かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

物語を紡ぎなおすという事--ジョゼと虎と魚たち(2020年)

 

 

 

* 物語の力を描き出した物語

 
人が世に棲まうためには、その人の生を基礎付けるための内的幻想、すなわち「物語」を必要とします。
 
「物語」は人が生きていく中で生じる様々な出来事を了解する媒介となります。この点、現代における最も強力な「物語」は「科学」でしょう。「科学」はさまざまな出来事に対して明晰な説明を与えます。けれども、人は自らが遭遇したあらゆる出来事を「科学」だけで割り切れるとは限りません。
 
とりわけ不幸な出来事に直面した時、人は「科学的説明」という客観的な「物語」とは別に、その出来事が「その人にとって」どういう意味を持つのかという主観的な「物語」を必要とします。
 
こうした意味での「物語」が持つ力を、まさに「物語」として描き出した作品が、昨年末に公開されたアニメーション映画「ジョゼと虎と魚たち」です(以下、ネタバレあります)。
 
 
 

* 全く新しいジョゼの物語

 
芥川賞作家、田辺聖子氏による同名の短編集(1985年刊行)に収録された本作の原作小説は、僅か30頁足らずの分量ながら極めて耽美的かつ退廃的な世界観を持った珠玉の小品です。そして犬童一心氏が監督を務めた同作の実写映画(2003年公開)は、原作の持つ特異的な世界観をさらに深め押し広げることで、ゼロ年代初頭に一世を風靡した「セカイ系」の臨界点へと到達した日本映画史に残る傑作となりました。
 
だから「ジョゼ」がアニメーションとして再び映画化されるという話を聞いた時は本当に驚きました。今更何を作ろうというのか、どう考えてもあの映画以上のものが作れるはずがないと、普通にそう思いました。けれども他方でティザービジュアルとして提示された、気だるそうに机に突っ伏していながら強い何かを宿した眼差しをこちらへ向けるジョゼの姿にはどこか惹かれるものがありました。
 
そのうち、もしかしてこの映画はただの懐古趣味ではなく、これまでのジョゼを打ち破る、全く新しいジョゼを本気で描き出そうとしているのではないかという、そんな気もしてきました。
 
果たしてその予感は的中しました。これまで原作小説と実写映画が築きあげてきた世界観を踏まえた上で、現代的なアップデートを成し遂げた「物語」として、ジョゼは再びスクリーンに帰ってきました。
 
 

* 転倒するセカイ

 
本作の中盤までのあらすじはこうです。海洋生物学を専攻する大学生、鈴川恒夫は、自身の夢である留学の資金を貯めるため、バイトを掛け持ちする日々を送っていた。そんなある日、バイト帰りの恒夫は坂道を転げ落ちてきた車椅子の女性、山村クミ子こと「ジョゼ」を偶然助け出す。
 
生来、下肢に障害を持つジョゼは祖母である山村チヅの庇護の下、これまでずっと他人と関わらず自分だけの閉じた世界の中で生きてきた。24歳らしからぬ少女めいた髪型と服装。その性格は高飛車かつ人見知りで情緒不安定。ジョセにとって外の世界とは「恐ろしい猛獣ばかり」の世界でしかなかったが、恒夫は成り行きからチヅにジョゼの世話を託され「管理人」としてジョゼを外の世界に連れ出していく。
 
「難病少女」と「優しい青年」の「心温まる交流」。こうした本作の中盤までの展開は、確かに典型的な「セカイ系」構造の反復といえます。けれども、本作は中盤以降でその構造を見事に転倒させてしまいます。
 
 

* 夢と現実と物語

 
本作中盤において、恒夫はこれまで彼の生を基礎付けてきた「物語」を完全に破壊される事になります。この点について本作は、極めて詳細な医学的説明を行なっています。けれど、むしろその説明が詳細であればあるほど、まさに医療技術は「身体」は修復できても「物語」を修復できないということが如実に描き出されるわけです。
 
けれども恒夫が機能回復訓練をやり抜き、再び留学のチャンスを掴むには新しい「物語」が必要だった。そうした中で、ジョゼが優しい絵と共に紡ぎ出したのはまさしく、恒夫にとっての新たな「物語」でした。
 
そして、こうした「物語」の創造はジョゼにとっても大きな転機になりました。庇護者であった祖母が逝去した後、1人になったジョゼは今後の身の振り方を考えなくてはならなかった。「絵で生きていく」という仄かな夢を懐き始めていたジョゼに対して、近所の民生委員は夢ではなく現実を見ろと説教する。また「恋敵」である舞は恒夫はジョゼに同情しているだけだと言い放つ。こうした容赦なき「現実」を前に、ジョゼは「夢」を切り捨て「自立」しようと決意します。
 
けれど恒夫を救うため「物語」を創造する中で、自らの「夢」を再発見したジョゼは「夢」を手放さないままに「現実」を生きていく「自立」の道を選び取ります。すなわち、ジョゼもここで祖母の死を乗り越える為の自らの「物語」を様々なめぐりあわせの中で紡ぎなおしていったという事です。
 
 

* 物語を紡ぎなおすという事

 
物語を紡ぎなおすという事。それはいわば内的意味での「死と再生」に他ならなりません。そしてそれは、お仕着せの「正しい物語」なき現代を生きるすべての人にとっての普遍的なテーマと言えるでしょう。
 
そういった意味で、本作はセカイ系の臨界を突破して、瑞やかな「愛のかたち」を提示するとともに、現代に相応しい「死と再生」を描き出した作品だといえます。
 
原作が「昭和のジョゼ」であり、実写映画が「平成のジョゼ」だとすれば、今回のアニメーション映画は疑いなく名実ともに「令和のジョゼ」と呼ぶに相応しい作品です。「物語」は人を救えるんだということを、本作から改めて教わりました。シナリオ、キャラクター、演出、作画、美術、音楽等々、すべてが素晴らしい完璧な映画でした。