かぐらかのん

心理学関連書籍、ビジネス書、文芸書の書評などを書いていきます。

「置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)」を読む。「愛されたい」から「愛してる」への生き方の転換。

 
昨年暮れに89歳で天寿を全うされた渡辺和子シスターの言わずと知れたベストセラーです。文章は論旨明晰。シンブルな言葉ながらその文体は凛としていて美しい。
 
渡辺和子さんという人は9歳だった昭和11年、あの二.二六事件において僅か1m先の眼前で陸軍大将だった父を惨殺され、その後18歳でカトリックの洗礼を受けるも、比較的奔放な20代を送り、29歳で修道会へ入会。そして36歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任するという、結構ジェットコースターな経歴の持ち主です。
 
正直、本書を読む前はマザーテレサのような公正無私な人格者をなんとなく想像していましたが、若くして学長になってしまったことによる周囲との軋轢、50歳からのうつ病骨粗しょう症に苦しんだ晩年など、それはそれで悩みや苦労も多かったようです。
 
タイトルの元となったのは若き学長として四苦八苦する渡辺シスターを見かねたベルギー人神父が贈った「Bloom where God has planted you(神が植えたところで咲きなさい)」という詩。
 
タイトルだけ見るとわりと誤解されがちですが「置かれた場所で咲く」とは現状を受容し艱難辛苦を耐え忍べという意味ではなく、人生を主体的に選択し、その決断の責任を引き受けるという能動的な生き方ということ。他人に左右されて置かれた環境の奴隷になるのではなく、むしろ置かれた環境の主人になること。それこそが自分だけの花を咲かせるということです。
 
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随所で強調される「笑顔」も「咲く」という一つの身近な実践といえるでしょう。チャームポイントとしての笑顔ではなく、思いやりの笑顔、自分自身の心との戦いとしての笑顔ということです。
 
笑顔を返せない相手こそ、笑顔を本当に必要としている人であり、「ほほえみ」を無視されたときはその「ほほえみ」は「神様のポケット」に入ったと考えればいいという渡辺シスターの「笑顔観」は、特に笑顔が苦手な人には参考になる点が多いでしょう。「神様」という概念にどうしてもなじめない人は「笑顔とは対人関係への投資」というふうに読み替えてみてはいかがでしょうか。
 
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こういう生き方は精神分析的観点でいえば「欲望の弁証法化」に相当するものでしょう。すなわち「何がなんでも私は〈他者〉に愛されたい」という「要求の主体」から「何があっても私は〈他者〉を愛している」という「欲望の主体」へと、自らの生き方を転換するということです。
 
もちろんそれは簡単に実践できるものではない困難な道には違いない。けど、いずれにせよ「本当の知」は理路整然とした机上の空論ではなく日々の泥臭い実践の中にあるわけです。先入観に囚われずに本書を読む時、この平凡で時に理不尽な日常を少しでも実り豊かなものとする為の多くのヒントを見いだすことができると思います。