* 17音の魔法
言葉によって織り成されるさまざまなテクストはその言葉に宿る「意味」と「リズム」のいずれかを重視するかによって「散文」と「韻文」に大別されます。ここでいう「散文」とは小説、随筆、論文、法律、手紙、新聞記事、SNSのつぶやきなどを典型とする「意味」を重視するテクストです。これに対して「韻文」とは詩歌、謡、小唄長唄、都々逸、歌舞伎の台詞、歌謡曲の歌詞、ヒップホップのラップなどを典型とする「リズム」を重視するテクストです。
これらの韻文のうち「五・七・五」の定型で詠まれる俳句は極めてシンプルなリズムによって成り立っているテクストであるといえます。例えば「行く春を近江の人と惜しんだ」という別にどうということのない散文を「五・七・五」のリズムに乗せてみると次のようになります。
行春を近江の人と惜しみける 松尾芭蕉
なんでもないはずの日常をひとたび「五・七・五」というリズムに乗せてみると、それはひとつなぎの音楽になり、さらに時として時代を超えて歌い継がれる名歌ともなり得ます。これはまさに俳句というテクストが持つ17音の魔法であるといえるでしょう。
ではなぜ俳句の「リズム」は「五・七・五」なのでしょうか。この点『決定版 一億人の俳句入門』(2009)において長谷川櫂氏は日本語の母胎である「大和言葉」は「はな(花)」「つき(月)」「ゆき(雪)」「はる(春)」といった「二音」の言葉と「いのち(命)」「こころ(心)」「ひかり(光)」「さくら(桜)」といった「三音」の言葉を基本としており、この「二音」と「三音」のもっとも単純な組み合わせが「五音(三・二、または二・三)」であり、次いで「七音(五・二・または二・五)」であるといい、このような「五音」と「七音」の組み合わせから、まず古代において「五・七・五・七・七」のリズムを持つ和歌が生まれ、やがて近世以後において「俳諧連歌(連句)」の発句の部分が独立したかたちで「五・七・五」のリズムを持つ俳句が生まれることになったといいます。
それゆえに俳句の「五・七・五」のリズムは和歌の「五・七・五・七・七」のリズムと同じく「日本語の深部から発せられる鼓動」であると氏は述べています。こうした日本語のリズムに根ざした奥深さを持つ俳句の世界へカジュアルに入門できる一冊として、本書『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(2019)をここでは取り上げてみたいと思います。
* 俳人は人に非ずと書く
本書の著者である神野紗希氏は俳句甲子園世代を代表する気鋭の俳人として知られています。日本経済新聞夕刊の連載を中心にまとめたエッセイ集である本書は育児風景が多く描かれていることが一つの特徴であり、例えば冒頭に置かれたエッセイ「季節を感じとる力」は次のような書き出しで始まっています。
うとうとと寝がえりを打つと、横で、ふにゃあ、と声がする。オルガンを通り抜けた空気みたいにやわらかい声、2歳の息子が目覚めたのだ。時刻は朝4時半。いくら何でも早起きだぞ、と寝かしつけにかかったが、もう楽しそうに模型のカバとたわむれている。私もしぶしぶ、布団から体を引き剥がす。そうだ夏至だ、スマホのアプリで確認すると、日の出はちょうど4時半ごろ。(中略)太陽と一緒に目覚める彼は、人間社会のリズムではなく、もっと大きな自然のリズムと連動している。たまたま人間として我が家に生まれ、一緒に暮らしているが、本来は、外でいま目覚めたであろう蟻や鴉や百合と同じ、世界のひとかけらなのだ。(本書より)
それゆえに氏は「ほら、俳人は人に非ずと書くではないか」「子どもは、まだ社会とのつながりを持たないという点で、俳人そのものである」といい、こうしたことから「私たちは子どもの中に、大人になる過程で忘れてきた何かを見出せるのではないか。例えば、季節を感じとる力。朝日が差せば目を覚ます彼は、夏至という名前は知らなくても、たしかに夏至そのものを知っているのだから」と述べています。
