かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「性愛」の深化から「友愛」の交歓へ--「カードキャプターさくら・クリアカード編 1巻〜8巻(CLAMP)」

 

 

* 新たなさくらの物語

 
少女漫画の枠組みを超えて現代サブカルチャーにおける魔法少女の概念を再発明したことで知られる創作集団CLAMPの不世出の名作「カードキャプターさくら」。1996年から2000年にかけて少女雑誌「なかよし」で連載された同作は、想定された読者層以外の様々な層を熱狂の渦中に叩き込みました。そして2016年「さくらの物語」は新たに「クリアカード編」として、しかもかつてと同じく「なかよし」で、まさかの復活を遂げることになります。
 
物語は前作の最終回直後から再び始まります。友枝中学校に進学した木之本さくら。長らく離れ離れになっていた相手役の李小狼とも再会し、これからの中学校生活に期待を膨らませる。けれどもその矢先、さくらはフードをかぶった謎の人物と対峙する奇妙な夢を見る。目を覚ますと新たな「封印の鍵」が手の中にあった。そして「さくらカード」は透明なカードに変化して、その効果を失っていた。
 
以後、立て続けに魔法のような不思議な現象が起こり出す。さくらは新たな「夢の杖」を使い、一連の現象を「クリアカード」という形に「固着(セキュア)」していく。そんな折、さくらのクラスに詩之本秋穂という少女が転入してくる。二人はお互い何かを感じるところがあったのか次第に交友を深めていく。一方、秋穂の傍らで執事を務めるユナ・D・海渡にはある目的があった。
 
 

* さくらと秋穂の日常

 
物語の中盤までは華々しいバトルと煌びやかな日常が繰り広げられる一方で、様々な謎が次々と堆積していきます。こうした二層構造の下、なかなか物語が動かない本作のゆっくりとした展開には若干のもどかしさを覚えたりもしましたが、ここに来て急速に物語の見晴らしが開けて来た感はあります。
 
今思えば本作が中盤まであまり物語を動かさずに、さくらと秋穂の日常における交歓を極めて丁寧に描いて来たのは、おそらくは秋穂というキャラクターへ読者が感情移入を深めていく為の準備作業だったのかもしれません。
 
すなわち、本作ではさくらと小狼の関係以上に、さくらと秋穂の関係に光が当てられているということです。
 
端的に言えば、さくらの旧編が「性愛の物語」であったのに対して、新編は「友愛の物語」として読み解けるということです。これは巻数を重ねる毎に強く確信するところです。こうして新旧のさくらの物語を読み比べてみると、その時代毎の成熟感がヴィヴィッドに反映されている事に気付かされます。
 
 

* 物語回帰としての「性愛」の物語

 
80年代における成熟のモードが物語批判であったとすれば、90年代のそれは物語回帰という事になります。当時は社会共通の価値観である「大きな物語」の失墜が明らかとなり「成熟」とは畢竟、いかなる「小さな物語」にいかに回帰するか、という問題でした。
 
そして数ある「小さな物語」の中で当時もっとも洗練されたものとみなされたのが、異性間における「性愛」を軸とした物語です。
 
例えば、村上春樹氏がその創作上の倫理的作用点を「デタッチメント」から「コミットメント」に転換した「ねじまき鳥クロニクル(1994〜1995)」においては、ヒロインの「性愛」を媒介項として、主人公のナルシシズムとヒロイズムが同時に記述されました。
 
また、90年代後半からゼロ年代初頭において一世を風靡した「セカイ系」的な作品群においても「無垢な少女」に守られる「無力な少年」が己の矮小さを「自己反省」する事をもって「成熟」とみなす構図が反復されていました。
 
そして、同時代におけるさくらの旧編もまた、少女漫画的文脈の中でこうした「性愛」を軸とした少女の成長物語を描き出したわけです。
 
 

* 異なる物語を生きる他者同士の関係性

 
ところがゼロ年代以降の時代情勢の変化はこうした「性愛」を軸とした成熟感を急速に陳腐化させる事になります。
 
グローバル化、ネットワーク化、ポストモダン化の加速により、それまで自明のものとされてきた価値観が目まぐるしく転倒して流転していく時代の潮流の中で、我々は否応なく異なる物語を生きる他者との関係を余儀なくされていく。
 
ここで物語回帰は新たなフェイズに遷移します。いまや問題は、どのような物語にいかに回帰するかの記述ではなく、異なる物語を生きる他者同士の関係性をいかに記述するかに他ならないという事です。村上春樹氏のタームで言えば、もはやデタッチメントかコミットメントかの選択の余地はなく、コミットメントの一択しかあり得ないという事です。
 
 

* 「性愛」の深化から「友愛」の交歓へ

 
この点、性愛的関係性を軸とした物語は、同じ物語を共有する2人だけの「閉じた関係性」への回帰に他ならない。すなわち、ここでは異なる物語を生きる他者同士における「開かれた関係性」を記述し得ないということです。
 
こうした中で、新たなさくらの物語はこうした成熟感の変化に対するひとつの回答と言えるでしょう。今作では、さくらは小狼という性愛的関係性以上に、秋穂という友愛的関係性によって自らのアイデンティティを記述していきます。
 
「性愛」の深化から「友愛」の交歓へ。「閉じた関係性」から「開かれた関係性」へ。新たな「さくらの物語」はこうした現代的視点から少女の成長物語を提示していると言えるでしょう。
 
本作も気がつけば8巻目。物語も佳境に入った感があります。けれどもまだ物語の核心をなす謎については明らかになっていませんし、ここに来て新たな謎も投入されました。そしてここでいよいよ前景化して来た「アリス」というモチーフ。「不思議の国のアリス」と「時計の国のアリス」の交差。ここからどのように物語が深まっていくか。本作の次なる展開を心待ちにしたいと思います。