かぐらかのん

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戦後文学における「日常」の発見--夕べの雲(庄野潤三)

 

* 第三の新人とは何か

 
戦後の日本文学史はまず終戦直後の時期に登場した第一次・第二次からなる「戦後派」と呼ばれる作家達が現れるところから始まります。先の昭和20年の敗戦は日本文学において私小説がそのまま社会小説になるという特異な状況をもたらしました。敗戦後の混乱期において人は誰もが理不尽な状況の中で追い詰められた孤独な実存として生きることを余儀なくされ、それゆえに日常体験をありのままに描き出すことが、そのまま政治や社会に対する告発になり、ひいては人間という存在とは何かを描き出す実存の文学となりました。こうして一躍脚光を浴びることになった「戦後派」と呼ばれた作家達は、ここからさらに進んで、気宇壮大で広い社会的視野を持った「大きな小説」を志向するようになります。
 
ところがその一方で、こうした「戦後派」に続いて現れたのが、政治や社会における大文字の理想から一歩引いたところで、市井を生きる名も無き人々の日々の平凡な暮らしをていねいに描き出していく作家達でした。こうした作家たちは日本文学史において「第三の新人」と呼ばれることになります。
 
もっとも、この「第三の新人」は登場当初はあまりぱっとせず、当時の批評家からは「即物性、単純性、日常性、生活性、現状維持性、伝統性、抒情性、単調性、私小説性、形式性、非倫理性、非論理性、反批評性、非政治性」などと散々にこき下ろされ、このような思想性も政治性もない退嬰的な文学などどうせすぐに消え去る運命にあるだろうと思われていました。けれどもその後「戦後派」から「ベ平連」に至る反体制文学の華々しい隆盛の陰で「第三の新人」は地道に創作に取り組み続け、1960年代になると文壇において確固たる位置を築き上げることになります。
 
例えば「第三の新人」の筆頭格として見做される安岡章太郎氏は芥川賞を受賞した「陰気な愉しみ(1953)」を始めとして、戦争とか死といった出来事を「戦後派」のように深刻に、あるいはヒロイックに語るのではなく、軽妙なユーモアによって対象を相対化して、あくまでも日常的なスタンスで語りきってしまう作風が特徴です。
 
また安岡氏と並んで「第三の新人」を代表する作家として位置付けられる吉行淳之介氏は主に男女関係をテーマとした作品を多く発表し、芥川賞を受賞した「驟雨(1954)」やその代表作である「暗室(1970)」といった作品で、耽美的な幻想を取り払った性愛のリアルの中に垣間見ることができる人間の実存を描きだしていきました。
 
そしてもう一人「第三の新人」を語る上で欠かせない作家として庄野潤三氏が挙げられます。庄野氏は安岡氏や吉行氏のように軽妙洒脱な作風ではありませんが、ある意味で「第三の新人」の精神をもっとも具現化した作家であるともいえます。そしてその庄野氏の代表作と呼べるのが本作「夕べの雲(1965)」という作品です。

*「いま」を描いた物語

 
本作では東京の郊外の丘の上にささやかなマイホームを建てた夫婦と3人の子供たちの四季折々の生活風景が描かれていきます。主な登場人物は、作家を生業としている大浦と大浦の細君、そして晴子(高2)、安雄(中1)、正次郎(小3)からなる家族5人です。
 
彼らの新しい家は開けた丘の頂上にあり、見晴しが良い代わりに四方から吹き付ける風当りの強さも相当のものでした。大浦は丘の上に新居を建てたことを早くも後悔するも、今となっては後の祭りで、さしあたり自衛のため家の周囲に「風よけの木」を植えなければならないと考えます。けれども、なんだかんだで日々の雑事に忙殺されていくうちに「風よけの木」を植える仕事はどんどん遅れ、とりあえず一家が落ち着いて生活できるようになるまでに2年ほどの歳月を要します。
 
大浦は人間は一つの土地に「ひげ根」を下ろし長く暮らす方が良いという考え方の持ち主です。そういった意味で本作では大浦一家が新しい土地で「ひげ根」を下ろしていく過程を極めて淡々と、かつていねいな筆致で描き出す作品といえます。
 
なお、庄野氏の一家も同じ家族構成で1961年に東京都練馬区から神奈川県川崎市生田の見晴らしの良い山の上の新居に引っ越しています。それから3年半後に執筆を始めたのが本作です。
 
この点、文庫版のあとがきの中で氏は「今度、日本経済新聞に書く小説には、生田の山の上へ引越して来てからのことを含めて現在の生活を取り上げてみようと思っている。「いま」を書いてみようと思っている。(中略)その「いま」というのは、いまのいままでそこにあって、たちまち無くなってしまうものである。その今そこに在り、いつまでも同じ状態で続きそうに見えていたものが、次の瞬間にはこの世から無くなってしまっている具合を書いてみたい」と述べています。
 

