かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

人間の消滅から人間の再発明へ--客的-裏方的二重体の時代

* 人間の消滅とポスト・ヒューマニズム

 
ポスト構造主義を代表する思想家の1人であるミシェル・フーコーは『言葉と物』(1966)において「人間の消滅」という挑発的なテーゼを提示して一躍時代の寵児としての地位を確立しました。難解な専門書にもかかわらず「バゲットのように売れた」といわれる同書は中世以降の西洋における「エピステーメー」の変化を主題としています。ここでいう「エピステーメー」とは、ある時代や社会の思考システムの基本的な布置を指しています。そしてフーコーは西洋の歴史におけるエピステーメールネサンス期(16世紀以前)、古典主義時代(17〜18世紀)、近代(19世紀以降)という三つの段階の境界線上で不連続的に変化してきたと主張します。
 
この点、ルネサンス期におけるエピステーメーの中心は「言葉(記号)」と「物(事物)」を同じ水準に位置付ける「類似」にありましたが、古典主義時代におけるエピステーメーの中心は「言葉」と「物」をそれぞれ別の秩序に位置付ける「表象」に置き換わります。そして近代のエピステーメーの中心には「言葉」と「物」の対応を担う存在としての「人間」が登場します。その上でフーコーはいまや「人間」も主役の座から降りようとしているといい、同書は「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と結語しています。
 
もちろん、フーコーのいう「人間の消滅」とはあくまでも「人間」という観念の終焉を指す思想的な出来事でした。しかし21世紀に入ると生物工学(ゲノム編集)や情報工学人工知能)といったテクノロジーの発展によって「人間の消滅」がいよいよ現実のものとなり始め、ここから従来の「ヒューマニズム(人間中心主義)」を揺るがす「ポスト・ヒューマニズム」というべき状況が前景化してくることになります。
例えばオゾンホールの解明でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンは完新世に代わる地質年代区分として「人新世」を提唱し、人類が地球環境に及ぼす影響に警鐘を鳴らします。またデイヴィッド・ベネターが主張する「人類はできるだ早く滅亡した方がいい」という「反出生主義」もいまや少なかならぬ支持を得ています。
 
そして、こうした「ポスト・ヒューマニズム」を体現する哲学的潮流として「思弁的実在論」と「加速主義」があげられます。「思弁的実在論」が人間の相関物としての世界(相関主義)の破棄を志向し「加速主義」が資本主義がもたらす人間の疎外をさらに加速させていくという点で両者は「ポスト・ヒューマニズム」に立つ思想に位置付けられます。
 

*「人間」なる幻想の訂正

 
こうした「人間の消滅」の現実化、あるいはポスト・ヒューマニズム的な思想状況の中で東浩紀氏は「哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体について」(2023:ゲンロン15所収)という論考で新しい時代における「人間」のあり方を提示しています。その論旨は次のようなものです。
伝統的に哲学は「人間」を「動物」の上位におきました。人間は動物と異なり理性や言語のような固有の精神的な能力を持つからこと文明や社会を生み出したのだと考えられてきました。しかし一方で人間とはそもそも動物であり、人間と動物に明確な線は引けません。加えて最近では人工知能の急速な発展により、いまや機械も人間のようにあたかも自分で考えているかのように言葉を話します。
 
このように人間固有の能力とされてきたものは動物も機械も部分的に持ち合わせています。こうした意味で確かに「人間」は消えつつあるといえます。しかし、そうであるにもかかわらず東氏は「人間」は消えないといいます。なぜならば「人間」とは一種の「幻想」でしかなく「幻想」はその本来の定義が失効しても「じつは」という訂正の論理によって自在に姿を変えて生き残っていくものであり、人はそんな訂正可能性を孕んだ無数の幻想に囲まれて生きているからです。
 
この点、一般的には「幻想」よりも「現実」の方が重要だと考えられています。しかし現実と幻想の関係は入り組んでいます。例えば平和のために戦争が行われるように、幻想のために現実が動かされていくこともあります。その意味で幻想とは文字通りの幻想ではなく現実的な存在でもあるといえます。
 

* 客的-裏方的二重体

 
そして東氏はここに「リゾート/テーマパーク」の比喩を重ね合わせます。「リゾート/テーマパーク」は「客」と「裏方(従業員)」で成立しています。ここで「客」は「リゾート/テーマパーク」の幻想を満喫して「裏方」は「リゾート/テーマパーク」の現実に従事しています。しかし、あたりまえのことですが「客」は別のところでは「裏方」となり「裏方」も別のところでは「客」となります。
 
すなわち、現代社会において人はときに「客」として幻想と戯れ、ときに「裏方」として現実に直面するということです。この二つの側面はひとりの人間の中でもひとつの社会の中でも不可分に結びついています。ひとりの人間がずっと裏方だったり、ずっと客であったりすることはありませんし、ひとつの社会の構成員がみな裏方であったり、あるいはみな客であったりすることもありません。皆が客と裏方の間を往復しながら生きています。
 
そのような現代人のあり方を東氏は「客的-裏方的二重体(消費者的-生産者的二重体)」と呼びます。この点、フーコーは近代の人間を「経験的-超越論的二重体」として捉えました。かつて人間は「経験的世界」と「超越論的世界」を往復して生きるものだと考えられてきました。ここでいう「経験的世界」と人が経験する個々の事実を指しています。そして「超越論的世界」とはそのような個々の事実を事実として受けれることを可能にする抽象的な構造を指しています。
 
しかし現代においてかつての超越論的世界は脳科学神経科学の発展により急速に経験的世界のなかに還元されつつあります。いまや超越論的世界などというのは幻想でしかありません。すなわち、フーコーが「波打ち際の砂の顔のように消える」と述べた「人間」とはこの「経験的-超越論的二重体」のことを指しています。
 
その一方で、フーコーのいう「経験的-超越論的二重体」はもっぱら東氏のいう「裏方」のみを念頭においた議論でした。しかしながら少なくとも現代においては人は皆「裏方」であると同時に「客」でもあります。そこでこのような「客的-裏方的二重体」を東氏は新しい「人間」の観念として提示します。これは先述した「人間」とは訂正の論理で姿を変える幻想であるという観点からいえば、かつて「人間」は経験と超越の往復する存在とみなされていたけれど「じつは」客と裏方を往復する存在であったということです。
 

* クレーム対応としての哲学

 
これだけ見るとなんだか言葉遊びのようにも聞こえてしまいますが、この「客的-裏方的二重体」という新たな「人間」を軸にして東氏は二つの実践的な提案を導き出しています。その一つは自然科学と哲学(に代表される人文科学)の役割分担を再定義する提案です。「経験的-超越論的二重体」としての「人間」が消えて「客的-裏方的二重体」としての「人間」が現れたとすれば、学問の体系も「経験的-超越論的二重体」を前提とした理解から「客的-裏方的二重体」を前提とした理解へとアップデートされなければならないということです。
 
この点、かつての超越論的世界が幻想に解消されてしまった現代において自然科学は現実を扱い、哲学は幻想を扱うことになります。幻想は幻想でしかありません。しかし幻想はある意味で現実的な存在です。いかに現実を解明したところで幻想から解放されない問題は山ほどあります。例えば自然科学がいつか愛のメカニズムを解明したとしても、おそらく人は愛の悩みから解放されないでしょう。
 
結局のところ人は幻想に振り回されて生きています。人は嘘を平気で信じます。いくら嘘だと指摘されても信じます。このような傾向はフェイクニュース陰謀論が跋扈する現代の情報環境においてより顕著となりました。そこで氏はこのような幻想の持つ厄介さに向き合う学として現代の哲学(に代表される人文科学)を位置付けます。これは「リゾート/テーマパーク」の比喩でいえば自然科学と哲学は共に裏方として「リゾート/テーマパーク」の運営に従事しますが、その担当業務が異なり、哲学はいわば客の幻想を扱うクレーム対応係として位置付けられるということです。
 

* ものを考えない場所を創り出すということ

 
そしてもう一つは「ものを考えない」場所を創り出すという提案です。この点、本論は東氏が東日本大震災の直前に創刊された『思想地図β』の創刊号で記した「消費社会の幻想が友と敵の分断を超える連帯を作り出す」という趣旨の直観から出発しています。もちろん、このような消費社会の幻想は裏方によって支えられています。そして、その直後に起きた原発事故が突きつけたものはまさにそのような裏方(電気)の現実でした。また近年におけるコロナ禍とウクライナ戦争も裏方(医療と軍事)の現実を再認識させるものであったといえます。
 
しかし一方でこのような裏方の現実ばかりを強調するとかえって社会は機能不全に陥ってしまうと氏はいいます。社会は幻想と現実の両輪で成り立っています。世界は裏方だけで成り立っていません。客もまた世界を作っています。
 
そもそも客が存在しなければ裏方も存在しません。裏方がものを考えるのは客がものを考えなくてもよいようにするためです。そして客は別の局面で裏方になり、裏方は別の局面で客となります。このように人は「ものを考える」局面と「ものを考えない」局面をモザイク状に組み合わされた状況を生きています。それが「客的-裏方的二重体」の時代であるということです。
 

* 人間の消滅から人間の再発明へ

 
だから、この時代の総体を捉えるためには、現実を見ろ、裏方を見ろ、おまえの安楽な消費生活が踏み付けにしてるものを見ろというだけではだめなのだ。現代社会はそんなに単純にはできていない。ぼくたちはむしろ、客であること、動物であること、「ものを考えないこと」の意味を考えねばならない。
 
(「哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体」より)

 

かつてマルティン・ハイデガーは『存在と時間』で人間(現存在)を世界への「配慮」で定義されるとしました。しかし、いまや配慮されるべき世界はハイデガーの時代よりも複雑かつ多様になり、おまけに遥かに高い解像度で把握されているため、そもそも何をどこまで配慮すべきなのかという問題が生じます。極論すれば文明的な生活すべてが地球環境に対する加害性を持っているとさえもいえるでしょう。
 
そこで配慮を続けるには見える世界を限定する必要があります。つまり「ものを考える」ために「ものを考えない」場所を作る必要があるということです。この点、現代人が「ものを考える」のは他の誰かが「ものを考えない」ですむためです。現実はあまりにも複雑だから人はお互いに配慮を融通しあって生きるしかないと東氏はいいます。すなわち「ものを考えない」場所を作り出すということは持続可能な配慮のための条件であるともいえます。
 
「現実を見ろ」という言葉はとても強く正しい響きを持っています。しかし、そもそも人は特定の(多くの場合自身によって都合のよい)幻想を介してしか現実を見ることはできません。どんなに手を伸ばしても人は「ほんとうの現実」には届きません。その意味で人は初めから幻想により有限化された現実を生きています。
 
けれども同時にこの幻想により有限化された現実は様々な局面で「じつは」という訂正の論理に開かれています。そして、この訂正の論理を有効に機能させるには「ものを考える」ことと「ものを考えない」ことの往還が必要となるということです。
 
人間であるために動物として生きるということ。ものを考えるためにものを考えないということ。こうした逆説的なあり方こそがあるいは、世界から超越という名の外部が消滅して現実と幻想が融解した現代における「人間」のあり方なのかもしれません。いずれにせよ「人間の消滅」が現実化しつつある「ポスト・ヒューマニズム」の進展は逆説的なかたちで「人間の再発明」を要請しているといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

映画は90分で何を語り得るか--『映画大好きポンポさん』

* 映画90分説

 
フランス文学者にして映画評論家の蓮實重彦氏は「映画90分説」というものを提唱しています。いうまでもなく、これは映画の上映時間の話です。氏は近著『見るレッスン』(2020)においても映画というものはほぼ90分で撮れるはずであると述べ、その近年における好例としてアメリカの監督デヴィッド・ロウリーの作品を挙げています。
ロウリーのこれまでの作品はほとんど90分で撮られています。例えばロウリーの事実上のデビュー作である『セインツ』(2013年)について蓮實氏はよくある題材を90数分で堂々と描き切っており、ロマンチックでありながらセンチメンタルにならず、しかもショットがことごとく決まっていると評しています。ここで氏のいう「ショット」とは、構図や光線だけでなく被写体との距離というものが決定的な要素となるそうですが、ロウリーの場合、被写体との距離をほとんど本能的に心得ている、と氏は述べています。
 
またロウリーの近作で実在した伝説的な紳士的強盗フォレスト・タッカーを描いた『さらば愛しきアウトロー』(2018)についても氏は彼は「何を見せて何を見せずにおくか」という選別を視覚的にわきまえていると評しています。例えば同作の冒頭のシーンではロバート・レッドフォード演じるタッカーが銀行で強盗を働いた後、ドアをチリンと鳴らして去っていきます。しかし傍目からみるとこの男が一体何をしているのかはよくわかりません。ただ単に窓口で預金を引き出しているだけのようにも見えます。そして男が銀行を出た後に「アメリカンバンクで強盗発生」「犯人は老人」と捜査網で情報が回り、報道もなされていく中で、ようやくここで観客は彼が強盗だとわかる仕掛けになっています。まさにここでロウリーはタッカーの「紳士的強盗」を描く上で「何を見せて何を見せずにおくか」という洗練された取捨選択をおこなっているということです。
 
この点、蓮實氏はロウリーの映画を観ると90分で収められるのなぜかということが理解できるような気がすると述べています。そして、氏は実際にジャン=リュック・ゴダールウディ・アレンといった名匠の作品の多くがほぼ90分であることを指摘し、優れた映画は90分ぐらいに収まっているものが多く、これは一体なぜなのかを突き詰めなければならないと述べています。こうした蓮實氏の力説する「映画90分説」に対する近年におけるアニメーション映画からの優れた回答として本作『映画大好きポンポさん』を挙げることができるように思えます。
 

* ジーン君がいちばんダントツで、目に光が無かったからよ

本作の原作は杉谷庄吾人間プラモ】氏が2015年5月に深夜帯の5分アニメとして提出した企画が元になっています。この企画が頓挫した後もポンポというキャラクターを捨てるのは勿体ないと判断した杉谷氏は「アニメが無理なら漫画にすればいい」と考え本作の原作を制作したそうです。
 
