かぐらかのん

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「お世辞を言う」のではなく「賛嘆する」と考えてはいかがでしょうか?

 
ある心理学の実験によれば「発言のほとんどで、根拠のないお世辞を言いまくった場合」と「発言の一部に、根拠のあるお世辞を盛り込んだ場合」と、「全くお世辞を言わなかった場合」で、最も相手の好感度が高かったのは最初の「発言のほとんどで、根拠のないお世辞を言いまくった場合」だったそうです。
 
なので、ひたすら上司や権威者の「ご機嫌取り」ばかりに血眼を上げる「イエスマン」な人々は、少なくとも心理学上は「正しい態度」を取っているということになります。
 
要するに、努力は必ずしも公正に報われることは無いわけです。本当に残念な事です。ですから「そんな世の中はおかしい!私は他人に媚を売るような真似はしたくありません!」と反発する方の気持ちはとても良くわかるつもりです。
 
それにやっぱり、どうしても真実を詳らかにして相手を正さなければいけないという絶対的な状況というのは必ずあると思います。そんな時に、躊躇なく利害を超えて自らの正義を実行できる人は、とても素晴らしいと思います。
 
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ただ「嘘は常備薬、真実は劇薬」という河合隼雄先生の名言が示すように、日常的などうでもいい些事においてまで、いちいち真実ばかり言っていると、お互いが劇薬の「副作用」に苦しむことになるでしょう。
 
そこでどうでしょうか?「お世辞を言う」のではなく「賛嘆する」と考えてはいかがでしょうか? より心理学的な言葉で言えば「鏡映自己対象」になってあげるということです。
 
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自己愛性パーソナリティ障害の研究で知られるハインツ・コフートは、われわれ個人の内面世界を「自己」と呼び、「自己」の幸福感は「自己」を取り囲む「自己対象」によって支えられるといいます。
 
「自己対象」の例として、自分を受け入れ賞賛してくれる「鏡映自己対象」、理想や憧れを投影できる「理想化自己対象」、自分に近い存在として親しみを感じる「双子自己対象」が挙げられます。
 
つまり、お世辞を言われた人にとって、お世辞を言ってくれる人というのは「鏡映自己対象」として「自己」を支えてくれるとても有難い存在であると言うことです。
 
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誰かの「鏡映自己対象」となってあげること。これを「お世辞」だと思うから抵抗感や罪悪感を感じるわけでして、そうではなく「賛嘆」だと思えば、むしろ積極的に実践したくなりませんか?
 
賛嘆とは手間もお金もかけることなく他者の幸福に貢献できる営みです。自らの正義を躊躇無く実行できる人が素晴らしいように、誰かを躊躇無く賛嘆できる人もまた同じ位、素晴らしいと思います。