* 日本哲学入門(藤田正勝)
日本における哲学の歴史は一般的にはPhilosophyを「哲学」という日本語に訳したことでも知られる西周が行った哲学講義によって始まったとされています。江戸幕府の洋学研究機関であった蕃書調所(のちの東京大学)の教授手伝並であった西は1862年(文久2年)に軍艦発注のために派遣された幕府の使節に随行し、オランダで法学や経済学と共に哲学を学び、明治維新後「育英舎」という私塾を開き1870年(明治3年)から「百学連環」という題目で哲学を含む学問全体を論じる講義を行っています。
やがて1877年に東京大学が創設された際には文学部に「史学、哲学及政治学科」が置かれ、1881年には独立した形での「哲学科」へと改編されました。この哲学科での教育に大きな役割を果たしたのがフェノロサやブッセやケーベルらの外国人教師であり、彼らの下からは近代日本を担う多くの人材が輩出されました。そして、このような受容期間を経て日本の哲学はついに自らの足で歩き始めます。そのことを示す記念碑的著作が1911年(明治44年)に公刊された西田幾多郎(1870〜1945)の『善の研究』です。
西田は旧制第四高等学校教授、学習院大学教授などを経て1910年に京都帝国大学文科大学助教授となり、1914年から1928年まで哲学講座の教授を務め、その独創的な思索の軌跡は「西田哲学」と呼ばれ、その周囲には田辺元、和辻哲郎、三木清、九鬼周造、戸坂潤を始めとした錚々たる人材が集まり、いわゆる「京都学派」と呼ばれる一大知的ネットワークが形成されました。
『善の研究』は西田の存命中も繰り返し版を重ねましたが、戦後も特に1950年に岩波文庫版が出て以来、幅広い層に読み継がれて多くの研究書も出され、現在では英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、中国語、韓国語など多くの言語にも翻訳されています。
しばし同書は東洋の思想、特に禅の思想を西洋哲学の術語を用いて表現し直したものであると言われることがあります。もちろん西田は東洋の思想、特に儒教や仏教について深い理解を有していましたが、実際のところ同書はこれらの思想を積極的に論じるものではありません。もっともその一方で同書が問題とした「実在とは何か」「善とは何か」「宗教とは何か」といった問題を自らの力で考えていこうとするときに、東洋の伝統的な思想もまた、西田にとって大きな手がかりとなったことは確かです。いわば「西田哲学」とは西洋と東洋の間で練り上げられた思索であるといえます。
⑵ 純粋経験とは何か
『善の研究』の「序」において西田は「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいというのは、余が大分前から有っていた考であった」と述べています。ここでいう「実在」とは「実際に存在するもの」「物事の真の姿」「最も確かなもの」といった意味で用いられており、こうした意味での「実在」を西田は「純粋経験」と呼びます。
西田は同書の第一編「純粋経験」の冒頭で「純粋経験」を定義して「純粋というのは、普通に経験といっているものもその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである」と述べています。
ふつうに「経験」という場合、そこでは既に何かを見たり聞いたりする「私」というものが想定され、その「私」が見たり聞いたりする「対象」とのあいだに認識が成立するという枠組みが知らず知らずに作り上げられています。例えば「花を見る」というような「経験」においては、見ている「私」と見られている「花」というように、すでに主観と客観が分離しており、そこには先入観や判断といった「思慮分別」が入り込んでいます。しかしそれは西田のいう「真に経験其儘の状態」ではありません。すなわち、西田は主観と客観の二分法という反省が加えられる以前にある主客未分の「純粋経験」こそがこの世界の「実在」に他ならないといい、このことから「純粋経験の事実は我々の思想のアルファであり又オメガである」と述べています。
このように主客未分の純粋経験などというと何か神秘体験のような特異な体験を連想してしまいますが、西田のいう「純粋経験」とは日常生活からかけ離れたものではなく、むしろ生活の至るところに生じるものであるとさえいえます。そして、こうした「純粋経験」から「私」という自己が生まれてきます。「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的である」と西田はいいます。すなわち「私」という意識は「純粋経験」に主観と客観の区切りを入れることで生じるものであるということです。そして『善の研究』において西田はこのような「純粋経験」の立場から人の精神生活における根本問題である「善」や「宗教」を論じていきます。
