かぐらかのん

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悦びと生成変化のあいだ--「ドゥルーズ 流動の哲学(宇野邦一)」

* バランスの良いドゥルーズ哲学入門書

 
1960年代、フランス現代思想のトレンドは「実存主義」から「構造主義」へと変遷しました。レヴィ=ストロースを始めとする構造主義者が暴き出しだしたのは、我々の文化は主体的自由の成果などではなく、歴史における諸関係のパターンの反復的作動に過ぎないという事でした。
 
ところが1968年に起こったいわゆる「フランス5月革命」はまさにその「構造」への叛逆と言えるものでした。Egalité! Liberté! Sexualité!(平等!自由!セクシャリティ!)、構造は街頭に繰り出さない、構造に回収されない過剰性こそが構造を変革し破壊する。こうした「ポスト・構造主義」とも呼ばれる新しい時代の思潮を担う論客として華々しく世に登場したのがフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズです。
 
現在においてもドゥルーズという固有名詞は哲学、文学、芸術、政治、精神医学といった様々な領域の至る所に出没し、魔術師さながらにエキセントリックな概念と論理を繰り出しては多くの人を魅了します。
 
本書はドゥルーズ哲学の見取り図を時系列でコンパクトにまとめた一冊です。著者である宇野邦一氏は生前のドゥルーズから直接指導を受け「アンチ・オイエディプス」や「千のプラトー」の訳者としても知られています。いわゆる「ドゥルーズ=ガタリ」と「単独のドゥルーズ」の双方をバランス良く見渡す本書は、ドゥルーズ哲学の最適な入門書と言えるでしょう。
 
 

* 世界は無限の差異に満ちている

 
ドゥルーズは1925年1月18日、パリ17区に生まれました。1944年にソルボンヌ大学に入学し哲学を専攻。1948年、教授資格試験に合格。1957年、ソルボンヌ大学助手に就任。
 
事実上のデビュー作は「経験論と主体性(1953)」。その後、約10年の沈黙を経て「ニーチェと哲学(1962)」「カントと批判哲学(1963)」「ニーチェ(1965)」「ベルクソニズム(1966)」と立て続けに著作を発表します。
 
こうした様々な哲学者達のモノグラフィーを通じてドゥルーズ哲学の堅固な土台が形成されていきます。そしてその思索の成果は博士論文「差異と反復(1968)」と、その分身とも言える「意味の論理学(1969)」へと結実します。
 
ドゥルーズ哲学の世界観は「同一性」の批判と「差異」の肯定によって特徴付けられます。通常、我々はある事物Aは次の瞬間もやはりAであるという「同一性」を前提に世界を理解します。Aにどのような変化が起きようが、AはAであることは変わりない。「Aの変化=差異」は「AはA=同一性」に従属している。これが常識的思考です。
 
ところがドゥルーズはこうした常識的思考を「代理-表象」と呼んで批判します。要するにドゥルーズに言わせれば、「AはA=同一性」というのは所詮フィクションに過ぎず、Aの変化したものはもはや別なA’に他ならないという事です。
 
こうしてドゥルーズは同一性で区切られた世界の彼岸に、様々な差異が互いに接続する世界を真に実在的なものとして想定する。前者を「現働性」といい後者を「潜在性」といいます。これがドゥルーズにおける「差異の哲学」です。
 
世界は無限の差異に満ちている。すべての多様性が祝福されるひとつの世界。みんなちがってみんないい。こうしてドゥルーズの「差異の哲学」は世界中で熱狂的に歓迎されました。1970年に「差異と反復」と「意味の論理学」の書評を書いたミシェル・フーコーは「いつの日か世紀はドゥルーズ的なものとなるだろう」という法外な賛辞を贈ることになります。
 
 

* 欲望する機械

 
1969年、ドゥルーズはパリ第8大学哲学科の教授に就任。そして同時期、たまたま知り合ったラカン精神分析家にして左翼活動家であるフェリックス・ガタリと意気投合。ここで企てられた共著があの「アンチ・オイエディプス(1972)」です。
 
同書において究明されたテーマは「欲望」です。「代理-表象」を排して「差異」そのものを捉えるドゥルーズ的思考からすれば「欲望」もまた「代理-表象」ではなく「差異」の運動として捉えられます。
 
ここでガタリに由来する「機械」という概念が導入されます。同書における「機械」とは自然や生命や身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な対象に宿る非主体的、非人称的な力の作用のことを言います。ある「機械」は絶えず他の様々な「機械」へと接続され、切断されていく。
 