本作のあらすじはこうです。映画の都「ニャリウッド」にある「ペーターゼンフィルム」の敏腕映画プロデューサー、ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット(通称ポンポさん)は「おバカ映画で感動させる方がカッコいいでしょう」という独自の哲学から分かり易いB級映画ばかりを好んで手がけてます。
 
またポンポさんは祖父である世界的名プロデューサー、ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ペーターゼンから幼少期に2〜3時間級の長編映画を延々と観せられた経験に基づき「90分以下のわかりやす〜い作品は砂漠のオアシスって感じだったわ」と語り「2時間以上の集中を観客に求めるのは現代の娯楽としてやさしくないわ」「製作者はしっかり取捨選択して出来る限り簡潔に伝えたいメッセージを表現すべきよ」と蓮實氏のいう「映画90分説」を彷彿させるような持論を述べます。
 
暗い青春を映画に救われた映画オタクの青年、ジーン・フィニは映画監督を志望し、ペーターゼンフィルムに入社したものの、日々の業務においてポンポさんの敏腕ぶりに圧倒され、映画監督など自分には到底無理だと卑屈になる毎日を送っていました。なぜ自分を採用したのかとジーンから訊かれたポンポさんは「ジーン君がいちばんダントツで、目に光が無かったからよ」と答え「幸福は創造の敵」「現実から逃げた人間は心の中に自分だけの世界を創る」「だから私はその社会不適合な目をしたキミに、期待しているの」とこれまた独自の持論を述べます。
 
映画に恋をして田舎からニャリウッドに出てきた少女、ナタリー・ウッドワードは映画女優を目指し、アルバイトを掛け持ちして生計を立てながら何十回もオーディションを受けては落ち続けていましたが「夢を捨てるためにここまできたんじゃない、夢を叶えるためにここにきたんだもん」とどこまでも前向きです。ポンポさんはオーディションを受けにきたナタリーを「地味」という理由で一度は落としますが、その後、何か惹かれるものを感じて、彼女を今をときめく若手女優であるミスティアの付き人にします。
 
ある日、ポンポさんはジーンに現在手がけている映画の15秒予告編制作を依頼します。その出来栄えを見定めた後、ポンポさんはジーンに自ら書き下ろした新作映画の脚本を読むように申し渡し、ジーンはその内容に早くも大ヒットを確信します。
 
伝説の名優、マーティン・ブラドックの10年ぶりの復帰作品となるこの新作映画『MEISTER』のヒロイン役にポンポさんはナタリーを抜擢します。というよりも、この映画の脚本はナタリーがヒロインを演じることを想定した当て書きでした。
 
同時にポンポさんは『MEISTER』の監督にジーンを指名します。ポンポさんは予告編映像の出来栄えや脚本に対する反応からジーンこそがこの映画を撮るのに相応しいと判断したのでした。
 
いきなり降って沸いた話に戸惑うしかないジーンとナタリーでしたが、2人はお互いの映画に対する想いを語り合うことで不安を払拭し『MEISTER』のクランクインに臨むことになります。
 

* 王道のシナリオと斬新な映像

 
こうしてあらすじだけ見ると、本作は大まかにいえば不遇を託ってきた若者がチャンスを掴み夢に向かって努力するという、わりとありふれた王道のシンデレラストーリーのようにも思えてしまいます。しかしながら、こうした王道のシナリオでいかに魅力的な映画を撮るかがまさしく本作のテーマであるといえます。
 
この点、本作の劇中劇『MEISTER』の脚本を読んだジーンは「年老いた芸術家が自然や若者と触れ合って心を癒す・・・物語としては定番で新味はない・・・ですけど、登場人物の魅力に引き込まれる!」と述べていますが、この劇中劇を反復するかのように『映画大好きポンポさん』という作品自体が「物語としては定番で新味はない」が「登場人物の魅力に引き込まれる」ような映画を目指して、あえて王道のシナリオを採用したのではないかとも考えられます。
 
事実、この王道のシナリオを本作は斬新な映像で描き出していきます。例えばジーンが撮影フィルムを編集するシーンは彼の心象風景に置き換えられ、大きな剣を振りかざして次々フィルムを切り貼りしていくというダイナミックなアニメーションとして表現されています。また一般的に映画において場面転換は観客の集中力を削ってしまうことから極力避けた方がよいというのがセオリーとされていますが、本作ではその場面転換を車のワイパーやドアの開閉といった動きになぞらえたり時間経過をテロップで挿入したりと観客の集中力を途切れさせないための細やかな演出上の工夫が凝らされています。
 

* オブジェクトレベルとメタレベルのリンク

 
そして何よりも本作最大の特徴はその展開が劇中劇『MEISTER』と映像的なリンクを果たしているという点にあるといえるでしょう。物語後半、ジーンにとっての最大の試練は撮影が全て終わった後の編集作業から始まります。思い入れのあるシーンを次々に削っていく中でジーンの精神もまた次第に削られていきます。
 
そんな折、偶然出会ったポンポさんの祖父、ペーターゼンから「君は映画の中に自分を見つけたんじゃないかね?」「君の映画に君はいるかね?」と問われたことでジーンは『MEISTER』という物語の中に自分自身を見出します。ここから本作はオブジェクトレベル(『MEISTER』)とメタレベル(『MEISTER』に向き合うジーン)を縦横無尽にリンクさせていきます。
 
しかしながらジーンの試練はそれだけではありませんでした。全部撮り終わったと思ったのにもう一つ足りないシーンがあることにジーンは気がついてしまいます。ここでジーンは一大決心をしてポンポさんに追加撮影をしたいと申し出ることになります。
 
当然のことながら、そのためには一旦解散したキャストとスタッフのリスケジュールと追加費用が必要となります。もちろん当初難色を示していたポンポさんでしたが「それでも僕には映画しかありません」と土下座するジーンの熱意に心打たれ、彼女は追加撮影のための資金繰りに奔走します。
 
こうした後半の展開もやはり王道のシナリオなのかもしれません。けれどもこの王道のシナリオが、やはり王道のシナリオである『MEISTER』とリンクすることでその映像には圧倒的な熱量と強度が宿ることになります。おそらくはここに本作があえて王道のシナリオを採用した理由を見出すことができるのではないでしょうか。
 

* 映画は90分で何を語り得るか

 
この点、蓮實氏は『見るレッスン』において今、日本にはプロデューサーが本当にいるのかどうかという大きな問題があると述べています。そこで氏は現在主流の製作委員会方式の下では1人のプロデューサーが「こうだ」と決断することができず、変わったもの新しいものがなかなか生まれないといい、誰が本当のプロデューサーか分からない製作委員会方式というものは便利だけれども非常に問題があり、今の映画界で一番足りないのはプロデューサーだと思うと主張します。こうした意味で、もしかして本作はポンポさんというキャラクターを通じて現在の日本映画に必要な理想的なプロデューサー像を提示しようとした映画であったのかもしれません。
 
また、蓮實氏は映画の本質として「驚き」と「安心」を挙げています。すなわち、人は映画を観て何より驚きたいという欲望を持っているけれども、同時に映画を観て安心したいという欲望も持っているわけですが、蓮實氏は「驚き」とは「安心」であり「安心」とは「驚き」であるような不思議な世界が映画の表象性を支えていると述べています。そうであれば、ここで氏のいう「驚き」と「安心」のバランスがちょうど取れる上映時間があるいは「90分」なのかもしれません。
 
この点、本作は王道のシナリオで「安心」を与え、斬新な映像で「驚き」を与える作品であり、同時にオブジェクトレベルでの「安心」とメタレベルでの「安心」を縫合することで「驚き」を創り出した作品といえるでしょう。果たして本作のラストで初監督作『MEISTER』の一番気に入っているところを聞かれたジーンは「上映時間が90分ってところですね・・・」と答えます。そして本作『映画大好きポンポさん』もまた見事に「90分の映画」です。こうしたことから本作は映画は90分で何を語り得るかを追求した極めて実験的な映画論映画だったといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大江文学における〈物語〉--尾崎真理子『大江健三郎の「義」』

* 大江健三郎柳田国男

 
1979年に発表された大江健三郎氏の代表作の一つである『同時代ゲーム』は日本における本格的なポストモダン小説の先駆けとして評価される一方で、批評家の小林秀雄氏が「二ページでやめた」と大江氏自身が自虐的に伝えるほどに極めて難解で複雑怪奇な作品として知られています。
同作はメキシコに滞在中の歴史家である「僕=露己」が双子の妹である「露巳」に宛てて書き始めた「第一の手紙」から「第六の手紙」までが、あたかも六つの章のように並んでいます。この六通の手紙は「僕」が幼い頃から「父=神主」に教えられてきた故郷の《村=国家=小宇宙》の歴史を縦軸として、自分たち五人兄妹が潜り抜けてきた数奇な敗戦後の物語を横軸として織り込まれており、その中心には神話の登場人物であると同時に現在も妹のもとで成長しつつある「壊す人」という謎の生命体が存在します。
 
それぞれが長大な六通の手紙は「妹よ」という呼びかけで始まります。ここで「僕」は「壊す人」の巫女として父に育てられた妹の露巳に宛ててしかこれらの長い手紙は書き得ないと信じ込んでおり、彼は《村=国家=小宇宙》の歴史と自身の体験を縦横の軸として妹に向けた手紙を書き進めていくことになりますが、その縦横の軸はやがて歪みや断絶を孕み、限りなく多義的な偽史として膨らんでいくことになります。
 
こうした『同時代ゲーム』で示されたモチーフはその後『M/Tと森のフシギの物語』において書き直され、さらに『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』から最後の小説『晩年様式集』に至るまで、大江氏の長編小説の中にさながら「七通目の手紙」のように繰り返し反復される事になります。
 
この点、大江氏のインタビュー集『大江健三郎 作家自身を語る』の聞き手を務め『大江健三郎全小説全解説』の著者でもある元読売新聞文化部記者で文芸評論家の尾崎真理子氏は『同時代ゲーム』という謎めいた作品の背後には日本民俗学の始祖として知られる柳田国男に対する大江氏の強い共感があるといいます。事実、同作の単行本付録の対談で大江氏は次のように語っています。
 
「僕はこの二年間ほど、毎日、『柳田國男集』を読むことを続けていますが、柳田國男は、ある原初的なものに対して自分の精神が強く方向付けられることを「懐しい」と表現している。過去に向かってだけではなく、未知のものに対しても「懐しい」と言う。そして僕の場合「懐しき」の対象は《村》です。それも実際の僕の育った《村》ではなく、《村》の純粋な要素を完全にそなえた《村》でなければならない。」
 
(『同時代ゲーム』単行本より)
 
こうした観点から尾崎氏は大江作品における「ギー」という存在に注目します。周知のように大江氏を世界的作家に押し上げた『万延元年のフットボール』には森の奥深くで暮らす正体不明の「ギー」という男が登場しますが、この「ギー」は以降、数々の大江作品に「ギー兄さん」「新しいギー兄さん」「ギー・ジュニア」などと姿も立場も変えながら、あたかも一度死んで生まれ変わるように繰り返し登場する事になります。
 
この「ギー」とは柳田(やなぎた)の「ぎ」に由来するのではないか?と尾崎氏はいいます。こうした疑問を導きの糸として柳田国男の影響から大江作品を読み解いていく極めて画期的な大江健三郎論が本書『大江健三郎の「義」』です。
 

* 遠野郷という《村》

第一部「柳田国男の『美しき村』」では柳田国男を軸として『同時代ゲーム』の他、その発展系である『懐かしい年への手紙』『燃え上がる緑の木』といった大江作品が読み解かれます。柳田国男は1874年(明治8年)7月31日、飾磨県神道東郡田原村(現・兵庫県神崎郡福崎町)辻川に松岡賢次、たけの六男として生まれました。1935年(昭和10年)1月31日生まれの大江氏とは60年違いです。
 
1885年、当時10歳だった柳田は深刻な飢饉を体験し、その経験が彼を民俗学の研究に駆り立て、農商務省に入る動機になったとされています。1897年、東京帝国大学法科大学政治科に入学した柳田は農業政策を志し、卒業後は農商務省農務局農政課に配属になります。
 
その一方で柳田は文学者としての顔を持っていました。14歳から森鴎外の主宰する「しがらみ草紙」に短歌を投稿し始め、第一高等学校の在学中には『文學界』に新体詩を投稿し、官僚になった後も島崎藤村田山花袋国木田独歩という現代から見れば錚々たる顔ぶれとともに自邸で「土曜会」という西欧文学の研究会を主宰しています。
 
当時、日本の文学界は島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』に象徴される自然主義の時代を迎えていました。そして柳田が1910年に発表した『遠野物語』もまた、こうした自然主義の時代に対するひとつの回答であったといえます。
 
遠野物語』は「遠野郷(岩手県遠野地方)」に伝わる逸話や伝承を記した説話集であり、我が国の民俗学における先駆的な著作として知られています。そして、大江氏が柳田に惹かれたのは、やはり『遠野物語』があったからにほかならない、と本書はいいます。すなわち、大江氏が『同時代ゲーム』に書こうとしたのは柳田が70年も前に描いていた「遠野郷」のような《村》であったということです。
 
この点「遠野物語」の舞台となった遠野盆地を文化人類学者の米山俊直氏は「平野宇宙」に対する一つの完結した世界である「小盆地宇宙」の典型として位置付けています。また大江氏の出身地である愛媛県大瀬村(現:内子町)もやはり盆地(内子盆地)に位置しています。こうしてみると、大江氏は「遠野郷」に「ある原初的なものに対して自分の精神が強く方向付けられる」「『懐しき』の対象」としての「《村》の純粋な要素を完全にそなえた《村》」を見出していたのかもしれません
 

* ギー兄さんと固有信仰

 
そして『同時代ゲーム』における「僕=露己」と「露巳」の関係はその8年後に公刊された『懐かしい年への手紙』(1987)において「僕=K」と「ギー兄さん」の関係にそのまま移行することになります。
同作のあらすじはこうです。敗戦直前、四国の谷間の村の「在」と呼ばれる高台にある屋敷へ出向いた10歳の「僕」はそこで手伝いの女性「セイさん」と暮らす「ギー兄さん」という15歳の美しい少年と出会います。その後、2人は東京の大学に進学し「僕」は在学中に作家としてデビューし、そのまま東京で結婚して家庭を築きます。
 
