かぐらかのん

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【書評】現代の精神分析(小此木圭吾)

* フロイト理論を読み解く6つのモデル

 
精神分析とは19世紀末、オーストリア精神科医ジークムント・フロイトが当時、謎の奇病とされたヒステリーの治療法を試行錯誤する中で産み出された理論と実践の営みです。その後もフロイト自身の手で、あるいはフロイトの後継者の手で多様多彩な発展を遂げた精神分析は現代において精神病理学、臨床心理学のみならず、文学、哲学、社会学といった広範な領域で絶大な影響力を行使しています。
 
本書は現代における精神分析全体の理論状況を特定の学派に偏る事なく俯瞰的な位置から概説する文字通りの意味で「精神分析の教科書」です。とりわけ本書の大きな特色は精神分析創始者であるフロイトの理論を「力動経済論」「生成分析論」「発生発達論」「力動構造論」「不安防衛論」「自己愛論」という6つの精神病理学モデルによって体系化した点にあります。
 

* 性欲動とエディプス・コンプレックス--力動経済論

 
力動経済論とは「欲動」や「抑圧」と呼ばれる一定のベクトルを持った心理的な力を仮定する力動的見地と、これらの諸力働にエネルギー恒存の法則を想定し神経症の症状形成を「欲動の代理満足ないし妥協形成」として把握する経済論的見地から成り立っています。
 
フロイトはヒステリーを始めとする神経症患者の言葉に耳を傾けていく中で当初は、神経症の症状形成には患者が無意識の中に抑圧した幼児期の性的外傷経験が関わっていると考えました。
 
ところがやがてフロイトは患者の言葉は必ずしも経験的事実を述べているのではなく、その心的現実を述べていると考えを改めます。そしてフロイトはこうした心的現実を基礎付ける動因として先天的にプログラムされた「性欲動(リビドー)」の存在を想定し、いわゆる「幼児性欲説」と呼ばれる独自の発達段階論を主張しました。
 
フロイトによれば、幼児のリビドーは身体の各粘膜部位に性感帯を持つ自体愛的な部分欲動として生後間もなく生じ「口唇期(1歳頃まで)」「肛門期(2〜3歳頃)」「男根期(4〜5歳頃)」という一定の発達段階プログラムを経由して、やがて部分対象(身体部位)から全体対象(他者)へ向けられることになります。
 
この点、男根期に入ると幼児は性の区別に目覚め、異性の親に愛着を持つ一方で、同性の親に対する憎悪を抱くとフロイトは考えました。このような幼児の抱く心的観念の複合体をフロイトギリシア悲劇に倣い「エディプス・コンプレックス」と命名しました。やがて男根期の終わりとともに「エディプス・コンプレックス」は解消されることになりますが、フロイトはこの解消のされ方がセクシャリティの確立や超自我の形成、そして神経症的葛藤の成立における重大な要因となると主張しました。
 

* 快楽原則と現実原則--生成分析論

 
生成分析論とは心的過程の論理的な発生機序における心理機能を明らかにするモデルです。力動経済論がマクロ的なモデルであるとすれば生成分析論はミクロ的なモデルと言えます。
 
この点、一次過程では知覚同一性が優位に立ち、快楽原則に基づき視覚映像的な欲動満足が追求されます。これに対して二次過程では思考同一性が優位に立ち、現実原則に基づき外界との関係を考慮した欲動満足が追求されます。
 
心的組織の発達に伴い意識系、前意識系においては二次過程が優位になる一方で、無意識系においては依然として一次過程が存続し、これが夢や神経症の症状を形成することになります。
 

* 固着と退行--発生発達論

 
発生発達論とは「固着」と「退行」というメカニズムにより各種精神病理現象の体系化を試みる見地です。
 
ここでいう「固着」とは当初フロイトは「外傷への固着」という意味で用いていましたが、やがてリビドーの発達段階論の確立とともに「固着」とは「特定の発達段階への固着」として再定義されました。
 
そして、このような固着点に立ち返る現象を「退行」と呼びます。フロイトはどの固着点への退行が生じているかという観点から各精神病理現象を体系づけようとしました。
 

* 自我・エス超自我--力動構造論

 
1900年代にフロイトは夢や失錯行為の研究を通じて無意識のメカニズムを解明し、人の心を「意識」「前意識」「無意識」から成り立つとする心的局所論を提示しました。ここで前提となるのは「意識的なもの=自我的なもの(抑圧するもの)」「無意識的なもの=欲動的なもの(抑圧されるもの)」という区分です。
 
ところが、やがて自我の持つ無意識的側面に関する知見や、また「陰性治療反応(病状の回復を妨げる無意識的な自己処罰要求)」に関する知見から、上記の区分は必ずしも適当ではないことが明らかになります。
 
そこで1920年代のフロイトは、いずれも無意識的側面を持つ「自我」「エス」「超自我」という三つの心的装置を仮定し、これら三者および外的現実との力動的葛藤から心的現象を理解する心的構造論を提示することになります。
 

* うっ積不安説から不安信号説へ--不安防衛論

 
フロイト精神病理学の基本的特徴の一つは神経症と精神病の症状を「不安」に対する自我の防衛機制の所産と見做したところにあります。もっとも「不安」に関するフロイトの認識は、初期から後期にかけて変遷を遂げています。
 
初期のフロイトは性的興奮の中断によりうっ積した欲動が不安に変換されるという認識を持っていました。これが「うっ積不安説」です。その後フロイトは、不安を依存対象や自己自身に対して内的な危険を告げ知らせる信号として位置付けました。これが「不安信号説」です。
 

* 理想化された自己--自己愛論

 
フロイトは「自体愛」と「対象愛」の中間に「自己愛」の段階を想定しました。すなわち、リビドーが部分対象(身体部位)に備給される自体愛から全体対象(他者)に備給される対象愛へと発達する過程の中で、まずは理想化された自己という表象にリビドーが備給される段階を自己愛と呼びます。
 
この見地からフロイトは精神病(統合失調症)をリビドーが外界から撤収し自我に備給されている「二次的自己愛」の状態にあるとして「自己愛神経症」として位置付けました。
 

* 科学と精神療法のあいだ

 
フロイトという人はもともとウィーンでは高名な神経学者であり、精神分析創始以後もフロイトはその臨床実践から得られた知見をあくまで心理生物学な理論で基礎づけようとしていました。
 
いわばフロイトの理論の中には「科学(理論)」としての側面と「精神療法(実践)」としての側面が矛盾を抱えつつも併存していました。そして前者の発展系がフロイトの末娘アンナ・フロイトを象徴とする米国自我心理学派だとすれば、後者の発展系がメラニー・クラインを起源とする英国対象関係論学派であったように思えます。
 
いずれにせよ精神分析の発展史とはフロイトのテクストの註釈史でもあります。そういった意味で本書は「近親相姦」とか「父殺し」などといったイメージが一人歩きして、何かと誤解されがちなフロイトの理論を精神病理学の観点からまっとうに理解する上で明確な羅針盤を提示する一冊といえるでしょう。