本書は西田哲学のみならず日本哲学全体の入門書となっています。それゆえに本書では西田以外にも多くの哲学者や思想家が登場します。この点、本書は日本哲学の魅力やおもしろさをより上手く読者に伝えるという意図から、日本における哲学の歩みを単純に明治から現代まで時間軸に沿って見ていくのではなく、読者にとって比較的身近なものといえる「経験」「言葉」「自己と他者」「身体」「社会・国家・歴史」「自然」「美」「生と死」という8つのテーマを設定し、それぞれの問題について日本の哲学者や思想家がどのような思索を重ねたか、そこにどのような特徴があるかを概観していきます。
その一方で本書は「哲学」とは普遍的な真理を探究する学問であるはずなのに、そこに「日本の」という形容詞を付ける意義は果たしてどこにあるのかという、それ自体が哲学的ともいえる問いを扱っています。
確かに哲学はその成立以来、普遍的な真理の探究を目指してきた学問です。けれどもギリシアの哲学にせよドイツの哲学にせよフランスの哲学にせよイギリスやアメリカの哲学にせよ、それぞれの哲学はそれぞれの言語を用いそれぞれの文化や伝統の枠組みのなかでなされてきた営みであったこともまた確かです。そうである以上、こうした言語や文化や伝統といった諸制約から哲学は決して自由ではありません。
しかしまさにそれゆえに、異なる言語や文化や伝統を背景とした様々な哲学同士が対話を行う上で、日本語で思考し、日本の文化や伝統のなかで成立した日本哲学は哲学の豊かな発展に大きく寄与することができるともいえます。そして、こうした意味における日本哲学の誕生を告げる哲学書こそが西田幾多郎の『善の研究』であったことは疑いがないでしょう。
* 西田幾多郎(櫻井歓)
⑴ 純粋経験から自覚へ
本書は西田哲学の全体像を簡明に概観できる一冊であると同時に、西田の思想を手がかりとして様々な分断が加速する現代社会をいかに生きるかを考える一冊でもあります。先述の通り西田は『善の研究』において一切のものを「純粋経験」という観念で説明しようとしますが、同書において西田は感覚や知覚といった直接的経験のみならず、意味や判断といった反省的思惟もまた純粋経験であるといっています。けれども論理的に考えればやはり反省的思惟は明らかに主客の分離を前提としており、厳密な意味での純粋経験とはいえず、反省的思惟は純粋経験にとっては外なる契機であると言わざるを得ません。それゆえ純粋経験と反省的思惟を結合する更なる原理が求められることになり、さらにそうした原理は経験(直観)と思惟(反省)を自己のうちに含んだものであり、それらを自発的な自己の発展の二つの契機とするようなものでなければなりません。
こうしたことから西田は1917年に発表した『自覚に於ける直観と反省』において「自覚」という観念を提示しました。同書では『善の研究』における「純粋経験」に相当する状態を「直感」と呼び、この直感を外側から主観と客観の二分法で捉えた状態を「反省」といい、この両者の関係を「自己の中に自己を写す」という「自覚」という概念で捉えています。
西田はこのような「自覚」の観念を形成する際、ジョサイア・ロイスの「自己表現的体系」の思想からヒントを得ています。ロイスのいう「自己表現的体系」とは一切の自己の思惟を完全に自己自身の思惟として意識している「完結した自己」のことです。そしてそうした自己の事例として彼は英国にいて「完全なる英国の地図」を描く場合をあげています。英国にいる人間が英国の完全な地図を写すには、地図を写している当の自分自身も地図の中に書き込む必要があり、そして何より自分が写してる地図自体もそこに書き込む必要があり、さらにその「地図の中の地図」もやはり「完全な地図」でなければならないことから、地図の中に地図を写す作業が果てしなく続いていく事になります。
このように「自覚」においては反省が直観を生み直観が新たな反省を生み自己は無限に発展していくものとして捉えられています。こうした「自己が自己を写す」という自己写像的発展としての「自覚」の概念によって西田はいっさいの学問体系を基礎づけようとしました。
⑵ 意識的自覚から場所的自覚へ
ところが、この「自覚」の観念から様々な学問体系を基礎づけようとするとき、論理的体系や数理的体系のような理念的体系を説明する場合は順調に行きましたが、そこから現実の経験的諸体系を説明しようとする段にあると様々な問題が生じてきます。こうしたことから、この問題を解決しようとして試行錯誤を繰り返した西田は問題はいっさいの反省的意識の根源である「意識する意識」をどう捉えるかという問題に尽きるという結論に到達しましたが、当の「意識する意識」を反省的意識の立場から捉えることの不可能を悟り、結局そうした反省的意識の極限として「自覚の自覚」としての「絶対的自由意志」の立場に行き着きました。
