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かぐらかのん。

日々のくらしのメモ帳です\(^o^)/

三州屋鳥豆腐風カンタン水炊き\(^o^)/

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水炊きってもっとたくさん具材を入れないと、っていう固定観念があったんですけど、鶏肉と豆腐と春菊だけでも結構、成立するんですね。
 
参考にしたレシピはこちら。
 
 
「三州屋」っていう有名な割烹居酒屋の看板メニュー「鳥豆腐」を再現したレシピだそう。
 


「三州屋」といえば、なんといっても「鳥豆腐(とりどうふ)」(450円)。

 ざっくりと言うと、鶏の水炊き1人前を、丼鉢によそって出してくれたようなもの。

 これをミニ小鉢で出してくれるポン酢醤油(+もみじおろし)につけていただく。

 食べ方もまさに水炊きそのものである。

 しかしその具材は、鶏もも肉と豆腐、そして春菊の3点のみと、とてもシンプル。

 逆に、シンプルだからこそうまいんだろうなあ。

 

 
で、上のレシピ通り作ると、1時間煮込んで一晩寝かせてスープを入れ替えてと・・・かなり時間がかかるので、簡略化してみました。ちゃんと作りたければレシピ通りに作りましょうヾ(゚д゚;) 
 
材料
 
・鶏もも肉(むね肉との抱き合わせでもOK)・・・200gくらい
 
・豆腐(木綿でも絹でも)・・・一丁
 
・春菊・・・2把くらい
 
・鶏ガラスープ・・・小さじ4くらい(あるいは味覇13センチくらい)
 
・水・・・500ml
 
・醤油・・・小さじ1〜お好み
 
・塩胡椒・・・適量
 
作り方
 
①鍋に水を張り、鶏ガラスープと鶏肉を入れ、アクをとりつつ煮込みます。その間に豆腐を切っておきます(大き目がオススメ)。
 
②煮立ったら豆腐を入れて、さらに10分程度煮込む。お好みで醤油、塩こしょうなどを加え味を整える。
 
③春菊は3〜5センチくらいに切って、ボウルに入れラップをかけて、500Wレンジで2分チン。食べるときに合わせます。
 
どっさり作ってその日食べる分だけ取り分けて、残りは1日冷蔵庫で寝かしておくと良いかも。
 
お弁当にもΣ(゚∀゚ノ)ノ
 
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残ったスープには鶏のエキスが濃厚に凝縮されているので、私は味噌汁にしたり、とり丼にしたりと、色々使いまわしています\(^o^)/
 
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いちばん使える鶏肉料理の便利帳 (タツミムック)

いちばん使える鶏肉料理の便利帳 (タツミムック)

 

 

 

ブルースフィンク「精神分析技法の基礎」を読んで。我々はいつも理解しようとするから誤解する。

 

精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際

精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際

 

 

本書はラカン精神分析の臨床技法を扱ったものです。そういうと、なんかものすごく専門的な狭い領域のように思えますけど、「臨床」っていうのはつまるところ、人と人の関係する場を言うのであって、精神分析やカウンセリングの場にとどまらず、日常的なコミュニケーションはもちろん、映像や文芸などの作品に触れることも広い意味では「臨床」です。
 
要するに誰もが日々是「臨床」であり、そういう意味では本書は極めて実用的なラカン本とも言えるかもしれません。
 
理解しようとするな
分析家は向こう見ずにも理解することとの関わりによって根本的に誤解するのですから。私は学生たちに繰り返し「理解しようとするな!」と言っています(ラカン)(14頁)
 
「無意識は言語のように構造化されている」「欲望は他者の欲望である」「性関係は存在しない」「女性は存在しない」などなど・・・人を煙に巻くような数々の悪名高い迷言で有名なジャック・ラカンですが、最も重要な臨床実践の面においても、あろうことに分析主体(クライエント)の話を「理解しようとするな」などとなかなかの放言ぶりです。
 
けれども、これはむしろ真理の一面を言い得ているというか、カウンセリングの基本原則であるロジャーズ3原則を裏面から照射しているところがあります。
 
ロジャーズ3原則というのはアメリカの心理学者カール・ロジャーズが示したセラピストの基本的態度のことで、大抵どのカウンセリングの入門書にもイロハのイのような位置づけで載っています。
 
1 無条件受容・・・相手の言動、想念、立居振舞など、その全人格を無条件に、ありのままに受け入れるということ。
 
2 共感的理解・・・相手の「いま、ここ」にある私的な内面世界を、「as if(あたかも自分の事の様に)」感じ取ること。そしてその「as if」という態度をどこまでも失わないということ。
 
3 自己一致・・・驚く時は驚き、喜ぶ時は喜び、悲しむ時は悲しむ、というように、自身の内的感情と外的表現のとの間に不一致がないこと。

 

