)

*〈一者〉の享楽と〈他者〉の欲望

 
多くの人はそれぞれ、その人だけの「特異性」をもった存在として「一般性」の中で折り合いをつけながら生きています。こうした「一般性」と「特異性」の巡り合わせが良ければ、それは「個性」として受け入れられますが、その巡り合わせが悪ければ、それはしばし様々な「生きづらさ」として立ち現れてくるでしょう。
 
この点、フランスの精神分析医、ジャック・ラカンはここでいう「特異性」を「〈一者〉の享楽」といい「一般性」を「〈他者〉の欲望」と呼んでいます
 
ラカンのいう〈一者〉とは子どもが初めて言語と遭遇した時に刻まれるトラウマ的満足体験の痕跡のことをいいます。人はこのトラウマ的満足体験をどうにかして反復しようとします。ラカンはこのような反復を「〈一者〉の享楽」として捉えました。それはいわば人それぞれが持つ「特異的なこだわり」とでも言うべきものです。
 
そして、この「〈一者〉の享楽」が紐付けられる子供が最初に出会うトラウマ的言語をラカンは「ララング」と呼びます。「ララング(lalangue)」とはラカンの造語であり、冠詞付きの国語(la langue)の冠詞と名詞を一語に融合させたものです。
 
子どもの身体がララングと邂逅した時、その痕跡は「一の印」として身体に刻み込まれ、トラウマ的な「〈一者〉の享楽」がもたらされることになります。子どもにとってララングとはコミュニケーション手段としての言語ではなく、この「〈一者〉の享楽」を反復するための私的言語に他ならなりません。
 
しかし、やがて多くの子どもはこのララングの使用をあきらめコミュニケーション手段としての「ラング(言語)」を獲得して〈他者〉の世界に参入することになります。ここでいう〈他者〉とは具体的な誰々という「他人」というよりも「みんな」とか「世間」とか「社会」などと呼ばれる「一般的他者」のことを指しています。
 
そして子どもはこの〈他者〉の世界を生きる中で「〈一者〉の享楽」は「〈他者〉の欲望」の原因として機能する特定の対象、すなわち、ラカンのいう「対象 a 」がもたらす「剰余享楽」に平準化されることになります。こうして子どもは「みんな」が「世間」が「社会」が欲望するものと同じものを欲望するというラカン的な意味での「主体」になります。
 
しかしながら、世の中には「〈一者〉の享楽」を手放そうとせず「〈他者〉の欲望」と上手く折り合いをつける事のできない子どもがかなりの割合で存在します。そしてまた本作のあみ子もそうした子どもの1人のように思えます。
 

* 今村文学の原点にして頂点 

 
本作は2019年に「むらさきスカートの女」で第161回芥川賞を射止めた今村夏子氏のデビュー作となります。2010年に「太宰治2010」に「あたらしい娘」という題で発表された本作は、同年第26回太宰治賞を受賞し、その後、本作は「こちらあみ子」と改題されて単行本化され、2011年には第24回三島由紀夫賞を受賞しました。
 
当時、本作は書評家や書店員の間でかなりの評判を呼んでいました。そして、あれから10年余りの時を経た本年2022年、森井勇佑監督、大沢一菜主演の映画が公開され、本作は再び注目を集めることになりました。
 
平明でありながらもどこか「世界に棲めてなさ感」のある不穏さを孕んだ文体、純粋無垢な感性の持ち主であるがゆえに異端扱いされる主人公、しばし「世界文学」とも評される時代や地域を超越した普遍的寓話性。こうした今村文学に通底する諸特徴はすでに本作において極めて過激な形で表出しています。まさに衝撃のデビュー作であり、原点にして頂点といえる作品です。
 

*「普通」ではない女の子の物語

 
本作のあらすじはこうです。現在田舎で祖母と暮らすあみ子は15歳までは両親や兄と一緒に暮らしていた。自宅では父親の再婚相手である母親が書道教室を開いており、兄もそこに参加していた。しかし、あみ子は母親の授業を受けることはもとより、教室をのぞくことさえ許されていない。また母親の教室に通う同い年ののり君という少年に惹かれていたあみ子は、彼と仲良くなろうと何かと話しかけるがのり君は全く相手にせず、むしろあみ子を避けているようでもあった。
 
