* 女性障害者の恋愛と性
芥川賞作家、田辺聖子氏が1984年に発表した短編小説「ジョゼと虎と魚たち」は原作発表から19年後の2003年に実写映画化(監督:犬童一心)されたことがきっかけで注目を集め、さらにその17年後の2020年にはアニメーション映画化(監督:タムラコータロー)を果たし、いまや時代を超えた普遍性を獲得し、日本文学史上において特異的な輝きを放つ作品の一つとなりました。僅か30頁足らずの分量ながら極めて耽美的かつ退廃的な世界観を持った珠玉の小品として知られる本作はおそらく日本で初めて女性障害者の恋愛と性を描き出し、可視化されづらい障害者のジェンダーやセクシュアリティの問題に文学表現としていち早くアプローチを試みた作品でもあります。
本作のあらすじは次のようなものです。本作の主人公、ジョゼ(山村クミ子)は下肢に原因不明の麻痺があり、幼い頃から車椅子生活を送っています。ジョゼの母親は彼女が赤ん坊の時に家を出てしまっており、一時期は父親とその再婚相手の女性と連れ子の4人で暮らしていましたが、継母から鬱陶しがられた彼女は施設に入れられて、その後、17歳の時に祖母に引き取られ、25歳に至るまで世間から隔絶した孤独な生活を送っていました。
ある夜、祖母が目を離した隙に通りすがりの不審者によって車椅子ごと坂道に突き落とされたジョゼはたまたま通りかかった大学生の恒夫に助けられ、この出来事をきっかけに恒夫はジョゼの家に顔を出すようになります。
ジョゼは恒夫よりも2歳上ですが小柄で市松人形のような少女然とした外見をしており、その性格は人見知りで情緒不安定。読書好きで「ジョゼ」という自称もフランスの作家、フランソワーズ・サガンの小説のヒロインに由来します。けれどもその反面、ジョゼは就学免除で学校に通っていなかったことから、その知識にはかなり偏りがあります。
これまで家と施設以外の世界を知らなかった彼女にとって恒夫は外の風を運んでくれる存在となりました。ジョゼは恒夫だけには常に高飛車な物言いをしますが、恒夫はその「いばり」は「甘えの裏返し」なのではないかと推測していました。
その後、就職活動のためしばらくジョゼと疎遠になっていた恒夫が久しぶりにジョゼの家を訪ねると、祖母はすでに亡くなっており、ジョゼは引っ越していることが判明します。転居先のアパートを訪ねた恒夫の前にやつれ果てたジョゼが現れ、心配する恒夫に対して「来ていらん!もう来んといて!」と激昂したかと思えば、帰ろうとする恒夫に「帰ったらいやや」と縋りつき、その夜、二人は結ばれます。
翌日、ジョゼは「虎を見たい」と恒夫にせがみ、二人は動物園に行きます。檻の前で虎の咆哮に怯えるジョゼは恐ろしさで身震いしながら恒夫にすがりつき「一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに」といいます。
その後、ジョゼと恒夫は「新婚旅行」という名目で九州の海底水族館に行きます。ジョゼは水族館の海底トンネルの美しさに「恐怖に近い陶酔」を覚えます。その夜更け、カーテンを払った窓から月光が差し込み、まるで海底洞窟の水族館のような部屋の中でジョゼは「アタイたちは死んだんや」と独りごちます。
それからずっと、恒夫はジョゼと「共棲み」という名の同棲生活を続けています。ジョゼは家事をゆっくりとこなし、お金を大事に貯め、一年に一度、恒夫と二人で旅に出ます。恒夫がいつジョゼの下から去るかわからないけれども、側にいる限りは幸福で、それでいいとジョゼは思っています。そしてジョゼが幸福を考えるとき、それは死と同義語であり、ジョゼにとっての「完全無欠な幸福は、死そのもの」でした。
* ケアの倫理という視点
2003年の実写映画化を契機として本作を本格的に論じる批評が数多く現れるようになりますが、そこで本作はもっぱら女性障害者が自己肯定や生きる強さを獲得する物語として、もしくは障害者と非障害者との理想的な共生のあり方を映し出す物語として読み解かれてきました。
