かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「泣き」の地平の先にあるもの--猫狩り族の長(麻枝准)

* 美少女ゲーム的「泣き」の呪縛からの解放

 
本作は「泣きゲー」の第一人者、麻枝准氏の手による初の長編小説です。麻枝准氏といえば主にゲームブランドKeyのシナリオライターとしての仕事が広く知られています。「泣きゲーの金字塔」として名高いKeyの処女作「Kanon(1999)」において麻枝氏が手がけた「真琴シナリオ」は多くのユーザーの涙腺を決壊させた感動シナリオとして現在でも高く評価されています。
 
その後、氏は「AIR(2000)」「CLANNAD(2004)」「リトルバスターズ!(2007)」といったKey作品において企画、メインシナリオ、音楽を担当します。いずれの作品も従来のいわゆる「美少女ゲーム」の枠組みを超越した作風で幅広い支持を獲得し、氏はゼロ年代を代表するゲームクリエイターの一人としての地位を揺るぎなく確立することになります。
 
2010年代以降、麻枝氏は「Angel Beats!(2010)」「Charlotte(2015)」「神様になった日(2020)」といったオリジナルアニメーションの全話脚本の仕事でも知られるようになります。氏の脚本は放映されるたびに賛否両論を呼ぶ一方で「美少女ゲーム」にあまり馴染みのない新規ファンを多数獲得することになります。
 
麻枝氏はKanonの企画とメインシナリオを担当していた久弥直樹氏をしばし「天才」と形容します。インタビューなどから拝察するに、麻枝氏は久弥氏の退社後、keyの看板を背負って「泣ける作品」をファンのために創り続けなければならないという自身に課された使命を相当重荷に感じていたようです。
 
そんな氏が美少女ゲーム的「泣き」の呪縛から解放されたところで、純粋に自分の書きたいものを自由に書いたという作品が本書「猫狩り族の長」です。
 

* この世界は生きるに相応しいのか

 
本作のあらすじはこうです。物語は本作の主人公、平凡でお人好しな女子大生時椿が自殺の名所で断崖絶壁に立つミステリアスな女性に声をかけるところから始まります。この女性こそが本作のもう一人の主人公、天才サウンドクリエイター十郎丸です。
 
時椿は十郎丸になんとか自殺を思い止まらせようと必死に説得を試みます。これに対して十郎丸は自分がなぜ死にたいのかという理由を饒舌に語り始め、逆に時椿に「この世界は生きるに相応しいのか」と問い返します。
 
ここから両者の交流が始まります。時椿は十郎丸にどうにか生きる意味を見出してもらおうと「楽しいこと探し」に奔走し、やがて十郎丸も時椿に心を開き始めたようにも思えましたが・・・
 

* 自己治療的な物語

 
麻枝氏のインタビューによれば、本作の執筆は2019年末にあまりに理不尽なことが起きて「負のエネルギー」がうっ積していた時、氏の所属するビジュアルアーツ馬場隆博社長から「小説を書け」と言われたことがきっかけだそうです。
 
氏はかねてより自分は「負のエネルギー」で創作するタイプだとたびたび公言していましたが、本作もやはりこの「負のエネルギー」で創作され、これまでの人生で氏が感じてきた様々な理不尽を書き連ねていった結果、思いのほか筆が走り僅か1ヶ月半で初稿が完成。氏曰く「呪いの書」が出来上がったという手応えを感じたそうです。
 
作中で十郎丸は時椿相手に世界に対する膨大な呪詛を吐き散らし、偏屈な自説を次々に開陳していきます。こうした十郎丸の思想は確かにこれまでの様々なインタビューやラジオなどで垣間見ることができる麻枝氏の思想と重なり合うものがあります。
 
そして時椿は十郎丸の発した「この世界は生きるに相応しいのか」という問いに対して、あるときは言葉によって、またあるときは行動をもって真摯に答えようとします。この両者のやりとりはある面でカウンセリング的な対話のようにも読めます。そういった意味で本作は麻枝氏の自己治療的な物語なのかもしれません。
 

*「神様になった日」から考える

 
麻枝作品には初期の頃から今に至るまで変わらず一貫した主題が通底している事は多くのKeyファンが指摘するところです。それは言うなれば、理不尽な世界で懸命に生きることを肯定する人生賛歌です。
 
こうした主題がかなりラディカルに表出した作品が昨年放映された氏の全話脚本によるアニメ「神様になった日」だったように思えます。
 
同作は周知の通り批判も多い作品です。確かに同作を普通に観ると、序盤で壮大な謎のようなものを提示して視聴者の期待値を吊り上げながらも、最後は典型的な美少女ゲーム的構図に回帰した作品のようにみえます。
 
けれど同作を主人公の「陽太の物語」ではなく、ヒロインの「ひなの物語」として読み解いてみると、その印象はまた違ったものになるようにも思えます。
 
同作の終盤はあの「AIR」と同様の擬似的母娘関係の布置を形成しています。そして観鈴が〈母〉の下でゴールする事を選んだとすれば、ひなは〈母〉に呑み込まれることを拒絶して、外の世界で苛烈な日常を生きていく事を選びました。その意味で同作はかつてAIRが乗り越えられなかった境域を乗り越えているともいえます。
 
そして、この「神様になった日」における「ひなの物語」を前景化させた上で、全く別の物語として新たにストーリーテリングしたものが本作であるとも言えます。
 

* 理不尽な世界を懸命に生きるということ

 
臨床心理学者、河合隼雄氏は折に触れて〈おはなし〉の重要性を強調されていました。ここでいう〈おはなし〉とは個人の生死を基礎付ける物語のことをいいます。
 
「聖書」や「古事記」などといった古代神話は、当時の人々が自分たちが生きるこの理不尽な世界を了解するために紡ぎ出した〈おはなし〉でしたが、現代においてもやはり人は世界に棲まう上で、自分は一体何者でこれからどこに向かうのかという自らの生の〈おはなし〉を必要としています。
 
思うに、これまでの麻枝作品の根底に流れていた「理不尽な世界を懸命に生きる」という人生讃歌的なテーマとはいわば麻枝氏自身の〈おはなし〉であり、本作はその〈おはなし〉をかなりの高純度で文芸作品へと結晶化させる事に成功した作品といえるでしょう。そして本作を経由した上で過去の麻枝作品を読み解く時、そこにはまた新たな瑞々しい数々の発見がきっと待っているようにも思えます。
 
