かぐらかのん

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「今、ここ」を味わい尽くすということ--日日是好日〜『お茶』が教えてくれた15のしあわせ(森下典子)

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日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

 

 

* 「お茶」の持つ底なしの深み

 
本書は著者の森下典子さんが25年習ってきた「お茶」を通して得た「気づき」をまとめた自伝的エッセイです。
 
先だって公開された映画を観たのがきっかけで原作である本書も読んでみたのですが、平明な語り口ながら、様々な事を考えさせられる深みを持つ一冊でした。
 
本書で綴られている「気づき」の数々。「今、ここにいること」「五感で自然とつながること」「自分の内側に耳をすますこと」「このままでよい、ということ」などなど。これらは随所で言われているように、いま医療やビジネスなどの諸分野で注目を集めているマインドフルネスそのものです。
 
そして恐るべきことに本書の単行本が出版されたのはマインドフルネスが日本で全く知られていなかった2002年です。つまり本書は10年以上も時代を先取りしていた事になります。この事実だけでも「お茶」の持つ底なしともいえる深みを示すものと言えるでしょう。
 
 

* あらすじ

 
就職が迫っても「やりたいこと」が見つからない女子大生の「典子さん」はふとしたきっかけで従姉妹と毎週土曜に「武田先生」の家に通い「お茶」を習い始める。
 
「帛紗(ふくさ)」の捌き方を始めとした「お茶」のいちいち細かく厳格な作法に悪戦苦闘する日々。
 
それから25年。挫折、失恋、別離。様々な人生の節目の傍にはいつも「お茶」があった。
 
 

* 意味不明な決まり事の先にあるもの

 
茶の湯のお点前には様々な決まり事があります。本書の序盤では様々な所作が紹介されています。
 
「水指(水の入った容器)」は下においた時、両手の小指の腹が畳に付くように持つ。茶室は左足から入る。畳一畳は六歩で歩く。
 
「茶巾(茶碗を拭く布)」で茶碗を拭く時最後は「ゆ」の字を描く。「中水底湯」といって、お湯は釜の底から汲み取り、水は真ん中から汲み取る。
 
茶筅(抹茶をかき混ぜる道具)」は穂先が折れていないか確かめる際に手首をくるりと返す。お茶は泡が切れて三日月形にに水面が見えるように点てる。
 
そして出されたお茶は最後は「ずう」と音を立てて飲み切る。
 
なぜそんないちいち面倒なことをするのか?理由を聞いても武田先生は教えてくれない。
 
さらに毎週取り扱う道具が変わり、お手前の動作は季節により変化する。せっかく冬のお点前を覚えかけたところで、今度は夏のお点前を最初から覚え直さないといけない。
 
典子さんも当初はその意味不明で頑迷固陋とも思える数々の所作に僻遠するわけです。
 
けれどそれらの所作と格闘する中、なんとも言えない不思議な法悦に満たされる瞬間がある事に少しずつ気づいていきます。
 
突然だった。何も考えていないのに、手が動く。まるで何かにあやつられているみたいだった。だけど、何だか気持ちいい……。
 
(本書58頁より)
間違えまいとお点前に没頭した。すると、何も思わず、考えない「真空」のような数秒がやってきた。そのときすべてから切り離された気持ちよさを一瞬、感じた。
 
(本書67頁より)
 
 
 

* 「今、ここ」を味わい尽くす

 
一つひとつの所作をていねいに行う事によって「思考」を手離し「意識」を「今、ここ」という「現実」に直結させる。こうして何気ない一瞬が輝き出す。そしてその先には、とてつもない「自由」が待っている。これらはまさしくマインドフルネスが目指す解脱の境地そのものです。
 
このように考えると武田先生が御点前の所作のもつ意味をあまり教えようとはしなかった理由もわかる気がします。「意味」は「思考」を生み出してしまうからです。
 
それぞれの所作にはおそらく歴史的由来などの「意味」はあるのでしょう。けれども「意味」を頭で知る前に、意味の無いところにこそ〈それ〉という他の無い意味が生じること、いわば「無意味の意味」というべきものの重要性を身体で体験して欲しかったのかなと。茶の湯は全くの素人ながらもそんなことを考えました。
 
禅に「威儀即仏法作法是宗旨」と言う言葉があります。「心を整える」と言うのは雲をつかむような話です。そこで、まず「形を整える」ところから入る必要があるわけです。
 
そして「この瞬間」はまさに一生に一度しかない。晴れの日だけではなく、雨の日も雪の日も、人はどんな日も、その日を思う存分味わうことができる。茶の湯の本質とはお茶を味わうのではなく、まさに「今、ここ」を味わい尽くすということなのでしょうか。
 
翻って考えるに、我々はどれだけ日常の動作をていねいに行なっているでしょうか。どれだけ「今、ここ」にいるのでしょうか。本書で示される「気づき」は普段の我が身を省みるきっかけにもなるのではないでしょうか。
 
 

*  同じことができる幸せ

 
本作は先日、本作を原作とした映画が公開されましたが、こちらの出来も凄く良いんですよ。機会があれば是非、ご覧いただければと思います。
 
 
民家を徹底的に改造して細部までこだわり尽くした茶室。黒木華さんと多部未華子さんが織りなす静と動の対照的なコントラスト。そして樹木希林さんが放つ圧倒的な安定感。
 
ラスト近くで、樹木さんの言う「私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」という台詞が凄く印象的でした。
 
もちろん原作にもある台詞なんですが、その飄々として穏やかな口調の裏側に、全身がんに侵され、常に毎日自らの死と向き合って来たであろう樹木希林にしか出すことのできない凄みを感じました。
 
「同じことができること」。本当にこれはとても大事なことだと思う。
 
今日も仕事やプライベートなどで色々嫌なことがあったかもしれません。けど帰れば、いつものように温かいお風呂に入ることができる。ご飯を食べたり、お酒を飲んだりできる。映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、大事な人たちと話ができる。
 
もしこういう営みが明日からは出来なくなるとしたらどう思いますか?今日も昨日と同じ事ができるというのは本当に素晴らしい事なんだと、そう思いました。
 
「今、ここ」が惜しい。だけど過ぎていきます。いつも「今、ここ」を過ごせる事に無上の感謝の念を持って生きて行きたいものですね。