10歳の誕生日に父親からトランシーバーをもらったあみ子は、今度生まれてくる「弟」とスパイごっこをするといい張り切っていた。けれども果たしてその年の冬、あみ子の待ち望んでいた「弟」は死んで生まれてきたのであった。
 
それでもあみ子の母親は家族の前ではどうにか気丈に振る舞い、あみ子にも優しく接していた。そんな母親を元気づけようとあみ子は「弟の墓」を作ることを思い立ち、他人の庭から勝手に引き抜いてきた立札に、のり君に「弟の墓」という字を書いてもらおうとする。当然、拒絶するのり君であったが、最後はあみ子の説得に折れてしまう。
 
のり君に「弟の墓」と書いてもらった立て札をあみ子は家に持ち帰り庭に立てて母親を喜ばそうとするが、立て札を見るや母親はその場で激しく泣き崩れてしまった。しかしあみ子には、母親が泣いている理由がさっぱり分からなかった。その後、あみ子の母親はやる気を無くし書道教室も閉じて寝込んでしまい、兄は不良になり家に寄り付かなくなった。そして、あみ子は中学生になった。
 

* 発達障害から考える

 
あみ子はとても元気一杯で天真爛漫な少女ですが、その行動はどこか非常識で奇矯なところがあります。本作における随所の記述から、あみ子はおそらく発達障害である事が想起されます。発達障害とは先天的な脳の器質的異常により言語、行動、学習の発達過程に偏りが生じる障害をいい、現在では次のような三つのカテゴリーに分類されています。
 
 
1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナーが「早期幼児自閉症」という論文を発表して以来、長らく「いわゆる自閉症」といえば「精神遅滞」「言葉の遅れ」といった特徴を伴うカナー症候群が連想されてきました。ところが1980年代、イギリスの精神科医ローナ・ウィングが、かつてカナーとほぼ同時期にオーストラリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって発見されたアスペルガー症候群を「もう一つの自閉症」として注目したことから、自閉症を「スペクトラム(連続体)」と捉える考え方が有力となります。こうした流れを受け、2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-V)」において、カナー症候群とアスペルガー症候群は「自閉症スペクトラム障害ASD)」として統合されることになります。
 
ASDの主な症状としては「コミュニケーション、対人関係の持続的欠陥」や「特定分野への極度なこだわり」があげられます。「コミュニケーション、対人関係の持続的欠陥」は、言葉の本音と建前がわからない、感情や空気が読めない、身振りや表情など非言語的コミュニケーションの不自然さ、四角四面な辞書的話し方などとして現れます。「特定分野への極度なこだわり」は、常動的・反復的な運動や会話、独特の習慣への頑なな執着、特定対象に関する限定・固執した興味として現れます。また、感覚刺激に対する過敏性ないし鈍感性が見られる場合もあります。
 
⑵ 注意欠如・多動性障害(ADHD
 
ADHDの症例は不注意の多い「不注意優勢型」と、多動や衝動的な言動の多い「多動・衝動性優勢型」に大別されます。「不注意優勢型」の場合、忘れ物、書類の記入漏れ、スケジュールのダブルブッキングといったケアレスミスが多く多く、また、仕事中に自分の世界に入ってぼーっとしたり、居眠りをしたりするので「やる気がない人」とみなされてしまうことがあります。「多動・衝動性優勢型」の場合、計画性無くその場の勢いで物事を決めたり発言したりしてしまうため、周りを振り回してしまうこと多く、また衝動を抑えることが困難なので、順番待ちの列に割り込んでしまったり、他人の話を遮って一方的に喋りまくってしまうこともあります。
  
⑶ 限局性学習障害(LD)
 
知的な問題がないのに、読み書きや計算が困難な障害です。読み書きに関しては、カタカナやひらがなが混ざった文章で混乱する、小学生レベルの漢字が覚えられないといったケース、計算に関しては、暗算や筆算が苦手、九九が覚えられないといったケースがあります。その他、空間認識が苦手で地図が読めなかったり、立方体が書けないなどいったケースもみられます。こうした読み書きと計算の両方が難しい場合もあれば、部分的に苦手なジャンルが生じる場合もあります。
 