* 穏やかで幸福な日常の中に隠された危うさ

 
この点「これはすごい作品です。どこがすごいかというと、すごいところがまったくない、これほどドラマチックということと無縁の作品はないというところが、何ともすごい」と本作を激賞(?)するのが「団塊世代の騎手」として知られる作家の三田誠広氏です。さらに三田氏は全世界の文学史を眺め回しても、本作のようにただひたすら幸福な家庭を描いただけの文学というのは、ほとんど皆無ではないだろうかとまでいいます。
 
実際に本作は当時のベストセラーになっています。では、何でこんなものが売れるのかというと、三田氏は庄野氏の過去の作品を見ないといけないといいます。
 
例えば、芥川賞を受賞した「プールサイド小景(1955)」は、会社をクビになった男が転職先も見つからないまま、小学生の子供を連れてプールに行くという話で、一見穏やかな光景の中に先の見えない不安が潜んでいる日常のありようが描かれます。
 
また、本作と並ぶ庄野氏の代表作といわれる「静物(1960)」は、幼い子供達と若い夫婦の何気ない明るく穏やかな日常を描き出す一方で、その背後には妻が自殺未遂をした過去が何気に仄めかされており、作品全体が奇妙な緊張感に満ちています。
 
基本的に私小説というのは一人の作家が長く描き続けると同じようなモチーフが繰り返し反復されていくことになります。すなわち、私小説を書く作家は、複数の作品を通じてただ一つの長編小説を書いているとも見ることができます。
 
そうであれば「夕べの雲」が描き出す「日常」の背景には、仕事口を失って生活不安を抱えていた父親や、自殺を図った母親の姿が過去の記憶として潜んでいる事になるわけです。
 
穏やかで幸福な日常の中に隠された危うさ。庄野氏が本作で描いているのはそういう光景であるということです。
 
もちろん「夕べの雲」の読者全員が庄野氏の過去作を読んでいるわけではないでしょう。しかしそれでも、一見して穏やかで幸福な「日常」の裏に潜んでいる危うさというものは、自ずと「行間」から滲み出てくるものである、と三田氏はいいます。
 
この点、本作に登場する夫婦は戦争体験者であり、同時に当時の読者もまた、そのほとんどが戦争体験者です。それゆえに、庄野氏が描く「日常」の「行間」には、いまここに生きていること自体が奇跡なのであるという、あの時代において作家と読者が共有していた驚きと慈しみが込められていたのではないでしょうか。
 

* 治者--「父」である「かのように」生きるということ

 
そして、その主著「成熟と喪失(1967)」において、本作を「治者の文学」であると称揚したのが戦後日本を代表する批評家の一人である江藤淳氏です。
江藤氏の整理によれば「戦後派」が「父」との葛藤を軸とした文学なのだとすれば「第三の新人」とは「母」との密着を軸とした文学である、ということになります。この点、安岡氏の「海辺の光景」は近代社会に直面した「母」の動揺と崩壊を描き出した作品であり、同時に「母」の肉感的な世界の中で「自由」を享受していた「子」が「個人」になることを強いられて無限に「不自由」になっていく過程を描き出した作品でもあります。
 
こうして「母」の「喪失」に直面した「子」には「波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立つてゐた」という風景に表象された「喪失感の空洞」だけが残ることになります。
 
そして氏は、このような「喪失感の空洞」の中に湧いてくる「(母を見棄てるという罪悪感としての)悪」を主体的に引き受ける態度こそがまさしく戦後日本社会における「成熟」の感覚であり「母」を喪失した「子」が「自由」を再び回復する道なのであると主張します。
 
それゆえに氏は、こうした「悪」を引き受ける「成熟」の主体を「治者」と呼びます。この点、伝統的に父性原理の強い西欧社会における「成熟」とは「子」が「父=近代的市民」になる事を指しています。けれども氏によれば、伝統的に母性原理の強い日本社会における「成熟」とは「子」が「父=近代的市市民」になるのではなく、むしろ「母=前近代的世界観」を見棄てるという「悪」を引き受ける事で、あたかも「父」である「かのよう」に振る舞う点にあるといえるます。
 
すなわち、このような意味での「母」が既に崩壊してしまった世界であたかも「父」である「かのよう」に日々を生きる「治者」の姿を、江藤氏は本作の大浦の中に見て取ったのでしょう。この点、江藤氏は、大浦が存在証明としているものに「怯えの感覚」と「「不審寝」の意識」があることを指摘した上で「もしもわれわれが「個人」というものになることを余儀なくされ、保護されている者の安息から切り離れておたがいを「他者」の前に露出しあう状態に置かれたとすれば、われわれは生存をつづける最低の必要をみたすために「治者」にならざるを得ない。つまり「風よけの木」を植え、その「ひげ根」を育てあげて最小限の秩序と安息とを自分の周囲に回復しようと試みなければならなくなるからである」と述べています。
 
