かぐらかのん

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「よその家の事情」に向き合うということ--夕凪の街 桜の国(こうの史代)

 

* 昭和20年8月6日午前8時15分

 
その時、アメリカ合衆国戦略爆撃機B29エノラ・ゲイ号から投下された原子爆弾リトル・ボーイは広島市の高度567メートルの上空で炸裂し、晴れ渡った夏の空に巨大な火球を顕現させました。その刹那、凄まじい熱線と爆風が解き放たれ、その爆心点から半径2キロメートルまでの市街地ほとんど全てを一瞬で壊滅させました。
 
そして言うまでもなく原子爆弾が通常兵器と決定的に異なる点は炸裂時に大量に放出される放射線のもたらす広範囲かつ長期間におよぶ被害にあります。爆発後1分以内に放出された初期放射線により、爆心地から1キロメートル圏内の被爆者の多くが即死か数日のうちに死亡し、爆心地から5キロメートル圏内の被爆者の多くも吐き気、食欲不振、下痢、頭痛、不眠、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、発熱、口内炎、白血球・赤血球の減少、月経異常などといった急性放射線症を発症しました。
 
そして原爆の高熱によって生じた「キノコ雲」と呼ばれる原子雲は広島市西北部の広範囲の地域に放射性物質を多量に含んだ「黒い雨」を降らせて被害をさらに拡大させました。また、原爆投下後の10数日の間に救護活動などのため広島市に入市した多くの人々が市中の残留放射線がもたらす被害に遭う事になりました。
 
この点、広島市の推計によれば昭和20年12月末時点で約14万人が原爆被害により死亡したとされています。しかし原爆被害はこれだけの範囲にはとどまりません。放射性を多量に浴びた被爆者の多くが数年後には高確率で白血病やがんを発症していた事が後の調査で判明しています。また辛うじて生き残った多くの被爆者にしても、火傷跡に出来たケロイドをはじめとする様々な身体疾患やサバイバーズ・ギルトあるいはPTSDに相当する精神疾患に、あるいは「ピカ」という蔑称に象徴される社会的差別に長年悩まされ続けました。
 
そして被爆時に母胎内にいた子どもにも出生後「胎内被爆」による小頭症や発育遅延などの障害が多数確認されており、さらに一部の研究では、被爆後に妊娠した子である「被爆二世」も少なくとも臨床統計上は健康に関する遺伝的影響を否定できないという意見がみられます。こうした意味で原爆被害はいまだ終わらないアクチュアルな問題であり続けているといえます。
 

* 原爆は「よその家の事情」だった

 
こうした世代を超えて続く原爆被害に光をあてた作品である本作「夕凪の街 桜の国」は2016年に映画化され大きな反響を呼んだ「この世界の片隅に」の原作者、こうの史代氏による連作漫画です。広島原爆を題材とした本作は2004年に単行本が公刊され、同年の第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と、翌年の第9回手塚治虫文化賞をダブル受賞し、こうの氏にとっての出世作となりました。
 
本作の「あとがき」でこうの氏は「広島の話を描いてみない」と編集者から言われた時、最初は「やった、思う存分広島弁が使える!」と喜んだのも束の間で、編集者のいう「広島」があの「ヒロシマ」という意味であることに気づき、すぐに「しまった」と思ったと書いています。
 
こうの氏自身は広島市出身ではあるものの被爆者でも被爆二世でもなく、周囲に被爆体験のある親戚もおらず、原爆はどこまでも「よその家の事情」であり「怖いということだけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた」そうです。けれども同時に漫画家になるために上京後、出会った多くの人達が原爆の惨禍についてほとんど知る機会に恵まれていなかった事に思い至り、本作の執筆を決意します。こうの氏は次のように書いています。
 
だから、世界で唯一の(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」も含めて)被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、私が広島人として感じていた不自然さよりも、もっと強いのではないかと思いました。遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。
 
夕凪の街 桜の国「あとがき」より)

 

* 夕凪の街

 
1955年の広島を舞台にした「夕凪の街」のあらすじはこうです。主人公、平野皆実は原爆で父と妹と姉を亡くし、現在は建設会社に勤めながら「原爆スラム」と呼ばれるバラックが建ち並ぶ集落に母、フジミと二人で暮らしています。疎開中で被爆を免れた弟、旭は伯母夫婦に養子に出され、時折葉書を送ってくる程度の疎遠な関係になっています。
 
皆実は10年前の被爆体験を自らのうちで反復するうちに、自分が「死ねばいい」と他人から思われても仕方のない人間になったしまったと思い詰めています。そんなある日、皆実は日頃何かと親しくしていた同僚の打越から好意を打ち明けられますが、たちまち何処からか「お前の住む世界はそっちではない」という「誰かの声」が聞こえ、あの8月6日の「何人見殺しにしたかわからない」おぞましい記憶が蘇り懊悩します。
 
こうした描写から皆実はいわゆるサバイバーズ・ギルドとPTSDを患っていたように思われます。けれども皆実は何とか意を決して「うちはこの世におってもええんじゃと教えてください」と打越に告げ、10年前の原爆体験を話し始めます。そして打越は皆実の過去を受け止め「生きとってくれてありがとうな」と彼女の居場所を肯定します。こうして二人が新しい人生のスタートを切るかと思われた矢先、皆実は原爆症を発症して死んでいきます。
 