* あみ子のケースをどう考えるか 

 
この点、あみ子は「弟の墓」のエピソードが端的に示しているように、基本的に空気を読むコミュニケーションが苦手です。それゆえにあみ子は相手から露骨に避けられたり邪険にされたりしても、構わずに話したいことを一方的にべらべら喋りまくったりします。
 
また、あみ子は「インド人のマネ」などと称してカレーを手で掴んで食べたり、チョコレートクッキーの表面のチョコレートの部分だけ綺麗に舐め取ったりと、その行動の端々に奇妙なこだわりが見られます。こうした奇妙なこだわりはのり君への関心の向け方にも現れています。あみ子はのり君の書く美しい字に異様に執着する一方で、中学に入ってから2ヶ月以上ものり君が同じクラスだった事に気づいていませんでした。
 
そして、あみ子はある日から周囲がほとんど気にしてないような些細な物音が気になり、自分の近くに「霊」がいることを確信し、やがてそれは死んだ「弟の霊」に違いないと思い込むようになりました。
 
それに加えて、あみ子は時間の把握が困難で学校をよく遅刻したり欠席したりすることも多く、何日も風呂に入らなかったり、シワだらけの制服を着て顔も洗わずに学校に行ったり、裸足で校内を歩き回ったりと、かなりルーズというか、だらしない行動が目立ちます。さらに、あみ子は中学生になっても「私」や「朝」といった基本的な漢字が書けず、のり君の苗字である「鷲尾」の読み方も中3になるまで知りませんでした。
 
こうして見ると、あみ子は発達障害におけるASDADHD、LDの全ての特性を満たしているように思えます(実際にそういうケースは珍しくありません)。
 

* 自分の中にある「あみ子的なもの」と向き合うために

 
もっとも本作では「発達障害」という診断名が明示される事はありません。それゆえに本作は発達障害というカテゴリを超えて、様々な形で生起する「生きづらさ」全般へと差し出された作品となっています。
 
本作文庫版の解説において町田康氏は「一途に愛する者は、この世に居場所がない人間でなければならない」と書いています。ここでいう「一途に愛する者」とはもちろんあみ子のことです。すなわち、冒頭で述べたラカンの言葉に即していえば、あみ子は「〈一者〉の享楽」を純粋に反復し続ける「一途に愛する者」であるが故に「〈他者〉の欲望」とまるで折り合いがつかないため「この世に居場所がない人間」になってしまっているということです。
 
もっとも「〈他者〉の欲望」と折り合いが付くか付かないかというのは、その時代その社会の偶然的な条件に規定されているところがあります。あみ子が周囲から疎まれるのは、現代日本では空気を読まない習慣とかカレーを手で食べる習慣とか何日も風呂に入らない習慣などが「たまたま」ないからです。その一方で多くの人が「普通」でいられるのは「〈他者〉の欲望」と幸運にも「たまたま」折り合いがついているだけ、あるいは折り合いがついているフリができているだけに過ぎません。
 
それゆえに誰もが環境や状況や立場の変化といった何かのきっかけである日突然「〈他者〉の欲望」と折り合いがつかなくなることだってあるわけです。そしてその帰結は我々の日常の上に様々な「生きづらさ」という形をとって現れてくることになります。
 
いわば人は誰もがどこかに「あみ子的なもの」を抱え込んでいるといえます。こうした意味で本作を発達障害を抱えるかわいそうな子の話などという「他人事」ではなく、自分自身に起きうるかもしれない出来事として読み解く時、我々読み手は自らの中にある「あみ子的なもの」と真摯に向き合うための知恵と勇気と希望を、他ならぬあみ子から教わることができるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 

【書評】動物化するポストモダン(東浩紀)

* 動物化--ポスト神経症的欲望の到達点

 
かつて1960年代に一世を風靡した「構造主義」の首領にして精神分析中興の祖として知られるジャック・ラカンは人間の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの位相の絡み合いの中で、その心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかに位置付けました。これに対して1970年代に「構造主義」を乗り越える形で現れ大陸哲学に一大ムーブメントを起こした「ポスト構造主義」の代表的思想家と目されるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはその共著「アンチ・オイエディプス」において「いわゆる正常=神経症」という従来のラカン的構図をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱しました。
 