こうした従来の評価を踏まえつつ、武内佳代氏は「田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」--ケアの倫理と読むことの倫理(『クィアする現代日本文学』(2022)所収)」において本作結末においてジョゼが辿り着いた「完全無欠な幸福は、死そのもの」という心境を改めて「ケアの倫理」という観点から読み直しています。
一般的に「ケア」とは子ども、高齢者、障害者、病人などに対する世話、気遣い、介助、介護、看護といったことを指す言葉であり、多かれ少なかれケアされる側の依存とニーズが伴うものです。そのため自律的な市民を要請する近代リベラリズムにおいてはケアされる側は依存的で自律的ではない存在として社会的・政治的価値を切り下げられてきました。こうした傾向は1980年代以降から個人の自由と市場原理を称揚するネオリベラリズムの世界的な高まりによりさらに拍車がかかることになります。そうした中でむしろ積極的に依存を包摂する社会構築を目指す考え方が「ケアの倫理 the cthics of care 」です。
「ケアの倫理」はアメリカの心理学者であるキャロル・ギリガンが1982年に公刊した『もうひとつの声』で提唱して以来、哲学、政治学、社会学といったさまざまな学問領域に影響を及ぼした考え方です。同書においてギリガンは道徳発達に関する調査結果を近代以降の社会で道徳的発達の指標とされてきた「正義の理念」ではなく「ケアの倫理」という観点からその再評価を行いました。ここでいう「正義の理念」とは自由意志をもった自律的な道徳的主体を前提として公平と普遍性を重視しています。これに対してギリガンの提唱した「ケアの倫理」は関係性の網の目のなかで個々人は決して完全に自律的ではなく常に相互依存の関係を結んでいることを前提と捉え、その人その人が置かれた具体的・個別的な文脈と関係性を重視しています。
そのため「ケアの倫理」は近代社会で必ずしも自律的な主体ではないケアされるものとして子ども、高齢者、障害者、病人などの存在や彼らのケアを負担する存在のニーズにどう答えていくかといった「正義の理念」からは導かれない問いを積極的に引き受けることになります。換言すれば「ケアの倫理」とは互いにケアし合い依存し合う関係性を中心化することによって、いかなる者であろうとも取り残すことはない非抑圧的・非暴力的な平等社会を構想する思考であり、この理念のもとで個々人は「具体的他者のニーズへの応答」を引き受けることになります。
* 1980年代における障害者へのまなざし
まず同書はジョゼの「アタイ」という自称に注目します。ジョゼが自身を「アタイ」と呼ぶのはもともとは継母の連れ子の真似から始まっており、そこには自分も連れ子のように実父と継母に可愛がられたい、すなわち「ケアされたい」という切実なニーズがあります。しかし実父と継母のもとでこのニーズは決して満たされることはありませんでした。
またジョゼを施設から引き取った祖母は実父や継母に比べればまだ優しかったものの、(たとえ孫を好奇の目に晒すまいという温情かもしれないにせよ)障害者に対する差別的なまなざしを世間と共有し、ジョゼの行動を厳しく制限していました。そして何よりジョゼ自身もこれまでの生い立ちから「ケアされたい」というニーズを主張することに対して強い後ろめたさを抱え込んでいました。
現在でこそ、障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)の見地から「障害」を従来のように個人的な心身の機能障害(インペアメント)とみなす「医療モデル(個人モデル)」を相対化するモデルとして障害を社会的に構築された障壁(ディスアビリティ)とみなす「社会モデル」が打ち出され、従来は障害者個人の「わがまま」としか見做されなかったさまざまなニーズが社会的に承認され、障害者と非障害者の社会的分断の解消を目指すノーマライゼーションの取り組みが推進されつつあります。
けれども本作発表当時の1980年代前半はまだこのような「社会モデル」による障害の概念が社会に根付いておらず、障害者の日常的な不自由の原因はあくまで障害者個人に帰すべきものと見做されていました。それゆえにジョゼがケアされたいというニーズの表明を断念し、孤立した生活を送ってきたのはこのような当時の障害をめぐる社会のまなざしと表裏の関係にあるといえます。
