* はじめに
生きているとやっぱり苦しいこともあるでしょう。この先、何もいいことなんて無いんじゃないかとさえ思うことだってあるでしょう。そういう人生の深みにはまったとき、ぜひ思い出して頂きたい一冊です。
* 意味への意志
ここでキーワードとなるのが「意味への意志」です。
精神分析を創始したジークムント・フロイトは人の根源的欲求とは「快楽への意志(快楽衝動)」であると規定しました。
これに対してフランクルは人の根源的欲求とは「意味への意志」であると規定します。
「意味への意志」とは何でしょうか?
「快楽の意志」であれ「力への意志」であれ、さらにその奥には「なぜ快楽や力を追求し人は生きるのか?」という「生きる意味」への問いが控えているわけです。この問いを追求するのが「意味への意志」ということです。
つまり「快楽の意志」は生理的欲求であり「力への意志」が社会的欲求であり、いずれも「生きるための手段の追求」であるのに対して、「意味への意志」とは実存的欲求であり、いわば「生きる目的そのものの追求」になるわけです。
* 人生は私に何を期待しているか
では、「意味への意志」はどうして満たされるのでしょうか?
ここで必要なのが問いの観点の変更であると、フランクルは言います。
それは、ものごとの考え方を180度展開することです。その展開を遂行してからはもう、「私は人生にまだ何を期待できるか」と問うことはありません。今ではもう、「人生は私に何を期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。〜本書より(Kindle位置:280)
つまり、我々は人生が提出する問いに答えることによって「意味への意志」を満たすことができる。そして、人生がどのような問いを投げかけてくるかはその瞬間瞬間で異なってくる。
この点、人生からの問いへの答え方は様々になります。ある時は仕事をしたり創作したりと言う活動で人生からの問いに答え、ある時は美しいもの、善きもの、偉大なものを愛し、身を捧げる事で人生からの問いに答える。
そしてまたある時は、降りかかるあらゆる苦悩や困難に対峙することで人生からの問いに答えることができるとフランクルは言います。
* 創造価値・体験価値・態度価値
こうした「意味への意志」が満たされる事によって「意味への意志」のみならず、そこから派生した「快楽への意志」と「力への意志」も質的に高められ、特定の価値を実現するものへと転換するわけです。
すなわち、力への意志は「創造価値」を実現するものへ。快楽への意志は「体験価値」を実現するものへ。そして、意味への意志は「態度価値」を実現するものへ。それぞれが質的に昇華する。
そして、これらの価値実現の原動力となる心的作用をフランクルは精神的無意識と呼びます。精神的無意識の例として「芸術的創造(パトス的なもの)」「愛(エロス的なもの)」「良心(エートス的なもの)」があり、これらはそれぞれ創造価値、体験価値、態度価値に対応しています。
* おそろしくも、すばらしいもの
人生が出す問いに答える事にこそ「意味」があり「価値」を生み出すということです。つまり我々は人生が出す問いに答えを出す責任がある。
フランクルはこのような人間の責任を「おそろしいものであり、同時にまた、すばらしいものである」と言う。
おそろしいのは、瞬間ごとに次の瞬間に対して責任があることを知ることです。ほんのささいな決断でも、きわめて大きな決断でも、すべて永遠の意味がある決断なのです。瞬間ごとに、一つの可能性を、つまりその一つの瞬間の可能性を実現するか失うかするのです。・・・(中略)・・・それでもすばらしいのは、将来、つまり私自身の将来、そして私の周りの事物と人間の将来が、ほんのわずかではあってもとにかく、瞬間ごとの自分の決断にかかっていることを知ることです。私の決断によって実現したこと、さっきいったように私が日常の中で「起こした」ことは、私が救い出すことによって現実のものになり、つゆと消えてしまわずにすんだものなのです。〜本書より(Kindle位置:1652)
* おわりに
人生が提出する問いにその瞬間その瞬間、真摯に答えていく事こそが「生きる意味」を満たすことになる。
奇跡か何かを待っているだけでは世界は1ミリも変わらない。けれども自分を変える事は今すぐ出来る。
ロールモデルが崩壊し、何が「正しい生き方」なのかわからなくなったこの時代においては、何気ない今このときにおいて「生きる意味」を産み出していく営みこそが、人生をより深く豊かなものにしていく鍵になるのではないかと、そう思うわけです。
そういうわけで、本年もお世話になりました。どうか良いお年を。ここまで読んでくださってありがとうございました(^o^)ノ