一方で地元に戻ったギー兄さんは村の森林組合に籍を置き、大学で学んだ英文学への関心を発展させてイェーツやダンテを本格的に独学する生活を始めますが、1960年の安保反対デモで大怪我を負ったことが契機となり、谷間の村の近代化を目指し、私財を投じて「根拠地」を作り、地元の若者を集め「美しい村」という名の集落の建設に乗り出します。
 
大江氏の分身である作家の「僕=K」がこの長編の語り手ですが、主役は間違いなく「ギー兄さん」です。そして氏はこのギー兄さんに「村の信仰」という形でかつて柳田が執拗に探求し続けた日本古来の「固有信仰」を語らせています。ここでいう柳田の「固有信仰」とは端的にいえば、死んだ者は子や孫たちの供養な祭礼を受けて祖霊になり、故郷の山に昇って子孫の繁栄を見守り、盆や正月などには家に帰ってくるといった日本人の素朴な死生観のことです。
 
少年の頃からギー兄さんと「僕」はそれぞれひそかに「魂」の行方をめぐる谷間の伝承を自分の支えとしていました。南方の島で死んだら「魂」が戻って来られるかと心配する「僕」を出会った頃のギー兄さんはこんなふうに慰めます。
 
「世界じゅうさまよいめぐってもな、この森の自分の木だけが住み家なのじゃから。それならば永いこと探しまわっても、結局はここへ戻るほかなかろうが?Kちゃん、天皇陛下には、この谷間や「在」は、なにも特別なものではなかろうがな?」
 
(『懐かしい年への手紙』より)
 

 

ここで大江氏は柳田民俗学の根幹をなす「常民」の思想をさりげなくも明確にギー兄さんに語らせています。さらに同作においてギー兄さんが企てる「美しい村」にも柳田のいう「美しき村」(1940年)のイメージが直接反映されています。この「美しい村」の構想は結局その後頓挫してしまうものの、そのイメージは後の大江作品の中にも繰り返し現れています。
 

* 固有信仰から世界モデルへ

 
さらに『懐かしい年への手紙』の事実上の続編となる三部作『燃え上がる緑の木』(1993〜1995)に登場する「新しいギー兄さん」もまた柳田を体現する人物です。同作のあらすじはこうです。語り手の「サッチャン」は両親を亡くした後、遠縁にあたる本家の女主人「オーバー」の庇護を受け東京の大学に進学しますが、故郷に戻ってオーバーの世話を引き受けていました。特別な治癒能力と知恵の深さで信望を集めてきたオーバーは『懐かしい年への手紙』の「さきのギー兄さん」による農業改革の試みとその顛末をすべて知っています。
そしてオーバーは東京から帰ってきた遠縁にあたる青年「隆」に住居と農場を与えて土地の伝承を語り伝え、自身の死が近いことを悟ると彼を「ギー兄さん」と呼び始めます。ほどなくオーバーが命を閉じると屋敷の継承者となった「ギー兄さん」はオーバーから受け継いだ治癒能力で病気の子供を治したことで、彼を「救い主」と呼ぶ親たちが押し寄せ、テレビ番組を通じて全国に知られ、彼の元での共同生活を望む者たちが集まってきます。
 
ここで大江氏はかつて柳田が提唱したこの国の「固有信仰」を更新し、日本のみならず同時代を生きるすべての人々へ向けて、人間の精神の基底にある普遍的な死生観の「世界モデル」を提示しようとしている、と本書は述べます。
 
1980年代におけるバブル経済と大衆消費社会の進展の中で、かつて柳田が「美しき村」で描いたような日本的な「故郷」の風景は急速に消滅し、昭和の終焉と共に「家」や「祖霊」の存在感も希薄化していきました。だからこそ、このような時代の変転の中で大江氏は古来より穏やかに人々を繋いでいた日本の「固有信仰」を新しく捉え直す必要を感じ取っていたのではないでしょうか。同作が提示する「世界モデル」とは次のようなものです。
 
「人々は、この谷に生まれ育ち、一度は多様な世界である谷間の外に出るが、やがてふたたび源としての谷に帰ってきます。谷間に流れる川は、本来の地形にあわせて流れると同時に、登場人物の動きからすれば、逆にも流れています。仮想された地形には逆勾配があるのです。「流出」の勾配と同時に、「帰還」の勾配があります。」
 
「なぜ、逆の勾配が発生するのでしょうか。「四国の谷の森」に、この谷に生まれた人びとが死を迎えると、魂は森の樹木の根から、空に向かって昇っていくからです。森には、人を帰還させる力がある。そのように「場所に力がある」のです。つまり、Kは、流出=生、帰還=死という〈生と死の場〉の仮想された地形を構築しています。それが、Kが描出したひとつの「世界モデル」なのです。」
 
(『燃えあがる緑の木』より)

 

 

* 島崎藤村平田篤胤

 
第二部「『万延元年のフットボール』の中の『夜明け前』」では大江氏を世界的な作家に押し上げた代表作『万延元年のフットボール』(1967)を切り口に柳田国男と同時代の作家である島崎藤村と両者共通のルーツである江戸期の国学者平田篤胤が大江作品へもたらした影響が論じられます。
 
まず本書は『万延元年のフットボール』とは大江氏が島崎藤村の長編『夜明け前』という類なき歴史小説を乗り越え点とすることで自身と日本近代文学を未踏の境地に導くことに成功した作品であるといいます。すなわち、藤村が『夜明け前』において欧風近代化から取り残されていった村の典型を描き出したように、大江氏もまた『万延元年のフットボール』において大衆消費社会の到来によって崩壊してゆく地域社会の典型を描き出すことで、国の中心ではなく周縁から、変わりゆく時代の核心をとらえようとしていたということです。
 
さらに本書はここから柳田と藤村の父が共に師として仰いだ平田篤胤の思想に光を当てていきます。医学、地理学、天文学といった西洋諸科学を幅広く摂取しつつ独自の復古神道を唱えた篤胤の思想は後には大東亜共栄圏を正当化するイデオロギーともなり、それゆえに戦後長らく顧みられることはありませんでしたが、21世紀に入り平田神社に秘蔵されていた膨大な資料が調査され、現在では新たな側面からの再評価が進みつつあります。
 
例えば、この調査に携わった吉田麻子氏はその著作『平田篤胤』(2016)において「カミ」の語源を篤胤は「牙(カビ)」だと考えており、その根底にあるものは男女の性による「生命のはじまり」であり、湧きあがろうとする「生の勢い」への賛歌というべきものであり、それは既成の宗教思想である儒教や仏教からは到底発想しえなかったと述べていますが、本書はこうした意味での「カミ=牙(カビ)」を『同時代ゲーム』における「壊す人」に重ね、同作を貫く《村=国家=小宇宙》という概念も篤胤につながるものではなかったかと述べています。
 

* 大江文学における〈物語〉

 
戦後民主主義の申し子としてデビューした作家、大江健三郎は一般的にウィリアム・ブレイク、ウィリアム・バトラー・イェーツ、ミハイル・バフチンエドワード・サイードジェームズ・フレイザーといった西洋の作家や文学理論に多大な影響を受けていると理解されてきました。こうした中で本書は柳田国男島崎藤村平田篤胤という3人の日本人に注目します。
 
若き日の柳田国男島崎藤村は「言文一致から自然主義へ」という日本近代文学の黎明期において情誼を交わし、共に自身の父を通じて西欧の知と最初期に格闘した日本人である平田篤胤国学を知ることになります。そして大江氏はこの3人をずっと自身の創作を拡げる想像力のジャンプ台として切実に必要としていたと本書はいいます。こうしたことから本書は「義」で結ばれた彼らの影響を抜きに大江健三郎の文学を、すなわち「戦後の精神」を考えるわけにはいかないと述べています。
 
そして、ここでいう〈精神〉とは、あるいは〈物語〉とも言い換えることができるのではないでしょうか。柳田は終戦後まもなく上梓した『先祖の話』(1946)において「人を甘んじて邦家の為に死なしめる道徳に、信仰の基底が無かったといふことは考へられない。さうして以前にはそれが有つたといふことが、我々にはほゞ確かめえられるのである」と記しています。ここには日本古来の「固有信仰」を明らかにするという学問的な問題意識と共に、先の戦争における死者を救済し、慰霊しなければならないという実践的な問題意識がありました。
 
この点、社会学者の大澤真幸氏はこのような柳田の問題意識を「第三者の審級(共同体を意味づけ正当性を付与する超越的他者)」という観点から説明しています。すなわち、先の戦争において戦場に散華した若者たちの死を根拠づけていたはずの「国体」や「皇国」という観念が敗戦により無価値なものに転じてしまった以上、その死を無価値から救済するには、もっと深い伝統からその死を意味づけなおすほかはなく、そうした参照枠として柳田が提起したのが「祖霊崇拝(=固有信仰)」であったとして、大澤氏は柳田の試みを「(敗戦によって喪失してしまった)第三者の審級」の再構築として位置付けています。
 
こうしてみると、柳田における「固有信仰」の探究とは日本人の生を基礎づけるための〈物語〉の探究であり、大江氏はこうした「固有信仰」という〈物語〉を「世界モデル」という、より普遍的な〈物語〉へと更新しようとしていたようにも思えます。そして、こうした柳田と大江氏が共有した〈物語〉をめぐる問題意識はその後、ポストモダン化、グローバル化の加速的進展により「第三者の審級」が撤退した現代において、より一層アクチュアルなものになったといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

クィア・ケア・訂正可能性--武内佳代『クィアする現代日本文学』

* クィア理論と文学

 
一般的に「クィア理論 Queer Theory 」とは1990年にカルフォルニア大学サンタクルーズ校の学術会議におけるテレサ・ド・ラウレティスの提唱した用語が起源とされています。日本語では「変な」「奇妙な」などと訳される「クィア」という言葉は、もともとは英語圏でゲイ男性に向けられた蔑称でしたが、やがて当事者たちによって戦略的に用いられるようになり、現在ではセクシュアル・マイノリティと呼ばれる当事者全体を包摂する意味を帯びるようになります。このような意味でのクィア理論の特質を理解するうえで重要なことは、当初からその考え方が当事者の「差異の主張」と「普遍性に基づく連帯」という二つの指向性を胚胎させていたという点です。
 
まず「差異の主張」とは既存のセクシュアリティ/ジェンダーをめぐる二項対立においてマイノリティの側に置かれた当事者を主体化するアクティヴィズム的な指向性をいいます。とりわけラウレティスにおけるクィア理論は「同性愛と異性愛」という差異を重視しつつ、さらに同性愛者間における「レズビアン女性とゲイ男性」あるいは「黒人レズビアンと白人レズビアン」といったジェンダー、人種、階級、民族文化、年齢などといった多様な差異にも目を向けるよう促しています。
 
次に「普遍性に基づく連帯」とは既存のセクュアリティ/ジェンダーをめぐる二項対立そのものを脱構築する思弁的な指向性をいいます。こうしたことからクィアという概念は社会的には同性愛のみならず、バイセクシュアルやアセクシャルトランスジェンダー、あるいはクエスチョニングなど、ジェンダーアイデンティティ性自認)とセクシュアル・オリエンテーション性的指向)に関わる多様な自己選択の可能性を開くと同時に、そのような当事者同士の連帯を可能にする共通基盤ともなりました。
 
そして、こうしたクィア理論が抱えている「差異の主張」と「普遍性に基づく連帯」という、ある意味では相矛盾するこの二つの指向性に注目することで、クィア批評の持つ可能性を押し広げていく一冊が本書『クィアする現代日本文学』です。
 

*「小説を読む」とはいかなることなのか

本書は「はじめに」において「小説を読む」とはどのような行為だろうかと問い、評論や伝達文などとは異なり、読み手が「読んだ」という感覚を抱ききれない小説というテクストは、その読み方に応じてあらゆる意味に開かれたテクストであり、ときとして読み手に新たな主体性のあり方や思考の方法を手渡してくれさえするテクストであるとして、その意味で「小説を読む」という行為は読み手がテクストに解釈を与えて作品世界の意味内容を変更するばかりではなく、テクストが読み手に対して新たな認識や主体の変容をもたらすという相互行為にほかならないといいます。
 
そして本書はクィアと小説が共に抱える相矛盾的な性質に注目します。すなわち、クィアが差異を主張しつつも連帯をも希求するように、小説もまた人間存在の差異を指し示しつつもその差異を形作る境界線そのものを問い直す契機をも有しているということです。このような前提に立ち本書はおもにクィア批評を方法の中心に据えつつ、さまざまな批評理論を横断的に用いて1970年代から2010年代にかけて書かれた7つの小説を取り上げていきます。
 
例えば第1章では金井美恵子氏の「兎」(1972)という短編作品を題材として、兎に仮装する少女の女性的欲望と男性的行為との亀裂をジュディス・バトラーが提唱した「行為遂行性 performativity」の観点から読み解きます。ここでいう「行為遂行性」とは表象/行為が現実そのものを産出していくという意味であり、ここにバトラーは一般的な男性性/女性性という性別二分法を脱構築する作用点を見出しました。その一方で本書は匿名の「私」という、いわばジェンダー化されない無性の語り手の中に性別二分法そのものをすり抜けていくクィアな様態を読み取っていきます。
 
このように既存のセクシュアリティ/ジェンダーにおける二項対立を「クィアする」本書のアプローチは既存の価値観や先入観に捉われない開かれた読解を提示します。そしてそれは既に評価が確立した文学作品にもまったく新しい角度から光を当て直すことを可能にするアプローチであるといえるでしょう。
 