とりわけ祖母との外出中に通りすがりの何者かがジョゼを車椅子ごと坂道に押し出した事件はジョゼが障害者であるがため社会から「悪意」を常時向けられ続けていることを如実に物語っています。この「悪意」はジョゼを「生きるに値しない命」とみなす優生思想的なまなざしに他ならず、こうした「生きるに値しない命」としての自己像を内面化していたからこそ彼女は社会に対するニーズの表明を断念するようになったともいえます。
* ディスアビリティとジェンダー
けれどもジョゼは見知らぬ他者から明確な「悪意」を向けられたまさにその出来事において通りがかりの別の見知らぬ他者である恒夫に命を救われることになります。これはおそらくジョゼにとって初めて見知らぬ他者から与えられた「生きるに値する生」としての承認を意味したはずです。
その後、ジョゼは恒夫にだけはそれこそ「わがまま」に映るほどのニーズを表明していきます。これに対して恒夫はジョゼの高飛車な物言いを障害者の「わがまま」とは捉えず、その言葉に裏にあるジョゼが直接的には表明できない潜在化されたニーズを読み取っていき、ジョゼの室内移動用の器具をこしらえたり、トイレの補助台などの取り付けについて業者に掛け合うなど、いつの間にかジョゼの具体的なニーズに応じて、その生活上のディスアビリティを取り除いていくケアを実践していきます。
もっとも、ジョゼにとって恒夫は何よりも「異性のパートナー」としてのケア役割を担う存在に他なりません。本書が指摘するように女性障害者はディスアビリティとジェンダーという二重拘束による抑圧状況の下、しばし性的な存在として搾取される一方で性的な存在であることを否認されるという理不尽な困難に直面します。例えば本作においてジョゼは一人暮らしを始めた後、同じアパートに住む「お乳房さわらしてくれたらなんでも用したる」と言い寄ってくる中年男性に悩まされていました。その一方でかつて継母から「ややこしい」と疎まれ施設に放り込まれた理由はジョゼに生理が始まったことが原因であり、このことはジョゼが恋愛、結婚、出産といった性的な身体とは切り離されて捉えられていたことを物語っています。
けれどもジョゼは恒夫との性体験を経て女性としての性的主体性を獲得し、彼女にとって「一ばん怖いもの」である「虎」を恒夫と一緒に見にいくことで健常者中心主義的な社会の「悪意」から守ってくれる男性が自分の傍らにいるという女性像の獲得に至ります。
しかしながらその一方で、ジョゼは恒夫と夫婦のような生活を始めてからも、恒夫を「夫」とは呼ばず「管理人」と呼んでいます。すなわち、ジョゼが同棲相手の恒夫に表立って期待できる役割はあくまで自身の介護をしてくれる施設の「管理人」であり、その意味でこの「管理人」という呼称はジョゼが恒夫との結婚を自ら主体的に断念していることの証左であるともいえます。
そして現実においても1983年に行われた聞き取り調査によれば当時、結婚を諦めている肢体不自由な女性障害者が数多くいたことがわかっています。つまり、パートナーを「管理人」と呼び、結婚したいというニーズを断念し、意識化さえ拒否しようとするジョゼは当時の女性障害者そのものの表象ともいえるでしょう。
* 完全無欠な幸福の彼岸
ともあれ恒夫との「共棲み」においてジョゼは料理や洗濯といった家事労働を通して「夫」をケアする「妻」の役割を仮初ながらも引き受けることで「完全無欠な幸福」を覚えるに至ります。ここでジョゼのニーズは十全に満たされたかにも見えます。しかし問題はジョゼはこうした「完全無欠な幸福」を「死そのもの」であると感じている点にあります。
確かにこのような「完全無欠な幸福」と「死」を連結させる本作の語りは究極の甘美な感情を文学的に表現したものにすぎないとも読めなくもないでしょう(フランスの精神分析家ジャック・ラカンもある時期においては、快原則の彼岸としての「享楽」を「死」と同義のものとして捉えていました)。けれども、この恒夫との「共棲み」といういつ終わるともしれない刹那的な関係は「結婚」に対するニーズの意識化さえ拒否された結果であるとも読めます。