ここで氏のいう「夏至という名前」と「夏至そのもの」の差異は世界のあらわれとしての「もの」と「こと」の差異であるともいえるでしょう。この点、精神病理学者の木村敏氏は時間は時計やカレンダーなどで数的に表すことができる対象化された「もの」としての時間と「私」の「いま」を構成する「こと」としての時間との間に本性上の差異を見出しており、氏の主著のひとつである『時間と自己』(1982)において、このような「こと」の世界を鮮明に表現した例として奇しくも俳句を引用しています。
古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
ここには俳句という詩歌の持つパラドックスを見出すことができるのではないでしょうか。すなわち、僅か17音で世界のさまざまな「こと」を表現する(しなければならない)俳句は、その有限性ゆえに人が誰もが子どもの頃にもっていた(はずの)「季節を感じとる力」をもっとも根源的なかたちで表現することができる文学であるともいえるでしょう。
* 季語の持つ力
このような俳句における「季節を感じとる力」は実際の句の中では「季語」として表現されます。「季語」とはその名の通り季節を表す言葉であり、俳句では原則としてひとつの句にひとつの季語を入れる決まりとなっています。例えば先ほど取り上げた芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」という句の季語は「蛙」であり、春の季節を表しています。
[A]飛び出すな車は急に止まれない[B]青蛙車は急に止まれない(本書より)
Aはごく普通の交通標語です。どんな人にも当てはまるように最大公約数的な言葉でわかりやすく書かれています。ところがこの標語の初めの「飛び出すな」を俳句における夏の季語である「青蛙」に置き換えたBにおいては本書が続けて述べるように、おそらくは「スピードを出す車の前に、1匹の小さなカエルが飛び出す。ハッとした次の瞬間、蛙の運命は……」といったような切迫した臨場感のあるイメージが迫ってくるのではないでしょうか。
季語を意識すると日常におけるさまざまな出来事の見方が変わります。例えば「風」という言葉ひとつとっても季節によってさまざまな表現があります。春は「風光る」。日差しが強くなってきて、見えるはずのない風まで、輝きを帯びて感じられる様を表しています。夏は「風死す」。ぱたりと風も止み、暑さ極まった様を表しています。秋は「色なき風」。万物が衰え色褪せてゆく、秋の寂しさが寄せてくる様を表しています。冬は「風冴ゆる」。大気が澄みに澄んで、冴え冴えとした風が吹き渡る様を表しています。
「季語は、365日を輪切りにした、時間の切断面と結びついた言葉だ」「季語という記憶の通路を通って、一回きりの特別な瞬間が、17音のうちに呼び込まれる」と本書は述べています。こうした意味で俳句とは季語という言葉の力によって現実を拡張し、世界を多重化していくための技法であるともいえます。そうであれば皆が子どもの頃に持っていた(はずの)「季節を感じとる力」を取り戻すための第一歩は、歳時記(季節ごとに季語を分類した本)を傍に置き、日常の至るところに季語を見出していくところから始まるのかもしれません。
* 不自由であるがゆえに自由であるということ
神野氏が俳句と出会ったのは高校一年生の時だそうです。当時たまたま観に行った俳句甲子園(高校生を対象とした俳句コンクール)に「心をわしづかみにされた」という氏は「それまで目にしていた教科書の俳句がクラシックなら、同世代の高校生の俳句はロックやポップス」のように感じたそうで「進路選択の悩みや恋愛の鬱屈、青春の今が17音に弾けていた。私も、自分の今をこの詩型で詠んでみたい、もっと現代の俳句を読んでみたい、と駆り立てられた」と述べています。
起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
このように氏が高校時代に出会った俳句にすんなり馴染むことができたのは俳句が「語らない詩」だったからだろうと述べています。この点、同じ短詩でも和歌だと例えば「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな(菅原道真)」というように具体的なモノや風景を描写し、さらに詠み手の思いも述べられます。しかし俳句は和歌の下の句にあたる部分が無いため、詠める事柄は自ずと限られてきます。