ここでいう「絶対的自由意志」とはあらゆる思惟の極限であり、あらゆる意識を超越した「意識する意識」であり、反省的思惟を超越するとともに反省的思惟を成立させる根拠であり、ア・プリオリのア・プリオリです。そして世界はこのような「絶対的自由意志」の自覚的体系として位置付けられることになります。もっともこのような「絶対的自由意志」というのは一種の極限概念であり神秘主義的傾向の極めて強いものでもありました。この辺りの経緯を西田自身「刀折れ矢竭きて降を神秘の軍門に請うたという譏を免れないかもしれない」と率直に述べています。
そして西田が「絶対的自由意志」をさえも自己のうちに包むものとしての「場所」の観念に到達するのは『自覚に於ける直観と反省』を上梓してから実に10年近くも経ってからです。この間、西田はもう一度、哲学を古代ギリシアから学び直そうと決心し、その過程でプラトンの『ティマイオス』における「コーラ」の概念からヒントを得て「場所」の思想に到達しました。それは「自覚」の概念の更なる展開であり、ここに西田の哲学的思索は一つの完成を見ることになります。
⑶ 絶対無の場所
1927年に発表された『働くものから見るものへ』において西田は「有」を根本とする西洋文化に対して、東洋文化の根底にはいわば「無」の考え方が潜んでいるとした上で、この「無」という考え方を「場所」という概念に結びつけて論じています。
まず西田によれば我々の世界を構成する事物はもちろん、我々が生きている時間や空間も「有」です。つまり形あるもの、対象化できるもの、意識できるもの、これらはすべて「有」です。これに対して、形もなく、対象化もできず、意識もできないものが「無」です。そして西田の考え方は「有」であるすべてのものの根底に「無」を考える立場であり、その極限に想定されているのが「絶対無の場所」と呼ばれます。
ここで西田は「あらゆる物事は何らかの場所に於いてある」と考えます。ここでいう「場所」とは空間に位置を占める物理的な場所にとどまらず「AはB」であるといった判断が成立する論理的な場所、さらにそれら物理的な場所や論理的な場所を意識する際の意識という場所など、多様な意味を含んでいます。
この点、西田は「場所」の思想を論理化するにあたって判断における主語と述語の関係と概念における特殊と一般の包摂関係を手がかりにしています。一般に人の認識とは「SはPである」という主語と述語からなる判断によって成立します。そしてこうした判断の典型は包摂判断であって、あらゆる判断は包摂判断に還元されるといわれています。しかるに包摂判断とは文字通り「特殊」である主語(例えば人間)を「一般」である述語(例えば動物)のうちに包摂する判断です。つまり「SはPである」という判断はSという特殊なものがPという一般的なものによって包摂されることを意味しています。西田はこのような包摂判断において述語Pは主語Sがそこにおいて存在する「場所」という意味を持っています。
このような西田の「述語の論理」はアリストテレスによる「主語の論理」にヒントを得て考えられたものです。アリストテレスは「主語となって述語とならないもの」を「基体(個物)」と考え、述語は主語に所属する様々な性質として捉えらていました。これに対して西田はこのアリストテレスの発想を逆転させ「述語となって主語にならないもの」を考えたということです。
我々の思考内容は例えば「『◯◯』というのは私の意識である」というようにことごとく「私の意識」を述語として判断することができます。つまり「判断」という立場から「意識」を定義するなら、それはどこまでも「述語となって主語とならないもの」ということができます。
こうした意味で「『◯◯』というのは私の意識である」という「意識された意識」を「意識する意識」はどこまで行ってもたどり着くことができません。「「「『◯◯』というのは私の意識である」というのは私の意識である」というのは私の意識である・・・」というメタレベルの判断が無限に反復されるだけに過ぎません。そしてこのような包摂判断における一般的方向、述語的方向をどこまでも押し進めていった先に想定される極限的なメタレベルである「述語となって主語にならないもの」こそが西田のいう「絶対無の場所」に他なりません。
このような自己の極限にある「絶対無の場所」とはある種の宗教的境地ともいうべき根源的事実です。しかしこのような根源的事実そのものはただ体験されるだけであって、このような境地そのものを我々は識ることはできません。それは純粋経験そのものを識ることができないのとパラレルです。
けれども、こうした根源的事実そのものを識ることはできずとも、そうした体験を思惟によって反省し、概念的知識の対象にすることはできます。確かに体験は反省に先立っていますが、しかしそうした体験の内容はそれを反省することによって初めて詳らかになります。「純粋経験」から「絶対無」へと至る西田哲学の思索の軌跡はまさにこうした哲学的反省の軌跡として跡付けることができるように思います。
* 西田幾多郎の生命哲学(檜垣立哉)
⑴ 生命論としての西田哲学
