かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

民藝運動から創造社会へ

* 柳宗悦と民藝運動

 
明治期の日本において日本美術の振興に尽力したことで知られる岡倉天心は1903年に行った「美術家の覚悟」という講演において芸術家の意義につき「古来東西の美術家は、彼の宗教家の如く、又た文学者の如くに、自ら文明の先駆となりて一世を導くが故に尊重せられたり」と述べています。すなわち時代の先駆となる点にこそ芸術家の意義があるというのが天心の理解でした。そのことを天心は「凡そ美術家として尊重すべき所以は、世の先覚となりて美の門鎖を開き、人生を慰藉して之れを高尚に導く天分あるが故のみ。其凡庸の職工人たるにいたりては、何等の点にか特殊な尊敬を払うべき」とも述べています。
 
ここで天心は「美術家」と「職人」あるいは「工人」を明確に区別し「工人」を「米櫃のために制作をする人」として低く評価しています。確かに近代美学の伝統においてはイマヌエル・カントが美の特徴として挙げた「無関心」のように、美とは何かの役に立つかどうかという評価から切り離されたところで成立するものであると理解されてきたところがあります。現代においても他の目的のためではなく純粋に芸術的・創造的意欲から生み出される芸術にこそ価値があるという考え方は広く受け入れられているでしょう。
 
こうした美術観に対して明確な異議を唱えたのが昭和初期にいわゆる「民藝運動」をリードしたことで知られる柳宗悦です。柳は名もなき職人が作り民衆がその日々の暮らしのなかで用いている器や家具、織物の美といった民衆的工芸、すなわち「民藝」に注目します。柳は代表的著作である『工藝文化』において生活に結びついた民藝の美を「無事の美」と表現しています。これは禅に由来する表現であり、例えば『臨済録』において「無事はこれ貴人、ただし造作することなかれ」という表現があるように、無事の境地にすむ人こそ尊いのであり、強いて事を作為するようなことをしてはならないという意味です。つまり「無事の美」とは日々の生活のなかに垣間見える自然な美を指すものです。
 
もちろん柳も天才の創り出す偉大な美を否定しようとしたわけではありません。しかしこうした偉大な美に至るには大抵は凡人が決して歩むことのできない険阻な道を経なければならず、そうであれば、こうした稀有の天才だけが歩める険阻な道はむしろ「傍系の道」であり、ある程度修行さえ積めば天才でなくとも生み出すことができる民藝の美の方が「美の大道」ではないかと主張しました。
このような柳の美術観に基づき展開されたのがいわゆる「民藝運動」です。1941年に発表した『民芸とは何か』において柳は蒔絵や螺鈿細工のような高貴な美の特徴である複雑で繊細な技巧、あるいは顧客の注意を引こうとする作者の意図や作為性と対比して、民芸の美の特徴として「無駄をはぶいた簡素、作為に傷つかない自然さ」を挙げており、前者の特徴が「有想」だとすれば後者の特徴は「無想」にあるとも述べています。
 
蒔絵や螺鈿細工のような「上手物」を作る人はそこに自分の意図を、あるいは独創性を込めようとします。これが「有想」です。これに対して民芸のような「下手物」を作る人はそういう意図は持たず、一般の人々の生活にいちばん役立つようなものを作ろうとします。これを柳は「無想」という言葉で表現しました。そこでは複雑さや奇抜さよりも単純性が、華やかさよりも質素さが、繊細さよりも堅牢さが旨とされています。
 
こうしたことから柳が1926年に河井寛次郎らとの連名で発表した「日本民藝美術館設立趣意書」を嚆矢として展開された民藝運動とは、そのような単純で質素で堅牢な日々使われる民芸品ないし工芸品のなかに美があるという認識を広めようとする運動であるといえます。同設立趣意書の表現で言えば「美が自然から発する時、美が民衆に交わる時、そうしてそれが日常の友となる時」を実現する運動であったということです。では、こうした柳が展開した思想と民藝運動は現代においていかなる意義を見出すことができるのでしょうか。
 

* プラットフォームから「庭」へ

 
批評家の宇野常寛氏は近著『庭の話』(2024)において今日の情報環境は社会の分断と民主主義の機能不全を引き起こす「相互評価のゲーム(発信と承認の快楽が前面化したゲーム)」に支配されているとして、ソーシャルメディアに代表される「プラットフォームの時代」を内破するための方法を「庭」という比喩を用いて論じています。

 

庭の話

庭の話

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プラットフォームには人間間のコミュニケーションしか存在しません。しかし「庭」は異なります。「庭」は人間外の事物であふれる場所です。草木が茂り、花が咲き、そしてその間を虫たちが飛び交います。「庭」にはさまざまな事物が存在し、その事物同士のコミュニケーションが生態系を形成しています。しかし同時に「庭」とはあくまで人間の手によって切り出された場です。完全な人工物であるプラットフォームに対して「庭」という自然の一部を人間が囲い込み、そして手を加えた場は人工物と自然物の中間にあります。
 
だからこそ人間は生態系に介入し、ある程度まではコントロールできます。しかし完全にコントロールすることはできません。「庭」とはその意味で不完全な場所です。しかし、だからこそプラットフォームを内破する可能性を秘めています。つまり問題そのもの、事物そのものへのコミュニケーションを取り戻すためにはいまプラットフォームを「庭」に変えていくことが必要であると同書はいいます。そこで同書はまず現代を代表する庭師であるジル・クレマンの「動いている庭」やエマ・マリスの「多自然ガーデニング」といった仕事を参照し「庭」の条件をひとまず次のように示します。
 
第一に「庭」とは人間外の事物とのコミュニケーションを取る場所でなければならないということです。今日において人間は事物そのものに触れることよりも事物を用いた「相互評価のゲーム」に引き寄せられています。その方が速く簡単に承認を手に入れることができるからです。それゆえに人間がこうした「相互評価のゲーム」とは無関係に事物にアプローチするためには、まずその場がこのゲームとは無関係に人間がそれらと遭遇できる環境が必要となります。
 
第二に「庭」とは事物同士がコミュニケーションを取り、豊かな生態系を構築している場所でなければならないということです。世界にいかに多様な事物が溢れていようとも「相互評価のゲーム」においてハッシュタグという画一的なフィルターを通して触れる事物は決して多様なものになりません。この罠を回避するにはコミュニケーション可能な人間外の事物が人間の介入=タグ付けではなく独自のアルゴリズムを用いて生態系を形成し、常に動的であることが必要になります。
 
第三に「庭」とは人間がその生態系に関与できるけれども、完全に支配することはできない場所である必要があるということです。「相互評価のゲーム」の舞台となるプラットフォームの実態はユーザーが速く、簡単にかかわれる領域(プラットフォームにおける投稿)と、逆にほぼかかわることができず、全く支配の及ばない領域(プラットフォームそのものの設計)に二分されています。そしてこのプラットフォームの二層構造はある領域についての全能感とある領域についての無力感を人々にもたらし、それゆえに人々は自分達が全能感を持ってかかわることのできる領域で展開される相互評価のゲームに強くコミットしてしまうことになります。それゆえに「庭」はプラットフォームのような両極端な二層構造を持たない、一方で自分が世界の一部であることを実感できる場所であると同時に、他方でその結果をコントロールすることができない場所であることが必要となるということです。
 

* 手仕事とコレクティフ

 
そして同書はこうした「作庭」にもっとも近い実空間における実験的な試みとして東京都小金井市にある就労継続支援B型事業所「ムジナの庭」の取り組みを紹介しています。利用者のケアにも注力しているという同施設の特徴は庭の植物の世話や小物の製作といった同施設が「手仕事」と呼ぶ人間外の事物とのコミュニケーションを重視している点にあります。
 
「ムジナの庭」では日によって訪れる利用者の顔ぶれは入れ替わり、そこで行われる「作業」もあえて決められておらず、あらかじめ枠組みを可能な限り設定しないことが何よりも重視されているそうです。結果、そこにはある種の「わかりづらさ」が発生します。しかしこの「わかりづらさ」を引き受けることこそが重要だと鞍田氏は述べています。そしてそのような「わかりづらさ」によって確保される、ばらばらのまま人々がつながっている状態を氏は「コレクティフ」という言葉で説明しています。
 
精神分析家フェリックス・ガタリによる「制度論的精神療法」の実践で知られるラボルド病院を開設した精神科医ジャン・ウリはラボルドにおける実践のコンセプトを「コレクティフ」という概念から説明しました。この「コレクティフ」という概念はもともと実存主義を代表する思想家ジャン=ポール・サルトルが『弁証法的理性批判』(1960)で用いたものです。
 
例えば停留所でバスを待っている人々がいるとして、これはひとつの集団として考えることができますが、サルトルによれば彼らは決して革命の主体となることはありません。サルトルは単に群れているだけの集団ではなく、特定の目的を共有する組織化された集団こそが社会を牽引すると考え、前者の不十分な集団を「コレクティフ collectif」と呼び、後者の望ましい集団である「グループ groupe」から区別しています。
 
しかしウリはサルトルがその必要性を訴えた目的の共有と組織化というそれこそが人間を疏外しているとして、むしろ望ましい集団とは「グループ」ではなく「コレクティフ」であるべきだと考えました。こうしたことからウリの提唱する「コレクティフ」とは「構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながら、しかも全体の動きに無理に従わされていることがない状態」のことを指しています。
 
こうしたことからウリは病院における人間間のコミュニケーションを「コレクティフ」な状態に保つための制度設計を重視しました。これに対して「ムジナの庭」はこうしたウリのアプローチをベースにその力点を建物や庭など、人間外の事物とのコミュニケーションに移行したところにその特徴があります。
 
鞍田氏は同施設の運営指針を「コンパニオンプランツ」という園芸用語で説明しています。「コンパニオンプランツ」とは例えば家庭菜園においてトマトの側にネギを植えて害虫を遠ざけようとするように、近くに2種類以上の植物を栽培することで結果的に良い影響を与え合うことを指しています。そして「ムジナの庭」においては施設の庭に生息する植物を生かした多岐にわたる「手仕事」がこの作物たちにあたります。
 
この点、氏は「ムジナの庭」をひとつの「生態系」として捉えているといいます。こうした施設ではある利用者がいなくなったり逆に新しい利用者が加わったりすると、全体の雰囲気やそれを生み出す利用者たちの関係性が一気に変わります。だからこそ氏は「手仕事」という人間外の事物とのコミュニケーションを重視します。
 
ここで重要となるのが「人間が一度人間外の事物を経由することで、他の人間に触れることだ」と宇野氏はいいます。すなわち、人間外の事物とのコミュニケーションの結果として「たまたま」人間間のコミュニケーションが発生するという機序によりはじめて人々がばらばらなままでたまたまつながるという「コレクティフ」が確保されるということです。
 

* 事物におけるインティマシー

 
このように「ムジナの庭」は「手仕事」という事物とのコミュニケーションにより、人々を「コレクティフ」な状態へと留めおこうとします。では、このような「コレクティフ」な状態を生む事物の条件とは何なのでしょうか。
 
この点、鞍田氏の配偶者であり民藝運動の研究者としても知られている哲学者の鞍田崇氏は「官製の「美術」という制度に対するカウンターカルチャー」としての民藝運動は「運動それ自体の役割はすでに終わったものなのではないか」という宇野氏の質問に答えて、その認識をなかば認めながら、しかし民藝のもつ精神性は現代にこそ必要とされているのではないかとした上で、現代における民藝「的」な事物として機能するものは--まさに「ムジナの庭」のような--ケアの現場に存在できると述べています。
 
鞍田(崇)氏は100年前の柳宗悦らによる民藝運動を「生の哲学」の潮流の一つとして位置付けています。ここでいう「生の哲学」とは19世紀から20世紀初頭にみられた近代批判の潮流で、合理化や工業化が人間の物質的な生活を豊かにする反面、その精神生活を貧しくしたと考え、その失われたものを取り戻そうとする哲学の動向とされます。こうした「生の哲学」を代表する思想家としてドイツにおけるアルトゥル・ショーペンハウアー、フリードリヒ・ニーチェ、フランスのアンリ・ベルクソンやアメリカのウィリアム・ジェイムズなどが挙げられますが、氏はニーチェと同時代のウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動を、そしてその影響下にある柳らの民藝運動を、このような潮流の一端として位置付けます。
 
そのため氏は柳の提唱する「用の美」を職人たちの手仕事のなかで育まれた独自の外見の美としてでもなければ、それが用いられることによってはじめて発揮されるある種の機能美としてでもなく、近代化によって失われた「生の実感」をもたらすものとして位置付け、それを「インティマシー(いとおしさ)」という言葉で表現します。
 
こうした民藝の持つ「インティマシー」を氏は例えば柳の盟友である河井寛次郎が戦時中の京都の植田集落を訪れた際のエッセイに発見し、河井がそこで発見した家屋を「眞當の」「喜んで生命を託するに足る」「永遠な」住居だと評し「どれもこれも土地の上に建つたといういふよりは、土地の中から生え上がつた」ようだと感じていることに注目し、ここに柳や河井が展開した民藝運動の精神の本質を見ています。
 
こうした氏の洞察を受けて、宇野氏はここで問われているのは事物を通じて人間と世界とのつながりが実感できることであるといいます。職人の手仕事によって作られた民藝は、それが工業製品ではない手仕事であり、にもかかわらずそれを作り上げた職人が名もなき存在であるからこそ、使用者はそれを自分の手足の延長だと感じることができます。そして、それを用いることで人々がその道具たちに「インティマシー」を感じた時、その事物を通じて世界にかかわり合っている「生の実感」がもたらされることになるということです。
 