そこで俳句は詠み手の思いをオミットして、モノや風景の描写に特化することで、そこから間接的に伝わるものに賭け金を置きました。こうしたことから氏は「気持ちを言葉にするのが苦手だった私は、この沈黙の詩のとりこになった。言葉にできない何かを、言葉にしないという方法で、なおかつ言葉で記述するすべが、この世界にあったなんて」といいます。また17音の定型があり、かつ季語の縛りのある俳句を氏は「なんて自由なんだ」と思ったといい、続けて次のように述べます。
昔から本を読むことは好きだったが、文学--小説や詩や短歌--は、非凡であることを求められているような気がして、実際に創作するのは気が引けた。私は健康な普通の少女だった。だが俳句はそんな普通の私が感じ認めたあれこれも、詩に昇華してくれた。無理に個性的にならなくていい、自分がどんな人間であろうとも、この世界は、ありのままで十分面白い。そう肯定する詩型だった。(本書より)
ここには不自由であるがゆえに自由であるという俳句の持つもうひとつのパラドックスを見出すことができます。そして、おそらく俳句の持つ「季節を感じとる力」とは、この世界における「ありのまま」を肯定する力でもあるということなのでしょう。
* 泣かずして他の泣くを叙する--写生文家としての俳人
神野氏の故郷である愛媛県松山市は近代俳句の創始者、正岡子規の故郷でもあります。氏によれば松山市の小学校では夏休みの宿題には必ず俳句の創作が課されており、その句は休暇明けに子規を顕彰した俳句大会へ投句され、その受賞作はパネルに印字されて商店街の大通りに掲示されるそうです。さらに氏の母校である松山東高校の前身は子規の母校である旧制松山中学であり、校内には「行く我にとゞまる汝に秋二つ」という、子規がやはり松山中学に教師として赴任中だった夏目漱石へと贈った句が刻まれた句碑があるそうです。
正岡子規と夏目漱石。ともに明治日本を代表する文学者である2人は東大予備門(現在の東京大学教養学部)以来の盟友であることはよく知られています。明治28年(1895年)、子規は日清戦争の従軍記者として結核の身を押して満州に赴き、その帰路で大喀血します。故郷松山に療養帰省した子規は「愚陀仏庵(漱石の下宿)」でしばらく静養したのち、その年の10月に東京に戻る際に奈良に立ち寄り、この時に彼の代名詞ともなるあの一句を詠んでいます。
ところでこの子規の句が詠まれる2ヶ月前に漱石は次のような句を詠んでいます。
この二つの句はまさしく同じ「リズム」を共有しています。子規の代名詞ともいえる一句は本書がいうように「二人の友情の結晶」ともいえるかもしれません。これは「リズム」の文学の極致ともいえる俳句ならではのエピソードであるといえるでしょう。
また、子規は近代日本文学を基礎付ける「写生文」の提唱者としても知られています。そして、この世界の森羅万象をありのままに写しとる技法としての「写生文」につき漱石は「写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである」と述べています。つまり「写生文家」には対象に感情移入することなく対象と一定の距離を保ち、対象を淡々と写生する「泣かずして他の泣くを叙する」態度が求められるということです。そうであれば本書のタイトルともなっている次の句は、そんな「写生文家」としての俳人のあり方そのものを詠んだ句であるともいえるのではないでしょうか。
もう泣かない電気毛布は裏切らない 神野紗希
なんでもない日常をひとつなぎの音楽に変えるということ。季節そのものを感じとるということ。世界のありのままを肯定するということ。泣かずして他の泣くを写生するということ。俳句の持つ17音の「リズム」にはこのような様々な魅力と可能性が宿っています。こうした意味で本書は俳句の世界にエッセイというかたちでカジュアルに入門できる一冊であると同時に、言葉の「意味」の手前にある「リズム」の持つ魅力と可能性を様々な角度から描き出した一冊であるともいえるでしょう。