けど、他人の悩みなんかをずっと聞いていると、どうしてもアドバイスしたくなることもあるでしょう。あるいは、どうしても同意できずにこちらのほうがだんだんイライラしてくることもあるでしょう。
 
「無条件受容」や「共感的理解」の観点からいえば、そういった内心は表に出すべきではないんですが、そうするとこれは「自己一致」に反する気がする・・・そういう疑問も湧いてきたりする。
 
こういうジレンマに陥ってしまうのは、我々が他人の話を、本書でいうところの「想像的次元」あるいは「意味」の水準で聴いているからであって、「象徴的次元」あるいは「シニフィアン」の水準で聴く限りは、無条件受容、共感的理解、自己一致が崩れることは理論上ありえません。
 
「想像的次元」において話し手と聞き手は「食うか食われるか」という愛憎入り混じる「双数関係」に立ちますので、ラカンが「理解しようとするな」と戒めるのはむしろ当然のことです。本当に理解すべきは話し手の「意識」ではなく「無意識」ということなんだと思います。
 
そのイライラは転移では?
 
ルフレッド・アドラーが説くところによれば「人生の悩みというのは畢竟、対人関係の悩みである」そうです。全部が全部そうかといえば異論もあるところですけど、対人関係というのは日々の暮らしの中でかなりのウェイトを占めているのは疑いないものです。
 
なので、アドラーは「劣等コンプレックス」に陥りがちな「縦の関係」という対人認知から脱却し、あらゆる対人認知を「横の関係」で捉える「共同体感覚」へのライフスタイル転換を推奨するわけです。
 
けれども実際問題、日々の対人関係において割と簡単に「縦の関係」に引きずられてしまうことも多いでしょう。誰かから理不尽な怒りを加減も無くぶつけられることもありますし、逆にこちらが誰かに対してどういうわけか無性にイライラしてしてしまうこともありますから。
 
この点、転移という概念はこういう対人関係における感情の揺れを結構キレイに説明できちゃったりするんですよね。
 
過去の何かを思い出させる分析家のある特徴に分析主体が出会ったとき、何が生じるのだろうか。たとえば分析家が眼鏡をかけることがときどきあって、分析家と分析主体がほぼ同年齢で、その眼鏡が分析主体の眼鏡に似ているとしよう。母親への分析主体の感情がいつも陽性であるなら、分析主体は分析家にそうした陽性感情を写して、セッションで分析家と協力して作業する期待できるだろう。逆に、母親への分析主体の感情が常に陰性であるなら、彼は分析家に陰性感情を移してセッションでは分析家に敵対するだろう(169頁)。
 
こういった過去の感情反復というのは分析治療の場に限らず、日常的な対人関係の間にも生じるとされています。こういう風な視点で、理不尽だったり不愉快だったりする出来事も受容的に捉えることができれば、簡単に「縦の関係」に陥らずにすむかもしれませんね。
 
精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際

精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際

 

 

四川風麻婆豆腐の決め手は「花椒」。

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麻婆豆腐といえば出来合いの「麻婆豆腐の素」でさっと作っちゃうのが普通なんでしょうけど、豆板醤や甜麺醤といった基礎調味料から作ると「味の構造」が把握できるので、自分好みに微調整できます。
 
いろいろ調べてながら作ったので、メモを残しておきます。
 
まずは軽く麻婆豆腐の歴史から。発祥は清朝末期で意外と歴史は浅いんですね。生みの親であるチャオチャオさんというのがあばたのある未亡人だったので「麻婆」と呼ばれたとのこと。
 
 
参考にしたレシピはこちら↓
 
 
にんにく、生姜はチューブの方がお手軽。それぞれ3センチくらい。唐辛子は輪切りだと小匙1くらい。豆板醤の比率はお好みで調整してみましょう。
 
オイスターソースを入れるのはどちらかというと広東風みたいですね。
本家本元・四川風は、甜麺醤(テンメンジャン)でコクと甘みを出し、花椒でしびれる辛さを効かせたパンチのある味。一方広東風は、辛みは豆板醤に任せて、オイスターソースとたまり醤油でコクと旨みを出した、ごはんや花巻に合う味です。
 
 
豆腐の水切りはいろいろ意見があるみたいですけど、私はする派ですね・・・水切りしておかないと後からどんどん水っぽくなってくるので。
 
水切りはしないでも1分湯通しした方が良いみたい。
豆腐を湯通しすると余分な水分が豆腐から抜けてくるだけでなく、豆腐の嫌な臭いも一緒に抜けてきます。臭いが抜けるのはお湯の浸透圧の影響で、真水と豆腐の中に入っていた水が入れ替わるからです。
 

麻婆豆腐に使う豆腐の水切りは必要?不要?

