かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

母性をめぐるふたつの生--映画『君たちはどう生きるか』試論

 

* 賛否が二極化した映画

 
1937年8月に公刊された吉野源三郎氏の著書『君たちはどう生きるか』は作家の山本有三らが中心となって編集した「日本少国民文庫」という全16巻からなる子供向け教養叢書の最終巻であり、同文庫の編集主任も務めた吉野氏は戦後、岩波書店の雑誌『世界』の初代編集長を務めており、今日では戦後民主主義を代表する進歩的知識人の1人として知られています。
 
同書の大まかなあらすじとしては「コペル君(地動説を主唱したコペルニクスに由来するあだ名)」と呼ばれる中学二年生の主人公の少年、本田潤一が、叔父さんとの対話を通じて、この社会で生きていくことの意味について考え人間的に成長していくというものです。同書は児童文学の形をとった教養教育の古典として複数の出版社で出版され戦後広く読み継がれてきました。そして同書に感銘を受けた読者の1人に少年の頃の宮崎駿氏がいました。
 
そして同書公刊からちょうど80年後となる2017年2月、前作『風立ちぬ』を最後に長編アニメーション映画からの引退を公言していた宮崎氏が長編映画の制作に復帰していることが明らかにされ、同年10月には次回作のタイトルが『君たちはどう生きるか』であることが明らかになります。
 
それからさらに5年が経過した2022年12月、1枚のポスタービジュアルと共に本作の公開日が2023年7月14日に決定したことが告知されますが、それ以降本作に関する情報は公式からは一切発信されることはなく、インターネット上でさまざまな憶測が飛び交う中で本作は公開日を迎えることになります。
 
果たしてこの徹底した情報封鎖が功を奏したのかどうかはよくわかりませんが、本作は公開4日間で興行収入20億円を突破する好スタートを切ることになりました(8月28日時点での興行収入は74.1億円であると報道されています)。しかしその一方でインターネット上における本作の評価に関しては賛否が二極化しており、とりわけ否定的な意見としてそのストーリーのわかりづらさを上げるものが多く見受けられました。このわかりづらさは宮崎氏ご自身も自覚されているようで、2月に都内で極秘で行われたらしい初号試写では「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」というコメントを出しています。
 
確かに本作は一回観ただけではわけがわからない映画であることはほとんど疑いないでしょう。では、このわかりづらさは一体何に起因するのでしょうか。
 
(この先は本作に関するネタバレを含みますので何卒ご留意ください)
 
 
 
 
 
 
 

* 母を亡くした少年と謎のアオサギ--序盤のあらすじ

本作序盤のあらすじはこうです。物語は太平洋戦争が始まってから三年目のある日、本作の主人公の少年、眞人が実母のヒサコを病院の火災で喪うところから始まります。その一年後、軍需工場の経営者である父親の勝一はヒサコの妹、夏子と再婚し、一家は夏子の実家へ工場ごと疎開することになります。その時、夏子はすでに父親の子供を身籠もっていました。
 
眞人は疎開先の屋敷の外れに建っている塔の館が不思議と気になります。その館はかつて大伯父によって建てられ、その後大伯父はその中で忽然と姿を消したと夏子はいいます。
 
転校初日、学校にうまく馴染めないままその帰り道で地元の少年たちから暴行を受けた眞人は道端の石で自分の頭を傷つけて深い傷を負います。帰宅後、眞人が自室で寝込んでいると、突如部屋に入り込んできた怪しげなアオサギから「母君のご遺体を見ていらっしゃらないでしょう。あなたの助けを待っていますぞ」と告げられます。
 
眞人は母親と瓜二つの歳若き女性である夏子に対する距離の取り方がわからず、彼女に対してそっけない態度をとり続けていました。件のアオサギが残した羽で自作の弓矢を製作している最中、眞人は夏子らしき人影が森の中へと入っていくところを目撃しますが特に気にも留めませんでした。ところがその後、眞人は自室にあった吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』の中に書き込まれていた母ヒサコのメッセージに気付き同書を読み進めるうちに涙が止まらなくなります。
 
そして、その日の夕暮れに夏子が失踪したことで屋敷の皆が大慌てになる中で眞人は屋敷を切り盛りする七人のばあやの一人であるキリコとともに夏子の後を追って塔の館の内部に潜入します。ここでアオサギに偽物のヒサコを見せられて怒った眞人は自作した矢を放ち、嘴を穿たれたアオサギは半鳥人のサギ男の姿から戻れなくなってしまいます。そして眞人は塔の最上階にいる謎の人物により「下の世界」へ誘われていきます。
 

* 戦後日本社会における「母性のディストピア

 
このように本作はひとまずのところは「母性」の喪失をめぐる物語であるといえそうです。この点「母性」の喪失は戦後日本文学の大きな主題をなしています。例えば戦後日本を代表する文芸批評家である江藤淳氏はその主著である『成熟と喪失』(1967)において当時の文学的潮流のひとつを成していた「第三の新人」と呼ばれる作家たちの作品群から近代社会における〈母〉の動揺と崩壊を読み取り、戦後日本における「成熟」の条件とは〈母〉を見棄てることによる「喪失感の空洞」のなかに湧いて来る「悪」を引き受けることであると主張しています。
 
そして宮崎駿という作家もまた、こうした戦後日本的な「母性」の磁場にとらわれた1人であったといえるでしょう。この点、批評家の宇野常寛氏はその名も『母性のディストピア』(2017)という著作において戦後日本社会論という大きな文脈の中で宮崎駿という作家を論じています。
まず同書の問題設定は大まかにいうと次のようなものです。かつて日本を占領したGHQの司令官、ダグラス・マッカーサーは当時、日本社会の精神性を「12歳の少年」と呼びましたが、その後、サンフランシスコ体制と日米安保という「アメリカの影」の下で「12歳の少年」に留め置かれた戦後日本が見出した成熟観とは「12歳の少年」のままでの成熟の仮構であり、それは「アメリカの影」による実質的な「政治」の不可能性を「文学」における自己完結的な「政治ごっこ」運動で代替し、現実から切断された空虚な理想を掲げることに意味を見出すという極めてアイロニカルな成熟観です。
 
こうした成熟観は戦後日本を長らく規定した左右のイデオロギーにおいて「(現実的にはそれが不可能と知りながら)あえて」その「偽悪(例えば憲法9条改正/再軍備)」ないし「偽善(例えば憲法9条護持/武力放棄)」を引き受けるという「あえて」の論理として現れます。そして、このような「あえて」の論理によって「矮小な父性」が「偉大な父性」を僭称する自己完結運動には、その不毛な演技を無条件に承認してくれる「肥大化した母性」が必要とされます。このような「矮小な父性」と「肥大化した母性」の結託構造を同書は「母性のディストピア」と呼びます。
 
こうした問題設定から出発した同書はいわゆる「アトムの命題(記号的身体で自然主義的成熟を描く矛盾)」を孕む戦後アニメーションには戦後日本社会を規定した「母性のディストピア」が強く表現されているとして、宮崎駿富野由悠季押井守といった戦後アニメーションを代表する作家の軌跡を検証し、ここで宮崎氏を「母性のディストピア」を「母性のユートピア」として読み替えた作家であるとして位置付けます。どういうことでしょうか。
 

* 母性・少女性・ニヒリズム

 
この点、宮崎氏の作品には「飛ぶ」という表現が頻出しますが、これを近代的/男性的自己実現のメタファーだと考えるのであれば、これまでの宮崎作品は基本的にこの「飛ぶ=近代的/男性的自己実現」ことの不可能性というニヒリズムから出発した上で何らかの回路を用いて「飛ぶ」ことの擬似的な回復を図るという構図に規定されてきたといえます。
 
まず『未来少年コナン』(1978)『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)『天空の城ラピュタ』(1986)『紅の豚』(1992)におけるコナン、ルパン、パズー、ポルコ・ロッソといった男性主人公は皆それぞれラナ、クラリス、シータ、ジーナといったヒロインの承認によって「飛ぶ」ことが可能となります。つまりここには近代的/男性的自己実現の不可能性を母性へ依存することで疑似的に回復するという回路があります。
 
そしてその一方で、宮崎氏の描くヒロインにはもう一つの系譜が存在します。それは『風の谷のナウシカ』(1984)『となりのトトロ』(1988)『魔女の宅急便』(1989)における「空を飛ぶ少女」たちです。ナウシカメーヴェを操り、サツキとメイはトトロやネコバスと共に、キキは箒に跨る魔法少女として、それぞれ文字通り空を飛び回ります。つまりここには近代的/男性的自己実現の不可能性を少女性に代行させることで擬似的に回復するという回路があります
 
ところがその後、宮崎氏の作品世界からは「空を飛ぶ少女」というモチーフが後退していくことになります。それはすなわち、少女たちが「飛ぶ」ための「空」としてのエコロジー思想(ナウシカ)や、昭和30年代の理想化された農村共同体(トトロ)や、消費社会の小市民的欲望(魔女急)といったものが思想的には脆弱な短期的なトレンドに終わり、宮崎氏が世界に対する肯定性を見出せなくなったことを意味しています。
 
そして同時に氏が長らく書き継いできたマンガ版『風の谷のナウシカ』が完結を迎え、ここで氏が到達したもはや世界は変えられないというニヒリズムをそのまま前面化させた映画が奇しくも宮崎駿の名を世界的なスターダムに押し上げた『もののけ姫』(1997)となります。
 
同作には「飛ぶ」というイメージがほぼ登場しません。主人公のアシタカも「もののけ姫」ことサンも「飛ぶ」ことはできず、そして多くのもののけ達もみな地を這い回り人間たちのと血みどろの抗争の中で傷ついていきます。同作の中核にあるのは自然と文明の対立というナウシカ以来、宮崎氏が反復してきた問題設定ですが、この問いに対して氏は最初から「答え」を放棄しており、アシタカの台詞が象徴するように「曇りなき眼で世界を見る」ことしかできません。このような倫理的で正しくみえるかもしれないけれど事実上無内容な同作の態度表明は氏が世界に対する肯定性を見出せなくなった端的な表れといえるでしょう。
 

* 母性によるナルシシズムの記述法としての『風立ちぬ

 
このように1980年代までの宮崎作品においては「飛ぶ=近代的/男性的自己実現」を擬似的に回復させるための回路として母性への依存と少女性への代行が並走していましたが、1990年代になると世界に対する肯定性としての少女性が後退すると同時にニヒリズムが前面化し、このニヒリズムを糊塗すべくゼロ年代においてはいよいよ肥大化した母性と矮小な父性との結託がより強化されていくことになります。
 
千と千尋の神隠し』(2001)の千尋はハクの飛行を保証する事実上の〈母〉として機能する少女であり、その関係性は『ハウルの動く城』(2004)のソフィーとハウルの関係性として反復されます。そして『崖の上のポニョ』(2008)になると宗介とポニョの冒険は全てがグランマーレという巨大な母性の胎内から一歩も出ないものとなります。そして同作においては母胎のイメージが「死後の世界」のイメージと結びついている、と宇野氏は指摘しています。
 
そしてこのような肥大化した母性がついに宮崎駿という作家が抱え込んでいた矛盾を包摂するナルシシズムの記述法にまで高められた作品が前作『風立ちぬ』(2013)です。
 
宮崎氏は同作の公開前後に行われた半藤一利氏との対談において、戦艦大和をかっこいいと思う自分と戦ってきた、かっこいいと思ってはいけないんじゃないかという気持ちがあったという趣旨の言葉を述べています。この発言にあるように宮崎氏は表向きの反戦平和思想の裏にある戦闘兵器への憧憬というある種の矛盾を抱え込んだ作家でした。そうした矛盾がまさに前景化した作品がこの『風立ちぬ』であったといえるでしょう。
 
ゼロ戦の設計者として知られる堀越二郎の半生を堀辰雄の同名小説に着想を得て脚色した同作は関東大震災から太平洋戦争前夜に至る時期を舞台にした物語です。同作の主人公、二郎は少年期から飛行機の魅力に取り憑かれ、イタリアの航空技術者、カプローニへの憧憬を募らせるようになり、いつかカプローニのような「美しい飛行機」をつくることが人生の目標となっていきます。ところが二郎が実際に追求した「美しい飛行機」とは、カプローニが夢見た大勢の家族を乗せて飛ぶ大型旅客機ではなく、ただひたすら「飛ぶ」という機能美に特化した戦闘機でした。
 
ここには現代を代表するアニメーション作家、宮崎駿の建前と本音がそのまま表出しているように思えます。従来のスタジオジブリ作品は多くの観客へ夢と希望を与えるファンタジー(=建前)と宮崎氏個人の戦闘兵器へのフェティシズム(=本音)という微妙なバランスの上で成り立っていました。そして同作はこの本音の部分をいよいよ隠すことなく全面化させているわけです。
 
もちろんここで宮崎氏は自身のフェティシズムをそのまま公的に肯定することはできません。そこでこの建前と本音の分裂に承認を与える役割を担うのが同作のヒロインである菜穂子です。
 
関東大震災の折、二郎は菜穂子と初めて出会い、その後ドイツ留学から帰国した二郎は避暑地にて菜穂子と運命的な再会を果たし二人は恋に落ちます。菜穂子は重い結核にかかっていることを告白しますが、二郎はそれを受け入れて二人は婚約します。その後、二郎は主力戦闘機の設計者に抜擢される一方で、菜穂子の症状は悪化の一途を辿っていきます。
 
先が長くないことを覚った菜穂子は無理を押して療養先の病院を抜け出し二郎の元に駆けつけます。こうして二人は短くも幸せな結婚生活を営む事になります。菜穂子は自らの身を顧みず妻として二郎を献身的に支え、果たして二郎は新型戦闘機(九試単座戦闘機)の開発に成功しました。けれどもまもなく菜穂子は亡くなり、二郎の畢竟の作ともいえるゼロ戦はあの戦争における破壊と殺戮の象徴となりましたが、それでも二郎は、菜穂子の存在を支えに「生きねば」と決意し、ここで映画は幕を閉じることになります。
 
つまり、ここで菜穂子は「美しい飛行機」を作るという二郎の物語に承認を与える母性としての役割を担っていることになります。かくして肥大化した母性は宮崎駿という作家が抱え込んでいた建前と本音、公と私、政治と文学の解離を救済する存在として顕現することになります。確かにこのようなナルシシズムの記述法は宇野氏のいう「母性のディストピア」に規定された戦後日本社会の成熟観そのものであるともいえそうです。
 
こうしたことから宮崎氏は自身が描き続けた世界が肥大化した母胎に閉じた死の海(=母性のディストピア)であることを自覚しながらも、あかたもそこが自由な空(=母性のユートピア)であるかのように見せかける綺麗な「嘘」を吐き続けた作家であり、それが宮崎駿にとってのアニメーションという虚構の使命だったに違いないと、宇野氏は述べています。
 

* 13個の石と「悪意」--中盤以降のあらすじ

 
では本作において「母性」はいかに超克されたのでしょうか、あるいは超克されなかったのでしょうか。
 
本作の中盤以降の展開は次のようなものです。「下の世界」に着いて早々にペリカンの大群に襲われた眞人は若き日のキリコに助けられます。ここでのキリコの仕事はこの世界の住人と「ワラワラ」という人に転生する前の魂たちを食べさせるために魚を獲ることです。しかし同時にワラワラたちはペリカンたちの食料でもあり現世に生まれ出る前に食べられてしまうものも多数います。瀕死の老ペリカンは眞人に海には魚がほとんどおらずワラワラたちを食べるしか生きる術がないという話をした後に力尽きてしまいます。
 
翌日、眞人はアオサギと和解して夏子を探しに行くようキリコから助言され旅立ちます。一方で現実世界では大捜索が行われる中でばあやの一人が眞人の父親に屋敷の外れにある洋館は明治維新の少し前に落下した塔を覆い隠したものであること、ヒサコは若い頃に神隠しに逢い1年後に全く同じ姿のままで帰ってきたことを打ち明けます。
 
その頃、獰猛な巨大インコたちに襲われていた眞人は炎を操る謎の少女ヒミに導かれ夏子のいる石の塔に向かいます。この塔が上の世界と同じ塔であると気づいた眞人に対してヒミはどの世界にも同じ塔は存在するといいます。そして塔の中の石造りの産屋で再会した夏子から「嫌い」と罵倒された眞人はこの時、初めて彼女を「お母さん」と呼びます。
 
産屋を追い出されて巨大インコたちに捕まった眞人は夢の中で大伯父と邂逅することになります。ここで大伯父は「下の世界」は自分が積み上げた積み木でバランスを保っていると説明して眞人に自分の仕事を継ぐように迫りますが、眞人は「それは木じゃない、石だ、墓と同じ悪意の石だ」と断ります。
 
その後、巨大インコたちを統率するインコ大王の妨害を乗り越えて眞人は塔の上で大伯父と再び邂逅することになります。ここで大伯父は今度は13個の穢れていない石を見せ、これを3日に一つずつ積み上げて世界のバランスを取る自分の役目を引き継いで欲しいと眞人に頼みます。
 
大伯父はこの仕事は自らの血を引継ぐ悪意のない人間しか出来ないといいます。しかし眞人は自分の石で殴ってできた傷を指して「この傷は自分でつけました。僕の悪意の印です。僕はその石には触れません。夏子お母さんと自分の世界に戻ります」と宣言します。そして怒り狂ったインコ大王が積み木を崩したことで「下の世界」は崩壊を始め、眞人はヒミとキリコと別れ、夏子とともに現実世界に帰還します。
 

* 宮崎氏の自伝的作品?

