* 近代日本文学における「風景の発見」
文芸批評家の柄谷行人氏によれば日本における「風景の発見」は明治20年代に生じたとされます。もちろん自然としての風景は太古の昔から存在していましたが、ここで柄谷氏のいう「風景」とは自然物として存在する風景ではなく、あくまで「近代」というパラダイムのなかで発見され、一つのテーマとして人々の意識に上ってくる「風景」のことです。氏は『近代日本文学の起源』(1980)において「風景」とは「一つの認識的な布置」であるといいます。換言すれば「風景」とは単に自然のままに実在するものではなく、ある特定のパースペクティヴが産み出したものであるということです。
そして氏は国木田独歩の『武蔵野』や『忘れえぬ人々』といった作品において自然のみならず人間もまた風景のように描写されていることに注目し、そうした「風景」の描写はたんに対象をそのまま写し取ったというよりも、むしろ特定のパースペクティヴ(氏のいうところの「遠近法」的な認識パラダイム)によって産み出されたものであり、そのパースペクティヴが人々にとって自明なものになればなるほど、その「風景」の描写はあたかも対象をありのままに描いたかのように思われ、そのような「風景」を産み出した原因としてのパースペクティヴのほうは忘却されてしまうことになるといいます。
このように「風景」がある特定のパースペクティヴの産物であるとすれば、氏のいう「風景」とは必ずしも「ありのままの風景」ではないということです。すなわち、ある「風景」の裏には常に「別のしかたでの風景」が潜んでいるということです。今村夏子氏の短編集『あひる』が描き出すのはまさにそのような「別のしかたでの風景」であったといえます。
* 風景としてのあひる
まずは表題作「あひる」のあらすじは次のようなものです。語り手である「わたし」は両親と3人で静かに暮らしていましたが、ある日、父親が「のりたま」という名のあひるをかつての同僚から貰い受けて家に連れてきます。そして「のりたま」が来てから「わたし」の家にはよく知らない近所の子どもたちが遊びに来るようになり、その数は日に日に増えていきます。「わたし」の家では10年前に弟が家を出て行って以来、長らく家族の会話が絶えており「わたし」の両親はこうした子どもたちの来訪を素直に歓迎しているようです。
ところが「のりたま」がやってきて3週間が過ぎようとした頃から「のりたま」は食欲が落ち始め、日増しに衰弱し、やがて父親は「のりたま」を市内の動物病院につれていきます。その一週間後、帰ってきた「のりたま」を仔細に観察するうちに「わたし」は目の前のあひるが以前の「のりたま」ではないことに気づいてしまいます。そしてその「のりたま」も1ヶ月もするとやがて食欲を無くし、やはり父親に動物病院に連れて行かれ、その10日後にはまた別のあひるが「のりたま」として帰ってきます。
その一方で話が進むにつれて「わたし」の家庭についても色々なことが明らかになってきます。「わたし」の両親は何らかの宗教に入信しており、とりわけ母親が熱心な信者であること。「わたし」の弟は子供の頃は一家の太陽のような存在だったけれども、反抗期を迎えてから不良になり、いまは結婚して市内で奥さんと2人で暮らしており、実家にほとんど寄り付かないこと。結婚して8年が経つ弟夫婦にはいまだに子供がなく、それが父と母の心配の種であること。
そして「わたし」は医療系の資格を得るために勉強をしていること。試験は次で3度目の挑戦であること。「わたし」は試験に早く受かって資格を手にして仕事をしたいと望んでいること。「わたし」はいまだ仕事をした経験がないということ。
本作において「のりたま」というあひるは交換可能な存在として、すなわち「風景」として描かれています。けれども3番目の「のりたま」が死んだ後、4番目の「のりたま」が「わたし」の家に来ることはありませんでした。そして、いつの間にか「わたし」の家は子どもたちの溜まり場になっており、夜も朝も関係なくバタバタと子どもが出入りするため「わたし」は勉強に身が入らずにまた試験に落ちることになります。そんなある日「わたし」の弟が唐突に帰ってきます。
* 風景の再発見
時に「世界文学」とさえ評される高い文学性と幅広いポピュラリティを併せ持つ今村作品の特色はその極めて特異的な文体にあります。一見、さらさらと読めてしまう平明さを持ちながらも、どこかある種の「不穏さ」を孕んだその文体こそが今村作品の世界観を創り上げています。
この点、柄谷氏は「風景の発見」を可能とした「記号論的布置」をこの時期に起きた「言文一致」という運動によって新たに登場した文体に見出しています。すなわち、柄谷氏によれば「書き言葉」を「話し言葉」に近づける「言文一致」の過程で、日本語という言語は従来支配的な「書き言葉」であった漢字の形象性が後退した結果、抽象的思考を可能とする音声言語として「透明」になり、この「透明」な言葉こそが事物をあたかもありのままに描き出したかのような「風景」として立ち上げることになったということです。