* 民藝運動から創造社会へ

 
では翻って「ムジナの庭」における「手仕事」のように事物を「用いる」のではなく「つくる」時、人間と世界はどのように結びつくのでしょうか。ここで同書は井庭崇氏のパターン・ランゲージ論を援用した議論を展開します。パターン・ランゲージとはクリストファー・アレグザンダーによる建築と都市計画の理論で、単語を組み合わせて文章ができるように「座れる階段」「手近な緑」「つながった遊び場」「泳げる水」などといったいくつかの「パターン」を組み合わせて建築物や都市を作り上げていく手法をいいます。
 
まず井庭氏は今日の社会を情報社会から創造社会への転換点にあると考えます。ここでいう創造社会とは事物を「制作」する、つまり「つくる」ことによる自己実現が支配的になる社会のことを指しています。このような「つくる」対象には物理的な「モノ」だけではなく、イベントやシステムなど「コト」の領域も含まれます。そして氏はこうした事物を「つくる」ことで人間と世界とが接続される未来を構想します。
 
氏はここで民藝とアレグザンダーのパターン・ランゲージを接続します。柳とアレグザンダーはともに近代の工業社会で大量生産される物品に人間疎外を見て、ともに「民衆がつくるものにこそ美しさが宿る」と考えました。そして氏は柳のいう「無心の美」という概念に注目します。ここでいう「無心」とは意図や作為のない状態をいいます。伝統の中で無名の職人たちによって作られた物品は近代的な自我のもたらす意図や作為とは無縁のため自然の持つ美の延長に存在するともいえるでしょう。そこで氏はこうした柳のいう「無心の美」とアレグザンダーのいう「無名の質」を重ね合わせ、こうした「無心の美=無名の質」は、柳のいう「用の美」の中に鞍田氏が見出した「インティマシー」によって支えられているといいます。
 
柳が100年前に展開した民藝運動は名もなき職人たちの作る物品の「用の美」の再評価を訴えるものでした。そして、アレグザンダーのパターン・ランゲージはこうした民藝運動の精神を継承するものであるいえます。つまりパターン・ランゲージという知恵をオープンなコミュニティでシェアすることで、人はそれぞれの「パターン」に織り込まれた歴史的な知見を活かしながら「無心の美=無名の質」を損なうことなく「インティマシー」を発揮する事物を「つくる」ことが可能となります。これが井庭氏のいう創造社会のビジョンです。こうした井庭氏の提示するビジョンを受け、ここから同書はプラットフォームにおける「相互評価のゲーム」を内破するための鍵を事物を「つくる」という「制作」に見出していきます。
 
民藝運動から創造社会へ。この両者は時空を超えてインティマシーという回路を通じた生の実感でつながっているといえます。このように柳がかつて展開した思想と民藝運動、さらにはその背景をなす生の哲学という潮流はプラットフォーム時代における情報社会論という文脈から読み解くことができます。そうであれば、さらにはそこから近代美学のパラダイムを更新するような、いわばインティマシーの美学を立ち上げることもできるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ハンナ・アーレントと人間の条件

* 全体主義の起源から人間の条件へ

 
今年生誕120周年を迎えたハンナ・アーレントは1906年、ドイツのハノーバーでユダヤ系の中産階級の家庭に生まれ、マールブルク大学でマルティン・ハイデガー、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースという錚々たる面々に師事して哲学を学び、博士論文『アウグスティヌスにおける愛の観念』を執筆したのち、19世紀初頭のベルリンでロマン派の文人などを集めたサロンを主宰したユダヤ人女性ラーエル・ファルンハーゲンの評伝を書いています。
 
1933年に政権を掌握したナチスの迫害を怖れたアーレントは母親とともに出国し、プラハからジュネーブを経てパリへ逃亡し、中東パレスチナにユダヤ人の故国を建設しようとするシオニズムの運動に協力します。ユダヤ人としての自己の存在の意味について本格的に考え始めたのもこの頃からだといわれます。
 
第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍がパリに迫りくる1940年5月、フランス政府は亡命したユダヤ人を敵国人とみなし、アーレントもピレネー山脈近くのギュルス収容所に移されますが、同年6月にフランスが降伏するとドイツ軍のパリ占領の混乱を機に収容所を脱出し、スペイン国境を越えてアメリカ合衆国に渡航します。
 
1941年5月にニューヨークに着いてから1951年にアメリカ国籍を取得するまでの間、アーレントは亡命ユダヤ人として執筆活動を始め、ユダヤ系の新聞『アウフバウ』や『パルチザン・レビュー』などの雑誌に投稿する一方で、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビアなどの大学で教鞭を執っています。その一連の活動と思索の成果が1951年に公刊された第一の主著『全体主義の起源』です。
 
同書においてはナチス・ドイツの支配下に入ったドイツの国民がごく普通の人々から知識人に至るまで一夜にしてそれまでの道徳心を喪失してナチスに協力するようになったのはどうしてなのかという問いが歴史的側面、政治的側面、心理学的側面から検討されることになります。
 
まず第一の歴史的側面についてアーレントはドイツにおける「種族的なナショナリズム」を指摘します。近代という時代は革命による国民国家の成立とともに始まりましたが、この国民国家とは「国民 nation」と「国家 state」という二つの異質な概念をまとめたものです。ここでいう「国民 nation」とは共通の歴史や伝統や紐帯を持つ民族や文化に結びつく歴史的な概念であり、これに対して「国家 state」とは特定の領土を持つ国家が、そこに住むすべての住民を支配する権力機構を備えていることを示す政治的な概念です。
 
それゆえにドイツのように民族の存在空間が国民国家の領土と一致しない国家では「国民 nation」という概念と「国家 state」という概念が矛盾を引き起こし、こうした国においてナショナリズムは国家的な統合の役割を果たすのではなく、いわばネーションがステートを食い破り「血の絆」のような自然的幻想に依拠して自らの民族の統一を願う民族的なナショナリズムが成立することになります。アーレントはこうしたナショナリズムを「種族的なナショナリズム」と呼びます。この種族的なナショナリズムはその民族の「血の絆」を重視する理論のため必然的に人種差別を生み出してしまいます。ドイツにおいてそのターゲットとされたのがユダヤ人であったということです。
 
そもそもキリスト教文化圏であるヨーロッパでは伝統的に身近に暮らすディアスポラであるユダヤ人に対する偏見や差別感が生まれることが多く、ヒトラーはこの傾向を最大限に利用しました。ヒトラーによる反ユダヤ主義の戦略によってドイツ社会では既存の組織をナチス的な組織に改変する均制化が進み、その過程で多数のユダヤ人が公職を追われることになります。そして、このようなナチスの均制化とユダヤ人の公職追放はドイツの一般市民に恩恵を与えると同時に屈辱感と罪責感を強めるようになり、この逆説的な経路を通じてナチスは人々の忠誠心を調達することになります。
 
次に第二の政治的側面についてアーレントはネーションがステーツを食い破り「種族的なナショナリズム」が猛威を振るう「国民国家の悲劇」を象徴的に示す少数民族と無国籍者の問題を取り上げています。少数民族は自らの言語と文化を抑圧され、独立を訴えると多数民族が主権を握る国家から弾圧され、無国籍者は法律が国民にしか適用されないことが原則である国民国家では完全な無権利状態になります。
 
こうした少数民族と無国籍者が置かれる境遇をナチスはユダヤ人を絶滅させるために巧みに利用します。すなわち、まず最初に国内のユダヤ人をドイツにおける非公認の少数民族の地位に追い込み、次に無国籍者にして国境から追放します。困窮状態で国外に追放されたユダヤ人は受け入れ先の近隣諸国でも厄介者として扱われ、これらの国でも反ユダヤ主義が蔓延しユダヤ人の扱い方についてドイツを非難できなくなります。
 
やがて国境から追放されたユダヤ人は回り回ってドイツに送還されてくることになります。そしてナチスが最後に行ったのは送り返されてきたユダヤ人を自由に「処分」してしまうことに異議があるかを他の諸国に公然と尋ねることでした。こうして「彼らが全人間世界における〈余計者〉あるいは居場所がない者であることが実証されたとき、初めて絶滅が開始された」とアーレントはいいます。
 
そして、このようなユダヤ人の運命がドイツ国民の道徳性を揺るがせる上で大きな影響を与えたのは明らかです。まず第一に国民は自分がドイツという国家に所属していることを喜ばざるを得ず、人権が国家の力によってのみ保障されることを実感し、その結果、国家の唱える道徳規範が自分達がこれまで抱いていた道徳規範と異なるものであっても、国家の道徳規範に服従することになります。
 
そして第三の心理学的側面についてアーレントは大衆社会における「孤立」という心理状態をあげています。ここでいう「大衆」の特徴として、その人数が多いこと、政治的に無関心であること、政治的集団を組織しないことが挙げられます。そしてこのような「根無し草」としての大衆は他の人々と公的な空間において連帯することができないため、全体主義のような回路を通じてその力が吸い上げられることになります。
 
この点、アーレントは人間が他者との結びつきが断たれて単独な「1人」になる状態を「孤独」「孤絶」「孤立」という三つの概念によって区別しています。ここでいう「孤独」とは他者との関係を断って自己と向き合っている状態をいい「孤絶」とは何か専念し自他を忘却している状態をいい「孤立」とは他者から見捨てられた状態をいいます。こうした区別を前提に全体主義体制とは人々を「孤立」の状態に陥れることを目指すものであるとアーレントはいいます。そして、ここで利用されるものが人々に恐怖を植え付ける「テロル」と人々から思考と判断の能力を奪う「イデオロギー」です。
 
もともと孤立しやすい大衆社会のうちに生きていた人々は「テロル」によって絶対的に孤立し、さらに擬似科学的な「イデオロギー」によって自分で考える力を奪われ、全体主義的な体制を擁護し、その命令に従って犯罪を犯すようになります。このように全体主義におけるテロルとイデオロギーとは「組織された孤立」の状態を作り出し「一切の人間的関係を荒廃させる原理」であり、それゆえにナチスの体制のもとでテロルとイデオロギーの力に支配された一般市民は、こうしたプロセスを経て道徳心を喪失していくことになったということです。
 
このように全体主義は人々の共有する「世界」を破壊し、そのうちに生きる人間を「孤立」させ、他者と隔絶させることによってその支配を実現することになります。そして、こうした人々の「孤立」の問題を考察したのが1958年に公刊された第二の主著『人間の条件』です。同書を貫くのは全体主義を支え、人々を全体主義に支配させたこの「孤立」がどのように発生したかという問いであったといえます。
 

* 労働・制作・活動

同書においてアーレントは人々がおこなうさまざまな営為を「労働 labor」「制作 work」「活動 action」という三つの大きなカテゴリーに分類し、これらを総称して「活動性 activity」と呼んでいます。
 
ここでいう「労働」(とその産物である「消費」)とは人間が自分の生命を維持するためのもっとも基本的な活動性です。次に「制作」とは人間が個人の生存を超えた永続的な「世界」を創り出すための活動性です。そして「活動」とは人間が言論によって他者に働きかけ、この「世界」をよりよいものとしていくための活動性です。
 
一般に「活動」という活動性は公的な場で展開されるため、多くの場合、政治的なものであると見做されます。しかしアーレントが「活動」という概念で考えている活動性はふつうに公的な場で展開される政治的な活動よりもはるかに広い意味を持っています。すなわち。この「活動」によって生み出される「世界」とは政治的な活動が展開される公的な場よりも広いものとなります。
 
他者との間である場が開かれるとき、そこには「現れの空間」とアーレントが呼ぶ空間が生み出されます。この空間は、たんに政治的な活動の場というよりも、我々が一つの明確なアイデンティティをもって登場する場です。こうした「現れの空間」における活動により「人間が物理的な対象としてではなく、人間として相互に現れる」のであるとアーレントはいいます。
 
このようにアーレントは人間の活動性を「労働」「制作」「活動」に分類して考えましたが、こうした活動性の違いをもっともわかりやすい形で示しているのが古代ギリシアのポリスです。古代ギリシアのポリス、特にアテナイでは公的な活動に参加できる「自由民」は両親がアテナイ市民である家族から生まれた成人男子の市民だけに限られており、こうしたことから古代ギリシアにおける「自由」の概念は現代と異なり身分と密接に結びついていました。
 
このアテナイの市民はそれぞれに家庭を持ち、その家庭の主人として、妻、未成年の男女の子供たち、召使、奴隷たちを支配していました。この家庭の役割は主人とその家族の人々が生活し、生命を維持することにあり、こうした市民の家庭の内部では「自由」という概念は適用されず、家族もその他の成員も、主人である男性に服従することが求められました。この家庭という領域は労働と消費の営みが行われる私的な領域であり、この領域では言葉による説得ではなく、暴力と命令が行使されることになります。
 
これに対してポリスとは自由で平等な市民たちが暴力や命令ではなく言論により、互いに他者を説得することを目的とした政治的な空間です。アリストテレスは人間を「ポリス的な動物」と定義しました。すなわち彼は、人間はこのようなポリスの空間において政治的な活動に関わることで家庭において支配する専制的な家長の顔とは別の顔をそなえた自由で平等な「人間」になると考えました。
 
このように「労働」は家庭という閉じられた私的な領域で行われるものであり、これに対して「活動」は自由で平等な市民が他者を暴力や力で支配するのではなく言葉によって説得する公的な領域で行われるものであったといえます。こうしたなかで職人や奴隷が従事する「制作」は家庭という私的な領域とポリスという公的な領域の狭間にあって独立した領域をほとんど形成することがありませんでした。
 