 
この点、本作は宮崎氏の自伝的作品であるという解釈があります。確かに主人公の眞人の父親の勝一同様に宮崎氏のお父様は宮崎航空機製作所という工場を経営しており、戦時中はゼロ戦の風防を製造しています。また、どこか軽薄な勝一の性格には宮崎氏曰く「デカダンスな昭和のモダンボーイ」であったお父様の性格が投影されているのかもしれません。また夭折した眞人の母親ヒサコと異なり宮崎氏のお母様は71歳まで健在だったそうですが、宮崎氏の幼少時に9年間結核を患っており、氏は母親におんぶしてもらえなかった幼少期の思い出を語っています。おそらく幼少期の氏にとって「母性」は象徴的な意味で不在であったのでしょう。もしかして氏がこれまで執拗に描き続けてきた「母性」とはこうした原風景に由来しているのかもしれません。
 
このように本作を宮崎氏の自伝的作品という位置付けから解釈するのであれば、眞人が負った頭部の傷は宮崎氏が少年の日に出会った漫画やアニメーションであり「下の世界」とはアニメ業界あるいはスタジオジブリともいえそうです。そうであればアオサギ鈴木敏夫氏ないし高畑勲氏といった氏にとっての盟友かもしれないし、大伯父は手塚治虫氏や徳間康快氏といった氏にとっての先人あるいは恩人ともいえるかもしれません(鈴木氏は自身がアオサギのモデルだと述べているようです)。さらに想像を重ねていけばワラワラを食べるペリカンは大戦時に本土を空襲したB29爆撃機のようにも見えてきますし、巨大インコは宮崎氏の作品をこれまで批判してきた同業者や批評家、そして観客の似姿のようでもあります。
 
そしてキリコはドーラや湯婆婆の系譜に属する主人公を後見する「母性」であり、ヒミはラナやシータの系譜に属する主人公を承認する「母性」といえます(同時にナウシカやサンといった戦闘美少女のイメージも重なり合っているでしょう)。しかも何よりヒミは主人公の母親ヒサコその人でもあります。こうした「母性」の支援を受けて眞人=宮崎氏は精神的な成熟を遂げていくわけです。
 
この限りでいえば確かに本作は「母性」に深く規定された作品であり、宇野氏のいうところの「母性のディストピア」の圏内にあるといえます。しかしながら同時に本作はこうした解釈から逸脱していく過剰性を(とりわけ後半部分において)様々に抱え込んでいます。そして、この過剰性ゆえに本作は極めてわかりづらい映画となっているともいえるでしょう。
 

* もうひとつの「原作」としての『失われたものたちの本』

 
ところで本作の企画元となった本として吉野氏の著作『君たちはどう生きるか』以外にジョン・コナリーというアイルランド出身の小説家が2006年に出版した『失われたものたちの本(The Book of Lost Thing)』という小説が知られています。2015年に出版された同作の邦訳に宮崎氏は「ぼくをしあわせにしてくれた本です」という推薦文を寄せています。また鈴木プロデューサーは本作の企画時に宮崎氏から「読んでみてください」と渡された本がこの『失われたものたちの本』であったことを示唆しています。
この小説も本作と同じく舞台は第二次世界大戦下で主人公はやはり母親を亡くしたディヴィッドという少年で、ドイツ軍の暗号解読に関わる仕事をしている主人公の父親がローズという女性と再婚することになります。父親からローズを紹介されたディヴィッドは発作を起こしてしまい、以降彼には本達の声が聴こえるようになります。
 
ローズはすでに妊娠しており、ディヴィッドたちはローズの屋敷に移り住みますが、そこには大伯父が昔、神隠しにあったという部屋があります。新しい母親とうまくいかず父親との仲も険悪になってしまったディヴィッドはひとりで本ばかり読んでいました。そして「私は死んでいないの」という母親の呼び声を聴いた彼は墜落してきたドイツ軍機の爆発に巻き込まれる形で御伽噺の国へと飛ばされてしまいます。
 
このようにディヴィッドと眞人とほぼ同様の境遇から別世界へと誘われています。この点、カササギの姿に化けてディヴィッドを別世界に誘う「ねじくれ男」はアオサギ/サギ男に相当します。また、この世界では主人公を導く存在として序盤では木こりが登場し、中盤ではローランドという騎士が登場しますが、彼らはそれぞれキリコ、ヒミに相当します。そして、この世界を治める王様はやはり主人公の大叔父であり、国を滅ぼそうとするループと呼ばれる狼男は巨大インコに相当します。こうした対応関係からすれば同作が『君たちはどう生きるか』の事実上の原作であると考えて差し支えないようにも思えます。
 

* トリックスターとしてのアオサギ/サギ男

 
そして同作において「ねじくれ男」は作中で「トリックスター」と名指されています。ここでいうトリックスターとは世界中の至る所の神話、伝説などに登場する道化的な役回りを担う存在で、限りなく悪に近い側面と限りなく英雄に近い側面という両義的な性格を持っています。二つの領域の境界に出没し旧来の秩序を破壊して新しい秩序を創造する役割を担ったりもするトリックスター紙一重で悪になったり英雄になったりします。日本においてもトリックスターという存在は文化人類学者の山口昌男氏の著書『アフリカの神話的世界』(1971)を通じて広く知られるようになりました。
 
この点、分析心理学の創始者として知られるスイスの精神科医カール・グスタフユングは意識体系の中心をなす「自我」に対して、意識を超えた「こころ全体」の中心に「自己」という元型の存在を考え「自己」を中心に心の中で様々に相対立する葛藤を相補的に再統合していく過程を「個性化の過程」あるいは「自己実現の過程」と呼んでいますが、このような過程においてトリックスターは時として大きな作用を及ぼします。
 
こうしたユング的な視点から、アオサギ/サギ男がトリックスターであり、眞人が自我であると見るならば、生まれる前の魂であるワラワラを抱え込む「下の世界」は生と死を司る母性の元型である「グレートマザー」に相当するといえます。また下の世界の住人であるペリカンや巨大インコはグレートマザーがしばし魂や精神を表す「鳥」のイメージと結びつけられるところから了解されます。
 
そうであればヒミは女性像の元型である「アニマ」に相当し、キリコは母性とアニマを仲介する「シスターアニマ」に相当するといえそうです。こうしてみると本作は自我(眞人)がグレートマザーの世界へトリックスターに誘われアニマ/シスターアニマに助けられて、ユングのいうところの「個性化/自己実現」を歩む過程を描いていることになり、この場合、大伯父は自己の元型が具現化したユングのいう「老賢者」に相当するといえるでしょう。
 

* 宮崎駿と「君たち」の物語

 
このように『失われたものたちの本』を起点として本作を読み解いた時、本作は「自伝的作品」とはまったく別の仕方で解釈することが可能となります。
 
まずアオサギ/サギ男を「鳥の外皮を被り空を飛ぶ中年男性」としてみれば、ここから容易に宮崎氏がかつて自画像として描き出した『紅の豚』のポルコ・ロッソを想起することができるでしょう。また、よく知られた解釈に倣い13個の積み木を宮崎氏の監督作品数に準えるのであれば、13個の積み木を司る大伯父とは世界的アニメーション作家として偶像化された宮崎駿のイメージといえます。そして「下の世界」は歴代宮崎作品の集合体とでもいうべき世界であり、その住人たちは皆カリチュアライズされた歴代宮崎作品のキャラクターたちであるといえるでしょう。
 
そうであれば眞人が誰に相当するかも自ずと明らかになります。それはまさに他ならぬ本作のタイトルにある「君たち」ということになるでしょう。
 
本作の観客であるところの「君たち」は宮崎氏に誘われてその作品世界を旅して、最後に氏からこの世界を継ぐように求められます。それはまさしくグレートマザーの母胎としての「母性のディストピア」を「母性のユートピア」に読み替えてきた宮崎氏の「嘘」で創り上げられた虚構の世界です。
 
けれども本作において「君たち」は自身の「悪意」を理由にこの虚構の世界を拒絶します。すなわち、ここでいう「悪意」とはまさしく宮崎氏の「嘘」を看破する力に他なりません。果たして本作の最後でこれまで宮崎氏の創り上げてきた虚構は完全に崩壊し「君たち」はこの現実を生きていくことになります。それゆえに氏は問いかけます。君たちはどう生きるのか、と。
 

* 母性をめぐるふたつの生

 
このように本作は宮崎氏の自伝的要素と『失われたものたちの本』にインスパイアされた要素が重なり合って成立している作品であるといえます。そして両者はそれぞれ氏の「生きてきた半面(母性に呪縛された生)」と「生きられなかった半面(母性を内破する生)」であるといえます。
 
すなわち、賛否両論を巻き起こした本作のわかりづらさとはおそらく、この「生きてきた半面(母性に呪縛された生)」と「生きられなかった半面(母性を内破する生)」という二つの位相を整理統合することなく重なり合った形のままで提示した点に起因しているのではないでしょうか。
 
けれどもまさにそうであるがゆえに、観客としての「君たち」は宮崎氏の「生きてきた半面(母性に呪縛された生)」と「生きられなかった半面(母性を内破する生)」という二つの位相のあいだで、他ならぬ「君たちはどう生きるか」という問いを思考し続けることになるでしょう。こうした意味で本作は不世出のアニメーション作家宮崎駿の抱え込んだ矛盾に満ちた幻想を削ることなくそのままに極めて高純度な形でアニメーションへと昇華させたかつてないほどに「贅沢」な映画であったといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コンステレーションと物語--大江健三郎『ヒロシマ・ノート』

 

* 原水爆禁止運動の起源と変容--本書の成立背景

 
1954年3月にマーシャル諸島ビキニ環礁で行われた米国の水爆実験「キャッスル作戦(ブラボー実験)」によって当時「死の灰」と呼ばれた大量の放射性降下物を焼津漁港所属のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員が浴びた「ビキニ事件」をきっかけとして全国的な原水爆禁止署名運動が巻き起こりました。この署名運動において中心的な役割を果たした水爆禁止署名運動杉並協議会の議長を務めた国際法学者の安井郁氏は署名運動を推進するにあたり「杉並アピール」という声明とスローガンを発表し、その冒頭でビキニ事件を広島・長崎に次ぐ「第三の核被害」として位置付けました。果たして原水爆禁止署名運動は当時の有権者数の半数を超える3200万筆に達する署名を集め、やがて1955年8月の原水爆禁止世界大会の開催に結実します。この大会をきっかけに一般市民の多くが原水爆禁止運動に積極的に参加するようになり、この運動を運営する恒常的組織として原水爆禁止日本協議会原水協)が設立され安井氏がその初代理事長に就任しました。
 
ところが日米安保改定をめぐる保革対立の中でまず自民党系などの保守層が原水協から離脱し、1961年に核兵器禁止平和建設国民会議核禁会議)を設立します。さらに同年10月にソ連が強行した核実験の評価をめぐり原水協内部においていかなる国の核実験にも反対するという立場を取った社会党・総評系の勢力と、ソ連の核実験は容認する立場を取った共産党系の勢力が真っ向から対立し、紆余曲折を経た末に1963年の第9回原水爆禁止世界大会において社会党・総評系が原水協から脱退し、1965年には原水爆禁止国民会議原水禁)を設立します。
 
このように日本の原水爆禁止運動は当初の草の根の平和運動から次第に政党色を強めていき、1960年代において原水爆禁止運動は共産党系の原水協社会党・総評系の原水禁保守系核禁会議という3つの勢力に分裂することになります。こうした潮流の中で第9回原水爆禁止世界大会を取材した当時28歳の若手作家であった大江健三郎氏が岩波書店の雑誌『世界』に連載した広島に関する一連のルポタージュをまとめたものが1965年に公刊された『ヒロシマ・ノート』です。
 

* 原水爆禁止運動から個別の被爆者へ

同書の第一章となる「広島への最初の旅」は大会前日の8月4日早朝に大江氏が広島に到着したところから始まっています。その頃、原爆記念館では例の「いかなる国」問題をめぐり担当常任理事会の秘密会議が長引いていました。蚊帳の外に置かれて苛立ちを隠せない全国の常任理事たちへ現状報告に現れた安井理事長は「わたくしにいましばらくの時をかしてください」と訴えます。
 
ところが同日午後、平和行進が行われている最中に日本原水協が大会運営を広島原水協白紙委任したというニュースがもたらされます。そして同日17時、平和公園の慰霊碑を背にして「議論よりも行動が、平和運動を成功させるのです!」と悲劇的に絶叫する安井理事長の姿に大江氏はショックを隠せません。
 
安井理事長は常任理事たちをかやの外へと置き去りにするとき《わたくしにいましばらくの時をかしてください》といった。討論し、考え、困難をのりこえるための《いましばらくの時》、しかしかれは、平和行進の到着三〇分前というモメントを、思考停止と判断放棄のための圧力にもちい担当常任理事会ともども眼をつぶって跳んだのではないか?そして《議論よりも行動が……》というのだが、それは単に、広島原水協に、困難と停滞とを未解決のまま押しつけたというほどの意味ではないか?しかし、かれの《議論よりも行動が……》という情緒的で非具体的な、調子の高いスピーチは大拍手をよびつづけるのである。
 
(『ヒロシマ・ノート』より)

 

こうして大江氏は被爆者不在のままイデオロギーによって引き裂かれていく原水爆禁止運動に失望を深めていく一方で、広島原爆病院院長の重藤文夫氏をはじめとする「真に広島的な人間」と出会ったことから、その取材対象を原水爆禁止運動から個別の被爆者に切り替えて、被爆者の視点から戦後日本を批判的に捉え直していくことになります。第一章の最後で大江氏は次のように述べます。
 