* 村上春樹クィアに読み直す

 
続いて第2章から第4章においては村上春樹氏の作品が取り上げられています。まず第2章では村上氏の代表作である『ノルウェイの森』(1987)において主人公である「僕」が無自覚的に反復しているホモソーシャル的な関係に注目した読解が提示されます。ここでいう「ホモソーシャル homosocial 」とはアメリカの文学者イヴ・コゾフスキー・セジウィックが提唱した概念で、女性の争奪・交換や同性愛嫌悪を媒介として成立する異性愛男性同士の連帯関係を指しています。そして同作のヒロインの一人である直子はこのような「僕」のホモソーシャル性を遊戯的に引き受けることで「僕」を媒介とした女性同士の親密な連帯性を築いていきます。
ここから本書はこれまで看過されがちだった直子やレイコさんという女性たちの「語り/騙り」の中に「僕」による異性愛主義的な物語を脱中心化するクィアな欲望を見出していきます。その上で彼女たちのクィアな欲望が同作で精神的な病と表象されることは確かに大きな問題があるとしつつも、精神的な病へと陥ってしまうほどに彼女たちにとって自己のクィアな欲望は容認し難いものであったと述べます。
 
次に第3章では「レキシントンの幽霊」(1996)をエイズ文学として読み直す試みが行われます。もともとアメリカでクィア理論が誕生した背景には1980年代の苛烈な同性愛抑圧を生み出したエイズパニック下のHIV /エイズ・アクティヴィズムの存在が指摘されています。こうした観点から本書は同作をまさにそのようなクィア理論を成立させたアメリカの時代状況を反映した小説として読み解いていきます。
 
そして第4章では「レキシントンの幽霊」と同時期に発表された「七番目の男」(1996)における回想的な「語り/騙り」に見られる不可解な点を手がかりとして、この小説における「語り/騙り」を性暴力を受けた男性被害者の「語り/騙り」として捉え直していくトラウマ批評の試みが行われます。このようなアプローチはいわば「テクストの意識」というべき表面的な「語り/騙り」の中で生じる綻びから見え隠れする、いわば「テクストの無意識」というべきポリフォニックな「語り/騙り」に注目していく優れて精神分析的なアプローチであるといえるでしょう。
 
従来、村上作品は主人公の「僕」を基準として例えば「デタッチメントからコミットメントへ」といった図式に基づく評価がなされてきました。けれどその一方で「僕」の周辺からはこのような「デタッチメントからコミットメントへ」という図式には収まりきれない多様多彩な「語り/騙り」が聞こえてきます。そして、こうした「語り/騙り」に深く耳を傾けていく上で「クィアする」という本書のアプローチはこれまでにない大きな助けになるのではないでしょうか。
 

* クィアとケアのあいだ

 
第5章以降はここまで見てきた「クィア」の視点に加え「ケア」という視点から「小説を読む」営為が行われていきます。まず第5章ではこれまで映画化やアニメ化などで度々注目されてきた田辺聖子氏の「ジョゼと虎と魚たち」(1984)をアメリカの心理学者キャロル・ギリガンが1992年に提唱した「ケアの倫理 the ethics of care 」から読み解きます。
 
この点、ギリガンは道徳的発達に関する調査結果をもとにそもそも女性は男性と異なる方法で道徳的判断を行う傾向があることを突き止めその再評価を行いました。すなわち、近代以降の社会における道徳的発達の指標とされてきた伝統的な「正義の理念」では自由意志をもった自律的な主体を前提とした公平と普遍性を重視してきましたが、ギリガンの提唱した「ケアの倫理」は関係性の網の目の中において個々人は決して自由意志を持った自律的な主体などではなく、むしろ常に相互依存の関係に立っているということを前提として、ケアをされる/するといった個別的な文脈における具体的他者のニーズにどう答えていくかといった「正義の理念」からは導かれない問いを積極的に引き受けていきます。
第6章では松浦理英子氏の『犬身』(2004)を題材として前章で見た「ケアの倫理」をダナ・ハラウェイが提唱した「伴侶種 companion species」の思想との交点から読み解いていきます。一般にペットなどの別称として「伴侶動物」という用語がありますが、ハラウェイのいう「伴侶種」とは、犬あるいは動物に限った存在ではなく人間やサイボーグ、無生物をも包摂するより広範な親族カテゴリーとして想定されています。その上でハラウェイは「伴侶種」としての犬との関係を「間主体的世界に棲まう方法をさがす物語であり、それはいずれ死すべき運命を背負った関係性の、あらゆる生々しい細部において、他者と出会っていく物語」であると捉えます。これは人と犬との信頼関係の枠組みを通して、人と人との関係を改めて問い直そうとするアプローチといえます。
 
第7章では多和田葉子氏の「献灯使」(2014)を題材として障害者的かつクィアな身体性がもたらす可能性を論じています。この点、アメリカのクィア理論家リー・エーデルマンは1998年の論文「未来は子ども騙し」において現存の保守的な右派の政治にせよリベラルな左派の政治にせよ「明るい未来」を「子ども」と象徴的に結びつけている点では結局のところ変わりがないとして、そうした異性愛主義/生殖主義を前提とした既存の政治と「真に対立」するものこそが「未来」と「子ども」を結びつけない「クィアセクシュアリティ」だと主張します。さらにエーデルマンは2004年に公刊した著書「No Future」においては「子ども」に「未来」を形象化する政治的イデオロギーを「再生産的未来主義 reproductive futurism」と名指し、常に人口増加による経済の拡大を期待する資本主義と強靭で有能な経済的主体を要請する新自由主義を強固に支える再生産的未来主義の政治に対する抵抗としてのクィアネスを主張しました。そして、こうした再生産的未来主義とは別様の可能性を本書は「献灯使」の主人公である無名の障害者的かつクィアな身体性に見出していきます。
 

* 訂正可能性としてのクィア

 
差異を主張しつつも連帯を希求するということ。このようなクィア理論が抱える相矛盾する二つの指向性は、ある面で「訂正可能性」と呼ばれる論理から捉えることができるようにも思えます。
 
この点、東浩紀氏は近著『訂正可能性の哲学』(2023)においてルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキ言語ゲーム論を参照して、共同体(ゲーム)のルールとは静的に確定したものではなく、共同体に所属する個人(プレイヤー)との相互作用により動的に変化し続けていく「訂正可能性」に規定されているとして、このような「訂正可能性」から同書はジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を読み直し、ルソーの社会契約には人間は孤独な存在として「自然」の中で幸福だったにもかかわらず他者と共に「社会」を作ってしまった結果として遡行的に発見されたという「にもかかわらず」「しまった」の論理が隠されているといいます。

 

 

そうであればクィア理論における相矛盾する二つの志向性にも同様に、差異を主張している「にもかかわらず」連帯を希求して「しまった」という「訂正可能性」の論理を見出すことができるでしょう。さらには本書のいう「小説を読む」という読み手とテクストのあいだで織りなされる相互行為にしてもまた、読み手がテクストを--能動的/主体的/理性的/意識的に--読んでいる「にもかかわらず」テクストを読み手が--受動的/客体的/情動的/無意識的に--読まされて「しまった」という「訂正可能性」の論理を見出すことができるでしょう。こうした意味で本書のいう「クィアする」という営為とはある面で「訂正可能性」に開かれたひとつの実践であるといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

めぐりあわせの環の中で--映画『窓ぎわのトットちゃん』

 

* 伝説の世界的ベストセラー初の映画化

 
黒柳徹子氏がその少女時代を綴った自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』は1981年に講談社から公刊されると同時に大きな反響を呼びました。同書は発売後の1年間で発行部数150万部を超え、現在では累計発行部数800万部を超える戦後最大のベストセラーのひとつに数えられています。さらに同書は世界35ヵ国以上で翻訳出版されており、全世界累計発行部数は2500万部を突破しています。
著名人の自伝というよりも児童文学に近い趣きを持つ同書はいわさきちひろ氏のイラストとの相乗効果もあり、黒柳氏の予想を遥かに超えた幅広い層に読まれることになりました。とりわけ教育分野での反響が大きく同書は授業教材、教科書、入試問題といった様々な形で取り上げられています。その一方で出版当時、マスメディアではこの社会現象を「トットちゃん症候群」と名付けてその影響を論じたり、なぜここまで売れたのかをあらゆる角度から分析した『トットちゃんベストセラー物語』という書籍が出版されたりもしています。
 
当然のことながら同書には映画化、テレビドラマ化、アニメ化、舞台化、ミュージカル化といった数多くの申込みが殺到することになりましたが、黒柳氏は「いわさきちひろさんの絵のおかげ、ということと、読んでくださった皆さんが、すでに、御自分のイメージで、御自分の絵を作っていらっしゃるので、それをうわまわる映像は難しい、と考え、すべて、おことわりしました」と同書の3年後に公刊された文庫版のあとがきで述べています。
 
その後も長らく同書は映像化されることはありませんでしたが、2017年にテレビドラマ「トットちゃん!」において抜粋の形ながら初の映像化を果たすことになりました。そして2023年、この冬に「トットちゃん」は初のアニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』として帰ってきました。
 

* 君は、ほんとうは、いい子なんだよ。

 
本作の序盤のあらすじは次のようなものです。舞台は戦時中の東京。高名なバイオリン奏者の長女として裕福で文化的な家庭に生まれたトットちゃんは入学した尋常小学校で問題児童として扱われていました。
 
教室の机の天板が蓋になっているつくりに感動して授業中に何度も何度も開け閉めしたり、授業中に学校のそばを通りかかったチンドン屋を窓から身を乗り出して呼び込んだり、図画の授業では画用紙からはみ出す部分を机の天板に直接クレヨンで書き殴ったりと・・・こうした数々の奇行を繰り返すトットちゃんは尋常小学校を退学になってしまいます。
 
もっとも当時のトットちゃんはその状況を理解できておらず、ただ母親から新しい学校に移るのだと言われて連れていかれた先がこの物語の舞台となる「トモエ学園」です。
 
トモエ学園の門をくぐったトットちゃんがまず目の当たりにしたのが本物の電車を活用した教室でした。この「電車の教室」を見た瞬間にトットちゃんをこの学校を気に入ります。そして「どうしてみんな、わたしのことを困った子っていうの?」と問いかけるトットちゃんに、トモエ学園の校長である小林先生は「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と語りかけます。
 
黒柳氏は2006年に公刊された同書新装版のあとがきで、当時のトットちゃんの言動はLD(学習障害)の一種ではないかという指摘がこの頃多くなされている旨を述べています。今でこそ、この種の言動を児童の個性の一つとして捉え、その個性に見合った指導方法を実践している学校も少なくないはずですが、当時はLDという概念すらありませんでした。トットちゃんにとってトモエ学園との出会いは、まさに奇跡のようなめぐりあわせであったといえるでしょう。
 

* 小林宗作とトモエ学園

 
こうしてトットちゃんが通うことになったトモエ学園とは同校校長である小林宗作氏が自由が丘学園の附属幼稚園と初等部を引き継ぐ形で創設した私立学校です。同校は小林氏がヨーロッパで学んだ「リトミック(ダルクローズ音楽教育法)」を基礎とする教育実践をコンセプトとして掲げており、子どもの自由な関心や感動を起点とした教育体験の創造を目指した大正自由教育の潮流を引き継ぐその教育理念は現代の視点から見ても極めて先進的かつユニークです。
 
先述のようにトモエ学園の教室は払い下げられた電車を使用しており、各車両は教室や図書室とそれぞれ用途が決まっていて、児童はそこで授業を受けることになります。担任教師は朝に児童が教室に集まると、その日一日にやることを黒板に書き出します。そして児童たちはそのうちの好きなものから勝手に手をつけて良いと言われます。その結果、ある児童はピアノを弾き、ある児童は本を読み、ある児童は絵を描き、ある児童は外を走り始めることになります。授業は基本的に自習が中心で教師は子どもたちの自習に手を貸していくという形式が取られています。
 
また児童が持参するお弁当について小林校長はあらかじめ各家庭に対して「海のもの」と「山のもの」を(無理のない範囲で)持たせてくださいと伝え、昼食時には講堂に全校の児童を集め小林校長とその夫人がそれぞれの弁当を覗き込んでまわり「海のもの」と「山のもの」のどちらかが欠けていれば、その場で小林夫人が作ったおかずを追加していきます(原作でトットちゃんのお母さんは「こんなに簡単に、必要なことを表現できる大人は、校長先生の他には、そういない」と感心しています)。
 

* 原作の核心部を映像で物語る映画

 
さらにトモエ学園では様々な身体的なハンディキャップを背負った児童を受け入れています。その根底には「どんな体も美しいのだ」と考える小林氏の信念があります。この点、黒柳氏はトモエ学園においてはその身体の条件が徹底して個性のひとつとして扱われていたことを強調しています。
 
トットちゃんの同級生で小児麻痺を患う山本泰明ちゃんもそんな一人でした。トットちゃんは泰明ちゃんとの交流を通じて当時最先端のテクノロジーであった「テレビジョン」をはじめて知ることになり、これが後に到来するテレビ時代の申し子黒柳徹子の原風景となります。そして映画ではこのようなトットちゃんと泰明ちゃんの交流をひとつの軸として原作のエピソードを鮮やかな手際で再配置していきます。
 
『窓ぎわのトットちゃん』とはその自由奔放さ(世間はしばしそれを「障害」と呼んで切り捨てます)ゆえに「窓ぎわ」に追いやられたトットちゃんがトモエ学園に初めて家庭以外の「居場所」を見つけていく物語です。そんなトットちゃんにとってかけがえのない「居場所」であったトモエ学園のイメージを映画『窓ぎわのトットちゃん』は小林先生と泰明ちゃんという2人のキャラクターに託すことで原作が持つ核心的なテーマを「言葉」によって「説明する」のではなく「映像」によって「物語る」ことに見事に成功しています。こうした意味で本作は日本アニメーション史上におけるひとつの恐るべき達成を成し遂げた稀有な作品であると言ってしまっても決して大袈裟ではないように思います。
 

* どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている

 
それにしても、このような学校が太平洋戦争下の日本に存在していたという事実には改めて驚かされるものがあります。それは黒柳氏自身も後に強く感じたようで『窓ぎわのトットちゃん』のあとがきから察するに、小林氏は自分の教育方針と時局との相性の悪さに十二分に自覚的であり、そのため極力新聞や雑誌などの取材を拒否していたようです。まさにトモエ学園は戦時下の日本の中にほとんど奇跡的に成立していたユートピアであったといえるでしょう。
 