*「社会」の登場とその帰結

 
このように古代ギリシアのポリスでは自己と家族の生存のための私的な領域とポリスにかかわる市民の公的な領域が明確に区分され、対立していました。しかし近代の到来とともにこの二つに明確に区別された領域の間に「社会 social」という領域が広がり始めます。この近代的な「社会」の基本的な特徴はそれまでの封建制の社会と異なり、人々が顔のない無名の群衆として登場するということにあります。
 
前近代的な社会では人々は共同体のうちにその身分と役割と位置を固定されていました。しかし農村の伝統的な共同体が崩壊するとともに、多数の無名の人々が都市に集まるようになります。この無名の群衆で作り出される都市が市民社会の土台となりますが、これらの人々は都市の「市民」というよりも「住民」としか呼びようのない一群の人々でした。こうした「根無し草」となった人々が労働者として資本主義社会を支え、その産物を消費することにことになります。アーレントはこのような顔のない群衆の作り出す「社会」の特徴は「画一主義」にあると考えます。
 
そして現代ではこうした「社会」の領域は拡大の一途を辿り、古代ギリシアのポリスにおいて市民の主な「活動」の場であった公的な領域はもっぱら政治という狭い領域に追い込まれることになります。もっともアーレントのいう「現れの空間」は時代を問わず常に存在しうるのであり、現代においてもさまざまな局面で我々の前にこうした公的な領域が生まれることがあります。こうした観点からいえば1930年代のドイツで失われたのはまさにこのような公的な領域であったということです。
 

* 公共性の二つの定義

 
以上のようにアーレントは人々がおこなうさまざまな営為を「労働」「制作」「活動」という三つの大きなカテゴリーに分類した上で、これらの中で「活動」を重視した、と一般的には理解されています。そして、その背景には古代ギリシアのポリスを範例とする私的な領域と公的な領域の二項対立があります。ところが今日においてこうしたアーレントが提示した(とされる)「活動」の優位という序列は揺らぎをみせています。
 
例えば東浩紀氏は『訂正可能性の哲学』(2023)において「制作」の観点からアーレントが『人間の条件』で提示した「公共性」に関する議論を読み直しています。この点、アーレントは「公共性」に位相を微妙に異にする二つの定義を与えています。そのひとつが「公に現れるすべてのものが、あらゆるひとによって見られ、聞かれ、可能なかぎり広く公示されることを意味する」という定義です。ここから「公共性」とは、あらゆる人に開かれた「開放性」のことであるという考え方が導かれることになり、この考え方は「現われの空間」をひらく「活動」の優位とまっすぐに結びつきます。

 

訂正可能性の哲学

訂正可能性の哲学

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しかし東氏はアーレントの示す「公共性」におけるもうひとつの「わたしたちすべてにとって共通なものとしての世界」のことであるという定義に注目します。ここでいう「世界」とは単なる自然環境ではなく「人間の工作物、人間の手による制作物、あるいは人間がつくりあげた世界のなかにともに住まう人々のあいだで生じるできごと」の総体、すなわち人間が作る社会環境のことです。そして「工作物」には道具や彫刻のように物理的なものもあれば、法や文学のように抽象的なものもあります。いずれにせよそれらは個人が死んだあとも共通のものとして残ります。こうしたことから、こちらの「公共性」の定義は空間的な「開放性」というよりも時間的な「持続性」に結びついています。
 
ではこの二つの公共性の定義はどうつながっているのでしょうか。この点『人間の条件』においてアーレントは人が多数いるという「複数性」をしばしば強調しています。「この(人間の)複数性こそが、すべての政治的な生の条件であり、その必要条件であるばかりか最大の条件でもある」と彼女は記しています。
 
人間が複数いること。この単純な事実こそがアーレントの政治思想をもっとも深いところで支えていると氏はいいます。ひとは私的な領域では隠れており公的な領域において初めて「現れ」ます。彼女によればそれこそが人間が人間らしく生きるための根幹であるいうことですが、実際問題、人は一人きりでは「現れる」ことはできません。すなわち、ここでいう「現れ」とは必ず誰か、他者がいる空間の中に現れるということです。
 
それゆえ「現れの空間」が機能するためにはまず現実に多数の多様な人々を、他者として受け入れる「共通の世界」が用意されなければならないということになります。こうしてみるとアーレントのなかで公共性における「開放性」と「持続性」は人間の「複数性」を蝶番とした理路でつながっているといえます。
 

* 公共性と活動性の関係

 
ではこうしたアーレントの公共性論はアーレントのいう活動性とどうつながるのでしょうか。先述のようにアーレントは人間的な営為を「労働」「制作」「活動」の三つに分け、そのなかでもっとも重要でもっとも人間的なものは「活動」だと主張しました。人は労働でも制作でもなく、活動を通じてのみ公共に接続しうる一人の人格として「現れる」ことができるということです。平たくいえば人は見知らぬ他者とともに共通の社会課題について語り合ったり政治運動に参加したりすることではじめて充実した生を送ることができるというのがアーレントの主張です。
 
このようなアーレントの主張する活動の優位は彼女の想定する公共観と密接に関わっています。アーレントは一方で活動だけが公共性を構成できると主張しています。ここでの公共性とは彼女のいう「現れの空間」としてのそれです。彼女は「このように活動は、わたしたちすべてに共通である世界の公的な部分にもっとも密接な関係をもっているだけでなく、そのような部分を構成する唯一の営為である」と言い切っています(この「公的な部分」はすぐ後のくだりで「現れの空間」と言い換えられています)。なぜならば活動だけが「自分がだれであるかを示し、それぞれ唯一の人格的なアイデンティティを積極的に明らかにする」営為だからです。
 
とはいえアーレントの公共性論は以上で尽きるものではありません。同書では公共性に持続性による定義が与えられています。そしてアーレントはそちらでは今度は公共性は「活動」だけでは構成できないと主張しているようにも読めます。人が人格として触れ合う「現れの空間」が開かれたとしても、それを共通の世界として持続させるためにはどうしても「制作」の助けが必要となるからです。
 
アーレント自身も「活動し言論する人々は、〈工作人〉の最高の能力における助けを必要としている。つまり、芸術家、詩人、歴史編纂者、記念碑建設者、作家の助けを必要としている。なぜならば、その助力なしには、彼らの営為の生産物、すなわち彼らが演じ語る物語は、けっして生き残ることができないからである」と述べています。すなわち、本当の公共性は活動と制作が組み合わされなければ実現しないということです。
 
アーレントは公共性を開放性と持続性によって定義しました。開放性としての公共性は活動によって可能になり、持続性としての公共性は制作によって可能になります。だとすれば公共性の質は活動と開放性だけでなく制作と持続性の観点からも判断されることになります。そして活動の成果は制作によって「実は」の論理から訂正されることになります。アーレントのいう公共性とは訂正可能性に支えられた持続的な共同体として読み直されうると東氏はいいます。
 

* プラットフォーム空間と行為の制作化

 
また宇野常寛氏は『庭の話』(2024)においてアーレントの示した人間の条件を現代の情報環境に相応しい形でアップデートすることを提案しています。まず同書はアーレントが「労働」「制作」「行為」のうち「行為」を重視した理由として行為の予測不可能性を挙げています(註:ここでいう「行為」はこれまで使ってきた言葉でいえば「活動」にあたります)。すなわち、人間が他者と交流して共同の世界を形成する「行為」とは、アーレントにとってその結果が予測可能な「労働」や「制作」と異なり、人間を予測不可能な世界に連れ出し、新しいものと出会わせ、世界を変化させる創造的な回路なのであり、そしてこの予測不可能性のもたらす創造性こそが人間の自由の核心となるのであるということです。

 

庭の話

庭の話

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このようにアーレントにとって公共の空間が人間の「行為」の場であり、個人が自己を表現し、他者と関係を築くことができる場所だと考えました。人々が互いに「行為」し、応答する過程で、個人は自己を他者に示し、共同の世界を構築することこそがアーレントにとって価値ある活動であったということです。
 
しかし同書は2020年代のソーシャルメディアが発信の欲求と承認の快楽が前面化した「相互評価のゲーム」に陥っているという観点から今日の世界を見渡したとき、アーレントの考える「行為」のための公共空間の成立は難しいといいます。すなわち「今日のプラットフォーム下の言論空間において、人びとは「行為」による自由と自己表現、そして世界への関与の快楽を貪ることでむしろを「個」を失っている」「人びとは今やインスタントな「行為」の快楽の中毒となり、タイムラインの潮目を読み、負けた側や批判しやすい状況にある他の誰かに石を投げることに、あるいは耳障りの良い美辞麗句を、それを再拡散することで自分を飾りたいという欲望する人々に向けて発信することに夢中になっている。そこには、予測不可能性もなければ、他者もない」ということです。
 
そして同書はもしアーレントが存命であれば、こうした現状を「行為の制作化」であると嘆いたかもしれないといいます。アーレントはプラトン以降の政治哲学には「行為」からの逃走の欲望が秘められていたと指摘していますが、それは具体的には、法や制度を設計すること、つまり「制作」への欲望です。プラトンが夢想した哲人王による支配は、その王による完璧な法や制度の「制作」を意味していました。こうしたプラトン以降の政治哲学における「制作」への欲望が「今日の電子公共圏の議論に始まる、設計主義的なインターネットの民主主義活用の議論に通じるものであることは一目瞭然」であるが「皮肉にも今日の世界を覆っているのはむしろ「行為」の肥大化による民主主義の麻痺にほかならない」と同書はいいます。
 

* 制作の行為化と永遠のβ版

 
そこで本書は「制作の行為化」を提案します。その例としてオープンソース文化における「永遠のβ版」という概念を取り上げます。これは製品やソフトウェアが絶えず進化し続け、決して「完成」しない状態を指しています。このアプローチはオープンソースに限らず、ソフトウェア開発プロジェクト全般に見られるものですが、この考えは明らかにアーレントが想定した理念系としての「制作」から逸脱するものであるといえます。
 
アーレントによれば制作活動は製品や作品の「完成」というあらかじめ定められた目的に向かって進むものであり、そのプロセスは目的によって制約されることになります。しかし「永遠のβ版」的アプローチは、製品やプロジェクトに「完成」という終点が存在せず、開発は開かれたプロセスとなります。人々はここで事物を「制作」することを通じて結果的に他者と対話することになります。この時、人間は「行為」による快楽の中毒が大きく相対化されていると同書はいいます。
 
こうしたことから本書は現状では主にクリエイティヴ・クラス(同書のいうAnywhereな人びと)のみが享受している「制作の行為化」を幅広い層へ、とりわけ社会的・経済的に不遇をかこつ層(同書のいうSomewhereな人びと)へと拡大させるための条件として、一方で日々の「労働」の中に「制作」の快楽を見つけうる回路の再構築が挙げられ、他方では「行為」による(つまり政治的活動による)労働環境の改善と情報技術の支援による「労働」の延長における「行為」の発生が挙げられます。すなわちここでアーレントのいう「労働」「制作」「行為」からなる人間の条件は「制作」を軸として現代の情報環境を前提としたものに総合的にアップデートされることになります。
 

* 活動と思考

 
その一方でアーレントの打ち出した「活動」の意義を再評価する立場も当然あります。例えば『人間の条件』の新訳を昨年7月に上梓した千葉眞氏は「『人間の条件』再読」(現代思想2026年2月臨時増刊号)において民主主義の危機という今日的状況を考慮すると「やはり本書でアーレントが力説している言論と活動との密接不可分な結びつきの議論に注目したい」と述べます。
言論と活動は人びとが人間として他者の前に現れる様式であり、その行為者のアイデンティティだけでなく、何らかの人間的意味を開示するという特質を有しています。アーレントはこのような言論と活動による自己開示を「第二の出生」と表現していますが、これこそが人びとの自由の政治とでも呼ぶこともできるアーレントの政治の見方の根底にあるものであると氏は述べます。
 
この点、氏はアーレントの二つの主著『全体主義の起源』と『人間の条件』の関係は「彼女にとっては密接不可分なつながりがあったように思われる」と述べています。母国ドイツにおいて若き日にユダヤ人としてナチズムという全体主義の悪夢に直面した彼女の経験と思想から紡ぎ出されたのが『全体主義の起源』であれば、こうした全体主義の負の経験と歴史を反面教師とした、つまりまったく正反対の人びとの自由の政治理論を志向するものが『人間の条件』であるということです。
 
そして『人間の条件』においてアーレントはこうした活動と言論を再活性化するものとして「思考 thinking」という人間の内面の行為様式をあげ「思考」こそがすべての行為様式のなかで最も活動的であるとして「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」というカトーの言葉を引き同書を閉じています。全体主義の悪夢はまさしくこうした「思考」の欠如から引き起こされました。そうであれば現代における公共性やプラットフォームの病理を考える上でも「思考」という視座は欠かせないものであるといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

〈ていねいな暮らし〉における二層構造--佐藤八寿子『〈ていねいな暮らし〉の系譜--花森安治とあこがれの社会史』

* 丁寧な暮らしではなくても

 
2020年1月に発売された『暮しの手帖』の表紙に大書された「丁寧な暮らしではなくても」というフレーズは当時、読者をはじめとして業界に少なからぬインパクトを与えたそうです。1948年に創刊された同誌は昭和の一時期には販売部数100万部ともいわれた人気雑誌で、令和の現在においてもなお多くのファンに支持されており、まさに「丁寧な暮らし」を体現する雑誌として見做されていたからです。同誌の新編集長に就任した北川史織氏は「『暮しの手帖』新編集長就任のお知らせ」において次のように記しています。
 