 
 
 
 
 
 

「おはなし」を紡ぎ直すための心理学--ユングの生涯(河合隼雄)

 

* 分析心理学とは何か

 
ひとは世界に棲まう上で、自分は一体何者でこれからどこに向かうのかという自らの生の物語である「おはなし」を必要とします。とりわけ社会共通の「大きな物語」を喪った現代において、我々個人が生成流転する人生の各ステージに応じて自ら「おはなし」を紡ぎ直していく必要性はより一層高まったといえます。
 
いわば我々は皆「おはなし=自らの生の物語」の作者です。そしてこうした「おはなし」を紡ぎ直すには意識の力のみならず、無意識の力を借りることにもなります。
 
カール・グスタフユングの創始した分析心理学(ユング心理学)とはこうした「おはなし」を紡ぎ直すための心理学です。そしてその理論は、ユングという人が生きた「おはなし」から生み出されています。それゆえにユングの生涯を辿ってみる事は独創的であるが故に難解で知られるユング心理学への適切な入門ともなるでしょう。
 

* 自分の中にいる二人の人物--No.1とNo.2

 
ユングスイス連邦のツルガウ州ケスヴィルで1875年7月26日に生まれました。父親のポールは優しいけれど頼りない人で、母親のエミーリアは力強くエネルギーに満ち溢れた人だったようです。このような両親像はのちにユングの理論において色濃い影を落とします。
 
幼い頃のユングは孤独に空想に耽るのが好きな内向的な子供だったようです。彼はその自伝の中で自分の中には二人の人物がいたと述べています。このような二人の人物に対してユングは「No.1」と「No.2」という呼び方をしています。普段のユングは「No.1」の人格を生きていますが、時折顔を見せる「No.2」は「No.1」の意識的努力を超えたところで恐るべき働きをしたりもします。
 
こうした「No.1」と「No.2」の対抗的な働きはあらゆる個人の中で演じられているとユングはいいます。もっとも多くの場合、人は「No.1」に同化して「No.2」の存在に気付かないふりをして生きていますが、時には「No.2」から思わぬ叛逆を受けたりもします。そして、こうした体験はのちにユングの理論の中で「自我」と「自己」の関係として定式化されることになります。
 

* 精神医学の道へ

 
1895年、ユングバーゼル大学医学部に入学します。大学での彼は優秀であり、卒業後は内科の道に進むつもりだったようですが、医師国家試験受験時にたまたま読んだクラフト=エビングの精神医学の教科書に感銘を受けて、当時医学の中ではまだ傍流であった精神医学の道を志します。
 
卒業後、ユングは長らく親しんだバーゼルの地を離れてチューリッヒ大学のブルグヘルツリ精神病院の助手となります。その指導教授は今日では精神分裂病統合失調症)の命名者として知られるオイゲン・ブロイラーです。
 
ブルグヘルツリにおいてユングは主に精神病患者の治療に取り組みます。ユングは当時の精神医学において了解不能と見做されていた精神病患者の精神世界の解明に心血を注ぎ、その研究は学会からも認められ、ユングは順風満帆にアカデミズムの世界で頭角を表していきました。
 

* フロイトとの交流と決別--性と神話

 
ところでこの頃、ウィーンにおいてはジークムント・フロイトの創始した精神分析が注目を集めていました。ユングはブロイラーを通じてフロイトと交流を持ち、両者は程なく意気投合することになります。フロイトは息子ほどに歳の離れたユングの才気に惚れ込み、自分の後継者として精神分析の未来を託そうとしました。こうして1910年、ユングは新たに設立された精神分析協会の初代会長に就任します。
 
ところがフロイトユングの考えは当初からその根本的なところで相異が生じていました。周知の通りフロイトは人の心的現実を基礎付ける動因を「性」の問題として捉えていました。他方でユングフロイトの性理論には当初から疑問を持っており、むしろ患者の夢に現れる「神話」に注目していました。
 
ユングは精神病患者の空想や夢などの話を聴いているうちに、その内容が世界諸国の古代神話と極めて類似していることに気づき始めていました。一方でフロイトは神話研究に傾いていくユングに苛立ち、幾度も精神分析の「教義」たる性理論に忠実であるよう説得を試みます。けれども両者の距離はますます大きくなるばかりで、1913年頃にはフロイトユングは決定的に決別してしまいます。
 

* 無意識との対決

 
そして、フロイトと決別した頃からユングは謎の方向喪失感に陥り、不可解で強烈な幻覚や悪夢に襲われ続けます。その影響は日常的な臨床や研究にも及び、ついにユングチューリッヒ大学の講師を辞任し、その後数年間にわたり、自身の無意識の世界と対決することになります。
 
ユングは無意識における凄まじい情動の嵐をイメージとして把握することによって静めようとしました。こうした無意識に由来するイメージはある時は「老賢者と少女」として、またある時は「女性像」として現れました。
 
このような無意識との凄絶な対決に収束の兆しが見え始めた1916年にユングは自分の内面体験を「死者への7つの語らい」という小冊子にまとめ、匿名で個人出版しました。ユングがその中年期になって体験した自身の無意識との対決は精神病とも類比されるべき凄まじいものでしたが、この対決を生き切ることによって、彼は彼独自の心理学を形成していくことになります。
 

* 曼荼羅の顕現

 
また、この頃にユングは自分の内的体験を様々な図形として描き出しています。ユングはそれを描きつつも、当初はそれが果たして何なのか理解できませんでした。ところが後にユングは自分が執拗に描いていた図形が東洋における「曼荼羅」と類似していることに気づきました。
 
ユングは以前より、意識の中心である「自我」を超えた「こころ全体の中心」としての「自己」というべき存在を想定していました。ユングにとって「曼荼羅」はまさにこの「自己」の象徴として現れてきたということです。
 

* 自己実現=個性化の過程を生きていくということ

 
ユング心理学では「自己」の働きにより心の全体性を回復させていく過程を「自己実現の過程」と呼びます。ユングの人生はまさにこうした「自己実現の過程」の範例的モデルにも見えます
 
ユングの歩んだ人生を端的に言い表すとすれば「母性(エミーリア/バーゼル)」からの自立を「父性(ブロイラー/フロイト)」への同一化で果たそうとして失敗し、ここから「母なるものの亡霊(幻覚や悪夢)」に悩まされ、その格闘の中で見出した「自己(曼荼羅)」に導かれた人生であったといえるでしょう。
 
