かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

【書評】疾風怒濤精神分析入門(片岡一竹)

 
 
 
衒学的な理論と独特な語り口で、精神分析のみならず現代思想の領域においてもカリスマ的人気を誇るジャック・ラカン。死後40年近く経った今でも、毎年多くの関連書籍が出版されていますが、その多くは専門性の高い難物ばかりで、初学者が気軽に読めるものだとはお世辞にも言えません。
 
ほんの少し前まで、ラカンに入門するのであれば斎藤環氏の「生き延びるためのラカン」や新宮一成氏の「ラカン精神分析」から入るのがおそらく普通だったと思われます。
 
もちろん、これらの本が優れた著作であることは疑いありません。けれども、例えば「精神分析とはどういう営みなのか?」「精神医療や心理療法とは何が違うのか?」「ラカンという人は何がしたかったのか?」といった肝心要な問いの部分について、予備知識のない初学者がこれらの本を一読して理解できるのかと言われれば、残念ながら難しいと言わざるを得ないでしょう。
 
そういうわけで結局、我々大多数の凡人は、例の難解極まりないことで悪名高い「エクリ」を始めとする、ラカンの著作群に辿り着くまでには、莫大な回り道を余儀無くされることになっていたわけです。
 
ただ、ここ数年で状況は少しずつ変わってきました。向井雅明氏の「ラカン入門」や松本卓也氏の「人はみな妄想する」といった、大変優れた概説書の出版が相次ぎ、ラカン読解のハードルは以前よりも格段に下がったのは確かです。
 
このような流れの中、「教養としてざっくりラカンを理解出来ればいいので、あともう一つだけハードルを下げて欲しい」と、そういう需要に応えたのが本書であると言えるでしょう。
 
本書は、多くのラカン本につきものの複雑な図解やマテームと呼ばれる略号をほぼ使用せずに、あの難解な理論の数々を、ビジネス書並みの明快な記述で次々に料理していきます。
 
正直「こんなにわかりやすくていいのか」とページをめくるごとに戦慄を覚えました。これで著者は1994年生まれの現役大学院生というのだからその才能には恐れ入るしかありません。
 
本当に見事な手際と圧倒的な筆力です。本書は現時点におけるラカン精神分析入門の決定版と言っても差し支えはないでしょう。
 

* 意味を切る

 
精神分析とは「自由連想」と「解釈」によって展開されます。クライエント(分析主体)は自分の頭に浮かんだことをすべてそのまま話し、これに対してセラピスト(分析家)は何かしらのコメントを返していく。
 
一見、一般的なカウンセリングと何ら異なるところはないようにも思われますが、決定的に違う点がひとつあります。
 
ここで分析家が相手にするのは分析主体の「自我」ではなく「無意識」です。 分析家は分析主体の語りの端々に顔を出すーーー言い間違い、言い澱み、情動表現といったーーー「無意識の表れ」に注目する。
 
そして分析家は分析主体の語りを「理解」したり「共感」するのではなく、むしろその語りの「意味を切る」ことで、その裏に潜む思いもよらない何かに気づくきっかけを提供するわけです。
 

* 一般性と特異性

 
では、そのような精神分析の営みの先には何があるのでしょうか?これはすなわち、本書の言葉で言えば「特異性」の発現に他なりません。
 
「特異性」というのは「個性」とはまた違います。「個性」とは社会システムという「一般性」に認められる事で成立するものですが、「特異性」とは逆に「一般性」の中では受容されることの無い過剰な「何か」をいいます。
 
人は一人では生きていけません。人は「一般性」を手にする為の代償として、自らの「特異性」を手放さざるを得ません。
 
けれども、諸々の神経症的症状、あるいは漠然と感じる「生きづらさ」はこの「特異性の排除」という根源的な不満からくるものに他ならないわけです。
 
大事なのは「一般性」の世界を生きつつも「特異性」といかに上手くやっていくかという事です。すなわち、〈他者〉と繋がりつつも、〈他者〉から自由になるということ。これが、精神分析の目指す彼岸ということです。
 