丁寧な暮らしではなくても
 
 リニューアル号の表紙にそう掲げたのには、ひとつの思いがありました。
 
「丁寧な暮らし」というフレーズがすっかり定着したいま、それは「ゆとりがあるからできること」と捉えられてしまい、自分らしい暮らしを送ることさえも、どこか遠いことと感じる人も多いのではないでしょうか。
 
私たち『暮しの手帖』が伝えるのは、たとえゆとりがなかったとしても、日々をよりよく、深く満足して暮らしていくための「まっとうな知恵」です。
 
誰かから「いいね!」がつくような、「丁寧な暮らし」を目指さなくてもいい。
 
不安の多いこの時代だからこそ、確かな情報を頼りにし、工夫をこらして楽しみながら、自分が本当に納得する暮らしを築いていきたい。
 
そう考えるすべての人に向けて、『暮しの手帖』はこれからもずっと、編集者自らが手と足を使って確かめたことをお伝えしていきます。
 
広告をとらず、実証主義を貫く小誌のこれからに、ぜひご注目ください。
 

 

prtimes.jp

 
 
確かに当時、もはや「風潮」と呼ばざるを得ないほど〈ていねいな暮らし〉は流行していたといえます。今もなお、すでにピークは打ったとはいえ、そのトレンドは継続しつつ、ひとつの価値観としてさらに深く浸透しているようにも思われます。
 
しかしその一方で〈ていねいな暮らし〉へと注がれる目は温かいまなざしだけではなく、冷ややかな視線をも含むものでもあります。あこがれ、羨望、理想化と同時にそれらと表裏一体をなす、嫉妬、揶揄、批判などが現在もなお〈ていねいな暮らし〉に向けられています。
 
果たして〈ていねいな暮らし〉はどこからきて、どこへ向かうのでしょうか。こうした問いに『暮しの手帖』という雑誌と花森安治という人物から迫る一冊が本書『〈ていねいな暮らし〉の系譜--花森安治とあこがれの社会史』(2025)です。
 

*〈ていねいな暮らし〉とは何か

本書はまず第一章「〈ていねいな暮らし〉問題--花森安治のうしろ姿」で現代の〈ていねいな暮らし〉という言葉が何を意味していつ頃から人口に膾炙したのか、その実践者や否定派によってどのように語られているのかを確認していきます。
 
〈ていねい〉という形容動詞はもとも中国語の「丁宁」に由来するそうですが、中国語の「丁宁」が「心を込めて言い聞かせる」という具体的な動作を意味していたのに対して、日本語の〈ていねい〉は「細かいことろまで気を配ること」「注意深く入念にすること」「言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること」といったニュアンスが溶け合った抽象性の高い言葉で、実にさまざまな行為を包括する広範な概念として使われています。
 
〈ていねい〉がこれだけ曖昧な言葉なのだから当然ながら〈ていねいな暮らし〉を具体的に定義することも難しいでしょう。本書は現在入手できる関連書籍や雑誌およびWeb等から〈ていねいな暮らし〉の具体的なイメージとして次のようなものを抽出します。
 
まず「食」に関連するものとしては「ペットボトルのお茶ではなく、急須で茶葉から淹れて飲む」「コーヒーは、インスタントでなく、豆を選び自分で挽いて淹れる」「ダシ(出汁)は、前夜から昆布を水につけておく」「庭や窓際でハーブやミニトマトを育てて食卓にのせる」「味噌づくり、梅仕事、漬物、ジャムづくりなど、季節の仕事を楽しむ」といったものです。
 
続いて「衣」「住」、あるいは生活全般に関しては「古い衣装も使い捨てにせず、繕ったり、リメイクしたりして活用する」「手仕事を愛する」「大量生産品よりも手作りのものを愛する」「小さくても居心地の良いコーナーをつくって、自分のための時間をもつ」「花を飾る」「香をたく。アロマを愉しむ」「二四節気七十二候、地域行事、家族の記念日などを意識して楽しむ」とあります。
 
このように「暮らしの中の小さないとなみ一つひとつを、ひとてまひとてまかけることで、大切に、味わいつつ行う」という理解が〈ていねいな暮らし〉全般に共通しており、さらにはそれが物心両面の生活全般、ひいては人生をも豊かにするという前提も共有されているようです。
 

*〈ていねいな暮らし〉問題と『暮しの手帖』

 
その一方で〈ていねいな暮らし〉のブームはいわゆる「絵づら」によって拡散した側面もあります。2014年に日本語版がリリースされたInstagramは急速に普及し、翌年6月のユーザー数は810万人へと激増しました。2017年12月には「インスタ映え」がユーキャンの新語・流行語大賞を受賞し、この語から「ばえる」という動詞も派生しました。〈ていねいな暮らし〉の流行はこのインスタの急速な普及と機を一にしていたといえます。
 
このように〈ていねいな暮らし〉ブームの背景にはイメージを共有できる誰にでも参加可能なSNSの存在があったことは見逃せないでしょう。こうしたことからSNS上で流れてくる〈ていねいな暮らし〉の様子は憧れの対象やロールモデルとなると同時に容易に嫉妬や中傷の対象ともなり得ます。
 
そしておそらく〈ていねいな暮らし〉の否定派の少なからぬ数がかつては〈ていねいな暮らし〉に憧れながらも挫折した層であるとも推測されます。実際に〈ていねいな暮らし〉を実践するには時間や費用といったハードルがあり、さらにそのハードルはSNSの拡散するイメージにより年々高まっていっているといえます。
 
こうしたことから本書は「〈ていねいな暮らし〉問題」とは「いつの間にか〈ていねいな暮らし〉としてイメージされるものごとのハードルがぐんぐんと高く引き上げられ、理想、あこがれとして共同幻想化すると同時に、否定もされるという状況、つまり、言葉がひとり歩きをしてしまっていることだと言うことができるだろう」と述べます。
 
こうしてみると『暮しの手帖』による「丁寧な暮らしではなくとも」宣言の意味はより明確に立ち上がってきます。北川氏が同年7月のインタビューで述べているように、いまや〈ていねいな暮らし〉とは、本来の「暮らしを大切にして、一日一日を丁寧に送る」という意味から離れてしまい「『丁寧な暮らしってこういうスタイルだよね』というような、どこか表面的な意味合いを帯びてきた」ということです。それゆえに氏は「『暮しの手帖』が〈丁寧な暮らし〉を標榜する雑誌だと思われているという自覚」から「自分がそれを、この雑誌の看板にしていくのか?と考えた時、ちょっと違うなあ」と思ったと述べています。
 

* インテリに愛された『暮しの手帖』

 
続いて本書は第二章「『暮しの手帖』--彼のつくりだしたもの」で、いまみたような〈ていねいな暮らし〉の牙城と見做されながらも「丁寧な暮らしではなくても」という宣言を出した『暮しの手帖』という雑誌について考察していきます。
 
1957年、社会学者の加藤秀俊は同時代の「総合雑誌の不振」と『暮しの手帖』の「異常なまでの発展」を対置させ「総合雑誌の読者の少なからぬ部分が『暮しの手帖』に移った、と考えられるフシがないでもない」「私の友人知己の多くはインテリ中のインテリだが、この人たちのなかにさえ総合雑誌は大学の図書室や組合の文庫で読み、定期的に私宅で購読するのは「暮しの手帖」という型の人が少なくないからである」と述べています。
 
ここでいう「総合雑誌」とは『文藝春秋』や『中央公論』や『世界』といった論壇誌で、当時「インテリ」と呼ばれていた読者層向けの雑誌と見做されていたものです。そして、ここでいう「インテリ」とはインテリゲンチャの略語であり、知識階級、知識人、有識者を意味しています。現代ではちょっと想像し難いかもしれませんが、昭和のある時期までインテリは大衆層にとってのあこがれの対象でした。
 
もちろん当時も舞台俳優や映画スターや流行歌歌手も人々のあこがれの対象だったことは確かですが、彼ら彼女たちのようになるには持って生まれた器量や才能が必要であり、大衆からすれば所詮は雲の上の存在です。これに対して--もちろんタテマエ上ではあるにせよ--個人の努力次第で到達可能とされたのが「学歴」です。
 
「末は博士か大臣か」という言葉があったように、立身出世のゴールとして万人に開かれた達成目標の一つがインテリだったということです。その背景には「インテリ/山の手」と「庶民/下町」という文化と生活の格差があります。すなわち「学歴」とは山の手生活への約束手形であり、重要なのは卒業証書そのものではなく、それによって大きく左右されることになるその後の生活や人生そのものであったということです。
 
こうしたことから総合雑誌の読者層はインテリの信奉者で占められていました。ところが加藤の証言によれば、当の「インテリ中のインテリ」が愛していたのはこのような総合雑誌ではなく、どちらかというとライフスタイル雑誌のカテゴリに入る『暮しの手帖』であったということです。これは逆に同誌がただのライフスタイル雑誌ではなかったことを示しているといえます。あらためて『暮しの手帖』とは、いかなる雑誌だったのでしょうか。
 

* 山の手テイストと反骨精神

 
1948年9月に花森安治と大橋鎭子によって『暮しの手帖』の前身である季刊『美しい暮しの手帖』が創刊され、同誌は1968年第93号から隔月刊になり現在に至ります。
 
同誌の初代編集長である花森は神戸出身で旧制松江高等学校を経て東京帝国大学を卒業した紛れもないインテリです。この花森とタッグを組んだ暮しの手帖社社主である大橋も東京府立第六高等女学校を卒業後、一度は経済的事情で日本興業銀行に就職したものの3年で退社して日本女子大学に入学し、惜しくも肺結核で中退しましたが、やはりインテリであったことは間違いありません。
 
この2人が生み出した『暮しの手帖』は他誌とは一線を画する個性的な雑誌でした。各種メーカー品を客観的立場で比較試用する「商品テスト」企画、自社書籍以外の広告を一才排除したスタイルなど独自の誌面作りによって発行部数百万部を超える人気雑誌になります。
 
初代編集長の花森は「一人ひとりが自分の暮しを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中に」という理念と「暮しの変革を理念よりも日常生活の実践を通して」という方針を掲げており『暮しの手帖』はただのライフスタイル誌ではなく、反商業主義、生活者本位、平和主義、反戦・反差別、中立といった立場を旗幟鮮明に打ち出した非常に尖った雑誌であったといえます。
 
その一方で本書は『暮しの手帖』は「学歴に密輸されてきた生活文化そのものずばりのサンプルカタログだった」といいます。その背景には先述した「インテリ/山の手」と「庶民/下町」という文化格差、つまり学歴効果による生活格差があります。
 
例えば『暮しの手帖』を広く世に知らしめることになったきっかけとして、しばし同誌第五号巻頭に掲載された昭和天皇と香淳皇后の第一皇女である東久邇成子(照宮)による随筆「やりくりの記」が挙げられます。「自ら筆を執って雑誌に寄稿されたのは、皇室御一家の中今回の照宮様が初めて!」という広告が打たれた第五号は完売となり、以後『暮しの手帖』は創刊以来の赤字を脱して一気に上昇気流に乗ります。
 
「宮さま」自らが寄稿というイメージは『暮しの手帖』にとって決定打になったことは疑いないでしょう。この随筆では皇室出身でありながら庶民同様「やりくり」に苦心する暮しぶりが率直に書かれており、それは質素な中にも上品な、育ちの良さ、つまりは「山の手」テイストと換言してもいいでしょう。
 
このように『暮しの手帖』という雑誌には、そこはかとなく漂う「山の手」の香りと、花森の掲げた反商業主義、生活者本位、平和主義、反戦・反差別、中立といった理念の奇妙な調和を見出すことができます。そして、このような奇妙な調和こそがまさにインテリを惹きつけた当のものであったのではないでしょうか。
 

*〈ていねいな暮らし〉における二層構造

 
ここから本書は第三章「花森安治の時代--そのとき、何を着ていたのか」では花森の服装に焦点を絞ることでコンパクトな通史の形で彼の時代を辿ります。明治から昭和にまたがる彼の人生は日本人の暮らしが大きく近代化し変容してきた時期にあたります。「花森安治スカート伝説」に象徴されるような、天才とも奇人とも称された花森の服装は時代の典型であるよりもむしろ大勢から離れていたといえます。
 
また第四章「丘の上の赤い屋根--彼はどこにいたのか」では花森が居住した東京郊外の大田区久が原を、第五章「神戸を歩く--彼はどこからきたのか」では花森が生まれ育った神戸を本書の著者である佐藤氏が実際に歩き、花森の暮らしの断片を追体験することで当時の市民生活のイメージを空間的に把握していきます。
 
そして終章「〈暮らし〉は、どこから来て、どこへ行くのか」では、改めて〈ていねいな暮らし〉とはどのようなものかが確認されます。ここで本書はSDGsのユニバーサリズムと〈ていねいな暮らし〉のカトリシズムとの類似性を認めた上で、近代という「大きな物語」の次にくる新しい時代を支える価値観を考えるうえでSDGsや〈ていねいな暮らし〉は有益な概念になりうると述べています。
 
このように本書は〈ていねいな暮らし〉に対しては、一方では距離を置きつつも他方ではその意義を認めるという一見すると両義的な態度を取っています。けれどもこの両義性は〈ていねいな暮らし〉における「スタイル」と「精神」という二層構造から読み解けるのではないでしょうか。
 
ここでいう「スタイル」としての〈ていねいな暮らし〉とは、完全無欠な〈ていねいな暮らし〉という理想的な(しかし到達不可能な)モデルを目指して、その周囲を否定神学的な欲望がひたすら空回りしていくという態度です。これに対して「精神」としての〈ていねいな暮らし〉とは、日々の生活の中で生起するさまざまな問題のひとつひとつを、まさに〈ていねい〉に解決していくという態度です。
 