もっとも本書が最後に釘を刺すように、ユングの歩んだ人生こそが「自己実現の過程」の範例というわけではありません。畢竟「自己実現の過程」とは各人でそれぞれ異なる「個性化の過程」であり、相補性と共時性の原理が働く螺旋の円環の中で、それぞれ各人がこれまで受け入れ難かった自らの影の側面を受け入れて生きていくという過程です。そしてこうした意味での「自己実現=個性化の過程」の中にこそ我々は自らの「おはなし」を紡ぎ直していくための智慧を見出すことができるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 

二次創作としての家族の物語--そして、バトンは渡された(瀬尾まいこ)

 

* シュミラークルとデータベース

 
現代を代表する批評家の一人である東浩紀氏はその主著「動物化するポストモダン(2001)」において、ポストモダンの特徴の一つとしてとして「シュミラークル」の増殖を挙げています。フランスの社会学者、ジャン・ボードリヤールは来るべきポストモダン社会においては作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シュミラークル」という中間形態が支配的になると予測していました。そこで東氏はいわゆる「オタク」の消費行動分析において、このボードリヤールの見解をひき、原作もそのパロディとしての二次創作も共に等価値で消費するオタクたちの価値判断は、確かにこのオリジナルもコピーもないシュミラークルのレベルで作動しているように思われるといいます。
 
そして、こうした現象を東氏は近代的な「大きな物語」というツリーモデルの崩壊とポストモダン的な「大きな非物語」というべきデータベースモデルの前景化として捉えます。そして氏は全てがシュミラークルとなったポストモダンにおいて、その優劣はオリジナルとの距離ではなくデータベースとの距離で図られるといいます。
 
オリジナルとコピーの区別の失効。シュミラークルの氾濫。こうした事象の前景化はいまやオタクに限った話ではないでしょう。例えば「家族」というものもそうではないでしょうか。ポストモダンの進展は前近代的な「大家族」はもちろんのこと、近代的な「核家族」のモデルも失効させ、いまやオリジナルなきシュミラークル=二次創作としての家族のモデルが氾濫する時代を迎えつつあります。本作はそんな「二次創作としての家族」を描き出す物語です。
 

* ちょっと変わった父娘の日常

 
本作のあらすじはこうです。本作の主人公、17歳の高校生森宮優子は現在は37歳の父親である森宮さんと二人で暮らしています。優子は幼い頃に母親を亡くし、様々な事情から父親が3人、母親が2人います。苗字も生まれた時の水戸から田中、泉ケ原を経て現在の森宮に至っています。こう書くとかなり不幸な生い立ちのように読めますが、いずれの親達も皆優しく、優子は自身の境遇を不幸とはまるで感じることなくこれまでを生きてきました。物語は現在の優子の現在の生活とこれまで優子がたどった数奇な運命を交互に描き出していきます。
 
3番目の父親である森宮さんは2番目の母親である梨花さんの再婚相手です。梨花さんはある事情から、結婚して間もなく置き手紙を置いて出奔してしまいます。こうして置き去りにされた者同士となった優子と森宮さんの奇妙な父娘生活がスタートしてしまいます。
 
それまで独身だった森宮さんはどうにかして「父親」として「子育て」をしようと試行錯誤するわけですが、当時、優子はすでに高校生になっており、森宮さんの「父親」としての振る舞いや「子育て」は端からみて何かしら頓珍漢です。そして、優子もまた理想的な「娘」を演じられているかを気にしており、普通の父娘関係から見るとわりとおかしな事で思い悩んだりするわけです。
 
いわば森宮さんも優子も「データベース」に集積された様々な「家族」のイメージや設定を参照しつつ「二次創作としての家族」を創り上げようとしています。もしも、東氏がいうようにシュミラークルの優劣が「データベースとの距離」のよって図られるというのであれば、実の父娘ではないが故にデータベース化された「家族」の参照に熱心な森宮さんと優子は実の父娘以上に真摯に「家族」という作品の創造へ向き合ってきたともいえるでしょう。
 

* 擬似家族的共同性と生成変化

 
もちろんこれはいわゆる「親ガチャ」が奇跡的に上手くいった御伽噺にすぎません。けれども本作はある面で、ゼロ年代以降の現代思想シーンにおいて様々な文脈の中で議論されてきたポストモダンにおける主体生成論のひとまずの到達点をも描き出しているようにも思えます。
 
例えば宇野常寛氏は「ゼロ年代の想像力(2008)」において、日本社会でポストモダン状況が加速した1990年台後半からゼロ年代にかけて起きた社会像の変化を「トーナメントバトル型」から「カードゲーム型」への変化であると指摘して、ゼロ年代的な想像力とは「大きな物語」が失墜し、それぞれが異なる「小さな物語」を生きる他者同士が決断主義的な動員ゲームに明け暮れるという新たな社会像を反映した想像力であると主張します。そして宇野氏はこうした新たな社会像に対応した成熟モデルとして、異なる小さな物語を生きる他者同士がお互いに手を差し伸べてゆるやかにつながることができる擬似家族的共同性を称揚します。
 
あるいは千葉雅也氏は「動きすぎてはいけない(2013)」において、ドゥルーズ哲学から「リゾーム」に代表される「接続の原理」の影に隠れつつも常に伏在していた「非意味的切断の原理」を誇張的に取り出して、ドゥルーズのいう生成変化とは単にリゾームにおける接続を繰り返すところで生じるのではなく、むしろ勝手に接続過剰となっていくリゾームを非意味的に切断して「全体化しない全体=器官なき身体」へ「再接続=個体化」するところで生じているという解釈を提示しています。そしてこうした生成変化の技法を千葉氏は「イロニーからユーモアへの折り返し」と呼びます。
 
この点、優子は両親以外に3人の親と擬似家族的共同性を紡ぎ、接続と非意味的切断を繰り返す中で「水戸優子」「田中優子」「泉ケ原優子」「森宮優子」と成熟=生成変化してきたことになります。
 
それゆえに優子は、たかだか同級生からハブられたり、彼氏に振られた程度ではまったく損なわれないメンタルと、目の前に現れた難題の前でも常にイロニーからユーモアへ折り返すことのできる余裕を持っています。こうしたことから、ある意味で優子は「現代思想の優等生」ともいえます。
 