むしろ僕はいま、かれらをつうじてはじめて真の広島を発見しようとしている。いま僕が終えようとしているのは僕がこれからおこなおうとするかずかずの広島への旅の、最初の旅なのだ。
 
(『ヒロシマ・ノート』より)

 

* 1960年の広島への旅

 

ところでこの「広島への最初の旅」という章は『世界』1963年10月号の掲載時には「広島1963年夏」というタイトルでしたが、岩波新書収録のタイミングでタイトルが変更されたものと思われます。
 
しかしながら大江氏が広島を訪れたのは1963年が初めてではありません。少なくとも小説家になった後、大江氏は1960年に「若い日本の会」という文化人組織のメンバーとして広島を訪れています。この時の経験を氏は同年8月13日付の『中国新聞』に掲載された座談会では次のように発言しています。
 
「大江 広島には原爆というスバラシイ文学的素材がある。名古屋とか九州とか、特殊性の全くない地方とちがっています。広島の人は文学するにはめぐまれていますよ。」
 
「大江 ぼくは地方の若い人のだれにでも小説を書けと、進(ママ)めることはできないが、広島の人にだけは進(ママ)められます。原爆を書くということは大切なことですから。」
 
「大江 ぼくたちも月に一度くらいは原爆ものを読む必要があるよ。作品は残らず送ってくださいよ」

 

「広島には原爆というスバラシイ文学的素材がある」とか「広島の人は文学するにはめぐまれていますよ」などという大江氏の発言の真意はよくわかりませんが、あえてここに文学的な説明をつけるとすれば次のようにも言えるでしょう。
 
戦前の日本文学は私小説とプロレタリア小説という二つの潮流に分かれており、前者は後者を人間の真実を捉えていないと批判し、後者は前者を社会の変革に寄与していないと批判していましたが、敗戦直後の社会的混迷は私小説がそのまま社会小説になるという特異的な状況を生み出しました。もっとも、こうした敗戦による混乱は全国的には戦後10年を過ぎた頃から収まっていきましたが、未だ被曝の傷跡の癒えていない広島が置かれた苦境は依然として日本文学に特異的な状況をもたらしているのではないか、ということです。
 
それにしてもこの氏の一連の発言はどう好意的に解釈しても軽率としか言いようがなく、世間知らずの若手知識人による上から目線の発言だと非難されても仕方のないものがあります。
 
しかしながら、このような発言から3年経って執筆された本書において大江氏は広島の置かれた現実に真摯に向き合おうとしています。もしもこの間に氏の認識論的転換を迫るような出来事があったのだとすれば、それはやはり氏の長男、大江光氏の誕生に他ならないでしょう。
 

* 長男誕生と広島のあいだ

 
周知のように1963年6月に誕生した光氏は頭蓋骨に異常があったため出生直後に手術を受け、その後遺症で障害を負っています。その後、大江氏は様々な小説やエッセイでこの長男との関係を繰り返し描き続けています。そして大江氏が広島を取材してノートの執筆を始める時期は光氏の誕生直後です。こうしてみると乳児の時点で頭蓋骨を手術するという長男が負った物心両面の傷と広島への原爆投下がもたらした巨大な傷という両者は大江氏の内部において何らかのコンステレーション共時的布置)を形成したのではないかと考えられます。
 
本書のプロローグで大江氏は広島への旅立ちが「自分の最初の息子が瀕死の状態でガラス箱のなかに横たわっていたまま恢復のみこみはまったくたたない」中での「疲労困憊し憂鬱に黙りこみがちな旅だち」であったことを明かし、広島での第9回原水爆世界大会の日々は「じつににがい困難の感覚にみちた大会」であり「暗く索漠たる気分で、汗と埃にまみれ、嘆息したり黙りこんでしまったりしながら、大会に動員されたいかにも真面目な人々の大群の周辺をむなしく駆けまわっているだけだった」と述べています。
 
しかし一週間後に広島を立つとき氏は「自分自身がおちこんでいる憂鬱の穴ぼこから確実な恢復にむかってよじのぼるべき手がかりを、自分の手がしっかりつかんでいることに気がついていた」といい、そしてそれは「真に広島的な人間たる特質を備えた人々に出会ったことにのみ由来していたのであった」といいます。
 
そしてエピローグで氏は「僕が広島で見た(ついに旅行者の眼でかいま見たに過ぎなかったとしても)、人間的悲惨は、そのもっとも絶望的なものまで、すべてプラスの価値に逆転することができるという勇気はないが、すくなくともじつにたびたび僕に日本人の人間的威厳のあきらかな所在を確かめさせるものであった」として「僕は広島で、人間の正統性というものを具体的に考える、手がかりをえたと思う」といい「われわれには《被爆者の同志》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない」と述べています。
 

* 作家、大江健三郎の「物語」として

 
今年(2023年)は大江氏の「広島への最初の旅」からちょうど60年目の年となります。この60年もの間に本書に対しては氏の政治的態度の当否を問いただすものから同時期に執筆された『個人的な体験』(1964)をはじめとする氏の小説との関係や「実存主義」や「戦後民主主義」といった氏の思想との連関を論じるものまで夥しい数の批評が提出されましたが、こうした従来からの視点に加えて今日ではさらに現代日本における情報社会論的な視点から本書を読み直すこともできるでしょう。
 
この点、当初は草の根の平和運動から始まった原水禁運動がやがて党派的なイデオロギーに絡め取られていった60年前の状況は、まさに2010年代初頭にソーシャルメディアを媒介として巻き起こった「動員の革命」がやがて行き詰まりを見せ、様々なクラスター間での友敵の分断が加速し、フェイクニュース陰謀論が横行する今日的状況と極めて類似しているともいえます。
 
こうしたいわば「ポスト・動員の革命」といえる今日的状況において、例えば現代日本を代表する哲学者の1人である東浩紀氏は『観光客の哲学』(2017)においてグローバル資本主義における等価交換の外部を切り開く「誤配(コミュニケーションの失敗)」の担い手として「観光客(郵便的マルチチュード)」を位置付けており、また東氏と共に現代批評シーンをリードする批評家の1人である宇野常寛氏は『砂漠と異人たち』(2022)においてソーシャルメディアによる相互評価の外部へ超出するための条件を「速さ(理想の追求)」ではなく「遅さ(理想からの逸脱)」に求めています。
 
このような視点からすれば、大江氏もまた60年前の広島においてあるいは「真に広島的な人間たる特質を備えた人々」という「誤配」に直面した1人の「観光客」として、党派的なイデオロギーに染まった原水禁運動の「速さ」に抗うための「遅さ」を思考しようとしていたのではないでしょうか。
 
本書は一応形式的にはルポタージュの体裁を取っていますが、その内容は実質的にルポタージュの重要な要素である事実や事件の客観的な記述以上に大江氏の主観的な語りが前面に打ち出されたものとなっています。いわば本書の執筆過程において大江氏はイデオロギーという「他人の物語」を通すことなく、広島の置かれた現実そのものからから「自分の物語」を読み出していったのではないでしょうか。こうした意味で本書は原爆被害を伝える「資料」という側面や反戦平和を訴える「思想」という側面以上に、大江健三郎という作家の生を基礎付けた「物語」を詳らかにする作品であったようにも思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「速さ」と「遅さ」のあいだで思考するということ--宇野常寛『砂漠と異人たち』

*「走る」ことと「書く」こと

 
今年6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』を上梓した村上春樹氏は熱心な市民ランナーとしても知られています。時に1980年代初頭、当時30代前半だった村上氏はそれまで経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」を他人に譲り渡して専業作家となり、初の長編小説となる『羊をめぐる冒険』を書き上げた後に体調管理と禁煙を兼ねて「走る」ことを始め、以来、今日に至るまで世界各地で行われるフルマラソントライアスロンの大会に出場し続けています。氏はかつて『走ることについて語る時に僕の語ること』(2007)というエッセイ(氏によればメモワール)で「走る」ことに対して、おおよそ次のような所感を述べています。
村上氏は自分は良くも悪くも生まれつきチーム競技に向いた人間ではないとして、そもそも他人を相手に勝ったり負けたりすることにはあまり興味がなく、それよりも自分自身が設定した基準をクリアできるかできないかの方に関心が向くため、そういう意味で長距離走は自分のメンタリティにぴたりとはまるスポーツであったといいます。
 
この点、優勝を目指すようなトップランナーは別として、一般的な長距離走ランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑み、そのタイム内で走ることができれば彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、もしできなければ「何かが達成できなかった」ことになるけれど、仮にタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり次につながっていくポジティヴな手応えがあれば、あるいは何かしらの大きな発見があれば、多分それは一つの達成になるだろうといいます。換言すれば走り終えて自分に誇り(あるいはそれに類似するもの)が持てるかどうかが、それが長距離走ランナーにとって大事な基準となるということです。
 
同じことは小説の仕事についてもいえると村上氏はいいます。小説家という職業に勝ち負けはなく、発売部数や文学賞や批評の良し悪しは達成の一つの目安かもしれないがそれは本質的な問題ではなく、あくまで書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事なのであると述べます。こうした意味で氏においてフルマラソンを「走る」ことは小説を「書く」ことと極めて近い境域にあるといえそうです。

 

こうしたことから村上氏は「走る」ことの達成基準を少しづつ高く上げていき、それをクリアすることによって自分を高めていきましたが、40代半ばを迎えたあたりからそういう自己査定システムの雲行きが少しづつ怪しくなり始めます。それまで氏はフルマラソンをだいたい3時間半の目安で走れており、体調が多少悪くてもタイムが4時間を超えることはまず考えられなかったけれども、40代後半からは3時間40分台で走ることがだんだん辛くなり、ついには4時間すれすれの線に近づいてきたそうです。こうしたことから「走る」ことが以前のように手放しで楽しいと思えなくなった村上氏は「走る」こととの間に緩やかな倦怠期が訪れていたといいます。そこには払っただけの努力が報われない失望感と、開いているべきドアがいつの間にか閉ざされてしまったような閉塞感があり、このような状態を氏は「ランナーズ・ブルー」と名付けています。
 
けれども、この文章が記された2005年の5月末から10年ぶりにマサチューセッツ州ケンブリッジで暮らすようになった村上氏は再び「走りたい」という気持ちがどこからともなく湧き上がり「走る」ことが再び日々の生活の一つの柱となったそうです。この点、氏にとって「まじめに走る」というのは具体的には週60km走ることを意味しています。つまり週に6日、一日に平均10km走るということです。6月はその計算通りちょうど260km走り、7月はさらに距離を伸ばし310km走り、8月は350kmを走ったといいます。そして、この時点での氏の目標は11月6日に開催されるニューヨーク・シティー・マラソンでした。前回参加した千葉県某所で行われたフルマラソンの結果が散々で、氏によれば「こんな惨めなレースは初めてだった」こともあり、2ヶ月後のニューヨーク・シティー・マラソンに賭ける意気込みが文章の端々から伝わってきます。
 
しかしその結果は氏によればあまり好ましいものではなかったらしく、曲がりなりにも完走はしたけれど、やはり今回もあと少しで4時間を切れなかったことに納得がいかず、そのリベンジも兼ねて約半年後の2006年4月に出場したボストン・マラソンでも完走はできたもののやはり満足のいくタイムではなかったそうです。けれども氏は同書において、これからタイムがもっと落ちようとも、とにかくフルマラソンを完走するという目標に向かってこれまでと同じように、時にはそれ以上の努力を続けていくと記しています。
 
このように氏が記してから約15年の月日が流れた2020年、70代を迎えた村上氏は同年2月に出場した京都マラソンでついに生まれて初めてフルマラソンの完走に失敗したそうです。そもそも70歳を過ぎてフルマラソンの大会にエントリーしていることそれ自体がもう並大抵のことではないはずなんですが、氏にとってこの出来事はかなり衝撃的だったらしく、ラジオやインタビューなどあちらこちらでこの話題に繰り返し触れています。
 
これに対して自身も市民ランナーである批評家の宇野常寛氏は先輩ランナーとしての村上氏の高い走力にリスペクトを示しつつも、70歳を過ぎたランナーがフルマラソンの完走失敗を悔やむ姿に疑問を持ち、村上氏の「走る」ことに対する考え方に僅かだが決定的な違和感を持ったといい、その違和感は村上氏の近年の小説に感じる違和感につながっていると述べています。こうした意味で小説家村上春樹に対する批評でもあると同時にかつランナー村上春樹に対する批評としても読めるのが昨年上梓された本書『砂漠と異人たち』です。
 

* 動員の革命の希望と失望

本書は全体としては2020年代における情報社会論がその主題となっています。その「第一部 パンデミックからインフォデミックへ」ではまず本書全体を貫く問題設定が明らかにされます。その要旨は次のようなものです。
 
本書の原稿が執筆された時期(2020年〜2022年秋)は言うまでもなく新型コロナ・ウィルス(COVID-19)が全世界を席巻していた時期にあたります。このコロナ・パンデミックは世界的な危機とは危機そのもの(COVID-19による生命と健康への危機)よりも、その危機についてのコミュニケーション(COVID-19をめぐる情報がもたらす社会的な混乱)として出現するということ明らかにしました。こうした状況をWHO(世界保健機関)は「Information(情報)」と「Epidemic(疫病の流行)」とを合わせて「Infodemic(インフォデミック)」と名付けて各国に警戒を促しました。こうしたコロナ・パンデミックを加速させるインフォデミックの下で未知のウィルスへの不安に駆られる人々は考えるためではなく、むしろ考えないためにインターネットで情報を検索しては発信してSNSが作り出す宇野氏のいうところの「相互評価のゲーム」に閉じこもるようになりました。
 
もっともより正確には今日においてインフォデミックと呼ばれるこのような傾向は世界中がコロナ・パンデミックに踊らされる遥か以前から、すなわちSNSが普及し始めた2010年台初頭から始まっていました。当時、一世を風靡した「動員の革命」という言葉には新聞やテレビといったマスメディアを介したトップダウン的動員ではなく、市民一人ひとりが自発的に発信するソーシャルメディアを介したボトムアップ的動員から生まれる新しい民主主義への希望が込められていました。果たして「アラブの春」から東日本大震災の反原発デモまで世界を席巻した「動員の革命」の手法はやがて市民運動だけにとどまらず、政治、経済、文化全般へと波及していきました。
 
しかしながら今日において、かつての希望は失望と化し「動員の革命」を可能としたSNSのプラットフォームは新しい民主主義どころか、むしろ民主主義の行き詰まりに加担しているとさえいえます。いまやSNSは一方ではフィルターバブルによって自分たちが見たいものだけを目に入れて聞きたいものだけを耳に入れることで精神を安定させたい人々にフェイクニュース陰謀論という名の麻薬を与える装置となり、もう一方では正義の名のもとに他の誰かに石を投げる私刑の快楽を手放せなくなった人々に安価で高性能な投石機を与えていると本書は述べます。
 

* 民主主義の機能不全と「遅い」インターネット

 
こうしてSNSの普及により「他人の物語」に感情移入することよりも「自分の物語」を発信して他者に承認されることに快楽を見出した人々は閉じたネットワークの中での相互評価のゲームに夢中になり、一人でも多くの他のプレイヤーの共感を獲得して自分の影響力を最大化しようとします。そこでは、ある人は経済的な集客のために、ある人は政治的な動員のために、ある人は何者でもない自分が世界に一石を投じるために--あるいは誰かに自分の価値をほんの少しだけでも認めて貰いたいために--このゲームに参加しています。
 
