まず、今や伝説とも称される京都大学退官記念講義「コンステレーション」。コンステレーションの語義は「星座」ですが、ユング心理学では、様々な出来事が全体の中で関連を持って布置を生じてくることを意味しています。
ユングは、自己は人間の無意識内に深く存在するものであり、それを直接把握することは不可能だが、我々は意識内に投影される自己のある一つの側面をなんらかの人格あるいは象徴として把握することができるといいます。人格化の例として、老賢者、女神、少年少女など、象徴化の例として自然物、幾何学模様などが挙げられるでしょう。
そして自己がその全体性の回復に向かって相補性の原理と共時性の原理によって螺旋状の円環を描いていく過程を自己実現の過程といい、これがある局面において布置として現れることをコンステレーションというわけです。
コンステレーション自体はまさに「それ」としか言いようのない、瞬間的な閃きの様なもので、曼荼羅のような表現は、まさに世界を一つのコンステレーションとして読み切って表しているわけですが、これを言語化して「おはなし」として語る時、それは一つの「物語」として生じてくるのです。
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このような観点から河合氏は様々な古典文学の中に見出される「物語」に注目していきます。
「隠れキリシタンの神話の変容過程」では「天地始之事」を素材として、隠れキリシタンとして迫害されて来た人々が、聖書の物語を自分たちが生きて行くための「物語」として作り変えて行く過程が考察されており、「「日本霊異記」に見る宗教性」では、仏教の因果応報的な考え方が伝わる前の日本人の精神性を表す「物語」として「日本現報善悪霊異記」が考察されている。
また、「物語のなかの男性と女性ー思春期の性と関連してー」では、「とりかへばや物語」を手掛かりとして、自らの中にある異性像を通じて、自己の全体性を回復していく「物語」が考察されている。自らの中にある異性像とはユングで言うところの「アニマ(アニムス)」ですが、例えば、男性が自分の存在全体を回復したいと願うのであれば、それは女性の姿で出てくるのが一番わかりやすいわけです。
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そして、「アイデンティティの深化」においては、河合氏は米国の発達心理学者エリク・H・エリクソンの「主体的な個人として社会にコミットしていくこと」というアイデンティティ概念を引きつつ、そこにファンタジーの重要性を付け加えています。
もとより、自己実現とはまさに自分の中に潜む内的な闇との対決であり、夏目漱石の「道草」に描かれているように、あちらこちらへと寄り道する道草の道でもあり、それは巷で言われる「自己実現(笑)」のようなキラキラとしたものではなく、むしろ得体の知れないドロドロとしたものです。