* 軽やかさと不器用さのあいだで

 
けどその一方で、優子がピアノへ結構な執着を見せるところがまた面白いところです。優子にとってピアノとは「実父」という失われた対象を埋め合わせる代替物でもあり、その延長線上にピアニストである早瀬君との結婚もあるという精神分析的な解釈も出来るでしょう。
 
また、優子は浜坂君という同級生から「世渡りがヘタ」と指摘されたり、森宮さんからも「傲慢」と言われたりもします。本作は基本的に優子視点でいかにも軽やかに描かれていますが、他の人の視点から見れば案外、優子は不器用に生きているのかもしれません。けれどもこうした両義性こそが作品により一層の深みを与えているともいえます。先を読み進めたくなる巧みなストーリーテリング、まるで現実と地続きであるかのような丁寧な日常描写、そして優しく柔らかな読後感。まさに平成最後の本屋大賞に相応しい快作でした。
 

* 映画について

 
原作小説はどちらかというというとちょっと変わった父娘の日々がエッセイ風に淡々と綴られていくような印象ですが、映画はいわゆる「泣ける感動作」の様相を呈していました。
 
映画では原作のエピソードを整理統合した上で、中盤に原作にはない「泣きどころ」を設定し、ここで同時に不穏な「謎」が提示され、終盤の衝撃的な展開へと向かいます。結果、映画は原作とは相当に印象の異なる作品となっていますが、原作の核というべきテーマは損なわれていなかったと思います。
 
小説と映画とではメディアの条件が違うので、観客を約2時間の間飽きさせないための工夫はやはり必要となってくるでしょう。当然、賛否はあるでしょうけれど、個人的には良いアレンジだったと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

他人の物語と自分の物語--燃えよ剣(司馬遼太郎)

* 幕末という時代と新撰組

 
嘉永6年(1853年)6月、アメリカ合衆国東インド艦隊提督マシュー・C・ペリーは軍艦4隻を率いて浦賀に来航。翌年、日米和親条約が締結され、ここに二百数十年に及ぶ江戸幕府鎖国体制は終焉を迎えました。さらに安政4年(1857年)10月、日米和親条約に基づき総領事に着任したタウンゼント・ハリスはこのままだと日本は欧州列強の植民地になると幕府を脅し上げ日米間の通商条約締結を要求します。
 
幕府は条約締結もやむなしと判断し、筆頭老中堀田正睦が朝廷の許可を得るべく6万両を懐に京都に向かうも、時の帝である孝明天皇が極端な異人嫌いのうえに徳川家の将軍後継問題にまつわる一橋派と紀伊派の対立も絡み朝廷工作はあえなく失敗。6万両を散財しただけで何の成果もなく江戸に戻った堀田は打開策として大老設置を時の第13代将軍徳川家定に進言。しかしここでも一橋派と紀伊派の対立が絡み、家定は紀伊派の彦根藩主、井伊直弼大老に指名します。
 
大老に就任した井伊は一橋派を江戸城中から一掃し、周囲を紀伊派で固め権力を掌握。結局、朝廷の許可を得られないまま安政5年(1858年)に日米修好通商条約が締結されます。幕府のなし崩し的な開国に反対する攘夷論者は激昂し「井伊斬るべし」の声が日々高まります。こうした中で井伊は不満分子への大弾圧を決行(安政の大獄)。攘夷論者の怒りは怒髪天を突き、はたして安政7年(1860年)3月、大老井伊直弼は暗殺されます(桜田門外ノ変)。
 
井伊の死後、幕府は朝廷との穏健な融和を図る公武合体路線を模索していくことになりますが、政権を預かった将軍後見職一橋慶喜政事総裁職松平春嶽は開国と攘夷の板挟みで右往左往することになります。その一方で尊王攘夷の火は燎原のごとく燃え広がり「人斬り」という名のテロリストが「天誅」と称して公武合体派や開国派を日夜斬りまくり京都は血風の魔都と化します。こうして文久2年(1862年)、京都の治安悪化への対応を迫られた慶喜と春嶽は会津藩松平容保を新設の京都守護職に任命します。その麾下で非正規の実働部隊として京都の治安維持にあたったのが「新撰組」です。
 

* 悪の暗殺組織から幕末のスターへ

 
幕末最強の剣客集団として知られる新撰組は明治大正の頃までは薩長史観の影響でもっぱら正義の維新志士の前に立ち塞がる悪の暗殺組織という位置付けにありました。ところが昭和に入ると子母澤寛による史談「新選組始末記」をきっかけに新撰組は再評価され始めます。戦後、新撰組を題材にした映画が数多く作られるようになり、新撰組局長近藤勇をはじめとした各隊士たちにも脚光が当てられるようになります。
 
そんな中、新撰組という存在を幕末のスターへと決定的に押し上げた記念碑的小説が本作「燃えよ剣」です。本作は維新志士たちから「鬼の副長」として恐れられた新撰組副長土方歳三の生涯を中心に新撰組の栄枯盛衰を描きます。
 

* 新撰組の誕生と池田屋事件

 
武州石田村の豪農に生まれた歳三は少壮の頃は喧嘩と女遊びに明け暮れ、周囲からは「バラガキ」と呼ばれる悪童として知られていた。やがて歳三は近藤と無二の親友となり、近藤が当主を務める天然理心流の道場「試衛館」の塾頭となるが、当時の試衛館は多くの食客を抱えていた上に折りからの疫病もあり、その経営は困窮を極めていた。
 
一方、幕末の騒乱は風雲急を告げ、京都の治安悪化に頭を痛めていた幕府は庄内藩浪士清河八郎の献策により、時の第14代将軍家茂の上洛に際し将軍警護の名目で浪士組の結成を企図し江戸で浪士を募集。この時、近藤、土方ら試衛館の門人も徴募に応じ京に登る。
 
ところが京都に到着するや否や清河の真の目的は将軍警護などではなくむしろ尊皇攘夷の尖兵を集める事にあったことが判明する。清河と袂を分かった近藤ら試衛館派は、ちょうど京都守護職などという貧乏籤を引かされて頭を抱えていた松平容保に見出され会津藩預かりの浪士となる。こうして京の治安を守る武装警察集団「新撰組」が誕生した。
 