この点、ドゥルーズ=ガタリは「精神分析的欲望=神経症的欲望」から解放された「ポスト神経症的欲望」への展開を志向していました。ここでいう「神経症的欲望」とはラカンが「象徴界」と呼んだ間主観的ネットワークにおいて個人のセクシャリティの規範化を構成する欲望の様式を指しています。これに対して「ポスト神経症的欲望」とは象徴界=間主観的ネットワークから切断されて多方向に発散していく無軌道な欲望の様式を指しています。
 
こうしたドゥルーズ=ガタリの影響の下、日本においても1980年代の「ニューアカデミズム」と呼ばれる思想的流行以降、浅田彰氏のスキゾキッズ支持や宮台真司氏のコギャル支持といった形で「ポスト神経症的欲望」をめぐる議論が活性化していきました。そしてこうした議論における一つの到達点が2001年に東浩紀氏が上梓した「動物化するポストモダン」であったと言えます。
 
一般的に同書はアニメや美少女ゲームといった当時のオタク系文化の動向を現代思想の理論で分析した本として知られています。しかし、それはあくまで同書における一つの側面でしかありません。もし動ポモが本当に「それだけの本」なのであれば、出版から20年以上の歳月が経過した2022年の現在において同書を読む意味は懐古趣味以外になさそうですが、もちろん動ポモは「それだけの本」ではありません。
 
動物化するポストモダン」には単なるオタク論ないしサブカルチャー論を超えた極めて広範な哲学的射程を持った議論が含まれています。そしてそれは、ある意味であの「アンチ・オイエディプス」を決定的に更新する議論でもあります。動ポモが切り開いた真の革新性とは果たして一体、なんだったのでしょうか。
 

* シュミラークルの全面化と大きな物語の機能不全

 
あらためて「動物化するポストモダン」における議論を確認してみましょう。同書はコミック、アニメ、ゲーム、コンピューター、SF、特撮、フィギュアそのほか、互いに深く結びついた一群のサブカルチャーを「オタク系文化」と名指した上で、この「オタク系文化」には次の2点においてポストモダンの実相が極めて強く現れているといいます。
 
第一に「シュミラークルの全面化」という点です。フランスの社会学者、ジャン・ボードリヤールは来るべきポストモダン社会においては作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シュミラークル」という中間形態が支配的になると予測していました。この点、オタク系文化における同人誌や同人ゲームなどの二次創作文化の爛熟は、確かにオリジナルもコピーもないシュミラークルのレベルで働いているように思われるということです。
 
第二に「大きな物語の機能不全」という点です。フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールポストモダンの特徴を「大きな物語の凋落」と規定しました。ここでいう「大きな物語」とは近代社会を統御した理想やイデオロギーやシステムと呼ばれる社会共通の規範をいいます。ポストモダンとはこうした単一の「大きな物語」が有効性を失い、無数の「小さな物語」の乱立にとって変わられる過程に他なりません。この点、オタク達が現実より虚構を重視する理由は彼らが現実と虚構の区別がついていないからではなく、むしろ現実が与えてくれる価値規範(=大きな物語)よりも虚構が与えてくれる価値規範(=小さな物語)を選択した方が、彼らの人生にとっては有益な選択となるからであるということです。
 
こうした前提の上で、同書は次のような2つの疑問を導きの糸として、オタク系文化の、ひいてはそこに凝縮されたポストモダン社会の特徴について考察を進めていきます。
 
ポストモダンではオリジナルとコピーの区別が消滅しシュミラークルが増加するのだとすれば、そのシュミラークルはどのように増加するのか?
 
ポストモダンでは「大きな物語」が失調するのだとすれば、ポストモダンにおける人間の人間性はどうなってしまうのか?
 