 
そして、本格的な四川風にするための決め手はやっぱり花椒(ホアジャオ)だと思います。よく花山椒と間違えられますが、花山椒というのは山椒の花の部位。山椒と花椒は別の植物なのです。
 
 
花椒も山椒も生物学の分類上は同じミカン科サンショウ属の落葉低木ですが、その種類と産地が異なりますので、同じ植物ではありません。
  • 花椒の木・・・ミカン科サンショウ属の華北山椒(カホクザンショウ)中国産地
  • 山椒の木・・・ミカン科サンショウ属の山椒(サンショウ)日本産地
 

花椒と山椒の違いについて | たべるご

 
花椒と山椒の違いを簡単に説明すると、中華料理と日本料理のどちらに使われるのか?という分け方が、一番わかりやすい区分です。
  • 花椒・・・中華料理(麻婆豆腐の味付け、唐揚げに添える花椒塩など)
  • 山椒・・・日本料理(うなぎの蒲焼にかける粉山椒、ちりめん山椒に入れる実山椒など)
花椒は果皮を乾燥させた香辛料として中華料理に、山椒は葉や実や果皮など様々な部位が薬味や飾りつけとして日本料理に利用されます。
 

花椒と山椒の違いについて | たべるご

 
花椒は麻婆豆腐以外に目立った使い道もないし、山椒で代用するのもアリですけど、山椒とはまた違うパンチの効いた個性的な辛味なので、本格的な味にしたいのであれば、花椒はぜひ入れてあげてください∩︎( ´∀︎`)∩︎
 
 

さくらフェス\(^o^)/

ameblo.jp

 

今日はエイプリルフールですが、そんなことよりも「カードキャプターさくら」の主人公・木之本さくらちゃんの誕生日ですね。 


さくらちゃんといえば「なんとかなるよ、絶対だいじょうぶ」の名言で知られていますけど、これ以上にシンプルで力強い響きもそうそうないですよね。本当に良い言葉だと思います。 


日々の暮らしで気が滅入った時に、自己承認のマジカルワードとして「なんとかなるよ、絶対だいじょうぶ」と、何気につぶやいてみる習慣というのもいいかもしれませんね。

向井雅明「考える足ー『脳の時代』の精神分析」を読んで。脳科学時代のアンチテーゼとしての精神分析理論。

 

考える足――「脳の時代」の精神分析

考える足――「脳の時代」の精神分析

 

 

メンタルヘルスの諸問題につき、何かにつけ「脳科学的には・・・」といえば、なんとなく納得してしまう昨今の風潮ではあります。
 
本書の言うところの「脳中心主義」とはすべてのこころの問題は脳の構造によって決定されているかの如き説明です。例えば、統合失調症の原因は中脳辺縁系におけるドパーミンの過剰分泌ないしグルタミン酸受容体の異常、うつ病セロトニンノルアドレナリンの不足、強迫神経症も遺伝子の問題である等々・・・けどそれは本当に果たしてそれだけなのでしょうか?これらの本書はこのような「脳中心主義」をラカン精神分析的観点から批判的に切り込んでいきます。
 
ラカン派の基本認識からいえばこの世界は3つの異なる位相が重なり合って構成されています。自然の一部としての現実界。言語によって構成される象徴界。感覚イメージから成る想像界。当然のことながら人のこころもこの世界の一部である以上、それぞれこの3つの位相に属している。フロイト第二局所論「自我・超自我・エス」の用語で言えば自我は想像界に、超自我象徴界に、エスは現実界に概ね帰属しているといえるでしょう(もちろん完全に対応しているわけではないですが)
 
この点、脳科学というのは神経科学の一分野であり、こころの問題を神経伝達物質の作用という「現実界」から捕捉するアプローチといえます。他方で(ラカン派の)精神分析はいわば「ことば」という「象徴界」の位置から対象 a という概念装置を通じて、「欲動」というやはり「現実界」を刺しとめて操作していくアプローチです。
 
そういう観点からいえば、「脳中心主義」の妥当性は兎も角としても、精神分析脳科学という領域自体は決して二項対立するわけではない。むしろ本書も述べているように両者のより活発なクロスオーバー、クロスリファレンスが期待されるところです。
 
昨今流行りのマインドフルネスが仏教思想をバックボーンに持ちつつも現代社会で急速に受け入れられている一つの理由として、脳科学的な洗練された説明が伴っている点があるように、現代において心理療法は「現実的なもの」を無視することは決してできないことは確かでしょう。
 
本書の著者、向井雅明氏はラカン精神分析の第一人者。同氏の手による「ラカン入門」はラカン理論の変遷を通時的に捉えた優れた教科書です。その文体はラカン派の中では極めてわかりやすく、ラカン派にありがちな独りよがりな「俺のラカン」になってない。むしろ「きちんと理解してもらおう」という著者の誠意すら感じます。これも理論と臨床に通じる著者の深い理解がなせる技なんでしょう。ラカン入門を補完する参考書としても最適な一冊。
 