しかし、そんなトモエ学園の上にもやがて戦火は容赦なく降り注ぐことになります。この物語の結末はトモエ学園の焼失です。1945年春の東京大空襲でトモエ学園は焼失します。燃え上がるトモエ学園の校舎を前に小林氏は「おい、今度は、どんな学校、作ろうか?」と再起を誓い、黒柳氏は「小林先生の子どもに対する愛情、教育に対する情念は、学校を、いま包んでいる炎より、ずーっと大きかった」と語ります。この名シーンが映画では本当に素晴らしい演出で描かれています。
 
そして戦後、小林氏は焼跡にまず幼稚園を再建し、同時に国立音楽大学保育科の設立に尽力し、同学でリトミック教育を教え、附属小学校の創立にも携わったそうですが、念願であった自身の小学校を再建するという夢はついに叶わず、昭和38年に69歳で没したと、あとがきでは語られています。
 
小林氏の教育理念は「どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、まわりの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というものであったと黒柳氏は書いています。「トットちゃんの一生を決定したのかも知れない」という「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」というシンプルで力強い言葉の奥には、こうした小林氏の教育者としての揺るぎない信念があったのでしょう。
 

* めぐりあわせの環の中で

 
果たしてトットちゃんはその後どうやって「あの黒柳徹子」になったのでしょうか。実は今年『窓ぎわのトットちゃん』の「それから」を描いた42年越しとなる正統な続編が公刊されました。その名も『続 窓ぎわのトットちゃん』です。
同書は『窓ぎわのトットちゃん』を補完するトットちゃんと家族の思い出から始まり、東京大空襲後の青森での疎開生活が描かれた後、帰京したトットちゃんが香蘭女学校、東洋音楽学校を経て、偶然の契機からNHK専属俳優となり、テレビを舞台に活躍する過程が描かれています。こうしたトットちゃん=黒柳さんの歩みは、誰もが持つその人だけの「特異性」としての「いい性質」を社会や時代とのめぐりあわせの環の中で「個性」として開花させていく過程であったともいえるでしょう。
 
映画の終盤でトットちゃんは小林先生に「わたし、おおきくなったらこの学校の先生になってあげる」と告げ、小林先生は「君は、ほんとうに、いい子だな」とトットちゃんを抱きしめます。しかしその後、トモエ学園は戦火の中に焼失し、その約束は果たされることはありませんでした。
 
けれどもその後、トットちゃん=黒柳さんは『窓ぎわのトットちゃん』の公刊を始め、ユニセフ親善大使としての活動や、放送回数12000回を超えるギネス番組「徹子の部屋」を通じて、かつて小林氏が掲げたトモエ学園の教育理念を実践する道を歩んでいきます。こうした意味でトットちゃん=黒柳さんは確かに「トモエの先生」になったといえるのではないでしょうか。
 
そしてこの度、日本アニメーション史上稀にみる傑作として令和の世に産み出された映画『窓ぎわのトットちゃん』はかつて小林先生がトットちゃんに贈った「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」というメッセージをみずみずしいかたちで現代に蘇らせ、幅広い層へ送り届けていくような映画に、きっとこれから育っていくのではないかと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

デタッチメントからアンチ・ソーシャルへ--村上春樹『ノルウェイの森』試論

 

* 村上春樹の代名詞

 
村上春樹氏は河合隼雄氏との対談集『村上春樹河合隼雄に会いにいく』(1996)において小説を書き始めたきっかけは、いま思えば「自己治療のステップ」であったと振り返っています。周知のように村上氏は1978年、29歳のある日、明治神宮球場でビールを飲みながらヤクルトスワローズの試合を観戦していた最中に突然「そうだ、小説を書こう」という天啓が閃き、当時経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を切り盛りする傍らで毎日細切れの時間を見つけては小説を書くようになります。その結果生まれたデビュー作『風の歌を聴け』(1979)について氏は同対談において「文章としてはアフォリズムというか、デタッチメントというか、それまで日本の小説で、僕が読んでいたものとまったく違ったものになった」と述べています。
 
ここでいう「デタッチメント」について村上氏は川上未映子氏との対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2017)において「60年代の学園紛争の幻滅感」に由来したものであると述べています。すなわち、当時の学生運動の根底には「世界は基本的により良い場所になっていく」はずであるという「理想主義」があったはずなのに、それが「あっさり潰されてしまったこと」に対する幻滅が強く「いわゆる新左翼的な人たちの物言いに抵抗感があって、そういうものを回避しながら、自分の言いたいことを表現するには、いったいどうすればいいのか」という模索の中から表明された態度こそが「デタッチメント」であったということです。
 
けれども小説家としてやっていくためにはそれだけでは足りないと感じていた氏はその「デタッチメント」の部分をだんだんと「物語」に置き換えていくようになります。その試みは初の本格的な長編である『羊をめぐる冒険』(1982)を経て氏の代表作の一つとなる『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)へと結実しました。そして、ここから氏がさらに作家としてもう一段階の成長を遂げるべく「個人的実験」として「リアリズムの文体」を追求した作品が氏の5作目の長編小説であり、村上春樹という作家の代名詞ともなるベストセラー小説『ノルウェイの森』(1987)です。
 

* 美少女ゲームのような物語?

本作『ノルウェイの森』は2009年の時点で単行本上下巻と文庫本の総発行部数が1340万部に達したとされています。また本作は2010年にはトラン・アン・ユンの脚本・監督で映画化もされています。その一方で本作は村上氏自身によって「もうこういうのは二度と書きたくない」「あくまで例外」という鬼子のような作品として語られています。本作のあらすじは次のようなものです。
 
時に1968年春、東京の私立大学に入学した主人公の「僕(ワタナベトオル)」はある日、自殺した高校時代の友人キズキの恋人だった直子と偶然、東京で再会します。やがて二人は休日に会い、デートを重ねるようになり、翌1969年の4月、直子の20歳の誕生日に「僕」はどういうわけか情緒不安定になってしまった彼女と成り行きで一晩を共にすることになりますが、その直後、彼女は消息を絶ってしまいます。
 
5月になると「僕」の通う大学は「大学解体」を叫ぶ学生達によるストに突入します。7月に直子から「僕」に手紙が届き、その文面から現在の彼女が何らかの精神の不調を抱えていることが窺い知れました。その後、大学には機動隊が入り、立てこもっていた学生は全員逮捕されます。こうして機動隊の占拠下で講義が再開された9月「僕」はたまたま同じ講義に出席していた緑という同級生女子と懇意になります。
 
そんな折、直子から手紙が届きます。「僕」は現在彼女が入所している京都の療養施設「阿美寮」を訪れ、直子や年長のルームメイトであるレイコと数日を過ごすことになります。その後、しばらく「僕」は直子と手紙をやりとりして「僕」の誕生日の3日後には直子からレイコと一緒に編んだというセーターが届きました。冬にも「僕」は再び「阿美寮」を訪れますが、この頃から彼女の病状は少しずつ悪化の兆しを見せていました。
 
そして1970年となり「僕」はそれまで住んでいた学生寮を出て吉祥寺の郊外の一軒家でひとり暮らしを始めます。4月初めレイコから直子の病状が悪化したことを伝える手紙が届きます。6月半ば、2か月ぶりに再会した緑から好意を告げられた「僕」はレイコに今後自分はどうすればよいかという教えを乞う手紙を書き、レイコの返事は緑との交際を勧めるようなものでした。
 
その後「僕」は直子が自死したことをレイコから知らされます。葬儀の後「僕」が1ヶ月の放浪の末に東京に戻るとほどなくしてレイコから手紙が届きます。レイコは8年間過ごした阿美寮を出ることにしたといいます。東京で「僕」と再会したレイコは「僕」の家で直子の葬式をやり直そうと提案します。翌日、旭川へ向かうレイコを上野駅まで送った後「僕」は緑に電話をかけてその想いを伝えます。
 
こうして改めてあらすじを書き出してみますとまるで一昔前の美少女ゲームのメリー・バッドエンドのようにもみえてきますが、このような印象はもちろん転倒しているわけで、美少女ゲームを始めとしたゼロ年代以降のオタク系文化全体の方こそが本作の決定的な影響下に置かれていたといえます。ある意味で本作は純文学の世界以上にサブカルチャーの領域に絶大なインパクトをもたらした作品といえるでしょう。
 

* デタッチメントの到達点?

 
先述したような村上氏が小説を書くようになった経緯からいえば本作は氏のいうところの「自己治療のステップ」としての「デタッチメント」を「リアリズムの文体」によって突き詰めた作品であると、ひとまずはいえるでしょう。例えば宇野常寛氏は村上作品を包括的に論じた『リトル・ピープルの時代』(2011)において見田宗介氏と大澤真幸氏の議論を批判的に継承して戦後日本社会を「ビッグ・ブラザーの時代(〜1968年)」「ビッグ・ブラザーの解体期(1968〜1995)」「リトル・ピープルの時代(1995〜)」という3つの時代に区分した上で、1960年代末の「政治の季節」の終焉から出発した作家である村上氏が打ち出した「デタッチメント」という倫理を「ビッグ・ブラザーからのデタッチメント」として捉え、かかる「デタッチメント」の徹底を「ナルシシズムの記述法」として確立した作品が本作であると位置付けています。
また宇野氏は再度村上作品を論じた近著『砂漠と異人たち』(2022)においても本作は「デタッチメント」という新しい生のモデルから「60年代末の記憶」を清算したものであると述べています。本作において「僕」は古い時代の象徴(=直子)の死を受け入れて新しい時代の象徴(=緑)へと手を伸ばします。本作は「あなた、今どこにいるの?」という緑の問いかけを受けた「僕」の「僕はどこでもない場所のまんなかから、緑を呼びつづけていた」というモノローグによって幕を閉じますが、この結末に村上氏自身の創作コンセプトが示されていると宇野氏はいいます。すなわち、そこが「どこでもない場所」でしかあり得ない新しい時代の中で世界に触れるための蝶番(=緑が体現するもの)を求める行為こそが「デタッチメント」のもたらす虚無に耐えることができる「ナルシシズムの記述法」を完成させるために必要であったということです。
こうしてみる限り本作は村上氏がデビュー以来模索し続けてきた「デタッチメントの到達点」として宇野氏のいうところの「ナルシシズムの記述法」を提示した作品といえるでしょう。もっともその後、阪神大震災地下鉄サリン事件に象徴される1995年前後において村上氏はよく知られた「デタッチメントからコミットメントへ」という転回を果たすことになります。すなわち、マルクス主義に象徴される「ビッグ・ブラザーの時代」が生み出した「悪」の解体を見届けた氏はここからさらにオウム真理教に象徴される「リトル・ピープルの時代」がもたらす「悪」との対峙へ向かうことになりました。
 
では、いまや本作は「デタッチメントからコミットメントへ」という転回によって乗り越えられた過去に属する作品ということになるのでしょうか?そもそも「本当に」本作は「デタッチメントの到達点」であるといえるのでしょうか?
 

* 永沢さんという存在

 
本作は村上氏自身が手掛けた「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーや氏の「直子のいる京都の療養所の世界、あっちの世界だし、緑のいる東京の世界、これはこっちの世界」といった自作解説を踏まえて、主人公である「僕」をめぐる2人のヒロインである直子と緑が持つ「陰と陽」「死と生」「内閉と開放」「過去と未来」といった対照性から、前者を葬送して後者を希求する過程として「僕」の「恋愛」を描き出した作品として一般的に読み解かれてきました。
 
これに対して加藤典洋氏は『村上春樹は、むずかしい』(2015)において本作が「これまでにないダイナミズム」を持つことになった要因として、この2人のヒロインの対照性に加え「僕」が入所した学生寮の先輩である「永沢さん」の存在に注目します。
東京大学法学部の学生である永沢さんは裕福な実家と優秀な頭脳と卓抜したコミュニケーション能力を併せ持った人物として描かれます。永沢さんは外交官を志望しています。その理由として彼は「ゲームみたいなもんさ。俺には権力欲とか金銭欲とかいうものはほとんどない」「ただ好奇心があるだけなんだ。そして広いタフな世界で自分の力を試してみたいんだ」と述べます。
 
そして彼は「理想というようなものも持ち合わせてないんでしょうね?」と問う「僕」に対して「もちろんない」「人生にそんなもの必要ないんだ。必要なものは理想ではなく行動規範だ」と断言します。
 
この点、加藤氏は同書において村上氏がその前半において「デタッチメントの作家」であったという一般的な評価について「デタッチメントをどのように受け取るかによるにせよ、これはさほど正確な把握ではない」と述べています。そして加藤氏は村上作品における「デタッチメント」をある意味で真に体現した存在として本作の永沢さんを位置付けています。どういうことでしょうか?
 