もっとも実際に本作を読めば、その随所には様々な形で「母」の影が付き纏っていることが容易にわかるでしょう。言うなれば、ここで江藤氏のいう「治者」という存在は、究極的には自身が「母」に依存していることを「知っている」にもかかわらず、それでも「あえて」見棄てるふりをするパフォーマンスをもって「成熟」と見做す構造から成り立っているともいえます。ここには、たとえそれが究極的には無意味である事を知りつつも「あえて」それを行うところに何かしらの強度性を見出すという極めて戦後日本的アイロニズムひとつの変奏曲を見出す事ができるでしょう。
 

* 自我と自己の同一化

 
その一方で、庄野作品の持つ特異性にまた違った確度から光を当てていくのが村上春樹氏です。基本的に日本文学のあまり良い読者でないことを自認する村上氏ですが、プリンストン大学の講義録をもとにした「若い読者のための短編小説案内(1997)」においては、氏が例外的に評価する「第三の新人」の作品群を自身の創作上の命題である「自我(エゴ)」と「自己(セルフ)」という観点から読み解いていきます(ここで言う「自我」と「自己」の概念は、ユング心理学で用いられるそれとは別の、村上氏独自の定義によるものです)。
この点、村上氏によれば、人間存在としての我々の「自己」は外界と「自我」に挟み込まれてその両方からの力を等圧的に受けている状態とされます。そして、それが等圧であることによって、我々はある意味で正気を保っているわけですが、しかしそれは決して心地よい状況ではありません。こういう基本的な構図がまず村上氏の議論の出発点にあります。
 
そこで作家は小説を書こうとするとき、この構図をどのように小説的に解決していくか、あるいは相対化していくかという決定を多かれ少なかれ迫られることになります。例えば、安岡氏は自分の内部からの力の突き上げを技巧的にゼロ化しようと試みます。つまり自分の中の「自我」の力を見せないようにして、外界からの力を受け流しているように見せているわけです。これに対して、吉行氏は「自己」の位置を絶え間なく技巧的に移動させることで、外界との正面的な対立を回避すると同時に「自我」との正面的な対決も回避しようとしています。
 
では、こうした観点から見た場合、庄野氏における「自我」と「自己」の関係はどうなるのでしょうか。この点、村上氏は「第三の新人」の作品の読解においては、どこまでが私小説であり、どこまでが私小説的でないかという「見切り」がかなり大事なものになってくるといいます。例えば、安岡氏の場合はその「構造」は大いに私小説であるけれど、その「意識」はほとんど私小説ではないという「私小説/非私小説」の境界について極めて確信犯的な自覚があります。そしてまた、庄野氏の場合も「プールサイド小景」といった初期作品においてはやはり、こうした「構造」と「意識」の境目ははっきりしているといいます。
 
このように「第三の新人」の大まかな特徴というのは、私小説的な「構造」の中に非-私小説的な「意識」を投入することで生じるダイナミズムにあるわけです。ところが庄野氏の「静物」ではこのような「構造」と「意識」の区別ははっきりと明確ではありません。まさに静物画を壁に並べるように日々の出来事だけが淡々と描写されていくだけで、小説的な状況説明や心理描写がほとんど出てこないこの作品においては、そのどこか任意の部分を取り上げて、ここは「構造」であるということも可能であれば、いやこれは「意識」であるということもできます。
 
それゆえに村上氏によれば少なくとも同作において庄野氏の「自我」と「自己」の区別はつき難く、その結果、その周囲からの外圧はすべて奇妙に記号化されていくことになるとしています。そしてこうした構図は「静物」の実質的な続編といえる「夕べの雲」にも引き継がれているといっていいでしょう。
 
もっとも、村上氏は本作においては純粋無垢な「イノセンス」への憧憬が強く出ていると述べてもいます。おそらく、ここで村上氏のいう「イノセンス」とは、江藤氏のいう「治者」が究極的には「母」へと依存するという構造と強く関連するものと思われます。
 

* 戦後文学における「日常」の発見

 
こうしてみると、本作の描く「日常」とは、主人公が「治者」として振る舞うことで「自我」と「自己」の葛藤を乗り越えたところで生じたものであるといえます。こうした意味でおそらく「夕べの雲」という作品は少なくとも戦後の日本文学史において、初めて「日常」を発見した先駆的な作品といえるのではないでしょうか。
 
けれどもその一方で、旧来の「大きな物語」を後ろ盾とした家父長的規範が失墜した現代においては、もはや「治者」という戦後日本的アイロニズムが機能する余地は何処にもないこともまた確かでしょう。それゆえに現代においては「治者」とは別の回路によって「最小限の秩序と安息とを自分の周囲に回復」することで「日常」という名の「いま」の瑞やかさを再び発見していくための想像力が要請されているといえるでしょう。