かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

価値を変える知の考古学--「ミシェル・フーコー 近代を裏から読む(重田園江)」

 

* フーコー愛に溢れた一冊

 
人は知らず知らずのうちにある種の固定観念で世界を捉えます。その固定観念の枠内にいる限り、時としてその世界は非常に生き辛いものとなります。こうした固定観念を解体するには、その固定観念が歴史的に生成されてきた過程を解き明かす作業が必要となります。こうした「知の考古学」の実践者として知られるのが構造主義/ポスト構造主義を代表するフランスの思想家、ミシェル・フーコーです。
 
本書は「監獄の誕生」という後期フーコーの代表作を切り口として、フーコーを饒舌に語り倒します。フーコーという人は扱うテーマや自らの立ち位置を絶えず変化させ続けたある種の捉えどころのなさを持っています。本書の言葉でいえば「龍」のような思想家です。けれどその真骨頂は、見慣れたこの世界をまるで見知らぬ場所に変えるところにあると本書は言います。すなわち、フーコーの好んだ言葉で言えば「価値を変えろ」ということです。より多くの人にフーコーの魅力を知ってもらおうするフーコー愛に溢れた一冊です。
 
 

* 狂気と構造

 
フーコーは事実上のデビュー作である博士論文「狂気の歴史(1961)」で、その表題通り「狂気」が歴史的にどのように取り扱われたのかをテーマにしています。
 
同書によれば16世紀のルネサンス期までは社会は狂気に対して極めて寛容であり、街中の至る所に「狂人」が闊歩し、狂気は人々の日常の一部となっていました。ところが17世紀中葉、フーコーのいう「古典主義時代」になって状況が一変します。大規模な収容施設がヨーロッパ中に作られ、そこには貧困者、怠け者、性病患者、濫費家、堕落した聖職者など、いわゆる「社会不適合者」と見做された人々が隔離されます。こうした人々の中に「狂人」も含まれることになりました。
 
「古典主義時代」は一般に「啓蒙の時代」と言われ「理性」に対する信頼が極めて大きかった時代です。ところがフーコーはこうした「理性」の支配は「非理性」を自らのうちから排除して、これを従属させることによって成立しているといいます。
 
そして18世紀末「古典主義時代」が終わり「近代」が幕をあけます。そして近代において狂気とは「精神の病」とされ、医学や心理学による「治療の対象」となり今に至っているわけです。こうした歴史を紐解いていくことで、フーコーは狂気をそれ単独で理解するのではなく、社会全体のレベルで排除と包摂の相補関係という「構造」において捉えようとするわけです。こうしてフーコー構造主義の思想家として世に知られることになります。
 
 

* 構造主義の司祭へ

 
構造主義フーコーを一気にスターダムへと押し上げたのが、構造主義の最盛期に出版された「言葉と物(1966)」です。
 
同書を貫くキーワードは何と言っても「エピステーメー」です。元々のギリシア語では「真の知識」を指していますが、フーコーはこれに独自の意味を持たせ「言葉と物」における「エピステーメー」とは、認識、思考とった知的活動を秩序づける視座や基盤のようなものを指しています。
 
この点、フーコーはこの「エピステーメー」は時代に応じて変化しているといいます。ここでも「狂気の歴史」におけるルネサンス、古典主義、近代の歴史区分が持ち出されます。
 
そして、フーコーは、ルネサンス期のエピステーメーは「類似」ないし「相似」であり、古典主義におけるエピステーメーは「同一性」と「相違性」であるとした上で、近代におけるエピステーメーこそが「人間」であるとフーコーは言います。
 
ここでいう「人間」とは人間に対する一つの見方のことをいいます。ここでフーコーが想定しているのは、カント的な経験的=先験的(超越論的)二重体としての「人間」です。あらゆる経験可能なものが認識可能なものになる場。こうした「人間」を前提として成立したのが生物学、経済学、言語学といった人間諸科学です。
 
ところがフーコーは「近代の終わり=現代」において「人間の死」を宣言します。ここが同書のハイライトです。ここでフーコーは、構造言語学文化人類学精神分析学などの当時を代表する構造主義諸科学に「人間」を終焉に導く可能性を見るわけです。
 
この本は極めてマニアックな内容にも関わらず、当時、菓子パンのように売れたと言われ、フーコーは「構造主義の司祭」とまで持ち上げられました。
 
 

* 構造主義から権力論へ

 
ところが1968年に起きたいわゆる「パリ5月革命」を契機として、フーコー構造主義から離脱し、いわゆる「権力論」へと転回します。
 
フーコーは1970年にアカデミズムの最高峰「コレージュ・ド・フランス」の教授に就任する一方で「DIP(監獄情報グループ)」の政治活動に参加する。そして、この成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」です。同書においてフーコーは刑罰史を紐解きながら「権力」のあり方がどう変化したのかを解明していきます。
 
近代啓蒙思想絶対王政下における非人道的な身体刑を排して人道的な自由刑を導入した、というのが一般的な刑罰史のイメージでしょう。確かに近代啓蒙思想は、権力の恣意的な行使を制限し「法の支配」「罪刑法定主義」「被告人の人権擁護」などを打ち出し、刑罰体系に大きな変革をもたらしました。
 
けれどもその一方、実際の刑の執行においては近代啓蒙思想とは全く無関係な出自を持つ「規律」と呼ばれる様々な人間管理の技術が駆使されているとフーコーは指摘します。そしてこの様々な「規律」によって生み出されるのが「規律権力」です。
 
一般に権力という場合「上から下」への暴力的強制による支配としてイメージされます。ところが「監獄」における規律訓練の結果、囚人に生じるのは「常に監視されている」という視線の内面化であり、ここでは権力は「上から下」への外在的な支配ではなく、むしろ「下から上」への内在的な欲望として作動していることになります。
 
この規律権力を発動させる上で最も効率的な施設がイギリスの功利主義者ジェレミーベンサムによって考案された「パノプティコン(一望監視施設)」です。これは囚人を個別に空間配置し、できるだけ少数の監視者で、できるだけ多くの囚人を合理的に監視するシステムです。
 
そして、フーコーによれば、こうした権力のあり方は監獄だけではなく、学校、工場、病院、軍隊など、近代社会におけるあらゆる閉鎖空間の中に見出されます。つまり、監獄はこうした様々な場で行使される近代的権力のモデルとなっているということです。
 
 

* 規律権力と生権力

 
そして「監獄の誕生」出版の翌年、フーコーは「性の歴史」の第1巻として「知への意志(1976)」を公刊し、権力論をより広範な範囲で展開し始めます。ここで提出されたが「生権力」という概念です。
 
生権力とは人の生命を保証して秩序立てていく、文字通り「生命への権力」というべきものです。そして現代社会は規律権力と生権力が相補的に絡み合って並走することで成立しています。すなわち、我々は規律権力によってシステムに従順なイヌのように躾けられ、生権力によってシステムを回し車のごとく回し続けるネズミのような生を余儀なくされているということです。
 
安全で清潔で快適な社会を我々が至上善とする限り、人はどこまでも「権力」から逃れられません。けれどもその「権力」の行使において「目的」と「手段」がどこまで合理的な関連性を持っているかという事は不断に問い直されなければならないでしょう。その際に必要な態度が、まさしく「それはどこからやってきたのか」というフーコーの「考古学」的な思考に他ならないということです。