もっともこのような「風景」を立ち上げる「透明」な言葉はある特定の想像力の環境のもとで用いられています。例えば東浩紀氏は『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)において、1990年代以降の文芸市場において存在感を現わし始めたライトノベル(キャラクター小説)を「キャラクターのデータベース」というメタ物語的な環境において制作されるポストモダン的な小説形式であるとして、現代の文学的想像力においては近代文学が依拠する「自然主義的リアリズム(現実の写生)」とライトノベルが依拠する「まんが・アニメ的リアリズム(虚構の写生)」という「想像力の二環境化」が進行しているといいます。そして氏は近代文学の文体が「透明」な言葉であるという柄谷氏の比喩を拡張し、ライトノベルの文体は、不透明な存在であるキャラクターを透明に描こうとする両義性を抱えた「半透明」の言葉であるといいます。
つまり、ライトノベルが「まんが・アニメ的リアリズム」という想像力の環境に依拠しているように、近代文学もまた「自然主義的リアリズム」という想像力の環境に依拠しているということです。そうであれば今村作品における「不穏さ」とは、近代文学がこれまで自明の「現実」と見做してきた自然主義的リアリズムという想像力の環境をその内部から侵食していく、いわば近代的現実の綻びとしての「風景の再発見」によるものであるともいえるでしょう。
* 近代的有限性とは別のしかたで
また、このような近代的現実の綻びの問題としての「風景の再発見」とはただちに近代的主体の綻びの問題へとつながっていきます。この点、柄谷氏は「言文一致」によって獲得された音声言語が「告白」という制度と一致することによって「内面」を備えた近代的主体を生み出すことが可能となったといいます。そして「告白」を文字通り制度として確立したキリスト教がもたらしたものは「主人」たることを放棄することによって「主体」たらんとする逆転です。すなわち、キリスト者は主人たることを放棄し、神に完全にsubject(服従)することによってsubject(主体)を獲得することになります。
つまり、近代的主体とはキリスト教的な神を範例とする何かしらの超越的他者にsubjectすることで自身を主体化=有限化していくあり方といえますが、その一方でこのような世界を統ベる唯一の超越的他者にコミットすることなく、日常における分散的で複数的な諸関係の中で自身を有限化していくあり方も考えられます。この点、千葉雅也氏は『現代思想入門』(2022)で前者のような有限化を「近代的有限性」と呼び、後者のような有限化を「古代的な=オルタナティブな有限性」と呼んでいます。
ところで本作の解説において西崎憲氏は本作においてはあひるという交換可能な存在を中心としたシステムが成立している一方で、あひるに対して一定の距離を置く語り手である「わたし」は不分明で流動的な存在であるとして、あるシーンを例示して「わたし」がシステムの外にいる可能性を示唆していると述べていますが、この指摘を踏まえると本作はあひるという(交換可能な)超越的他者にsubjectすることで成り立っていた近代的有限性が自壊していく様を古代的な=オルタナティブな有限性の側から、まさしく「風景の再発見」として描き出した作品であったといえるでしょう。
* 子どもの眼で世界をまなざすということ
本書『あひる』には表題作「あひる」以外に「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」という二つの短編が収録されています。「おばあちゃんの家」に登場する少女、みのりには血のつながりのないおばあちゃんがいます。おばあちゃんはいつもみのりたちの家と同じ敷地内にある「インキョ」にいます。小さい頃、みのりはインキョに入り浸っていましたが、中学生になってからはやや足が遠のいていました。ある日、みのりの弟がおばあちゃんがひとりでしゃべっているところを目撃します。
「森の兄妹」に登場するモリオは貧困家庭のためおやつを買うお金がなく、妹のモリコと一緒に他家のびわの実を勝手に食べていたところ、どこからともなく「ぼくちゃん」と呼びかけてくる声に気づきます。その日以来、モリオはその家に住んでいる「びわのおばあさん」と仲良くなりますが、ある日、モリオがおばあさんと話していると背後から「ばあさん!誰としゃべってんだ!」という大きな声が聞こえ、驚いたモリオはその場から逃げ出してしまいます。その後、逃げてしまったことを後悔したモリオのおばあさんに対する思いは日増しに強くなっていきます。
どちらの作品にも「スーパーおおはし」というスーパーマーケットが登場するように二つの作品は実は同じ世界で起きた別々の出来事を描いています。この点、西崎氏は今村氏の児童文学に対する素養の深さを評価し、両作品を「どちらも子供の歩行速度で書かれたような作品」と述べています。そして、このような「子供の歩行速度」とは今村作品全体に通底するリズムであるともいえるでしょう。
臨床心理学者の河合隼雄氏は児童文学を「子どものために書いた本ではなくて、子どもの眼から見たら世の中はどう見えるかということが書いている」といい「みんなうまくいっているようなのに、子どもの眼から見たら、それがみんな少しずつゆがんでいる」とも述べています(『こころと人生』)。ここで氏のいう「ゆがんでいる」とはまさしく「不穏さ」とも言い換えることができるでしょう。そうであればおそらく、こうした「子どもの眼」こそが今村作品における「不穏さ」の源泉であり、自然主義的リアリズムを侵食し近代的有限性を自壊させる「風景の再発見」を可能としているのではないでしょうか。