かぐらかのん

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「愛することは許されること(渡辺和子)」を読む。「置かれた場所で咲きなさい」の著者による新訳聖書入門。

 
「私が私であるということ」。これを「アイデンティティ」と言いますが、何を持ってアイデンティティとするかは極めて難しい問題です。河合隼雄氏は米国の発達心理学者エリク・H・エリクソンの「個人として社会にコミットすること」というアイデンティティ概念を引きつつも、そこに「個を支えるファンタジー」の重要性を付け加えています。
 
「ファンタジー」とは、つまり「私という存在」を基礎付ける「想像的現実」。河合氏の好んで使った言葉で言うと「おはなし」のことです。絶対的な重みをもって「そうだ、私はここにいるんだから」と鮮烈に確信できる「おはなし」こそ、自らのアイデンティティを支える強固な基盤になるということです。
 
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本書は「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子シスターによる新約聖書入門です。通り一遍の聖書の概説、解説の類ではなく、まさにシスターにしかできない「おはなし」です。新約聖書の言葉に自らの半生の経験を重ね合わせた文章が綴られています。
 
渡辺シスターは36歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任するという、一見華々しい経歴の持ち主ですが、シスターとしてはまだ駆け出しにもかかわらず学長に祭り上げられてしまったことで「聖と俗」の間の葛藤にかなり悩まされていたそうです。昨年暮れに89歳で帰天されるまで、置かれた場所で咲き続けたその堅牢なアイデンティティを支えたのは聖書という「おはなし」だったのでしょう。
 
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なんで「愛することは許されること」なのでしょうか?聖書についてそんなに通じているわけではないので恐縮ですが、イエスが真に革命的だったのは、旧約聖書の膨大な律法規定の枢要は「あなたは心をつくし、精神を尽くし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない(申命記:6.5)」と「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない(レビ記:19.18)」というたったふたつのシンプルなテーゼであることを明らかにした点にあるのではないかと思うわけです。
 
そして、ここでいう愛とはエロス(価値があるから愛する)でもフィリア(友達だから愛する)でもなく、アガペー(価値がなくても愛する)ということ。無償の愛の実践こそが原罪を背負った人が神に許されるための道となるということなんでしょうか。
 
愛というと何か大げさなことをしないといけないのかという気にもなってしまいますが、本書はイエスさまとの関わりは日々の暮らしのいろいろな所に見出せると説かれています。
 

「自分にとって面倒だ、つならない、いやだと思うことを、誰も知らないかもしれませんけれども、イエスさまへの小さなプレゼントにすることができるのです。寒くなると、朝起きることがつらくなります。そんな時に、パッと起きること、これもずいぶん勇気のいることですけれども、そんなこと一つひとつがイエスさまへの小さな贈り物になるのだということを私たちは忘れないでいましょう。」

 

(本書より)

 

日常の生活の中に聖書の言葉をどう活かしていくか、得られる気づきも多いでしょう。聖書に何となく興味があるけど良い取っ掛かりがないと思っている人が手にする最初の一冊として是非。