* 原爆文学の系譜における本作

 
原爆を描いた漫画でもっともよく知られている作品はやはり何といっても「はだしのゲン(1975)」でしょう。広島原爆の被爆者でもある中沢啓治氏の手がけた同作は1973年6月から「週刊少年ジャンプ」で連載され、紆余曲折の末に汐文社から刊行された単行本が大江健三郎氏の激賞を受けて俄に世の注目を集めることになりました。
そして同作はジャンプでの連載終了後も「市民」「文化評論」「教育評論」と掲載媒体を転々としながらも連載を継続し、1980年には単行本が100万部を突破し、現在でも原爆漫画の金字塔として海外を含めて広く読み継がれています。原爆投下後の地獄絵図を克明に描き出すと同時に反戦平和の理念を高く掲げる同作は戦後日本における原爆文学の正統な系譜に連なる作品といえるでしょう。
 
一方で「夕凪の街」は、原爆文学の系譜でいえば井伏鱒二氏の「黒い雨(1966)」を想起するものがあります。同作は被爆から数年後、広島の山間部の寒村で静かに暮らす閑間重松・シゲ子夫妻とその姪である矢須子の物語です。自身も原爆症を患う重松は矢須子に来た折角の縁談を破談にしないため、被爆時の日記を清書して彼女に原爆症の懸念がないことを証明しようと奮闘していますが、実際に作業を進めていくと矢須子が「黒い雨」を浴びていることが明らかになり、果たして重松の努力も虚しく矢須子は原爆症を発症し縁談は破談となります。
同作は「反戦平和」という時に政治性を帯びてしまうメッセージから一歩引いたところで被爆者の日常を深く丁寧に描き出したことで極めて高く評価されました。同作において病み衰えていく矢須子の姿は皆実の姿と重なります。そして、こうした被爆という現実と向き合いながらも日常を懸命に紡いでいく年若き被爆者の姿に、きっと多くの読み手は心から共感し、寄り添う事になるのでしょう。
 
もっとも「黒い雨」では、重松が奇跡に縋り矢須子の恢復を必死に祈るところで物語は幕引きとなりますが、本作ではここからさらに皆実が死んだ「その後」が描き出されることになります。
 

* 桜の国

 
「夕凪の街」から時を隔てた1987年の東京を舞台とした「桜の国(一)」と2004年の東京〜広島を舞台にした「桜の国(二)」の主人公は皆実の姪にあたる平野七波です。「桜の国(一)」の当時の七波は11歳で、男子に混じって野球チームに所属する活発な少女ですが、弟の凪生は生来喘息がひどく現在も入退院を繰り返していました。
 
ある日、七波は友達の東子を誘って凪生の見舞いに行き、病室で騒いでいたところを、同じ病院に検査を受けに来ていた祖母のフジミ(皆実の母)にこっぴどく叱られて帰宅しますが、父の旭(皆実の弟)はなぜか七波を叱ろうとせず、父に叱る余裕がなかったと七波が気付いたのはだいぶ後になってからでした。その時、実は祖母の検査結果はかなり悪く、その夏に祖母は死んでしまいます。
 
そして「桜の国(二)」で七波は28歳になっており、凪生は研修医になっています。最近の旭は不審な挙動が目立ち、認知症を疑った七波は旭の後をつけていき、その先で偶然、17年ぶりに東子と再開し、二人は旭を追って広島行きの夜行バスに乗り込みます。そして広島への短い旅を通して、胎内被爆がおそらく原因で夭折した母、京花の記憶や自分達被爆二世に対する世間のまなざしなどが詳らかにされていく中で、七波はこれまで見て見ぬふりをしてきた「原爆」の問題と真摯に向き合う事になります。
 

* 現代における原爆という出来事

 
かつてのこうの氏のように、おそらく大多数の人にとって原爆とは「よその家の事情」に過ぎないのかもしれません。この点、本作は原爆という出来事を、遠い昔に起きた悲惨な物語としてではなく、現代に続く現実として描きだします。
 
我々はしばし原爆譚という「よその家の事情」に時折触れることで「可哀想な被害者」に共感し、寄り添う事のできる「優しさ」を自分の中に確認して無自覚的に安心したりするわけですが、この「優しさ」の前提にあるのは「絶対的な被害者」と「絶対的な加害者」がいるという二項対立的な思考です。けれども、ある状況=文脈における「被害者」は別の状況=文脈では「加害者」ともなりうる事だって現実には多々あるでしょう。
 
こうした意味で、本作は被爆者や被爆二世を悲劇性を身に纏ったキャラクター的な実存ではなく、状況=文脈次第で被害者にも加害者にもなりうるモバイル的な実存として描き出し、読み手の持つ「絶対的な被害者/絶対的な加害者」という二項対立に揺さぶりをかけているといえます。そして、こうした本作が描き出す現実は、あの3.11を経由した今、より切実なものとして我々読み手の前に差し出されているといえるのではないでしょうか。