もっとも、「本当に」その境地に至らんとするのなら、それこそ何年も精神分析の経験を経る必要があるわけですが、こうした「ラカン的な思考」は我々が日々「自らのあり方」を見つめ直し、様々な「捉われ」から自由になる上で有益な道標となるのではないでしょうか。
 

* 「それでよい」と言える生き方へ

 
「無意識の法の更新」「去勢のやり直し」「ファンタスムの横断」。表現の違いはあれど、その根底に一貫するのは「生き方の変革」であり「それでよい」と自己の在り方に心から納得できる根源的な自己肯定の営みです。
 
ラカンは「人の欲望とは〈他者〉の欲望」であるといいます。「〈他者〉の欲望」は人生の原動力でもあると同時に呪縛の原因ともなります。
 
終身雇用や年功序列に裏付けられた「良い大学を出て良い会社に入り幸せな家庭を築く」といった昭和的なロールモデルが崩壊し、誰しも程度の差はあれ「生きづらさ」を持つこんな時代だからこそ、今再び、ラカンは読まれるべきなのでしょう。
 
 

オリーブオイルがグルコーススパイクを緩和するという話。

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お昼ご飯をがっつり食べた後ってやたら眠たかったりしませんか?あの現象は血糖値と深い関係があります。
 

* 食後の睡魔と血糖値

 
グルコーススパイク、あるいは血糖値スパイクという言葉は聞いたことがあると思います。
 
血糖値を上げるのはひとえに糖質です。糖質は体内で100パーセント吸収されブドウ糖として血液中に現れます。この時、血糖値が上昇します。
 
血糖値が上昇したことを察知した体は、それを下げるため慌てて膵臓からインスリンというホルモンを放出します。
 
インスリンは余ったブドウ糖をグリコーゲンに変えて肝臓や筋肉の細胞に取り込みますが、取り込めるグリコーゲンの量は限界があるため、さらに余ったブドウ糖中性脂肪に形を変え脂肪細胞に取り込まれます。こうして、インスリンの働きによって血糖値が今度は下がります。
 
血糖値が下がり始めると脳は途端に省エネ運転を始めてしまいます。あまりに血糖値が下がると、体温調整や呼吸といった生命維持活動ができなくなってしまうので、とりあえずは生存に直結しない前頭葉や大脳皮質の活動を低下させてしまうということです。これが食後に睡魔が襲ってくるメカニズムです。
 

* 糖質と一緒にオリーブオイルを取る

 
グルコーススパイクは肥満の原因でもあり、さらには糖尿病や動脈硬化などと深い関連があります。つまり基本的に血糖値の乱高下は好ましくないということです。
 
この点、信頼のおける医学誌である「European Journal of Clinical Nutrition」にて報告された「糖質と一緒にオリーブオイルを摂ることで血糖値が安定する」という実験結果が注目を集めています。
 
図2−7のグラフを見てください。健常者を対象に、「パンだけ食べた場合「オリーブオイルと一緒にパンを食べた場合」「コーンオイルと一緒にパンを食べた場合」の血糖値の変化を調べた結果です。
 
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一目瞭然、パンという糖質を単独で食べると、30分後に血糖値が急上昇しているのに対し、何らかの油と一緒に摂取すると血糖値の上昇が緩やかになることがわかるでしょう。つまり、糖質を単独でとるよりも脂肪を一緒にとったほうが太らないのです。
 
特に、オリーブオイルの効果は絶大です。
 
(牧田善二「医者が教える食事術 最強の教科書」より/Kindle位置No.1237)

 

これはなかなか鮮烈ですね。そういうわけで、このデータを検証(?)すべく、お昼にオリーブオイルを絡めたおにぎりを食べてみましたが、確かに午後、全く眠気が襲ってきませんでした!(プラシーボ効果とかもあるかもしれませんが)
 
 

 

* おわりに

 
オリーブオイルの効果はもちろんこれだけに留まりません。動脈硬化予防や整腸作用という点などからも注目を集めています。
 
不飽和脂肪酸の中でもオリーブオイルは酸化しにくく加熱にも強い使い勝手の良い油です。 もちろん過剰な摂取は禁物ですが、油なんてなんでも一緒と思ってる人は是非日々の暮らしにオリーブオイルを取り入れてみるのはいかがでしょうか?
 