新撰組副長に就任した歳三は、西洋軍隊を参考にした指揮系統を導入すると同時にその行動原理に「士道」を掲げ、新撰組を鉄壁の統制を誇る戦闘集団へと育て上げていった。そして攘夷派による政権転覆計画を突き止めた新撰組は、京都三条木屋町の旅籠池田屋にて謀議中の攘夷派浪士らを一網打尽にする。この「池田屋事件」により新撰組の名は天下に轟き渡ることになります。
 

* 武士の再発明

 
ところがその後、天下の時勢は急変します。壊滅寸前まで追い込まれた攘夷派は薩長同盟によって息を吹き返し、追い詰められた時の第15代将軍慶喜大政奉還を表明し政権を返上。幕府は瓦解し、新撰組は主人を失いました。けれども歳三は時勢に関係なく最後まで幕府に殉ずる肚を決め、盟友近藤とも袂を分ち戊辰戦争を転戦。北海道で「蝦夷共和国」の樹立に参加し官軍に最後まで抗います。
 
司馬氏は歳三の生き様を「喧嘩師」と形容します。本作の史観に従えば新撰組とは彼の「作品」でした。歳三は生来の武士ではないだけに「武士」という存在に鮮烈な憧憬を抱いており、人を斬る以外に存在目的を持たない刀の如く、武士は余計な思想に惑わされず粛然と節義のみに生きるべきであると考えていました。このような従来の幕府や藩の因習にとらわれない歳三のシンプルな思考が新撰組という空前絶後の戦闘集団を生み出しました。
 
いわば歳三は「武士」という存在を「再発明」したといえます。こうしたことから本作はある種のイノベーションの寓話としても読めるでしょう。
 

* 他人の物語と自分の物語

 
そして本作において、このような歳三の「理想」と対照的な位置にあるものが近藤の「思想」です。曲がりなりにも新撰組局長である近藤は天下の時勢をある程度、肌感覚で理解していました。当時の武士階級を支配していた共通教養である水戸史観は皇室への忠誠度合いから歴史上の英傑を忠臣と朝敵に分類し、南北朝の英雄である楠木正成を最大の忠臣とする一方で室町幕府の開祖である足利尊氏を最大の朝敵に位置付けていました。こうした水戸史観に照らし合わせれば、天子を薩長に奪われてしまった今、幕府は「朝敵」という事になります。
 
典型的な水戸史観の徒である将軍慶喜は自身が「第二の尊氏」として歴史に名を残してしまうことを何よりも恐れました。そして若かりし頃から頼山陽の「日本外史」を愛読し楠木正成を崇拝していた近藤もまた水戸史観の呪縛から逃れる事はできませんでした。
 
いわば近藤は水戸史観という「他人の物語」に囚われていました。これに対して歳三はそんな「他人の物語」とは無関係なところで「自分の物語」を最後まで創造し続けました。
 
人は皆誰もが「物語」によってその生を基礎付けます。そして我々の生きる現代という時代とは、社会共通の「大きな物語(=他人の物語)」が失効し、人はそれぞれ「小さな物語(=自分の物語)」を選択し、創造していかなければならないポストモダン状況が際限なく加速する時代でもあります。そういった意味で本作は今から半世紀以上も前に、土方歳三という稀有な人物の生涯を題材として、やがて来るポストモダンにおける主体のあり方を先駆的に描き出した作品であったといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 

【書評】現代の精神分析(小此木圭吾)

* フロイト理論を読み解く6つのモデル

 
精神分析とは19世紀末、オーストリア精神科医ジークムント・フロイトが当時、謎の奇病とされたヒステリーの治療法を試行錯誤する中で産み出された理論と実践の営みです。その後もフロイト自身の手で、あるいはフロイトの後継者の手で多様多彩な発展を遂げた精神分析は現代において精神病理学、臨床心理学のみならず、文学、哲学、社会学といった広範な領域で絶大な影響力を行使しています。
 
本書は現代における精神分析全体の理論状況を特定の学派に偏る事なく俯瞰的な位置から概説する文字通りの意味で「精神分析の教科書」です。とりわけ本書の大きな特色は精神分析創始者であるフロイトの理論を「力動経済論」「生成分析論」「発生発達論」「力動構造論」「不安防衛論」「自己愛論」という6つの精神病理学モデルによって体系化した点にあります。
 

* 性欲動とエディプス・コンプレックス--力動経済論

 
力動経済論とは「欲動」や「抑圧」と呼ばれる一定のベクトルを持った心理的な力を仮定する力動的見地と、これらの諸力働にエネルギー恒存の法則を想定し神経症の症状形成を「欲動の代理満足ないし妥協形成」として把握する経済論的見地から成り立っています。
 
フロイトはヒステリーを始めとする神経症患者の言葉に耳を傾けていく中で当初は、神経症の症状形成には患者が無意識の中に抑圧した幼児期の性的外傷経験が関わっていると考えました。
 
ところがやがてフロイトは患者の言葉は必ずしも経験的事実を述べているのではなく、その心的現実を述べていると考えを改めます。そしてフロイトはこうした心的現実を基礎付ける動因として先天的にプログラムされた「性欲動(リビドー)」の存在を想定し、いわゆる「幼児性欲説」と呼ばれる独自の発達段階論を主張しました。
 
フロイトによれば、幼児のリビドーは身体の各粘膜部位に性感帯を持つ自体愛的な部分欲動として生後間もなく生じ「口唇期(1歳頃まで)」「肛門期(2〜3歳頃)」「男根期(4〜5歳頃)」という一定の発達段階プログラムを経由して、やがて部分対象(身体部位)から全体対象(他者)へ向けられることになります。
 
この点、男根期に入ると幼児は性の区別に目覚め、異性の親に愛着を持つ一方で、同性の親に対する憎悪を抱くとフロイトは考えました。このような幼児の抱く心的観念の複合体をフロイトギリシア悲劇に倣い「エディプス・コンプレックス」と命名しました。やがて男根期の終わりとともに「エディプス・コンプレックス」は解消されることになりますが、フロイトはこの解消のされ方がセクシャリティの確立や超自我の形成、そして神経症的葛藤の成立における重大な要因となると主張しました。
 

* 快楽原則と現実原則--生成分析論

 
生成分析論とは心的過程の論理的な発生機序における心理機能を明らかにするモデルです。力動経済論がマクロ的なモデルであるとすれば生成分析論はミクロ的なモデルと言えます。
 