すなわち、本書の両義的な態度とは、前者に対する冷ややかな視線と、後者に対する温かなまなざしから構成されているようにも思えます。そして令和において『暮しの手帖』が出した「丁寧な暮らしではなくても」宣言もやはりまた、前者と決別して後者に回帰するものであったといえるのではないでしょうか。
 
先述のように『暮しの手帖』という雑誌の根底には同誌の初代編集長であった花森安治が掲げた反商業主義、生活者本位、平和主義、反戦・反差別、中立といった理念がありました。そして、こうした花森がかつて掲げた理念は、昭和から平成という時を超え、表面的な〈ていねいな暮らし〉のイメージが氾濫する令和において「丁寧な暮らしではなくても」と声を上げた『暮しの手帖』にも受け継がれているようにも思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

中動態と訂正可能性

* 中動態からみた「悪の愚かさ」

 
『暇と退屈の倫理学』(2011)で知られる國分功一郎氏はもう一つの代表作である『中動態の世界--意志と責任の考古学』(2017)においてかつて言語に存在し、今や喪われた「中動態 middle voice」に注目することで「意志」や「責任」を問い直す議論を展開しています。かつてのインド=ヨーロッパ語族においては能動態でも受動態でもない「中動態」という態があまねく存在していたとされます。ここでいう中動態とはどのような事態を表す言葉なのでしょうか。
 
例えば「殴る」という動詞があるとして「わたしがあなたを殴る」というのは能動態による表現であり「あなたがわたしに殴られる」というのは受動態による表現です。両者は同じ動作を逆から捉えていますが、動作の主体である「わたし」と動作の客体である「あなた」がはっきりと分けられ、対立して位置付けられている点は共通しています。
 
けれども「殴る」という動詞は、そのような主客の分割ができない場面で使われることがあります。例えば「わたしがわたしを殴る」といった再帰的な動作や「わたしは殴られた感じになった」というふうに表現される心理的に打ちのめされているという継続的な動作を名指す場合があります。前者では主体と客体は一致していますし、後者ではそもそも主体がはっきりしません。このような動作を表す時にかつて古代言語で使われたカテゴリが中動態であったと考えられます。
 
このように中動態とは能動と受動の対立から見えてこない領域を開くものであるといえます。この点、東浩紀氏は昨年末に公刊した新著『平和と愚かさ』(2025)に収められた「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」(2020)という論考(以下、本論考)において、こうした中動態という視点から加害と被害の対立からはこぼれ落ちてしまう「悪の愚かさ」という問題を論じています。
 

* 悪の愚かさを記憶するということ

 

平和と愚かさ

平和と愚かさ

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本論考は「2」とあるように同じく『平和と愚かさ』に収められた「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」(2019)の続編となる論考です。同論考において氏はある種の悪や害について考えるためには加害と被害の対立を超える必要があるという問題提起をおこなっています。人は誰でも自分の醜い部分は忘れたいし、そもそも自身の加害性=悪に無自覚なことが多く、それゆえに加害者は害を忘れがちです。これに対して被害者は害を忘れることはありません。それゆえに彼らは害に意味を、換言すれば物語を与えます。被害者あるいはその遺族にとって害が無意味になされたという事実こそが耐え難いからです。
 
こうしたことから同論考は旧日本軍(七三一部隊)が中国東北部で行った人体実験とそれを主題にしたハルビンの博物館(侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館)の展示を例に、この「忘却」と「意味」の対立は「数」と「固有名」の対立に重なることを示しています。加害者は犠牲者から名を奪い数として殺し、やがて忘却します。他方で被害者は博物館や慰霊碑においてまずは被害者の名を回復し、それによって追悼し記憶することになります。
 
しかし同論考は悪の本当の残酷さとは、その悪に何の意味もないことであり、犠牲者は無作為に選ばれ無意味に殺されているに過ぎないとして、この無作為や無意味を「悪の愚かさ」と呼びます。こうしたことから忘却と記憶、数と固有名を対立させる博物館や慰霊の論理ではまさにその「無=愚かさ」こそが見えなくなってしまうのではないかといいます。
 
そこで同論考はハルビンの他にもキーウやクラルフでかつての収容所や虐殺の地の周囲に団地が建設されている事実に注目し「悪の愚かさ」の記憶を、すなわち、固有名を剥奪されて匿名的に生じた大量死の記憶を、名を回復された個人の生へと変形されることなく、団地に象徴される大量生という形で匿名的に記憶するという可能性を見出します。そして同論考の続編となる本論考では、この「悪の愚かさ」という、やや文学がかった表現を哲学的な概念へと練成するため、國分氏の中動態論が導入されることになります。
 

* イヤイヤながらやってしまった

 
本論考はまず國分氏の議論を冒頭で述べたように要約し、その上で、國分氏がこのような中動態の存在を前提とすると「意志」や「責任」といった概念が部分的に解体されてしまうと指摘している点に注目します。
 
現代における法制度は一般的に、人間は自分のやりたいことをやるか、やりたくないことをやらされるかのどちらかだという前提を取っています。前者であれば刑罰や損害賠償といった責任が発生しますし、後者であればこうした責任は発生しません。前者では人間は行為の能動的な主体だとみなされ、後者では人間は他人の行為の受動的な客体とみなされるからです。
 
けれども実際には世の中には自発的にやりたかったわけではなく、暴力によって強制されたわけでもないけれど「イヤイヤながらやってしまった」という事例が溢れかえっており、こうした事例における行為者は主体とも客体ともいえない立場にあるといえます。
 
國分氏はわかりやすい例としていじめ行為における被害者が加害者に進んで金銭を渡すというケース(いわゆるカツアゲ)をあげています。こうしたケースにおいて加害者は金銭の提供は決して強制ではなく、被害者の自発性に基づいていたと主張するでしょう。しかし、ここではその被害者の自発性こそがまさに強制されていえるでしょう。
 
本論考はこのような「自発性の強制」という論理を被害者のみならず加害者にも適用します。例えば集団で行われるいじめ行為の参加者を問いただしたとして、彼らの多くは強制されたわけではないけれど、かといって自発的に参加したわけでもなく、何となく場の空気に流されて「イヤイヤながらやってしまった」と答えるでしょう。つまり加害もまた中動態的に主体と客体が未分化のところで生じることがあるということです。
 
以上の議論は本論考のテーマである「悪の愚かさ」の問題と深く関係しています。ここで本論考は第二次世界大戦中に中国人を10人ほど「何げなし」に生体解剖したという元軍医の証言を参照し「悪の愚かさ」とはこのような「イヤイヤながらやってしまった=自発性の強制」という加害者の中動態的な態度によって生み出されているといいます。つまり「悪の愚かさ」を記憶するにはどうしたらよいかという問いは、能動でも受動でもない、加害の中動態的な性格をどのように記憶すればよいのかという問いに置き換えることができるということです。
 

* 中動態と原子力

 
さらに本論考は國分氏が『原子力時代における哲学』(2019)で展開した議論を取り上げます。同書は核兵器と原発の本質は同じものであるという立場から、なぜ20世紀の哲学者は核兵器にはこぞって反対を唱えたのに、原発すなわち「核の平和利用」にはほとんど反対しなかったのかと問い、そうした哲学者の中でほとんど唯一の例外がマルティン・ハイデガーであるといいます。確かにハイデガーは1995年の講演「放下」で軍事利用だけでなく平和利用も含めて原子力技術そののものが危険だという立場をはっきりと打ち出しています。ではなぜ20世紀の哲学者は原子力に抵抗できず、ひとりハイデガーだけが原子力の危険性を指摘できたのでしょうか。
國分氏はその謎を解くため中沢新一氏が『日本の大転換』(2011)で展開する原子力観を参照し、人類の文明は(あるいは地球という生態圏そのものは)太陽という「外部」からの「贈与」により成り立っているが、原子力は人類は太陽からの「贈与」がなくても生きていける可能性を拓くものだったといいます。そして、まさにこの「贈与」の排除への欲望こそが20世紀の哲学者が原子力に抵抗できなかった理由であるとして、そこに「失われた神のごとき全能感を取り戻そうとするナルシシズム」を見出し、しかしだからこそ、こうした全能感を「乗り越えて成長していかなければならない」と主張します。
 
そこで氏はまさにその全能感の克服のために求められるものがハイデガーの上記講演名でもある「放下 Gelassenheit」の思想だといいます。これは「させる」「するがままにしておく」という意味の動詞の過去分詞から作り出された名詞であり「放り出されていること」「委ねられていること」といった含意を持ち、ハイデガーの哲学においては人がある行為を能動的に行うのではなく「させられる」という感覚のもとで行うこと、あるいはその感覚の想起を意味しています。つまりそれは能動でも受動でもない、中動態の想起を意味しているということです。
 
こうしたことからひとは放下=中動態を想起することで幼稚なナルシシズムを克服し、太陽からの「贈与」を肯定し、原子力への依存を断ち切ることができると氏は言います。つまり原子力批判には中動態の思考が必要なのだということです。
 
もっとも本論考はこの國分氏の原子力をめぐる議論に違和感を表明します。理由は二つあります。その第一の理由は國分氏によるハイデガーの過大評価です。ハイデガーは確かに原子力を批判しましたが、彼の哲学ではそもそもあらゆる「技術」が古代ギリシアにまで遡って批判されるべきものであり、原発批判もその「技術」批判の延長線上で現れたにすぎないということです。
 
その第二の理由は國分氏はそもそも問いの展開を間違っているというものです。『原子力時代における哲学』は核兵器と原発は本質的に同じものなのに、人々はなぜ後者の誘惑に抵抗できなかったのか、という問いから出発したにもかかわらず、その同じものが彼らにはなぜ違うものに見えたのかという問いではなく、ハイデガーというそもそも両者に違いを見出さなかった哲学者に近づいてしまいます。それゆえに原子力には幼稚な全能感が反映されているという同書の結論は、それは人が原子力に惹かれる理由になっているだけであり、なぜ核兵器には惹かれずに原発には惹かれるのかという、その違いを説明する理由にはなっていないということです。
 

* 悪意のない殺人者と憎悪のない犠牲者が住まう楽園

 
このように國分氏の原子力論は大きな問題があるものの、原子力の害について考えるとき、中動態が鍵になるという洞察は確かに的を射ていると本論考はいい、ここからドイツの哲学者ギュンター・アンダースとフランスの科学哲学者ジャン=ピエール・デュピュイの議論を参照し、原子力と中動態のつながりをより具体的に論じていきます。
 
反核運動で知られるアンダースは1958年に第4回原水爆禁止世界大会のために来日し、その時、広島の被爆者と対話し、彼らが原爆投下の責任者への憎しみをほとんど語らないことに驚き、そこで彼は「悪意のない殺人者と憎悪のない犠牲者が住まう楽園」と記しています。もちろんこれはアイロニーであり、彼はその状況にこそ原爆という悪=害の本質を見出しています。
 
誰が何をしてどのように結果が起きたのかという事実関係は皆知っているにもかかわらず、原爆投下においては行為の起点にある意志とその結果の間にあまりに「巨大な距離」があるため加害者も被害者もその間につながりを感じられなくなり、害はまるで自然に起きた災害のように知覚されてしまいます。この「行為の連関」の「分裂」により作り出された倫理的麻痺を彼は後に「アポカリプス不感症」と呼んでいます。
 
すなわち、アンダースはここでまさに加害の中動態的性格を問題にしており、核兵器の加害は中動態的に起きるから危険だと主張しているといえます。さらにデュピュイはこうした中動態的麻痺をより広く破局的な災害一般において現れる文明の問題として考え、実際に2011年の福島第一原発事故を語る際に「悪意のない殺人者と憎悪のない犠牲者が住まう楽園」というアンダースの言葉を引いています。そして、こうした議論を踏まえ本論考は次のように述べます。
 
原子力はあまりにも複雑かつ巨大で、行為と結果のつながりを破壊する技術だった。ほんとうは、それを利用する人間の意志が善だろうが悪だろうが、関係なく悪が生まれると考えねばならなかった。にもかかわらず、20世紀の人々は、その中動態的性格を無視して、利用者の意志によって技術が区別できると考えた。それが彼らが核兵器と原発を区別した理由であり、「原子力の平和利用」の誘惑に勝てなかった理由である。國分の問いには、本来はそのように答えなければならない。そしてそのように答えることではじめて、ぼくたちは原子力についての哲学を、悪についての普遍的な哲学へと開くことができるのである。
 
(『平和と愚かさ』より)

 

 

* 中動態と訂正可能性

 
以上のように悪とは本来、中動態的な性格を持っているものであるといえます。もっともその一方で、社会においてあらゆる行為は「意志」の有無により能動か受動かに振り分けられます。そして一般的に悪は、故意や過失といった程度の差はあれ、何かしらの加害の「意志」を持った能動的主体として記述され、それゆえに「責任」を問われます。
 
しかし國分氏が指摘するように「意志」とは極めて曖昧な概念であり、実際のところは加害の「意志」があったから「責任」が生じるのではなく、むしろ別の何らかの理由から「責任」を負わして良いと判断されたからこそ、急に「意志」なる概念が召喚されているといえます。では、なぜそういうことが生じるのでしょうか。ここには言語におけるコミュニケーションの本質的な条件が露呈しているように思われます。
 
人間の行うコミュニケーションには奇妙な性格があります。たとえば子どもが遊んでいるとして、その遊びが「かくれんぼ」だったのがいつの間にか「鬼ごっこ」になり、またそれがいつの間にか別の遊びになっているといったことはよくある話です。
 