* 物語消費とデータベース消費

 
同書はまず、近年におけるオタクの消費行動傾向が「物語消費」から「データベース消費」へ移行していることを指摘します。「物語消費」とは、例えば「機動戦士ガンダム」という作品の消費を通じて、その作品の背後にある「宇宙世紀」といった「大きな物語=世界観設定」を消費する行動様式をいいます。これに対して「データベース消費」とは、個々の作品消費を通じてその作品を生成する「データベース」を消費する行動様式をいいます。
 
この点、本書は当時のオタク系市場に絶大な影響力を行使していた「新世紀エヴァンゲリオン」という作品の背後にあったのは、視聴者がそれぞれ都合の良い物語を読み込む「大きな非物語=物語なしの情報の集合体」であったといい、エヴァ以降のオタク系文化は「大きな物語=世界観設定」よりもキャラクターの「萌え」が重視されるようになり「萌え要素のデータベース」が急速に整備されていったと主張します。
 
すなわち、オタク系文化の表層はシュミラークル=二次創作に覆われているけれど、その深層には設定やキャラクターのデータベースが存在し、さらに遡ればその背後には「萌え要素」といったオタク系文化全体の共通言語となるデータベースが想定されるということです。そこでは旧来のオリジナルとコピーの代わりにシュミラークルとデータベースの対立が台頭し、シュミラークルの優劣はデータベースとの距離で決定される事になります。
 
そして、こうしたオタク系市場における「シュミラークル」と「データベース」の二層構造はポストモダンにおける世界構造と対応しています。すなわち、近代とは「小さな物語」の後景には「大きな物語」があり、人々は「小さな物語」を通じて「大きな物語」にアクセスする「ツリー型世界」であったのに対して、ポストモダンとはもはや「大きな物語」が機能しておらず、その代わりに無数の「小さな物語=シュミラークル」が「データベース」から読み込まれる「データベース型世界」となります。
 
すなわち、シュミラークルの氾濫の本質とは「データベース消費」にあるいうことです。これが「⑴ポストモダンにおいてなぜシュミラークルが増加するのか」という問いに対する解となります。
 

* ポストモダン的主体としてのデータベース的動物

 
そしてこのような「シュミラークル」と「データベース」の二層構造に対応して、ポストモダンの主体もまた二層化されることになります。ここで氏はポストモダン的主体の範例として「美少女ゲーム(ノベルゲーム)」のユーザーを取り上げます。
 
エヴァ以降のオタク系文化の中心を担ってきた「美少女ゲーム」というジャンルにおける多くの作品では、ユーザーがどの選択肢を選ぶかでその後のシナリオが変化していくマルチエンディングシステムが採用されています。すなわち、美少女ゲームは「シナリオ=シュミラークル」と「システム=データベース」という二層構造から成立しています。こうして美少女ゲームのユーザーは「シナリオ=シュミラークル」に没入する動物的欲求と「システム=データベース」に介入する人間的欲望によって駆動されることになります。
 
この点「シナリオ=シュミラークル」における動物的欲求が他者とのコミュニケーション抜きで処理されるのに対して「システム=データベース」における人間的欲望は他者とのコミュニケーションにおいて発生します。もっとも本書によれば、この他者とのコミュニケーションは現実的必然ではなく特定の特定の情報への関心のみによって支えられており、それゆえ各人はいつでもコミュニケーションから離脱する自由を留保しているとしています。
 
こうした美少女ゲームのユーザーが露呈する特徴はポストモダンを生きる主体一般にも妥当すると本書はいいます。すなわち、かつて近代の人間は生の意味を他者とのコミュニケーションを通じて「小さな物語」から「大きな物語」へ遡行する「物語的動物」であったけれども、ポストモダンの人間は「意味」への渇望をコミュニケーションではなく動物的欲求に還元し、その一方で他者とのコミュニケーションは「意味」をめぐる現実的な必然を伴わない形骸的したもの、擬似的なものとして残存しているに過ぎないということです。
 
そして、このようなシュミラークルの水準での動物性とデータベースの水準での(形骸化した擬似的な)人間性を解離的に共存させたポストモダン的主体を本書は「データベース的動物」と名付けます。これが「⑵ポストモダンにおける人間の人間性はどうなってしまうのか?」という問いに対する解となります。
 

* 動物化という他者回避--「ゼロ想」による「動ポモ」批判

 
周知の通り動ポモは幅広い反響を巻き起こし、ゼロ年代日本における現代思想シーンを強力に牽引することになりました。しかしその一方で同書に対しては、オタクの消費行動を過度に一般化しているとか、あるいはオタクの消費行動の実態を捉えていないとか、さらにはデータベース理論そのものが妥当ではないなどといった批判が向けられることになりました。
 