この点、一次過程では知覚同一性が優位に立ち、快楽原則に基づき視覚映像的な欲動満足が追求されます。これに対して二次過程では思考同一性が優位に立ち、現実原則に基づき外界との関係を考慮した欲動満足が追求されます。
 
心的組織の発達に伴い意識系、前意識系においては二次過程が優位になる一方で、無意識系においては依然として一次過程が存続し、これが夢や神経症の症状を形成することになります。
 

* 固着と退行--発生発達論

 
発生発達論とは「固着」と「退行」というメカニズムにより各種精神病理現象の体系化を試みる見地です。
 
ここでいう「固着」とは当初フロイトは「外傷への固着」という意味で用いていましたが、やがてリビドーの発達段階論の確立とともに「固着」とは「特定の発達段階への固着」として再定義されました。
 
そして、このような固着点に立ち返る現象を「退行」と呼びます。フロイトはどの固着点への退行が生じているかという観点から各精神病理現象を体系づけようとしました。
 

* 自我・エス超自我--力動構造論

 
1900年代にフロイトは夢や失錯行為の研究を通じて無意識のメカニズムを解明し、人の心を「意識」「前意識」「無意識」から成り立つとする心的局所論を提示しました。ここで前提となるのは「意識的なもの=自我的なもの(抑圧するもの)」「無意識的なもの=欲動的なもの(抑圧されるもの)」という区分です。
 
ところが、やがて自我の持つ無意識的側面に関する知見や、また「陰性治療反応(病状の回復を妨げる無意識的な自己処罰要求)」に関する知見から、上記の区分は必ずしも適当ではないことが明らかになります。
 
そこで1920年代のフロイトは、いずれも無意識的側面を持つ「自我」「エス」「超自我」という三つの心的装置を仮定し、これら三者および外的現実との力動的葛藤から心的現象を理解する心的構造論を提示することになります。
 

* うっ積不安説から不安信号説へ--不安防衛論

 
フロイト精神病理学の基本的特徴の一つは神経症と精神病の症状を「不安」に対する自我の防衛機制の所産と見做したところにあります。もっとも「不安」に関するフロイトの認識は、初期から後期にかけて変遷を遂げています。
 
初期のフロイトは性的興奮の中断によりうっ積した欲動が不安に変換されるという認識を持っていました。これが「うっ積不安説」です。その後フロイトは、不安を依存対象や自己自身に対して内的な危険を告げ知らせる信号として位置付けました。これが「不安信号説」です。
 

* 理想化された自己--自己愛論

 
フロイトは「自体愛」と「対象愛」の中間に「自己愛」の段階を想定しました。すなわち、リビドーが部分対象(身体部位)に備給される自体愛から全体対象(他者)に備給される対象愛へと発達する過程の中で、まずは理想化された自己という表象にリビドーが備給される段階を自己愛と呼びます。
 
この見地からフロイトは精神病(統合失調症)をリビドーが外界から撤収し自我に備給されている「二次的自己愛」の状態にあるとして「自己愛神経症」として位置付けました。
 

* 科学と精神療法のあいだ

 
フロイトという人はもともとウィーンでは高名な神経学者であり、精神分析創始以後もフロイトはその臨床実践から得られた知見をあくまで心理生物学な理論で基礎づけようとしていました。
 
いわばフロイトの理論の中には「科学(理論)」としての側面と「精神療法(実践)」としての側面が矛盾を抱えつつも併存していました。そして前者の発展系がフロイトの末娘アンナ・フロイトを象徴とする米国自我心理学派だとすれば、後者の発展系がメラニー・クラインを起源とする英国対象関係論学派であったように思えます。
 
いずれにせよ精神分析の発展史とはフロイトのテクストの註釈史でもあります。そういった意味で本書は「近親相姦」とか「父殺し」などといったイメージが一人歩きして、何かと誤解されがちなフロイトの理論を精神病理学の観点からまっとうに理解する上で明確な羅針盤を提示する一冊といえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【書評】木になった亜沙(今村夏子)

 

*「自明」を失ったものとして立ち現れる世界

 
我々が世界に棲まうことができているのは畢竟、我々にとって世界が「自明」なものとしてそこに存在するからです。「自明」であるということは「自ずから」「理解」できるということであり「自明」であることをわざわざ証明したり深く考えたりする必要がないということです。むしろあまりに「自明」なことは、よくよく考えてみるとはっきりとした根拠によって支えられていないことが多いですが、普通は「自明」なことについては誰も根拠を問わないでしょう
 
我々が人間関係の中でごく自然に振る舞うことができているのは、今この場ではどのようにするのが正しいかを「何となく」理解できているからです。つまり人と人との〈あいだ〉において、今がどういう状態であり自分を含むそれぞれのメンバーがどう振る舞えばいいのかが間主観的に理解できているからです。それは「自明」なことなのであり、いわゆる「ノリ」と呼ばれるコードに支配された空間とは、まさにそのような「自明」で満ちたものをいいます。
 
ところがひとたび世界が「自明」なものでなくなってしまえば、目の前にある事物や表象が「ある」という根拠をいちいち自分で考えなければならなくなっています。いわゆる「世界に棲めていない」という感覚はこうした状態をいいます。
 
この点、現象学という学問では「現象学的還元」と呼ばれる方法を使って、我々が前提としている「自明」を一旦あえて「括弧に入れる(エポケーする)」事で純粋現象そのものを究明しようとします。
 
そして今村作品の持つ不思議な魅力の源泉もまた、我々が「自明」とする何気ない日常風景を括弧に入れる事で純粋現象そのものに立ち返らせるところにあるように思えます。今村作品を読んでいて多くの人が感じるというある種の「不穏さ」はまさにこの世界が「自明」を失ったものとして立ち現れてくる感覚の追体験から生じているように思います。
 

* 特異的な文体と普遍的な寓話性 

 
今村夏子さんは大学卒業後、清掃関係のアルバイトなどを転々として、29歳の時にバイト先から「明日休んでください」といわれたのがきっかけで、どういうわけか「小説を書こう!」と思い至ったそうです。
 
そうして書き上げた「あたらしい娘」という作品が2010年、第26回太宰治賞を受賞。同作は「こちらあみ子」と改題されて単行本化され、2011年に第24回三島由紀夫賞を受賞。
 
