「心穏やかに生きる」。これほど言うは易く行うは難き事もそうないでしょう。我々はいつも周りの状況に振り回され、様々なものに囚われて、怒ったりイライラしたり落ち込んだりしてしまいます。
周りの状況に振り回されず、何事に囚われることなく、どんな時でも空に浮かぶ雲の如き自由自在な心。これを禅では「柔軟心」と呼びます。
本当に、こういう境地に至れるものなら是非至りたいものです。けれどもどうすればいいのでしょうか?
「心を整える」ということ。それは我々凡人にとっては雲をつかむような話ではあります。
そこで「心を整える」為に、まず「形を整える」ところから入る。これが禅の発想です。
* 所作を整える
禅の修行は行住座臥におけるあらゆる「所作」を整えるところから始まります。ゆえに禅では様々な動作に決まり事があるわけです。
例えば、手の所作。禅では僧堂などを歩く時、立っている時は、叉手(しゃしゅ)という手の組み方をする。衣の袖が水平になる位置(胸の前)で親指を中に入れて左手を握り、右手でこぶしを包むようにする。
あるいは、視線の所作。立っているときは六尺(約182センチ)前に、座っているときは三尺(約91センチ)前に目線を落とす。前者は畳縦一枚分。後者は畳横一枚分です。
その位置に目線を落とすと、自然といわゆる「半眼」という仏様の眼差しと同じ状態になる。こうすることで余計な視覚情報を遮断して心を落ち着かせることができるということです。
こういった「ルール」は一見、バカバカしい事のように見えるかもしれません。けど「威儀即仏法作法是宗旨」という言葉があるように、日常の何気ない動作の中にこそ、人の内面性は現れるわけです。
* 調身・調息・調心
また、禅といえば座禅ですが、坐禅の三要素は「調身・調息・調心」と言われます。
姿勢を整える。呼吸が整える。心を整る。この三要素は密接に関連しています。
正しい姿勢とは、頭のてっぺんから尾てい骨まで一直線になるようなイメージです。姿勢を整えることで、腹式呼吸が可能となり呼吸が整ってくる。
つまり、姿勢を整えることで、呼吸が整い、呼吸が整うことで、自ずと心が整ってくるということです。
* 愛語よく廻天の力あり
有名な禅語に「和顔愛語(わげんあいご)」というのがあるように、禅は愛語で語りかけよと説いてます。
言いたいことを思いついたまま語るのではなく、その言葉を相手がどう受け止めるのかということを相手の立場になって考える。
同じ内容を伝えるのでも、相手の年齢や立場、人柄、力量によって、伝え方は当然異なってくる。その人にふさわしい伝え方というものがある。この人にはどんな言葉で伝えたらいいのだろうか?それを常に考える。
コミュニケーションは正しいか間違っているかという白か黒かの問題ではないわけでして、「内容」以上に「伝え方」が大事になってくるわけです。
だから何か言う時はその前に、一拍おいて、ロジカルとリリカルからのダブルチェックを入れてみましょう。
こうした習慣をつけることで、自分の中の「言葉のフィルターのきめ細やかさ」をあげていくわけです。
* おわりに
いかがでしょうか?「心を整える」ためにはまずは「所作」や「愛語」といった「形を整える」という禅の発想はある種、行動療法的ですね。
本書は禅の思想と実践を簡明に説く一冊です。日々の立居振舞の上で参考になるものは多いでしょう。
どうか日日是好日でありますよう。ではでは。