ほんの一工夫で、あなたの日常が健やかで豊かになりますように。ではでは、また。かがみでした\(^o^)/
 
 
 
 

「ネガティブな雑談」には「同感」ではなく「共感」で対応する。

 
 
誰かと話してて、その人から別の誰かの悪口を散々聴かされたあげくに「あなたもそう思うよねえ!?」などと、哀願に似たまなざしで同意を求められた経験ってありませんか?そういう時ってどうしてますか?
 
一緒になって悪口を言いますか?けど、あなた自身はその人をそこまで悪くは思っていない場合は結構困りますよね。
 
ここでヘタに相手の言い分を否定するような意見を言えば、こちらまで「敵」とみなされてしまう可能性もありますので、なかなか対応が難しいところでしょう。
 

* 「共感」と「同感」の違い

 
この点、対人関係療法の第一人者として知られる水島広子先生は「共感するが悪口は言わない」という選択肢を勧めています。
 
具体的には「いろいろ大変だよね」というような相槌を打てば、相手に共感していることが伝わります。ですから「敵」と認識されることはないでしょう。
 
そうはいっても、「あなたもそう思うでしょう?」と悪口に対する同意を求められることもあるかもしれません。それでも、「本当、大変だよねぇ」くらいの言い方で不自然さはないと思います。
 
さらに「◯◯さんのことあなたはどう思っているわけ!?」と詰め寄られたら(これは滅多にないはずですが)、「私は人を見る目がないからよくわからないけど、あなたがすごくストレスを感じているのはわかる」と、あくまでも悪口の対象に対する直接の評価を避け、相手のストレスに共感してあげる、というスタンスを曲げずに乗り越えていくことができると思います。
 
水島広子「誰と一緒でも疲れない『聴き方・話し方』のコツ」より/Kndle位置No.989)

 

つまり、この類の「ネガティブな雑談」には基本的に「同感」ではなく「共感」で対応するのがセオリーだという事です。
 
「同感」と「共感」。この二つは似て非なるものです。 「同感」とは「わかるわかる、実は私もそうなんだ」というように相手の思考や感情とシンクロする事を言います。
 
これに対して、「共感」とは、「そうなんだ、あなたはそういう風に思っているんだね」というように、相手のこころを映し出す「スクリーン」を演じる役割に徹する事をいいます。
 
裏返せば「共感」とは、いつも必ずしも相手の感情とシンクロする必要はないわけです。あなた自身がどう思ったかは全く関係ありません。
 
要するに、相手の「あなたもそう思うよねえ!?」という要求の背後には「私の気持ちを解ってほしい」という要求があるわけです。
 
後者の要求にきちんと応えてあげる事が出来れば、前者の要求に応えたかどうかは重要な問題では無い、ということです。
 

* 浮かんだ思考は「脇に置く」

 
また、水島先生によれば、聴き上手になるコツとして、話を聞きながら浮かんできた思考を「脇に置く」ように勧めています。
 
我々は基本的に相手の話「だけ」を聴いているわけではなく、その話を聞きながら浮かび上がってきた自分の思考とともに聴いているわけです。時には自分の思考の雑音の方が大きくて、相手の話はほとんど聴いていないということだってあるでしょう。
 
そこで、話を聞いていて何がしかの思考が起こってきたら、それはひとまず脇に置いて目の前の相手の話に集中し直す。これがストレスなく他人の話を聞くコツだということです。
 
