かぐらかのん

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【書評】疾風怒濤精神分析入門(片岡一竹)

 
 
 
衒学的な理論と独特な語り口で、精神分析のみならず現代思想の領域においてもカリスマ的人気を誇るジャック・ラカン。死後40年近く経った今でも、毎年多くの関連書籍が出版されていますが、その多くは専門性の高い難物ばかりで、初学者が気軽に読めるものだとはお世辞にも言えません。
 
ほんの少し前まで、ラカンに入門するのであれば斎藤環氏の「生き延びるためのラカン」や新宮一成氏の「ラカン精神分析」から入るのがおそらく普通だったと思われます。
 
もちろん、これらの本が優れた著作であることは疑いありません。けれども、例えば「精神分析とはどういう営みなのか?」「精神医療や心理療法とは何が違うのか?」「ラカンという人は何がしたかったのか?」といった肝心要な問いの部分について、予備知識のない初学者がこれらの本を一読して理解できるのかと言われれば、残念ながら難しいと言わざるを得ないでしょう。
 
そういうわけで結局、我々大多数の凡人は、例の難解極まりないことで悪名高い「エクリ」を始めとする、ラカンの著作群に辿り着くまでには、莫大な回り道を余儀無くされることになっていたわけです。
 
ただ、ここ数年で状況は少しずつ変わってきました。向井雅明氏の「ラカン入門」や松本卓也氏の「人はみな妄想する」といった、大変優れた概説書の出版が相次ぎ、ラカン読解のハードルは以前よりも格段に下がったのは確かです。
 
このような流れの中、「教養としてざっくりラカンを理解出来ればいいので、あともう一つだけハードルを下げて欲しい」と、そういう需要に応えたのが本書であると言えるでしょう。
 
本書は、多くのラカン本につきものの複雑な図解やマテームと呼ばれる略号をほぼ使用せずに、あの難解な理論の数々を、ビジネス書並みの明快な記述で次々に料理していきます。
 
正直「こんなにわかりやすくていいのか」とページをめくるごとに戦慄を覚えました。これで著者は1994年生まれの現役大学院生というのだからその才能には恐れ入るしかありません。
 
本当に見事な手際と圧倒的な筆力です。本書は現時点におけるラカン精神分析入門の決定版と言っても差し支えはないでしょう。
 

* 意味を切る

 
精神分析とは「自由連想」と「解釈」によって展開されます。クライエント(分析主体)は自分の頭に浮かんだことをすべてそのまま話し、これに対してセラピスト(分析家)は何かしらのコメントを返していく。
 
一見、一般的なカウンセリングと何ら異なるところはないようにも思われますが、決定的に違う点がひとつあります。
 
ここで分析家が相手にするのは分析主体の「自我」ではなく「無意識」です。 分析家は分析主体の語りの端々に顔を出すーーー言い間違い、言い澱み、情動表現といったーーー「無意識の表れ」に注目する。
 
そして分析家は分析主体の語りを「理解」したり「共感」するのではなく、むしろその語りの「意味を切る」ことで、その裏に潜む思いもよらない何かに気づくきっかけを提供するわけです。
 

* 一般性と特異性

 
では、そのような精神分析の営みの先には何があるのでしょうか?これはすなわち、本書の言葉で言えば「特異性」の発現に他なりません。
 
「特異性」というのは「個性」とはまた違います。「個性」とは社会システムという「一般性」に認められる事で成立するものですが、「特異性」とは逆に「一般性」の中では受容されることの無い過剰な「何か」をいいます。
 
人は一人では生きていけません。人は「一般性」を手にする為の代償として、自らの「特異性」を手放さざるを得ません。
 
けれども、諸々の神経症的症状、あるいは漠然と感じる「生きづらさ」はこの「特異性の排除」という根源的な不満からくるものに他ならないわけです。
 
大事なのは「一般性」の世界を生きつつも「特異性」といかに上手くやっていくかという事です。すなわち、〈他者〉と繋がりつつも、〈他者〉から自由になるということ。これが、精神分析の目指す彼岸ということです。
 
もっとも、「本当に」その境地に至らんとするのなら、それこそ何年も精神分析の経験を経る必要があるわけですが、こうした「ラカン的な思考」は我々が日々「自らのあり方」を見つめ直し、様々な「捉われ」から自由になる上で有益な道標となるのではないでしょうか。
 

* 「それでよい」と言える生き方へ

 
「無意識の法の更新」「去勢のやり直し」「ファンタスムの横断」。表現の違いはあれど、その根底に一貫するのは「生き方の変革」であり「それでよい」と自己の在り方に心から納得できる根源的な自己肯定の営みです。
 
ラカンは「人の欲望とは〈他者〉の欲望」であるといいます。「〈他者〉の欲望」は人生の原動力でもあると同時に呪縛の原因ともなります。
 
終身雇用や年功序列に裏付けられた「良い大学を出て良い会社に入り幸せな家庭を築く」といった昭和的なロールモデルが崩壊し、誰しも程度の差はあれ「生きづらさ」を持つこんな時代だからこそ、今再び、ラカンは読まれるべきなのでしょう。