花粉症対策にはβカロチン!レンチンで無限菜の花\(^o^)/

 

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旬の食材、菜の花。「ナノハナ」という特定の品種があるわけではなく、アブラナ科アブラナ属の食用の花の総称です。このカテゴリーはかなり広くて、セイヨウアブラナ(ナタネ)だけではなく、小松菜、水菜、青梗菜、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カブなんかもアブラナ科アブラナ属なんですね。あと大根はアブラナ科ダイコン属でダイコンの花は「白い菜の花」と呼ばれるとか。
 
ちなみにほうれん草は小松菜に似ているけどヒユ科ホウレンソウ属でのけものフレンズなのです(´;ω;`) 
 
話が逸れましたが、菜の花は開花のためのエネルギーを蓄えているので大変栄養価に優れています。β-カロテンはピーマンの5倍、ビタミンCはほうれん草の3倍以上、さらには腸内フローラ改善の鍵となる不溶性、水溶性食物繊維が豊富に含まれているのもうれしいです。
 
特にβカロチンは体内でビタミンAとして作用するので今の時期、花粉症対策にぜひ沢山摂りたいものです。βカロチンは脂溶性の栄養素なので油で和えるレシピがおすすめ。
 
そういうわけで、無限ピーマンのバリエーションを旬の食材、菜の花でレシピ化してみました。菜の花は茎が太いですがレンジでもいけます。レンチンすることでビタミンCを逃さないメリットがありますね。
 
用意するもの
 

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・菜の花・・・1パック
 
・ツナ缶・・・1缶
 
・ごま油・・・大匙0.5
 
・鶏がらスープ(味覇)・・・小匙1
 
・塩胡椒・・・適量
 
あとはお好みでゴマや鰹節など。
 
作り方
 
①菜の花を1㎝くらいにざく切り。ボウルに入れ、その上から調味料全てをのせます。塩胡椒は控えめに( `・ω・´)ノ
 
 

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②500Wレンジで2分。ちゃんと茎まで煮えます。あとは混ぜるだけ\(^o^)/
 

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アレンジ例として無限菜の花炒飯を作ってみました。今時珍しく旬以外はあまりお目にかからない食材なのでこの時期はできるだけ活用したいものですΣ(゚∀゚ノ)ノ
 

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藤田博史「人形愛の精神分析」〜深夜アニメのキャラはなぜ目が大きく鼻が小さいのか

 

人形愛の精神分析

人形愛の精神分析

 

 

人形を題材とした身体フェティシズム論というなかなか読み手を選ぶ一冊。表紙からしてフェティシズム感全開で実に素晴らしい。著者は精神分析家兼整形外科医。目、口、鼻、耳といった身体各部のパーツに対してラカン精神分析の観点からの考察が変幻自在に、まさに自由連想的に展開されていきます。
 
フェティシズムとは精神分析的に言えば倒錯の一形態です。人は正常な発達過程において去勢という母子分離を経ることで、言語を獲得し人間社会に参入するわけです。ラカンの分類法に従うのであれば神経症は去勢を経た人、精神病者は去勢を経ていない人をいいます。ところが、去勢という事実を知りつつも、これを否認するのが倒錯者です。そしてその一つの類型として、母親の代理物として身体の特定部位へ執着することがある。これがフェティシズムと呼ばれるものです。
 
例えば、この点、日本のいわゆる深夜アニメのキャラは目が大きく鼻が小さいという特徴がありますが、目は乳房であり、鼻は(象徴的な)ファルスを表しているとされますが、このようなキャラクター造形は明らかに去勢の否認という意味でフェティシズム的な表現といえるでしょう。
 
そういう意味で本書中盤に出てくるドラえもんの話は大変興味深いものがあります。「関節」とは「切断」されうる場所であり去勢を象徴する部位に他ならない。
 
然るに、ドラえもんの指のない丸い手は去勢された主体の象徴だともいえます。そう考えると、就学期前後におけるドラえもんとの出会いは日本における弱い父性原理を補完する意味合いをも帯びていると言えなくも無いということです。こういうな観点で、現代日本のサブカルチャーを考察してみるのもなかなか興味深いものがあります。
 
本書は講義の書き起こしなので一見口語体で読みやすいように見えますが、鏡像段階、父の名、疎外と分離、対象 a といったラカン精神分析テクニカルタームが当たり前のように使われているので基礎知識がないと厳しいかも。ただ数あるラカン本の中では読みやすい部類なのは確かなので、もし興味があれば、斉藤環先生の生き延びるためのラカンをざっと一読してからチャレンジしてみてはいかがでしょうか。