本書は現代におけるアクチュアルな哲学的課題でもある生命論の視点から西田哲学を読み直す一冊です。この点、本書は序章において「西田幾多郎には、およそ哲学者が魅力的であるための条件がすべてそなわっている」といい、その「魅力」として「到底まっとうに読みこなせない奇怪な文体、固有なジャルゴンやいい回しの無神経なほどの乱用と繰り返し。そして、彼をとりまく人々の、今となっては異様ともみえかねない熱狂。目新しい海外思想のたんなる輸入や受容ではない、本邦初の独自の思索という過剰なまでの期待と賛辞」「それに何よりも、幾度にも及ぶ自分の思考の書きなおし。徹底的な立場の変更。にもかかわらず、つねに同一のテーマを、いささか読む側が呆れ果ててしまうほどまでに何度も何度も反復しながら書き連ねる強靭さ。それでいて、興味が赴くままに多様な領域に自己の思考を展開していく、まさに脱領域的ですらある奔流のような知性。京都帝国大学退官後、年齢的には老年期にさしかかってからのテクスト群の膨大さ。だがそこでさえ、幾度も自分の立場をさまざまに変更しながら、しかしあいも変わらず同一の問題を追究しつづけるという欲望としての思考」を挙げています。
そして、本書はこうした魅力は西田が「生命」について徹底的に考え抜き、自身の思考のモデルをつくりあげたことから生じてくるといいます。こうしたことから本書は20世紀の「生の哲学」の潮流を代表する哲学者であるアンリ・ベルクソン(1859〜1941)とその批判的継承者であるジル・ドゥルーズ(1925〜1995)を伴走者として「生の哲学」の展開者しての西田の思考を読み解いていきます。
ベルクソンは西田とほぼ同時代を生きたフランスの哲学者です。その著作は「純粋持続」という概念から時間と自由を論じた『意識に直接与えられたものについての試論』(1889)、心身問題を焦点に置きながら独自の「純粋記憶」の理論を展開させた『物質と記憶』(1896)、当時の進化論についての知見をもとに「エラン・ヴィタール(生の跳躍)」としての生命のあり方を思考した『創造的進化』(1907)などがあり、これらの著作を通じてベルクソンは一貫して流れとして存在する生命的なもののあり方を存在論的な水準で明らかにしようとしてします。
ドゥルーズは20世紀後半に活躍したフランスの哲学者です。『アンチ・オイディプス』(1972)や『千のプラトー』(1980)などで示されたその思考はポストモダンの文化論や資本主義に関する議論と捉えられがちですが、初期の著作である『ベルクソンの哲学』(1966)や哲学的意味における主著である『差異と反復』(1968)にみてとられるように彼の思考の核心にはベルクソン的な「生の哲学」の徹底した継承者であるという側面があります。ドゥルーズは「差異」「潜在性」「異質性」「多様性」「分化」といった術語をベルクソンから引き継ぎながら、ベルクソンの議論の限界を問いつめることによって、それを現代的な生成の存在論へと書き換えていきました。
このように本書はベルクソンやドゥルーズの「生の哲学」との連携を取り上げることで西田の思考を生命の哲学として描いていきます。本書が述べるように西田の哲学の特徴は彼が同じことをめぐってさまざまな仕方で議論を展開したことにありますが、それは畢竟「生きている私と、生成しゆくこの世界とは何であるか」というひとつの根源的な問題へ接近する方法を執拗に変更していったことにほかなりません。こうした視角から生命論としての西田哲学が浮かび上がることになります。
西田によれば「純粋経験」とはまず「感覚」や「知覚」によって捉えられ、このような「感覚」や「知覚」は「現在」に結びついています。つまり「純粋」であることとは「現在」であるということです。そしてこのような「現在」が拡張された「流れ」の運動として「純粋経験」は「知覚の連続」としての「体系」へと展開されることになります。
このように「現在」を「流れ」として捉える「純粋経験」の議論はベルクソンのいう「純粋持続」に近接します。ベルクソンのいう「純粋持続」とは量的な並置として記述されるような空間的な場面に還元して語られる客観的な時間の数え方(時計の時間)に対比させて、いわば質的な生きられた時間(体験の時間)をリアルな時間の経験として語るため導入された概念です。ここでベルクソンは「純粋持続」という「現在」の「流れ」を例えば音楽のメロディーのように分割不可能で相互浸透的に結びついた「異質的な連続性」の「体系」として規定します。
こうした意味で西田の「純粋経験」も無差別的に融解した事態ではなく「異質的な連続性」という「差別相=差異」を備えた一連の運動をもった「体系」を備えています。そしてこのような「純粋経験」に内在する「差別相」は「潜在的」と形容されます。すなわち、ここで「純粋経験」とは差異を含みこむ潜在的な力の様態としての「内面的潜性力」として捉えられているということです。しかしその一方で「純粋経験」は分割不可能な「流れ」である限り、原理的にその「範囲」は無限に広がっていくことになります。そして『善の研究』において西田はこのような「現在」の単純な拡張である「無限」の「全体」を「一者」として名指しています。
