かぐらかのん

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「空気」の外側に立つということ--「原子力時代における哲学(國分功一郎)」

 

原子力時代における哲学

原子力時代における哲学

 

 

* 「Atoms for Peace

 
1950年代とはいうまでもなく「核兵器の恐怖」が世界を支配した時代でした。1949年にはアメリカに続き旧ソ連も原爆を保有したことが公にされ、これに対抗する為、トルーマン大統領は1950年には水素爆弾の開発を指令。米ソは熾烈な核兵器開発競争に突入します。
 
しかし1950年代は同時に「原子力の平和利用」が魅力的に語られた時代でもありました。1951年に旧ソ連がオブニンスク原子力発電所の建造を開始し、これに危機感を抱いたアメリカは従来の核兵器開発競争一辺倒の原子力政策を転換。1953年12月にアイゼンハウアー大統領が「Atoms for Peace」という有名な演説を行い、国連の下に国際的な原子力機関を創設することを提唱。アメリカは原子力によるバラ色の未来を語り、世界中に原子力を売り込んでまわります。こうして1956年にはイギリスで西側諸国最初の商業用原発であるコールダーホール原子力発電所の運転が開始されます。
 
一方、日本国内はどうかというと、サンフランシスコ平和条約発効後、国内では原子力研究を推進するかどうかで大きな議論がありました。そんな中で1954年1月、米国務省から日本政府に「原子力発電の経済性」なる秘密文書が送付され、3月には核燃料「ウラン235」をもじったとされる2億3500万円の原子力関連予算がいつの間にか計上されてしまいます(いわゆる中曽根予算)。
 
そして1955年には正力松太郎氏の働きかけでアメリカから「原子力平和利用使節団」が来日し、同時期の読売新聞では「ついに太陽をとらえた」という連載が開始される。そして全国各地では「原子力平和利用博覧会」が催され大盛況となります。
 
こうした時代的空気の中で「唯一の被爆国である日本こそが原子力の平和利用を推進するべきである」という、今となってはよくわからない論理の言説が支配的となります。
 
こうして1955年に正力氏を代表とする原子力平和利用懇談会が発足。コールダーホール原発が運転開始した1956年には最初の原子力開発利用長期計画が策定される。そして1957年には早くもアメリカ製実験用原子炉JRR1が茨城県東海村で運転を開始する。
 
その後、1960年代に入ると我が国において原子力はいよいよ実用化されていくことになります。1961年に改訂された原子力開発利用長期計画は原子力エネルギーを「わが国経済の躍進を可能とするための鍵」と宣明し、1966年に日本初の商業用原発である東海原子力発電所が運転を開始する。さらに言えば東京電力が米ゼネラル・エレクトロニック社と福島第一原発建設の契約を締結したのもこの年です。
 
 

* いち早く「原子力の平和利用」の欺瞞を見抜いたハイデガー

 
このように1950年代においてラディカルに推進された「原子力の平和利用」に対して世界の大半の知識人は賛成的態度を示しました。そういった中で、ほとんど唯一、いち早く「原子力の平和利用」の欺瞞を見抜いたのが、20世紀最大の哲学者と言われるマルティン・ハイデガーです。
 
本書は1955年に行われたハイデガーの講演「放下」の読解を通じて、原子力時代の哲学を構想する一冊です。この「放下」という講演は本来はコンラーディン・クロイツァーという作曲家の生誕175周年記念式典にて行われたものですが、ハイデガーは記念式典には冒頭でちょっと言及しただけで、後は空気を読まずに延々と原子力の話を始めます。曰く、現代という時代は「原子力時代」であり、その「最も著しい目印」は原子爆弾であると。そういいながらハイデガーは「しかし」と続け「この目印は単に事態の前景に存する目立った目印の一つにすぎない」という。そして次のように言います。
 
決定的な問いは今や次のような問いである。すなわち、我々は、この考えることができないほど大きな原子力を、いったいいかなる仕方で制御し、操縦できるのか、そしてまたいかなる仕方で、この途方も無いエネルギーが--戦争行為によらずとも--突如としてどこかある箇所で檻を破って脱出し、いわば「出奔」し、一切を壊滅に陥れるという危険から人類を守ることができるのか?
 
--講演「放下」より

 

 
ここでハイデガーがいう「戦争行為によらずとも」という言葉は極めて重い意味を持ちます。原子力という技術に強い疑念の眼差しが向けられている現代でこそ、こういう事はごく普通に言えるわけです。けれども猫も杓子もが「原子力の平和利用」に浮かれていた1950年代の空気感の中、こういう事をいい切ったハイデガーは相当に先見性と勇気があったと言わざるを得ないでしょう。
 
 

* 「空気」の外側に立つということ

 
そしてこの講演において、ハイデガーは未知の技術に対して「然り」と「否」を同時にいう「放下」という態度を強調します。そして、この「放下」という態度は「秘密=謎」に対する「開け」を齎らし、その先には「省察・思惟」の基盤となる「来るべき新しい土着性」があるということです。
 
すなわち、ハイデガーは「放下」という態度を持って原子力技術という「秘密=謎」の本質に遡り「省察・思惟」することで「原子力の平和利用」という時代の空気の外側に立つことができたわけです。
 
本書はこうしたハイデガーの思考過程に綿密な検証を加え「放下」という概念にハイデガー哲学の代名詞といえる「存在」と同等の重みを認めます。この委細についてはぜひ本書を手に取って読んでいただきたいところですが、重要なのはハイデガーが述べるように、原子力と同じくらい不気味なものとは「省察・思惟」を放棄した人間であるという事です。
 
少なくとも長期的視野で見れば「脱原発」の理念には正しい核心がある事に異論はあまり無いとは思います。しかしこれをいかなる道筋で達成するかについてはそれこそ百家争鳴の議論があるわけです。
 
ここで危ういのは「こう言っておけばとにかく正義の側に立てる」というような、特定のドグマに縋り付き、それ以降は「省察・思惟」を放棄する態度に他ならない。
 
こうした態度の先に待っているのは、かつて左右のイデオロギー闘争が陥ったように、実現不可能な理想を叫ぶ事にこそ尊い価値があるという「政治と文学」の断絶による虚しい自己完結でしかないでしょう。
 
原発に限らず今日、我々は日々、未知の発見、未知の技術、未知のエネルギーといった様々な「リスク」に直面します。あるリスクを低減させる為の選択が予期せぬ別のリスクを呼び起こす。こうした「リスク社会」を生きる上で必要な知的態度とは何かを本書は問うているんだと思います。