かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

運命と絆の物語--マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝

 

 

* 「まどか」の名を冠するに相応しい物語

 
ゼロ年代アニメーションの総決算的作品として知られる「魔法少女まどか☆マギカ」。2011年、東日本大震災の翌月に放映されたTV版最終話は大きな反響を呼び起こし、最終回放映後は特集記事が世に溢れかえり、名だたる著名人が本作に言及。同年12月には第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞。そして翌々年に公開された映画「劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」も絢爛豪華な映像と衝撃的な結末が話題を集め、これまた期待に違わない大ヒットを成し遂げました。
 
こうして、まどか達の物語は一旦は幕を下ろしました。その後、続編の構想が幾度なく再浮上する過程で、外伝として企画されたのが本作の原作となるスマートフォン向けRPGゲームです。
 
正直に言えば、当初このゲームにはあまり期待していませんでした。本家まどかのシナリオを担当した虚淵玄氏が参加していないということもあって、外伝は所詮、外伝だろうと、そう思っていた部分はありました。
 
けれど実際にゲームをやってみると思いの外、そのシナリオの高い完成度に驚かされ、たちまちマギレコの世界に引き込まれました。本作は魔法少女の運命と絆を真正面から問う、名実共に「まどか」の名を冠するに相応しい物語だと今では断言できます。
 
 

* あらすじ

 
「まどか」の世界観設定を引き継ぐ本作は「魔法少女」と「魔女」が存在する世界です。魔法少女の素養を持つ少女は、不思議な白い生き物、キュゥべえと契約を結ぶことで「願い」を一つ叶える代償として、魔法少女として魔女と戦う使命を課される事になる。
 
そして本作の主人公である環いろはは自分が魔法少女になる時の「願い」をなぜか覚えていない。その一方、いろはの日常にはいつもどこかに見知らぬ少女の影がちらついていた。
 
そんなある日、いろはは同じ街の魔法少女である黒江から「神浜に行けば魔法少女は救われる」という噂を聞く。「神浜」とはいろはたちが住む街から少し離れたところにある新興都市、神浜市である。
 
魔法少女になった事を後悔していた黒江はその噂に縋り、今まさにその神浜市へ向かっている最中であった。しかしその時、いろはと黒江の乗る電車の中で魔女の結界が突如展開。いろは達は強制的に神浜市へ転送される。
 
魔女相手に苦戦を強いられるいろはの窮地を救ったのは神浜の魔法少女、七海やちよであった。そして、やちよはいろは達に神浜には近寄るなと冷たく言い放つ。
 
翌日、いろはは夢を通じて、自分には環ういという妹がいた事、自分はういの抱える難病を治すために魔法少女になったことを思い出す。
 
なぜ自分は今まで妹を存在ごと忘却していたのだろうか?いま妹はどこにいるのだろうか?
 
こうして、いろはは消えた妹ういを探すため、再び謎多き神浜へと向かう。そして彼女は未知の災厄「ウワサ」との邂逅、魔法少女結社「マギウス」との抗争を通じて「魔法少女の真実」を知ることになる。
 
 

* システムとしての魔法少女

 
この点「まどか」という作品が斬新だったのは、従来の魔法少女観を根本的に転倒させた点にあります。そこで描き出されるのは「夢や正義の象徴としての魔法少女」ではなく「システムとしての魔法少女」でした。
 
地球外生命体、インキュベーターは宇宙の寿命を伸ばす為、エントロピーに逆立するエネルギー源として人類の、それも二次性徴期における少女の「希望と絶望の相転移」による感情エネルギーに着目する。そして、そのエネルギー源を効率的に搾取する為のシステムが開発された。これが「魔法少女」です。
 
キュゥべえインキュベーターと契約し、一つの願いと引き換えに魔法少女となった少女は、その魂を身体から引き剥がされ「ソウルジェム」に具象化される。そして極限まで穢れを溜め込んだソウルジェムは魔女の卵である「グリーフシード」へと相転移する。かくて魔法少女は「魔女」となる。そしてインキュベーターはその際に生まれる莫大な感情エネルギーを回収するわけです。
 
かつてまどかが命懸けで改変したのは、魔法少女が魔女化することのない世界でした。けれどもその代わり、ソウルジェムに穢れを溜め込んだ魔法少女は円環の理に導かれ、この世からは消滅してしまう。いずれにせよ魔法少女になった以上、悲劇的な運命から免れることはできないということです。
 
 

* ドッペルという福音

 
ところが、本作ではこうした魔法少女の運命に終止符を打つかの如き革命的発明が登場します。これが「ドッペル」です。
 
「ドッペル」とは、端的に言えば「魔女化の代替行為」です。ソウルジェムに溜め込まれた穢れはドッペル発動により魔法少女の魔力へ変換され、魔法少女は魔女化することなく魔女の力を制御できます。
 
これこそが「神浜市に行けば魔法少女は救われる」という言葉の真意です。そしてこのドッペルを生み出したのが里見灯花、柊ねむ、アリナ・グレイからなる魔法少女結社「マギウス」です。
 
 

* マギウスという思想

 
一見、ドッペルは全ての魔法少女をその運命から解放する福音のようです。けれどもマギウスの目的はあくまでも自らの欲望の成就にあり、魔法少女の救済など所詮、目的に至るための手段でしかない。その為、彼女達は魔法少女はもちろん、無辜の一般人も平気で犠牲にする。こうして、いろは達はマギウスと敵対せざるを得ないわけです。
 
ただそれでも、アニメ最終話を飾る里見灯花の大演説は(釘宮理恵さんの迫真の演技もあって)何故だか心を打つものがあります。ここで彼女は魔法少女達に絶望のシステムへ抗う希望の翼であれと、檄を飛ばします。勿論、これは単なるプロパガンダです。けれども同時に、その言葉はグローバル化とネットワーク化が極まった世界において、環境管理型権力の統制のもとで人間がモルモットのように飼い慣らされていく現代社会の構造に対する告発状のようにも聞こえないでしょうか。
 
 

* 原作をより洗練させたシナリオ

 
アニメ化にあたっては魔女の原案を担当した劇団イヌカレー(泥犬)氏が総監督を務め、シュールレアリスム感溢れる前衛的な映像も本作の大きな魅力となっています。
 
本作の序盤に出てくる黒江さんは原作ゲームにはでないオリジナルキャラクターです。その他にも本作はアニメ化にあたって原作をかなりアレンジしています。
 
アニメにおける「原作改変」はあまり良い方向に行かないのが通例なんですが、マギレコの場合は、むしろ原作の解りづらかったところが上手く整理されており、アレンジとしてはかなり成功した例になるかと思います。
 
そして、原作後半ではマギウスの、灯花達の「本当の願い」が明らかになります。結局のところ、全ては最初のボタンのかけ違いのような出来事から生じていたわけです。この辺りをアニメはどう描きだすか。2期を楽しみに待ちたいと思います。