そして、このような情報環境においては常に「問題そのもの」ではなく「問題についてのコミュニケーション」の方がクローズアップされて世論を形成することになります。なぜならば「問題そのもの」の解決や再設定を試みることよりも「問題についてのコミュニケーション」に対する賛否を表明した方が遥かに容易く多くの他者の共感=承認を集めやすいからです。こうして今日の民主主義においては「問題についてのコミュニケーション」ばかりが重視され「問題そのもの」を議論することが難しくなっています。
 
そして本書はこの閉じたネットワークにおける相互評価のゲームの外側に脱出するには、その「時間的な外部」に立ち、情報に対する「速度」の決定権を取り戻す必要があるといいます。氏が以前から推進している「遅い」インターネットという草の根的な運動はこうした問題意識に根ざしています。
 
けれども氏がその「遅い」インターネットという運動を本格的に実行し始めたまさにその時に世界はこのコロナ・パンデミックにより、さらに「速い」インターネットに呑み込まれていくことになります。こうした状況において「遅い」インターネットを実現するための前提として、氏はもっと根源的な人間の在り方、世界の見方のようなものを提示することが必要なのではないかと考えるようになったといいます。これが本書の根底をなす問題意識となります。
 

* アラビアのロレンス問題

 
そこで本書は閉じたネットワークにおける相互評価のゲームの「時間的な外部」に立つための知恵をまずは二人の先人の「失敗」の歴史から学んでいきます。その二人の先人の一人目が今日において「アラビアのロレンス」の名で知られる第一次世界大戦時に活躍したイギリスの陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスであり、二人目が現代日本を代表する不世出の作家村上春樹です。
 
こうして「第二部 アラビアのロレンス問題」では数奇で毀誉褒貶に満ちたロレンスという人物の生涯を辿り、その後世における評価の検証を経た上で、今日の情報社会において閉じたネットワークにおける相互評価のゲームに没入する現代人は皆ロレンスと同じ罠に陥っているとして、同書はロレンスの辿った軌跡から抽出した「ここではない、どこか(外部)」ではなく「ここ(内部)」でいかにして〈砂漠〉を発見できるかという問いを「アラビアのロレンス問題」と名付け、続く「第三部 村上春樹と「壁抜け」のこと」ではこの「アラビアのロレンス問題」を解くための手がかりを「デタッチメントからコミットメントへ」と形容される村上氏の作家人生の中から見出していきます。
 
よく知られるように1995年前後に村上氏は「デタッチメント」から「コミットメント」へとその倫理的作用点を転換させています。この阪神淡路大震災地下鉄サリン事件に象徴される1995年とは戦後日本社会が大きな転換を迎えた年であると見做されています。
 
この点、宇野氏は『リトル・ピープルの時代』(2011)において「ビッグ・ブラザー(国民国家)」と「リトル・ピープル(グローバル資本主義)」という概念から戦後日本社会を「ビッグ・ブラザーの時代(1968年以前)」「ビッグ・ブラザーの解体期(1968年〜1995年)」「リトル・ピープルの時代(1995年以降)」に区分した上で、村上氏のいう「デタッチメント」から「コミットメント」への転換を「ビッグ・ブラザーからのデタッチメント」から「リトル・ピープルへのコミットメント」への転換として位置付けています。このような村上春樹論の事実上のアップデート版が本書で展開される議論です。その概要は次のようなものです。
 

* デタッチメントからコミットメントへ

 
「政治の季節」が終焉した「60年代末の記憶」から出発した作家である村上氏がまず打ち出したのが「デタッチメント」という態度です。それは端的にいうと例えば「マルクス主義」のような20世紀を席巻したイデオロギーによって人々を動員するビッグ・ブラザー的な「悪」からの「デタッチメント」です。このような「デタッチメント」を一つの倫理として提示した作品が村上氏の代名詞ともいえる『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)であり、ここから逆算して「60年代末の記憶」を精算した作品が村上春樹を国民的作家に押し上げたベストセラー『ノルウェイの森』(1987)ということになります。
 
そしてあの1995年に完結した『ねじまき鳥クロニクル』(1994〜1995)において村上氏はマルクス主義に代表されるビッグ・ブラザー的な「悪」に対する「デタッチメント」からオウム真理教が象徴するリトル・ピープル的な「悪」に対する「コミットメント」へと転回します。
 
同作で提示されたコミットメントのモデルは歴史を物語(=他人の物語)ではなくデータベースとして捉え直すことで普遍的な「悪」に対峙する「個」の物語(=自分の物語)を読み出していくという意味で今日のインターネット的な世界観を先取りするものでした。けれどもそれは同時に陰謀論歴史修正主義といった今日のインターネットが抱える問題を先取りするものでもありました。さらに氏がここでコミットメントの根拠としたヒロインによる承認は主人公の自己実現のコストをヒロインに丸投げしてしまうという難点を抱えていました。
 
こうしたことから宇野氏は村上氏の想像力はこのとき「暗礁に乗り上げ、そしてまだ帰還していない」と述べています。さらには『海辺のカフカ』(2002)『1Q84』(2009〜2010)『騎士団長殺し』(2017)といった近年の作品においてはそのコミットメントはもはや中年男性のナルシシズムの確認にまでに縮退してしまっており、肝心のリトル・ピープル的な「悪」への対峙という本来の主題を半ば放棄してしまっているといいます。
 

* 「遅い」ランナーとして世界を「走る」ということ

 
そして本書の結語となる「第四部 脱ゲーム的身体」はランナー村上春樹に対する批評でもあります。本書は相互評価のゲームからいかにして時間的な外部を確保するかという問いから出発し、その手がかりをロレンスと村上氏の「失敗」の軌跡の中に見出そうとしました。
 
この点、ロレンスも村上氏もある時期から「走る」ことをその暮らしの中に取り入れていった点で共通しています。彼らはもとより相互評価のゲームを勝ち抜くことを目的するような段階にはすでになく、あくまで自身の「自立」を目指し、共に一定以上の「速さ」で走ることを目指していました。しかしながら、ここに最後の、そして最大の罠があり、同時に「アラビアのロレンス問題」を解く鍵はここにある、と本書はいいます。
 
ここで本書は村上氏の『走ることについて語る時に僕の語ること』を参照し、村上氏にとって「走る」ことは--まさに彼の近年の作品と同様に--競技スポーツとライフスタイルスポーツの中間にある--ある種の理想的な自己像を維持して確認するための行為としての--いわば「ナルシシズムスポーツ」であると位置付けます。
 
その上で本書は村上氏とは別の仕方での「走る」主体として「遅い」ランナーというべき主体を提案します。ここでいう「遅い」ランナーとはタイムを気にすることなく走ることに疲れたら休むランナーであり、すなわち、それは相互評価のゲームから降りた主体であり、かつそれでいながら人間を世界から切断する「速さ」の呪縛からも逃れて「遅さ」を受け入れることで世界に開かれている存在を指しています。
 
もちろん本書のいう「走る」とは単なる比喩に過ぎません。すなわち、真の意味での「自立」を果たす上で重要な条件とは、その「遅さ」によってこの世界に「移住者」のように接して歴史に「見られる」ことであり、そしてその「遅さ」により生じる自己変容を受け入れた時に、人は初めて住み慣れた街の中に時間的な外部としての〈砂漠〉を発見することができるということです。
 

*「速さ」と「遅さ」のあいだで思考するということ

 
比喩的に言えば村上氏の議論が「走る」ことの「速さ」を追求したものだとすれば、宇野氏の議論は「走る」ことの「遅さ」を肯定するものであるといえます。これはどちらが正しいかとかそういう話ではないと思います。あえて言えば両者の議論はそれぞれが暗黙下で想定されているメッセージの宛先が異なっているように思えます。
 
すなわち、村上氏の議論はどちらかというと公私共に人生がそこそこ上手くいっている人々に向けられた激文であるとすれば、宇野氏の議論は公私における何かしらの面で人生があまり上手くいっていないと感じている人々、それこそSNSで他人に向かって石を投げつけることでしか生の実感を回復できないような人々に向けられた処方箋であるということです。そして人は生きていく中で前者と後者の両方の時期を経験することもあるでしょう。
 
いずれにせよ、少なくとも一つだけ言えるのは「速さ」と「遅さ」のいずれかが正しいというように二項対立的に世界を切り分けるような思考こそが、まさしく本書のいう「相互評価のゲーム」に囚われた思考そのものであるように思います。自らの理想に向かう「速さ」の追求とその理想から逸脱する「遅さ」の肯定というダブルシステムのあいだを自在に往還するということ。それこそが本当の意味での「自立」するということではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ユマニチュードと障害者表象--市川沙央『ハンチバック』

 

* ユマニチュードにおける「願い」

 
ユマニチュードという言葉があります。1979年にフランスの体育学教師だったイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人が創出した知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づくケアの技法を指すこの言葉には「人間らしさを取り戻す」という意味が込められています。
 
たとえば、あなたは入院しており、四肢が麻痺した状態だとします。私は看護師で、あなたの部屋に入ります。すると、「テレビを見たいからつけてほしい」と言われ、リモコンのスイッチを押します。そして「どの番号を見ますか?」と尋ねます。あなたは「NHKが見たい」と言い、私は選局します。
 
自分の手でリモコンを扱えないような身体の状態では、「自律していない」とみなされがちです。しかし、あなたは自律しています。自分はテレビを見たいと思い、自分で番組を選択しているからです。そのとき看護師はどういう存在でしょうか。あなたは手が使えないのです。看護師はあなたの手になります。(・・・)ケアする人の役割は「あなたの代わりに何かを決めること」ではありません。あなたの自律を介助することです。
 
(イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ『「ユマニチュード」という革命』より)

 

ここでいう「自律」とは他者の手を借りずに自分1人で生活できるという意味ではなく、自分自身の「願い」を具体化できることであると捉えられています。そして、このようなユマニチュードの理念の中核にある「願い」に強く駆動された作品として先日、第169回芥川賞を受賞した本作『ハンチバック』を挙げることができるでしょう。
 

* 普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です

本作のあらすじはこうです。背骨がS字に曲がる重度のミオチュブラー・ミオパチーを患う主人公、伊沢釈華は人工呼吸器と電動車椅子が欠かせない生活を送っています。成長期に育ちきれなかった筋肉が心肺機能において正常値の酸素飽和度を維持しなくなり、地元中学の教室で朦朧と意識を失った29年前からずっと「涅槃」に生きている、と彼女は述べています。
 
現在、グループホーム「イングルサイド」で暮らしている釈華は3年前から在籍する某有名私立大学の通信過程でオンライン授業を受けながら、Webライターとして風俗のコタツ記事を執筆したり、TL小説と呼称される女性向けの官能ライトノベルを小説サイトに投稿したり、Twitterの零細アカウントで愚痴や毒を吐き散らしたりして日々を過ごしています。
 
イングルサイドをはじめとする両親が遺した不動産からの収入で暮らす釈華は金銭的にはまったく不自由のない身ですが、背骨が曲がり始めた幼少時以降「背骨の曲がらない正しい設計図に則った人生」をずっと憧憬していた彼女はその鬱屈からTwitterに次のような一文を投稿しています。
 
〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉
 
そんなある日、コロナ禍における人員調整がうまくいかなかったことから釈華の入浴介助を田中という男性ヘルパーが彼女の了承を得て担当することになります。「弱者男性」を自認する田中は障害はあるけれど富裕層のお嬢様でもある釈華に対して普段から露骨なルサンチマンを抱いていました。入浴介助の後、田中から唐突にTwitterアカウントを特定していることを告げられた釈華は1億5千5百万円(田中の身長を1センチ=100万円で換算した金額)で妊娠のための(そして中絶のための)性行為をすることを田中に提案します。
 

* 障害者表象の「裏卒論」

 
本作の表題である「ハンチバック」というあまり聞き慣れない単語は作中では「せむし(背中が曲がった猫背状態)」の意味で使われており、健常者との身体的な相違に止まらず、その内面性の相違を表す言葉としても用いられてます。
 

せむし(ルビ:ハンチバック)の怪物の呟きが真っ直ぐな背骨をもつ人々の呟きよりもねじくれないでいられるわけもないのに。

 

(『ハンチバック』より)

 
そして本作の著者である市川沙央氏もまた幼少時に筋疾患先天性ミオパチーと診断されており、14歳の時に疲れやすくなるなど症状が進み、念のため入院したさなかに意識を失い、目覚めた時には気管切開され、人工呼吸器をつけていたそうです。そして療養生活が始まり思うように外出ができなくなったことで20歳を過ぎた頃から「自分には小説家くらいしかやれることがない」と思い立ち、それから小説を書き始めて今に至っているとのことです。とりわけ小学5年生の頃から夢中で読んできた集英社コバルト文庫のコバルト・ノベル大賞には20年以上応募しており「もはやライフワーク」と氏は述べています(今年も応募したそうです)。その他にも女性向けライトノベルやSF、ファンタジーの賞に応募し、多いときには原稿用紙350枚程度の応募作を年3本執筆していたといいます。
 
その一方で氏は今年3月に卒業した早稲田大学通信課程における卒論では「障害者表象」というテーマを扱っており、卒論と並行(!)して執筆した本作は「裏卒論」にあたるそうです。なお、市川氏が障害者と同性愛者の表象史の近接性についてゼミの指導教官と話していた際に勧められたのが千葉雅也氏の小説『デッドライン』と『オーバーヒート』だそうですが、今回の芥川賞候補には本作とともに千葉氏の最新作『エレクトリック』がノミネートされており、世の中のめぐり合わせというものはなかなか不思議なものがあるようにも思えました。この点、市川氏は千葉氏の小説について「今振り返ると、性風俗と学問を行き来する感じも含め、純文学の書き方のアプローチとして頭にインプットされたように思います」と述べています。
 

* 読書バリアフリーという執筆動機

 
本作の主人公である釈華は市川氏と同じ年齢で同じ難病を抱えており、医療行為の描写は氏の実体験がもとになっているそうです。こうした意味で本作は私小説なのかという点については氏は「自分としてはせいぜいオートフィクション。重なるのは30%という感覚です」といい、当事者が書いた作品であると強調されることには「実は、私はOKを出していて、なぜかというと、これまであまり当事者の作家がいなかったこと、芥川賞も重度障がい者が受賞した作品もあまりなかった。どうして2023年にもなって初めてなのか、みんなに考えてもらいたい」と述べています。
 
市川氏が自身と同様の重度障害者を描くことになった動機は卒論を書くために障害者の歴史や差別の歴史を調べていく中で生じた日本の読書バリアフリー環境の前進のなさに対する苛立ちにあるといいます。氏は次のように述べています。
 
小説も学術書も、障害者の読書が想定されていない(=電子化されていない)ものが多く存在すること自体に大きな問題があると思っています。重度障害者が本を読んだり学者になったりするとは思わないのかもしれません。その可能性に目を向けていただくために、論文を書く釈華というキャラクターに自分自身を投影して『当事者表象』を行うことが必要でした
 

 

* 読書文化におけるマチズモ

 
このように市川氏が強く訴える「読書バリアフリー」については制度的には一応は2019年6月に「読書バリアフリー法(視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律)」という法律が成立しています。けれども、この法律が成立してから4年余りが過ぎた2023年の現在においても重度障害者における読書環境が「読書バリアフリー」といえるにはまだまだ程遠い状況にあります。こうしたことから本作では「読書バリアフリー」を訴える声がその随所から聞こえてきます。
 
厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、--5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。曲がった首でかろうじて支える重い頭が頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら屈曲した腰が前傾姿勢のせいで地球との綱引きに負けていく。紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする。
 