思いがけない鮮烈なデビューを果たしてしまった当時の心境は「どうしよう。もう書くこともないのにほめられて」だったそうです。
 
三島賞受賞決定後の電話インタビューで今村さんは「今後書く予定はない」という趣旨のことを述べます。それから5年近く、2014年の文庫版「こちらあみ子」に併録された短編以外、作品の発表は途絶えていました。
 
ところが2016年、福岡で創刊された「たべるのがおそい」という名の地方文芸誌で唐突に新作が発表されます。この「あひる」という作品は第155回芥川賞候補に挙がり惜しくも受賞を逃すも、同作を収録した短篇集は第5回河合隼雄物語賞を受賞します。
 
そして、2017年に刊行された「星の子」は再び第157回芥川賞候補に挙がり、第39回野間文芸新人賞を受賞。その後2019年、周知のとおり今村さんは「むらさきのスカートの女」でついに第161回芥川賞を射止めることになります。
 
今村作品の魅力といえばまずは上述したような「不穏さ」を生み出すあの印象的な文体が挙げられるでしょう。もっとも今村作品が時として「世界文学」とまで評されるのは、その文体から紡ぎ出される物語が時代性や地域性を超越した普遍的な寓話性を内在させているからなのでしょう。芥川賞受賞後初の単行本となった本作「木になった亜沙」はこうした側面をより推し進めた短編集といえます。
 

* 三人の主人公--亜沙・七未・わたし

 
本作には表題作を含む三つの短編が収録されています。それぞれのあらすじはこうです。
 
「木になった亜沙」。亜沙は小さなアパートで母親と二人で暮らしていた。子どものころから亜紗が手渡す食べ物は、どういうわけか誰からも食べてもらえなかった。母親を亡くし叔父夫婦に預けられた亜沙は中学に入ると不良少女となり、更生施設に入れられる。施設での暮らしが終わろうとする頃、亜沙は友人たちと出かけたスキー場で事故に遭い死んでしまう。死ぬ間際、亜紗は今度生まれ変わったらくだものの木になって、みんなに私の実を食べてもらいたいと願う。その結果--
 
「的になった七未」。七未はとにかく「当たらない」子どもであった。どんぐりも、水風船も、ドッジボールも、空き缶もなぜだか七未には当たらない。次第に彼女は「当たりたい」という衝動に駆られていく。唯一、自分で自分にぶつけたものだけは「当たる」ことに気づいた七未は、授業中、文房具を自分に投げ始め、姉妹には自分で自分の顔を殴り始めて、気がつけば病院に入院していた。その後、七未は主治医と不倫関係となりその間は「当たりたい」という衝動も収まっていたのが--
 
「ある夜の思い出」。「わたし」は学校を卒業して以来15年間、ずっと働かずに家にいる。朝から晩まで寝そべった生活をしていた「わたし」は、立って歩くことさえだんだんと億劫になる。ある日、父親の説教がきっかけで「わたし」はとうとう寝そべったまま家の外へと繰りだしていく。やがてお腹がすいた「わたし」が夜の商店街のゴミを漁っているとき、自分と同じように寝そべったまま動く男と出会い、彼の家に招かれることに--
 

* 純粋無垢であるがゆえの異端性

 
この三編ではいずれも「異能」という要素が導入されています。そしてどの作品においてもその主人公は「異能」の存在であるがゆえに社会から疎外される存在として描かれます。
 
「木になった亜沙」では、手渡す食べ物を誰にも食べてもらえず、わたしの手はそんなに汚いのかと嗚咽する亜沙に更生施設の先生はこう答えています。
 
「逆です、きみの手は、きれいすぎる」
 
おそらく本当の意味での「純粋無垢」とは世の「常識」に染まれないがゆえに世の中にうまく棲むことができず、多くの場合は他者から拒絶されてしまう存在なのではないでしょうか。こうした「純粋無垢であるがゆえの異端性」という本作に通底するモチーフは今村さんのデビュー作「こちらあみ子」に通じるものがあります。
 
いま思えばあみ子もまた「思ったことをそのまま言う」という「異能」を抱えた存在でした。そしてこうした意味においては我々も皆「人の欠点をたくさん見つけることができる」とか「1人でいることが苦にならない」などといった「異能」を抱えた存在です。そして当然ながら世の中には歓迎される異能とそうでない異能があり、その分水嶺は単純に時代と社会のめぐりあわせによる偶然の結果だったりするわけです。こうした意味で本作は個性や多様性を称揚する一方で様々な形で平準化を強いる現代の寓話としても読めるでしょう。
 
 
 
 
 

正義なき時代における正義の在り処--これからの「正義」の話をしよう(マイケル・サンデル)

 

* 政治としての正義、哲学としての正義

 
いわゆる「大きな物語」と呼ばれる社会共通の価値観が失墜したとされる現代において「正義」という問いほど困難な問いはないようにも思われます。いまや正義とは無垢な理想ではなく無根拠な決断となり、誰かの正義とは誰かの悪である事が明白となった時代を我々は生きています。
 
こうしたオブジェクトレベルにおける正義=政治を巡る言説の優劣を決める事は確かに不可能なのでしょう。けれどもこのような正義=政治を巡る言説を調停するためのメタレベルにおける正義=哲学を探求する可能性は今なお残されているのではないでしょうか。本書はこうした意味で正義なき時代における正義の在り処を問う書であります。
 

* 正義をめぐる一つ目のアプローチ--幸福の最大化

 
正義をめぐる一つ目のアプローチは正義とは「幸福の最大化」を意味するという考え方です。このような立場を「功利主義」と呼びます。
 
イギリスの哲学者ジェレミーベンサムによれば道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだといいます。ベンサムによれば正しい行いとは社会全体の「効用」を最大化するあらゆるものを指します。ここで「効用」という言葉は快楽や幸福を生む全てのものを、苦痛や苦難を防ぐ全てのものを表しています。
 
人は人である以上、誰もが快楽を好み苦痛を嫌うでしょう。功利主義はこの端的な事実を道徳と政治の基本に据えます。効用の最大化は個人の行動原理だけではなく国家の立法原理でもあります。どのような法律や政策を制定するかを決めるにあたっても、政府は共同体全体の幸福を最大化するためにあらゆる手段を取るべきであるということです。
 

* 正義をめぐる二つ目のアプローチ--自由の擁護

 
正義をめぐる二つ目のアプローチは正義とは「自由の擁護」を意味するという考え方です。もっとも、ここでいう「自由」をいかに捉えるかについてはさらに大きく二つの立場に別れます。
 