そして、このようなコミュニケーションの中でルールが絶えず「じつは・・・だった」と「訂正」されていく現象を東氏は『訂正可能性の哲学』(2023)においてルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキの言語哲学を参照して「訂正可能性」という名で理論化しています。

 

訂正可能性の哲学

訂正可能性の哲学

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すなわち、子どもの遊びにおいて最初は「かくれんぼ」だったものが「じつは鬼ごっこだった」というようにいつのまにか変わってしまうように、悪の中動態的性格によってなされた行為も、その行為に対して責任を負わせて良いと判断された瞬間に「じつは」の論理で訂正され、意志を持った能動的行為として記述されることになるということです。
 
もちろんあらゆる行為を能動と受動に区別することや、責任を負わすために意志の概念が急に召喚されることには一定の社会的必要性があることは言うまでもないでしょう。意志は確かにある種の幻想かもしれません。しかし蔑ろにはできない幻想です。けれどもその一方で、ここで消去されてしまうのがまさに本論考のいう「愚かさ」の問題です。こうした意味で人間の「愚かさ」を捉える上で中動態と訂正可能性は不可分の関係をなしているといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

平和における隔離と共生、あるいは、ねじまき鳥クロニクル

* 観光客と訂正可能性から考える平和論

 
日本における現代思想の古典的名著『動物化するポストモダン』(2001)で知られる批評家の東浩紀氏は近年において「観光客」と「訂正可能性」という概念を軸にした哲学を展開しています。氏は『観光客の哲学』(2017年)において現代を「ナショナリズム」と「グローバリズム」という二つの層が折り重なって併存する「二層構造の時代」と位置づけ、今世紀初頭に世界的ベストセラーとなったアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著『帝国』(2000)が描き出すグローバリズム(帝国)における市民運動の担い手である「マルチチュード」を先行モデルとしつつも、ネグリたちのいう「マルチチュード(否定神学的マルチチュード)」が抱え込む神秘主義的な欠陥を回避すべく、ネットワーク理論の知見を導入し、人間社会というネットワークの「つなぎかえ=誤配」を担う主体である「観光客(郵便的マルチチュード)」を構想しました。
 
ここでいう「否定神学」とは存在しえないものとは存在しないことによって存在するという逆説的な修辞を指しています。これに対して「郵便」とは存在し得ないものは端的に存在し得ないけれども、さまざまな「誤配(コミュニケーションの失敗)」の効果で存在しているかのような効果を及ぼすという現実的な観察を指すといいます。
 
すなわち、ネグリたちの「マルチチュード(否定神学的マルチチュード)」の連帯とは、連帯が存在しないことによって存在するとされていますが、本書のいう「観光客(郵便的マルチチュード)」の連帯とは、絶えず連帯が失敗することで事後的に生成し、結果的にそこに連帯が存在するかのように見えてしまうということです。この両者の性格の相違を本書は端的に前者がコミュニケーションなしに連帯するのだとすれば、後者は連帯なしにコミュニケーションすると述べています。
 
そして東氏は同書の続編である『訂正可能性の哲学』(2023年)において「観光客」がもたらす「誤配」の作用をルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキの言語哲学を参照し「訂正可能性」という概念から理論化しています。
 
20世紀を代表する哲学者の1人であるウィトゲンシュタインは後期の代表的著作である『哲学探究』(1953)において「人は言語を使ったゲームをルールを知らないままプレイしている」という驚くべき主張を行いました。すなわち、人はみな言葉を使って何かしらのゲームをしていますが、そこでは実は複数のゲームが重なり合っており、例えば「愛のゲーム」と「ハラスメントのゲーム」が紙一重のように、人は自分がいまどのようなルールのゲームをプレイしているかを原理的に知ることができないということです。
 
このようなウィトゲンシュタインの発見をクリプキは『ウィトゲンシュタインのパラドックス』(1982)において「ルールとは共同体がプレイヤーを選別することではじめて確定する」という裏返った共同体論によって論証しました。ここでクリプキは加算の解が125以上の場合は総じて5になるという「クワス算」なる奇妙な演算を主張する懐疑論者を登場させ「68+57=5」が「間違い」かどうかは原理的には確定できず「68+57=5」を「間違い」と見做すには「68+57=5」が「正しい」という主張を「訂正」する共同体が必要となるということです。
  
もっとも、このような「訂正」は共同体からプレイヤーに向けられるだけではなく、同時にプレイヤーから共同体に向けられることにもなるはずです。すなわち、共同体のルールとは静的に確定したものではなく、常に動的に流動するものであり、しかもいつの間にか更新されてしまう「訂正可能性」を孕んでいるということです。
 
こうしてみると現代においては誰もが無自覚な「観光客」であり、社会という名の共同体は常に「訂正可能性」に開かれているといえます。こうした「観光客」と「訂正可能性」という概念から「平和」を問い直す一冊が昨年末に公刊された東氏の新著『平和と愚かさ』(2025)です。
 

* 戦争と平和の対立を問い直す

 

平和と愚かさ

平和と愚かさ

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本書はタイトルの通り「平和」と「愚かさ」を主題とした著作です。本書は全三部から構成されており、第一部が議論の中心であり、第二部と第三部には関連して書かれた論考が収められています。本書に収録された論考はいずれも、国外の特定の場所への旅と関わった紀行文スタイルで書かれています。この意味で本書は「観光客の哲学」の実践編であると氏は述べています。
 
第一部の論考「平和について、あるいは考えないことの問題」において同書は「戦争と平和は対立する」という一見正しそうな常識的な直感を問い直していきます。素朴に考えれば「平和」とは「戦争をしない」ことであり、だから両者は対立するわけでして、それ以上でもそれ以下でもないように思えます。けれども少し考えれば、ここでいう「戦争」と「平和」の境界は極めて曖昧です。
 
例えばロシアは2022年2月から続くウクライナへの侵略を「特別軍事作戦」と呼称しており、あくまで「戦争」ではないという建前をとっています。またイスラエルは2023年10月にパレスチナに侵攻し、2025年6月にイランを爆撃していますが、そこでも宣戦布告は行われず「戦争」ではないという体裁で、なし崩し的に武力が行使されています。
 
加えて本書が取り上げるのが「認知戦」という名の「戦争」です。ここでいう「戦争」とは、敵対する国家の市民社会に積極的に働きかけて、市民の認知を変え、自国に有利な状況を作り出す試みのことをいいます。これは露骨なプロパガンダのみならず、極論すれば文化交流やスポーツ交流すらも認知戦であるとも考えることができるでしょう。こうしてみると一見「平和」とみなされる状況でも国家は実は広義の「戦争」を戦い続けているともいえるでしょう。
 
では翻って「平和」とは何を意味するのでしょうか。一見平和だとしてもその裏には結局のところ見えない戦争があるのだとしたら、永遠に続く戦争こそが現実で平和とは一種の幻想に過ぎないということになるでしょう。ロシアがウクライナに侵攻を始めて以降、急速に平和について語りにくくなったのは、そのような概念自体の弱さだったからではないかと本書はいいます。
 
とはいえ、戦争はいやだ平和がいいという訴えが愚かだとして退けられるようでは、それこそ戦争が永遠に続く世界しかやってきません。それゆえに「平和」の概念について改めて考え直すことが必要になるというのが本書の出発点となります。
 

*「考えないこと」の広がりとしての平和

 
ここから本書は先述した「戦争と平和は対立する」という常識的直感を「平和においては戦争が欠けている」と定式化し直しています。平和には戦争が「欠けている」がゆえに戦争と平和は対立するといういうことです。次に同書はこの「欠けている」という意味を現実の武力に関わる欠如ではなく、むしろ思考に関わる欠如だと捉え直すことを提案します。つまり平和だと感じる状況において、人は戦争を戦っていないだけでなく、そもそも戦争について「考えていない」ということ、少なくとも考えないことが許されているという点が重要になるということです。
 
もちろん当然のことながら、平和時にも戦力は存在し、軍人や外交官や国際政治の専門家は常に戦争の可能性を考えており「戦争が欠けている」ことなど決してありません。しかし平和時においてほとんどの市民はそんなことは考えていないというもやはり事実でしょう。むしろ逆に、ほとんどの市民が日常的に戦争の可能性を強く意識する状況に陥ったときこそ、もはや人はそれを平和とは呼ばないでしょう。だとすればそのような思考の欠如とそれに伴う安心感、弛緩した心理状態こそが平和を平和たらしめる本質ではないかと本書はいいます。
 
それゆえに一旦戦争が始まると平和について語ることは原理的に難しくなってしまいます。平和から戦争へ以降するとは、戦争について考えないことが許される状態から皆が戦争について考えねばならない状態への移行に他なりません。そして、そのような移行が一旦完了してしまうと、もはやかつての平和は悪の放置にしか感じられず、敵国と平和に共存し交流していた過去は道徳的な誤りとしか感じられなくなってしまうでしょう。実際にそれこそが2022年の日本で対ロシア世論が急速に硬化した時に起きたことであり、そこで叫ばれる「平和」とはいわゆる「平和ボケ」と呼ばれる平和ではなく、しばし「反戦」と呼ばれる「平和を取り戻すために戦う」というある種の戦争を意味しているといえます。
 
このように本書は平和を「考えないこと」の広がりで定義します。つまり平和について考えるとは「考えないこと」について考えるということです。これは哲学的にいえば「思考不可能なもの」について考えるということでもあります。そしてこの「考えないこと」の問題は本書のもう一つの主題である「愚かさ」の問題とも関係しています。
 

* 考えない平和と考える平和

 
ここから本書は氏が実際に旧ユーゴスラビア諸国を「観光客」として歴訪した経験をもとにした哲学的な洞察が展開されることになります。まず本書は1990年代におけるユーゴスラビア紛争の歴史を紐解きつつ「平和の質」には民族をはじめとする利害を異に集団同士を物理的に遠ざけるか否かという相違から「隔離の平和」と「共生の平和」があるといい、両者をそれぞれ「考えない平和」と「考える平和」へ対応させています。いくら気に入らない相手でも目に入れなければ自然と考えなくなっていくでしょうし、あるいは考えないふりをすることが許されるようになるでしょう。「隔離の平和」とはこうした環境をつくることで維持される表面的な「考えない平和」であり「共生の平和」とは常に集団間の利害調整に配慮することが必要な「考える平和」です。
 
本書のように平和を「考えないこと」の広がりで定義するのであれば平和の理念形とは「隔離の平和」ということになるでしょう。確かに「共生の平和」の理想は美しいですが、それは常に集団間の利害衝突に晒された不安定なものであるといえます。しかしその一方で完全な「隔離の平和」の達成も不可能であるといえます。程度の差はあれ政治的・文化的に異なる他者との共生は実際問題として避けられず、現実として我々は他者との「共生の平和」を生きている事になります。
 
つまり「平和=考えないこと」という定義における「隔離の平和」が理念形だとすれば「共生の平和」は現実形ということになります。もっとも、こうした「共生の平和」においては他者との衝突の可能性が常にあるにもかかわらず、多くの人はそれを意識していないこともまた事実です。これは裏返せば多くの人の「考えないこと」を守るため、誰かが隣人との利害を調整し、友好を維持するため「考えている」ことを意味しています。しかし「平和=考えないこと」という定義からは、そのような「共生の平和」を「考えている」存在については「考えないこと」が必要であり、少なくともそうしたふりをする必要があるということです。
 
換言すると、こうした「平和=考えないこと」という感覚は、ふりという演技、あるいは嘘によって紙一重のところで危うく成り立っているものといえます。だから、ひとたび誰かがそんなの嘘だ、ちゃんと考えろ!と叫んだ瞬間に、この「平和=考えないこと」の感覚は崩落し、これまでの「平和」は「じつは平和ではなかった」という形で訂正されることになります。つまり「平和=考えないこと」の思考不可能性は「じつは平和ではなかった」の訂正可能性によって生み出されている、ともいえるでしょう。何よりここで重要なのは、そのような過去の読み替えにおいて「じつは」と声を上げるのは大抵が「平和=考えないこと」による被害者であるということです。
 
こうして「平和=考えないこと」という感覚は意図的に、あるいは無自覚的に他者に加害をなす「愚かさ」に結びつく事になります。それゆえに理念形としての「隔離の平和(考えない平和)」の正当性は常に現実形としての「共生の平和(考える平和)」における訂正可能性に開かれていることで初めて担保されるということになるといえるでしょう。さらにこの「考えない/考える」が螺旋状に絡み合っていく関係性は本書の最後の論考「哲学とは何か、あるいは客的-裏方的二重体」において「客的」と「裏方的」の関係性から考察されており、ここから現代における哲学のあり方が再定義されることになります。
 

* 平和における隔離と共生、あるいは、ねじまき鳥クロニクル

 
本書は一見広い意味での国際政治を論じた本に見えるかもしれませんが、本書の平和論の射程は国際社会における大文字の「平和」のみならず、個人間のコミュニケーションにおける「平和」にも等しく妥当します。例えば本書は第二部の論考「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」において「悪の愚かさを記憶する」ための試みとして村上春樹氏の小説『ねじまき鳥クロニクル』(1994〜1995)を論じていますが、あの小説はいってみれば、ある家庭が「じつは平和ではなかった」ことが明らかになっていく様相を描いた作品であったともいえるでしょう。
同作の主人公である岡田トオルは妻クミコと世田谷の一軒家でそれなりに平穏な生活を過ごしていましたが、2人の結婚を機に飼い始めた猫が失踪したことをきっかけに夫婦間に不穏な空気が漂い始め、ある日突然クミコは失踪してしまいます。このクミコの失踪にトオルは困惑し、6年間の「平和」だったはずの夫婦生活を次のように振り返っています。
 