*「マクシム」としてのデタッチメント

 
まず加藤氏は村上氏のデビュー作『風の歌を聴け』は次のような二つの点で戦後の日本文学史において画期的な意義を持っているといいます。
 
その一つは同作が戦後の日本文学史に表れた最初の「肯定的なことを肯定する」ことに自覚的な作品であったということです。換言すればそれは「否定性を否定する」ということでもあります。この点「近代」とは既存の秩序や権威を否定するという「否定性」に駆動された時代であったといえます。こうしたことから「近代」における文学もまた既存の秩序や権威を象徴する〈家〉や〈父〉に対する「否定性」を反復して描き出してきました。これに対して同作が描き出した「肯定的なものを肯定する」という態度は、このような従来の文学における「否定性」への依存を断ち切ることを意味しています。
 
もう一つは「近代」における「否定性を否定する」ことが同作の中で「悲哀を浮かべている」ということです。「近代」が終わりつつあった当時「否定性」に駆動された従来の文学は一般社会から徐々に「古めかしいもの」「暗いもの」として忌避されるようになり、もはや肺結核にかかり青白い顔を浮かべることに何の文学的意味もなくなってしまいました。こうした時代の転換期において同作は「近代」という時代を駆動してきた「否定性」の没落をいち早く受け入れながらも同時にその「悲哀」をも繊細に描き出していました。
 
そしてその後、1980年代に入ると消費化と情報化を核とした高度資本主義社会の全面化やポストモダン状況の進展によって、同作が予告した「肯定的なものを肯定する」という態度がもう誰も否定できない現実となって姿を表すことになります。こうして時代が「欲望の全肯定」へと向かう中、村上氏は社会とのあいだに距離を置く「デタッチメント」に自分の足場を見出すようになりました。
 
ここでいう「デタッチメント」を加藤氏はカント哲学でいうところの「マクシム」として捉えています。すなわち、当時の村上氏は万人共通の定言命題としての「モラル(道徳)」が失効した時代における抵抗の起点を個人的な行動規範としての「マクシム(格率)」に見出そうとしていた、ということです。
 

* デタッチメントから遠く離れた場所で

 
このような「マクシム」としての「デタッチメント」は当時『羊をめぐる冒険』などの新しい主人公像を通じて若い読者に圧倒的に支持されることになりました。そして本作におけるこの「マクシム」としての「デタッチメント」の正統な継承者こそが「理想」よりも「行動規範」を重んじる永沢さんです。けれども本作において(少なくとも「僕」の視点から見ると)永沢さんはどちらかといえばネガティヴなイメージで描かれています。
 
その一方で本作の「僕」は永沢さんのような堅牢な「マクシム」を持たない「普通の人間」として描かれています。ところが加藤氏はこの「僕」を村上作品史上で後にも先にもなく「画期的」な主人公像として評価しています。
 
加藤氏はその象徴的な例として次のような場面を挙げています。永沢さんにはハツミさんという恋人がいます。にもかかわらず永沢さんは女遊びをやめません。ハツミさんに好感を抱く「僕」は永沢さんに誘われてナンパの片棒を担ぎながらも永沢さんの振る舞いに倦厭の情を抱きつつもありました。
 
そんな中、永沢さんの外務公務員採用一種試験合格のお祝いの席上でハツミさんからなぜ大事な恋人がいるのに他の女と寝たりするのかと問い詰められた「僕」は「そういう肌のぬくもりのようなものがないと、ときどきたまらなく淋しくなるんです」と狼狽えながら釈明します。
 
このように本作の「僕」はかつてのような「マクシム」としての「デタッチメント」を遂行する従来の「僕」からは程遠い、行き当たりばったりでどっちつかずな人物として、あるいは無節操で無防備で凡庸ですらある人物として描かれます。
 
しかし換言すれば本作の「僕」は従来の「僕」のように「マクシム」という安全圏に立てこもることなく、その外側で実存的な生を徒手空拳で試みていたということです。だからこそ多くの読み手がこれまでの「僕」以上に本作の「僕」に対して親しみと共感を覚えたのではないでしょうか。こうした意味で本作はむしろ「デタッチメントの到達点」から遥か遠くの場所に位置する作品であるともいえるでしょう。
 

* クィアするノルウェイの森

 
ところでここまでみた本作の読解はいずれも、あくまで主人公の「僕」を中心とした読解です。これに対して武内佳代氏は『クィアする現代日本文学』(2023)において「僕」の語りの周辺部に位置するものとしてこれまで看過されがちだった直子やレイコさんといった阿美寮の女性たちの語りに目を向けたクィア・リーディングを提示しています。
この点、本作においては「僕」の直子への愛がその主調音をなしていますが、直子が自死した後この世界に残された「僕」が心の中で語りかける相手は直子ではなくキズキでした。ここで「僕」の「おいキズキ、お前はとうとう直子を手に入れたんだな」「直子はお前にやるよ」という語りは、フェミニズム批評の観点から女性をモノとしてやり取りすることに何の疑問も持っていないとして批判されていますが、その一方でこの「僕」の語りは直子への愛情がキズキとの強固なホモソーシャルな関係から成り立っていたことを示しています。さらに「僕」は大学入学後、永沢さんともホモソーシャルな関係を結ぶことになります。
 
ここでいう「ホモソーシャル」とはアメリカの文学者イヴ・コゾフスキー・セジウィックが提唱した概念で、女性の争奪・交換や同性愛嫌悪を媒介として成立する異性愛男性同士の連帯関係を指しています。そして同書はここでこうしたホモソーシャル性を単に非難するよりも「むしろ、直子がそうした彼らの絆をずらすようなパロディー的な態度をとること」に注目します。
 
例えば阿美寮での直子はレイコさんに「僕」を「ときどき貸してあげるわよ」と笑顔で言い放ち、レイコさんも「まあ、それなら悪くないわね」と応じており、また「僕」の20歳の誕生日にはレイコさんと合作したセーターを二人の手紙を添えて送るなど、いわば「僕」を媒介とした女性同士の親密な連帯関係を築いています。
 

* 直子におけるクィアな欲望

 
この点、直子にとってレイコさんは彼女の実の姉を彷彿させる存在です。直子が小学6年生の時に自死した彼女の姉はある意味でキズキ以上に親密な存在であり、むしろ直子はキズキの方に姉の面影を投影していた可能性があると同書はいいます。
 
すなわち、直子のキズキに対する性的不能は姉への性的欲望に対する二重の禁止、すなわち近親相姦と同性愛によるものとも読み解けます。また直子が隠し持つ亡き姉への深い欲望は直子の自死の仕方がキズキの自死排気ガス吸引)よりも姉の自死(首吊り)とよく似ていることからも窺うことができます。そうであれば直子の自死の背景にはキズキの死よりも姉の死の方が深く関わっていることが見えてきます。
 
こうしてみると第一章で「ノルウェイの森」を聴いた現在の「僕」が最初に引き戻された「草原の風景」での直子との謎めいたやりとりの意味も明らかになります。ここで直子は「僕」に「本当に深い」井戸に落ちて「ひどい死に方」をする恐怖を語りますが「僕」はその「井戸」を現実に実在する井戸としか受けてとめていません。けれども村上作品読解の通例に従い、ここでいう「井戸」を精神分析でいうところの欲動の溜まり場である「イド(id)」として読み解くのであれば、直子の恐怖とは自身の「イド」に存在する姉への強い性的欲望に対する恐怖であったことがわかります。
 
しかしながら何の疑問もなく異性愛規範を内面化している「僕」はそんな直子の「イド」に、すなわち近親相姦的でクィアな欲望に気づくことはありません。だからこそ直子は「僕」に対して「こうしてあなたにくっついている限り、私も井戸に落ちない」と語ります。すなわち「僕」の鈍感さが直子にとってはここで逆説的な救いになっているということです。
 
けれども阿美寮での直子は「僕」を媒介としてレイコさんとの間に再び亡き姉との強い絆を結び直し最終的に「イド」へと向かいます。そしてそれはレイコさんもまた直子との絆を求めていたことにも起因しています。
 

* レイコさんの正体

 
あらためてレイコさんとは何者なのでしょうか。「僕」は初めて阿美寮を訪れた際、一目でレイコさんに好感を持ち、以降レイコさんがもたらす情報に疑いを抱くことはありません。それは当然「僕」と視点を等しくする読者にも共有されます。しかしレイコさんが7〜8年もの間、阿美寮で暮らしている患者であることを考えると、果たして彼女の語りを文字通りそのまま受け止めていいのかという疑念が生じてきます。
 
まず同書は本作の20分の1にも相当する過剰な語りであるレイコさんの(彼女が阿美寮に入寮するきっかけとなった)レズビアン体験の告白に注目します。ピアニストになる夢を断念した彼女は結婚後「天使みたいにきれい」で「病的に嘘つき」な少女にピアノを教えることになります。当時レイコさんは31歳、少女は13歳です。
 
しかし少女は「筋金入りのレズビアン」でレイコさんはレッスン中に肉体関係を迫られます。そしてレイコさんの「もっとしてほしかったのよ。でもそうするわけにはいかないのよ」という言葉は同性愛的な欲望を自認しながらも社会の異性愛規範によって断念しなければならないという「抑圧」を語っているようにもみえます。
 
この点、同書はレイコさんと嘘つきの少女はアナグラムのように31歳と13歳という数字を入れ替えただけの存在であり、かつ「話しが上手くて」「人の感情を刺激して動かすのが実に上手い」と嘘つきの少女を評するレイコさん自身も「僕」が「シエラザード」に喩えるような魅惑的な語り手であることからレイコさんが「あの子」と呼ぶ嘘つきの少女は実はレイコさん自身ではないかと推測します。すなわち「ありとあらゆる嘘」をつき「自分でもそれを本当だと思い込んじゃう」という「虚言症」こそがレイコさんを長年、阿美寮にとどめさせた病にほかならないのではないかということです。
 

* レイコさんの語り/騙り

 
このように嘘つきの少女=レイコさんだとすれば彼女の「語り」は自ずから「騙り」の性質を帯びてきます。この点、直子の死までの約半年間について手紙で様子を知らせてきたのは直子本人ではなくレイコさんです。先に少しみたように「僕」はレイコさんと手紙をやりとりする中で緑への愛を告白し「僕はいったいどうすればいいのでしょう?」と相談を持ちかけ、レイコさんは「僕」に緑との交際を促しながらも「あの子には黙っていることにしましょう」と提案します。そして本作の第十章はこのレイコさんの手紙で閉じられます。
 
しかし次の最終章の冒頭では唐突な形で直子の死が伝えられることになります。このプロットは「あの子には黙っていることにしましょう」という約束が遵守されなかったことを物語っているようにも見えます。
 
もし仮に直子を自死に追いやったのがレイコさんだとすれば、一体それはなぜなのでしょうか?単純に異性愛主義的に捉えればそれは「僕」を直子から奪うためとも読めそうです。しかし嘘つきの少女=レイコさんだとすれば、彼女の欲望はやはりレズビアン的なそれとして読み解かれる必要があるのではないでしょうか?少なくとも事実として直子の死に際を「僕」に伝えるレイコさんの「語り/騙り」は濃厚なまでのレズビアン・エロティシズムに満ちています。
 
いかに阿美寮で絆を深めようと直子が同性愛者でない限りは、いずれレイコさんは直子を「僕」あるいは別の男性に譲り渡す日が来るでしょう。女性同士で手紙を綴ったりセーターを編んだり心を打ち明け合う彼女たちの寮生活は、いわばエスの関係が許容されていた女学生のモラトリアムのようなものでしかなく、レイコさんがそのような甘美なモラトリアムを永遠のものとするには直子の死の唯一の立会人になり、なおかつ「語り/騙り」によって直子とのロマンスをアクチュアルなものにしてしまう以外に方法はなかったでしょう。
 
そして、そのような「語り/騙り」を通して自己の抑圧していたクィアな欲望をアクチュアルのものとして結実させることができたからこそ彼女は8年もいた阿美寮を後にできたのではないかと同書は述べています。換言すればレイコさんは自身のうちに宿るクィアな欲望を実現するため「僕」と緑の恋愛を利用していたとさえいえるでしょう。
 

* デタッチメントからアンチ・ソーシャルへ

 
こうしてみると同書が指摘するように「僕」を介した直子とレイコさんの関係性は「僕」が反復するホモソーシャルな関係性の遊戯的な転換にとどまらず、その裏側には女性同士のクィアな愛のかたちと、その愛のかたちを永遠のアクチュアリティへと昇華する「語り/騙り」の力があり、そしてそれは「僕」が無自覚に依拠する異性愛主義を脱構築することになります。
 
さらに付言するのであれば、本作における「影の主役」とさえいえるレイコさんの振る舞いはクィア理論でいうところの「アンチ・ソーシャル的転回」を想起させるものがあります。ここでいう「アンチ・ソーシャル的転回」とはマジョリティにとって都合の良い限りでマイノリティとしてクィアを承認するような現代社会の傾向を批判する議論をいいます。
 
例えば、その一角と目されるクィア理論家リー・エーデルマンはその著作『ノー・フューチャー』(2004)所収の論考「未来は子供騙し」で現行社会における自明の「正しさ」とされる「(再)生産の信仰」を「再生産未来主義」と名指し、右派の優生思想のみならずリベラル左派がしばし掲げる「未来の子どもたちのために」などといった一見口当たりの良いスローガンを批判します。
 
エーデルマンはこうした〈未来=子ども〉というスローガンの奥に潜む、絶えざる再生産と保全を肯定する根源的に「保守的」な身振りを剔抉して、異性愛規範に基づく現行社会秩序が暗黙のうちに強制する(再)生産に反対し未来に反対し「死の欲動」を積極的に担う者、それこそがクィアであると主張します。
 
そうであれば社会に背を向け残りの人生を直子との思い出の世界の中で生きることを選んだレイコさんもまた、恐ろしくラディカルな形で「死の欲動」に取り憑かれた1人であったといえるでしょう。こうした意味においても本作は「デタッチメントの到達点」といった一般的な評価には到底回収し尽くせない複雑な響きとアクチュアルな問いを内在させた作品であるといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これから河合隼雄にざっくり入門するためのおすすめ7冊

* こころの処方箋(1992年)

⑴ 時代を超越した不動のロングセラー
 
日本を代表する臨床心理学者、河合隼雄氏は1965年にスイスのユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を取得して、箱庭療法をはじめとした心理療法の導入や臨床心理士の資格整備に尽力したことで知られています。また氏は日本人の精神構造や日本文化を深く洞察し続けた思想家であり、晩年には文化庁長官も務めており、その著作は学術書からエッセイに至るまで実に200冊を超えています。
 
その膨大な著作群の中でもっとも一般的によく知られた一冊として本書『こころの処方箋』が挙げられます。1992年に公刊された本書は当時、折りからの心理学ブームもあって同年のベストセラーランキング10位に入っています。さらにその後30年以上もの間、本書は幅広い層に読み継がれ、時代が平成から令和に移り変わっても、その内容はいまだ全く色褪せることなく公刊から現在に至るまで時代を超越した不動のロングセラーの一角を占めています。
 
⑵ 未知の可能性と二律背反性
 
本書の冒頭に置かれたエッセイ「人の心などわかるはずもない」では一般的に臨床心理学の専門家というと人の心がすぐに「わかる」と思っているようだが、むしろ専門家の特徴とは人の心がいかに「わからない」ものであるかを「確信をもって知っている」ところにあるとして「心の処方箋」とは「体の処方箋」と異なり、未知の可能性に注目してそこから生じてくるものを尊重しているうちに自ずから生まれてくるものであると述べられています。
 
そして次のエッセイ「ふたつよいことさてないものよ」では、人の心の二律背反性が述べられています。ここで氏のいう「ふたつよいことさてないものよ」とはひとつ良いことがあるとひとつ悪いことがあるとも考えられるということで、逆に何か悪いことがあってもよく目を凝らしてみると、それに見合う良いことが存在していることが多いということです。
 