この点、自由な市場における自由な選択に至上の価値を見出す立場は「リバタリアニズム」と呼ばれます。
 
フリードリッヒ・ハイエクミルトン・フリードマン、ロバート・ノージックらに代表されるリバタリアンたちは人は他者の権利を侵害しない限り自らが所有する財産や身体を使い自らが望むいかなることも行うことが許される権利を有すると主張し、国家による市場の規制、パターナリズム、道徳的強制、富の再分配を否定します。この立場からは国家の機能は民事契約の履行保証と、暴力、略奪、詐欺といった刑事犯罪の摘発に限定された最小国家のみが正当化されるという主張が導き出されることになります。
 
これに対して「正義論」で知られるアメリカの政治哲学者ジョン・ロールズに代表される自由と平等の実質的な調和を目指す立場が「リベラリズム」です。
 
まずロールズが想定する「自由」とはリバタリアニズムの想定する「自由」とは全く異なる「自由」です。18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントは人間の尊厳の根拠を合理的に推論できる理性的な存在である点に求め、その理性に基づき自らが選択した道徳法則に基づく自律的な行動を「自由」な行動と定義します。ここでいう自律的な行動とは「何々したいなら」という外的な条件に規定された「仮言命法」ではなく、人格それ自体を究極目的として尊重する無条件の「定言命法」に従って行動することを言います。なぜならば仮言命法に従って行動するうちは人は仮言命法を規定する「何々したいなら」という条件の奴隷であり真の「自由」を獲得した存在とは言えないからです。
 
そしてロールズはこうしたカント哲学に依拠した「自由」から導き出される「正義の原理」を究明しました。まずロールズはある共同体の構成員全員が自分がどのような境遇にいるかを知らない「無知のヴェール」を被った原初的平等状態で、当該共同体の生活を律する原理、すなわち社会契約を定めた場合、どのような原理が選択されるかを問います。
 
まず功利主義は選ばれないとロールズは言います。無知のヴェールを被っている以上、自分が効用最大化の名の下で切り捨てられる可能性は否定できないからです。またリバタリアニズムも選ばれません。無知のヴェールを被っている以上、自分が自由市場における弱者の立場にある可能性を否定できないからです。
 
こうしてロールズ的仮定の元では以下の二つの原理が「正義の原理」として選び取られる事になります。
 
まずその第一原理は言論の自由や信教の自由といった基本的自由は原則的に全ての人に平等に与えられるべきであるとします。
 
そしてその第二原理は諸々の社会的・経済的不平等は、その不平等が社会で最も不遇な立場にある人々の利益に叶うような場合にのみ許容されるというものです。
 

* 正義をめぐる三つ目のアプローチ--共通善の尊重

 
正義をめぐる三つ目のアプローチは正義とは「共通善の尊重」であると考える考え方です。これはいわゆる「コミュニタリアニズム共同体主義)」と呼ばれる立場です(もっとも本書はこの名称にはあまり好意的ではないようです)。
 
この立場は遥か古代ギリシアの哲学者アリストテレスの政治哲学に由来します。アリストテレスによれば、正義とは何かを判断するためには、問題となる社会的営為のテロス(目的因)とは何かを考える必要があり、そしてそのテロスについて考える事は少なくとも部分的には、当該社会的営為が称揚しようとする名誉や美徳とは何かを考える必要があるとされます。
 
アリストテレスにとって正義とは人々に自分に値するものを与えること、1人1人にふさわしいものを与えることを意味します。ゆえにその正しい分配方法を決めるには分配される物のテロスに遡り、そこでは何が名誉や美徳として称揚されるのかを見極めなければならないということです。
 
本書はこの立場に与しています。ここで鍵となるのは物語的な自己概念です。我々は「物語」としての人生を生きています。畢竟、我々の人生とはある程度に首尾一貫を志向するまとまりとしての「物語」の主人公を演じることであり、その人生の岐路に差しかかった時、我々がどのような道を選ぶかという選択は自らの生きる「物語」を解釈することに他ならないということです。
 
こうした我々の生の物語は常の我々の属するコミュニティの物語と結びついています。ゆえにある制度が正義にかなうものか否かは、当該コミュニティを規定する名誉や美徳としての「共通善」に照らしあわせなければならないということです。
 
もちろん何をもって「共通善」とするかは、その時々の時代状況、社会状況により異なってくる不確定な概念です。ゆえに真に公正な社会とは、何がその時々の「共通善」なのかをめぐる不断の対話に開かれた社会であるということです。
 

* 正義と価値のあいだ

 
本書の立場はある意味で「過激」ともいえます。本書の支持する「共通善の尊重」とは所詮は実現不可能な理想ではないか、もしくはかつての「大きな物語」の捏造ではないか、あるいは結局形を変えた功利主義ではないか、といった批判もあり得るでしょう。
 
この点、リベラリズムの主張は言うまでもなく正しい核心を持っています。我々がそれぞれ置かれた境遇の相違とは、突き詰めていえば所詮は巡り合わせの運の問題に過ぎません。そして、そうである以上、個人の多様性は尊重されるべきであり、選択の自由は広く認めるべきであり、様々な社会的・経済的格差は可能な限り是正されるべきでしょう。
 
その一方で本書で取り上げる人工妊娠中絶、ES細胞研究、同性婚の事例を見れば明らかな通り「正義」の問題は何かしらの道徳的意味での「価値」の問題と密接に関連します。
 
この点、リベラリズムは個々の事例において問題となる制度や営為をもっぱら個人の多様性、選択の自由、格差の是正などといった統一的な「正義」の原理へと還元して、その背景にある「価値」の問題に対しては少なくとも形式上はコミットしない態度をとるでしょう。
 
これに対して、本書の立場は個々の事例において問題となる制度や営為をその背景にある名誉や美徳といった「価値=共通善」を巡る対話の場に差し戻し、そこから個別的な「正義」の基準を導こうとしているように思えます。
 
確かにこのような対話の中から思いがけない相互理解の糸口が生じることもあるでしょう。それまでつながらないと思われていたものがどこかでつながる事だってあるでしょう。ともかくも本書が力説するように何事も「やってみないことには、わからない」ということです。そういった意味で本書の立場はリベラリズムを否定するのではなく、むしろその限界性を乗り越える可能性に賭け金を置いているように思えます。