* はじめに
「ゼロ年代の想像力」で一世を風靡した気鋭の批評家、宇野常寛氏が震災直後の2011年7月に世に問うた労作。本書は戦後社会を「ビッグ・ブラザーの時代」と「リトル・ピープルの時代」の二つに切り分け、現代を生きるための「想像力」とは何かを問う一冊です。
* 「ビッグ・ブラザー」と「リトル・ピープル」
かたや「リトル・ピープル」とは村上春樹の小説「IQ84」に登場する超自然的な力を発揮する一種の幽体のことです。本書では「超国家的な資本と情報のネットワーク」の比喩として使用されます。
すなわち、近代において長らく世界と個人を規定していた「国民国家という幻想=ビッグブラザー」は政治の季節が極相を迎えた1968年以降、消費経済の成熟と共に徐々に機能不全に陥り、冷戦終結とバブル経済崩壊を経た1995年頃には完全にその機能を停止することになる。
そしてビッグブラザーの機能停止と入れ替わるように、グローバル資本主義とインターネットなどの情報環境の発展を背景に「超国家的な資本と情報のネットワーク=リトルピープル」が台頭し始める。以上が本書の基本的な時代認識となります。
* 理想・夢・虚構
1950年代までのビッグブラザーがまだ機能していた時代においては「高度経済成長」「アメリカン・デモクラシー」あるいは「ソビエト・コミュニズム」といった「イデオロギー」が「反現実」として機能していた。これを見田氏は「理想の時代」と呼びます
「理想」を失ったのち、人々は「架空年代記」や「最終戦争」といった「ここではない、どこか」という「虚構=仮想現実」を夢想する事でアイデンティティ不安を埋めあわせようとした。これを見田氏は「虚構の時代」と呼びます。
ところが1990年代、ビッグブラザーに成り代わりリトルピープルが台頭し始め、世界中が資本と情報のネットワークで接続されてしまうと「ここではない、どこか」という「虚構=仮想現実の依り代となる「絶対的な外部」というものにリアリティがなくなってしまう。
つまり「リトル・ピープルの時代」において、「虚構」は「反現実」として機能しない。この端的な現れが1995年の地下鉄サリン事件という事になります。
ではこの「リトル・ピープルの時代」あるいは「ポスト・虚構の時代」における「反現実=想像力」とは何か?
これが本書の問題意識であり、こうした観点からメインカルチャーを代表する作家である村上春樹と、仮面ライダーをはじめとした特撮・アニメといったサブカルチャーを比較考察するという非常にユニークな試みを展開しています。
* 「拡張現実」という想像力
本書が「リトル・ピープルの時代」と呼ぶ1995年以降の時代を、批評家の東浩紀氏は「動物の時代」として捉えます。
ここでいう「動物」とはロシアの哲学者アレクサンドル・コジューヴに依拠した概念で「人間的欲望」の欠如した「動物的欲求」のみを持つ存在のことです。つまり、東氏によれば、現代社会の人間像とは、個人の生の意味づける「大きな物語」への欲望より、記号的なキャラクターやウェルメイドなドラマへの「欲求」を優先させる「データベース的動物」であるということです
すなわち、大澤氏は現代における「反現実」として⑴例えば自傷行為のように「反現実」の機能を現実そのもので代替する「現実への逃避」、および⑵例えばフィルタリングのように危険性や暴力性を排除し現実を虚構化する「極端な虚構化」を挙げ、この矛盾する二つの傾向はともに「直接には、認識や実践に対して立ち現れることのない何か=不可能なもの」という点で共通しており、ゆえに現代はこの「不可能なもの」が反現実として機能する時代であるというわけです。
これらの議論に対して本書は「リトル・ピープルの時代」における「反現実」として「拡張現実」という概念を提唱します。
拡張現実。それは「いま、ここ」を多重化し、読み替え、深く潜っていく想像力のことです。
例えば、今日の朝ごはん、道端で見かけた花といった日常の生活風景がSNSなどで共感を集めたり、あるいは、なんでもない街角や路地裏が「アニメの聖地」になったり、また、文字通り日々の様々な「いま、ここ」に意識を向けていくマインドフルネス実践が医療やビジネスなど様々な分野で注目を集めたりするのは拡張現実的現象として理解できるかと思います。
* おわりに
けれども、世界中が資本とネットワークで接続された現代において「いつか革命が起きる」とか「やがて最終戦争が起きる」などとという「ここではない、どこか」はもうベタに信じることはできず、せいぜいメタかネタで演じるしかないわけです。
ありもしない「ここではない、どこか」を仮想するのではなく、まさにこの「いま、ここ」を拡張することで幸せの在処を見出していく。現代とはそういう想像力が求められている時代ということなんでしょう。前作を上回る圧倒的な射程範囲と情報量、読ませる文章力、迸るパッション。なかなか刺激的な読書でした。