こうした中で動ポモに向かって決定的な批判の矢を放ったのが2008年に上梓された宇野常寛氏の「ゼロ年代の想像力」です。同書は「新世紀エヴァンゲリオン」に代表される「1995年の記憶」を引きずる「引きこもり/心理主義的」な想像力を「古い想像力」と名付け、2001年前後から台頭し始めた「開きなおり/決断主義的」な想像力を「新しい想像力=ゼロ年代の想像力」と名付けた上で、東氏とその影響下にある批評家たちはこの2001年以降の世界の変化に対応できていないと主張します。
 
同書の論旨は以下のようなものです。まず同書は東氏が「現代の想像力」として支持する「セカイ系」と呼ばれる一連の作品群とは「大きな物語」の失墜による絶望を極めて安易な母性的承認による「小さな物語」によって埋め合わせようとする、いわば「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」というべき「古い想像力」の系譜に属しているが、今や「大きな物語」亡き後で無数の「小さな物語」同士が決断主義的に動員ゲーム=バトルロワイヤルを繰り広げるという時代の現実を引き受けた上で、かつその不毛な動員ゲーム=バトルロワイヤルの超克を志向する「新しい想像力=ゼロ年代の想像力」が台頭しているとします。
 
そして同書はポストモダンの世界構造として東氏のいうデータベースモデルの妥当性自体は認めつつも、東氏はデータベースから生成される「小さな物語」同士の関係性=コミュニケーションの重要性を見落としているといいます。東氏は「動物化」した人間はコミュニケーションによる意味の備給を必要とせず生きていると主張するけれども、果たして本当にそうなのか?現に東氏が一連の議論の例証として持ち出す当のオタクたちがまさしく皮肉な事にもパズルゲームでもアクションゲームでもなく美少女ゲームに耽溺し、二次元美少女たちとの疑似的なコミュニケーションを欲望しているではないか、むしろポストモダンの本質とは東氏が目を逸らした「小さな物語」同士のコミュニケーションの困難性にこそあるのではないか、ということです。
 
90年代以降の日本社会において「大きな物語」の失墜に絶望した人々はデータベースから自分の欲しい情報を都合よく勝手に読み込み、理想的な自己像=キャラクター的実存を承認してくれる他者性なきコミュニティとしての「小さな物語」に閉じこもろうとしました。こうした意味で東氏のいう「動物化」とは端的な「他者回避」に他ならないということです。
 
仮にこうした動物化=他者回避が完全に可能なのであれば、確かに他者とのコミュニケーションは原理的には不要となるでしょう。けれども実際にデータベースによる動物化が生み出すのは排除の論理です。人々が自分に都合の良い「小さな物語」に自足して生きるためには、その物語にとって都合の悪いノイズを排除する必要があります。だからこそ「小さな物語」たちは世界を友と敵に分けて、決断主義的な動員ゲーム=バトルロワイヤルを繰り返すことになります。こうした意味で「小さな物語」という断片たちは不可視的には接続されており、我々は決して他者とのコミュニケーションから逃れることは不可能です。
 
それゆえに同書はこの不毛な決断主義的な動員ゲーム=バトルロワイヤルを乗り越えるには、動物化=他者回避に閉じることなく、異なる「小さな物語」を生きる他者へと手を伸ばし、終わりある日常における一瞬のつながりがもたらす誤配へと開かれたコミュニケーションこそが模索されなければならないと主張し、そしてそれこそがまさしくゼロ年代の想像力たちが照らし出した現代の成熟の条件なのである、とします。
 

* クィア動物化--〈倒錯の強い定義〉からの「動ポモ」再解釈

 
このように宇野氏の議論は動ポモが抱えていた難点を真っ向から射抜くものでした。おそらくある面において動ポモはゼロ想によって乗り越えられたといえるでしょう。しかしその一方で動ポモには東氏自身も当時はおそらく想定していなかったであろう「別の仕方での可能性」が眠っていました。
 
この点、千葉雅也氏は「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない--倒錯の強い定義」という論考において、動ポモを〈倒錯の強い定義〉という観点から読み直す議論を展開しています。
 