これは、ラカン風の表現で申し上げれば、「シニフィエ(意味)」ではなく「シニフィアン(音)」を聴くということですね。
 
話し手と聴き手が「似た者同士のわたしとあなた」という鏡像的な関係の場合、ふとしたきっかけで、「わたしか、あなた」という愛憎入り交じるドロドロな関係へと変わってしまいます。
 
ゆえに、対人関係において相手の感情に巻き込まれないためには、人の話はあくまで〈他者〉としての関係で聴くことが重要だということです。
 
 
 

「自信」を持ちたいのなら「自信の構造」を理解しましょう。

 
 
「自信」というのはなかなか悩ましい問題です。
 
「転職したいけど新しい職場でうまくやっていく自信がない」「空気を読む自信がなくてなかなか人の輪に入れない」「容姿に自信がなくて異性に話しかけられない」
 
「いつも自信満々なあの人が羨ましい」「自信さえあればもっとより良い人生が開けてくるはずなのに」
 
何事も自信が持てないが故にうまくいかず、そしてますます自信を無くしてしまう悪循環に陥ってしまうこともあるでしょう。
 

* 「DOの自信」と「BEの自信」

 
「自信を持って」というアドバイスくらい、正しく、そして役に立たないアドバイスもないと思います。「自信を持ちたくない」などという人はあまりいないでしょう。皆、自信を持ちたいけど、どうすればいいかわからないから悩んでいるんです。
 
では、どうすればいいのでしょうか?「自信」を身につけるにはまず、「自信の構造」とはどのようなものかを理解する必要があります。
 
この点、対人関係療法の第一人者である精神科医水島広子先生は「自信」を「DOの自信」と「BEの自信」に分けて考えることを提案しています。
 
「本当の自信」は状況に左右されないものですから、「DOの自信」をどれほど積み上げても「本当の自信」にはなりません。では「本当の自信」とはなんでしょうか。その基本となるのは、実は「BEの自信」です。
 
水島広子「『本当の自信』を手に入れる9つのステップ」より/Kndle位置No.344)

 

「DOの自信」というのは、成功体験などの「成果」や、他人の自分に対する「評価」から来る自信です。
 
「DOの自信」だけいくらあっても「本当の自信」にはなりません。「成果」や「評価」をいくら積み上げても、ひとたび状況が変われば「DOの自信」は簡単に崩れ去ってしまうからです。
 
これに対して「BEの自信」は「自分のあり方」を大切にする「そこはかとない肯定感や安心感」です。
 
「常に冷静でいるべき」ではなく「できるだけ冷静でいたい」。「まずは他人を優先すべき」ではなく「できるだけ他人のことを考えてあげたい」。こんなふうに、完璧主義的な「べき」ではなく、「できるだけ◯◯したい」と思うのが「BEの自信」の特徴です。
 
水島広子「『本当の自信』を手に入れる9つのステップ」より/Kndle位置No.376)

 

「BEの自信」とは「できるだけ◯◯したい」というあくまで「自分のあり方」であり、「成果」や「評価」に左右されません。
 
実際に実行できなくても、そのできなかった現実を「今はこれでよい」と客観的に捉え直す。そして、またそこで改めて「〜したい」という「自分のあり方」に立ち戻る。
 
このシンプルな繰り返しです。つまり、「 BEの自信」とは、その場その場で吸い込む空気のようなものだということです。
 
この「BEの自信」に支えられた「DOの自信」。これを「本当の自信」といいます。
 

* 自分は何を「できるだけ◯◯したい」のかを考えてみましょう

 

別に難しく考える必要はないんですよ。まず、自分は何を「できるだけ◯◯したい」のかを考えてみる。
 
「できるだけ今やるべきことを集中したい」「できるだけありのままを受け入れたい」「できるだけ人に優しく分け隔てなく接したい」「できるだけ笑顔を絶やさないでいたい」等々。
 