「それでも僕とクミコは少しずつ、自分の体や心を「我々の家庭」という新しい単位のために同化させていった。2人で一緒にものを考え、ものを感じる訓練をかさねた。自分たちの身に起こる様々なものごとを「自分たちのもの」として受け止め、共有しようと努めた。もちろんうまく行くこともあれば、行かないこともあった。しかし僕らはそんな試行錯誤をむしろ新鮮なものとして、楽しんでいたと思う。それにもし激しい衝突があっても、僕らは抱き合って忘れてしまうことができた。」
 
(『ねじまき鳥クロニクル』より)

 

 
ところが物語の中盤でトオルのもとへクミコからの長い手紙が届きます。その内容をかいつまんでいえば、クミコはこの3ヶ月近く、仕事の関係で知り合った男性と性的な関係を持っており、その関係を解消させた現在ではトオルに対する罪悪感を感じているといいつつも、結婚前からも結婚してからもトオルに対して「本物の性的な快感」を持つことができなかったと告白し、手紙の最後はこのまま離婚するのがお互いにとって一番いい方法だと思うから、申し訳ないけど何も言わずに同意してほしいという趣旨の文で結ばれています。手紙を読み終わり、これまでの夫婦関係が「じつは平和ではなかった」という事実を突きつけられたトオルは静かにビールを飲み干し、次のように内省します。
 
「僕はクミコについてのいったい何を知っていたのだろうと僕は思った。僕は空になったビールの缶を静かに握り潰し、それをごみ箱に投げ捨てた。僕が理解していると思っていたクミコは、そして何年にもわたって僕が妻として抱いて交わっていたクミコは、結局のところクミコという人間のほんの僅かな表層に過ぎなかったのだろうか。(略)だとしたら、僕とクミコが2人で過ごしてきたこの6年という歳月はいったい何だったのだろう。そこには何の意味があったのだろう。」
 
(『ねじまき鳥クロニクル』より)

 

 
もっともこのクミコの告白は決して降って沸いたような唐突なものではなく、彼女は失踪前から様々なかたちでトオルに自分の抱える闇を訴えるサインを出していましたが、トオルはそのサインにまったく気づくことなく、クミコの抱える闇に向き合うことが出来ていませんでした。いわばトオルが「我々の家庭」という閉鎖空間で「隔離の平和(考えない平和)」を享受している間、クミコはトオルとの「共生の平和(考える平和)」を紙一重のところで維持していたともいえるでしょう。
 
その一方で本作ではクミコが失踪する前後から、トオルの前に次々に奇妙な人物たちが現れ始め、やがてトオルはクミコ失踪の裏には彼女の実兄である綿谷ノボルの暗躍があることを突き止めます。新進気鋭の政治家として今や時代の寵児であるノボルには人の精神を汚染し、欲望を暴走させる特殊な能力を持っており、果たしてクミコは綿谷が支配する闇の世界の中に囚われていました。クミコの声にならない声を聴き取ったトオルは、クミコを闇の世界から光の世界へと連れ戻すべくノボルと対決することを決意し、その対決は今や村上作品の代名詞ともいえる「井戸」からの「壁抜け」として遂行されることになります。
 
1994年から1995年にかけて公刊されたこの『ねじまき鳥クロニクル』という小説は戦後日本を支えた「大きな物語」が失墜し、地下鉄サリン事件が発生した当時の時代状況と見事なまでの共時的な布置を描いているといえます。平たくいえば同作は大きな物語(=夫婦関係)が破綻して、カルト宗教(=綿谷ノボル)に囚われたヒロインを救う物語であるといえるでしょう。しかしながらその一方でトオルとクミコという2人の関係性に焦点を当てるのであれば、同作は「隔離の平和」が破綻した後「共生の平和」の新たなかたちを模索する物語であったといえるでしょう。
 
もちろん同作の着地点には様々な意見があります。しかし少なくとも同作が描き出したトオルとクミコのあいだにある「平和の非対称性」という構図は家庭、職場、学校など社会の至る所に見出すことができることは確かです。こうした意味で「平和」を問い直すとはすぐれて公共的な問いであると同時に、他者との関係性を、あるいは世界のありようや生き方そのものを問い直すという極めて個人的な問いにもつながっているといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

享楽的こだわりとしてのレコード--村上春樹『古くて素敵なクラシック・レコードたち』

* レコードの魅力とは何か

 
音を記録、再生する技術は1877年にトーマス・エジソンが発明した蓄音機に始まり、エミール・ベルリナーによって円盤式レコードが開発されてからは音楽の大量複製と流通が可能となります。もっとも20世紀前半に普及したSP(Standard Play)レコードの片面再生時間は僅か約3〜5分に過ぎず、この短い再生時間は録音内容を制限し、特に長大なクラシック音楽では一つの作品を複数枚に分割して収録する必要がありました。
 
ところが1948年、アメリカのコロムビア社がLP(Long Play)レコードを発表したことでこうした状況は一変します。LPレコードの片面再生時間は約20〜30分であり、これは一般的なクラシックの交響曲を1枚〜少数枚で完結できるようになったことを意味しています。その結果、LPレコードの普及は演奏解釈の自由度を高めると同時に全曲演奏を基準とする鑑賞様式を確立し、クラシック音楽の裾野を飛躍的に拡大させることになります。さらに1950年代後半にはステレオ録音が実用化され、音場の広がりや臨場感が大きく向上し、1960〜70年代にかけてはレコード産業の最盛期を迎え、多くの名演奏・名録音が制作されることになります。
 
ところが1980年代に普及したコンパクトディスク(CD)は雑音の少なさや耐久性、取り扱いの容易さから瞬く間にレコードに取って代わる存在になります。さらに1990年代に入るとCDの音声データをコンピュータ上でリッピングする技術的基盤が確立し、2000年代以降はインターネット回線の高速化に伴う音楽データのダウンロード販売やストリーミング配信が普及し、この変化は音楽の制作、流通、消費の各段階において従来の業界構造を大きく変容させることになります。
 
もっともその一方で近年においてレコードはアナログ特有の音質、ジャケットを含む物質的価値、再生行為そのものがもたらす能動的な鑑賞体験といったものが再評価され、単純な利便性を競う媒体としてではなく、音楽鑑賞の質や経験の深さを重視する文化的価値を持つ媒体として位置づけ直されています。
 
では、果たしてレコードの持つ真の魅力とはいかなるものなのでしょうか。ここでは現代日本を代表する不世出の作家、村上春樹氏が数百枚に及ぶクラシック・レコードの魅了を語り倒す本書『古くて素敵なクラシックレコードたち』を取り上げてみたいと思います。
 

* レコード蒐集家、村上春樹

周知のように村上氏は小説家としての顔のほかに、翻訳家やエッセイストやラジオDJやマラソンランナーなどといった様々な顔を持っていますが、こうした様々な顔のうちの一つに「レコード蒐集家」としての顔があります。小説家デビュー前はジャズ喫茶「ピーター・キャット」を経営していた氏の音楽に対する造形は極めて深く、音楽をテーマとした著作として音楽評論集『意味がなければスイングはない』(2005)や対談集『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(2011)があります。
 
氏はレコードをかれこれ60年近く(2021年当時)集めて続けており、これは趣味というよりもう「宿痾」に近いかもしれないといいます(そして小説家なのに本にはなぜかそれほどの執着はないらしいです)。氏によればこれまで集めてきたのは主にジャズ・レコードですが、クラシック音楽も昔から好きでジャズほどではないにせよそこそこの数のレコードを蒐集しており、中古レコード店に行くとまずジャズのコーナーをめぐり、そこに目ぼしいものがなかったときはクラシックのコーナーに移り(手ぶらで帰るのも寂しいので)何か面白そうなものがあれば買い込んで帰るそうで、いま自宅にあるLPレコード・コレクションのおおよその内訳はジャズが7割、クラシックが2割、ロック・ポピュラーが1割というところだそうです。
 
この点、氏はジャズレコードに関しては「いちおうコレクターの端くれとして、それがオリジナル盤(初回プレス盤)かどうかとか、ジャケットの痛み具体はどうかとか、盤質がどうかとか、そういう細部にある程度こだわる」そうですが、クラシックに関しては特にそういうコレクター的なこだわりはないようで「稀少盤を集めるよりは、バーゲン箱をせっせと漁っている方がずっと楽しい」といいます。
 
こうしたことから氏がどのようなクラシック・レコードを買うのかという基準とは、演奏家や作曲者といった内容的な要素の他に「ジャケットが素敵なのでつい買ってしまうこともあるし、ただ『安いから』という理由で買ってしまうこともある」ということで、この演奏家はコンプリートしようという系統的な目論みはなく、また世間的な「名盤」のようなものにも興味はなく、ダメ元で面白そうなものを適当な価格(できるだけ安い価格)で行き当たりばったりのように買い込むケースが多く、所有しているクラシックレコードには統一的な傾向はなく、かなりバラバラだそうです。
 

* まるでひなびた温泉のお湯のように

 
本書は主にそういう「結果的に集まってしまった」レコードたちを中心に紹介する本ということになります。つまりこれは「あくまで個人的な趣味・嗜好に偏した本」であって、そこには系統的・実用的な目的はなく「これがこの曲のベスト盤だ!」みたいなガイドブック的意図も皆無で「私はこんな珍しいレコードを所有しています」とひけらかすことが目的でもなく、ただ単に「たまたま買い込んだレコードの中で、個人的になかなか気に入っているものを棚から引っ張り出してきて、『ほら、こんなものもありますよ』」とお見せするだけのもの」と氏は述べます。
 
では、そんな本が何の役に立つかというと氏は「『いや、あまり役に立たないかもしれません』と正直に答えるしかない」と述べつつも「でも、クラシック音楽を愛好する方なら、ページを繰って、ジャケット写真を目にしているだけで、ある程度親密な気持ちになっていただけるのではないかと推測する(希望する)」といいます。
 
氏はときどき1時間くらいぼんやり床に座って気に入ったレコード・ジャケットを次から次へと手に取って眺めたり、時々匂いを嗅いでみたりすることもあるそうで「それだけでけっこう安らかな気持ちになれる」といいます。古いレコードにはLPレコードにしかないオーラのようなものがこもっており、そのオーラが「まるでひなびた温泉のお湯のように僕の心を芯からじんわりと癒してくれる」と氏はいいます。
 
この点、LPレコードの美点として氏は「レコード盤の手入れをしてあげればそのぶん音が良くなる(これを氏は『レコードの恩返し』と呼びます)」「オーディオ周りを整備すれば、音質が向上するというメリットがある」という点に加えて「ジャケットのサイズがCDよりずっと大きいということ」をあげており、次のように述べています。
 
気に入ったレコードのジャケットを眺めているだけで、そこにある音楽の世界に、ひとつ違う入り口から入っていくことができる。あるいは僕はものの形にこだわりすぎているのかもしれない。でもそうなっちゃったんだから仕方ないじゃないか、とある程度開き直っている。だって人生なんて結局のところ、ほとんど意味を持たない偏りの集積にすぎないのだから。
 
(『古くて素敵なクラシックレコードたち』より)

 

* 小説家のあり方と牡蠣フライ理論

 
村上氏はかつて「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」(『雑文集』(2011)収録)において「小説家とは何か」と質問されたとき、だいたいいつも「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」と答えていると述べています。
 
なぜ多くを観察をしなくてはならないかというと、多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はあり得ないからであり、なぜわずかしか判断を下さないのかというと、最終的な判断を下すのは読者であって作者ではないからです。「小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅力的なかたちにして読者にそっと(べつに暴力的にでもいいのだけど)手渡すことにある」と氏は述べます。
 
また、氏は良き物語を作るために小説家がなすべきこととして「結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ」といいます。すなわち、氏のいう「判断」とはその仮説の集積の「個人的な並べ替え作業」であり、換言すれば「精神の組成パターンの組み替えのサンプル」であり「そのサンプリング作業を通じて、読者は生きるという行為に含まれる動性=ダイナミズムを、我がことのようにリアルに『体験』することになる」ということです。
 
そして「自分とは何か?」という問いとは(氏の定義する)小説家にとっては「あまりにも自明な問いかけ」であるといいます。小説家とはその「自分とは何か?」という問いを「別の総合的なかたちに(つまり物語のかたちに)置き換えていくことを日常の仕事にしている」からです。
 
ここで氏は「就職試験で『原稿用紙4枚以内で自分自身について説明せよ』という問題が出たとしてどうすればよいか」という読者からの質問に答えるかたちで、原稿用紙4枚以内で自分自身について書くのは不可能でも、例えば「牡蠣フライ(のような特定の対象)」について書くことによって、書き手と牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が自動的に表現され、突き詰めればそれは自分自身について書くことになるのではないかという「牡蠣フライ理論」を提案します。
 
「小説家とは世界中の牡蠣フライについて、どこまでも詳細に書き続ける人間のことである」と氏はいいます(そして実際に「牡蠣フライの話」という例文も載せています)。こうした意味で本書は氏のいう「牡蠣フライ理論」でクラシック・レコードを語る本であるといえるのではないでしょうか。
 

* 享楽的こだわりとしてのレコード

 
本書は氏のいうところの「結果的に集まってしまった」レコードたちを中心に紹介する「あくまで個人的な趣味・嗜好に偏した本」です。しかしそれだけに本書では氏の小説に登場する楽曲のレコードもいくつか紹介されており、いわば「クラシック・レコード」という切り口から村上作品の世界観に迫ることのできる本となっており、さらにはクラシック・レコードを対象として「牡蠣フライ理論」で書かれた「村上春樹という作家」について語った本であるともいえるでしょう。
 