このような意味で西田の「純粋経験」とは、いうなれば「要素」に対して「関係性」を優位に置く有機体的生命論のバリエーションであるといえます。それゆえに、その「関係性」としての「全体」をひとたび「一者」として実体化させるとそれはたちまち「全体=一者」が「個」を規定するホーリズムに陥ってしまいます。そこで『善の研究』以降、西田はこうした「全体=一者」というアポリアをいかに乗り越えるかという課題を中心にその思索を展開していくことになります。
例えば「純粋経験」の更なる展開としての「自覚」とは「純粋経験」に即応しながら「純粋経験」の体系を現実化してそれを流れとしてさらに展開していく働きをいいます。これはベルクソンでいう「分離」の問題系に通じています。そして「純粋経験」の底部に存在する「基盤」を西田は「場所」と名指し、その階乗化された「場所」の最底部に「絶対無の場所」を置きました。これもやはりベルクソンにおける「純粋記憶」とパラレルな関係にあるといえるでしょう。
⑶ 行為的直観と絶対矛盾的自己同一
ところが西田のいう「絶対無の場所」は京大において西田の後継者的立場にあった田辺元から批判を受けることになります。田辺は「西田先生の教を仰ぐ」という論文で述語論理をめぐって展開されるその成果の独創性を、ある意味でドイツ観念論の展開を引き受け超えるものであると評価しつつも、西田のいう「絶対無」という発想は西田独自の宗教的体験に過ぎず、西田の議論はノエシス的方向に展開されながらもそれ自身は語り得ない「一者」から全てが階層的に発出する一種のプロチノス主義ではないかと述べ、それはもはや哲学の議論ではないといいます。
これに対して西田は1932年に発表した『無の自覚的限定』において田辺の批判にある程度答えています。ここでも西田は「絶対無」という発想を手放すことはありません。しかし同時にはっきりと「絶対無」の位相を変更していくことになります。ここで「絶対無」は垂直的な底としての彼方ではなく「死」や「他者」といった「非連続の連続」として彼方にありつつも「いまここ」に介入してくるものとして提示されることになります。このような「絶対無」をめぐる西田の思考の大きな転回はベルクソンの時間論を乗り越えて生成の現場そのものに向かおうとするドゥルーズの議論と共鳴するものがあります。
こうして西田は晩年における膨大な論文群の中で「絶対無」を破断的に内在させた「個物」からなる世界のあり方を様々な角度から描き出すことになります。この時期の西田は「個物」における相互限定からなるポイエシス的作用を「行為的直観」と呼びます。このような「行為的直観」において「個物」は自己が何であるかを「個物」相互の関係によって決定し、そうしながら世界や他の「個物」そのものが何であるかを規定していくことになります。
こうした「個物」の範例といえる存在が「生命」です。すなわち、ある「個物=生命」とはその内的-外的な環境によって「作られるもの」でありながらも、同時にこの「個物=生命」はその内的-外的な環境をポイエシス的に「作るもの」でもあるというそれ自身まさに矛盾の同一を示す境界になっているということです。ここから「身体」「歴史」「種」といったこれまで西田にとって語られてこなかったテーマ群が「個物」にとっての具体的な「媒介者」として次々と現れてくることになります。
そして西田はこうした「個物」が「行為的直観」によって相互限定する世界全体を「絶対矛盾的自己同一」として描き出します。この点、西田は「多の一」としての世界を「機械的世界」と捉え「一の多」としての世界を「合目的的世界」と捉えています。ここでいう「機械的世界」とは「個物的多(原因)」が「全体的一(結果)」を帰結する機械論的世界観であり「合目的的世界」とは「全体的一(目的)」へ「個物的多(手段)」が収束していく目的論的世界観です。
けれども西田は「行為的直観」の場面である「個物」と「個物」との相互限定の世界を「他の一(機械論的世界観」でも「一の多(目的論的世界観)」でもない、むしろ「一(内包)」と「多(外延)」がそのままに結びついていく世界として描き出します。これが「絶対矛盾的自己同一」という世界です。
そして、このような「絶対矛盾的自己同一」としての世界は我々の前に「課題」として与えられていると西田はいいます。すなわち「生きる」とは畢竟、こうした「世界=課題」を解き続け、その時その場所その都度における色とりどりの「解答」を示し続けていくということに他ならないということなのでしょう。
* 西田幾多郎の哲学(小坂国継)
⑴ 西田哲学の根本課題