「欲望」とはこうした機械の連続的プロセスに他ならない。そして、その極点において成立するのが資本主義というシステムです。ところがこの資本主義というシステムは外部の多様多彩な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動します。
 
この点において、幼児の多形的欲望を「父ー母ー子」のオイエディプス三角形へと整流する精神分析はシステムの安全装置以外の何物でもなく、同書の立場からはラディカルに批判されることになります。
 
そして同書は資本主義システムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めます。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部に在る。すなわち、この世界を分裂症の側からみるということは欲望の外部性を奪還するということに他ならない。こうしてドゥルーズ=ガタリ精神分析に対して独自の「分裂分析」を提唱するわけです。
 
 

* ツリーからリゾーム

 
「アンチ・オイエディプス」という本はニーチェの「力」やスピノザの「情動」といった原理を、マルクスがいう「生産」やフロイトがいう「無意識」の次元において「欲望」として考察した試みとも言えます。
 
そして分裂分析が目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された「千のプラトー(1980)」において「リゾーム」という概念へ昇華されます。
 
リゾーム」とはタケやハスやフキのように横に這って根のように見える茎、地下茎のことをいいます。この点「ツリー(樹木)」は1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えています。これに対して、リゾームには全体を統合する中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなります。
 
こうしたリゾームという言葉によって、ドゥルーズ=ガタリは従来のツリー的秩序から外れたものに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくわけです。
 
 

* 時代の寵児としての「スキゾ・キッズ」

 
オイエディプスの首を切り飛ばし、すべてをリゾーム的に思考せよ。ドゥルーズ=ガタリの激烈なメッセージは革命の夢が潰えた時代の閉塞感に対するある種の解毒剤となりました。
 
そして日本でも「80年代ニュー・アカデミズム」という思想的流行の中でドゥルーズ=ガタリは多大なインパクトをもたらしました。その導線となったのは言うまでもなく、浅田彰氏の「構造と力(1983)」と「逃走論(1984)」です。
 
浅田氏は「健康化された分裂症」としての「スキゾ・キッズ」への生成変化を現代的な生き方として称揚します。近代における「追いつけ追い越せ」の「パラノ・ドライブ」からポストモダンにおける「逃げろや逃げろ」の「スキゾ・キッズ」へ。
 
氏の提唱する軽やかな生き方はバブル景気へと向かいつつあった80年代消費社会の爛熟とも同調して「スキゾ/パラノ」という言葉は1984年の第1回流行語大賞新語部門で銅賞を受賞。以降、日本の現代思想と批評がドゥルーズ=ガタリの決定的な影響下にある事は周知の通りです。
 
 

* 悦びと生成変化のあいだ

 
こうした一世を風靡したガタリとの共同作業がひと段落した後、ドゥルーズは再び単独での仕事に戻ります。「感覚の論理学(1981)」で絵画を論じ「シネマ(1983・1985)」において映画を論じ、晩年には再びガタリとの共著となった「哲学とは何か(1991)」において哲学そのものを論じます。
 
ドゥルーズの哲学はしばしば「悦びの哲学」とも言われます。もちろんこれは単純な楽天主義、ポジティブ思想とは一線を画するものです。むしろ、ここでいう「悦び」とは非主体的、非人称的な機械達によって行われる苛烈な連結運動です。そして、その彼方に突き抜けてしまえばもはや人は「悦びのオーバードーズ」の中で破滅するしかない。
 
一方で、我々が生きる21世紀はある意味で「ドゥルーズの世紀」であるとも言えます。いまやオイエディプス的価値観に規定された「大きな物語」は失墜し、精神分析の代名詞ともいえる神経症は影を潜め、世界はグローバリズムとネットワークという名のリゾームで覆い尽くされているかの如き観を呈しています。
 
けれども、それはかつてドゥルーズ自身が「制御社会」として危惧したような息苦しい世界に他ならない。要するに現代社会とはデータベース化された「悦びのシステム」が人をモルモットか何かのように制御する社会であるという事です。
 
もっとも、ドゥルーズの哲学は「悦びの哲学」であると共に「生成変化の哲学」でもあります。この点、晩年のドゥルーズは「生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない」という箴言を残しています。
 
無限からの有限。切断からの再接続。リゾームを内破する特異的な悦びのコラージュとしての器官なき身体
 
こうしたドゥルーズ哲学に内在する「生成変化」の原理は「悦びのオーバードーズ」に至る事なく「悦びのシステム」からも逃れていく起点でもあります。すなわち「ドゥルーズの世紀」に対しては、まさにドゥルーズ自身によって抗っていくことも可能であるということです。