この点、千葉雅也氏は『勉強の哲学』(2017)においてアイロニーからユーモアへ折り返した上でこのユーモアの過剰を非意味的な「享楽的こだわり」で切断し、そこにさらにアイロニーをかけていくという自己精神分析的な「深い勉強」を提示していますが、こうした観点からいえば本書が語る「結果的に集まってしまった」レコードたちはまさに村上春樹という作家の基底部をなす「意味を持たない偏りの集積」としての「享楽的こだわり」を示しているといえるでしょう。
 
実際のところ本書においては楽曲や作曲家やアーティストの解説的な要素はかなり抑え目で、そのレコードがいかに素晴らしいか(あるいはそうでないか)という村上氏の「享楽的こだわり」に満ちた語り口が全面に出ています。あたかも氏が自宅でレコードをかけながら親しい来客にその魅了を率直に(かつハイテンションで)語っているかのような臨場感を持つ本書はクラシック音楽の愛好家にとっては極めて贅沢な一冊となるでしょう。
 
またその一方でクラシック音楽に興味はあるけれどもまだそこまで知識がないという場合は、とりあえず同じ楽曲をCDやサブスクリプションなどで探してきて、インターネットで楽曲や作曲家やアーティストといった固有名詞を検索つつ本書を読むとよいかもしれません。こうした読み方をするのであればおそらく本書は村上春樹による(極めて偏った、しかし豊穣な語り口による)またとないクラシック入門書になるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

データベースからアルゴリズムへ--三宅香帆『考察する若者たち』

* データベース消費の現在地

 
ゼロ年代を代表する批評家である東浩紀氏はその代名詞的著作である『動物化するポストモダン』(2001)において近代的な「大きな物語」が機能不全となった現代ポストモダンにおける個人の消費行動を「物語消費」から「データベース消費」への移行として定式化しました。
ここでいう「物語消費」とは個々の作品消費を通じてその作品の背後にある「大きな物語(世界観設定)」を消費する行動様式をいいます。これに対して「データベース消費」とは個々の作品消費を通じてその作品に登場するキャラクターにおける例えば「萌え要素」といった「データベース(非物語的な情報の束)」を消費する行動様式をいいます。
 
ここから東氏はポストモダンの主体を動物的欲求が全面に出て人間的欲望が形骸化した「データベース的動物」と呼び、日本社会においてポストモダンが大きく加速したといわれる1995年以降を「動物の時代」と位置づけます。
 
さらに氏はその続編『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)において従来の近代文学が目指した近代的現実を写生する「自然主義的リアリズム」に対するポストモダンの文学観として、漫画やアニメのような虚構を写生する「まんが・アニメ的リアリズム」と物語が複数に分岐していくゲーム経験を写生する「ゲーム的リアリズム」を提示しています。
こうしてゼロ年代においては、このような東氏が打ち出した数々の批評概念を軸に「ゼロ年代批評」と呼ばれる批評シーンが形成され華々しい議論が展開されることになりました。そしてこの令和の時代において東氏の議論を決定的に更新する一冊として本書『考察する若者たち』を読んでみたいと思います。
 

*「考察」の流行と報われ消費

本書によれば最近のZ世代を中心とした若年層ではドラマや映画を観た後すぐにその作品の「考察動画」や「考察記事」を検索する傾向があるそうです。こうした意味での「考察」という言葉が注目され始めたのは2019年のテレビドラマ『あなたの番です』がきっかけであると本書はいいます。2クール計20話という日本のテレビドラマとしては異例の長さで放送され、その最終話は視聴率19.4%を叩き出し、Twitter(現X)の世界トレンド1位を5回も獲得した同作は「考察ドラマ」と呼ばれています。つまり同作は制作側が意図的に作中に謎を仕掛け、その謎を視聴者が考察しSNSで拡散することを狙って作られた作品であるということです。
 
この『あな番』のヒットを契機に「考察ドラマ」は世間に広く浸透します。作品によっては制作側が特に「考察」を狙っていなくとも視聴者の方が勝手に「作者は隠された謎を仕掛けている」という前提で「考察」するケースもあるようです。そしてその傾向は小説や漫画やアニメなどの他のジャンルにも波及します。例えば昨年公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限城編第一章 猗窩座再来』の大ヒットの裏側には同作の裏設定や伏線回収や小ネタにまつわる大量の「考察動画」が存在します。すなわち、ここから映画を観た観客が考察動画を見てその真偽を確認すべくまた映画を観に行くというサイクルが生じることになります。
 
このように若年層を中心とした令和の視聴者にとって「考察」とはフィクションを楽しむためのメジャーなひとつの手法となっていると本書はいいます。そしてその背景にただコンテンツを消費して満足するだけではなく、その時間を「意味ある時間」に変えたいという若年層の消費行動を見出し、このような消費行動を「報われ消費」と呼びます。つまりただ楽しい時間を過ごすだけじゃなく、その時間における報われるポイントがわかっていると手を伸ばしやすくなるということです。裏を返せばただ楽しい、面白いという感情だけではそのコンテンツを消費する時間は端的に無駄だと感じてしまうということです。
 
こうした若年層の消費行動を象徴する言葉として本書は2023年度講談社漫画賞総合部門を受賞した人気漫画『スキップとローファー』の「たぶんこれが最適解!」という台詞を引いています。同作が描く令和の高校生たちのように、若い世代は自分の行動に求められる、意味のある、正しそうな「最適解」を求めているということです。ではなぜ若い世代はこんなにも「最適解」にこだわるのでしょうか。これは単にZ世代がタイパやコスパがいいものを求めているという世代的な傾向だけではなく、そこには「令和特有の病」があると本書はいいます。
 

*「批評」から「考察」へ

 
本書は現代を「考察の時代」だといいます。先述のように考察とは作者が提示する(とされる)作品の謎を解く行為をいいます。本書によれば令和においては物語を読んだり観たりすることが、ただ読んだり観たりするのではなく、物語のなかに「謎」として置かれた「正解」を解くゲームになりつつあるということです。
 
これに対して平成以前は「批評の時代」であったと本書はいいます。ここでいう批評とは作者も把握していない作品の謎を解く営為をいいます。作者は作品の生みの親ですが、作者が作品のことを全て理解しているとは限りません。このような態度を批評はとっています。
 
両者は具体的にどう異なるのでしょうか。本書の例でいえば『となりのトトロ』(1988)を観て「じつは宮崎駿は”サツキとメイはすでに死んでいる”という設定を潜ませている」という解釈を行うのが考察です。これに対して「じつは”サツキとメイは幼いうちに日本で戦争によって亡くなった子どものメタファー”として捉えられる」という解釈を行うのが批評ということになります。
 
ここで重要なのは「作者の意図」への意識の有無です。批評から考察へ。こうしたフィクションを楽しむ人々の姿勢の変化を本書はフィクションを楽しむにあたり解釈を「作者の意図」として受け取ったほうが安心できる人が増えたということではないかと述べています。
 
換言すればそれは「正解」かどうかもわからない個人の解釈(感想)を知ってもちっとも面白くなく、それよりも作者が潜ませた「正解」を知ることの方が面白いという変化に他なりません。つまり考察には「正解」がどこかにあることから「わざわざ努力する価値がある」ということです。こうしたことから令和とは物語を楽しむことにすら「報われること」を求めてしまう時代なのではないかと本書はいいます。
 

*「推し」と「転生」

 
本書はこのような「報われたい」という消費感情から令和のヒットコンテンツを分析します。例えば「推し」という令和になって広く人口に膾炙した言葉があります。ここでいう「推し」とは自分が好きで、そして応援したり他人に勧めたりしたい対象のことをいいます。つまり自分が対象をとても好きだという感情に、さらに何らかのポジティヴな形で好きな相手と関わりたいという行動が追加された時に「推し」が成立することになります。
 
ところで「推し」が浸透する以前にある対象を好きだと思うことは「萌え」と呼ばれていました。先述のように東氏は『動物化するポストモダン』においてこうした「萌え」の根底にある消費行動を「データベース消費」と名づけたのでした。つまり「萌え」とは例えば「何となく自分はネコミミが好きだ」「何となく眼鏡のクールなキャラが好きだ」というデータベースから反応する反射的(動物的)な欲求であるということです。
 
本書は「推し」もやはりこうした「データベース消費」から生じる「萌え」の感情が根底にあるといいます。もっとも「萌え」はその対象が「変わる」ことを前提とする瞬間的な欲求であるのに対して「推し」とは「推し変」という言葉が示唆するように一瞬の感情ではなく継続的な行為であることが前提となっており、そこには自分の「推し」が何かしらの理想のゴール(例えば東京ドームで公演したり総選挙で1位になったり興行収入400億の男になったりなど)へ到達することでファンもまた「報われたい」という感情があるとします。
 
また「転生もの」というこれまた令和において一般化したジャンルがあります。ここでいう「転生」とは死後に他の場所(多くの場合は異世界)で生まれ変わり、前世の記憶を持ったまま新しく人生をやり直すことをいいます。この「転生もの」が流行する以前に流行していたのが「ループもの」というジャンルです。「ループもの」と呼ばれる作品では主人公は例えばヒロインを救うため何度も時空を超えて過去改変を試みることになります。
 
こうした「ループもの」をかつて東氏は「ゲーム的リアリズム」という概念で説明しました。これに対し本書は「転生もの」を「ガチャ的リアリズム」という概念で説明します。すなわち「転生もの」の物語の流行は「違うスペックに生まれてきたかった」というガチャ的な欲望に支えられているということです。
 
もっともこれは努力をせずとも無双できるチートな存在に生まれ変わりたいという欲望をただちには意味しません。現代の若年層は努力すれば成功するスペックとそうでないスペックがあることを肌感覚で感じており、ここでいうガチャ的欲望とは最初からガチャに当たって「努力すれば成功できるスペックに生まれてきたかった」という「報われたい」という欲望であるということです。
 

* TikTokとChatGPT

 
以上のように本書は「考察」「推し」「転生」といった令和に流行するヒットコンテンツから、あるいは「陰謀論」や「成長幻想」が流行する時代の傾向性から、その背景にある「報われたい」という感情を抽出します。そしてこうした「報われたい」という感情に最適化されたプラットフォームとしてTikTokを挙げています。
 
本書がいうようにTikTokの特徴とは短尺の動画が次々に大量にレコメンドされる点にあり、その報酬は大量の短尺動画を見て得られる脳内刺激にあります。そしてこうしたレコメンドはプラットフォームにおけるアルゴリズムによって決定されています。ここでいうアルゴリズムとはユーザーの好みを機械学習し、それに基づいて情報や広告を変えるシステムのことをいいます。
 
ここから本書は令和のヒットコンテンツとはすべてこうした「報われたい」という感情に最適化されたプラットフォームアルゴリズムのなかで生まれたものであると分析し、こうしたアルゴリズムにより同じ「界隈」に集まった(集められた)ユーザーが「正しさ」という報酬を求め「正解を提示する擬似親」としてChatGPTをはじめとする生成AIに依存しつつあるといいます。
 
考察したい、推したい、転生したい、気づきたい、成長したい、擬似親がほしい、正解がほしい、報われたい、こうした若者たちの姿は--アルゴリズムのレコメンドに押し流される私たちの姿そのものなのだ。
 
(『考察する若者たち』より)

 

* データベースからアルゴリズム

 
その一方で本書はアルゴリズムがもたらす最大公約的な「正解(に近い最適解)」によって発信者や受信者の個別性が失われていく状況に警鐘を鳴らします。すべてが最適化され最適解を求められる社会における「自分らしさ」とは畢竟、一般性から逸脱する特異性としての「生きづらさ」へと直結するからです。
 
もとより本書は「正解(最適解)」を求めることを否定はしません。誰も好き好んで失敗したくないのは当然です。しかし同時に本書はその「正解(最適解)」を目指す態度を補完するものとして「批評」的な態度という選択肢を提示します。つまり本書はここで「正解(最適解)」を求める態度と、その「正解(最適解)」から意図的に逸脱していく「批評」的な態度というダブルシステムを提案しているということです。
 
先述のように東氏は平成の時代を「データベース消費」が前面化した「動物の時代」と位置付けています。令和の時代においてこうした東氏の議論を本書の議論をもとに術語化するのであれば、それはデータベースを最適化するシステムとしてのアルゴリズムそれ自体を消費する「アルゴリズム消費」が前面化した「正解(最適解)の時代」というべきなのかもしれません。
 
かつて社会学者の見田宗介氏は「現実」を構成する「現実ならざるもの」としての「反現実」という視座から戦後日本社会を「理想の時代(1945年〜1960年)」「夢の時代(1960年〜1975年)」「虚構の時代(1975年以降)」に区分し、さらにこの議論を継承した大澤真幸氏は東氏の議論を参照しつつ1995年以降を「不可能性の時代」と名づけましたが、こうした「理想」「夢」「虚構」「不可能性」という反現実の表記法に倣えば令和の時代、すなわち2020年代における反現実とは、あるいは「正解(最適解)」といえるのかもしれません。
 
いまや我々の生きる「現実」は良くも悪くも「現実ならざるもの」としての「正解(最適解)」に規定されているといえるのではないでしょうか。こうした意味で「正解(最適解)」をいったんは受け入れつつも同時にそこから緩やかに逸脱していく術を提示する本書の批評的射程は極めて広範に及んでいるといえるでしょう。