まず千葉氏はAOにおけるドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定したが、その背景にはマゾヒズム論としての倒錯論が潜んでいるとして、この事実はポスト神経症的欲望という〈別の仕方での欲望〉をいわば精神病と倒錯のオーバーダブとして捉える立場を示唆しているとします。すなわちAOにおいて展開される「分裂症論」はそれ自体、精神病的というわけではなく、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われます。
 
そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば〈性別化のリアル〉の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになります。
 
ここで〈性別化のリアル〉を排除している「かのように」否認するという「否認的な排除」を極めて強く誇張するならば、ここで倒錯は「精神分析的否認」と、精神分析それ自体の否認により開かれる「非-精神分析的否認」を直結させることで精神分析的な〈性別化のリアル〉を「否認的に排除=無効化せずに否認する立場」する態度として再定義されることになります。これが精神分析それ自体に対する「メタ倒錯」としての氏のいう〈倒錯の強い定義〉です。
 
こうした観点から千葉氏は、東氏のいう「動物化」とは「非-精神分析主義」の方へ振り切れた動物的欲求から、文字通り動物的に「異性愛-生殖規範性」をストレートに肯定し、その上に「認知的習慣化」としての対象(二次元美少女)へのアディクション(萌え)が便乗している「異性愛-生殖規範性的な動物化」であるとした上で、ここから「クィア動物化」の可能性を思弁して、その範例を「女装する女性」としての「ギャル(男)」に見出します。
 
神経症的囚われを「否認」した軽量化された身体性と有限化された社交性。その欲望の多すぎる理由づけを忘却したかのような「どうでもよさ」の中心にある「どうでもよくなさ」。こうした「ギャル(男)」の特性を氏は「頭空っぽ性 airhead-ness」という言葉で概念化しています。すなわち、かつてドゥルーズ=ガタリがAOで論じた「分裂症者」とは「メタ倒錯の主体」としての「データベース的動物」であったということです。
 

* 動物的現実と人間的倫理の間で思考するということ

 
人は世界に棲まう上でその生を基礎付けるため何かしらの「物語」を必要とします。ここでいう「物語」とは人が世界を理解するための媒介であり生の意味を提示する道標をいいます。この点、かつて社会共通のロールモデルとしての「大きな物語」が存在していた時代においては多くの人が「大きな物語」に遡行する事で自らの「物語」を基礎付けていました。ところが「大きな物語」が崩壊した現代においては、人はどのようにして自らの「物語」を生成するのかという問いが生じます。東氏の提示したデータベース理論はこうした時代の問いに対する優れた回答となりました。
 
もっともデータベースから生成される物語が必然的に帯びる排除の原理を乗り越えるためには物語を他者へ開く接続の原理を導入する必要があります。この意味で異なる物語を生きる他者同士のつながりこそが現代的な成熟の条件であるとする宇野氏の議論には正しい核心があります。しかしその一方で物語同士のつながりそれ自体が「つながりという名の新たな物語」となった時、そこには再び排除の原理が舞い戻ってきます。事実2010年代は様々な「つながり」が世界を友と敵に切り分け動員と分断を繰り広げた「つながり過剰」の時代であったわけです。
 
ゆえに異なる物語同士のつながりを新たな物語に固定化させることなく、つながりをただつながりのままに開き続けるためには、そこには接続の原理だけでなく切断の原理を導入する必要があります。この点、千葉氏の議論は「つながり過剰」をアドホックに切断していく「仮固定的な有限化」の視点からデータベース理論を読み直すものであったといえます。
 
動ポモにおけるコミュニケーション軽視はともすれば「つながり」に目を背けるオタク的な「弱さ」として捉えられがちです。けれども「つながり過剰」の現在からすれば、それはむしろ一周回って「つながり」に依存することのない倫理的な「強さ」であるとさえいえるでしょう。
 
こうしてみると同書の真の革新性はポストモダン的な人間像を、動物でしかない現実と人間であろうとする倫理を解離的に共存させるというダブルシステムによって思考している点にあったといえます。そして出版から20年以上経過した現在でもなお同書が未だ過去のものとならず、常に時代に対してアクチュアルな批判力を行使し続ける源泉は、まさにこうしたダブルシステムの思考の中に見出すことができるのではないでしょうか。