こうした洞察は氏の臨床経験から確信的に導き出されたものでしょう。カウンセリングや心理療法においてはクライエントの置かれた状況からカウンセラーが行うべき援助に至るまで様々な未知の可能性と二律背反性に満ちています。そして人生もまた同じく未知の可能性と二律背反性に満ちています。絶頂は転落の始まりであり、暗闇の中に光明が見出され、絶望と希望は相転移するということです。
 
⑶ 常識なき時代を生きていくための常識
 
こうした未知の可能性と二律背反性を持つ「こころ」なる厄介なものにいかに関わり、その「こころ」と共にいかに生きていくかという観点から本書では様々な「こころの処方箋」が提示されます。
 
「100%正しい忠告はまず役に立たない」「100点以外はダメなときがある」「マジメも休み休み言え」「こころのなかの勝負は51対49のことが多い」「ものごとは努力によって解決しない」「うそは常備薬 真実は劇薬」「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」等々といった逆説的なタイトルは「こころ」がいかに未知の可能性と二律背反性に満ちたものかを如実に物語っています。
 
本書が提示する「こころの処方箋」はそのいずれも単なる「優しさ」だけではなく確かな「厳しさ」も併せ持っています。そして、このような「優しさ」と「厳しさ」から成り立つ卓越したバランス感覚もまた、長らく心理療法家として「こころの現場」に立ち会い続けてきた河合氏の豊富な経験と深い洞察に裏打ちされているという事はいうまでもないでしょう。
 
河合氏は本書は皆がすでに腹の底では知っているはずの「常識」を売り物にした本であると述べています。しばし「ポストモダン」とも呼ばれる現代はある意味で社会共通の規範というべき「常識」が失効した時代といえます。そこでは誰かにとっての「常識」は時として別の誰かにとっての「非常識」ともなり得るでしょう。こうした意味で本書はいわば「常識」なきポストモダンを生きていくための「常識」を示した一冊であるといえるでしょう。
 

* カウンセリングを語る(上)(1985年)

⑴ カウンセリングを基礎から語る講演集
 
河合氏の最大の功績はまずは何といってもカウンセリングを日本に普及させた点にあります。1965年に河合氏がスイスから帰国した当時の日本ではカウンセリングや心理療法については一般にあまり知られていませんでした。そんな折、四天王寺の人生相談所から招きを受けた氏は四天王寺で年一回開催されるカウンセリング研修講座で講演をするようになります。その講演記録をまとめたものが上下巻からなる『カウンセリングを語る』です。
 
その上巻となる本書ではカウンセリングの基礎中の基礎が極めて分かりやすいことばで、文字通りの初歩の初歩から語られます。この点、本講演の聴衆は主に学校の先生方で当時は校内暴力が社会問題化していたという背景もあり、この講演では主に中高生にどう接していくかという点に主眼が置かれています。
 
ここで河合氏は「教育」とは文字通り「教える」という側面と「育てる」という側面があるとして、学校教育ではもっぱら「教える」ことに重点が置かれるけれど、実際には「教える」ための土台として「育てる」ことが入っており、カウンセリングではどちらかといえばこの「育てる」ということが重視されるといいます。
 
すなわち、カウンセラーはクライエントに対し、河合氏のいうところの「自由にして保護された空間」を提供する役割を担い、カウンセリングとはまず相手のことばを耳を傾けて「聴く」という営為からはじまります。こうしたことから本書においてはカウンセリングにおける「聴く」ことの重要性が繰り返し強調されています。
 
まずは聴く。ひたすら聴く。いろいろな先入観や価値判断はとりあえず脇に置いてとにかくクライエントの語りに耳を傾けていくということ。このようにカウンセラーとはクライエントのどのような話を聴いても、同じ話を何度もなんども繰り返し聴いても、常に生き生きとした共感を持って聴ける人でなければならないということです。
 
⑵ カウンセリングにおける二律背反性
 
しかしながら、ひたすら人の話を聴いてさえいればそれでカウンセリングになるのかというと、もちろんそんなわけはありません。しばしカウンセリングにおいてはあちらに立てばこちらに立たずというような二律背反的な状況に直面することがあります。
 
例えばカウンセラーの基本的態度を明らかにしたものとして大変有名な「ロジャーズ三原則」というものがあります。それは次のようなものです。
 
a 無条件受容(無条件の肯定的関心)・・・クライエントの表現したものがどんな内容であろうとも、それはその人の内的体験に基づいたその人なりの表出であるということを認め、批判や評価などの一切の価値判断をせず、ありのままに受容すること。
 
b 共感的理解・・・クライエントの「いま、ここ」にある私的な内面世界を、「as if(あたかも自分の事の様に)」感じ取ること。そして「as if」という態度をどこまでも失わないこと。
 
c 自己一致(真実性)・・・自身のなかに流れる感情や思考といった体験に対して、あるがままに驚く時は驚き、悲しむ時は悲しむ、という自身の内的体験と外的表出のとの間に不一致がないこと。
 
来談者中心療法を創始したアメリカの臨床心理学者カール・ロジャーズは、人は誰しも先天的に「自己を成長させ、実現する力(自己実現傾向)」と「自らの力で心と体を治していく力(自己治癒能力)」を持っており、植物が光・水・養分・空気があれば、生命本来の力でひとりでに育っていくように、人も心に適した環境さえあれば、その人の自己実現傾向・自己治癒能力が発現して症状や悩みが解消に向かうといいます。そして、ここでいう「光・水・養分・空気」に当たるものが、カウンセラーの基本的態度としての「受容・共感・自己一致」ということになります。まさに河合氏のいう「育てる」という態度です。
 
受容・共感・自己一致。これらひとつひとつはそれ自体は疑いもなく正しいと思います。ですが、この三原則を「同時に」実行することがいかに難しいかは少し考えればわかることです。例えば「これから親父をぶん殴ってくる」などという中学生とか、どう考えても怪しげなカルト宗教の素晴らしさを延々と語る人など、どうにも同調できないクライエントの語りをカウンセラーが表面的には「受容しているふり」をして聴きつつも本心では否定している場合、その時点でもう「自己一致」していないことになります。すなわち、無条件受容と自己一致は矛盾する一面を孕んでいるわけです。
 
そのほかにも理論と実際、母性と父性、治療過程の明と暗。このような一見矛盾するかに見える二律背反的な状況がカウンセリングではしばし生じます。そこで大局的見地からその本質を見極め、その矛盾を死に物狂いで統合しようして、初めてカウンセラーの態度は「生きた態度」になるということを、本書において河合氏は手を替え品を替え説いておられます。
 

* カウンセリングを語る(下)(1985年)

⑴ カウンセリングにおける理論と技法
 
上巻が基礎編だとすれば、下巻である本書はいわば応用編です。カウンセリングにおける理論と技法、カウンセリングと日本社会、カウンセリングと宗教、そして「たましい」の問題へとそのテーマは多彩に広がっていきます。
 
周知のようにカウンセリングの理論や技法は様々な学派に分かれていますが、このような学派を一体どのように考えたら良いのかという問題があります。これに対する一番「正しい」答えとはもちろん、いろんな学派があるけれど、そういうものにとらわれず自分の生身を投げ出してクライエントにまっすぐに向き合えばいいんだ、ということになるのでしょう。
 
この答えは決して間違ってはいません。決して間違ってはいませんが悲しいことに人は「とらわれるな」といわれてしまうと、常に既にその「とらわれるな」というテーゼにとらわれてしまうため、その「とらわれるな」という境地に真に達するまでは我々はいろいろな「とらわれ」を経由することになります。そして、その「とらわれ」の「入り口」ないし「引っかかり」として学派というものがあるわけです。そこで本書はこのような各学派の相違について次のような図を示しています。
 
 
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(『カウンセリングを語る(下)』より引用)
 
 
この点、クライエントの外的現実(意識における心的現実)を問題にして、クライエントの行動に「指示」を与えることで治療過程も外的方向(症状の解消)に進むのが行動療法です。そしてクライエントの外的現実を問題にしながらも、クライエントの語りを「受容」することで治療過程の内的方向(心理的問題の解決)を重視するのがロジャーズの来談者中心療法です。
 
これに対して精神分析創始者であるオーストリア精神科医ジークムント・フロイトフロイトから離反し分析心理学を立ち上げたスイスの精神科医カール・グスタフユングはクライエントの内的現実(無意識における心的現実)を問題にします。
 
もっともフロイトの場合、クライエントの内的現実を問題にしつつも、クライエントの語りに「解釈」を投与して治療過程としてはあくまで外的方向に向かっていきます。これに対してユングの場合は他の学派のような「指示」も「受容」も「解釈」もしません。では何をするのかというと「コンステレート」をします。
 
ここでいう「コンステレート」とは日本語でいえば「めぐりあわせを待つ」ということです。すなわち、結局のところクライエントが「治る」というのは様々な「めぐりあわせ」の結果であり、それゆえに良き「めぐりあわせ」がくるまでひたすら「待つ」というのがユング派の、そして河合氏の方法論であるということです。
 
このようにカウンセリングや心理療法の学派は理論上はこのような「指示」「受容」「解釈」「コンステレート」の四象限に峻別されます。けれども実際の臨床において優れたカウンセラーはこの四象限を変幻自在に往還しています。すなわち、その「入り口」ないし「引っかかり」はそれぞれ随分と離れているけれども、その「ゴール」は自ずとみんな似通ってくるということです。
 
⑵ 母性原理と父性原理
 
また本書では日本のカウンセリングにおける「父性原理」の必要性が強調されています。これは西洋に比べ「母性原理」が強い日本社会の構造を鑑みてのことであると思われます。つまり、カウンセリングにおいてはクライエントを包み込む「優しさ」だけではなく時には突き放す「厳しさ」も必要とされるということです。本書のメタファーでいえば、ただ甘いだけのぜんざいよりもほんの少し塩を混ぜたぜんざいの方が美味しいということです。
 
もちろんそれは、あくまで「母性原理」を大前提とした上で、そのうえで「父性原理」をいかに取り入れていくかというバランス感覚の問題であり、河合氏も厳重に釘を刺すように「優しさ」よりも「厳しさ」が大事であるといった単純な話ではありません。なお現代における心理療法の多くはこうした意味での「母性原理」と「父性原理」の両方の統合を志向しています。例えば近年において第3世代の認知行動療法として注目を集めるアクセプタンス&コミットメント・セラピーではクライエントの置かれた「今このとき」を受容する「母性原理(アクセプタンス)」とクライエントが自らが掲げた「価値」へと踏み出していく「父性原理(コミットメント)」から成り立っています。
 
『カウンセリングを語る』は上下巻を通じて「なぜだかわかりますか?」という問いかけが非常に多く、読み手はここで一度立ち止まって考えさせられます。また、一つのことを強調した後には「次にまた反対のことを言いますが」とか「間違わないようにしてくださいね」などと釘を刺し、読み手が「これはこうだ」という「型」には嵌らないように戒めています。穏やかで飄々としていながらも信念をもって熱く語る名調子はカウンセラー志望者や教育関係者から対人援助に従事する方々や日常的なコミュニケーションの在り方に悩む方々に至る幅広い読み手に様々な示唆を与えてくれるようにも思えます。
 

* コンプレックス(1971年)

⑴ 感情に色づけられたコンプレックス
 
先述したようにユング派においてはクライエントの内的現実が、すなわち「無意識」が重視されます。そしてこのような意味での「無意識」を突き動かす大きな力となるものが「コンプレックス」です。
 
人は常に自分の自由意志に基づいて理性的に自律的に主体的に動いている--と思っていたりするわけです。しかし常にそうであるとは限りません。ある種のメンタルヘルスの疾病のように自分の意志とは異なる行動が生じてくるため悩んでいる人も多いでしょう。
 
また「正常」な人でもその日常において自身の理性、自律性、主体性がどこかしら脅かされると感じられる現象にしばし遭遇します。例えば前からよく知っている人なのにその人の前に行くと突然その名前をど忘れてしてしまったり、大事なところで妙な言い間違いをしてしまったり、またある人物や対象に対して感情を過剰に掻き乱されてしまったりもします。この点、ユングは言語連想検査を通じて意識を統合する自我を脅かす何らかの感情に色付けられた無意識の心的作用を発見し、これを「コンプレックス(心的複合体)」と呼びました。
 
こうしたコンプレックスが自我を完全に乗っ取ってしまう劇的な表れとして同一個人に異なった二つの人格が現れる二重人格や自分が複数存在として体験される二重身(分身体験)があります。そこで自我はその安定を図るためコンプレックスに対して様々な自我防衛の機制を用います。その代表格がコンプレックスを完全に抑え込んでしまう「抑圧」です。
 
しかし、コンプレックスというのはなかなか簡単には抑圧できないので自我は次善の策として他の自我防衛の機制を発動させます。それは例えば、コンプレックスを他人に転嫁する「投影」であったり、コンプレックスとは全く逆の行為に走る「反動形成」であったり、コンプレックスとは似て非なる対象を選択する「代償」であったり、コンプレックスを取り込んでしまう「同一化」であったります。
 
⑵ 可能性の在り処としてのコンプレックス
 
また、コンプレックスというのは多層構造を持っており、例えば「料理コンプレックス」を持つ人の話にずっと耳を傾けていると、やがて「カイン・コンプレックス(兄弟姉妹間のコンプレックス)」が明らかになったというように、あるコンプレックスの下に別なコンプレックスが隠れていることが多かったりもします。
 
この点、コンプレックスの多層構造の最深部にある根源的なコンプレックスとしてフロイトは両親に対する愛憎から生じる「エディプス・コンプレックス」を見出しましたが、ユングと同様にフロイトと決別して個人心理学を立ち上げたアルフレッド・アドラーは生来の劣等感に由来する「劣等コンプレックス」を見出しました。
 
