かぐらかのん

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対話による「新しい現実」の創出--「オープンダイアローグがひらく精神医療(斎藤環)」

 

オープンダイアローグがひらく精神医療

オープンダイアローグがひらく精神医療

 

 

 

* オープンダイアローグとは何か

 
フィンランドの西ラップランド地方トルニオ市にあるケロプダス病院のスタッフを中心に開発された「オープンダイアローグ(OD)」は、従来、薬物や入院が必須と考えられていた急性期の統合失調症を「対話」の力で寛解に導くことで精神医療に大きなインパクトをもたらしました。
 
現在、ODはシステム/実践/世界観の三つの領域において体系化され、今や精神医療の領域のみならず、福祉、教育、司法、ビジネスといった様々な領域で注目を集め始めています。
 
ODが日本で広く知られるきっかけとなったのは2013年7月に上映されたダニエル・マックラー監督の映画「オープンダイアローグ」です。本書の著書である斎藤環氏もこの映画をきっかけにODの存在を知ったそうです。
 
斎藤氏といえばラカン精神分析を始めとする力動的精神医学を基盤とした臨床家、批評家としてよく知られています。ところがODの存在を知って以降、斉藤氏は自身のアイデンティティとも言える力動的精神医学の立場をかなぐり捨ててまでODの実践・普及に取り組み始めます。本書は斎藤氏が様々な媒体で発表したODに関する論考をまとめたものであり記述に重複などが多いですが、氏のODに賭ける並ならぬ情熱がよく伝わってくる一冊です。
 
 

* チームによる対話の促進

 
ODの実践は一見、極めてシンプルです。クライアントやその家族から電話などで支援要請を受けたら24時間以内に治療チームが結成され、クライアントの自宅を訪問。治療チームと本人、家族、友人知人らの関係者が車座になって対話が行われます。
 
この対話においてはすべての参加者に平等に発言の機会が与えられます。ミーティングは1回につき1時間から1時間半程度。ミーティングの最後にファシリテーターが結論をまとめます。本人抜きではいかなる決定もされないことも重要な原則です。何も決まらなければ「何も決まらなかったこと」が確認されることになります。このミーティングはクライアントの状態が改善するまで、ほぼ毎日のように続けられる場合もあります。
 
このようにODの特色は治療者側が「チーム」で介入する点にあります。チームは精神科医、看護師、臨床心理士などで構成されますが、チーム内での序列はありません。皆が自律したセラピストとして対等の立場で対話に加わります。
 
そして、今後の治療方針を決める治療者同士の話し合いも患者側の前で行われます。これは「リフレクティング」と呼ばれる家族療法家のトム・アンデルセンによって開発された技法です。
 
診断、見通し、治療方針に関する議論を全て患者の前で開示することで、さらなる対話が促進され患者の意思決定も容易になるということです。むしろ患者の目の前で話し合えないような情報にはろくなものがないとさえ斎藤氏は言います。
 
 

* 「モノローグ」から「ダイアローグ」へ

 
こうしてODでは対話の場に参加者の言葉が投入されることで、自律性的に作動する対話システム(対話クラウド)が形成されます。対話システムが作動する目的はその作動それ自体がであり、こうした作動の結果として、患者の中で「新しい現実」が創出され、その副産物、ないし廃棄物として症状の改善や治癒が降ってくるというイメージです。
 
ODにおいてありがちな誤解に「つながりによって主体を溶解させる手法」というものがありますが、斎藤氏はそうではないといいます。ケロプダス病院のセラピスト、ミア・クルッティ氏の言葉を借りるのであれば、ODは「あなたが主体的に振る舞える場所」を見出すという帰結をもたらします。
 
斎藤氏が考えるODのイメージは「モノローグ(独り言)」の病理性を「ダイアローグ(対話)」へと開いていくというものです。多くの異質の声がひしめく「ポリフォニー」の空間の中で、お互いの視点や価値観の「違い」を分かち合っていくことで、関係性のネットワークが修復・再生され、患者の主体性が回復するということです。
 
 

* 新たな「言葉」を生み出す営み

 
ODには複数の理論的背景があります。思想的には社会構成主義ポストモダン思想、治療理論としてはシステム論的家族療法やナラティブ・セラピー、リフレクティング・プロセスといった複数の技法との関連が深いと言われます。
 
とりわけ重要とされる二つの理論的支柱がG・ベイトソンの「ダブルバインド理論」とM・バフチンの「詩学」です。前者はODのシステム論的なバックボーンをなしており、後者は対話そのものの治療的意義を基礎づけています。
 
この点、バフチンによれば、あらゆる発話は応答を求めており「言語にとって応答の欠如ほど恐ろしいものはない」とされる。これは人間がモノローグを脱してダイアローグを必然的に志向する存在と見なされるためだということです。
 
バフチンはその多声性概念において「意味」というものは語り手と聴き手のやりとりの中でしか生じないことと言います。そうした事から、ODでは有意義な対話を生成するため、治療チームは患者や他の参加者のメンバーの語りをていねいに傾聴し、その全てに応答していきます。そしてその応答は、相手の発言内容に即しながらも、さらなる別の問いかけの形を取ることになります。
 
すなわち、対話の行間に滲み出る患者の苦しみとか悲しみなどといった感情を参加者間で共有し、患者の苦悩を言い表す新たな言葉を生み出して行く営みこそが、ODにおける重要な治療資源となるということです。このように「モノローグ」を受容しつつも新たに問い直すということが「ダイアローグ」だとすれば、ODの本質はカウンセリングというより哲学的対話に近いのかもしれません。
 
長らく薬物療法中心の「内科モデル」を志向してきた精神医学は、近年、徐々のその限界性が自覚されつつあります。そして、いま再認識されつつあるのは「つまるところ人間は人間によってしか癒されない」という単純な事実であると本書は言います。こうした潮流の中でODが普及することで、我々が精神医療に抱くイメージは随分と違うものになるかもしれません。