(『ハンチバック』より)
 
紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていればすむ健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義(ルビ:マチズモ)ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。
 
(『ハンチバック』より)

 

「読書バリアフリー法」の正式名称が「視覚障害者等」となっている点に端的に表れているように、少なくともこれまでの電子書籍をめぐる議論の中では本作が訴える読書がもたらす身体的負荷という視点はやはり見落とされがちではなかったのではないでしょうか。本作が広く世に知れ渡ったことを契機として「読書バリアフリー」をめぐる議論がより多角的なものになるのであれば、それは本当に素晴らしいことだと思います。
 

* 障害者表象の「二次創作」が切り開く回路 

 
市川氏は本作は私小説ではないと述べていますが、同時にやはり本作が私小説的に読まれることは予想しているようです。確かに本作は重度障害者の日常が誤解されてしまう可能性を孕んでいます。けれどもまさにその可能性の中にこそ本作から重度障害者の日常の「ダークツーリズム」とも呼べる側面を見出すことができます。
 
1990年代にイギリスで提唱された「ダークツーリズム」とは戦争や災害などが起きた地を観光地化する実践を指す概念です。この概念はゼロ年代に日本に紹介され2011年に起きた東日本大震災の後に広く世に知れ渡りました。例えば東浩紀氏は2013年に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』というウクライナチェルノブイリで観光地化が進んでいる実態を紹介する本を出版し、さらには同年に『福島第一原発観光地化計画』という本を出版しています。同書はそのセンセーショナルな名称もあって当時かなり批判されましたが、後に東氏は『観光客の哲学』(2017)において「観光とは現実の二次創作である」という観点からその意図を次のように説明しています。
 
いまや世界には福島の二次創作(フクシマ)ばかりが流通している。その現実は原作(本来の福島)を大切にする人からすれば耐えがたいだろう。(・・・)しかし同時に、このポストモダンの世界で二次創作を決して消し去ることができないのもまた事実である。フクシマをめぐる幻想は、これからもどうしようもなく再生産されていく。だとすれば、そのような二次創作=フクシマの流通を逆手に取って、人々の一部でも原作=本来の福島に導くことはできないか。つまりは、原発事故以外の福島について情報発信するだけではなく、まったく逆に「事故現場を見てみたい」「廃墟を見てみたい」といった感情を逆手にとって福島の魅力を世界に発信する、そのようなプログラムは考えることができないか、ぼくが行ったのはそのような提案である。
 
(『観光客の哲学』より)

 

ここにあるのは原作を大切にしてもらうためには一度は二次創作を通らなければならないという逆説です。そして、このような原作と二次創作をめぐる逆説は本作においても同様に作動しているといえるでしょう。いわば障害者表象の「二次創作」に相当する作品であるといえる本作を契機として、おそらく多くの人が本作の「原作」に相当する重度障害者の現実に目を向けて、例えば「読書バリアフリー」といった当事者の「願い」を知ることになるのではないでしょうか。こうした意味で本作はユマニチュードの領野を障害者表象の二次創作という回路から切り開いた作品であるように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人間と動物のあいだで思考するということ--東浩紀『観光客の哲学 増補版』

 

* 本質と非本質をめぐる逆説

 
本書は東浩紀氏が2017年に公刊した『ゲンロン0 観光客の哲学』の増補版です。周知のように『存在論的、郵便的』(1998)で日本の現代思想シーンに大きなインパクトを与え『動物化するポストモダン』(2001)によりゼロ年代批評を切り開いた東氏は「ゲンロン」という会社の創業者としても知られています。
 
そのゲンロン創業10周年を記念して出版された『ゲンロン戦記』(2020)で詳しく語られているように2010年に創業されたゲンロンはもともとは「若手論客が集まる出版社」として構想されていました。ところが創業してから数年の間、同社は内外における様々なトラブルに見舞われ、当初の志であったはずの出版事業は暗礁に乗り上げ、一時は会社自体が倒産の危機にまで追い込まれていたそうです。そんな苦境の中でゲンロンを救ったのがカフェ事業とスクール事業という二つの「誤配」であったと氏は述べています。
 
こうした「誤配」に導かれていく中で東氏が得た洞察と手ごたえをもとに執筆された著作が『ゲンロン0 観光客の哲学』であったといえます。この点、氏はゲンロンという事業を営む上で様々な失敗を繰り返した経験から「なにか新しいことを実現するには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」という逆説があると述べています。そしてこの本質と非本質をめぐる逆説は伝統的な哲学のテーマを「観光客」という世俗的な言葉に結びつけて語る本書の企図にも現れています。
 

* 二次創作と観光

まず、その第1章において本書の企図が明らかにされます。「観光客の哲学」と銘打っているものの本書は現実の観光産業の実態を紹介する本でも観光客の心理を分析する本でもありません。本書は「観光客」をあくまで哲学的な概念として記述していきます。そしてそれは哲学の伝統的なテーマである「他者」の問題を「観光客」という言葉でいわば裏口から更新する試みであり、その狙いは第一にグローバリズムにおける新たな思考の枠組みを作ることにあり、第二に人間や社会について必要性(必然性)からではなく不必要性(偶然性)から考える枠組みを提示することにあり、第三に「まじめ」と「ふまじめ」の二項対立を超えたところで新たな知的言説を立ち上げることにあるとされています。
 
第2章においては従来の読者向けに本書と東氏の過去の仕事との接続が図られます。先述のように『動物化するポストモダン』の著書として知られる氏は現在でもオタク系サブカルチャーに詳しい批評家というイメージが流通しています。オタクと観光客。両者は一切つながりがないどころかむしろ水と油のようにも見えますが、氏はオタク系サブカルチャーにおける「二次創作」と本書のいう「観光」は原作あるいは観光地から自分達の好むイメージだけを切り出して消費するという点で極めて似ていると指摘します。こうしたことから原作者と二次創作者の関係を住民と観光客の関係とパラレルに考えるのであれば氏のサブカルチャー論は容易に観光客論に接続されることになります。いわば二次創作者はコンテンツの観光客であり、観光客とは現実の二次創作者であるということです。
 

* なぜ観光客なのか

 
第3章からは本格的な哲学の議論が開始されます。本章で氏は社会契約論の思想家として知られるジャン=ジャック・ルソーの再読から抽出した「人間は社会などつくりたくないにもかかわらず、社会を作ってしまうのはなぜか」という問いを解く鍵が「観光客」にあるとして、ルソーと同時代の哲学者であるヴォルテールイマヌエル・カントの著作の読解を通じて「観光客」を「成熟した市民→成熟した国家→成熟した国際秩序」という単線的ないし最善説的な歴史へ抵抗する存在であると位置付けます。
 
次にこのような観光客の前に立ち塞がる「壁」として氏はドイツの法哲学カール・シュミットが提唱した友敵理論とその背後にあるヘーゲル哲学を取り上げ、国家の成立と人間の成熟が不可分の関係にあることを明らかにした上で、シュミットと同時代の思想家であるアレクサンドル・コジューヴとハンナ・アーレントを参照し、彼ら3人を共に「動物化」する社会(大衆消費社会)における「人間」を問い直した思想家として位置付けます。
 
すなわち、ここでいう「人間」とはシュミットによれば政治的な存在であり、コジューヴによれば闘争的な存在であり、アーレントによれば公共的な存在であるとされます。こうした20世紀人文知の人間観からすれば「観光客」など政治の外部で「ふわふわ」している非政治的で動物的な存在ということになります。もっともグローバリズムが加速する今日においてこうした20世紀人文知が想定する人間観は暗礁に乗り上げています。そこで、本書は20世紀人文知の敵とも言える「観光客」について根源的に思考することによってその限界を乗り越えようとします。
 

* 二層構造とマルチチュード

 
第4章ではいよいよ観光客の哲学の輪郭が明らかにされます。まず本章で氏はかつてのようなネーション(国民国家)という単位で政治と経済を統合する近代的なナショナリズムが失墜しグローバリズムが加速する現代をナショナリズムの層(人間の層)とグローバリズムの層(動物の層)に政治と経済がそれぞれ割り振られて併存する「二層構造の時代」であると位置付けた上で、かつての近代的なナショナリズムの思想的表現がリベラリズムだとすれば、現代におけるナショナリズムグローバリズムの思想的表現がそれぞれコミュニタリアニズムリバタリアニズムであるといいます。
 
そして、このような世界観を前提に本書はアントニオ・ネグリマイケル・ハートが『帝国』(2000)において提示した「マルチチュード」の概念を手がかりとして観光客の哲学への理路を開きます。ネグリたちは「国民国家の体制」から「帝国の体制」への移行という世界観を前提に「帝国の体制」から生成されるグローバルな市民運動を「マルチチュード」と呼びます。本書はこの概念をある程度は評価しつつも、ネグリたちによるマルチチュードの規定はあまりにもあいまいで時には神秘主義的であるとして、観光客の哲学はこの弱点を回避しなければならないといいます。
 
第5章では観光客の哲学がひとまず完成します。本書は『存在論的、郵便的』の議論に依拠してネグリたちのいうマルチチュードを「否定神学マルチチュード」と位置付けた上で、観光客とは「郵便的マルチチュード」であるといいます。本書によれば「否定神学」とは存在しえないものとは存在しないことによって存在するという逆説的な修辞を指しており、これに対して「郵便」とは存在し得ないものは端的に存在し得ないが、さまざまな「誤配(コミュニケーションの失敗)」の効果で存在しているかのような効果を及ぼすという現実的な観察を指すといいます。
 
すなわち、ネグリたちのマルチチュード否定神学マルチチュード)の連帯とは連帯が存在しないことで存在するとされていましたが、観光客(郵便的マルチチュード)の連帯とは絶えず連帯が失敗することで事後的に生成し、結果的にそこに連帯が存在するかのように見えてしまうということです。この両者の性格の相違を本書は端的に前者がコミュニケーションなしに連帯するのだとすれば、後者は連帯なしにコミュニケーションすると述べています。
 
ここから本書はネットワーク理論を参照して「国民国家の体制」と「帝国の体制」はそれぞれ「スモールワールド(大きなクラスター係数と小さな平均距離)」と「スケールフリー(次数分布の偏り)」に規定された二層構造として併存しており、この二層構造の時代における抵抗の起点としての観光客とは帝国の外部でも内部でもなく、むしろ帝国の外部との「あいだ」に、すなわち、スモールワールドとスケールフリーを同時に生成する「誤配」の空間そのものの中に位置づけることができるのではないだろうかと述べます。そしてそれは本章の最後で述べられているように「社会」を生み出す「憐れみ」の場所であるともいえるでしょう。
 

* 観光客から近代哲学を問い直す

 
思えば初めて本書旧版を読んだときはもっぱら第4章や第5章(旧版の第3章と第4章)の「ナショナリズムグローバリズムの二層構造」とか「否定神学マルチチュードと郵便的マルチチュード」などといった華々しい議論の方に目がいってしまった記憶があります。念のため本書旧版を読んだ時の感想文を読み返してみましたが、そのタイトルがすでにもう示しているように、やはりいきなり二層構造に飛びついています。
 
けれども、いまこうして改めて読み返すと本書の枢要部はむしろ、そのような議論を展開する手前の第3章にあったように思えます。なぜならばこの章ではなぜ観光客の哲学を立ち上げる必要があるのかという本書の土台となる議論が近代哲学が目指したものとその限界を明らかにする形で展開されているからです。
 
ところで本書のいう「観光客」にとって「壁」と見做されている近代哲学は現代思想シーンにおいては既に乗り越えられていることになっています。もはや乗り越えられたはずのものをなぜまた改めて乗り越えないといけないのでしょうか。本章の終わりで東氏は次のように述べています。
 
ポストモダニストはたしかに、政治とその外部を「脱構築」すると主張していた。そしてそれは学会や一部読者層のあいだで流行はした。しかし、現実の社会においては彼らの主張そのものが、非政治的なもの(戯れ)として政治の外部に排除されたといえる。彼らポストモダニストたちの仕事はときおり「文化左翼」と総称されるが、その命名(文化)そのものが、彼らの仕事が政治的なものだと見做されていないことを証拠だてている。実際に二〇一七年のいま、国内でも国外でも、いわゆる「現代思想」の担い手は、文化左翼に甘んじ大学のなかで文学批評や芸術批評を講義するか、あるいはすべての理論を捨てて(つまりポストモダニストの矜持を捨てモダニストに戻り)、古い「政治」のスタイルを受け入れデモに参加し街頭に出るか、どちらかしかできなくなっている。そこでは政治とその外部の対立がみごとに再生産されている。なにひとつ脱構築されていないし、なにひとつ変わっていない。ぼくはその状況に思想の敗北を見る。だから、ぼくは、もういちど基礎の基礎に戻り、近代思想の人間観と政治観を、過去のテクストの小手先の解釈変更などに頼るのではなく、根本から問いなおすべきだと考えるのだ。
 
(『観光客の哲学 増補版』より)

 

このような問題意識から出発して近代哲学を問いなおす第3章では何人もの哲学者が入れ替わり立ち替わり登場して哲学初心者には耳慣れない概念が次々に飛び交う議論が展開されていますが、東氏の文章はとても平明であり、直感的にわかりやすいイメージも交えて、どの議論も文字通り基礎の基礎から始まります。確かに観光客は東氏がいうような「ふわふわ」した存在なのかもしれませんが、ここでは極めて地に足のついた骨太な議論が展開されています。こうした意味で本書は「観光客」の視点から見た近代哲学の入門書でもあり、あるいは近代哲学の観光ガイドとしても読めるでしょう。
 
以下では本書旧版を読んでから本書を再読するまでのあいだに得た様々な思いつきの断片を哲学(デリダ)、社会学ルーマン)、精神分析ラカン)、そしてサブカルチャー論(AIR)という4つの視点からざっくりと書き出しておきます。これから本書を読まれる方の読解の一助となれば幸いです。
 

* 哲学的--他者としての観光客

 
本書の冒頭で述べられているように「観光客の哲学」とは「他者の哲学」の更新を試みるものです。ここでいう「他者」とは単なる他人という意味ではなく「非本質性」という意味合いを持っています。
 
普段、我々はほとんど無意識的に物事を「良い/悪い」「正しい/間違い」「本物/偽物」「正常/異常」といった二項対立で判断していますが、こうした二項対立的な思考は抽象的には「本質性/非本質性」といった二項対立に還元されます。そしてこの「本質性/非本質性」という二項対立を根本から揺るがしていく知の技法がフランスの哲学者、ジャック・デリダの提唱した「脱構築」です。
 
常識的には「本質性」が「非本質性」よりも重要であるとされています。しかし、この常識に対してデリダは「非本質性にこそ宿る本質性」を徹底的に思考しました。そして冒頭に述べたように本書はこの本質と非本質をめぐるデリダの逆説を「観光客」という言葉によって思考します。
 
通常、人は「私は私でありたい」という自分自身の「本質性」である「同一性」にこだわります。これに対してデリダ脱構築は自分自身にとっての「非本質性」である「他者性」の側に身を開こうとする発想です。これは我々が生きるこの日常を常に「他者性」が泡立つサイダーのようなものとして捉える感覚といえます。このような「他者性」について哲学者の千葉雅也氏は昨年の読書界で幅広い反響を呼んだ『現代思想入門』において「一切の泡立ちのない透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的な魅力も持っているような、ざわめく世界として世界を捉えるのがデリダのヴィジョンである」と述べています。
 