確かにアドラーのいう劣等コンプレックスは一般的にも「劣等感=コンプレックス」という理解が成り立っていることから直感的にわかりやすく、実際その理解で概ねのところ不都合はないとも言えますが、その一方で劣等コンプレックスの起源をさらに遡っていくと、やはり幼少期の「家族」をめぐる何らかの心的現実に突き当たるようにも思えます。これに対してフロイトのいうエディプス・コンプレックスは一見すると荒唐無稽ですがある面では幼少期の「家族」をめぐる心的現実を記述した一つの「神話」であるともいえます。
 
ところで、ユングエディプス・コンプレックスと劣等コンプレックスの相違は結局のところは外向的なフロイトと内向的なアドラーという両者の根本的な態度の相違に帰着するものであったとして、コンプレックスは確かに多層構造を有しているけれども、その中のどれか一つのコンプレックスだけを特権化して根源的なコンプレックスとして位置付けることはできないと主張しました。このようなユングの立場は来るべきポストモダン(根源的なコンプレックスの複数化)を先取りした思考であったともいえるでしょう。
 
いずれにせよ人は日常の様々な場面で自身の抱える何かしらのコンプレックスに遭遇します。コンプレックスとは一見すると自我にとって何とも厄介な存在であるといえますが、その一方でコンプレックスは自我の一面性を補償するものとして大きな役割を担うことがあります。いわばコンプレックスにはこれまで生きてこれなかった半面としての可能性の在り処が示されているといえます。こうした意味で本書は自身の抱えるコンプレックスから距離をとるための視点とコンプレックスと共に生きるための指針をもたらしてくれる一冊であるといえるでしょう。
 

* 昔話の深層(1977年)

⑴ 普遍的無意識と元型
 
このようにユング心理学においてコンプレックスは重要な位置を占めています。けれども、ユングは属人的な心的作用であるコンプレックスで構成される「個人的無意識」よりも更なる深層において人類共通の心的作用である「元型 archetype」で構成される「普遍的無意識」があると主張しました。
 
もっとも我々の意識においては「元型」の存在そのものを捉えることはできず、通常、人は「元型」の存在を外界に投影したイメージ(原始心像)によって知ることになります。この点、ユングは典型的な「元型」として次のようなものを挙げています。
 
人の内にある「母なるもの」の元型をユングは「グレート・マザー(大母)」と呼びます。この点、河合氏は「母なるもの」はその本質において「産み育てる」という肯定的側面と「呑み込む」という否定的側面を併せ持っているといい、いわゆる対人恐怖症は日本の母性社会的な特性に根ざしていると指摘しています。また氏はグレート・マザーに取り憑かれた女性の病理として二つの危険な方向性を指摘しています。一つは、肉の世界への下落、土なる母との一体化の方向であり、そしてもう一つは母となることをおそれ、自らの女性性を拒絶する方向です。
 
自我から見て受け入れ難い人格的傾向であり「生きられなかった反面」としての元型をユングは「影」と呼びます。影は自我統制が弱くなった時に表面に浮かび上がってくることが多く、その極端な例として二重人格が挙げられます。また人は自分の影を否定しようとして、誰かに自身の影を投影する傾向があります。例えば自分と真逆の性格の友人がどういうわけかムカムカして仕方がないというのは、その人に自分自身の影を投影しているということです。また影には「個人的影」の他に人類共通の「悪」ともいうべき「普遍的影」が存在すると河合氏は述べています。
 
男は男らしく女は女らしくといったように人は社会から一般的に期待されているペルソナ(仮面)をつけて生活せざるを得ない一方で、そのペルソナ形成の過程で排除された男性の中の女性的な面、女性の中の男性的な面もまた同時に我々の中に存在し続けることになります。ユングは前者を「アニマ」といい、後者を「アニムス」と呼びます。アニマはエロスの原理を、アニムスはロゴスの原理をそれぞれ内在しています。ある異性を見たらどういうわけかドキドキして目も合わせられないというのは、その人に自分の中にあるアニマ(アニムス)を投影しているからです。影がいわば「生きられなかった反面」なのであれば、アニマやアニムスとはいわば「切り捨てられた魂の側面」ともいうべきものです。
 
神話、伝説などに登場する道化的な役回りを担う元型が「トリックスター」です。トリックスターは二つの領域の境界に出没し、旧来の秩序を破壊して、新しい秩序を創造していく役割を担ったりもします。その一方でトリックスター紙一重でかぎりなく「悪」に近い側面と同時に、限りなく「英雄」に近い側面という両義的な性格を持っています。
 
⑵ 元型的体験としての昔話
 
このようなユングのいう普遍的無意識における元型の働きを解明していく上で重要な手がかりとなるものが「昔話」です。一般的に「昔話」というものは非合理で非科学的なくだらない昔の人の戯言としてバカにされがちですが、ユングは各国の「昔話」の共通点に注目し、その中に極めて元型的ともいえる体験を見出していました。
 
こうしたことからスイスのユング研究所では「昔話」の研究が盛んであり、1962年に分析家の資格を取るためにユング研究所に留学した若き日の河合氏もまたユングの愛弟子であるフォン・フランツから「昔話」をめぐるユング派の考え方を学んでいます。
 
ところが河合氏がスイス留学から帰国した1965年当時の日本では「昔話」の研究などというと、特に心理学の領域においては相手にされないどころか下手をすると変人扱いされかねないような状況であったことから、氏は機が熟するまでひとまずは待つことにして徐々に講義の中に入れ込んだりしながら様子を見ていたそうです。
 
そんな折、福音館書店という出版社から「昔話」の心理学的解明をテーマにした連載を依頼された氏がこれは好機とばかりに同社の発行する「子どもの館」という雑誌に1975年から1年間にわたって執筆した論考をまとめたものが本書『昔話の深層』です。
 
本書は「ヘンゼルとグレーテル」や「いばら姫(眠れる森の美女)」といったグリム童話の数々をユング心理学の視点から鮮やかに読み解いていきます。そして何よりも本書の大きな特徴はこうした「昔話」の解釈を心理療法の臨床との連関の中で論じている点にあります。
 
本書で河合氏は現代の心理相談室には白雪姫やヘンゼルとグレーテルばかりか人を食う魔法使いのおばあさんまでも現れるといって過言ではないといいます。実際に心理療法の場においてはしばし、夢や創作といった形でクライエント自身の「昔話」が語られることがあります。
 
すなわち、人は知らず知らず自身の生み出した「昔話」を生きているということです。そして多くの場合、人は自身の現在を規定する過去ともいえる「昔話」を未来に向かって書き換えていかなければならない時期に直面することになります。こうした意味で本書は人が自らの「昔話」に向き合うための知恵に満ちた一冊であるといえるでしょう。
 

* 神話と日本人の心(2003年)

⑴ ライフワークとしての日本神話
 
そして、このような元型的な体験を記述した伝承として「昔話」のほかに「神話」があります。この点、戦中世代である河合氏は軍国主義が利用した日本神話を若い頃は強く嫌悪していました。ところがユング派の分析を体験する中で日本神話が自分にとって深い意味を持っていると思うようになり、1964年にユング派分析家の資格論文として「日本神話における太陽の女神像」をユング研究所に提出しています。
 
その後、日本においてユング派の心理療法を実践していく中で、氏の中で日本神話の重要性はますます増していき、1985年にスイスのエラノス会議において「日本神話における隠された神々」という演題で講演を行なっています。このような氏にとってライフワークでもあった日本神話をめぐる研究の集大成として2003年、75歳の時に書き上げたのが『神話と日本人の心』です。
 
本書で河合氏は『古事記』に登場するアメノミナカヌシ、ツクヨミ、ホスセリという三人の神に注目します。『古事記』の冒頭で天と地がはじめて現れたその時、タカミムスヒとカミムスヒと共に高天原に成り出た三神の1人であるアメノミナカヌシはその後いっさい登場しません。また高天原を治める最高神アマテラスとその弟である荒々しい神として知られるスサノヲと共に三神を成すツクヨミも父イザナギに夜の食国の統治を命じられた後の記述はなく、さらに海幸彦・山幸彦の名で知られるホデリとホヲリの兄弟神であるホスセリもまたその後を語られることはありません。
 
このように『古事記』において重要な位置を占める三組の神々の中心には名ばかりで実体がなくいかなる力も働きも持たない「無為の神」がいることに気づいた河合氏はその一貫した構造を「中空構造」と名づけます。そして氏はこの「中空構造」は日本人の心の構造にも当てはまるのではないかと考えました。
 
⑵ 中空構造
 
ここでいう「中空構造」とは、その中心を「空」することで相対立する二つの力を--神話でいえば三神のうち活躍する二神を、心の構造でいえば意識と無意識や男性性と女性性を--調和的に均衡させて深刻な対立を回避する構造をいいます。
 
確かに河合氏が指摘するように『古事記』では様々な神々がその優劣や善悪を固定することなく絶妙なバランスのもとに共存しています。例えばアマテラスとスサノヲの関係も太陽神で天皇の先祖であるアマテラスの方がスサノヲに対して優位に立っているように見えますが、その一方で天界を追われたスサノヲも出雲国ヤマタノオロチを退治して英雄になったりもしています。
 
その一方でこの構造から排除された神もいます。それがヒルコです。『古事記』によればヒルコはイザナギイザナミが生みなした最初の神です。しかし彼らは不出来な神であったヒルコを葦の船に乗せて島から流してしまいます。
 
この点、女性の太陽神であるアマテラスは別名を「オオヒルメ」といいますが、それと対をなす名を持つヒルコはおそらく男性の太陽神だったと考えられます。けれども日本神話はヒルコを排除してしまいました。このようなヒルコの排除は女性原理が優位な日本神話あるいは日本人の心から排除された男性原理であるとも考えられます。
 
そして本書はこのような男性原理をなんらかの形で取り入れていくことが日本と日本人の将来にとって大事なことではないかという方向性を示唆して幕を閉じています。こうした本書が描き出す構図は「母性原理」を基調としつつも「父性原理」の必要性を語る氏のカウンセリング観とぴたりと一致しているといえるでしょう。
 

* ユング心理学入門(1967年)

⑴ タイプ論から個性化の過程へ
 
河合氏がスイス留学から帰国した2年後の1967年に公刊した本書は当時の日本ではほとんど知られていなかったユングの理論を豊富な症例を交えて紹介するユング心理学の概説書です(文庫版はそのダイジェスト版です)。本書は前年に京都大学で行った講義が骨子となっており、これまで紹介した書籍における様々な議論を体系的に理解するための枠組みを提示する一冊として位置付けることができます。
 
本書の構成は極めて大まかにいうと「タイプ論(第一章)」から始まり「コンプレックス(第二章)」「元型論(第三章〜第六章)」と続き「個性化の過程(第七章)」へと至ります。この点、ユングは人の基本的態度を「外交的」と「内向的」に二分しています。ある人の関心がもっぱら外界の事物あるいは事象に向けられている態度を「外交的態度」といい、逆に、内界のそれに向けられている態度を「内向的態度」といいます。また、ユングは上記の2つの基本的態度とは別に、人は各々得意とする心理機能を持っているといいます。これが「思考」「感情」「感覚」「直観」という4つの心理機能です。
 
このうち「思考」と「感情」「感覚」と「直感」はそれぞれが対立関係にあり、ユングは「思考」と「感情」を理性の枠内にある「合理機能」と呼び「感覚」と「直感」は理性の枠外にある「非合理機能」と呼んでいます。そして「合理機能」が強い人は辻褄の合わないことが苦手であったり、あるいは好き嫌いが先に立って現実をありのままに認識することが難しく、逆に「非合理機能」が強い人は「これはこういうものなのだ」とすんなり受け入れてしまう傾向があるとされます。
 
こうして2つの基本的態度と4つの心理機能が掛け合わされ、8つの基本類型が出来上がります。これがユングの「タイプ論」です(もちろんこの8つの基本類型はあくまで理念型であり実際はこれらの中間に位置する人が多いでしょう)。
 
この点、ユングは個人の意識の上に強く表れているものを「主機能」と呼び、その反対に無意識に沈み込んでいるものを「劣等機能」と呼び、残る2つの機能を「補助機能」と呼びます。例えば思考を主機能として持っている人はこれと対立関係にある感情が劣等機能として無意識下に沈み、そこに感覚と直感が補助機能として加わっているということです。
 
ここで重要なのは外向・内向の基本的態度と同様に4つの心理機能にも相補性があるということです。この点、ユングは無意識の中に沈んでいる劣等機能を開発して発展させていく過程を「個性化の過程」と呼びます。こうした「個性化の過程」を歩んでいく中で個人は先に述べた「コンプレックス」や「元型」と対決することになります。
 
 
そしてこうした意識と無意識、主機能と劣等機能、自我とコンプレックス、男性性と女性性などといった、心の中で様々に相対立する葛藤というのは、ユングによれば、ひとえに「自己」の働きによるものとされます。
 
ユングは意識体系の中心をなす「自我」に対して、意識を超えた「こころ全体」の中心に「自己」という元型の存在を考えました。ここでユングのいう「自己」とは、心の中で様々に相対立する葛藤を相補的に再統合していく原動力をいいます。
 
この点、ユングによれば、ある個人の「自我」が自らの「自己」と対決すべき時期が到来した時、そこで生じている内的現実に呼応するような「めぐりあわせ」というべき外的現実が起きるといいます。それは例えば、ある種の精神の不調かもしれないし、あるいは人生における挫折や喪失といった出来事かもしれません。
 
けれどいずれにせよ、こうした「めぐりあわせ」の裏には「自我」がいよいよ「自己」との対決を試みている努力の表れがあるということです。そこでユングは、このような内的現実と外的現実を「個性化の過程」に向けた一つの「コンステレーション共時的布置)」として把握することを重視します。こうした意味でユングのいう「個性化の過程」とは「自己実現の過程」であるともいえます。
 
このようにユング心理学においては、心がその全体性の回復へ向け、相補性と共時性の原理により螺旋の円環を描く様相を「個性化の過程(自己実現の過程)」として捉えています。そして、このようなユングの描き出す「個性化の過程(自己実現の過程)」はこれまで目を背けてきた諸々と対決していく荊の道であると同時に、日常において生起する様々な困難の中に「めぐりあわせ」を見出していくための道ともなるでしょう。ここで紹介した7冊がそのような「めぐりあわせ」にいくばくかでもお役に立てることを祈念しています。