本書は「自覚」という観点から西田哲学の全体を貫く根本課題を論じる一冊です。ここまで述べてきたように西田は主客未分の「純粋経験」を唯一の実在とする立場から出発し、その後「純粋経験」を外側から捉え返す「自覚」を経て、その基盤となる「場所」の根源としての「絶対無」へと到達し、さらにここから「絶対無」を破断的に内在させた「個物」の「行為的直観」が織りなす「絶対矛盾的自己同一」としての世界を描き出すことになります。
このように様々な変転を遂げたかに見える西田哲学の枢要部には一貫して変化していない要素があると本書はいいます。それは一言でいえば「真正の自己の探究」です。本来の自己とはいったい何であるか、あるいは自己の根底や在り処は何であるのか。そのことの解明が西田哲学の根本課題となっています。こうした意味で西田哲学とは真正な自己に目覚める「自覚」の深化の過程として捉えることができます。
西田によれば、ここでいう「自覚」とは「自己が自己を見る」と定義されます。この点「純粋経験」とはさしずめ自覚が自覚として自覚される以前の「直覚的自覚」であるといえます。「自己が自己を見る」には「見る自己」と「見られる自己」が区別されなければなりませんが、そうした区別が生じる以前の厳密な統一的意識現象が純粋経験ということです。
もっとも哲学は反省的思惟の立場においてはじめて成立するため、知的直観としての純粋経験はそれが分別的思惟によって反省されることによってはじめて認識の対象となります。それゆえ「純粋経験」の立場は必然的に「自己が自己を見る」という「意識的自覚」の立場へと展開していくことになります。そして、そのような意識的自覚の究極的な境地を西田は「絶対的自由意志」と呼びました。
そしてこのような「意識的自覚」の次の段階が「自己が自己において自己を見る」という「場所的自覚」です。ここでいう「場所」とは「自己において」という部分を指しています。この点、西田は場所を「有の場所」「意識の野(対立的無の場所)」「絶対無の場所」に分類しました。これは三種類の異なった場所があるのではなく「有の場所」は「意識の野」に包まれ「意識の野」の極限に「絶対無の場所」があります。あるいは「有の場所」も「意識の野」も同じく「絶対無の場所」の顕現であるともいえます。そして、こうした「絶対無の場所」における「絶対無の自覚」を西田は「見るものも見られるものもなく色即是空空即是色の宗教的体験」であるといいます。
さらにここから西田の思索は真正の自己の本体ともいうべき「絶対無」の自覚的限定の諸相としての歴史的現実界へと向かい、その世界構造を「行為的直観」からなる「絶対矛盾的自己同一」として描き出しました。ここに至ってはもはや自己の自覚は同時に世界の自覚であり、また世界の自覚は同時に自己の自覚となるのであり、自己は世界の一要素であるとともに世界全体を表現するものであるとされます。
⑵ 逆対応と平常底
西田の最晩年の思想は一般的に「逆対応」の論理と呼ばれています。これは西田が逝去した1945年に執筆された遺稿「場所的論理と宗教的世界観」において展開されたものです。同論文は当初は浄土真宗の信仰に哲学的基礎を与えようと企図されたものでしたが、執筆の過程で、ただ単に浄土真宗だけでなく、広く宗教一般に通用する論理であることを確信し、禅宗やキリスト教をも含めたすべての信仰に内在する論理として提示されています。同論文においては超越者を表す言葉として、従来の絶対無という言葉に代えて「絶対的一者」という言葉を多用しているのものそのことと関連があると思われます。
ここでいう「逆対応」というのは自己と超越者、あるいは相対と絶対との間の宗教的関係をいいます。西田によれば例えば神と人間、仏と衆生といった自己と超越者の間には相互に自己否定的な対応関係が認められます。この点、宗教においては一方の自己の救いを求める声に対して、他方の超越者からの応答がありますが、ここには自己の側の悲痛な声が強ければ強いほど、また真剣であれば真剣であればあるほど、超越者からの呼びかける声は強くなり確実なものとなり、自己の救済がますます確信されていくという信仰の構造があります。このような絶対と相対との間に見られる宗教的関係を西田は「逆対応」と呼びました。
この逆対応の論理は西田の遺稿において初めて現れたものですが、その論理構造は基本的には絶対矛盾的自己同一における「絶対矛盾的」という要素が宗教的な意味において深められたものと考えて差し支えないでしょう。これに対してその「自己同一」的側面を表示しているのが「平常底」という概念です。「逆対応」と「平常底」は一対の概念として理解されなければなりません。
⑶ されど空の青さを知る
「逆対応」が絶対と相対との間の宗教的関係を表しているのに対して「平常底」は回心や見性に特有の宗教的立場ないし境地を表しています。それは平常の生活を超越した境地をいうのではなく、むしろ日常の生活を、その底の底に突き抜けたような境地や態度をいいます。そこに人間本来のあり方が見られ、何ものにもとらわれない自由自在な境地があると考えられます。