すなわち、このように「脱構築的」に物事を観ることにより我々は常に偏った決断をせざるを得ないけれどもそこには「他者性」への未練が伴っているのだということに意識を向けていくことができます。それがまさしくデリダにおける脱構築の倫理であり、そうした意識を持つ人には「優しさ」があると思うと千葉氏は述べています。そしてこのような「優しさ」からまさに「憐れみ=誤配」が生み出されるといえるでしょう。

* 社会学的--社会は誤配によって生まれる

 
本書第3章で提示された「人間は社会などつくりたくないにもかかわらず、社会を作ってしまうのはなぜか」という問いは「社会秩序はいかにして可能か」という社会学の基本問題でもあります。この「社会秩序はいかにして可能か」という問いに対してドイツの社会学ニクラス・ルーマンは社会システム理論の観点から本書の立場に近い解答を導いています。
 
この点、ルーマンの考える社会システムとは、ある社会における「意味」を構成し「コミュニケーション」を要素とするオートポイエーシス・システムであるとされます。
 
まずルーマンによれば「意味」とは可能性の地平の中での否定(=区別)によって定義されます。つまりさまざまな可能性を含む地平の中で他の可能性を否定することでひとつの可能性が浮かび上がることになりますが、ここで重要なのはここでいう「否定」は「排除」ではないということです。つまり様々な可能性がある中である一つの可能性を選択したということは、むしろその他の可能性でもよかった、ということでもあります。
 
次にルーマンによれば「コミュニケーション」とは三つの選択の総合であるとされます。まず送り手には「情報」の選択と「伝達」の選択が帰属し、受け手には「理解」の選択が帰属します。この二つのレベルの送り手の選択を、つまり、ある「情報」とその情報を送り手が受け手に「伝達」しようとしたということそれ自体を、受け手が「理解」した時にコミュニケーションが成立したことになります。
 
そしてルーマンは社会秩序が成り立っている状態とはある社会システムが外部環境に比べて「複雑性」が縮減されている状態であると捉え、この「複雑性」の縮減は社会システムの要素であるコミュニケーションから新たな要素であるコミュニケーションが生産されるオートポイエーシス・システムによって可能となるといいます。
 
ところがいかに複雑性を縮減しようともその状態は決して必然の産物ではなく「他でもありえた可能性」が常に残っています。先述のようにルーマンによれば「意味」を成り立たせている「否定」という操作は実現しなかった可能性を排除しているのではなくむしろ保存しており「コミュニケーション」も送り手と受け手の間で失敗する可能性も常に残っています。すなわち、社会秩序とはこうした「意味」をめぐる「コミュニケーション」の失敗による「他でもありえた可能性」から生み出されているといえるでしょう。
 
このような「他でもありえたのに、たまたまこうだ」というような状態を社会学者の大澤真幸氏は「偶有性」と表現しています。こうした意味での社会の「偶有性」とは意味をめぐるコミュニケーションの失敗としての「憐れみ=誤配」から生じたともいえるのではないでしょうか。

* 精神分析的--マルチチュードとサントーム

 
本書第4章で参照されたマルチチュードの源流にはエルネスト・ラウラクシャンタル・ムフが1980年代に提示した「根源的民主主義」というものがあります。ここでいう「根源的民主主義(ラディカル・デモクラシー)」とは共産主義革命への信頼が失われた世界におけるさまざまな抵抗運動のあいだの新たな連帯の構想を指しています。
 
このような根源的民主主義の条件を理論化する際に彼らが参照したのがフランスの精神分析ジャック・ラカンのいう「クッションの綴じ目 point de capition」という概念です。1950年代のラカン理論によれば言語秩序(ラカンのいう象徴界)は〈父の名〉という特権的なシニフィアンによって他のすべてのシニフィアンシニフィエとの関係の中で安定しており、もしそのような特権的なシニフィアンによって言語秩序が綴られていなかったとしたら、すべてのシニフィアンは孤立してバラバラになってしまい、頭の中で様々な意味不明のシニフィアンが鳴り響く精神自動症が生じてしまうとされています。
 
そしてラウラクとムフはこのラカン的構図を政治理論へと応用しました。すなわち、大文字の「民主主義」とは複数の社会運動が連鎖を形成し、ある一つの特権的シニフィアン--クッションの綴じ目--によってキルティングされることによって実現されるといいます。それゆえに新たな連帯に必要なのは、かつての「共産主義革命」に代わるクッションの綴じ目となるような新しい民主主義のシニフィアンの発明である、ということです。
 
しかしながら彼らの議論はいかなるシニフィアンでもあらゆる社会的要求を束ねる「クッションの綴じ目」へと代入できてしまうという問題点を抱えています。そしてこのような思考は〈父の名〉という特権的なシニフィアンの存在を否定する立場へと転回した1960年代のラカン理論とも一致します。こうしたことから本書は根源的民主主義(および、その後継であるマルチチュード)を「否定神学的」と形容するわけです。
 
もっとも現代ラカン派を代表する論客の一人である精神病理学者の松本卓也氏は『享楽社会論』(2018)において1950年代から1970年代におけるラカン理論の変遷を参照し、ラクラウとムフの議論を「サントーム」という概念から読み直し「来るべき民主主義の条件とはさまざまな社会運動を連鎖させ、そこにクッションの綴じ目となる新しい民主主義のシニフィアンを発明することだけでなく、そのシニフィアンそれ自体に肯定的な享楽の実体としての価値を持たせ、サントーム化することが必要である」と述べています。ここでいう「サントーム」とはいわば弱毒化された〈父の名〉の再利用というべき概念であり、これは本書のいうところの「不能の父」と極めて近接しているように思えます。

* サブカルチャー論的--不能の父としての観光客と美少女ゲームにおける不能

 
本書は第1章から第5章までが本論である第1部「観光客の哲学」であり、続く第6章から第8章までがその補論となる第2部「家族の哲学(導入)」となっています。この第2部において氏は「観光客」のアイデンティティを「家族」に求めた上で『地下室の手記』(1864)『悪霊』(1871)『カラマーゾフの兄弟』(1880)といったドストエフスキー作品の弁証法的読解を通じて、その先に立ち上がる「観光客」の主体を「不能の父」と呼んでいます。
 
そして、この「不能の父」という言葉で思い起こすのが、かつてオタク系文化の批評家として名を馳せていた頃の東氏が2004年のコミックマーケット66で頒布した『美少女ゲームの臨界点』という同人誌における論考「萌えの手前、不能性に止まること--AIRについて」です(この論考は現在『動物化するポストモダン』の姉妹書である『ゲーム的リアリズムの誕生』に収録されています)。
 
ここで論じられているのは2000年にゲームブランドKeyから発売された『AIR』という美少女ゲームです。この点、東氏は『動物化するポストモダン』においてシュミラークルに充足する動物的欲求とデータベースをめぐる人間的欲望が解離的に共存するポストモダン的主体を「データベース的動物」と名付け、こうしたデータベース的動物の範例として美少女ゲームのユーザーを取り上げています。
 
美少女ゲームなるジャンルの起源は1980年代にまで遡りますが、1990年代後半以後の美少女ゲームはもっぱらシナリオ分岐型の恋愛ADVが主流となります。この種の「泣きゲー」とも呼ばれる美少女ゲームのユーザーは基本的に、一方ではキャラクターである主人公に同一化して個別のシナリオに没入し、他方ではプレイヤーとして複数のシナリオすべての攻略を目指すことになります。
 
ここにはまさしくキャラクターレベルにおける動物的欲求(シュミラークルの水準)とプレイヤーレベルにおける人間的欲望(データベースの水準)の解離的共存を容易に見出すことができます。そして、このような特性を持った美少女ゲームというジャンルの臨界を示すものとして東氏は『AIR』を位置付けています。
 
氏は同論考においてこの『AIR』という作品で真に重要なのは、シナリオのレベルで強調される「父の不在」というテーマがシステムの工夫を利用して「プレイヤーの不在」というもう一つのテーマと重ね合わせられている点にあるといいます。どういうことでしょうか?
 
この点『AIR』というゲームは三部構成をとっており、第一部と第三部はある種のループ構造の関係になっています。まずその第一部において主人公は神尾観鈴というメインヒロインを延命させた代償として物語からの退場を余儀なくされます。ここでプレイヤーはまずキャラクターレベルで物語から疎外されることになります(父の不在)。さらに第三部においては主人公は一羽のカラスでしかなく、観鈴が壊れていく様をなすすべもなく傍観するしかありません。ここでプレイヤーはプレイヤーレベルにおいてAIRというゲームそれ自体からも疎外されることになります(プレイヤーの不在)。
 
こうしたAIRにおける「父の不在」「プレイヤーの不在」という異なるレベルにおける二重の疎外は本来的な美少女ゲームのユーザー体験である「全能性」としての「萌え」の手前にある「不能性」をプレイヤーに突き付けることになります。そういった意味から東氏はAIRを、あるジャンルの可能性を極限まで引き出そうと試みるがゆえに逆にジャンルの条件や限界を図らずも顕在化させてしまう「臨界的=批評的な作品」と呼びます。
 
この点、本作の主人公である国崎往人は人形劇を生業として各地を旅する法術使いという設定です。ここでプレイヤーは「旅人」である往人の視点を借りて「観光客」としてゲームの世界に没入し、その結果、本作はプレイヤーに通常の美少女ゲームではあり得ない「誤配」としての「不能性」をもたらすことになります。こうした意味でAIRもまたプレイヤーを「観光客=不能の父」の位置に立たせる作品であったといえます。
 
そしてもう一つ付け加えるとすれば、こうしたAIRがもたらした「不能性」の感覚はある面でゼロ年代中盤以降のオタク系文化における一大潮流を形成することになる「日常系」と呼ばれる想像力を準備したともいえるでしょう。
 
「日常系」と呼ばれる作品群は多くの場合、4コマ漫画の形式を取り、そこでは主に10代女子の何気ない日常が延々と描かれます。こうした日常系作品を語る上ではよく「尊い」という言葉が使われますが、この「尊い」という感覚はまさしくかつてAIRがプレイヤーに突き付けた「萌え」の手前にある「不能性」が何か崇高な感覚として昇華されたものであるといえます。
 
こうした意味で日常系の本質とはまさしく「父の不在」「プレイヤーの不在」という美少女ゲームにおける非本質にあるといえるでしょう。そうであれば、ここにもまた本書が「観光客」という言葉で思考した本質と非本質をめぐるデリダのあの逆説を見出すことができるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これからラカン派精神分析にざっくり入門するためのおすすめ5冊

 

* 疾風怒濤精神分析入門(片岡一竹)

⑴ 精神分析とは何か
 
精神分析とは19世紀末、オーストリア精神科医ジークムント・フロイトが当時、謎の奇病とされたヒステリーの治療法を試行錯誤する中で産み出された理論と実践です。そしてフロイト以後の精神分析が米国自我心理学や英国対象関係論を始めとした様々な学派に分かれていく中で、構造主義の見地からフロイト理論を深く読み直すことで独創的な精神分析理論を生み出した人物がフランスの精神分析ジャック・ラカンです。
 
現代においてラカン精神分析は精神医療や臨床心理における臨床実践のみならず、文学、哲学、社会学といった人文科学諸領域にも大きな影響を及ぼしています。その一方、難解極まりないことで知られているラカンの理論ですが、その高すぎる入門のハードルを決定的に押し下げた一冊が2018年に出版された本書『疾風怒濤精神分析入門』です。
 
その第一章「それでも、精神分析が必要な人のために--精神分析は何のためにあるのか」では臨床実践としての精神分析の独自性が論じられます。この点、精神分析同様に「こころ」を取り扱う学問領域として精神医学(精神医療)と臨床心理学(心理臨床)がありますが、いずれも「健康」な精神/心理状態を回復するための治療/援助を目的とするものです。これに対して(少なくともラカン派における)精神分析ではそもそも「健康」という概念が存在しません。
 
これはもしかして、かなり奇異な考えのように思うかもしれませんが、よくよく考えると「健康」などというものはかなり揺らぎを持った概念です。例えばある観点では健康そのものに見える人も別の観点では不健康でしかなかったり、あるいはある時代において健康だとされていた人が現代においては狂人にしか見えないということもあるでしょう。つまり「健康」とは常に到達できない〈理想〉でしかないということです。こうした意味で精神分析とは「健康」というありもしない〈理想〉を追い求めるのではなく、その人が「納得」できるような〈倫理=生き方〉へと踏み出していけることを目的とした営みといえます。
 
続く第二章「自分を救えるのは自分しかいない--精神分析が目指すもの」では精神分析の大まかなプロセスが素描されます。ラカン精神分析においては分析家が分析主体(患者)の語りを理解するのではなく、むしろその発話の「意味を切ること」で自我(対象化された自己イメージ)をはみ出すような「無意識の主体」を生じさせます。そしてこの「無意識の主体」とはその人だけが持つ「特異性」が一般性の世界から排除された結果として現れるものです。
 
ここでいう「特異性」とはいわゆる「個性」とは異なるものです。すなわち「個性」とは一般性の世界に適合する限りで承認される個人の属性でしかありませんが「特異性」とは逆に一般性の世界には決して受け入れられることのない「過剰な何か」を指しています。すなわち精神分析とはこのような「特異性」を析出し、これを自らのものとして引き受けていくためのプロセスに他ならない、ということです。
 
 
そして第三章「国境を越えると世界が変わってしまうのはなぜか?--想像界象徴界現実界」ではラカン精神分析の理論的基礎が概説されます。この点、ラカンは人の心的次元を「想像界(I'imaginaire)」「象徴界(le symbolique)」「現実界(le réel)」という三つの位相によって把握しています。それぞれ「界」という名前がついてはいますが別にそういった場所がどこかに存在するわけではありません。そもそも「界」という字は日本語訳の際に付与したものであり、原語を直訳すればそれぞれは「想像的なもの」「象徴的なもの」「現実的なもの」という言葉となります。つまり、人の精神とは「想像的なもの」「象徴的なもの」「現実的なもの」という三つの領域が重なりあって形作られているということです。
 
想像界」とはイメージの領域です。ここでいうイメージの最たるものとして人の「身体」が挙げられます。この点、精神分析的知見によれば「身体」とは神経系の発達に先立ち視覚的な客体化によって得られるものです。そして、このような「身体」の客体化を担う典型的な装置が「鏡」です。すなわち「身体」を起動させるためには自分の姿を「鏡」に映し、統一的なものとして把握する契機が必要となります。このような契機こそが世に名高い「鏡像段階」です。
 
象徴界」とは言語の領域です。ここでいう言語は「シニフィアン」によって構成されています。この点「シニフィアン」は「記号」とは異なり、それ自体では意味を持たず、意味作用が生じるには他のシニフィアンと連接させることが必要となります。例えば突然「ハシ」と言われてもそれだけでは何のことか意味がわかりませんが「ヲワタル」とか「デタベル」といった他のシニフィアンに接続されることで初めて「ハシ」というシニフィアンの意味が遡及的に明らかにされることになります。このようなシニフィアンで構成される象徴界は人の秩序である〈法〉を形成し、イメージの世界である想像界を統御します。
 
現実界」とは言語やイメージをはみ出すような領域です。当初、ラカン現実界を単なる物理的な世界として位置付け、人間の心的現実を考える上では物理的な世界としての現実界ではなく言語的な世界としての象徴界に注目しければならないと考えていました。ところが後にラカンはむしろ象徴界では語り得ない「不可能性」を指し示す領域を現実界と呼ぶようになりました。そして、こうした「不可能性」という意味での現実界こそが先に述べた「過剰な何か」としての「特異性」の問題に関わってくることになります。
 
