かぐらかのん

心理学関連書籍、ビジネス書、文芸書の書評などを書いていきます。

「こころの病に挑んだ知の巨人(山竹伸二)」を読む。こころの問題の本質に迫る。

 
日本が世界に誇る5人のセラピストの業績の比較検討を通じて、こころの問題の本質を考えようとする一冊です。
 
森田療法という日本独自の心理療法を生み出した森田正馬。「甘え」の観点から精神分析の再構築を試みた土居健朗。ユング心理学箱庭療法の導入を通じて今日の臨床心理学の礎を築いた河合隼雄。「あいだ」の思想、時間論、生命論を軸とした精神病理学を打ち立てた木村敏風景構成法統合失調症の治療論で名高い中井久夫
 
これだけ見れば、五人五様、それぞれバラバラなことをやっているようにも思えますが、各人それぞれが言わんとする意図を読み解いていくと、本質的には同じものを別の視点で語っている事が多い事に気づかされます。内容はかなり専門的ですが、論述は極めて明快で、要所でまとめを入れたりと読みやすいです。
 

* 症状という不安への防衛

 
中井氏は精神疾患の様々な症状を一種の不安への防衛反応と捉えます。また、木村氏は患者は症状によって一種の自己治癒を行なっていると言います。
 
人は誰でも愛と承認を求める生き物です。けれども当然これらは100%完全に満たされることは決してありません。
 
人はこの「満たされなさ」という根源的な不安に直面したくないからこそ、症状を自ら生み出して「これさえなければ全てが満たされるのに」と苦しむことで本当の問題を先延ばししているわけです。
 

* 自己了解という営み

 
森田氏によれば、沸き起こる不安、恐怖、強迫観念を「あるがまま」に感じ尽くせば、本来的欲望である「純な欲望」が顕現するという。また、土居氏によれば、治療者の解釈によって患者は自分の行為の意味を理解し「私は何を欲しているのか」が見えてくるという。あるいは、河合氏によれば、心理療法とはクライエントが無意識の発見を通じて自己の「物語」を紡いでいく過程に他ならない。
 
これらの営みに共通するのは「自己の思考や感情への気づき」です。本書の言葉で言えば「自己了解」です。
 
心理療法が目指す目的とは不安、恐怖、強迫観念といった症状の消去ではなく、むしろそれらの症状を自分のものとして引き受けてなお「これでよい」とイエスを言うための営みと言えます。まさに、フロイトの名言にある通り、人の強さは弱さの中から生まれるのです。
 

*二者関係の三者化 

 
先に述べたように人の根底に愛と承認への欲望があり、十分な愛と承認を経験していない患者にとって甘えの体験、母子一体的な二者関係の構築は不可欠です。
 
けれども、濃密な二者関係はどっぷり浸かってしまうと、患者は治療者に依存してしまい、治療者の愛と承認だけが正しさの基準となり、自分を見つめ直す機会が生じてこない。
 
そこで、二者関係が一定の段階に達した時、治療者は第三者として解釈などの介入を通じて患者の自己了解を進めていかなければならない。そうすることで患者は他者とつながりつつも他者から自立した存在として生きていくことができるわけです。
 
土居氏は精神疾患の原因を「屈折した甘え」として捉え、治療者が患者の「甘え」を共感的に捉えることで、患者が正常な甘えを体験的に理解することの必要性を説きつつも、治療者は患者に同一化したままではいけないと言う。
 
また河合氏も心理療法の過程を母性原理(誤りや弱さを受け入れて包み込む作用)と父性原理(誤りを正して自立を促す作用)のバランスで考えます。
 
同様な視点は中井氏の統合失調症の治療論にも見られます。周知の通り氏は風景構成法の提唱者として知られていますが、重要なのは作品という第3の対象が治療者と患者の二者関係に伴う危険性を防ぐ力があるという点です。
 
このように治療者は包み込む母性と切り離す父性を共存させていないければならないということです。そして河合氏が強調するように両者のバランスは文化圏によって異なってきます。 西洋に比べて母性原理社会である日本においては、母性原理を基礎としつつ、どの段階で父性原理を取り入れていくかという問題があるわけです。
 

* おわりに

 
上記に述べたようなテーマは現在の心理療法のスタンダードである認知行動療法とも重なる部分が多いでしょう。自動思考を書き出すコラム法などまさに「不安」をコラム用紙という「第3の対象」上で可視化して「自己了解」を得るための技法です。
 
そういう意味で本書は単なる「偉人伝」ではなく、日々、生起する何がしかの「生きづらさ」という問題に取り組む上で多くの示唆を得る事が出来る実用性を備えた一冊といえるでしょう。