すなわち、ここでジョゼはこのような恒夫との刹那的な関係を意識の上では「完全無欠な幸福」と感じてはいるけれど、その無意識下における絶望的な閉塞感の痕跡が「死そのもの」という言葉として回帰しているともいえます。そして、この逆説的なジョゼの「幸福」な姿は、1980年代の女性障害者に背負わされた絶望的な閉塞感を表象するものと読めるでしょう。
もっとも、その一方で、このようなジョゼが直面する絶望的な閉塞感の裏側には当時は意識化自体が困難であったであろう「妻」という固定的なジェンダー役割、ひいては女性というジェンダー・アイデンティそのものからも解放された多様なニーズの顕在可能性が胚胎していたとも言えるでしょう。
換言すれば本作は同時代的には当事者にも非当事者にも誰にも認知できないような「非認知ニーズ」をも顕在化させる倫理的な可能性に開かれた作品であったということです。こうした意味で「昭和のジョゼ」というべき原作小説が胚胎していた多様なニーズの顕在可能性に対する優れた回答こそが、あるいは「平成のジョゼ」としての2003年の実写映画であり、さらには「令和のジョゼ」である2020年のアニメーション映画であったといえるでしょう。
*「共棲み」の「重み」を描いた「平成のジョゼ」
まず2003年の実写映画はストーリーの大きな流れとしてはおおむね原作を踏まえたシナリオとなっていますが、原作にはない恒夫とジョゼの「共棲み」の顛末までが描かれています。この点、原作の「新婚旅行」は映画では恒夫が実家の法事にジョゼを連れて行き両親に紹介するという状況に置き換えられています。そして、その出発前に児童福祉施設時代の幼馴染から恒夫と結婚するのかと問われたジョゼは「あるわけないがなそんなこと」とにべもなく返します。
果たしてジョゼが直感した通り、帰省する途中で心境の変化が生じた恒夫は土壇場で法事への参加を取りやめてしまいます。その後、ジョゼは宿泊先を探している最中にたまたま見かけた「お魚の館」という名前のラブホテルに泊まりたいと言い出し、困惑する恒夫に向かって「ごほうびにこの世の中でいちばんエッチなことしてもええよ」などと言い募ります。
「お魚の館」での性行為の後、貝殻を模したベッドで眠りこける恒夫の横でジョゼは回遊魚の立体映像を見つめながら「深い深い海の底、ウチはそっから泳いできたんや」「いつかアンタがおらんようになったら、迷子の貝殻みたいに一人ぼっちで海の底をころころころころ転がり続けることになるんやろ」と静かに呟きます。ここでも原作同様に結婚に対するニーズの断念が反復して描かれています。
その数ヶ月後、恒夫はジョゼとの「共棲み」を解消することになり、その理由として彼は「僕が逃げた」と回想します。この点、先の旅行中、恒夫が車椅子を拒否するジョゼをおぶって移動する場面が象徴的に描かれていますが、結局のところ恒夫は障害を抱え「(祖母のいうところの)こわれもん」であるジョゼを「家族」として背負って生きていく「重み」に耐えられなかったということなのでしょう。
そして映画の結末においてジョゼから「逃げた」恒夫はその喪失感、あるいはその罪悪感からこれみよがしに泣き崩れます。けれども当のジョゼは恒夫が去った後の日常を電動車椅子を使って淡々と生きていきます。この映画の結末は原作における「完全無欠な幸福=死」に閉じられた世界から、多様な生の可能性に開かれた世界に彼女がその一歩を踏み出していったことを示しているようにも思われます。
* 新境地を開いた「令和のジョゼ」
いずれにせよ2003年の実写映画が原作小説の持つ世界観を損なうことなく拡張し、なおかつ深化させることに成功した素晴らしい映画であったことは確かです。だからこそ「ジョゼ」がアニメーションとして再び映画化されるという話を聞いた時は本当に驚きました。いまさら何を作ろうというのか、どう考えてもあの映画以上のものが創れるはずがないと、普通にそう思いました。
けれども他方でティザービジュアルとして提示された、気だるそうに机に突っ伏していながら強い何かを宿したまなざしをこちらへ向けてくるジョゼの姿にはどこか惹かれるものがありました。そのうち、もしかしてこの映画はただの懐古趣味ではなく、これまでの「ジョゼ」を打ち破る全く新しい「ジョゼ」を本気で描き出そうとしているのではないかという、そんな気もしてきました。