ここから本書は第四章以下で「想像界」「象徴界」「現実界」におけるラカンの理論展開を極めて明快な記述で描き出していきます。本書を最初に読んだとき、その見事な手際と圧倒的な筆力にページをめくるたびに戦慄したことを今でも鮮明に覚えています。しかも本書の著書である片岡一竹氏は本書出版当時、恐るべきことに未だ現役の大学院生(早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース修士課程1年)であり、本書の内容は氏が実際に精神分析を受けた分析主体としての経験にも裏打ちされています。ラカン精神分析のエッセンスをあたかもビジネス書か自己啓発本のごとき軽やかな手つきで「ジャック・ラカン的生き方のススメ」として提示した本書の登場は日本のラカン理解における革命的出来事であったといっても決して言い過ぎではないでしょう。
 

* ラカン入門(向井雅明)

 
本書は1988年に『ラカンラカン』というタイトルで上梓された書籍の改訂増補版として2016年に再出版された本格的なラカン概説書です。本書の著者である向井雅明氏は日本有数のラカン派分析家として知られています。本書のまえがきによれば『ラカンラカン』という、いささか奇妙な本書旧版のタイトルには次のような理由があります。
 
ラカンの理論はおよそ30年にわたって行われた彼のセミネールを中心に発展してきたものであり、その間の紆余曲折が孕む矛盾を原動力として新しい展開を切り開いていった彼の理論を一つのスタティックな理論体系として捉えることは、ある種の困難を抱え込むことになります。またラカンはある概念の中に後の理論的更新に伴う新しい機能を(何の説明もなく!)組み込んでしまう傾向があり、その結果としてある概念が時期によっては全く逆の意味をもたらしたりもします(先述した「現実界」の概念の変容がそのわかりやすい例です)。
 
このような常にダイナミックな変動を繰り返していく彼の理論を把握するには概念のつながりだけで説明しようとする構造論的方法では不十分であり、それを補うためには歴史的方法が補足されなければなりません。つまりラカンの理論的変遷を段階的に取り上げ、ある時期のラカンを別の時期のラカンに対立させるという比較的方法が要求される事になります。このようなラカン理解における方法論をそのまま表したものが『ラカンラカン』という本書旧版のタイトルです。
 
こうしたことから本書は大きく分けて二つの部分から構成されています。まず第Ⅰ部では象徴界の解明を中心課題とする1950年代の前期ラカン理論が取り上げられ、続く第Ⅱ部では現実界への対応を重視する1960年代の中期ラカン理論が取り上げられることになります(さらに2016年の再版においては1970年代の後期ラカン理論の概略が追加されました)。
 
 
そして、このような前期ラカン理論の到達点であると同時に中期ラカン理論の出発点となるものが1958年からラカンが使い始めた「欲望のグラフ」と呼ばれる次のような図式です。
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(『ラカン入門』より)
 
これだけ見るとかなり厄介そうな図式ですが、本書はこのグラフを段階を追ってかなりていねいに解説しており、基本的な事項を説明した後も読者の理解をより正確なものとするためにさまざまな角度からの補足説明が加えられています。さしあたり大まかにいえば、このグラフは主体の「欲求」と「要請」のズレから生じる弁証法的運動により「欲望」が生じる構造を示しています。そして精神分析の臨床とはこの「欲望」の領野を切り開くための営みであるとひとまずいえるでしょう。
 
また、このグラフは「エディプス・コンプレックス」を構造的に説明するためのものでもあります。周知の通りフロイト神経症の治療法を試行錯誤する中で人の無意識の内奥に「母親への惚れ込みと父親への嫉妬」という心的葛藤を発見し、このような心的葛藤をギリシアオイディプス悲劇に準えて「エディプス・コンプレックス」と名づけました。
 
この「エディプス・コンプレックス」なる仮説によれば、幼児は当初、母親との近親相関的関係の中にあり、やがてこれを禁じる者としての父親がもたらす去勢不安によって、幼児の自我の中に両親の審級が落とし込まれ、ここから自我を統制する超自我が形成されることになります。そしてフロイトによれば、男児と女児では去勢不安への反応は異なるものとされており、男児はペニスの喪失を怖れる結果、父親のような強い存在を目指すようになり、女児はペニスの不在に気付いた結果、父親に愛される存在を目指すようになるとされます。
 
ラカンの功績の一つはこのエディプス・コンプレックスなる一見すると荒唐無稽でしかないフロイトの神話を「構造」として解明したことにあります。この欲望のグラフもまたその一つの成果です。そして、このグラフではラカンの用いるマテームと呼ばれる独自の略号が一通り出揃っており、ラカンの用いる概念相互の関係を把握する上でこのグラフは一つの大まかな見取り図として用いることができます。
 

* 人はみな妄想する(松本卓也

⑴ 神経症と精神病の鑑別診断
 
時は1960年代、フランス現代思想のトレンドは「実存主義」から「構造主義」へと変遷しました。ジャン=ポール・サルトルに代表される実存主義は人は独自の「実存」を切り拓いていく自由な主体であることを限りなく肯定しました。ところがクロード・レヴィ=ストロースに代表される構造主義が暴き出しだしたのは我々の文化は主体的自由の成果などではなく、歴史における諸関係のパターンの反復的作動に過ぎないという事でした。このような「実存主義」から「構造主義」へという時代における思潮の趨勢の中で構造主義の騎手としてラカンの名も華々しく世に知れ渡ることになりました。
 
ところが1970年代になると、こうした構造主義ないしラカンの理論を乗り越えようとする動きが台頭化することになります。その急先鋒となったジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはその共著『アンチ・オイディプス--資本主義と分裂症(1972)』において本来的には多様多彩であるはずの人の欲望を「エディプス・コンプレックス」なる家父長的規範へと回収する精神分析をラディカルに批判して大陸哲学における大きなムーブメントを引き起こしました。こうして1970年代におけるフランス現代思想のトレンドは「構造主義」から「ポスト構造主義」へと遷移することになります。
 
以上のような経緯からすれば今日において「構造主義ラカン」は「ポスト構造主義」により乗り越えられたものとみなすことが妥当な理解ともいえそうです。けれども果たして本当にラカンは既に過去の遺物に過ぎないのでしょうか?
 
この点、本書の著者である精神病理学者の松本卓也氏はラカンの理論と実践において、あるいはドゥルーズ&ガタリとの対立において、これまで見逃されていたある「核心点」があるといいます。そしてこの「核心点」の理解無くして、いわゆるフランス現代思想におけるラカンの位置付けを理解することもラカンに向けられた批判を理解することも不可能であるとまで断じています。そして本書のいう「核心点」こそが「神経症と精神病の鑑別診断」です。
 
本書はラカン理論の変遷を神経症と精神病の鑑別診断という精神病理学的観点から読み解く一冊です。ここでいう「神経症」とは生理学的には説明ができない様々な神経系の疾患を幅広く指し「精神病」とは幻覚や妄想や精神機能の衰退といった重篤な障害を指しています。この点、ラカン派における神経症の下位分類は「ヒステリー」「強迫神経症」「恐怖症」から構成されており精神病の下位分類は「パラノイア」「スキゾフレニー」「メランコリー」「躁病」から構成されています。
 
精神分析の臨床においてはある分析主体の心的構造が神経症構造なのか精神病構造なのかが極めて重要な問題となります。両者においては分析の導入から介入の仕方まで、全てのやり方が異なってくるからです。そして本書はラカンの生み出した様々な概念とは突き詰めればこのような「神経症と精神病の鑑別診断」という臨床的な要請によるものであり、ドゥルーズ&ガタリにおける批判もまさにこの「神経症と精神病の鑑別診断」に向けられていたといいます。
 
⑵ 否定神学ラカンを相対化するラカン
 
こうした本書が提示する「神経症と精神病の鑑別診断」という視点によるラカン理論の変遷は以下の通りです。
 
まず象徴界の解明を中心課題とした1950年代の前期ラカン理論において打ち出されたのがエディプス・コンプレックスを構造化した「父性隠喩」というモデルです。このモデルからは母親の現前不在の運動を隠喩化した〈父の名(le Nom-du-Père)〉というシニフィアンの導入に成功していれば神経症であり、失敗していれば精神病という鑑別診断が帰結されることになります。
 
次に象徴界に還元不能なものとして現実界への対応を重視する1960年代の中期ラカン理論において導入されるのが「疎外と分離」というモデルです。このモデルからは「欲望」の原因としての「対象 a 」を切り出す「分離」に成功していれば神経症であり、失敗していれば精神病という鑑別診断が帰結されることになります。
 
そして現実界の更なる探求に向かった1970年代の後期ラカン理論が提示したのは「R(現実界)」「S(象徴界)」「I(想像界)」という三つの位相からなる「ボロメオの環」というモデルです。そして1974年以後はこのボロメオの環に「サントーム」と呼ばれる第四の環が導入されることになります。このモデルからすれば〈父の名〉とは、もはやサントームの一種に過ぎず、ここで神経症と精神病は一元的に把握されることになります。
 
こうした「神経症と精神病の鑑別診断」を軸とした松本氏の読解において示されるのは従来の「いわゆるラカン」のイメージを超えた全く新たなラカンです。この点「いわゆるラカン」のイメージとはいうなれば現実界という「不可能性」の周囲を欲望が延々と空回りしていく否定神学的なラカンです。これに対して本書が読み出す新たなラカンはこうした否定神学的なラカンを相対化していくラカンであり、さらにはドゥルーズ&ガタリとも強く共鳴するラカンです。こうした意味において本書は精神病理学のみならず現代思想シーンにおけるラカンの立ち位置を正確に見定める上で極めて重要な一冊であるといえるでしょう。
 

* 享楽社会論(松本卓也

⑴ 享楽の変質
 
周知の通りフロイトは人の中に内在する根源的衝迫を「欲動」と規定しました。そしてラカンフロイトのいう「欲動」が満足した状態を「享楽」と名指しました。この点、先述のように前期ラカン理論における鍵概念は「欲望」でした。ところが中期ラカン理論以降においては「欲動」の満足としての「享楽」が徐々に前景化してくることになります。
 
この点「欲望」は象徴界の〈法〉に従う運動ですが「欲動」はこの〈法〉を逸脱する現実界の存在であり「欲望」の目標とは「欲動」の満足、すなわち「享楽」にあります。この意味で「欲望」よりも「欲動」の方がより根源的な存在であり「欲望」は「欲動」の中で作動する二次的な派生物ということになります。
 
もっともラカンによれば欲動の本質とはフロイトのいう「死の欲動」であり、その性質上、完全な欲動の満足ということはあり得ません。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義でした。そして欲望やセクシュアリティ、あるいは神経症の諸症状、さらには様々な芸術的創作やイノベーションもこうした欲動の断念による享楽の「不可能」がもたらす「欠如」の関数として産み出されることになるわけです。
 
ところが1970年代になるとラカンは「享楽」を到達不可能なジュイッサンスとしてではなく資本主義システムによって大量生産されるエンジョイメントとして捉え直すようになります。そして、このようなエンジョイメントとしての「享楽」が氾濫する社会を本書は「享楽社会(society of enjoyment)」と呼びます。
 
⑵ 象徴界の機能不全と統計学超自我
 
『人はみな妄想する』と同じく松本氏の手による本書はラカン派における「享楽」という概念から現代社会の病理を読み解く一冊です。そのまえがきにおいて本書はこのような「享楽社会」の出現をまずは哲学者/批評家の東浩紀氏が提起した「象徴界の機能不全(大きな物語の失墜)」と関連づけて論じています。そして「象徴界の機能不全」の時代のその先にある享楽のありようとして本書は現代ラカン派の論客である立木康介氏の提示した議論を参照し「象徴界の機能不全」により「欲望」を動員するための「欠如」の論理が無効化された現代においては、まさに「欠如」により規定されるセクシュアリティの代わりに享楽の「露出」が現れ「何がなんでも享楽する」という主体のあり方が目立つようになったといいます。
 
ここでいう享楽とは無論のこと、到達不可能なジュイッサンスではなく資本主義システムによって大量生産されるエンジョイメントとしての享楽です。その一方でかつてのような象徴界の〈法〉としての〈父の名〉が無効化された代わりに現れる秩序維持装置として本書は精神分析家マリー=エレーヌ・ブルースのいう「統計学超自我(sumoi statistique)」を挙げており、現代とは〈父〉への信頼を前提とした包摂のシステムをご破算にして、全員を日常的な排除のシステムに位置付ける時代に他ならないと述べています。要するに現代において人々は統計学的管理の制御のもとで獰猛な超自我から「享楽せよ!」と命じられるままに市場に氾濫するエンジョイメントの享楽の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送る事になるわけです。
 
こうした「享楽社会」における現代ラカン派の展開を本書は「理論」「臨床」「政治」という三つの水準で論じています。そして本書はその随所において享楽社会を内破する鍵として「分析家のディスクール」に注目しています。そして、この「分析家のディスクール」が析出するものこそが片岡氏のいう「過剰な何か」としての「特異性」であり、松本氏のいう「特異的=単独的なシニフィアン」であるということになります。
 

* 発達障害の時代とラカン精神分析 

 
「自閉(Autism)」という言葉の起源は1911年、スイスの精神科医オイゲン・ブロイラーの統合失調症論に見出されます。ここで「自閉」とは、外界との接触が減少して内面生活が病的なほど優位になり現実からの遊離が生じることを指しています。
 
それからおよそ30年後の1943年にアメリカの児童精神科医レオ・カナーが「早期幼児自閉症」という論文を発表し、ここで「自閉」という言葉は単独の疾患概念となります。もっとも当時は自閉症は幼児期に発症した統合失調症と考える見解が依然として多数を占めていました。ところがその後、認知領域・言語発達領域における研究の進展に伴い1970年代には自閉症は脳の器質的障害であり統合失調症とは別の疾患だと考えられるようになります。
 
その一方でカナー論文の翌年、1944年にはオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによる「小児期の自閉的精神病質」という論文が発表されています。このアスペルガー論文は諸般の事情があり長らく日の目を見ることがなかったわけですが、1980年代になってイギリスの精神科医ローナ・ウィングにより再発見されることになります。そしてウィングは成人の症例にもアスペルガー論文の症例と同様の特徴が見られることを発見し、その一群をアスペルガー症候群と名付けました。アスペルガー症候群はカナー型自閉症の診断基準を部分的に満たす症例であり、とりわけ非言語的コミュニケーションに難がある点に特徴があります。
 
ここで自閉症は「社会性障害」「コミュニケーション障害」「イマジネーション障害」として再定義されることになります。これが世に知られる「ウィングの三つ組」です。こうしたことから自閉症を「スペクトラム(連続体)」と捉える考え方が有力となり2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-Ⅴ)」においてカナー型自閉症アスペルガー症候群は「自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder)」という名のもとに統合されることになりました。そして現代におけるラカン精神分析のフロンティアもまたこの自閉症と呼ばれる境域において切り開かれていくことになります。
 
⑵ 統合失調症モデルから自閉症モデルへ
 
この点、従来のラカン派において自閉症は長らく「子どもの精神病」と考えられてきました。しかし近年のラカン派では自閉症の研究が進展し、ルフォール夫妻による「〈他者〉の不在」やエリック・ロランによる「縁の上への享楽の回帰」という概念の導入によって自閉症は精神病から決定的に切り離されることになり、ここから更にジャン=クロード・マルヴァルによる現代ラカン派の自閉症論が体系化されることになります。
 
