かぐらかのん

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リアリズムの起源を問い直すということ--日本近代文学の起源(柄谷行人)

 

*「言文一致」とはなんだったのか

 
我々はふつう自由な「内面」を持った主体として、この世界をありのままの「風景」として見ている、と思い込んでいます。しかしこれは一種の転倒の結果であり、その起源は既に忘却されています。本書はその起源を解き明かしていきます。
 
精神分析の始祖、ジークムント・フロイトは「意識」の成立条件として外傷経験によるリビドーの内向化とともに「抽象的思考言語」の獲得を挙げています。ここでフロイトのいう「抽象的思考言語」を、かつて我が国では「言文一致」と呼びました。
 
「言文一致」とは明治20年前後の近代的諸制度の確立が言語レベルで表れたものをいいます。この点「言文一致」とは単純に「話し言葉」と「書き言葉」を一致させることではありません。それはすなわち、全く新たな「言=文」という「抽象的思考言語」を創出するという一種の「文字改革」のことをいいます。
 
 

*「音声中心主義」という制度の確立

 
こうした意味での「言文一致」の運動の起源は幕末の前島密による「漢字御廃止之儀」の建白に求められます。
 
この前島の提言は「言文一致」の本質をよく捉えています。「漢字御廃止」とは、文字通りの意味というよりも、我が国伝統の漢字中心の形象思考を転倒させ、西洋流の「音声中心主義」を確立する思想に他なりません。
 
幕府反訳方を務めていた前島が注目したのはアルファベットのもつ経済性、直接性、民主性にありました。彼にとって西欧の優位性はその音声中心主義に求められ、従って日本の近代化において「音声中心主義」を確立することこそが緊急の課題とみなされたのです。そして一旦「音声中心主義」が確立されたのであれば、もはや漢字を実際に廃止するかどうかは二次的な問題に過ぎません。
 
そして、こうした「言文一致=音声中心主義」という制度の確立により出現したものが「風景」と「内面」です。
 
 

*「風景」と「内面」の発見

 
この点、明治20年代は「言文一致」の確立に向けた試行錯誤の時期となりました。この時期の「言文一致」の先駆的作品として、二葉亭四迷の「浮雲明治22年)」や森鴎外の「舞姫明治23年)」を挙げることができるでしょう。
 
そして、こうした試行錯誤の時期を経た明治30年代、ついに「言文一致」を完全にものにした作品が現れます。国木田独歩の「武蔵野/忘れえぬ人々明治31年)」です。
 
「武蔵野」では「風景」が従来の歴史的意味に覆われたいわゆる「名所」から切断されています。そして「忘れえぬ人々」では「風景」が登場人物の「内面」と緊密に結びついて描き出されることになります。
 
すなわち、ここで独歩は自らの「内面(自分自身の声)」の中に見出した「風景(認識論的布置)」を描いていた、ということです。もはや独歩において「風景」や「内面」は自明なものであり、その起源となった「言文一致」という制度はここで忘却されることになります。
 
 

*「学制」の確立と「児童」の発見

 
このように、我々がアプリオリと思い込んでいる「風景」や「内面」は言文一致=音声中心主義という近代的制度の導入による形象思考の転倒から生じていたということです。また同様のことが「児童」にも言えます。児童が客観的に存在していることは誰にとっても自明のように思えます。しかし「風景」と同じく、我々が見ているような「児童」はごく近年に発見され形成されたものに過ぎなません。
 
近代的な児童文学の出現は小川未明の「赤い船(明治43年)」あたりに求められていますが、近代以前の時期までは「児童」と呼ばれる子供は存在しませんでしたし、また「児童」のために作られた遊びも文学も存在しませんでした。すなわち「児童」も一つの近代的制度の産物であるということになります。
 
近代日本の富国強兵政策の一環としての「学制」は、従来まで様々な生産関係、諸階級、共同体に具体的に属していた子供を年齢別に抽象的・均質的な存在としてまとめて引き抜くことを意味しました。そして明治20年代に登場した「少年園」などをはじめとする日本の児童雑誌はそのような「学制」の補助として機能しました。
 
明治30年代にそれまで個々の例外的な突出としてあった「近代文学」が一般化しうるに至ったのは「学制」が整備され定着してきたことと関連していると本書はいいます。そしてその上で、小川未明ら児童文学者による「児童」の発見が可能となったということです。
 
 

* リアリズムの起源を問い直すということ

 
現象学の始祖、エトムント・フッサールはその晩年において、自然主義的に客体化された世界の「起源」を問おうとしました。例えば「太陽は東から上り西へ沈む」というのは経験的には当然のように見えます。しかし、コペルニクスが地動説をとったのは観察された惑星の運動が太陽を中心として考えれば数学的により整合的になるという理由からでした。このように日常的・経験的事実に背を向ける態度はガリレイにおける解析幾何学の導入において確立されました。
 
こうして「客観性」とは、もはや素朴な知覚によってではなく数学的な超越論性によってのみ保証されることになります。つまり我々が「客観的には地球が太陽の周りを回っている」というとき、それを保証しているのは経験ではなく数学であるということです。
 
けれども、こうした「客観性」の「起源」をひとたび忘れてしまうと、あたかも「客観性」がそれはそのようなものとして在るかのように見えます。それこそが、フッサールが「ヨーロッパ諸科学の危機」と呼んだものに他なりません。
 
我々は何かの事象を見て「これはリアルだ」などと言いますが、こうした物の見方はすでに或る特定のリアリズムに侵食されています。そして、その或る特定のリアリズムはやはり或る特定の制度=システムの産物に過ぎないということです。こうした一見、自明なものであるはずのリアリズムの「起源」を問い直す事により、我々はまた別のリアリズムの可能性を発見することだってあるでしょう。
 
例えば、大塚英志氏は近代文学のリアリズムを「自然主義的リアリズム」と名指して、ここに「まんが・アニメ的リアリズム」を対置させました。そして東浩紀氏は大塚氏の議論をさらに発展させて「ゲーム的リアリズム」を提唱しました。こうしてみると、現代文学における新たな創造力の可能性と開かれた批評の可能性はおそらく、このような複数のリアリズムの重なり合いと絡み合いの先にこそ見出されるのではないでしょうか。