考えてみると色々出てくるでしょう。これらの「できるだけ◯◯したい」を書き出しておく。そして、登校や出勤の前に読み返してみる。これだけでも随分と違うと思います。
 

* 〈他者〉の欲望が生む「生きづらさ」

 
もちろん人生は「DO」の連続です。世間的な「成果」や「評価」を追い求めるのは悪いことではありません。人間、欲望がないと生きていけません。欲望は何事かを成し遂げる大きな原動力です。
 
けれども、ジャック=ラカンがいうように人の欲望は「〈他者〉の欲望」です。「成果」や「評価」を追い求めるだけの人生とは、どこまでも〈他者〉に囚われた生き方であり、様々な「生きづらさ」を生み出す原因となってくるわけです。
 
今は「DOの自信」を持ち辛い時代です。終身雇用や年功序列が崩壊し、テクノロジーの発展やグローバル化の進展の中で、これまで個人がたゆまぬ努力で誠実に積み上げてきたキャリアやスキルが秒速でゴミ屑同然になることも普通にあったりするわけです。
 
そういう時代だからこそ、状況に振り回されることのない「自己肯定力」というのは必須のスキルと言えるでしょう。今はちょうど進学、就職、転勤、異動など、転機が訪れる時期ですね。もしも新しい環境に馴染めるか一抹の不安を持っているのであれば、この機会に一度、「自分のあり方」を見つめ直すのも良いかもしれませんね。
 
 
 

リコピン吸収率を上げるかしこいトマトの味わい方

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トマトの日本デビューはあんまりパッとしないものでした。日本には寛文年間頃に長崎に伝えられたとされますが、当時は日本人の味覚にあまり合わず、もっぱら観賞用だったそうです。
 
トマトが食卓に普及するきっかけは、カゴメ創業者である蟹江一太郎氏が大量に売れ残ったトマトを処分するための苦肉の策で生み出したトマトソース。
 
ちなみにカゴメの社名は陸軍を連想する六芒星を商標としてなんとか使う為に考案した言い訳である「収穫時の籠を編んだ目(籠目)」に由来するとか。
 
さて。トマトといえばリコピンですね。リコピンとはカロテノイドという色素の一つで、ビタミンEの100倍以上の抗酸化作用で知られ、生活習慣病予防やアンチエイジングとの関連で近年注目を集めています。
 
ただ、トマトを生のまま食べても、実はリコピン吸収率からいえばいまいち効率が悪いんですよ。
 
まず、リコピンは食物繊維に取り囲まれており、食物繊維はヒトの消化酵素では分解することができません。
 
つまり生のまま食べても、吸収しきれないままほとんどが便として吸収されることなく排出されてしまいます。
 
また、トマト中のリコピンは、大部分がトランス体として存在していますが、人間の身体の中では半分以上がシス体として存在しており、トランス体よりもシス体の方が吸収され易いと言われています。
 
せっかく意識高く日々の食事に一生懸命トマトを取り入れたりしているのであれば、これはかなり勿体無いですね。
 
そこで今回は、ちょっとした工夫でより効果的にリコピン吸収率を上げるトマトの味わい方を紹介してみます。
 

* 加熱する

 
トマトは加熱することでリコピン吸収率が上がることがわかっています。これは、加熱によりトマトの細胞が壊されてリコピンが細胞の外に取り出され、さらにリコピンの構造がトランス体からシス体に変化することによるためと考えられます。
 
 

* オリーブオイルを加えてみる

 
リコピン脂溶性のため、油と一緒に食べると体内への吸収率が上がります。
 
特におすすめなのはオリーブオイル。ラットを用いた試験ですが、オリーブオイルは他のオイルに比べてリコピンのシス異性化をより促進する傾向にあることがわかっています。
 
そういう意味では、イタリア料理というのはリコピン摂取の点から考えると、極めて利にかなっていると言えるでしょう。
 

* 牛乳と一緒に摂る

 
意外なところでは牛乳とも相性がいいんですよ。
 
トマトジュースなどのトマトジュースだけを摂取した場合と、野菜飲料と牛乳を摂取した場合、それぞれのカイロミクロン(血液中の脂質輸送体)中のリコピン濃度を測定したところ、牛乳と同時に飲用したグループは、トマトジュースだけを摂取した比べ、カイロミクロン中のリコピン濃度は約3倍に上昇した研究報告があります。
 

