かぐらかのん。

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向井雅明「考える足ー『脳の時代』の精神分析」を読んで。脳科学時代のアンチテーゼとしての精神分析理論。

 

考える足――「脳の時代」の精神分析

考える足――「脳の時代」の精神分析

 

 

メンタルヘルスの諸問題につき、何かにつけ「脳科学的には・・・」といえば、なんとなく納得してしまう昨今の風潮ではあります。
 
本書の言うところの「脳中心主義」とはすべてのこころの問題は脳の構造によって決定されているかの如き説明です。例えば、統合失調症の原因は中脳辺縁系におけるドパーミンの過剰分泌ないしグルタミン酸受容体の異常、うつ病セロトニンノルアドレナリンの不足、強迫神経症も遺伝子の問題である等々・・・けどそれは本当に果たしてそれだけなのでしょうか?これらの本書はこのような「脳中心主義」をラカン精神分析的観点から批判的に切り込んでいきます。
 
ラカン派の基本認識からいえばこの世界は3つの異なる位相が重なり合って構成されています。自然の一部としての現実界。言語によって構成される象徴界。感覚イメージから成る想像界。当然のことながら人のこころもこの世界の一部である以上、それぞれこの3つの位相に属している。フロイト第二局所論「自我・超自我・エス」の用語で言えば自我は想像界に、超自我象徴界に、エスは現実界に概ね帰属しているといえるでしょう(もちろん完全に対応しているわけではないですが)
 
この点、脳科学というのは神経科学の一分野であり、こころの問題を神経伝達物質の作用という「現実界」から捕捉するアプローチといえます。他方で(ラカン派の)精神分析はいわば「ことば」という「象徴界」の位置から対象 a という概念装置を通じて、「欲動」というやはり「現実界」を刺しとめて操作していくアプローチです。
 
そういう観点からいえば、「脳中心主義」の妥当性は兎も角としても、精神分析脳科学という領域自体は決して二項対立するわけではない。むしろ本書も述べているように両者のより活発なクロスオーバー、クロスリファレンスが期待されるところです。
 
昨今流行りのマインドフルネスが仏教思想をバックボーンに持ちつつも現代社会で急速に受け入れられている一つの理由として、脳科学的な洗練された説明が伴っている点があるように、現代において心理療法は「現実的なもの」を無視することは決してできないことは確かでしょう。
 
本書の著者、向井雅明氏はラカン精神分析の第一人者。同氏の手による「ラカン入門」はラカン理論の変遷を通時的に捉えた優れた教科書です。その文体はラカン派の中では極めてわかりやすく、ラカン派にありがちな独りよがりな「俺のラカン」になってない。むしろ「きちんと理解してもらおう」という著者の誠意すら感じます。これも理論と臨床に通じる著者の深い理解がなせる技なんでしょう。ラカン入門を補完する参考書としても最適な一冊。