「平常底」は歴史の始まりと終わりが現在のこの一瞬に収斂する絶対現在の自己限定として自己自身を自覚する立場です。西田はそれを「絶対現在意識」といい「終末論的平常底」と表現します。それは決して日常性を離れることなく、むしろ日常的生の底に徹した立場であり、いわば時間的な面と場所的な面、水平的な横軸と垂直的な縦軸との交差点にあり、したがって最深にして最浅、最遠にして最近といわれます。このような絶対現在の自己限定の世界が歴史的形成の世界であり、同時に宗教的救済の世界であるということです。西田は同論文を「国家は、此土に於いて浄土を映すもの」でなければならないという言葉で結んでいます。
西田が辿り着いた最終的な「自覚」の境地としての「平常底」とは、いわばこの平凡な日常が巨大な井戸の底であるという、水平即垂直の境地と呼ぶべきものでしょう。この点「井戸の中の蛙大海を知らず」という有名な諺の由来は中国の「荘子-秋水篇」の一節「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」にありますが、よく知られるようにこの箴言は日本に伝わった後「されど空の青さを知る」という一節が付け加えられました。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは一般的に「無知の知」という言葉とともに知られていますが、近年において「無知の知」という言い方は誤りで、正しくは「不知の自覚」であるといわれるようになりました。『ソクラテスの弁明』には「私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っている」という有名な一節があります。すなわち、自分が「知らないと思っている」ことを相手との対話を通じて絶えず検証し続けていくという営みこそがソクラテスが始めた哲学であったということです。
そうであれば、こうした意味において西田のいう「平常底」もまた「井戸の中の蛙」でしかない有限の自覚において「空の青さ」という無限を仰ぎみる「不知の自覚」としての哲学の根源を語っているように思われます。
* 善の研究(西田幾多郎)
西田の前半生は意外と波乱に満ちたものとなっています。金沢の旧制四高をその校風に反発して中退した西田は、1894年に東京帝国大学の選科生(現代でいうところの聴講生)を修了後、しばらく地方の尋常中学や旧制高校の講師職を転々として、ようやく機縁を得て四高教授となりますが、その間、実生活において妻との離別、自身の病、娘の夭逝といった数々の受難が降り掛かります。そして1910年、40歳の時に京都帝国大学助教授へ唐突に抜擢された西田はその翌年、旧制高校での講義録をもとにした1冊の本を弘道館という版元から公刊します。これが後に日本哲学史に巨大なインパクトをもたらすことになる記念碑的著作『善の研究』です。
本書は当時、無名の哲学徒の書いたものとされ、ほどなくして絶版の憂き目を見ることになりますが、大正期に一世を風靡した評論家の倉田百三(1891〜1942)が本書の一節を引用したことが契機となり再版を求める声が殺到し、1923年に本書は版元を弘道館から岩波書店に移して再版され、増刷に増刷を重ね、紙型が磨滅するほどに刷られたそうです。さらにその後、戦後発売された本書を第1巻とする岩波書店の全集は発売日前から購買者が列をなしたという伝説が残っています。また1950年に本書は岩波文庫の一冊として出版され、この文庫本は2006年の時点で94刷を重ねており、おそらくは100万部前後刷られているといわれています。
本書は旧制高校の講義録が母体となっていることもあり、難解なことで知られる西田の著作群の中でも比較的読みやすい著作といわれますが、やはり初学者が独力で読み抜くのはかなりハードルの高い哲学書であることには変わりはありません。このようなハードルを大幅に下げてくれる一冊が講談社学術文庫版の『善の研究』です。同書には先に取り上げた『西田幾多郎の哲学』の著者である小坂氏による詳細な注釈と解説が付されており、初学者にとっても優しい構成となっています。
⑵ 実在としての純粋経験
『善の研究』は第一編「純粋経験」、第二編「実在」、第三編「善」、第四編「宗教」の四つの部分からなっています。その第一編「純粋経験」では先述のように純粋経験の諸相が論じられており、続く第二編「実在」ではそのタイトルの通り「実在」としての純粋経験が論じられています(この第二編において純粋経験はもっぱら「意識現象」と呼ばれていますが、この用語法の違いは本書は第二編の方が先に執筆されたという事情によるものです)。
ここでの議論を要約していえば意識現象(純粋経験)こそが唯一の実在であっていっさいのものは意識現象の発展の諸相であるということです。その発展の仕方はまず全体が含蓄的に現れ、それよりその内容が分化、発展し、その分化、発展が終わった時、実在の全体が実現されるということです。