本作の中盤までのあらすじはこうです。海洋生物学を専攻する大学生、恒夫(鈴川恒夫)は、自身の夢である海外留学の資金を貯めるため、バイトを掛け持ちする日々を送っていました。そんなある日、バイト帰りの恒夫は車椅子ごと坂道を転げ落ちてきたジョゼを偶然助け出します。
これまで祖母(山村チヅ)の庇護の下、ずっと閉じた世界の中で生きてきたジョゼにとって外の世界とは「恐ろしい猛獣ばかり」の世界でしかありませんでした。けれどもチヅからジョゼの世話を託された恒夫は「管理人」としてジョゼを外の世界に連れ出していき、恒夫とともに世界のさまざまな騒めきと彩りを知ったジョゼはやがて「外は怖いだけやない」と思い至るようになります。
この点、原作小説からおよそ36年後に公開された映画である本作では世界観設定が大幅に更新され、とりわけ中盤以降はこれまでにないまったく新たな展開が描き出されることになります。何より本作の大きな変更点としてジョゼに「絵が描ける」という特技が追加されており、海外留学を目指す恒夫の夢に感化されたジョゼはやがて自身も「絵を仕事にしたい」という夢を懐くようになります。そして、このジョゼが描く絵から紡ぎ出される「物語」こそが恒夫を、そしてジョゼ自身を救うことになります。
* 物語を紡ぎ直すということ
祖母の死後、ジョゼから「管理人」の「最後の仕事」として再び海に連れて行くよう頼まれた恒夫はその帰路でジョゼを庇って交通事故に遭い、重傷を負います。その結果、恒夫は医師から脚と手に障害が残る可能性を告げられ、折角まとまりかけていた留学の話も白紙となってしまいます。
ここで恒夫はこれまで自身を基礎付けてた「物語」を完全に喪失することになります。人が世に棲まいその生を基礎付けるためには、その人にとっての内的幻想である「物語」を必要とします。こうした意味での「物語」は人の過去と現在の出来事を了解する媒介であると同時に未来へ歩むための道標となります。
それゆえに恒夫が機能回復訓練をやり抜き、留学のチャンスを再び掴むには新しい「物語」が必要でした。そうした中で、ジョゼが優しい絵と共に紡ぎ出したのはまさしく、恒夫のこれからの生を基礎付けるための新たな「物語」でした。
そして同時に、こうした「物語」の創造はジョゼにとっても大きな転機になりました。祖母亡き後、独りで生きていかなければならない現実に直面したジョゼは「絵で生きていく」という夢を手放し「自立」の道を模索することになります。けれども恒夫を救うため「物語」を創造する中で、自らの夢を再発見したジョゼはその夢を手放さないままにこの現実を生きていく「自立」の道を選び取ります。すなわち、ジョゼもここで祖母の死を乗り越え、自らの「物語」を様々なめぐりあわせの中で紡ぎ直していくことになります。
* 昭和のジョゼ、平成のジョゼ、令和のジョゼ
物語を紡ぎ直すということ。それは「ケアの倫理」にまっすぐに応える実践に他なりません。ジョゼは恒夫からケアされることで自身の中に眠っていた「非認知ニーズ」である「絵を仕事にしたい」という夢を懐くことができました。そして彼女はまさしくその絵から紡ぎ直される「物語」によって恒夫をケアし、さらには自分自身をケアするに至ります。ここにはまさしく互いにケアし合い依存し合う理想的な「共棲み=自立」を見出すことができるでしょう。
いまにしてみれば「昭和のジョゼ」というべき原作小説は当時としては優れた「ケアの倫理」を体現する作品でしたが、そこにはやはり当時の社会状況を反映したディスアビリティとジェンダーをめぐる二項対立が温存されたままになっていました。これに対して「平成のジョゼ」としての2003年の実写映画はこうした二項対立の限界性を暴き出した作品であるといえます。
そして「令和のジョゼ」である本作はこうした二項対立を見事に脱構築したその先で、原作小説がもともと胚胎させていた「共棲み=自立」という名のケアの可能性を現代に相応しいかたちで瑞々しく描き出した作品であったといえるのではないでしょうか。