本書の第Ⅰ部では導入として精神医療思想史的な観点から自閉症をめぐる現代的な諸論点の特定が試みられます。続く第Ⅱ部ではラカン派による自閉症への精神分析的介入の意義が論じられます。そして第Ⅲ部では現代ラカン派の理論家たちを参照しつつ自閉症に対する新たな治療パラダイムの展開が検討されることになります。さらに第Ⅳ部では精神分析の外部にも視野を拡大して自閉症臨床における空間性の問題が考察されることになります。
 
この点、先述した「いわゆるラカン否定神学ラカン)」は「不可能性」をめぐる「統合失調症(精神病)モデル」に依拠した思考といえますが、このような「否定神学ラカン」を相対化するラカンと、その継承者である現代ラカン派は「特異性(特異的=単独的なシニフィアン)」を扱う「自閉症モデル」に依拠した思考であるといえます。こうした意味で本書は現代ラカン派の理論と実践に入門するためのまたとない一冊ともいえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

世界の謎から日常の問題へ--凪良ゆう『汝、星のごとく』

 

*〈母〉なるものからの超出

 
臨床心理学者の河合隼雄氏は『母性社会日本の病理』において日本社会における母性原理の優位性を指摘しています。氏は当時、急増しつつあった登校拒否症や我が国に特徴的とも言われる対人恐怖症の背景に日本社会における母性文化の特質が存在してるといいます。ここでいう母性原理は端的にいえば「包含する」という機能によって示されますが、この機能は「生み育てる」という肯定的な側面と「呑み込む」という否定的な側面があります。このような母性原理における二面性は世界各国の神話や昔話の中にも聖母や魔女といった形で現れており、このことに注目したスイスの精神科医カール・グスタフユングは人の心の深層域に〈母〉なるものの元型を仮定し、このような元型を「グレート・マザー」と名付けました。こうした意味で日本人の精神性はその無意識下において〈母〉なるものに極めて強く規定されているということになります。
 
事実、戦後日本文学において、こうした〈母〉なるものの克服は大きなテーマでした。例えば戦後日本を代表する文芸批評家である江藤淳氏は、その主著『成熟と喪失』において当時の文学的潮流のひとつを成していた「第三の新人」と呼ばれる作家たちの作品を題材にして戦後日本における「成熟」の条件を論じています。この点、同書において氏は「第三の新人」を代表する作家の1人である安岡章太郎氏の小説『海辺の光景』から近代社会における〈母〉の動揺と崩壊を読み取り、ここから氏は戦後日本における「成熟」の条件とは〈母〉を見棄てることによる「喪失感の空洞」のなかに湧いて来る「悪」を引き受けることであると主張しています。そして、氏はこうした「悪」を引き受ける「成熟」の主体を「治者」と呼び、やはり「第三の新人」を代表する作家の1人である庄野潤三氏の小説『夕べの雲』を「治者の文学」として読み解いています。
 
もっとも、ここで江藤氏の念頭にある「成熟」とはいわば「母と息子」の関係における男性的な成熟です。しかしながら〈母〉の呪縛はむしろ「母と娘」の関係においてより強力に現れることがあります。こうしたことから近年では「母と娘」の関係における女性的な成熟を描き出した作品が多く世に問われるようになりました。そして今年第20回本屋大賞を受賞した本作『汝、星のごとく』もまた、こうした母娘関係の抱える業を恐ろしく深いレベルで丁寧に描き出した作品であったといえるでしょう。
 
本作の著者である凪良ゆう氏は2006年ごろからBLシーンで作家活動を始め、やがて2010年代後半から一般文芸も手がけるようになり、2020年には『流浪の月』という作品で第17回本屋大賞を受賞しています。本屋大賞とは2004年に設立された比較的新しい文学賞で、その特徴は全国の書店員の投票によりノミネート作品と受賞作が決定される点にあります。こうした意味で今回2度目の受賞となった氏はいわば現代日本においてもっとも「本の売り手」に支持されている作家の一人であるといえるでしょう。
 

* それは小さな島から始まった物語

本作の舞台は風光明媚で知られる瀬戸内海のとある小さな島です。島の高校に通う少年、青埜櫂は一年前に母親と京都からこの島に引っ越してきました。櫂の父親は櫂が産まれて程なく胃がんで死んでおり、櫂の母親は一時たりとも男なしでは生きられない女性で、今回も京都で知り合った男を追って島にやってきて今は島で唯一のスナックのママをやっています。
 
男受けを狙った甘ったるい京都弁を喋る櫂の母親は島では異質の存在で、特に同性からはかなり引かれています。現在の彼氏とは結婚の約束もしているようですが、櫂からみればその先行きはかなり怪しいようです。櫂は自分の母親を「よく言えば素直、悪く言えばひとりよがり。最初はかわいくても最後は男にうっとおしがられる女の典型」と評しています。そしてそのような母親の息子である櫂もまた島では浮いた存在でした。
 
現在、櫂は母親のスナックを手伝いながらプロの漫画原作者を目指しています。相棒である作画担当の久住尚人とは二年前に漫画や小説を投稿するサイトで知り合い、二人の合作を大手出版社の少年誌に投稿したことが縁で同じ出版社の青年誌担当の編集者である植木と知己を得て、いまはこの三人で雑誌連載枠の獲得に向けて奮闘しています。
 
そして櫂と同じ高校に通う少女、井上暁海は自分が生まれ育った島に対して屈折した思いを抱えていました。彼女は一年を通して穏やかでエメラルド色に染まる美しい海に囲まれたこの島を愛してはいましたが、その一方で、男尊女卑の空気が強く残り、些細な出来事でもすぐに皆の噂になるこの島を出て広い世界を見てみたいという思いもありました。
 
現在、暁海の父親は家を出て不倫相手の家に身を寄せており、専業主婦の母親は夫への強い執着から感情が不安定になっています。暁海は高校を卒業したら島を出て、松山か岡山の大学に進学するつもりでいましたが、このまま両親が離婚すればもはや進学どころの話ではなくなってきます。たかが一年先の未来すら見えない中で暁海は鬱屈した日々を過ごしていました。
 
そんなある日、母親から夫の様子を見にいくように半ば強引に頼まれた暁海は島の漁港でばったり会った櫂を道連れにして父に会いにいくことになります。それまで二人はほとんど会話をしたこともない関係でしたが、同じく母親に振り回される境遇が似ていたことから、二人は次第に惹かれあっていきます。
 

*「普通」の恋愛小説なのか--『流浪の月』から考える

 
この点、凪良氏の第17回本屋大賞受賞作である『流浪の月』は色々な意味で「普通」から大きく逸脱した破格の作品です。そのあらすじは次のようなものです。主人公の家内更紗は両親を喪い母方の伯母の家に引き取られた9歳の少女です。両親とは全く教育方針が異なる伯母の家に馴染めない更紗は学校が終わるといつも公園のベンチで本を読んで時間を潰していましたが、その公園にはいつもやはり一人で本を読んでいる青年がいて、更紗の同級生達は彼を「ロリコン」と呼んでいました。そしてある雨の日、その青年はびしょ濡れになっても家に帰ろうとしない更紗に傘を差し出し「うちにくる?」などと声を掛けてきます。
青年の名は佐伯文。文は19歳の大学生で近所のマンションで一人暮らしをしていました。更紗にとって文の家にいることは当初、伯母の家に帰りたくないという消極的な理由でしたが、次第に更紗は文の人柄に惹かれていき、文の家に自分の居場所を見出すようになっていきます。こうして更紗は2か月もの時を文の家で過ごすことになります。
 
しかしその間に更紗は「家内更紗ちゃん誘拐事件」の被害女児として全国に実名報道されており、やがて文は誘拐犯として逮捕され、更紗は「保護」されることになります。そして事件の後、更紗はずっと周囲から「ロリコンに誘拐された可哀想な被害者」として扱われるようになりました。
 
そして事件から15年の月日が流れ、更紗は24歳となり恋人もでき、それなりに幸せな日々を過ごしていました。けれど、そんなある日、更紗は文と偶然再会することになり、ここから二人の物語が再び動き出していきます。
 
いうまでもなく我々の社会における圧倒的常識からすれば小児性愛者は極めて危険な存在と見做されています。そしてこうした「常識」の下で、おそらく多数の読み手はこの作品をその終盤まで小児性愛者の青年と天衣無縫な少女が紡ぎ出すイノセントな交歓の物語として読み解き、そこから例えばある人は「確かにロリコン=危険という決めつけは良くない」とか、あるいはある人は「いや、これは小児性愛を過度に美化している」などといった類の感想を抱いたりするわけです。
 
けれども、そのラストにおいてこうした類の感想はすべて完全にひっくり返されることになり、読み手は自身が依拠する「常識」がいかに危うい先入観で成り立っているかということに気付かされることになるでしょう。
 
これに対して本作は若干不穏な空気は滲ませつつも、大きくいえばいわゆる「ボーイ・ミーツ・ガール」と呼ばれるような高校生男女の「普通」の恋愛小説のようにも見えます。けれども一見「普通」に始まる本作もまた、このまま「普通」に終わることなくむしろ物語はここからこじれにこじれていくことになります。
 

* 自傷的自己愛の問題

 
本作では櫂と暁海が交互に一人称の語り手として登場し、全四章からなる本編では彼らの17歳から32歳までのおよそ15年もの歳月を追っていきます。暁海は雑誌連載が決まった櫂と一緒に東京に出る約束をするものの結局のところやはり母親の問題から島に残ることになり地元の内装資材会社に就職しますが、その手取りは13万円で、しかも男尊女卑の強い社風のため将来の展望もまったく見えません。
 
漫画が大ヒットして東京で華々しく成功していく櫂を横目に暁海はいまの自分に価値を見出すことができず、結局のところは母親と同じく男に依存して生きていきたいと思っている自身の欲望に気づいた彼女はどんどん自己否定的な感情を強めて行きます。
 
この点、精神科医斎藤環氏は思春期や青年期に多く見られる自己愛の否定的な発露として「自傷的自己愛」という概念を提唱しています。斎藤氏は近著『「自傷的自己愛」の精神分析』においてメンタルヘルスに問題を抱えた「自分が嫌い」な人々においてはその「自己愛」が弱いのではなく、むしろ「自己愛」が強いのではないかと述べています。
 
つまり、彼らの自己否定的な発言はその「自己愛」の発露としての自傷行為なのではないかということです。その根拠の一つとして同書は彼らが自分自身について、あるいは自分が社会からどう思われているかについて、いつも考え続けているという点を挙げています。だとすれば、それはたとえ否定的な形であり自分に強い関心があるという、紛れもなく「自己愛」の一つの形といえます。こうした逆説的な感情こそが斎藤氏のいうところの「自傷的自己愛」です。こうして見ると本作における暁海の自己否定的な感情もこのような自傷的自己愛の一つのケースとして考えることができるでしょう。
 

* 母娘関係における特殊性

 
ところで斎藤氏は男性に比べて女性の自傷的自己愛は親との関係、とりわけ母親との関係に起因することが多い印象があると述べています。すなわち、男性に比べて女性は月経やジェンダー・バイアスなどから自身の身体性を日常的に意識せざるを得ない機会が多いことから、こうした「女性の身体」を双方が共有する「母と娘」の関係は「父と娘」「母と息子」「父と息子」にはみられない特殊な関係となり、母親による娘へのしつけはほとんど無意識的に娘の身体の支配を通じて始まっている、と氏はいいます。
 
この点、斎藤氏は母親による娘の支配形態として大きく「抑圧」「献身」「同一化」の三つを挙げています。まず最も露骨な支配形態としての「抑圧」は主に母親が娘に投げかける否定的な言葉によってなされ、時としてその言葉は娘にとって生涯にわたる「呪い」となります。また母親の娘に対する支配形態は一見して無償の善意である「献身」によってなされることもあります(こうした「献身」による支配形態を臨床心理士高石浩一氏は「マゾヒスティック・コントロール」と名付けています)。そして母親が娘に「自分の人生の生き直し」を求めるという最も利己的な支配形態が「同一化」であり、その結果として「一卵性母娘」と呼べるような関係が出来上がってしまったりもします。
 
本作において櫂も暁海もその大半を母親に振り回される人生を送っています。もっとも、それでも櫂は自分の母親との関係をどちらかといえば俯瞰的に見ており、何より母親自身が恋人とそれなりに安定した関係を築けたことで息子にそこまで精神的に依存せずに済んでいます。それに比べて暁海にとって母親の存在はまさしく「呪い」といっていいレベルです。こうした母娘関係における「呪い」はやはり上記のような「抑圧」「献身」「同一化」という支配の結果としてもたらされたものといえるでしょう。
 
こうした母親の支配から娘が逃れることは容易ではありません。例えば母親からずっと否定され続け、彼女の負の感情の吐け口にされてきた娘は「自分には価値がないのだからせめて母親をケアしなければいけない」と思い込んでしまい、仮に母親の元を離れた場合でも「自分は母親のケアという責務を放棄した」という罪悪感に苛んだりもするわけです。このように母親の言葉は娘の身体にインストールされてしまい、その結果として娘は表向きはいかに母親を否定しようともすでに母親の言葉を生きるほかはない、と斎藤氏は述べています。本作でも指摘されている「ヤングケアラー」の問題もこうした病理と密接に関連しているように思えます。
 

* 世界の「謎」から日常の「問題」へ

 
そして本作で暁海を導いていくのは「正しくない人たち」です。彼らは世間一般の「正しさ」に照らせばほぼ間違いなく糾弾されるような人生の送り手です。けれども暁海から見た彼らは紛れもなく自分の人生を生きている人たちです。
 
人はおおむね「正しさ/正しくなさ」という二項対立で世の中の物事を判断し、時としてその観点から「正義」の名の下に他者を糾弾したり排除しようとします。『流浪の月』における更紗と文、本作における櫂と尚人もまたこうした「正しさ/正しくなさ」という二項対立で裁かれたのでした。
 
けれどもこうした二項対立的な「正しさ/正しくなさ」も別に絶対普遍ではなく、よくよく見てみればその境界線はかなり揺らぎを持っていたりします。それゆえに人が「真の正しさ」を突き詰めようとしたとしても、その思考は常に既にありもしない「真の正しさ」の周りで否定神学的に空回りしていきます。本作中盤までの暁海はまさにそのような状態に陥っていたといえるでしょう。そして、それは畢竟〈母〉の欲望を捉え損ね続けることで〈母〉の欲望に囚われ続けている状態であるともいえます。
 
これは「真の正しさ」という否定神学Xをめぐる思考の空回り、意味づけの空回りを運命づけられている有限性のもとで無限に反省を強いられる主体のあり方といえるでしょう。ところがその一方で、こうした否定神学的な有限性とは別の、否定神学Xという究極的な世界の「謎」を突き詰めずに、その日常における複数的な「問題」を一つ一つ処理していくという別の仕方での有限性が考えられます。
 
世界は謎の塊ではなく、散在する問題の場であるということ。このような二つの有限性をめぐる考え方は昨年大きな反響を呼んだ千葉雅也氏の新書『現代思想入門』の最後の方で出てくる議論ですが、本作終盤における暁海もまた否定神学的な有限性を(極めてアクロバティックな形で)脱却し、こうした別の仕方での有限性の中で日々を生きているようにも思えます。
 
いわば暁海は〈母〉という底なし沼の「謎」を日々の世俗的な「問題」に解消してしまうことで〈母〉の世界から脱出し、なおかつ〈母〉との和解を果たしえたともいえるでしょう。このように今年の新書大賞を受賞した『現代思想入門』と今年の本屋大賞を受賞した本作はあるレベルで極めて興味深い共鳴を見せています。そして、それはある意味で二項対立的な「正しさ」が支配する現代におけるひとつの希望であるともいえるのではないでしょうか。