まず唯一の実在たる意識現象(純粋経験)は不断の活動であって常に分裂と統一を繰り返しながら発展しています。ここで分裂は統一を生み、統一は再び分裂を生むことになります。そしてこうした意識の内面的発展における分裂の状態のとき、意識現象は統一的方面(主観)と被統一的方面(客観)に分かれます。そして統一的方面は精神現象と呼ばれ、被統一的方面は自然現象と呼ばれます。
つまり、統一的方面の極限にいわゆる「精神」と呼ばれる実体の存在が想定され、被統一方面の極限にいわゆる「自然」と呼ばれる実体の存在が想定されることになります。しかし「精神」という実体はどこにもなく、また「自然」という実体もどこにもありません。それどころかおよそ実体などというものはどこにもなく、あるのはただ現象だけに過ぎません。いわば現象が現象自身を支えているということです(こうした事態は後期の西田哲学においてノエシスのノエシスという用語で説明されることになります)。
⑶ 純粋経験の極致としての「善」
『善の研究』第三編「善」では純粋経験の立場から道徳や倫理の問題が論じられます。最初に行為や意志や価値のような倫理学上の主要概念についての説明が行われ、ついで古代から現代に至るまでの主要な倫理学説についての解説と批評が行われ、後半では西田自身の倫理説が展開されることになります。これは旧制第四高等学校における「倫理」の講義草案をもとにしたものです。
西田は従来の倫理学説を大きく二つに分類します。一つは他律的倫理学説であり、もう一つは自律的倫理学説です。他律的倫理学説というのは善悪の基準を人間の本性以外の何らかの権威や権力に求めようとするものであり、反対に自律的倫理学説というのはそうした基準を人間の本性のうちに求めようとするものです。西田はまず両説のどちらでもない直覚説を取り上げ、それが実際は直覚ではなく内実は良心とか理性とかいったものに他ならないことを指摘し、ついで他律倫理学説として権力説を取り上げ、それを君権的権力説(ホッブス)と神権的権力説に分けて論じ、その共通の欠点として、両説ともどうして我々がそうした権力に従わなければならないかの理由を説明できないことを挙げています。
それゆえに倫理学とは自律的倫理学説でなければならないとして、それを西田は人間の能力である知情意の三つに基づいてそれぞれ合理説(主知説)、快楽説(主情説)、活動説(主意説)に分類し、その順序で論じています。そして西田自身の倫理学は活動説(主意説)です。活動説というの西田によれば精神の三つの能力である知情意のうち、意志をもっとも根本的な内面的欲求と考え、この欲求を満たすことが人生の目的であると考える立場です。
そしてそのもっとも根本的な内面的欲求とは自己の発展完成であると西田はいいます。言い換えれば本来の自己を実現しようとする要求です。ここでいう自己とは純粋経験の背後にある根源的統一力の発動をいいます。そして理想的な純粋経験の極地である知的直観の状態こそが西田のいう「善」に他なりません。
⑷ 絶対的なものの探求としての西田哲学
『善の研究』第四編「宗教」において西田は宗教とは学問道徳の極致であるといい、また自己の生命における最深にして最大の根源的な要求であるといいます。それを西田は「我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一して之によりて永遠の真生命を得んと欲するの要求である」といっています。
先述のように西田は純粋経験の背後にある宇宙の根源的統一力を神とも呼んでいますが、ここでいう神とは宇宙の外に超越しているのではなく、むしろ宇宙の内なる根源に付した名称に他なりません。この意味で西田の思想は大きくいえばスピノザの汎神論に近いものがありますが、より正確にいえば汎神論のように万物のうちに神が内在しているというよりも、むしろ反対に神のうちに万物が内在しているという万有内在神論とでも呼ぶべき思想です。そこでは神と万物が一体不二なるものとして考えられており、それゆえに神と自己とは本来異なったものではなく、神は宇宙の根本であると同時に我々の自己の根本でもあります。したがって宗教の本質とはこうした神人合一の意義を獲得するということにあります。西田はそれを「我々は意識の根底に於て自己の意識を破りて働く堂々たる宇宙的精神を実験するにある」と述べています。
このように『善の研究』とはいわば世界をあらしめる根源としての「絶対的なもの」を探究する書であったといえるでしょう。そして本書を出発点として、その後「自覚」を経て「絶対無」へと至り、そこからさらに「行為的直観」と「絶対矛盾的自己同一」へと展開していった西田哲学の思索の軌跡もまた、このような「絶対的なもの」へ迫らんとする運動であったといえます。こうした意味でポストモダン状況が加速する中で「絶対的なもの」を見失った今日において西田哲学はこの世界に対する深い洞察とこの日常を生きる上での確かな道標を与えてくれるのではないでしょうか。