かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

行動療法的アプローチによる仏教入門--反応しない練習(草薙龍瞬)

*「八つの苦しみ」にどう向き合うか

 
我々の日常はしばし何かへの執着とか何かへのイライラとか何かへの不安などといった諸々の感情に支配されることが多いでしょう。こうした我々が生涯で体験する様々な憂苦懊悩を古代インドの大賢者ブッダは「八つの苦しみ」として定義しました。
 
それはすなわち、①生きること、②老いること、③病にかかること、④死ぬこと、⑤厭わしい者との邂逅、⑥愛する者との別離、⑦求めるものを得られないこと、そして⑧このままならない人の心です。
 
ブッダの教えの特色は、人生とは基本的に「苦しみ」に満ちたものであるという「現実」をまずは所与の前提として受け入れてしまう点にあります。そしてそこからブッダは「苦しみ」の「原因」を正しく「理解」することで、その「苦しみ」を解決する「方法」を示します。本書はこうしたブッダの教えをベースに「ムダに反応しない」生き方を教える本です。
 

*「苦しみ」とは「心の反応」

 
本書は人生の様々な「苦しみ」を「心の反応」として捉え、その原因は人の「求める心」にあるといいます。ブッダが発見した「求める心」とは「求め続けていつまでも満たされない心」のことであり、これを仏教では「渇愛」といいます。「求める心」とはいわば反応し続ける心のエネルギー源のようなものです。
 
「求める心」はその発生後に「七つの欲求」に枝分かれします。現代心理学的にいえば「七つの欲求」とは①生存欲、②睡眠欲、③食欲、④性欲、⑤怠惰欲、⑥感楽欲(感覚の快楽)、そして⑦承認欲です。
 
つまりまず初めに「求める心」があり、それが「七つの欲求」を生み出し、その欲求に突き動かされて、不安や不満や怒りといった「心の反応」が起きるとということになります。
 

* 心を正しく「理解」するための三つのアプローチ

 
ゆえに、様々な苦しみを解決する方法とは、心の動きに「反応」するのではなく、正しく「理解」することで「ムダな反応」をしない生き方を身につけるということです。そこで本書は、心を正しく「理解」するための具体的なアプローチとして以下の三つを挙げています。
 
⑴ ココロの状態を言葉で確認する。
 
今の心の状態を「疲れを感じている」「気力が落ちている」「イライラしている」「考えがまとまらない」などという風に客観的に確認します。これは「ラベリング」と呼ばれる心の状態にぺたりと「名前」を貼って客観的に理解してしまう方法です。このラベリングを日常の動作にも「歩いている」「掃除している」「食器を洗っている」などと同じように適用します。
 
⑵ カラダの感覚を意識する。
 
手があるという感覚、手を動かす感覚、立ち上がる感覚、歩く時の足の裏の感覚、呼吸する時のお腹や鼻先の感覚など、全身の感覚を「見つめながら」動作をします。
 
⑴と⑵の方法はブッダの時代では「サティ」と呼ばれ、現代では「マインドフルネス」と呼ばれるアプローチです。
 
⑶ アタマの中を分類する。
 
心の状態を①貪欲(過剰な欲求に囚われている状態)、②怒り(不平不満を感じている状態)、②妄想(アタマの中でぼんやりと何かを考えている状態)に分類します。
 
この「貪欲」「怒り」「妄想」の三つは仏教的には貪・瞋・癡の三毒と呼ばれます。これらは仏教的には戒めるべき「三大煩悩」に位置づけられていますが、本書ではこれらを心の状態を見る有効なツールとして捉えています。
 

*「判断しない」という生き方

 
そして「妄想」の一種に「判断」があります。あれはこうに決まってる、あいつが悪くて私が正しい。人は判断したがる生き物です。判断は気持ちいいものだし、その判断が共感を得る事で承認欲も満たされます。こうした判断したがる心理の根底には物事への執着があります。ブッダは人は三つの執着によって苦しむといいます。求めるものを得たいという執着、手にした物ががいつまでも続くようという執着、苦痛になっている物事を無くしたいという執着です。
 
とりわけ自分の価値に執着する判断を「慢」と言います。傲慢さ、プライド、虚栄心、さらには劣等感や「自信がない」という思いも「慢」に該当します。
 
人は皆、自分の判断こそが正しいと思いがちです。けれど判断が正しいかどうかのブッダの基準は「真実であり、有益であること」です。この基準に立ち返ることで我々が行なっている判断のほとんどは実は真実でもなく 有益でもないことに気づかされます。
 
ブッダが教えるのはどのような「判断」も究極的には「妄想」であり、判断の正しさに執着すればそこには「慢」が生まれると本書はいいます。仏教が目指す「正しい理解」とは逆説的ながら「正しいと判断しない」理解ということです。
 

* 不快を減らして快を増やす

 
このように本書は心の動きを正しく「理解」することで「ムダな反応」の低減を目指していきます。もっとも「全ての反応」を害悪とはしません。本書は「快」を生み出す反応は、それが例え「煩悩」と呼ばれる欲求の類であっても(欲求不満という不快に転換しない限りで)大事にするよう勧めます。
 
すなわち、本書の提唱する暮らしの基本ルールは「不快な反応」を減らして「快の反応」を増やすということです。そして、目の前の現実や自らの人生に対して苦しみを超えたところで「これでよし」と思える「最高の納得」に辿り着くことが本書が目指すべきゴールです。
 

* 行動療法的アプローチによる仏教入門

 
本書の示す方法論は臨床心理学的には第三世代の認知行動療法として注目を集めるアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)と親和的です。ACTではさまざまな心理的・行動的な問題を言語と現実を混同した「認知的フュージョン」が引き起こす「体験の回避」の問題として一元的に捉えます。我々はしばしば「体験の回避」を繰り返して結果として余計に苦しくなるという悪循環に陥ってしまうわけです。これは本書でいう「ムダな反応」に相当します。
 
そして、こうした「認知的フュージョン」と「体験の回避」からなる悪循環は「ザ・システム」と呼ばれる様々な「文脈」によって引き起こされるとされます。ゆえにACTではまず、このザ・システムに揺さぶりをかけるため「想像的絶望」と呼ばれるワークを行います。これは本書でいう「人生は苦しい」という前提の受容です。
 
ここからACTの臨床は「認知的フュージョン」を解除するためのエクスポージャー系の技法や、自らの行動を俯瞰できる自己概念(文脈としての自己)を定立するというセルフモニタリング系の技法により「体験の回避」を低減する「アクセプタンス」と、自分の人生にとって「価値」を構築する行動活性化系の技法により「価値ある行動」に踏み出すという「コミットメント」へと展開することで心理的・行動的な問題の改善のみならず「人生の質」そのものの向上を目指していくことになります。本書でいう「ムダな反応=不快な反応」を低減するプロセスはアクセプタンスに相当し「快の反応」を大事にするプロセスはコミットメントに相当するでしょう。
 
この共通性は別に偶然ではありません。そもそもACTの基盤にはブッダの教えに由来する「マインドフルネス」という思想があります。換言すると本書の示すブッダの教えの実践はACTの実践に他なりません。いわば本書は行動療法的アプローチによる仏教入門と呼ぶべき一冊でしょう。