* 行動療法と認知行動療法
1950年代、南アフリカで戦争神経症の治療を行っていたジョゼフ・ウォルピが「系統的脱感作」を開発して以降、行動療法は科学的な心理療法として注目を集めます。この時期の行動療法で重視されたのは、パブロフの犬やアルバート坊やの実験で知られる「レスポンデント条件付け」と呼ばれる学習原理です。このレスポンデント条件付けを神経症治療に応用したものが系統的脱感作でして、これは後にはエクスポージャーという技法へと発展していきました。これが第1世代です。
その後、行動療法はアルバート・エリスの「論理情動療法」やアーロン・ベックの「認知療法」と合流して「認知行動療法」と呼ばれるようになります。認知行動療法では「うつ」や「不安」といった症状毎の介入パッケージが開発され、これらは多くのセラピストが実践可能となるようマニュアル化されました。こうして1970年代に認知行動療法は心理療法の代名詞となります。これが第2世代です。
* 要素的実在主義と文脈主義
もっとも認知行動療法は様々な理論の寄り合い所帯として発展していった為、症例毎の介入パッケージはそれぞれ微妙に違った理論に基づいていたりするわけです。そこで複数の診断カテゴリーに当てはまるようなクライエントや、例えば「引きこもり」といった非定型的な悩みを持つクライエントにどう対応するのかという問題が残ります。
こうした3世代の変遷を経た現在、行動療法・認知行動療法には英国系の「要素的実在主義」と米国系の「文脈主義」という世界観の異なる二つの系譜があることが整理されてきました。
先に述べた第1世代と第2世代の行動療法・認知行動療法は「要素的実在主義」の系譜に属します。これに対して第3世代の多くのアプローチは「文脈主義」という異なった系譜に属しています。これが本書で重点的に取り上げられる「臨床行動分析」です。
* 行動分析学とABA
臨床行動分析の起源はバラス・スキナーが立ち上げた行動分析学にあります。行動分析学では「オペラント条件付け」という原理を重視します。先述したレスポンデント条件付けが条件刺激と条件反応からなる受動的な学習原理であるのに対して、オペラント条件付けは、先行事象、行動、結果事象の三項随伴性からなる能動的な学習原理ということになります。
そして、この行動分析学に基づく実践として知られているものに応用行動分析(Applied Behavior Analysis:ABA)があります。ABAは、重度の知的障害や発達障害を抱える子どもたちを対象として、周囲の人や物といった環境を適切に調整することで、適応的行動の獲得や問題行動の解決を図る療育実践であり、現在では児童発達支援の分野において広く普及しています。
* 症状の治癒から人生の質の向上へ
そして今世紀に入ると行動分析学では「関係フレーム理論」という人間の思考や言語の核となる原理を扱うようになります。こうして行動分析学は臨床行動分析として心理療法の分野にも進出を果たします。この臨床行動分析の仲間にはアクセプタンス&コミットメント・セラピー、弁証法的行動療法、行動活性化、機能分析心理療法が含まれます。こうした新しい世代の行動療法に共通する特徴は大まかには次の通りです。
⑴ 文脈と機能を重視すること。
⑵ 症状の治療を超えてクライエントの人として生きる機能を重視すること。
⑶ 理論や技法をセラピスト側にも向けること。
⑷ これまでの行動療法や認知行動療法の延長に位置付けられること。
⑸ 人間の抱える大きなテーマも積極的に扱うということ。
すなわち、第1世代、第2世代において専ら主眼に置かれたのは「症状の治癒」でしたが、第3世代において目指されるのは「人生の質」それ自体の向上にあるという事です。
* 環境を変えることで行動を変える
本書は行動療法の基礎から最先端の動向までを平易に概説する入門書です。もっとも本書が目指すのは行動療法における技法全般の表面的理解ではなく、むしろその根底を支える基本原理の本質的理解です。
例えば、我々は日々の気分の落ち込みを改善しようとして認知行動療法のコラム法に取り組んだり、日々の仕事の生産性を上げようとしてマインドフルネスの瞑想を実践したりするわけです。けれどもコラム法にせよ瞑想にせよその他のいずれの技法にせよ、その基本原理の本質的理解なくしては、具体的な状況に即して自在に運用することは難しいでしょう。本書が光を当てるのはまさにこの部分になります。
わりと誤解されがちですが、行動療法はある人の「行動」それ自体ではなく、その行動を取り巻く「環境」にアプローチします。人の行動は主体的な思考や選択よってなされていると見せかけて、実はかなりの部分を周囲の環境に規定されています。すなわち、自分を変えたいと思うのであれば、まずは自分を取り巻く環境を変えるべきであるということです。
ではその環境をどのように変えれば良いのでしょうか?もとよりその処方は、人それぞれにしてその時々で異なります。けれど、ともかくも自分なりに何らかの処方を見つけ出していく上で、きっと本書は良き道標となると思います。