 * 朝に摂る

 
体内での栄養成分の消化吸収や代謝には サーカディアンリズム(1日のリズム)が存在します。そのため、同じ栄養成分でも摂取する時間帯によってその吸収効率が異なってきます。
 
リコピン吸収率から言えば、トマトは朝に摂るのがベストのようです。
 
 

* おわりに

 
いかがでしょうか?まあ、あんまり難しく考えずに、朝、オリーブオイルを少し加えたトマトジュースを牛乳をかけたシリアルと一緒に食べるところから始めてみるのもいいかもですね。
 
あと、あの酸味がどうも苦手だという方は、トマト鍋もおすすめです。ぜひ試してみて下さい( ^ω^ )
 

 
おいしくかしこく、もっとトマトが好きになれますように。 ではではまたまた!かがみでした\(^o^)/
 
 
 

聴き上手だと言われるための3ステップ

 
 
コミュニケーションが苦手な人ほど、他人と会話している時、なんだか気の利いた事を言わないといけないって思っていることが多いようです。
 
確かに「空気が読めて笑いが取れる人」っていうのは端から見てても羨ましいですよね。けど、本当に深い人間関係を築くために必要なのは「喋る技術」ではなく、むしろ「聴く技術」です。
 
相手は「あなたの話」を聞く以上に「自分の話」がしたいんですよ。 「喋る技術」っていうのは結構、先天的なセンスや環境に左右される部分もあるかもしれませんけど、「聴く技術」はある程度セオリーなので、訓練でどうにでもなるものです。
 
なので、まずは次の3つのステップを実践して「聴き上手」を目指してみませんか?
 

* 反復する

 
まずは相手の話た言葉をさりげなく反復してあげましょう。忘れがちだけど大事な事です。また、相手が普段使っている用語、反応しやすい言葉を意識していれてみるのもいいでしょう。
 
これは心理学ではマッチングと呼ばれる技法です。人は自分と似たもの同士の鏡像に惹かれる生き物なのです。
 
ポイントは、あくまでも「さりげなく」。マッチングの技法は相手の意識ではなく無意識に働きかけるもので、わざとらしい「オウム返し」は逆効果です。
 

* 質問する

 
相手の言葉を反復してあげた後は、今度は「質問」で話題を広げて行きます。これは自分が話し手になった場合を考えてみればわかるでしょう。
 
飲み会などで何人かに向かって身の上話などしていたとします。そのうちの一人は「わかる、私もね・・・」と自分の話を延々とし始めて、別の一人は「そうなんですか?それってどうなったんですか?」と食い付いて来たとする。その時、あなたはどっちの人とお話ししたいですか?
 
質問がぱっと浮かばない時は「いつ(When)」「どこで(Where)」「だれが(Who)」「何を(What)」「なぜ(Why)」「どのように(How)」という5W1Hで考えてみましょう。
 
気をつけたいのはこの時、相手のことを色々詮索しているように感じさせないこと。相手のセンシティブな事情に触れないようにするには、「客観的な事実」について質問するのが無難です(例:「いま彼と喧嘩してて・・・」→「彼氏さん、おいくつなんですか?」)。
 

* 共感する

 
共感というのはともすれば他人に媚びなければいけないのか?という誤解も聞きますが、これはあくまでも「私はあなたの話を真剣に聞いてますよ」っていうメッセージを相手に届けるための技術です。自己愛研究で有名な精神科医、ハインツ・コフートは、共感とは相手の心理ニーズを見極めてそれに合わせた反応を返すことであると言います。
 
