かぐらかのん

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「ネガティブな雑談」には「同感」ではなく「共感」で対応する。

 
 
誰かと話してて、その人から別の誰かの悪口を散々聴かされたあげくに「あなたもそう思うよねえ!?」などと、哀願に似たまなざしで同意を求められた経験ってありませんか?そういう時ってどうしてますか?
 
一緒になって悪口を言いますか?けど、あなた自身はその人をそこまで悪くは思っていない場合は結構困りますよね。
 
ここでヘタに相手の言い分を否定するような意見を言えば、こちらまで「敵」とみなされてしまう可能性もありますので、なかなか対応が難しいところでしょう。
 

* 「共感」と「同感」の違い

 
この点、対人関係療法の第一人者として知られる水島広子先生は「共感するが悪口は言わない」という選択肢を勧めています。
 
具体的には「いろいろ大変だよね」というような相槌を打てば、相手に共感していることが伝わります。ですから「敵」と認識されることはないでしょう。
 
そうはいっても、「あなたもそう思うでしょう?」と悪口に対する同意を求められることもあるかもしれません。それでも、「本当、大変だよねぇ」くらいの言い方で不自然さはないと思います。
 
さらに「◯◯さんのことあなたはどう思っているわけ!?」と詰め寄られたら(これは滅多にないはずですが)、「私は人を見る目がないからよくわからないけど、あなたがすごくストレスを感じているのはわかる」と、あくまでも悪口の対象に対する直接の評価を避け、相手のストレスに共感してあげる、というスタンスを曲げずに乗り越えていくことができると思います。
 
水島広子「誰と一緒でも疲れない『聴き方・話し方』のコツ」より/Kndle位置No.989)

 

つまり、この類の「ネガティブな雑談」には基本的に「同感」ではなく「共感」で対応するのがセオリーだという事です。
 
「同感」と「共感」。この二つは似て非なるものです。 「同感」とは「わかるわかる、実は私もそうなんだ」というように相手の思考や感情とシンクロする事を言います。
 
これに対して、「共感」とは、「そうなんだ、あなたはそういう風に思っているんだね」というように、相手のこころを映し出す「スクリーン」を演じる役割に徹する事をいいます。
 
裏返せば「共感」とは、いつも必ずしも相手の感情とシンクロする必要はないわけです。あなた自身がどう思ったかは全く関係ありません。
 
要するに、相手の「あなたもそう思うよねえ!?」という要求の背後には「私の気持ちを解ってほしい」という要求があるわけです。
 
後者の要求にきちんと応えてあげる事が出来れば、前者の要求に応えたかどうかは重要な問題では無い、ということです。
 

* 浮かんだ思考は「脇に置く」

 
また、水島先生によれば、聴き上手になるコツとして、話を聞きながら浮かんできた思考を「脇に置く」ように勧めています。
 
我々は基本的に相手の話「だけ」を聴いているわけではなく、その話を聞きながら浮かび上がってきた自分の思考とともに聴いているわけです。時には自分の思考の雑音の方が大きくて、相手の話はほとんど聴いていないということだってあるでしょう。
 
そこで、話を聞いていて何がしかの思考が起こってきたら、それはひとまず脇に置いて目の前の相手の話に集中し直す。これがストレスなく他人の話を聞くコツだということです。
 
これは、ラカン風の表現で申し上げれば、「シニフィエ(意味)」ではなく「シニフィアン(音)」を聴くということですね。
 
話し手と聴き手が「似た者同士のわたしとあなた」という鏡像的な関係の場合、ふとしたきっかけで、「わたしか、あなた」という愛憎入り交じるドロドロな関係へと変わってしまいます。
 
ゆえに、対人関係において相手の感情に巻き込まれないためには、人の話はあくまで〈他者〉としての関係で聴くことが重要だということです。