コフートによれば、人の心理ニーズは大きく分けて3つあるといいます。
 
・鏡映自己対象欲求・・・「褒められたい」「感謝されたい」「認められたい」というという心理ニーズ。
 
・理想化自己対象欲求・・・不安な時に方向性を示して自分を導いてくれる頼もしい存在を求める心理ニーズ。
 
・双子自己対象欲求・・・・自分と同じような弱さや悩みを抱えている存在を求める心理ニーズ。
 
こうして、あなたが相手の心理ニーズを満たす「自己対象」になった時、その人は思わずよりプライベートな深い話を始めるかもしれません。社会心理学で認知的不協和理論というのがありますが、人は基本的に内面を曝け出した相手を信頼する傾向があります。つまり、相手の言葉の端から滲み出る心理ニーズをきちんと把握することが、深い人間関係を築くための一歩になるということです。
 

* まとめ

 
いかがでしょうか?「反復+質問+共感」の3ステップ。これは親しい人との会話のみならず、職場で事務的な会話、さらには上司の説教の場にも応用可能です。
 
本当に誰かの話に真剣に耳を傾けないといけない時に備えて、普段のどうでもいい雑談も「傾聴の練習」と思って「反復+質問+共感」を意識してみるのもいいかもしれませんね。そうすれば無為な時間が一転、スキルアップの有意義な時間に変わり、さらに「聴き上手」ということで周りの印象も良くなる。まさに一石二鳥というものです。
 
日々、置かれた場所で大きな花を咲かせることが出来ますように。ではでは、またまた!かがみでした\(^o^)/
 
 

 

頼み事を快く引き受けてもらって、好感度まで上がる!そう「Iメッセージ」ならね。

 
 
 
普段、職場や家庭において、誰かに「お願い」をする機会は少なくないでしょう。どうせ頼まないといけないなら、できれば快く引き受けてほしいものです。
 
そこで「お願いの仕方」にちょっと気をつけて、一工夫してみるというのは如何でしょうか?
 
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対人コミュニケーションにおいて一般的には、相手を主語とする「YOUメッセージ」よりも、自分を主語とする「Iメッセージ」の方が相手の心に響くとされます。
 
「(あなたは)手伝ってくれますか?」ではなく「手伝ってくれたら、(私は)とても嬉しいです」。 「(あなたは)この仕事を早く片付けてくれますか?」ではなく「この仕事が早く片付いたら、(私は)すごく安心します」。
 
人は何かを押し付けられると、それが良いことか悪いことかという判断とは別のところで「押しつけられたと言う事実自体」に反発してしまいます。
 
これを「心理的リアクタンス」といいます。人間というのは基本的に「自分の意思で決定した」という事実に高い満足感を感じる生き物なのです。
 
この点、「Iメッセージ」は何かを押しつけてしているのではなく、自分の感情を開示しているに過ぎない為、心理的リアクタンスは比較的少なく、相手も受け入れやすいというわけです。
 
さらに「Iメッセージ」はその言外に「あなたは私にとって価値のある存在だ」というメッセージが含意されています。
 
これは自己愛の研究で高名なハインツ・コフートで言う所の鏡映自己対象体験に相当するでしょう。人は常に自分の価値を照らし出してくれる鏡を求めているのです。
 
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ですから、頼み事を引き受けてくれた方には、その後やはり「Iメッセージ」で、きちんとフォローを入れれば、さらに良いということです。
 
「(あなたは)仕事がとても早くて正確だね」ではなくて「いつも早く正確な仕事をしてくれて、(私は)とても助かってます」。
 
「Iメッセージ」を上手に使いこなせるようになれば、頼み事を快く引き受けてもらえる上に、あなたの好感度まで上がるのですから、まさにいいことづくめです。
 
いざという時、呼吸をするようにごく自然に「Iメッセージ」が言えるよう、日々習慣付けていきたいものです。